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千秋の掲示板’04 / 7

今立は今日で 投稿者:せん  投稿日: 7月30日(金)22時55分3秒

18日からの福井豪雨、今立では今日ボランティアの受け付けを停止しました。まだ早いような印象も受けましたが、いろいろお聞きして成る程と思うこともあります。今回の豪雨でいろんな事を感じ、またネットをやってきてよかったなと思うことがたくさんありました。人を助けられるのはやはり人。当たり前の再認識。無償で働くとはどういうことか。スコップを持つと何となく分かります。

お祭りとかイベントの中止が目立ちます。横並びの文化と言えるのでしょうか。歴史では非国民という言葉があったそうですね。女性はモンペをはいて、竹やりを持ったと聞いたことが。歌舞音曲の自粛などは耳に新しい言葉です。お葬式で黒一色で統一することも横並びの文化といえるのでしょうか。でも最近喪主の女性の方々は華やかな和服を着られることもあるみたいで、戸惑ったりします。

集団の中での個性の発揮をいかにしていくか。集団の優先の中に埋没することは安全で、ぬるま湯につかるここちがしますが、逃避のような気もします。いろんな個性ある人が多く出ることが今一番求められているような。古来天変地異、社会変動あるときはそうであったような。などなどとりとめなく書いてみましたが要領を得ませんね。

避難勧告と見回り 投稿者:せん  投稿日: 7月29日(木)22時47分11秒

台風の進路が気になるところです。夕方雷雨があり心配していたところ、やはり池田174人に非難指示、今立は271人に避難勧告がTVで流れます。今立署の要請で只今まで、防犯見回りを。

避難勧告の出ている地域を重点的にパトロールしましたが、夜であったからかも知れませんがその惨状はひときわ胸に迫ります。市野々、柳は今日たくさんの真新しい土嚢が無数に積まれ二次災害への備えがされていました。また領家へ始めて入り、何度もおじゃましているお寺の惨憺たるを見、声を失いました。天災は人も場所も選ばずむごいことをします。

今日のニュースでお隣の池田町がボランティアの受け入れを停止すると発表がありました。復興できたのでしょうか? また、被災地の方の疲労蓄積もピークに達し休みが必要であるという意見も耳にします。被災地の復興のアンバランスなど県全体を見据えての救援体制を考える時がきているそうで、そういった方向で今後進んでいくと。

自販機荒らしがこの時期いくつかあったようで、町内のお店前の自販機も。かたや義援金で多くの方の温かい善意に感動するさなか、水をかけられた気持ちになります。帰り道、不審な駐車をしている車がありパトカーも駆けつけてちょっとした騒ぎに。何ともなければいいですが・・・。
 

あの方もボランティア 投稿者:せん  投稿日: 7月28日(水)20時47分49秒

ニュースで地村さんが、お隣漆器の里河和田でボランティア作業をされている姿が。私もやった床下の泥上げをされていました。日本へお帰りになって、今度は私が・・・という意気込みが感じられます。

河和田は仕事柄よく行きます。災害直後通ってその被害の大きさは目のあたりにしました。今立の周辺の池田、河和田も本格的復興が始まっています。河和田の漆器は大打撃を受けたそうで、泥をかぶった漆器の様子は何度もニュースに流れました。昔からの漆とともにあった伝統の町が一刻も早く復興されることを。

地村さんを見ていて前から思っていたことが。北朝鮮へ埒されて帰国した方達は皆さんとてもしっかりしているように見えます。これはどうしたことなのでしょう。逆境の中耐えてきたからと言ったことだけなんでしょうか。日本にいては見えない何かがあるように思えて仕方ありません。

台風10号が接近? もうかんべんしてください(~_~;)

http://www.awatabe.com/2004/Thanks2.htm


>連合滋賀様! 投稿者:千秋 信一郎  投稿日: 7月28日(水)01時27分14秒

おいでありがとうございます。ページよく見つけていただき感謝です。またあの大変な作業ほんとうにご苦労様でした。もう滋賀県の大フアンになりましたよ。あのお寺、完全に元どおりになるには3年かかるとのことでした。ご住職がおられなかったのは残念でした。ご紹介させていただきたかったのですが。

