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う〜む
2003/ 1/30 9:55
メッセージ: 951 / 2204

投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑)
>卑近な話で恐縮ですが町の会合など参加してみるとよくわかります ほんとうにみなさん口が重いです 
>自分の思うところを主張する勉強をしたことがない

私がふと思ったのは、もし日本国内で日本人だけなら、おっしゃる通りでも何とかやって来れたのが日本という国だったのかな、と…。(もちろん、自分の憶測に過ぎませんが。)
それが、外国との交流が盛んになるにつれ、それでは通用しなくなったのではないかとも…。

大学の頃、「ディベート」というのをやってみた事があり(別に私は法学部ではありませんでしたが)、これにはほとほと困った経験があります。
強引に原発賛成派と反対派に分けられ、原発を擁護したり糾弾したりするのですが、自分の本心とは関係なく、論理的に弁護や糾弾をするのはムズカシイ!と、つくづく思いました。
私だけがしろどもどろなのかと思いきや、他の仲間達も四苦八苦。日本人とはこんなもの、などと十羽ひとからげにすべきではないかもしれませんが、およそそういう議論が得意な民族とも思えません。(いわゆる「評論家」とか「コメンテーター」などを除いて。)

高校時代、「東京裁判」というドキュメンタリー映画を見ましたが、被告達を弁護する米国軍人が、ずいぶんと論理的に弁護していると思ったものですが(かと言ってあの裁判自体を道理に適っているとは申しませんが)、逆の立場だったら、果たして日本人はああいう弁護が出来たかどうか…と想像した記憶があります。

ずいぶんと論理的に弁護していると思ったものですが(かと言ってあの裁判自体を道理に適っているとは申しませんが)、逆の立場だったら、果たして日本人はああいう弁護が出来たかどうか…と想像した記憶があります。

>当時 外交官になるといろんな勉強をしなければいけなかったそうです 外国の方と会食するときその席に女性の方が同伴していると おられる女性の方全てとダンスをしなければいけないとか そのときの心得があるそうです まず最初は なかで1番美人でない方と踊り始めることと・・そんなことばかりに?(重大なことなのかも)神経使っているようでは 

同様の話を、堀栄三氏(元陸軍少佐。大本営参謀)の本で読んだ事があります。
戦後堀氏が陸上自衛隊に入り、西ドイツに駐在するにあたり、先輩の大島浩元駐独大使の自宅に心構えを聞きに行ったという話が書いてありました。
おっしゃる通り、ダンスの際には、極力お歳を召したご婦人や、際立ってお美しくもないご婦人に、まずはダンスを申し込めば、君(堀氏の事)は紳士だという評判が出る、と…。
(また話が逸れますが、堀氏は西ドイツでは、居酒屋の女将さんや、近所の子供とも懇意にしておき、彼等の話の断片からも東西冷戦の情勢変化の「におい」を嗅ぎ取ろうとしたようで、これは各国の軍事アタッシェがやっている事なのでしょうね。)

さて…

>誰かが何とかしてくれるだろう 誰も彼もそう思っているとしたら怖いことですね

「他力本願」という奴ですね。まあ、私ごときも他人の事は言えませんが。
日本の時代劇のTVドラマを見ていて思ったのですが、どうも日本人は自分で率先して何か物事を変えようとするより、誰か道理の分かったリーダーが出てきて、世の中を変えてくれる事を期待する傾向が強いのでは、と思えます。
「水戸黄門」にしろ、「暴れん坊将軍」にしろ、「エラい」人が弱い庶民に代わって悪徳代官や悪徳商人を退治する…。いや、「銭形平次」みたいに庶民層の「正義の味方」もいるかな???

おっと、取り留めも無くなりました。



これは s1_9150242 さんの 945 に対する返信です

>青い目の日本兵
2003/ 1/30 10:26
メッセージ: 952 / 2204

投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑)
ああ、それは、旺文社の顧問だったJ.B.ハリス氏ですね。
氏は父が米国人、母は日本人でした。一度ラジオで自分の生い立ちについて語っていました。(まだご存命かな?)
ハリス氏は、私が受験生だった頃には、随分と助けられました。(単語集とカセットテープで。)

また、小笠原諸島には、米系日本人も数多くいて、日本兵になった人も多いですね。
瀬堀エイブルさんという方が、テレビで戦時中の事などを語っていました。(瀬堀とは、「セイボリー」という元の姓を日本風に改めたもの。)
彼等は現在日本人との混血はもちろん進んでいますが、ちょっと見は外国人だし、時々英語は混じるしで、カルチャーショックでした。
昔見たテレビでは、米系日本人が地元小笠原諸島が米国から日本に返還される際に、日章旗が掲揚されて、嬉しさのあまり涙が零れた、という話を聞いた事があります。

また、来栖三郎元駐米大使の子息良氏(陸軍工技兵大尉)もいましたね。氏の母、つまり来栖三郎氏の妻は米国人で、妹が二人いたようです。
良大尉は空中勤務者(海軍で言う「搭乗員」)となり、昭和20年2月の米機動部隊関東来襲時に邀撃に上がろうとして、飛行場を走って横断しようとしたら、滑走を始めていた友軍機のプロペラにはねられて即死(殉職)だったそうです。
しかし、父である元大使や母に気を遣って、部隊では「邀撃で戦死」として遺族に連絡したそうです。母は「何か」を感じたらしく、息子良氏の戦友に「本当の事を話してちょうだい」とせがんだようですが、戦友もまさか真実は語れなかったとか。

ちなみに、来栖良氏は巷間では「落下傘降下して米軍飛行士と勘違いされて民間人に撲殺された」という間違った逸話も流れているようですが、事実は上述の通りです。



これは alkanhel さんの 947 に対する返信です

横道ついでに
2003/ 1/30 10:47
メッセージ: 953 / 2204

投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑)
堀栄三氏の西ドイツ駐在の話で思い出したのですが…。

堀氏が、ドイツで懇意になった居酒屋の女将さん(秘書の女性だったかな?)に戦争博物館のようなものを案内してもらった時に、

「ねえ大佐(一等陸佐)、軍人の挙手の敬礼の由来はご存知ですか?」

と聞かれ、知らないと答えると、

「中世の(西洋式)兜の目を覆うシールド部分があるでしょう? 国王に謁見する時は、彼等はシールドを開けて目を見せて挨拶したんです。だから、その名残で軍人は今でも右手を上げて敬礼するんです」

と答えたとか。
それで、堀氏は、「我々日本人が、いかに形ばかりにこだわって、物事の由来や本質を見ていなかったかを思い知った」との事です。

また、太平洋戦争から遥かに遡りますが、勝海舟の庶子梶梅太郎の妻だったクララ・ホイットニーの日記によると、明治初期の日本の貴顕男性は、ワイシャツの襟や袖が上着に隠れていても平気で、着こなしも何もあったものではない、との事ですが、これなどもワイシャツ(つまり襦袢)の襟や袖が、実は上着に手首や首の垢が付かない為のものだった事を知っていれば、上述のような着方にはならなかった筈ではないでしょうか。

…まあ、服の着こなしなど政治家や官僚の手腕とは関係はないのですが…。



これは honkytonk_2002_x さんの 951 に対する返信です

来栖良大尉
2003/ 1/30 11:06
メッセージ: 954 / 2204

投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑)
おっと!
失礼しました。来栖良氏は、「陸軍工技兵大尉」ではなく、「航技大尉」でした!(↓死亡年が「昭和19年」とあるのは、「昭和20年」の誤りです。)

http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ku/ryoukuru.html

↓以下の秦郁彦氏の本に、詳しいです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412202739X/qid=1043891994/sr=1-3/ref=sr _1_0_3/249-5605535-4572306



これは honkytonk_2002_x さんの 952 に対する返信です

歴史
2003/ 1/30 14:28
メッセージ: 955 / 2204

投稿者: jnfi67
様々に議論が出て実に読み応えがあります。
皆様のご意見、色々と納得する面あり、逆に少々引っかかる面あり、と、自らの考察(と言うほどの事は無く、ただの思い込みでしょうが...)にも幅が出てくる論旨多種多様です。

ここまで読んで、ふと思った事ですが(以前から漠然と思っていた事なのですが)
「歴史は多面性であり、様々な方向に多種の質・量を有する同時に進むベクトルである」
私は日本の今世紀に入ってからの歴史的姿勢についての是非を問う事は「自分には無理です」とのスタンスです。
せいぜい、「この時、こういう選択をすれば、こうだったのではないかな?」との考察をする程度で。
(とてもではありませんが、「様々な方向に多種の質・量を有する同時に進むベクトル」を把握する能力は無いと自覚していますので...)
無論、過去の選択による結果として説明責任や物的賠償が生じた際の責は負うべきと考えます。同時にその責任範疇を明確にすべき事も。

ただ、昨今良く目にする「歴史を二面性に収束させ」て、その是非を声高に言い合う有様は「幼児のメンタリティしかない事の喧伝合戦」のように見えてしまいます。
(断っておきますが、このトピでは有りませんよ^^;)

多面性・多種のベクトルについて様々に意見・思考があるのは当然ですし、それを議論するのは(する事は)当然です。
また、自己と正反対のベクトルを否定する事は無意味です。
敢えて個人の立場で言えば、私などは自分の把握出来るベクトルを捉え、そのベクトルについて自分の考えを持ち、且、他のベクトルについての様々な思考を聞く。
それによって自分の今までのベクトルの考えを補強するも良し、また違ったベクトルについて思考するも良し。
(言うと、するとでは、えらい違いでして...これがなかなか...;;)

私は本来、「本当の歴史」というものの存在にはかなり猜疑的な見方を有しています。
歴史の「事象の結果」は一つですが、それに至るベクトルは無数に存在し、且流れは必然では無い。
私が今まで見知っている「歴史」は「過去の事象の結果の記録表」であり、ベクトルを捉えきったものではない。
「歴史」とは自己の内面に於いて絶えず循環し、増減する思考活動の結果である、と。

私は歴史討論の末の結果、或いは端で聞いていて(読んでいて)自己の論調が変化する事に抵抗は感じません。(この場合、以前の自己の論調を否定する事では有りません)
むしろ、他のベクトルに関する考察の幅が増えたと意識します。(無節操!と言われた事はあります^^;;)
ただ、一方通行が嫌いなだけです。いろんな道が交わっている方が、いろんな場所を見聞できて好きなだけです(そこに至る『運転』は下手ですが;;)

ですので、このトピも色々なベクトルを楽しく読ませて頂いています。

と、言う事で(どー言う事だ!?)トピ主さま...
「日本は ほんとうに悪かったんでしょうか?・・・」は私流では「誰にも分かりません・・・」です。
それはトピ主さまが、このトピの方々の様々な論旨を自己内部で思考し、循環させた結果、一つの形として浮かび上がったら、それが「個人にとっての本当の歴史」なのではないでしょうか。

最後に、ロジカルに話を進める事が苦手な上、かなりファジィな言い方で、しかも途中から自分で言ってる事が混線してきてしまい、支離滅裂・論旨不明・言語障害な文章になってしまいました。
ただの独り言として聞き流してください。



これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

頭のリハビリ
2003/ 1/30 19:20
メッセージ: 956 / 2204

投稿者: jnfi67
でもしないと、まだボケボケ状態です。;;
なので、難しい話題は当分ROMする事で...^^;
簡単な、リハビリから...(海軍ネタです。毎度ながら...)

