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2010年05月18日

明智神社と細川ガラシャ

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 秀林院様のお果てなされ候次第のこと。で始まる芥川龍之介の『糸女覚え書』は関ヶ原の前哨戦ともいえる慌しい中、秀林院(玉姫の法諡)の最後の様子を侍女から見た目で詳しく書いている。日本女性の凛とした生き様、そしてその方の生誕の地が、


 戸の口坂トンネルを出て坂道をおりてすぐ、「明智神社」の石標が以前より気になっていた。いつもの通りまっすぐ行けば福井なのだが、指し示す方角にハンドルを切って見る。明智光秀を祀っているというだけでもインパクトがあるのに、細川ガラシャの名前の看板も目についた。村の中に小さな祠が、側で畑仕事をしている方にお聞きすれば、それがそうだとのこと。何でも、中にはレプリカが入っていて、ご神体はしかるべきところに保管しているそうだ。神社というにはあまりに小さな祠ひとつだが、近辺の三軒でこれまで守ってきたなどお聞きしていけば、また違って見えてくる。ここに馬を繋ぐ馬場があり、朝倉氏遺跡まで飛び石が敷かれていたと子供の頃の記憶を聞かせていただく。光秀は朝倉に仕え三年この地に、そして三女、後の細川忠興の正室玉姫はここで生まれたと言われる。この玉姫こそGratia、ガラシャ、ガラシア、とも言われ日本の歴史にその名が燦然と輝く細川ガラシャその人なのだ。まぁ見て行きなさいと言われるまま、祠の前に建っている「東大味歴史資料館」の中を拝見。最近では観光バスもやってきたと驚かれていた。

散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
さきだつは同じかぎりの命にも まさりて惜しきちぎりとぞ知れ
雲をなどあだ散るものと思ひけん わが身を草におかぬばかりを

まずは秀林院様お果てなされ候次第のこと、あらあら申し上げたる通りに御座候。

投稿者 sensyu : 2010年05月18日 02:01

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