ここだけの話ですが、一輪車を持つのは始めてのことでしたが、みなさまの手前できるだけかっこよく振舞ったつもりです。川に泥を投げるとき何度もふら付いて落ちそうに(笑い
またぜひ復興なった今立においでください。
ほんとうにご苦労さまでした。みなさまにも宜しくお伝えくださいませ。

大工さんへの呼びかけ 投稿者:せん  投稿日: 7月28日(水)01時09分19秒

2億円の行方は、大変早い対応で被災者一律2万円の見舞い金として配られると知事の決断としてニュースが流れました。ご寄付の方も安堵されているのではないかと想像します。

今回の水災害では床上浸水か、床下浸水かで災害の程度分けがなされているようです。昔の家屋では当たり前の色分けであったと思いますが、洋風建築全盛の昨今では、なかなか難しい問題があるように思えます。それを裏付けるように大工さんへのボラ呼びかけが今日から始まっています。素人では手に負えない部分があるからですね。

この辺の風土としては人様に迷惑をかけない・・・出来ることは出来るだけ自分でやる、という生き方があったと思います。しかし、自分ではどうしょうもない部分が建築上多くあることが、この水災害で認識されたようです。容易に分解できることが大事なんですね。また床下浸水されている方でも、これくらいのことはがまん、と言われている方も見かけます。発表被害の数字への疑問を持つ方は多いようです。確実な被害把握は大事です。

私の5件隣には「北陸のエジソン」として全世界で有名な酒井博士のお家があります。今、粟田部100年に一度という道路拡張で昔からの家をそのまま、ねあげして後ろに下がっている真っ最中です。

昔からの家はこのようにそっくりそのまま移動が可能なのです。昔からのものは古いという感覚は間違っているかも知れません。新しいデザインや新しい技術は夢を与えてくれそうですが、今回のような災害を目の前にしては、色々考えさせられること多であると思ったのは私だけではない気がします。

今立の暑い夏 投稿者:連合滋賀  投稿日: 7月28日(水)00時56分41秒

7/25に浄円寺でご一緒した、連合滋賀からのボランティア参加者です。少し遅くなりましたが、約束通り佐々木小次郎と源範頼をたぐってやってきました。終わりの遠い泥との格闘、住民の方々のご苦労は私たちには計り知れないもので、連日のご苦労にも関わらず、飲み物の差し入れや、帰り際には皆さんで手を振っていただき、作業半ばで帰るのが心苦しいものでした。一日も早く、今回の水害で被害に会われた皆さんの元の生活が戻ることをお祈りしています。

知らなかったこと 投稿者:せん  投稿日: 7月26日(月)20時18分13秒

農家の友達の家へお見舞いに。道路脇に残っている泥土とは対照的に、稲の瑞々しい青さとしっかりとした姿が一面に広がっています。「よかったね。稲は大丈夫で」と、せいいっぱいの慰めのつもりで。そう、私は農業のことは全く知らない。

「もうお米を作るのはやめようと思っている」と静かに言われ驚きました。今度の水災害は田をも呑み込み、一見しては分かりませんが流れ込んだ泥が堆積し稲の根元に高く残ったそうです。彼の田では今年機械では刈れないかも知れないと。じゃ手で刈り入れ?しかしもうそんな大変なことはできないと。

3年ほど前から、いつやめようかと考えていたそうで、この水災害でふんぎりがついたとか。田は刈り入れせずそのままにして、ゆくゆくは稲共々埋めるとか・・・。作っても赤字になる農業?ってちょっと想像できませんが、聞いてみるとほんとにそうなんですね。大変ショックを受けました。

日本は瑞穂の国と言われてきたのでは?この言葉はすでに歴史の中のことなんでしょうか。作って赤字、作らなくても赤字になるならやめるのも仕方ないことですね。まだ半信半疑で緑の田を横目に車を走らせます。彼は今になって昔授業で「地球が小さくなった」という先生の言葉の意味がようやく分かったと言っていました。どういう意味だろう。

私にはまだ農家のおかれた立場とか、農業のこれからなどは皆目分かりません。只この水災害が与えた打撃は確かなもので、あきらめともとれる友達の困惑した目がそれを語っているようでした。