1.水兵さんの「セーラー服」(うっ、なんか...;;)のスカーフの由来
「記念説」と「自然発生説」とがあります。
「記念説」は英海軍の3大勝利(トラファルガー、アブキール、後一つ失念)を記念したもの、とか。昔の英海軍海兵団では新兵にこう教えていたとか。
「自然発生説」はこれまた英海軍で言われておりまして、海兵団を終えた「純真な」新兵さんに、古参兵が「昔の帆船時代、砲甲板は射撃の煙と熱で大汗と煙ったくてしょうがなかった。だから「鉢巻」が必要だった。用が済めば首に降ろしときゃいい。
スカーフの3本線?のっぺらじゃ、味気ないだろうが。」
と、言っていたそうで...
私などは、「自然発生説」支持派なんですが...

2.「中尉以下は一人前ではない」
は、昔の階級発生時から説明すれば良く分かります。
17世紀頃の階級は「提督」「艦長」「艦長補佐」の3階級でした。
18〜19世紀初頭頃に「提督」は「先任提督」「中任提督」「後任提督」に分化
「艦長」は「大型艦艦長(勅任艦長)」「小型艦艦長(海尉艦長)」となり
「艦長補佐」は「艦長補佐」と「艦長補佐心得」になります。
19世紀中頃から先任提督は「大将」、中任提督は「中将」、後任提督は「少将」となり、大型艦艦長は「大佐」小型艦艦長は「中佐」さらに「小型艦艦長心得」から少佐に転じます。
また、大型艦艦長で戦隊指揮代行者に「代将」(准将とは言わない)の呼び名が生まれます。
艦長補佐は「大尉」、艦長補佐心得が「中尉」「少尉」となりました。
ですので「心得」のとれた「艦長補佐」(大尉)でやっと一人前、と言う事です。

3.候補生
海軍少尉候補生、と言えば日本ではまず、江田島の海兵卒業生が思い浮かびますが。
その起源は英海軍帆船時代の「Midship Man」
「艦長が個人的に雇った伝令」です。
大抵は貴族・ジェントリ−・富農階級の出身で、12,3歳の頃から艦に乗り込みます。
身分は下士官の上、准士官の下。しかし、艦での扱いは「スノッティー(洟垂れ小僧)」の俗語の通り。
水平と一緒にマスト昇りから展帆・縮帆、航海士補佐、砲列指揮補佐、と下積みを5〜6年は確実にした後に「海尉昇進試験」を受験し、合格しても「試験合格済み候補生」として海尉のお声が掛かるまで候補生のまま。
で、大抵は数年後にやっと大型艦の六等海尉か中・小型艦の四等海尉のお声が掛かる、と言った具合でした。
アナポリスは詳しく知りませんが、ダートマスは就業年数4〜5年のうち、後半の2年ほどは練習艦での教育でした。



これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>日系兵士の方々
2003/ 1/30 19:41
メッセージ: 957 / 2204

投稿者: s1_9150242
alkanhelさんレスありがとう

>当の日系兵士は祖国は米国だから 前線勤務を希望していたようです。

そうですか 今までのドラマとか映画なんかで見ていると1世の方は内心複雑なものがあった風に しかし2世 3世の方々にはそんなところはなく 祖国米の為に忠誠を尽くす ハッキリしていたみたいです・・当然と言えば当然ですね 

「青い目の日本兵」については始めて知りました 

>近衛兵は日本国軍兵士です

なんかホットしました(^^)



これは alkanhel さんの 947 に対する返信です

>う〜む
2003/ 1/30 19:56
メッセージ: 958 / 2204

投稿者: s1_9150242
ホンキーさん>きっとそう言われるだろうなーと思っていた部分が

>同様の話を、堀栄三氏(元陸軍少佐。大本営参謀)の本で読んだ事があります。
戦後堀氏が陸上自衛隊に入り、西ドイツに駐在するにあたり、先輩の大島浩元駐独大使の自宅に心構えを聞きに行ったという話が書いてありました。

全くそのとおり きっとその本です(^_・・でその本を読んだら私のような外交官の方に非難めいた言葉は書けないはずです・・知らないだろうとアレンジしていいかげんな感想書いてしまいました 皆さんよくご存知で 付け焼刃はききません 以後肝に命じます(^_^;)

あといろいろウンウンと頷きながら読みましたよ・・さすがでした



これは honkytonk_2002_x さんの 951 に対する返信です

>歴史 ハクション!
2003/ 1/30 20:33
メッセージ: 959 / 2204

投稿者: s1_9150242
jnfi67さん>パソコン厳禁!では?・・と言ってもジーと寝ているのも辛いですね 無理をなさらないよう(^^)

歴史をベクトルで説明されるとはすごい!新鮮な味方ができました

あんまり多くを知りすぎると判断がかえってできなくなるかも知れません それから議論で相手を負かすことはできても 相手の考え方を変えることはとても難しいことです できないことと思った方が 「考え」=「その人」の人格であるからです

コインの表裏(だれかさん)のおっしゃるように「善」も「悪」も背中合わせとしたら

>「日本は ほんとうに悪かったんでしょうか?・・・」は私流では「誰にも分かりません・・・」

↑そのとーりとなります・・・しかしそれではこのトピは終わってしまうではありませんか(笑い)もう少し?時間をくださいまだ知りたいことは山程出てきそうです

このトピはほんとうは「太平洋戦争を話し合いましょう」 が相応しかったかも知れませんが 何にも知らない 深く考えないポカの私が・・・教えてと言ったところが 天の声だったと振り返って思っています

>>早くお休みになってください!<< 



これは jnfi67 さんの 955 に対する返信です

>物事の由来や本質
2003/ 1/30 21:31
メッセージ: 960 / 2204

投稿者: s1_9150242
ホンキーさんの

>「我々日本人が、いかに形ばかりにこだわって、物事の由来や本質を見ていなかったかを思い知った」

このページで思いあたることは多いです 例えばお坊さんの衣なんか日本では袈裟と言って派手なものも・・・しかし印度なんかでは今でも衣をまとうだけですね よく見ると成る程 肩を一方だけ出して形の上では何となく似ているなーと前から思っていました 日本には「形から入る」・・という伝統?がありますね 「形を真似て その心を学ばない」 ともよく聞く言葉です
「敬礼」の由来ほんとうにおもしろく思いました 敬礼には興味が・・ ようするに右手でシールドを上げそのままでいる・・なるほど敬礼ですね 海軍と陸軍では敬礼の仕方が違うんですよ(ここは 自信^^)
ワイシャツといいほんによくご存知です 脱帽・敬礼~\

 



これは honkytonk_2002_x さんの 953 に対する返信です

>私はこう考えます。 そのB
2003/ 1/30 22:45
メッセージ: 961 / 2204

投稿者: yuki070507
>問題解決と方向性是正に対する過去の日本の真摯な努力を感ずれば、私もこのようには表現しないでしょう。 

 確かに、満州事変以後の日本は、政府と軍部しかり、陸軍と海軍しかり、陸軍省と参謀本部しかり、軍中央と関東軍しかりで、意見が分かれ、なかなか一致しませんでした。
 昨日は強硬論を吐いていた人たちが、一転して、撤兵論や外交・和平を叫ぶなど。

 石原も、武藤、東條もそうでした。
 思うに、それぞれの立場・状況で物を言っていたに過ぎず、深く将来を見据えて考えていたものがいなかったと言えるのではないでしょうか?

 明治の山縣・大山・児玉のような統率力のある偉大な人物が昭和の時代には、残念ながらいなかったということです。

 前にも言いましたが、満州事変で止めておけば、アジアの安定のためにも、日本のためにもなったと思っています。

 ただ、あの事変が日本のしっかりした戦略に基づく行動でなく、石原・板垣らの独断専行だったこと、そして命令違反の彼らに勲章と栄達がなされたことが、陸軍の下克上、命令無視と独断専行の大弊害を招いたことは間違いありません。

 それにより、陸軍中央の意向を無視した北支工作や日華事変拡大に進んでいったというのもある意味、クラブさんの仰るとおり、必然だったと言えるかもしれません。

 私が日華事変を分岐点とするのは、あくまで、太平洋戦争の直接の原因となったという意味です。

>日本は朝鮮と台湾の領有以後、ある一線に踏みとどまるべきでした。

 これは、朝鮮・台湾の領有については、認めるということでしょうか?
 ここまでは、自衛のためのやむを得ない行動だったとし、それ以後は、夜郎自大のとんでもない行動だったということでしょうか?

