ハイパーフォーラムは 全国に報道されました
2002年1月12日号 週刊東洋経済 

アウトルック

変化は“地方”から
“官・中央・既成価値”に頼らない「町おこし」の試み



       

◎ 伝統の黒壁の家並みをガラス工芸の異国文化と調和させて町おこし。
◎ 「何もない」ことが魅力。ハコもの行政はいらない。
◎ 公共事業頼みの町おこしに決別する“地方”。

今立町といっても、知らない人のほうが多いかもしれない。福井県のほぼ中央、武生盆地の東側の山あいにある人口1万五〇〇〇人足らずの小さな町である。古くから越前和紙の里として知られ、手すき和紙では日本一のシェアのほか、織物のリボン、ベルベットは県内の七割の出荷を誇っている。

 この町で、「まちと暮らしをデザインする」と銘打たれた町おこしのフォーラムが開かれた(今立町とサントリー文化財団が主催)。全国各地で町おこしに力を尽くしている人たちを招いての熱心な討論が交わされたのだが、共通して感じたのは“官に頼らず、中央に頼らず、既成価値に頼らず”の町おこしの姿だった。

「新しい文化」を発信

 ここで報告された二〜三の試みを見てみよう。滋賀県長浜市に「黒壁スクエア」という一角がある。琵琶湖に面した人口六万人ほどの町なのだが、しっくい塗りの黒壁の古い建物の街並みに年間二百万人もの観光客が集まる。

長浜は豊臣秀吉の築いた城下町で商業が繁栄した伝統がある。しかし1970年代以降、隣接する彦根市にスーパーが林立。そのあおりを受け、長浜商店街は衰退の一途をたどっていた。 この黒壁スクエアのリーダーとなってきたのが黒壁社長の笹原司朗氏だが、町おこしがすんなりと進展したわけではない。

明治時代に第百三十銀行長浜支店として建てられ、その外壁の特徴から「黒壁銀行」として親しまれてきた建物が、10年前、たまたま売りに出されたため、それを買い取ったのが、今日の契機となった。

 だが、古い建物や街並みの保存は、全国どこの観光地にも見られる常套手段。歴史的建造物と称されるものにお色直しをして、中で地元特産のおみやげを売るのは見慣れた風景である。 笹原氏は「金をつぎ込めばいいという考えではだめなことはこれまでの経験でわかっていた。

地元の名所とか特産物を生かそうという考えも排除した。それができるくらいならとうの昔に町おこしはなされていたはず。地元に何の魅力もないから、寂れる一方だったのだ。そこで“世界”という広い視点で何をやろうかと、頭に浮かんだのがガラス工芸だった」という。 

世界旅行をしてきた人に、ガラス玉を吹いて制作しているところには人だかりがしているとの話を聞いたのがヒントになって、氏自ら、本場のヨーロッパに一ヶ月も行き、ガラス工房を見学して回った。そこで感じたことは日本のガラス工芸品とは歴史的にも文化的にも雲泥の差があることだった。だから「ヨーロッパからの輸入品を売るというのではなく、ガラス工芸を文化として長浜に根づかせていくことが大切ではないかと思い、古い家並みの中に新しいガラスの文化そのものを取り込んでいけば、新旧の対比が魅力になると思った」と言う。

 そこで黒壁の建物にガラス館や工房、フランス料理店を開いたのだった。ガラスという文化の新たな情報発信が試みられ、現在、黒壁スクエアは二六店に増えている。今後も異国的な「新しさ」の魅力を維持していけるかどうか、課題がないわけではない。ただし、経営主体は地元企業とともに長浜市も出資する第三セクター方式であるのだが、行政は後方支援に徹していることも、秀吉の城下町という過去を捨て切れた理由かも知れない。

行政には頼らない

 発想の自由さという点では、高知県土佐山田町在住のデザイナー、梅原真氏の町おこし論には感心した。 大方町は土佐湾に面した四キロメートルの海岸線しかない。梅原氏は、この何もないところに注目した。「砂浜美術館」というアイデアである。

「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」というコピーの入ったポスターを制作した。「頭のイメージの中に美術館を描く、建物のない美術館。くじら、松原、海亀、漂流物、すべてが砂浜美術館の作品です。一五00枚のTシャツを砂浜にひらひらさせるポスターも作りました」。美しい自然が強調され、観光客が増えたのだ。 

梅原氏は「面白がることが大切で、その中に何か発見があるはずだ。マイナスとマイナスを掛け算すればプラスになる。しかし、マイナスにプラスを掛けてもマイナスのまま。砂浜の例でいえば、砂浜にレジャー施設を建ててもマイナスが10倍になってしまう例だ。ゼネコンは潤うかもしれないが。町おこしを「ハコもの行政」に頼りがちな官への痛烈な批判だ。

「面白がる」という点では、石見銀山生活文化研究所所長の松場登美さんの試みも同様だ。島根県の石見銀山は閉山前の全盛期二〇万人のにぎわいがあったが、その麓の大森町の中心部は現在、五〇〇人弱の人口にすぎない。松場さんはここを拠点に「群言堂」というブランドで生活雑貨、衣料品を全国販売。年商一三億円の規模になった。

廃屋の再活用に努め、そこを拠点に全国発信を行っている。無用なものをユーモアをもって生かすという考え方で、端ぎれのパッチワークなどの雑貨店を生み出している。松場さんは「過疎の、何もない所だから、逆に都会では見えないものが見えてくる。

最近、石見銀山を世界遺産にする動きがあるが、とんでもない。世界遺産に指定されたら、全国的な画一化の中にこの町も埋没してしまう。行政は何もしてくれなくていい」とまで言う。

 さて、このフォーラムを主催した今立町の町おこしはどうか。織物と和紙の地場産業を振興していくための情報発信の足掛かりとして取り組んでいるのが「東京・いまだて物語」だ。東京港区の廃校となった中学校を一週間借り切り、紙すきや手織りの実演などを行い交流を深め、新しい商品の開発につなげる催しだ。辻岡俊三町長は「二〇〇人もの町民が手弁当で出掛けてくれた。行政は場を提供しただけ。このフォーラムに参加した多数の町民も自分達が主体的に動くことの大切さを学んでくれたはず」と言う。 

町内の和紙工場を見学したが、若い女性の姿を散見した。和紙に魅せられ都会から移り住んでいるという。また、あるベルベット工場では、世界的なデザイナーと共同でパリコレクションなどへの作品の素材作りに取り組んでいる。伝統産業に新しい風を吹き込むことで、町おこしに不可欠な新たな文化の発信が始まっている。中央では相も変わらず町おこしに公共事業頼みの発想が根強いが、変化は“地方”から生じているのである。

(編集委員・内藤 哲)
戻る