稲は背筋を伸ばし、天に向かって。それが返って痛々しく見えてきたのはどうしたことでしょう。全ての物への見方が変わる思いがします。美しい日本?何も知らない自分がこんなに恥ずかしく思えたことは。

滋賀連合のみなさんと 投稿者:せん  投稿日: 7月25日(日)18時04分34秒

今日は要請があり、東庄境の浄円寺へボランティア。このお寺は源範頼ゆかりの寺で私も少なからず関わっています。庫裏が床上浸水し床下に溜まった泥の撤去が主な作業でした。

滋賀県から滋賀連合の方達が50名以上バスで駆けつけていただき、この寺を中心に東庄境一円で作業をしておられました。仲間に入れていただき、一輪車での泥の運搬などをしました。床をめくりながらの泥出しはきつい作業で滝のような汗を流しての作業です。粘着の強い泥がスコップにまとわりつき大変やりにくかったです。

本堂は幸い床上浸水はなかったようで、福井県済生会病院の救急車を横付けしての臨時救護所になっていました。医者もついての本格的なものです。2人ほど横になり点滴中で、また住民の方達が診察を受けにお出ででした。まず過労で体の具合が悪くなった方。それに右足の親指の横を痛められた方が多かったようです。これは不自然な態勢でのふんばりからくるもののようで、被災時の作業がいかに大変だったかが想像できます。

床下の泥の除去は想像以上に手強く、まだまだかかりそうです。昔からの作りで縁をめくれるところはまだいいですが、最近の建材張りの床はどうしょうもなく皆さん頭を抱えているようです。見た目とコストばかりを追いかける住宅建築に一石を投げかける出来事であったかも知れません。

最後お寺のご新さんと親戚の方ごいっしょに滋賀連合の方達に手を振ってお別れしました。ほんとうにありがとうございます。お盆前、私も大変いそがしい中ですが、みなさんの尊い汗の前にはそんなことも言っておられませんね。地元民として、こころからの感謝の気持ちでいっぱいです。

そうそう、三方、敦賀からもおいでの皆さんともお話しました。本部では富山からおいでの方とも、思った以上にすごかった、との感想でした。今立にはまだまだ大変なところがたくさんあります。泥との闘い、熱い夏が続きます。
 


救援物資と2億円! 投稿者:せん  投稿日: 7月25日(日)00時34分38秒

今日、嶺南(小浜、三方など)から災害援助物資が届いたとかで、家内は粟田部の床上浸水の家を調べたり、救援物資をその家庭に一軒ずつ配っていたようです。近くへ行ったので南体育館を覗くと山となった衣類などの仕分け作業中でした。

土曜日でもあり今立へボランティアに駆けつけてくださった方は1500名余にもなり、初日の140名ほどからみると大変な数になっているようです。今日は始めて救援要請に対するボランティアの供給数が一致したのではないでしょうか。明日がきっとピークになるかも知れません。

2億円という驚くべき数字の宝くじ券?を福井災害に匿名寄付された方があり、福井県知事が感謝の記者会見を行いました。詮索すればきりがありませんがここは素直に喜べばよいと思いました。すごい方がおられるものですね。どのように生かして使うのかみなさん興味がおありだと思います。

ボランティアを束ねる組織にも金銭が必要です。これから人的援助から徐々に金銭的な援助が必要に。募金もまたボランティアといってよいでしょう。年度に予算化してしまう行政にはお金がない・・・やはり募金に頼る他ないのでしょね。

これだけ大きな災害を経験したのですから、災害に対するノウハウを克明に記録し次に活かすことが大事だと。のどもと過ぎれば・・・にならないといいですが。県内で一番早く今立にボランティア本部を立ち上げて活動された方達に敬意を。何年も前から地道に活動されてきたことが、ここに実を結んだことを私は知っています。

これからもお出でになる平成の勇敢なる戦士ともいえるボランティアのみなさんが今立で成されたことが、いつの日かよい思い出となられることを祈りたいと切に思います。感謝の気持ちで涙が出そうになる。ボランティアに接した多くの被災された方達の言葉です。

http://www.awatabe.com/2004/Thanks1.htm


福井フェニックス祭りが 投稿者:せん  投稿日: 7月23日(金)02時25分3秒

中止の記事を読んだのが今朝 先ほど粟田部夏祭りも中止の報が(実行委員長確認) このまま行くと今立祭りも危ないかも 今は被災復興が一番ですから仕方ないですね
はながたみ薪能は予定どおり(事務局長確認)券も残り少なくなってきたそうでHPのお知らせを書き換えなくてはいけません 芸術館のコンサートも予定どおり(今立芸術館長確認)