 仰りたいことは、わからぬではありませんが、それは極めて精神的な部分を重視する主観的な歴史評価であると思います。

 それは、何度も言うように、歴史が進むと心の部分は薄れてゆき、客観的な事実だけが評価されるようになると思います。

 何だか、反論ばかりになってしまいました。
 まとめをしようと思っていましたが、ポイントが絞れず、まとめられませんでした。
 どうも失礼しました。



これは crub4o さんの 935 に対する返信です

>米国のフィリピン統治、その他
2003/ 1/30 23:04
メッセージ: 962 / 2204

投稿者: o_sole_mio00
alkanhelさん、ttt826000さんこんばんは
レスありがとうございます。

米国のフィリピン統治にしましても、たたけば埃が出てくることは不思議ではないと思います。米国もフィリピン民族のことを考えてではなく国益から統治していたのでしょうし、それは日本も同じことだと思います。ただそれでも他の列強と比較すればアメリカは総じて緩和な政策を取っていただけのことだと思います。

別にアメリカの統治が正しかったとか、アメリカ軍が正義の軍隊だったとは思っていません。フィリピン人にとっては、アメリカも日本も悪だったと思いますし、彼らもどちらの悪につくかの選択に迫られていたのだと思います。ただ、インドネシアでいえば、オランダが大悪で日本が小悪だった(一般論として)ので歓迎されただけのことだと思います。

ただし、ここでの「悪」についても時期や場所で濃淡があり、部分的、一時的には「善(あくまでも感覚的な部分でですが)」が存在しえたのだと思います。従って善(と思われる)事象をもって全て正しかったと考えるのをナンセンスだということは、Msg944で申し上げた通りです。



これは alkanhel さんの 948 に対する返信です

alkanhelさーん☆
2003/ 1/30 23:18
メッセージ: 963 / 2204

投稿者: s1_9150242
今頃の亀レス(質問)ですみませんが

>また軍縮の目的は 戦争で武器を消費するのも 軍縮で武器を破壊するのも武器の量を 減らすという事でおなじです。そして 時期がくれば 戦争に備えるという目的で武器を調達します。ナチスに資金援助したのが米国資本【直接ではなく独資本を通じて】や 軍需産業だったりするのは偶然ではないでしょう。ちなみに独軍の爆薬の90%以上を供給したIGファルベンや 独のベアリングの95%を供給したスエーデンの会社は米国資本。また米軍はなぜか 在独米資本系工場の空襲はひかえたそうです。火薬工場やれば 継戦能力がおちて 早く戦争が終わります。軍需産業は儲かりませんね。ついでに外国に武器援助することでもっと儲かりますね。企業にとってみれば 金さえ払えば誰でもよい。ソ連に売るより【うれば値切られたであろうし 踏み倒されたかもしれない】その点米政府が買ってそれを援助することにしておけば 米国民が困るだけ【税金だから】軍需産業にとってみればとっても美味しい。

前からひっかっかっていたんですが上記の中に ナチスに資金援助・・のくだりがありますが どうしても信じ難いことです もしそういうことが解っていれば 国民がだまっていないと思うんですが・・・死の商人というやつでしょうか?よろしければもう少し教えていただけませんか 現代でもある話でしょうか すごく関心が 詳しい方おられたらよろしく 



これは alkanhel さんの 922 に対する返信です

米国の植民地統治
2003/ 1/30 23:38
メッセージ: 964 / 2204

投稿者: hn2602
日米戦争については、私はアメリカのハワイ王国併合(日清戦争の前年1893女王がクーデターで退位、翌年共和国、1898米国に併合される)と1898年の米西戦争によるフィリピン・グアム島の領有以後は、衝突は避けられなかった(日本が全面的に屈服すれば別ですがそれは日本のアメリカの実質植民地化を意味します)のではないかと思います。前にも親族の集まりで強国(この場合はアメリカ)が是が非でも対日戦争をする決心をしていたら現実にほとんど日本側にふせぐ手段はなかったとの結論がでたことを紹介したと思いますが・・・。
ただ一つ米世論に上手く働きかければ回避の可能性があったかも知れませんが、アメリカ政府やマスコミを掌握するユダヤ人社会が「裏口からの参戦」を考えていたとすれば逃げ道はなかったのではないでしょうか?
そう考えると日米の植民地統治の巧拙などはほとんど開戦とは無関係だったと思います。

占領地行政は別として植民地統治(朝鮮半島、台湾、南洋庁、関東州)については日本はかなり良心的だったと思います。



これは o_sole_mio00 さんの 962 に対する返信です

>歴史
2003/ 1/30 23:42
メッセージ: 965 / 2204

投稿者: o_sole_mio00
jnfiさん、風邪はよくなったでしょうか。

>「歴史は多面性であり、様々な方向に多種の質・量を有する同時に進むベクトル
>である」

仰るとおりだと思います。歴史は決して一面的なものではないと思います。例えば、ドイツとフランスの国境のアルザスロレーヌ地方は、今はフランスですが、戦争のたびにドイツ領になったりフランス領になったりしました。この地方の歴史はドイツの立場で見るのとフランスの立場でみるのはずいぶん違うと思います。まだ、歴史というには若すぎますが、イラクでは湾岸戦争を偉大な戦争−アメリカ他多数の国がイラクを侵略し、それを撃退した戦争として子供達に教えられているそうです。いったクウェートを侵攻した「事実」は伏せられているそうです。韓国の歴史教科書を見たりしますと、正直な話あの国に歴史歪曲云々は言われたくねーな、と思ってしまいます。

こう考えてみると歴史にはある種の思い入れが入ってしまうのは仕方がないのだと思いますが、だからこそ客観性や史実を追求することをしないと歴史がフィクション化してしまいます。そういえば、「新しい歴史教科書を作る会」のメンバーだった故坂本多加雄先生は「国家はフィクションだ」だと仰られたのですが、そうなるとその国の歴史もフィクションか?と思ってしまいます。

私はここのトピでは、いろいろな立場からの情報、意見を持ち寄って、時には議論したりして、時にはROMしたりしてここに参加する一人一人が、歴史(特に20世紀前半になるとは思いますが)についてどう解釈していくかを考えていければよいと思っています。

ということでトピ主さんに早々に結論を出されますとこのトピが終わってしまいますので、末永く迷って(といいますか結論を留保して)頂ければと願う次第であります。



これは jnfi67 さんの 955 に対する返信です

>頭のリハビリ
2003/ 1/30 23:53
メッセージ: 966 / 2204

投稿者: s1_9150242
さっきは ハクション!などとすみません そんな中でこれだけのKB打ち込み頭が下がります

1)「セーラー服」(うっ、なんか...;;)はわかりませんが(カマトト?) スカーフの3本線?のっぺらじゃ、味気ないだろうが・・・何でももとを辿れば意外とこんなんでしょうね

2)成る程「提督」「大将」「艦長補佐」いろいろ変遷が そういえば役所で「・・補佐」は結構いばって?いるなー(^_^;)

3)候補生→起源「艦長が個人的に雇った伝令」日本の海軍少尉候補生はもうモテモテと聞いています

それにしても詳しい! 熱が出ないよう祈っています(^^)

私も「自然発生説」支持派(賛成派



これは jnfi67 さんの 956 に対する返信です

嵐の胎動
2003/ 1/31 15:09
メッセージ: 967 / 2204

投稿者: s1_9150242
歴史的背景

日本と満州 民族的にも文化的にも宿命を感じる 400年前まで日本は大陸民族の植民地のようにみなされた時代があった 長い鎖国時代をへて開国 国力を蓄え 1984年日清 1904年日露戦争をへて 急速に国際的位置をしめた 各国はこの小さな国の勇気ある行動に内心呆れながらも声援をおくりロシアの侵略政策に反感をいだいていた

1905年米の斡旋によりロシアと講和 韓国に対し宗主権 南樺太割譲 関東州租借権 満州鉄道経営 北洋漁業権をえたがこの国運躍進は日本人の自惚れとなり 禍根となった 「10万の犠牲によって確保した生命線」「明治大帝の御遺産」をかざし 一路「大陸政策」を推し進めた

9.18事件がきっかけとなりこれによって 6年後の支那事変 さらに太平洋戦争の根源となる・・・と

2.26事件の名はよく知られているところでありますが 9.18事件?ご存知の方おられましたら



これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>>東南アジアでの日本軍統治
2003/ 1/31 17:05
メッセージ: 968 / 2204

投稿者: latter_autumn
>日本の東南アジア統治についても統治した地域、時期により、善政と搾取が
>入り混じっていたと思われますし、東南アジアの各国は緩衝国のタイを除き、
>列強の支配化にあった当時の状況を考慮すると善政だから「善」、搾取だから
>「悪」とも一概に言えるものでもないと思います。

「日本は列強と同じような事をした、というか、むしろ日本は善政を混ぜた。ゆえに日本の統治は一概に善とも悪とも言えない。」
…という意味でしょうか。

異議アリです。

己の欲せざる所は人に施すことなかれ。
外国に占領され圧政と搾取に苦しめられることを欲しないのは、誰しも同じです。
圧政と搾取を行った時点で、悪でしょう。

>インドネシアでは比較的日本の統治が評価されている
>インドネシアでいえば、オランダが大悪で日本が小悪だった

インドネシアが日本から被った人的損失は、少ないものではない、東南アジアの中ではむしろ多い方です。フィリピンと比べても、インドネシアの方がはるかに多数の死者を出しています。
「インドネシアに限ってみれば幾分かマシな統治が行われた」というような物言いも、やはり史実を歪めたものであると思います。



これは o_sole_mio00 さんの 916 に対する返信です

>>>東南アジアでの日本軍統治
2003/ 1/31 22:57
メッセージ: 969 / 2204

投稿者: o_sole_mio00
latter autumnさん、レスありがとうございます。

>「日本は列強と同じような事をした、というか、むしろ日本は善政を混ぜた。
>ゆえに日本の統治は一概に善とも悪とも言えない。」…という意味でしょうか。

少し違います。日本の統治については、「要領」や「大綱」に基づいて行われましたが、その「要領」や「大綱」を具現化するために、搾取や圧政が行われたり、善政が敷かれたりしました。これはある程度現場の責任者の判断に委ねられていたでしょうが、統治下の達成目標に無理があった場合は、搾取や圧政の方向に向かうと言う事は容易に想像できます。
この状況は、例えば、東南アジアの支社長に本社から派遣された人間が、本社から無理難題を突きつけられた場合、本社に抵抗するのではなく、現地の従業員に無理を強いる状況と似ていると思います。
私は、日本という国家が統治のために意図的に善政を混ぜたとは思っていません。後年「善政」と評価されたものは、、で先に述べた「要領」や「大綱」に謳われた方針ではなく、現地の担当者の方針(今村中将の例)であったり、宣撫の目的に一時的に行われたものだったりすることが多いのではないかと思います。「善政だから善とは言えない」というのはそういった意味です。

また、ここで何度も述べていますが、日本の統治において、苛酷だったか穏やかだったかは地域や時期で違っていると思います。従って特定の地域や時期を見て「日本の統治は穏便なものだった」とか「日本統治のなんと苛酷なことか」と断じるのはナンセンスだと思います。私は、統治の日本が列強よりもましだったとは、考えておりませんし、飛びぬけて苛酷であったとも思っておりません。

