« 熊川宿 | メイン | 水晶浜 »

2010年05月09日

佐久間大尉生誕地

dai6_s.jpg

 若狭路を走っていると目についた案内板、佐久間大尉の名が。一瞬ではあるが日露戦争時の広瀬中佐と勘違いしたが、神社入り口の碑を見てそうかと思い出す。歴史でいえばまだ近い過去に立派な方達がたくさんおられた。初めて見る碑には「殉難艇長 佐久間大尉生誕地、元帥伯爵東郷平八郎書花押」とある。わたしの近くの花筐公園にある忠魂碑と全く同じ東郷元帥の署名を他で初めて目にした。奥へ歩き行くと、「沈着勇断」と大書された顕彰碑があり、その奥石段の上に墓がある。墓の前で礼拝中の方、御親戚の方だろうかと思い、お聞きすれば、佐久間家と全く関係のない方でご夫婦で山口県からおいでとか。佐久間艇長の第六号潜水艇は山口の沖で沈没、そのご縁でお参りとお聞きする。偶然とはいえ、何か引かれるものを感じ、いろいろお話をお聞きした。その手記に最後まで部下の家族への配慮を求めた人柄は、後の沖縄戦での県民に配慮を求めた司令官に繋がる思いであり評価高きは当然だと思う。帰り地元の高校生から、ここで年一回2つの小学校の5、6年生が参加し勉強会があると聞く、音楽隊の演奏もありそれは盛大とのこと。

佐久間勉艇長
明治四十三年四月十五日山口県新湊沖で呉第一潜水艇隊が潜水操練中 佐久間勉大尉の指揮する第六号潜水艇は機関に故障を生じて遂に沈没したが そのとき艇長は従容として悲壮な遺書を認め乗組員十三名と共に殉職した 艇長享年三十二才

(墓の横に)
呉第一潜水艇隊第六号潜水艇ニ長トシテ明治四十三年四月十五日周防國新港沖ニテ潜水操練中沈没部下十三名ト共ニ殉難ス享年三十二

佐久間艇長の歌
一、
花は散りても香を残し
人は死しても名を残す
あっぱれ佐久間艇長は
日本男児の好亀鑑

一、
これをはじめと部下諸員
少しも乱るヽ様もなく
息絶ゆるまで我が任務
守りし様ぞ知られける

投稿者 sensyu : 2010年05月09日 22:53

コメント