今日は(昨日?)県外からも大型バスで(名古屋などから)ボランティアがたくさん 夏休みに入ったからか学生さんも多いみたい ボランティア本部前駐車場に並ぶ車は圧巻です 芸術館で職員さんと話していたのですが 今回被災地の写真を撮ることができない 日頃からよく見知った方々が大変な目にあっている そこをパチパチとシャッターを押すことができない こんな時はプロの方に任せよう それでいいと思う そうだなーと 

そうそう プログラマーのshinさんから電話があって今立へボラに来るそう パパになったばかりで子供の側にいたいだろうに偉いなー こんな時 人の役に立ちたいと思える人はすばらしい そんなこころを持つ同じ人間が他では戦争もする おかしいですね

http://www.awatabe.com/2004/Thanks.htm


>扇さん 投稿者:せん  投稿日: 7月20日(火)23時05分57秒

よくおいでくださいましたね 只今帰宅です
私の書いたことに間違いはありましたか?
福井医科大?なんでしょうか それにしてもよくがんばりました
みなさんのまだまだ大丈夫・・という言葉が今でも耳に残っています 
約束?のあと二人の方がまだ来ません(笑い
そうそう武生からのリーダー 今日東庄境でボラしているのに出会い
ましたよ 何かのご縁です 同じ釜のメシですよ!
皆さん(私も)始めての本格的なボランティアでしたね
参加されてのご感想はどうでしたか? では

おつかれさまです 投稿者:  投稿日: 7月20日(火)21時47分7秒

昨日一緒に活動させてもらいました丸岡の扇です。
約束どおりホームページ探して見させてもらいましたよ!
泥のことは気になさらなくても大丈夫です。
現地の復旧を心より願っております。

被災地視察 投稿者:せん  投稿日: 7月20日(火)18時25分13秒

役場の方より連絡が入り内閣府へネットで画像を送る為、画像処理を手伝って欲しいとのこと。一も二もなくボラセン会場へ飛んで行きます。内閣府からの被災地視察が迫ってちょっと緊張気味な感じでした。ボランティアリーダー細川さんががんばっている姿を見て激励。ボランティアの方もおいでになって活気がありました。

防犯隊に今立署の要請があり、もうすぐ出動。被災地 新堂、水間谷などで今度のことで空家になっている家屋があり防犯上問題がある為の見回りになるとのことです。深夜までかかるとのことですから今ちょっと休憩。

今日は本職で先ほど東庄境へ。床上浸水後、ご家族や親戚の方でしょうか。その後始末におおわらわの様子でした。ボランティアの要請は?とお聞きするとご返事は もっと大変なおうちがあるでしょう・・でした。言葉なし。
帰り、友達と偶然出会い「がんばって!」と声をかけてきました。

今立は大変です 投稿者:せん  投稿日: 7月20日(火)12時57分11秒

昨日、家内がおにぎりの炊き出しから帰って、いろいろ聞いてきた今立の惨状を聞いてこれは大変なことだとすぐにスコップを持ってボランティア本部にかけつけました。本部で偶然に出会った若者3人とチームを組んで出発。丸岡、福井、福井医科大看護課の方、でした。

本部からの指示で今立町柳へ行くことになり、そこで武生からのボランティアリーダーの傘下に入ります。行く途中はまだ笑いがありましたが、現場に近づくにつれいたるところ道路側溝が川に落ち込んでいるのを横目にこれは大変と思い始めます。

柳では平等寺がみなさんの集合場所になっていて区長さんが陣頭指揮をとっておられました。皆さん泥だらけで一昨日の救出劇などをお聞きします。濁流のなか家に取り残された方を皆で救ったお話は大変リアルでした。

見知った役場課長さんも加わり5人チームでいよいよボランティア開始。柳の滝登り口にある家へつくまで通る道の両側の家は半壊していたりそれは凄まじい光景です。山からの鉄砲水によって家の一階部分はめちゃくちゃになり家財は別棟まで流されています。

