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2010年05月17日

朝倉氏遺跡講演会

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「一乗谷朝倉氏遺跡が今日に訴えるもの」
講師・近藤公夫教授

 30年前武家屋敷の復元、20年前立体復元と続いた、この300ヘクタールの朝倉氏遺跡は日本で最も整備され、国が重要な特別史跡としている。これは日本唯一とも言え、日本の中世の歴史を知りたければ福井へ行けとさえ言われている。


 さて、ここへ来る人達は何を求めて来るのか。歴史であったり、家族での楽しい一日を過ごすことであったりする。そこで過ごした思い出が子供達の記憶の中に残り、日本の文化と歴史を大事にしていくのではないかと願う。そして日本の中世の文化と歴史を知る為に全国から多くの人々が訪れて欲しい。また外国人の日本でのそういった訪れてみたいところの上位4番目にここが希望されているほどだ。幸か不幸かと言ってはいけないかも知れないが、朝倉が織田に負け灰となって地下に埋もれた為、遺跡がこうして残ったとも言える。将棋や陶器など多くの文化が朝倉100万石の元に育ち、また波静かな日本海航路により流通が栄えた。2~30トンもある巨石を積み上げるすごい土木技術も持っていた。武家屋敷の側に町屋など、中世と近世の違いはここを見ることで、江戸時代武家屋敷の理解ができる。朝倉は京都の一条家との繋がりがあり、中世における地方豪族の庭園文化を作った。このような歴史上の朝倉の位置づけは、先の福井豪雨の時集まったボランティアを見て、いかに大事なところであったかが分かる。中世、当時栄えたヨーロッパの文化にひけをとらない文化がここにあった。日本のポンペイであると言われる方もおり、世界遺産としてこれからの方向も考えられる。(ここより質疑応答)海外での評価が高いと言われてはいるが、多くの外国人はまだまだ日本を未開の国であると思っていて、日本に歴史文化があると思ってはいない。訪れてそうでないことを知り驚きの声をあげる。次に石高については朝倉の当時の勢力圏から考えても100万石は妥当である。最後に建物の復元については、訪れる人のイメージを固定してしまうかも知れない、一番大事な事は、今残っている遺跡遺構をそのまま残していくことだ。

 最初、朝倉氏遺跡にこれまで尽力されてきた経過などのお話、その後のお話の要点だけをかいつまんでみました。81歳になられるという教授、いかめしい肩書きからはとても想像できない笑顔を随所に振りまかれながらの講演に大きな拍手がありました。また、会場は先ほどの全国植樹祭で、天皇・皇后両陛下がお座りになったステージでもあり、少し気恥ずかしい思いも。この後、時代絵巻姿をした元気いっぱいの資料館女性職員さん達を先頭に参加者全員での遺跡めぐりがありました。この講演のことは全く知らず、たまたま訪れ、会場での勧誘にしたがったのですが、偶然に深く感謝しながら、こうして記録に留めます。(画像ネット掲載了解済み)

投稿者 sensyu : 2010年05月17日 01:44

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