>圧政と搾取を行った時点で、悪でしょう。

これも一つの判断基準だと思います。しかし列強の帝国主義的支配が「グローバルスタンダード」だった当時、その時代の人間にこの判断基準を用いることができるでしょうか。植民地支配のあり方が問われ、植民地だった国が独立していくのは、大戦が終わってからのことです。
従って私個人としては、当時の人たちに「圧政と搾取を行った時点で、悪」と判断する事は少々酷だと思っています。ただし個々の事象を見ていくともちろん「悪」としか言いようのないこともありますが。

>インドネシアが日本から被った人的損失は、少ないものではない、東南アジア
>の中ではむしろ多い方です。フィリピンと比べても、インドネシアの方がはる
>かに多数の死者を出しています。

たしかに「ロームシャ」と呼ばれた強制労働で多くの現地人が死んだと言われていますが、その規模については、議論が分かれています。

>「インドネシアに限ってみれば幾分かマシな統治が行われた」というような
>物言いも、

私は、インドネシアでマシな統治が行われたとは言っていません。日本は「要領」や「大綱」に基づいて統治されているので基本的には他の国と変わらないはずです。時期によっては担当者の方針で比較的穏やかな統治が行われていたかもしれませんが、担当者が変われば、変わってくるはずです。戦況が深刻になれば、統治もいきおい苛酷にならざるをえないでしょう。しかしそれは必ずしも日本が統治したからではなく、戦争がそうした部分が大きいと思います。

>やはり史実を歪めたものであると思います。

私は史実は、一つではないと考えています。真実は一つなのかもしれませんが、当時の記録が完全には残っておらず、当時の証言も人によって食い違っており、どの記録、証言を信じるかによって史実は、全く異なったものになります。史実を真実に一致させる努力は必要だとは思いますが、一致することについて、少々悲観的です。
逆にお伺いしたいのですが、latter autumnさんの仰る「歪んでいない史実」とはどのようなものか具体的にご教示頂ければ幸いです。また、「インドネシアが日本から被った人的損失は、少ないものではない、東南アジアの中ではむしろ多い方」にも関わらずインドネシアでの日本統治が比較的評価(そう思っているのは日本人だけまもしれませんが)されていることに対する見解をお聞かせ願えれば幸いです。



これは latter_autumn さんの 968 に対する返信です

チャールズ バーレズの寄稿
2003/ 2/ 1 1:01
メッセージ: 970 / 2205

投稿者: o_sole_mio00
日本とアメリカの植民地政策について議論がありましたが、サンフランシスコクロニクルの記者であるチャールズ バーレス氏がジャパンタイムスに寄稿した記事を紹介致します。

論旨は、アメリカはパールハーバーを太平洋戦争の象徴にして、アメリカ=正義、日本=悪として、自己を美化しているが、アメリカは本当に正義かというとそれは偏った歴史観であり、アメリカ自身も国内的には抑圧政策をとったり、外国に対しては残虐に振る舞った事実があり、それをアメリカは忘れることは、べきではない、ということです。

フィリピン統治において比較的「穏やかな統治者」であったアメリカでもこのような面があったことは事実でしょう。そういったことに隅に押しやって太平洋戦争=パールハーバーを前面に出す事によって、自分達をヒーローに見立てているアメリカの自己陶酔性は、同時多発テロという悲劇があったものの、その後のアフガン進攻、イラク攻撃に圧倒的支持を見せているアメリカ世論(もちろん一部に反対をしている人もいますが)に今でも見て取ることができます。

一方で日本を「国内的には事実上ファシストの国といっていい状態であり、国外における植民地に対しては傲慢な態度をとり、しばしば残酷な占領者でありました。戦時中に犯した戦争犯罪はすさまじい規模のものであり、許されるべきものではない」と当時の日本を指摘していますが、これは、アメリカのメディアの一般的な戦前戦中の日本観のようです。先日CNNのサイトで小泉首相の靖国訪問に関する記事でも正確な記述は忘れましたが「中国や朝鮮半島で数万人の市民に対して残虐行為を働いた」と記述されていました。誤った認識であるとの議論があるかと思いますが、アメリカは戦前から、日本の中国大陸での残虐行為は報道され、対日プロパガンダに利用されていました。

しかしながら、そうやってアメリカも、過去を美化し、輝かしい自己イメージを追い求め、日本ばかりを非難しているが、アメリカだって人のことばかりいえないのではないか、とアメリカ人が批判したという点で興味深いと思います。そして「アメリカの国家主義者が真珠湾の物語を簡略化しすぎたため、過ちを生じかねないほどに歴史がねじ曲げられており、アメリカ人の国家意識の中に、この戦争は善対悪の対決であるとする、戦時中のままのプロパガンダが、燦然と生き続けている限り、国際協調の仕組みづくりは、将来にわたりおびやかされる」と警告しています。

そしてイギリスの劇作家、ピーター・ニコスルの以下の言葉を引用し結んでいます。
「自分の仲間だけの慰めを優先する限り、平和は単なる夢に終わります」

原文は英語ですが和訳(私ももちろん和訳を引用しています)が下記のサイトで見ることができます。

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/hosa2/52pearlharbor3.html



これは o_sole_mio00 さんの 962 に対する返信です

アメリカの正義
2003/ 2/ 1 8:03
メッセージ: 971 / 2205

投稿者: yuki070507
 しばらくぶりです。
 一言、意見を述べさせてください。

 軍事カテでの最近の傾向は、アメリカの正義を疑う、若しくはアメリカを侵略者とみなすとする傾向が見られるようになりました。

 私は、この考え方は、かつてアメリカの正義を信じていたことの反動によるものだと捉えています。
 戦後アメリカの占領政策により、日本人は、アメリカの正義と戦前日本の悪というイメージを植え付けられました。

 一国の歴史を、正義あるいは悪という概念を抱いて見ることは、客観的な事実を把握する上で、誤りを起こす危険が非常に高いです。
 正義感の強い日本人は、人物に対しても国に対しても、それを求めがちです。

 しかし、およそ人類の歴史の中で、正義を国家政策の第1に掲げ、それを誤りなく実践した国家などあるでしょうか?
 国の行動原理は、正義ではなく、国益です。民主主義国家の根本は民意です。

 アメリカのわずか200年あまりの歴史の中でさえ、アメリカ原住民の殺戮、黒人奴隷、ハワイ併合、米西戦争、清国への進出、日本の都市への無差別爆撃、原爆投下など、悪のフィルターを通して見れば、日本などその足元にも及ばない残虐な一面を持っています。

 ただ、そうではあっても、戦後の世界秩序の安定、日本の平和維持にアメリカの大きな功績があったことも事実です。
 また、現在のイラク・北朝鮮などアメリカのいう悪の枢軸への強硬姿勢は、これを軍事国家による侵略行為だと非難することは、適切ではありません。

 未だに国際警察軍なるものが組織できない現状では、アメリカを中心とする多国籍軍がそれを代行せざるを得ません。
 現在の軍事バランスでは、アメリカがかつてのモンロー主義に後戻りすることは許されません。
 そして、現在のパックスアメリカーナは、歴史上かつてない健全性を有していると私は評価しています。
 それは、アメリカの民主主義が十分機能していること。そしてアメリカの民度が高いということです。

 私が言いたいのは、歴史分析においても、現在の政策評価においても、正義や悪のイメージは百害あって一利なしだということです。
 客観的で、冷静な分析こそ、正しい決断に必要な材料です。

これは o_sole_mio00 さんの 970 に対する返信です

私にもチョット・・@>ユキさん
2003/ 2/ 1 11:04
メッセージ: 972 / 2205

投稿者: marujee
横からスミマセン。
読ませてもらったのですがチョット私の考えていたことと違うので言わせてもらいます。

>石原も、武藤、東條もそうでした。
 思うに、それぞれの立場・状況で物を言っていたに過ぎず、深く将来を見据えて考えていたものがいなかったと言えるのではないでしょうか?

私も同じようなことを考えていた時がありました。しかし彼らの立場で考えてみると「しょうがないかなぁ」と今では思っています。彼らは全て陸軍幼年学校出身で子供の頃から非常に偏った教育を受けてきた人たち(ドイツ的思考、精神第一主義、皇軍は強い・・・という教育を受けた人たち)であり、明治の政治家のように世界を見て周り、全世界的なものの見方(分相応のものの見方)ができる人たちではなかったのです。このような人たちが国の政治、外交を握ってしまったことに問題があったのではないでしょうか?経済不振、農業の疲弊に国民が喘いでいるのに党利党略と汚職に明け暮れた昭和初期の政治家に国民が愛想を尽かし、軍人による政治(清廉と思われた?大陸への夢・・・)に望みを託してしまったのです。あのすばらしいワイマール憲法を持ち文化教養の高いドイツ国民がナチに魅せられた様に・・・。

>前にも言いましたが、満州事変で止めておけば、アジアの安定のためにも、日本のためにもなったと思っています。

当面はそれでよかったでしょう。しかし、アメリカのマハンの理論をもとに東へ伸びていこうとするエネルギーと日本の富国強兵、アジアでの独立した生存権を確立しようとするエネルギーは、どうやってこれを避けて共に存立できるかを考える立派な政治家が両国に出てこなければ、いづれはぶつかります。

>石原・板垣らの独断専行だったこと、そして命令違反の彼らに勲章と栄達がなされたことが、陸軍の下克上、命令無視と独断専行の大弊害を招いたことは間違いありません。

戦後沢山の人が同じようなことを言っており私もそうだと思っています。
下克上を認めた当時の陸軍上層部に問題がありました。団体の中でルールを無視したら無茶苦茶になります。
しかしそれ以上に陸軍自身が軍人勅語を無視し政治に口出しすることを許してしまった日本の仕組み、一つの国に三つの政府(陸軍、海軍、政府)があるような仕組みではだめだと気づいていながら組織を守るために三竦みのような状態になって誰も改善しなかったことも問題です。

>私が日華事変を分岐点とするのは、あくまで、太平洋戦争の直接の原因となったという意味です。

これは少しペンが滑った?のではありませんか? 直接の原因は多くの歴史家が言っているようにやはり1941年の石油禁輸ですよ。
満州事変、塘沽協定、梅津・何応欽協定ときて何とか収まりかけたからシナ事変が問題だと短絡されているような気がします。しかし厳密に見るとそうとはいえません。満州事変以降のスティムソンドックトリン(満州は認めないというのみで経済制裁は匂わせていない)のように1937年のパネー号事件、FDRの隔離演説は文句を言って経済制裁を匂わせたが直接の行動はしていません。(パネー号事件の場合は日本が謝罪、弁償したので実害は出たが解決した)
直接行動をとり始めたのは天津事件(1938/12〜39/8・・・日本軍の天津租界封鎖国民政府がらみの預金提出要求)以降の通商条約の破棄宣言(1939/7)からです。つまり中国への同情(これは口だけ)ではなく米英への直接被害が予想されるようになって行動したのです。したがって日本は米英への直接行動を避けていればアメリカは行動を起こさなかったと思います。(この点の駆け引きは軍人がのさばっていたら纏まるものも纏まりません。アメリカは当時の日本の貿易の40〜50%を占めるお客さんだったのですから・・・もっと総合的に考えるべきだったのです)

開戦の原因となったのは日本側は石油の禁輸ですがアメリカ側ではシナ事変というより三国同盟だと思います。なにしろと民主主義の最後の砦「イギリス」と立ち向かっているドイツ同盟を結んだのですから・・・。このため日本はナチと同類とされてしまったのです。



これは yuki070507 さんの 961 に対する返信です

私にもチョット・・A>ユキさん
2003/ 2/ 1 11:06
メッセージ: 973 / 2205

投稿者: marujee
>>日本は朝鮮と台湾の領有以後、ある一線に踏みとどまるべきでした。

> これは、朝鮮・台湾の領有については、認めるということでしょうか?
 ここまでは、自衛のためのやむを得ない行動だったとし、それ以後は、夜郎自大のとんでもない行動だったということでしょうか?