冷蔵庫など電化製品は中身を抜いて外へ。分別収集をやりやすくしました。あと2階からタンスなどを運び出し小屋に運んだり。ガラスの危険から守る為に配られたゴムの軍手は役にたちました。

次に行った家は床上浸水で泥が家中に。スコップやほうきなどでかき出しますが、完全にきれいにはなりません。次の日水を入れて流し出すということです。泥だらけになって本部に戻ったのは5時頃。村の方はまだまだ作業を続けられるのでしょう。村の方にはお茶やおにぎり、お菓子などよくしていただきました。

帰り、駐車場のぬかるみで車が動かなくなり、皆で押してもらいまた泥だらけになったでしょう。4WDなのにおかしい?と思ってよく考えたら、タイヤのところのリングを回していませんでした。ここ見てるかも知れませんから、お詫びしておきますね(~_~;)

本部で出されたジュースはおいしかったなー。整然としたボランティア本部に頼りがいを感じ帰路につきました。今の若い者は・・という言葉はいつの世にもあるそうですが、今の若い者・・に、ほんとうに感心したことが今日一番の収穫かも知れません。未来は明るい気がします。

さて、柳の上の市野々もすごいことになっているそうです。早く復旧することを願わずには。今日いろいろ道を通ったところ東庄境は総出で作業されていました。河和田や落井も、相木などなど同級生や友達のお宅へお見舞いに。

http://www.awatabe.com/2004/prayer.htm


神戸から 投稿者:せん  投稿日: 7月19日(月)11時07分56秒

お見舞いどうもです
ゆきちゃん家も・・・ということは運動公園も水びたしに
足羽川が決壊すると越前平野は水没しそうですね 今朝から新聞などで
こんなに被害が と近くに住む私が驚いているのがほんとうのところ
足羽川は天井川だから弱かったのでしょうか 日頃から活動範囲 親しみの
深いところばかりで信じられませんね
家内は婦人会のボランティアでおにぎりの炊き出しに朝から行っています
留守番しながら上空のヘリの音なんか聞きながらのお返事です
またよろしく(^^)/

私事で失礼します。 投稿者:なかこば  投稿日: 7月19日(月)10時14分40秒

先日の法事、お疲れ様でした。神戸のなかこばです。
ニュースを見てびっくり!まさか法事の一週間後に
こんなことになるなんて。。。
ゆきちゃん家も避難したそうです。
勝手な発想ですが、前もって法事ができたのも何かの
お陰かなぁ、と。(今週にしていたら来て頂いた皆さん
帰るに帰れませんもんね。)
では、また。


集中豪雨 投稿者:せん  投稿日: 7月18日(日)14時39分41秒

滝といってもよいほどの雨が短時間に集中して降りました
これから被害がどんどん分かってくるのでしょう
(今驚いています)
福井市の足羽川流域では2万以上の人に避難勧告と
この間の新潟の豪雨もほんとうに大変だったろうと
つくずく 水の力はほんとうに怖い

http://www.awatabe.com/2004/rain.htm


オーソレ、何それ? 投稿者:せん  投稿日: 7月14日(水)17時55分5秒

って すごいユニークな看板ですね

オソレさんおひさしぶりです(^^)
ブログのお知らせありがとうございます ネットも成熟期を迎えつつあり
個人の発信が大変尊ばれるのは喜ばしいことですね

何気ない日常の中に喜びを見出していく そんな人生が送れたらなんて
オソレさんはまだ子育て真っ最中?なんでしょう
子供に人生のいろんな体験をはなして聞かしながら過ごす喜びは
例えようのないものです それにはやはり自然の中でが一番ですね

プログはオソレさんの「お城」に見えましたよ やはり「一国一城」の主
はいいでしょう? バラエティに富む話題と鋭い慧眼はオソレさんらしい
と 手放しでの賛辞を越前は継体天皇ゆかりの地より送りたいと思います
 

