花筐公園へ l トップへ

ながたみ随想
早朝より はながたみまつりのあとかたづけがあった。私は島会館で T区長さんと 運ばれてくるぼんぼりの整理整頓をしていた。小学校の頃よく通った粟田部の図書館。今立町にりっぱな図書館ができて その長い役目を終え今は建物だけが残っている。

何もない陳列棚に 昔そのままの島氏の肖像写真だけが ポツンと置かれていた。二階へ上がると頑丈な本棚がそのままに置かれている。本の並んでいない本棚を始めて見た。建物はその当時非常にモダンだったらしく 今見ても決して古臭く感じられない

物置に痛んだ本が何冊か 捨てられていた。手にとって思わず驚いた。私が小学校5年生の頃 何回もあきずに読んでいた本だった。痛ましい姿ではあったけれど めくって見るとそこに小さい頃の私がいた。なんという不思議な出会いだろう。私は胸が熱くなりこの再会に感謝した。


大勢で作業をしたので 午前中ではながたみまつりの後始末は完了した。粟田部協議会全員でのミーティングがあり解散。ここ二週間 準備を含めると何ヶ月もかかった花筐公園桜まつり。私は余韻を楽しみたいと花筐公園の中を 一人ぶらついて見た。

花筐公園は三段の土塁からなり その中二段に大きな石碑がある。こどもの頃はいい遊び場。「坪田孫助翁碑」となっている。今年はこの碑の前でにぎやかに夜桜花見をすることができた。書道を少しかじったおかげで碑文に興味を持つ。題字を書いたのは時の商務大臣榎本武揚とある。驚いた。

明治のあの榎本武揚…いっきに目の前に函館五稜郭が浮かんでくる。忠魂碑の東郷平八郎といい この公園には私の知らなかったことがまだまだいっぱいありそうだ。明治新生日本の若々しい息吹を感じた。


公園を東に下る。新しくできた佐山姫公園との間に「皇子が池」がある。明治からいっきに古代へと飛ぶ。安閑、宣化、両天皇の産湯の池と伝えられている

近年この横に大きな仏像が建てられた。粟田部のM寺が建立した。M寺の住職をしていたえっちゃんとは同級生。いっしょにお酒も飲んだ。若くして死んでしまった。なつかしく 心の中で手を合わせた。

花筐公園から佐山姫公園へ降りてくると景観は一変する。ここは新しく近代的である。中央に噴水もあり夏まつりに利用されたりしている。

今年の花筐公園はながたみまつり、私にいろんな事を教えて 幕を閉じた。 2001 4 22
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