今の基準で考えれば武力による侵略は認められません。そのときの基準で判断しないと当時の日本が悪かったといえないのではありませんか?
売春禁止法以前の遊郭は悪いとか、道路交通法の改定以前の酔払い運転は悪いとか言ってもその頃ではそれが常識だったのですから。

朝鮮、台湾領有のころは列強各国皆やっていたのです。
ご存知だと思いますが
@ ハワイ併合・・・1900年(米国議会議決は1898年)
A フィリピン平定米植民地化・・・1902年(米西戦争(1898)で割譲されたフィリピンを武力平定)
B パナマ独立支援・・・1903年(コロンビアからの独立を支援)
あの帝国主義の嫌いで自主独立を旗印にしていたアメリカでもたたけばほこりが出てくるのです。
主要列強が中国の領土保全を約束したのは9カ国条約(1922年)で、世界各国が防衛戦争以外の戦争を禁止したのはパリ平和条約(ケロッグ・ブリアン条約・・・1928年)でこのような侵略はやめようと決めたのです。
あの勝者の裁判だといわれる悪名高い東京裁判もこれを基準に(そうでなければ天に唾を吐くことになるので)しています。



これは marujee さんの 972 に対する返信です

再度、私はこう考えます。
2003/ 2/ 1 13:13
メッセージ: 974 / 2205

投稿者: crub4o
>しかし、歴史認識は常に客観的であることを心掛けています。
 日本に有利なように、あるいは自己の信条・利益の為に歴史を捻じ曲げるという考え方は何より嫌いです。私から見ると、クラブさんは、戦前日本に対し、主観が入りすぎていると感じます。何やら憎悪の対象として見ているように感じることがしばしばあります。

えぇ! 「自己の信条・利益の為に歴史を捻じ曲げる」と言う考え方を私がしてると仰りたいのですか? それに「憎悪の対象」とは・・ちょっと酷い言われようですねぇ。
私は総体としての日本を愛している日本人なんですけど・・少しショックです。

私は客観的事実としての過去の日本(外国でもよい)の功罪に関しては、是々非々の意見があるべきだということ位は認識しています。 私も少なからず持ってますよ。
但し、その「客観的」と言うのはなかなか曲者で難しいと考えます。
yukiさんが出されたアメリカの「日本など足元にも及ばぬ残虐な一面」の内、
>日本の都市への無差別爆撃 
についてコメントします。
日本の重慶への爆撃はその時期から鑑みれば、米英戦略爆撃のまさしく先駆けであったと思えます。 その規模が米英ほど大きくなく、徹底されていなかったのは、単に当時の日本にそれを遂行するだけの能力がなかったからと言う理由だけではないですか?
「数量的」に分析すれば、「日本など足元にも及ばぬ残虐な」が正当な言い分ですが、「発想的」に分析すれば、「日本は米英にお手本を示した」とも言えます。

過去の事実群の一つ一つの「客観的で冷静」な評価は大切ですが、今ほど一例を挙げた如くその「客観性」にそれぞれの切り口と解釈が存在する為、意図的に過去の歴史を曲解しようとしている方々や何も知らないで風説を信じている方々に出鱈目な意見を垂れ流されるので、私はそれに危機感を覚えるのです。
膨大な歴史的事実も或る時点からは一定のモーメントを持ち始めますが、その中の事実の幾つかを意図的に使用して、そのモーメントそのものを否定しようとする動きを、私は「アマルガム(合金)」と呼んで、否定します。 フランス革命の時、政敵を貶める手法を指す言葉として使用されたと言う事です。
さまざまな「南京大虐殺」トピには、その種の悪質な「アマルガム」使用論者が存在し、「虐殺者数」を否定する事により、「日本の中国侵略」の事実そのものを曖昧にしようとされています。 その種の法廷闘争的手法(疑わしきは罰せず)は、歴史の評価においては大きな禍根を残す可能性があり、危険であると言うのが私の認識であり、立場でもあります。

その為もあって、私が知り得た範囲内の情報で総括した「過去の日本の政策には誤りがあり、日本人はそれを修正できなかった」を前提とし、その中に散りばめられた事実群を再評価すると言う考え方を私は取っています。
 
詳しく言えば、
@過去の事実の詳細を帰納的に知る努力をする。
Aそこから最初の総合判定を演繹的に出してみる。
Bその演繹的総合判定を元に、過去の事実群を再度考えてみる。
この繰り返しの中で、@の認識が改まり、再度総合判定を演繹する事もあります。
しかし、この私の姿勢は人から観れば「演繹法」であると受け取られる事があるのも承知しております。 
yukiさんは恐らくそこを感じ取られて、「憎悪の対象」と言う感想をお持ちになったのかも知れません。

人や組織や国家は日本だけでは評価しきれないと思います。
私がフィンランドの未曾有の国難、苦闘と苦悩の歴史を投稿したのは、かの国が甘受せざるを得なかった歴史と比較すれば、日本はまだまだ恵まれていると言いたかったからです。
かの国の偉大な指導者とその国民は、その国難を私のプロフにある「天は自ら助くる者を助く」と言う方針で自主的に乗り越えてきたのです。
恵まれているからこそ、もっと自らに厳しくありたいと私は考えます。

朝鮮半島や中国の日本に対する様々な妄言について、自己主張をしなければと言うご意見が出されています。 私も当然そう思い、そうすべきだと思います。 
しかし、彼らの妄言は、日本を害するものよりも、間違いなく彼ら自身の国と国民を害する事千倍であると確信しています。
その反面教師としての側面を見習うほうが、日本には有益だと思います。



これは yuki070507 さんの 971 に対する返信です

>私にもチョット・・
2003/ 2/ 1 13:23
メッセージ: 975 / 2205

投稿者: yuki070507
 はじめまして。
 ご意見拝見いたしました。
 私との意見の相違点は、ほとんどないです。
 私の意見は、このトピのほか、軍事カテでもいろいろ言ってきたので、繰り返しになりますので端折ります。
 今回は、相違点というかポイントのみ書きます。

>彼らの立場で考えてみると「しょうがないかなぁ」と今では思っています。

 そのとおりですが、それを言い出すと、原因究明や結果の分析が疎かになってしまいます。
 また、前にも書きましたように、日本人の精神性の発生の起源にまで遡って考えというあきらめにもつながります。

 私は当然そうした日本人の特殊性は考慮に入れ、分析し、現在や将来の日本に生かさなければいけないと考えています。
 もちろん、市丸少将のように誠心誠意自分の職務を遂行された方々が大部分であったろうことを思うと、今の時代の我々が、賢しらに個人名を挙げて非難することは、少々気の毒ではあると思います。

 が、しかし、marujeeさん仰るように、狭量で偏った陸軍軍人を生んだ背景は十分理解しつつも、それによって彼らの行動に理解を示すことは、ひいてはその背景をも肯定することにつながります。

 歴史を生かすためには、すべての面をタブー視することなく客観的に分析し、冷静に判断する必要があると思います。
 当時の陸軍軍人の精神面の特殊性は、純粋培養の幼年学校卒業生が、参謀本部・陸軍省・教育総監部の要職をほぼ独占したことが最大の原因だと思われます。
 例えば、幼年学校での語学は、三国干渉後、独・仏・露の3ヶ国語に限定されました。
 そのため、米国・英国への駐在武官は、中学出身者ばかりとなり、幼年学校出身者は、米英音痴となってしまったのです。
 米英音痴が陸軍中枢を握り、政策を決定し、欧米通が中国戦線で戦うという不合理です。
 語学教育一つとってみても、これほどの影響力があります。

 彼らの考えや行動を疑問視し、分析することは、決して無意味なことではありません。

>開戦の原因となったのは日本側は石油の禁輸ですがアメリカ側ではシナ事変というより三国同盟だと思います。

 仰るとおりです。
 私もほぼ同意見です。
 太平洋戦争の直接の原因は、対日禁輸です。
 それを受けるまでは、日本陸軍とて、まさか正面きってアメリカと戦おうななどという愚かな人間は、少なくとも上層部にはいなかったと思います。

 私が日華事変(=支那事変:支那が漢字変換しにくいので日華事変を使っています)まで遡るのは、どうすれば太平洋戦争を避けえたか?という観点です。
 対日禁輸の直接原因は日本の南部仏印進駐です。
 しかし、あの時点まで進んだ段階で、日米双方のいずれもが避け得たでしょうか?