ブログ始めました 投稿者:o_sole_mio  投稿日: 7月14日(水)01時10分14秒

千秋さん、ご無沙汰しております。o_sole_mioです。

最近流行のブログを始めました。歴史の話や最近の時事ネタなどを一人で
好き勝手に語っております。ほとんど自己満足の世界ですが、よろしけれ
ばご笑覧下さい。

蛍といえばうちのすぐ裏の川に蛍が住んでいます。先日見に行きましたが、
ちらほらと見ることができました。またこの日曜日には近所の浜辺に子供
と釣りに行きました。短い時間でしたが、夕食の足しになるくらい釣るこ
とができました。

こういった恵まれた自然に囲まれて暮らすことが都会にはないよさだと思
います。

失礼致しました。

http://blog.goo.ne.jp/o_sole_mio00/


 投稿者:せん  投稿日: 7月10日(土)23時33分0秒

大学で蛍の研究をされている方のお宅で一日 法事でした
教授といういかめしい肩書きからは想像できない やさしい方です
お経のあとの宴席で いろいろ興味深いお話を
蛍の光は地方によりその色が異なるそうです またその光の点滅の
間隔も緯度によって違いがあるとか バイオの最前線のお話は大変
興味深いものがありました

一昨日近所の"すずむし博士"と言われてきた八百屋のご主人が亡くなり
そういったこともあってか 蛍のはなしは胸にすんなり入ってきました
人と虫 そういった世界を一生かけて見つめ取り組まれる方には どこか
ほんのりとした人間の温かい一面を感じます

短冊に書くことは 投稿者:せん  投稿日: 7月 7日(水)08時34分43秒

誤字脱字の確認OKですね
気がついたことがあれば すぐ直しますからね
東京バロックアンサンブル成功しますように(七夕です
滝 廉太郎「荒城の月」をチェロで・・・想像しただけで(^^)/

http://www.awatabe.com/2004/baroque.htm


東京バロックアンサンブル 投稿者:芸術館 ひの  投稿日: 7月 6日(火)16時10分16秒

こんにちは。コンサートの紹介ありがとうございます。癒しの音楽です。となたでも気軽に聴いていただける曲目ですのでバロックに興味のある方でも、そうでない方でも是非お越し下さい。前売りチケット発売中です。お待ちしてま〜す。

花筐中学校 投稿者:せん  投稿日: 7月 5日(月)00時39分18秒

始めまして 花筐中学校は2〜3期生ぐらいしかおられないのでは
ないですか 粟田部では関議員がよく口に出されます それだけに
団結力 絆が強いそうですね

私が小学校の頃 既に廃校となり南越中学校に統合されたそうですが
歴史的にいろいろ大変なことがあったようです 向かって左が花筐小学校
真中に講堂 右が花筐中学校だったようです

小学校4〜6年生の頃 廃校となっていた花筐中学校の2階で今は亡き
中林先生に書道を習っていたのが思い出に残っています
ほんとうに立派な木造の校舎でした

校歌は小学校も中学校も同じだったんですね
おいで驚くとともに大変嬉しかったです
私のことは 同級の方ならどなたでもよくご存知である
と思います おいでありがとうございました

花筐 投稿者:ちゃむ  投稿日: 7月 4日(日)13時38分7秒

せんさん 始めまして ちゃむ (HN) と申します

私は花筐小学校・花筐中学校の卒業生です
1940.01 生まれ 男性

「花筐」で検索して せんさんのHPに巡り会いました
せんさんは今も粟田部にお住いですか ?
私は京都府南部に住んでいます
お盆にはまた粟田部へお墓参りに・・

私達の中学同窓会は5年に一度で、この4月に「遊楽里」で一泊
翌日は花筐公園へ行き50年余ぶりに薄墨桜を見て来ました
そしていつでも幼馴染や花筐の方々と話が出来るようにと
掲示板を設置しましたので一度いらっして下さいね。
んじゃまたねぇ〜

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tyam/kakyo.html


東京バロックアンサンブル 投稿者:せん  投稿日: 7月 2日(金)23時26分16秒

いまだて芸術館コンサート チケット今日
ちょっぴり苦戦?とお聞きし 早速ページ今出来ました
こんなにワクワクしながら作れたのは久しぶり
久々のクラシック聞きに行きたいですね
一流の演奏がこんなに低料金で!見逃すと後悔しそう
誤字脱字の確認はお願いしますね

http://www.awatabe.com/2004/baroque.htm


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