 南京攻略に続く、重慶爆撃、中国奥地への侵攻によって、米国ルーズベルトの対日感情はすでに極度に悪化していました。
 日中戦争を武力解決に求める以上、援蒋ルートの遮断のため北部仏印へと軍を進めることは、必然の結末であり、日中戦争と仏印進駐を切り離すことは無理だと思います。

 仮に、日本側が、奇跡の国論統一により、仏印・支那撤退ができる状況になったとしても、米国の意向が問題です。
 もはや、その時点では、米国はヨーロッパ参戦の為に日本を利用する決意を固めていた可能性があります。

 ですから、私は、ほぼ100%の確信を持って言える転換点としては、日華事変に始まる日中戦争の早期終結がポイントだったと考えています。

 三国同盟については、仰るとおり、日本がドイツと手を組み、米英に敵対するという旗色を鮮明にしたという点で、不幸な決定だったと思います。

 しかし、仏印進駐など軍事行動を伴わなわず、日中戦争からの撤退を行えば、アメリカは、日本に手出しはしなかったと考えます。

 Bについては、私は、あなたとほぼ同意見です。以前の私の投稿を読めばわかるはずです。



これは marujee さんの 972 に対する返信です


今村均とインドネシア
2003/ 2/ 1 14:27
メッセージ: 976 / 2205

投稿者: ttt826000
太平洋戦争初期に、
インドネシアで、日本軍が、
短期で勝利できたのも、インドネシアの
住民の協力があったかららしいです。

今村均の時代の、軍政は、緩やかだった
みたいです。

今村がラバウルに、去ったあとに、
日本軍の住民に対する事件は、
多発してると思うのですが?

今村均と、スカルノの友情関係が、
戦後の対日批判の少なさに影響したのでは
ないかと思うのですが・・・
http://home4.highway.ne.jp/kendouho/busidou.files/imamura.htm
あるところで・・・・このようなことが
紹介されてました。
以下・・・
大本営は今村軍政を決して認めてはいなかったという事です.「甘すぎる」という評価だったのです.今村均将軍の16軍が担当する範囲はジャワ島とバリ島に限定されたうえ,1942年には今村司令官はジャワ派遣軍総司令官の職を解かれラバウルに転任させられます.
後任の原田熊吉陸軍中将は同じ軍事法廷において死刑判決をうけ
君がため花と散れりと世に宣べよ
海をわたりて帰るみつばめ
という辞世を残して従容と死地へと赴いたのでした 」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


分かれるスカルノの評価
http://www.at.wakwak.com/~asia/sea/sukarno.htm



これは o_sole_mio00 さんの 969 に対する返信です


>アメリカは正義か?
2003/ 2/ 1 14:41
メッセージ: 977 / 2205

投稿者: o_sole_mio00
yuki070507さん、こちらこそご無沙汰しています。

アメリカ人は、Justice(正義)という言葉を重んじます。「悪の帝国」「悪の枢軸」など、敵対する国家に「悪」を冠することが好きで、また、一昨年の同時多発テロの報復としてのアフガン進攻の作戦名に「正義」を冠していました。

しかし真の「正義」など本当に存在するのでしょうか?イラクも湾岸戦争を「偉大な戦争」と呼び、太平洋戦争でも日本は「天に代わりて不義を討つ」と叫んでいました。例えば、同地多発テロの報復としてのアフガン進攻は、国際世論(欧米先進国の)は概ね、「正義はアメリカにあり」との認識だったと思いますが、この戦争でアフガン市民の犠牲は、多発テロの犠牲者に匹敵するとも上回るとも言われています。タリバンの圧政を受け、アメリカの空爆の犠牲になったアフガン市民にとって何が正義だったのでしょうか。「アフガン市民は悪人だから殺されて当然」とは言えないはずです。
こういった議論をすると、テロの跋扈を許すつもりなのか、という意見を耳にします。しかし、多発テロが出発点ではなく、欧米がオイルビジネスを通して中東の富を搾取し、また、イスラエルを支援することによって貧困と怒りが増幅され、テロ、戦争その報復の繰り返しで中東で多くの血が流され、その延長線上で多発テロが発生したのです。

仰る通り、国の行動原理は、正義ではなく、国益です。アメリカも極めてシステマティックに国益を追求しています。イラクへの軍事行動により、イラク政権が崩壊し、親米政権を打ち立てることができれば(私は難しいと思いますが)、軍事行動で軍需産業が潤い、イラクの石油の利権を獲得したオイルビジネスが潤います。ただ、多くのアメリカ市民が自分達は正義の民族であると信じているのです。多民族国家であるアメリカにとって世論を纏めるイデオロギーが「正義」なのかもしれません。

断っておきますが、私は反米の立場をとっておりません。私はなおアメリカという国が好きですし、ただ好きだから何でも賛成するというわけではありません。

>アメリカの民主主義が十分機能していること。そしてアメリカの民度が高い
>ということです。

アメリカは比較的民主主義がよく機能している国だと思いますが、緊迫した情勢で十分機能するかについては疑問をもっています。同時多発テロ以降、メディアに対して有形無形の圧力がかかり、報道が規制されていますし、一時的ですがイマジンなど反戦思想の歌を流すことが自粛されました。アメリカの民主主義の機能や民度の高さ(そういう意味ではアメリカは日本よりはるかに健全な社会だと思います)はそのとおりだと思います。ただ世界の警察を自他共に認めるに十分なものかというと、そうではないと思います。

>現在のイラク・北朝鮮などアメリカのいう悪の枢軸への強硬姿勢は、これを
>軍事国家による侵略行為だと非難することは、適切ではありません。

国連の承認に基づくアメリカの軍事力行使には同意しますが、国連を無視した単独行動には反対します。また、国際社会の秩序を乱す国に対して安易な妥協をすることにも反対しますが、強硬姿勢というのは何も軍事行動だけではない、ということも付け加えておきます。

>歴史分析においても、現在の政策評価においても、正義や悪のイメージは
>百害あって一利なしだということです。

善悪二元論で語ることは、ナンセンスだと私も思います。

>客観的で、冷静な分析こそ、正しい決断に必要な材料です。

姿勢としては、そうあるべきと思います。ただ、解釈するのは生身の人間ですので、完全に主観を取り除く事は不可能で、誰もが何がしかの主観や思い入れが入り込んでくると思います。また、膨大にある資料や情報からはその選択や解釈で結論が180度違う事もままあります。異論について「間違っている」とか「客観的でない」と断じる前にその意見についても冷静かつ、客観的に分析する必要があると思います。
ハーバード大学のネゴシエーションの授業で使われていた「Getting to yes」によりますと、議論は自分の意見を単に一方的に主張するのではなく、意志と意志のキャッチボールのように行い、相手の良い部分を認めようとする努力が必要(いわゆるWin-winの原則)とされています。日本人が欧米人と比較して議論下手(他所の掲示板を見てもそう思うのですが)なのは、そういうことができないからだと思います。



これは yuki070507 さんの 971 に対する返信です

>再度、私はこう考えます。
2003/ 2/ 1 15:12
メッセージ: 978 / 2205

投稿者: yuki070507
 クラブさん。また誤解を受けたかと心配しておりました。
 私は投稿のスタイルとして、筆を進めるうちに、投稿相手への返信を通り越し、一般論を展開してしまう癖があります。
 ですから、本来は、相手への返信と言うより表題1に対する意見として掲載すべきかもしれません。

 で、クラブさんにショックを与えた「憎悪の対象」についてですが、何もクラブさんだけでなく、軍事カテなどで多くの人の意見にそれを感じます。
 ただし、クラブさんの場合は、信条というより正義感や善なる性格からの表現だと思っています。

 自己の信条・利益・・・は、私の気持ちを言ったつもりでしたが、その文章に続けてクラブさんに言及するのであれば、例示としての意味と受け取られても仕方ありません。確かに不適切でした。

 次に、私の意見が主観的か、客観的かという点ですが、私はそれを心掛けていますが、実践できているかどうかは自分ではわかりません。
 ですから、私こそ主観が入りすぎていると指摘される可能性だって大いにあると思っています。

 しかし、それは、そうした指摘を受けて初めて気が付くことかもしれません。
 自分が自分の意見を見て、主観的か否かの判断はむつかしいと思います。
 しかも、このような字数に制限のある掲示板では、さまざまな制約が加わります。

 自分の考えの一部分を取り出し、特化した表現では、見たものには極めて偏った意見のように映る場合もあると思います。

 いずれにしても、限られた掲示板でのやりとりには、誤解がつきものだと思っています。
 誤解があれば、ストレートに反論し、意見の交換によって誤解を解けばよいことです。
 誤解を恐れ、避けるのであれば、掲示板は利用できません。
 でも、これは、私が掲示板に求める考えであって、他の人は違った利用の仕方や考えがあるのかも知れませんが・・・。

>意図的に過去の歴史を曲解しようとしている方々や何も知らないで風説を信じている方々に出鱈目な意見を垂れ流されるので、私はそれに危機感を覚えるのです。

 仰りたいことはわかっております。
 私の戦前日本に対する肯定的な部分が、ひっかかるのでしょう?

 これについては、私は何度もいっており、繰り返しになりますが、戦後の日本は、行き過ぎた自由主義や個人主義とともに、過去の歴史がゆがめられてきました。

 日本人自身による自虐的卑屈さや反日思想により、外交・政治・社会・文化に大きな負をもたらせています。
 今はまさに情報化の時代です。玉石混交ですが、とにかく欲しい情報はふんだんにあります。

 もはや、かつてのように、臭いものに蓋をし続けることは不可能です。
 そして、これまで右から左と極端であった分、再び極端に振り子が振れようとしています。
 極端な反動は常軌を逸する場合が多いです。

 そうした極端な意見を補強する材料はふんだんに用意されています。
 だからこそ、左翼一辺倒と思われる意見には、もはや誰も耳を傾けないのです。
 ただし、彼らに迎合せよと言ってるんではありませんよ。
 これまでは、歴史の真実さえタブーだったんです。
 私は歴史の真実を明らかにすることが、誤った極端な反動ではなく、ゆるやかな中道を目指すことができると考えています。

 私の場合、クラブさんのような文才がありませんので、表現が足りず、感情を害する結果となっている部分が多々あると思います。その点は謝罪します。
 
 しかし私は、誰に対しても、悪意は持っておりません。
 ただ、自分の意見は、相手が誰であろうと、自己に考えに忠実に投稿することを旨としていますので、ご理解ください。



これは crub4o さんの 974 に対する返信です


インドネシアでの日本の搾取と独立容認
2003/ 2/ 1 16:52
メッセージ: 979 / 2205

投稿者: ttt826000
第16軍(だい16ぐん)
歴代軍司令官
1941年11月 6日〜 今村均中将
1942年11月 9日〜 原田熊吉中将
1945年4月 7日〜 長野祐一郎中将

大本営、南方総軍は、大戦初期の
16軍の緩やかな統治に怒り、
それが、
16軍支配地域の縮小
16軍の司令官の変更、
16軍の中心だった師団の引き抜き
激戦地への投入などにつながった。
 
第2師団は、ガダルカナルに戦に投入


ブリタルの反乱は、昭和20年2月に
おきてますが、日本軍による食糧やロームシャの厳しい徴発、横暴な態度が原因。

日本が、インドネシアの資源にこだわり
他の地域よりも独立の容認が遅れた。

昭和20年7月になッて、
日本は最高戦争指導会議で
できるだけ早い時期にインドネシアの独立を認めることを決定した。

戦争後期に、
軍政当局は米の生産量の3〜5割を強制的に徴用したらしい。

ジャワ島からは、島外に
「ロームシャ(労務者)」推定30万人
が、連れ出された。


泰緬鉄道では、連合軍捕虜だけでなく
ジャワ島から、連れてこられた
労務者も、多くいたそうです。

残留東南アジア人労働者の強制就労と生活
が、紹介されてたところがありました。

http://www.google.co.jp/search?q=cache:M9Pf-byuFUgC:www.asahi-net.or.jp/~jd7k-nk gw/thai5.htm+%E3%80%80%E6%B3%B0%E7%B7%AC%E9%89%84%E9%81%93%E3%80%80%E3%82%A4%E3% 83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2&hl=ja&ie=UTF-8

http://www.asahi-net.or.jp/~jd7k-nkgw/



これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

レス:東南アジアでの日本軍統治
2003/ 2/ 1 19:01
メッセージ: 980 / 2205

投稿者: latter_autumn
>「善政だから善とは言えない」というのはそういった意味です。
>インドネシアでマシな統治が行われたとは言っていません。

これらについては、了解しました。

>インドネシアでの日本統治が比較的評価(そう思っているのは
>日本人だけまもしれませんが)

まあ、ほとんど日本人だけでしょうね。

>歪んでいない史実

ある統治に係わる史実の像の断片を拾い合わせていく過程で、民衆の犠牲を伴った事実の断片がたくさん出てくれば、苛酷な像の一面として浮かび上がってくるでしょうし、民衆の生活の自由や豊かさを伴った事実の断片がたくさん出てくれば、善政の像の一面として浮かび上がってくるでしょう。
もちろん、断片の捏造や隠蔽は厳禁です。

>日本の統治において、苛酷だったか穏やかだったかは地域や時期
>で違っていると思います。

全体傾向を見て総括的に評価することは、できると思います。東南アジアで数百万人を下らない犠牲者を出したということは、圧倒的に苛酷な部分が大きかったということでしょう。例の、

>大東亜戦争ニ依リ所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ所在各民族ハ我ガ
>善政ヲ謳歌シ

…などというのは、全くの虚言としか言いようがないです。

>列強の帝国主義的支配が「グローバルスタンダード」だった当時

列強の帝国主義と比較して言うなら、日本も同じように圧政と搾取の過ちを犯した、日本は解放者ではなく新たな支配者になろうとしていただけだった、ということです。
そもそも帝国主義には普遍性はない、イギリスの帝国主義はイギリスのローカルスタンダードに過ぎず、日本の帝国主義は日本のローカルスタンダードに過ぎません。

>>圧政と搾取を行った時点で、悪でしょう。
>その時代の人間にこの判断基準を用いることができるでしょうか。

当然用いるべきでしょう。

>白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ
>有色人種ヲ以テ其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。

当時の人間でも既にこのような批判を成立させているのは、彼らが圧政と搾取を悪と認識していた証拠ですから、「日本人を以て世界の利益を壟断せんとしアジア人を以てその野望の前に奴隷化せんとする」ことを非として責められるのは、理に適ったことです。



これは o_sole_mio00 さんの 969 に対する返信です

色々と
2003/ 2/ 1 21:49
メッセージ: 981 / 2205

投稿者: jnfi67
議論活発で何よりです。

色々と論出しており、読み砕く(できたのか!?)に四苦八苦しておりますが...

>>日本は列強と同じような事をした、というか、むしろ日本は善政を混ぜた。ゆえに日本の統治は一概に善とも悪とも言えない。
>外国に占領され圧政と搾取に苦しめられることを欲しないのは、誰しも同じです。
圧政と搾取を行った時点で、悪でしょう。

少々、二面性に収束されている気がしますが、私的にはそう簡単に「善悪」に収束して考える事ができません。
無論、大戦中の強制徴募・それに伴う大量の死者を発生させたことは人道上の「悪」でしょう。しかし、それで全てを決定付けてしまっては、
>>@過去の事実の詳細を帰納的に知る努力をする。
>>Aそこから最初の総合判定を演繹的に出してみる。
>>Bその演繹的総合判定を元に、過去の事実群を再度考えてみる。
と別レスでのcrubさんの表現をお借りすると、この「循環」が切れてしまうと考えます。
私は「歴史は多面性であり、様々な方向に多種の質・量を有する同時に進むベクトルである」と考えており、「歴史の「事象の結果」は一つですが、それに至るベクトルは無数に存在し、且流れは必然では無い。
私が今まで見知っている「歴史」は「過去の事象の結果の記録表」であり、ベクトルを捉えきったものではない。
「歴史」とは自己の内面に於いて絶えず循環し、増減する思考活動の結果である」
と考えるので、 latter_autumn さんの仰る通り「大量強制徴募・及び(恐らくは)過大な労働による過労・病疫による大量死」は政策運営上・人道上の「失策」「法的犯罪」であろうと考えます。
が、日本による東南アジア統治に関してはまだまだ二面性で括れない面もあろうかと考えます。
例えとして良いかは疑問とするところですが、それまで絶対的な支配者として君臨していた白人国家勢力を(その目的は別として)駆逐した日本(非白人)、お題目、と言うより統治手法としてのプロパカンガで終わったとはいえ「五族協和」(でしたか?)という「考え方」「可能性」もあるのだ、と東南アジアの人々が「気づいてくれれば」それはそれである意味で一つ価値は有ったのではないでしょうか。
無論、それをもって日本の統治を完全肯定するものでは有りませんが。



これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

レス感謝:インドネシア
2003/ 2/ 1 21:49
メッセージ: 982 / 2205

投稿者: o_sole_mio00
latter autumnさん、tttさん、レス及び情報提供ありがとうございました。

本日は、他所から書いておりますので手短にお答えします。

>まあ、ほとんど日本人だけでしょうね。

これは、2年前に「ムルデカ」という映画が封切られた時に、日本人が考えているほど、インドネシア市民はそう考えていないのでは、とは思っていました。あくまでも想像ですが、日本が戦後経済支援をして、インドネシアの指導者(スカルノ?)が外交辞令でそんなことをほのめかした、のを間に受けた、とうこともありうるかもしれません。とにかくインドネシア市民の視点というものを私なり勉強してみたいと思います。

>全体傾向を見て総括的に評価することは、できると思います。

可能だとは思いますが、

>東南アジアで数百万人を下らない犠牲者を出したということは

tttさんもご紹介されましたが、日本がインドネシア当地の過程で苛酷な行為を行った治事例があることは明らかです。ただ、どれだけの犠牲者が、どのような原因で犠牲になったのかを明らかにせずに断じるのは、いささか乱暴だと思います。

>そもそも帝国主義には普遍性はない

植民地化して資源を活用するという点では、共通していると思います。そもそもグローバルスタンダードとなるものは、一国のローカルスタンダードに端を発していると思いますが。

>>>圧政と搾取を行った時点で、悪でしょう。
>>その時代の人間にこの判断基準を用いることができるでしょうか。

>当然用いるべきでしょう。

>当時の人間でも既にこのような批判を成立させているのは、彼らが圧政と搾取
>を悪と認識していた証拠ですから、「日本人を以て世界の利益を壟断せんとし
>アジア人を以てその野望の前に奴隷化せんとする」ことを非として責められる
>のは、理に適ったことです

私は市丸少将は日本のプロパガンダを単純に信じ込んでいたか、確信犯であったかのどちらかだと思っています。植民地支配と資源の搾取が当時国際社会として、国策としてまかり通っていたのですから、繰り返しになりますがその点で悪と断じるのは、酷なような気がします。



これは latter_autumn さんの 980 に対する返信です

>>アメリカは正義か?
2003/ 2/ 1 22:19
メッセージ: 983 / 2205

投稿者: yuki070507
>真の「正義」など本当に存在するのでしょうか?

 正義とは、突き詰めて考えれば、人の数だけ存在するのではないでしょうか?
 私の考える正義とo_sole_mio00さんの考える正義だって、細部において違っていて当然でしょう。
 なぜなら、人それぞれ価値観が違います。価値観の数だけ正義もあると言えるのではないでしょうか?

 ならば、正義など意味はないかと言えばそうではありません。
 周りの者がどう評価するかが重要なのだと思います。
 世間がどう評価するか?世論はどう反応するか?

 要するに、世間・世論の支持を得る手段として、自己の確信に基づく正義を主張し、自己の行為を正当化しようとするものに他なりません。

 ですから、対立する2つの勢力が戦争に及んだ場合、当然それぞれ異なる正義を掲げることになります。その場合、相手側を悪と非難するため、いずれが勝っても、正義が勝利し、悪が滅びたことになるのでしょう。

 国の行動原理は、前にも言ったとおり、国益です。
 しかし、それを行動に移す場合は、そこに正義の冠を被せ、世論の支持を得ようとする。

 世論の動向は、昔も今も、成功のカギを握るということでしょう。
 日本の場合は、錦の御旗、言い換えれば天皇の承認を得た方が正義で、錦の御旗に逆らう方が賊軍とされていました。

 こうした日本の歴史が、天皇の軍隊である日本軍には、世論工作に不得手な伝統として受け継がれたのかも知れません。

>(アメリカが)世界の警察を自他共に認めるに十分なものかというと、そうではないと思います。

 現在の状況が、最高だと言ってるのでないことは、当然ご理解いただけると思います。

 国連が機能するなら、国連軍を創設し、世界の治安維持に当てるのが理想です。
 しかし、国連の安全保障理事会は、拒否権と言う決定的な欠陥があります。
 一刻を争う大事なときに、機能しない可能性は十分あります。

 とすれば、NATOなどの集団的自衛措置を拡大して対処するか、アメリカのリーダーシップの下、多国籍軍を組織して対処するかの方法しかありません。

 いずれにしても、目の前の流血を避けるために、侵略を見逃したり、核・生物化学兵器の開発を許すという厭戦行為は、将来大きな流血につながる恐れ大です。
 かつて、そうやってナチスの小さな侵略を許したことが、WW2の惨禍を生みました。

 アメリカのやっている行為は、まさに歴史の教訓に則った行動だと思います。
 今、世界一の軍事大国として、その果たすべき役割をきちんと演じています。
 その行動の裏にある真の動機はどうあれ、その軍事行動が過分に過ぎるとしても・・・です。



これは o_sole_mio00 さんの 977 に対する返信です

色々とA
2003/ 2/ 1 22:36
メッセージ: 984 / 2205

投稿者: jnfi67
前回、「編集」と「投稿」を押し間違え、中途半端な投稿となってしまいました;;

Msg971でyuki070507さんが仰ってられていますが…
>「アメリカの正義を疑う、若しくはアメリカを侵略者とみなすとする傾向が見られるようになりました。〜(中略)〜正義感の強い日本人は、人物に対しても国に対しても、それを求めがちです。
 しかし、およそ人類の歴史の中で、正義を国家政策の第1に掲げ、それを誤りなく実践した国家などあるでしょうか?」

>「しかし、およそ人類の歴史の中で、正義を国家政策の第1に掲げ、それを誤りなく実践した国家などあるでしょうか?
 国の行動原理は、正義ではなく、国益です。民主主義国家の根本は民意です。」

当然と思える言ですが、歴史を検証し、考察していく上で、かなり見落としがちな点ではないでしょうか?
民主国家の行動原理は国益であり、それはかなりの部分「民意」に沿うところでしょう。

ではその「民意」に善悪の区別はあるのか?ですが…
これこそ、「多面性」過ぎて一言では言い表せられません。
それこそ各々の民族が歩んできた足跡・宗教・経験・地勢条件・その他あれやこれや…

故に、歴史において「正義」「悪」は定義付けは非常に困難なのではないかと。
個々の事件に関する、物理的な行為に対する善悪(例えば占領地や植民地での暴行・略奪・殺人)は、ほぼ「人類」でのスタンダードとして「悪」でしょうから、これは法的処分が必要です。

しかし、その「事件」をも含む歴史の流れ、それはかなりの部分「民意」が根底に流れているとしたら、それを「善悪」二面で捉えるのはいささか乱暴な手法でしょう。

>現在のイラク・北朝鮮などアメリカのいう悪の枢軸への強硬姿勢は、これを軍事国家による侵略行為だと非難することは、適切ではありません。
>未だに国際警察軍なるものが組織できない現状では、アメリカを中心とする多国籍軍がそれを代行せざるを得ません。

これは重要な言であると思います。同時に
「悪の枢軸」という言葉自体もアメリカと言う国の意識の「負の部分」として捉えねばならないでしょう。

>「歴史分析においても、現在の政策評価においても、正義や悪のイメージは百害あって一利なしだということです。」

現在のアメリカと言う国への認識はこの「良負(正負とは言いません)」両面からみて判断すべきでしょうね。



これは jnfi67 さんの 981 に対する返信です

>>歴史 ハクション!
2003/ 2/ 1 22:46
メッセージ: 985 / 2205

投稿者: jnfi67
やっと、快癒しました。
ご心配おかけしましたm(__)m

>>そのとーりとなります・・・しかしそれではこのトピは終わってしまうではありませんか(笑い)もう少し?時間をくださいまだ知りたいことは山程出てきそうです

あ〜、いえいえ、言葉が足らずに変に誤解与えてしまいました。
私は結局「歴史の考え方、捉え方は常に循環している」といいたかったので…
詰まるところ…
「検証も考察も、ずっと続きます。歴史でわからない事なんて、恐らく一生かかっても出続けます。ですから、能う限り色々意見を聞き、考察続けてください。」
と言いたかったので…^^;
(まぁ、当然、えらそーな事言ってる私なんか、それこそ一生、分からないことだらけで???し続けるでしょうね。^^;)

では、これからもずーっと、このトピで皆様のご意見楽しみに拝見しつづけていきます。



これは s1_9150242 さんの 959 に対する返信です

s1_9150242氏へ
2003/ 2/ 2 6:08
メッセージ: 986 / 2205

投稿者: alkanhel
政治活動に金が要るのは 現代日本だけではありません。だれかが 金を出すのです

SAやSS隊員は 手弁当で参加したのではありません。独企業や 金持ちが 援助したのです。それらの企業は どうやって
金を得たのか?1次大戦の復興のための金は どうやって調達したのか?

米国金融資本からです。
いまでゆう「迂回融資」にちかいものです
とうぜん こっそりとやるわけです。

また ヒトラーは資本家から資金援助をうけていることは あるていどないしょのされておりました。
というのも 有権者のおおくが労働者階級であり 1次大戦後の独は共産党が 強かったため資本家と表だって仲良くできなかったのです。だから資本家に直に会わず
まず ご婦人方から おとしていったのだそうです。そして有権者【労働者】の味方を旗印に
国家「社会主義」独逸労働者党と
反響のくせに 「社会主義」という名をいれたのです。

しかし
そのからくりに気がついたヒットラーはかれらを「ユダヤの国際金融資本」などとよんでおります。

ついでにいうと 最近ホロコーストの犠牲者の資産【遺産】を巡って スイス銀行
ヒト悶着おきております。

略奪資産を 現金化したりするのは
ライヒスマルクでは 当のナチもこころぼそかったようです。

ではまた」



これは s1_9150242 さんの 963 に対する返信です

>
2003/ 2/ 2 7:04
メッセージ: 987 / 2205

投稿者: marujee
>そのため、米国・英国への駐在武官は、中学出身者ばかりとなり、幼年学校出身者は、米英音痴となってしまったのです。
 米英音痴が陸軍中枢を握り、政策を決定し、欧米通が中国戦線で戦うという不合理です。
 語学教育一つとってみても、これほどの影響力があります。

おっしゃるとおり。陸軍のみならず日本の中枢を握ったことが問題です。世界的レベルで判断できる部門が軍部をコントロールするシステムがなかった(明治憲法の欠陥)こと、これを直そうとしなかったことが問題です。

> 私が日華事変(=支那事変:支那が漢字変換しにくいので日華事変を使っています)まで遡るのは、どうすれば太平洋戦争を避けえたか?という観点です。
 対日禁輸の直接原因は日本の南部仏印進駐です。
 しかし、あの時点まで進んだ段階で、日米双方のいずれもが避け得たでしょうか?

ユキさんはシナ事変が直接の原因とおっしゃるから問題だといっているのです。
シナ事変であるなら、日本は日ソ不可侵条約も結んでいないし、イギリス、フランスもまだWW1が始まっていませんから日本が南部仏印に進出するはずが無い・・・アメリカも中立法があったので手を出すはずが無いと考えるのが普通です。ドイツの電撃作戦があんなに成功するとは誰も思っていなかった(ドイツ国防軍でさえも・・・)時ですから・・・。
西洋列強のひしめく中国本土に大量の軍隊を進出させ、国民党、中国共産党はわざわざ西洋諸国と日本が問題を起こさせるために租借地付近では事を起こすように働きかけるので極めて不安定な状況にはなっていますが、気をつけてやっていれば石油禁輸には行かないのではありませんか?



これは yuki070507 さんの 975 に対する返信です

太平洋戦争の原因は?>ユキさん
2003/ 2/ 2 7:09
メッセージ: 988 / 2205

投稿者: marujee
すみません。
操作ミスでタイトルを入れずに送ってしまいました。



これは marujee さんの 987 に対する返信です

alkanhel 様
2003/ 2/ 2 8:13
メッセージ: 989 / 2205

投稿者: mm8c2600
私の投稿にご返事を頂きありがとうございました。

あれから数年前に買った「ドキュメント太平洋戦争への道」という本を読みなしていたので掲示板に気が付かず失礼致しました。
件の本には暗号の事について触れられていませんでしたが、やはり暗号が解読されて事前に伝わっていたのですね。交渉の経緯があまりにも日本の内政を熟知して進められたように感じていたものですから。そして相互の割合については大変わかり易い御説明ありがとうございます。ここではあくまで戦力の数値を定義したことで理解できるのですが最大の疑問は海軍省と軍令部、更に各大将クラス間でも意見が真っ二つに分かれたのか理解できなかった次第です。統帥権干犯を持ち出し一部の将校は時の要人殺害を企て失敗し自害する。現代に生きる私には全く尋常ではない姿を見ます。しかし、そこにもヒントを見つけました。それは「満州事変は割り箸から始まった」にありました。当時の陸軍は相当根強い焦燥感にとらわれていた。第一次大戦後形成された総力戦という観念。しかもその圏外にあった陸軍は武器の数は勿論、概念すら英、独に大変遅れをとっており一種強迫観念にも似た切迫感を感じていた。これをそのまま海軍に当てはめれば何故上のような事態に陥ったか理解できました。しかし国防を外交と同意義と重んぜず、当時の焦りを強気と見せ、事件を画策して国民を煽動したと言うより、それをし得たことに大変驚きを感じます。単に「井の中の蛙」と言ってしまえばそれまでですが、軍拡に反対していた国民の意識がどのように変化していったのか興味がつきません。



これは alkanhel さんの 922 に対する返信です


2003/ 2/ 2 9:18
メッセージ: 990 / 2205

投稿者: yuki070507
>ユキさんはシナ事変が直接の原因とおっしゃるから問題だといっているのです。

 私の投稿を読まれましたか?
 オウム返しになるので、再度掲載します。
(以下再掲)
 太平洋戦争の直接の原因は、対日禁輸です。
 それを受けるまでは、日本陸軍とて、まさか正面きってアメリカと戦おうななどという愚かな人間は、少なくとも上層部にはいなかったと思います。

 私が日華事変(=支那事変:支那が漢字変換しにくいので日華事変を使っています)まで遡るのは、どうすれば太平洋戦争を避けえたか?という観点です。
 対日禁輸の直接原因は日本の南部仏印進駐です。
 しかし、あの時点まで進んだ段階で、日米双方のいずれもが避け得たでしょうか?

 南京攻略に続く、重慶爆撃、中国奥地への侵攻によって、米国ルーズベルトの対日感情はすでに極度に悪化していました。
 日中戦争を武力解決に求める以上、援蒋ルートの遮断のため北部仏印へと軍を進めることは、必然の結末であり、日中戦争と仏印進駐を切り離すことは無理だと思います。

 仮に、日本側が、奇跡の国論統一により、仏印・支那撤退ができる状況になったとしても、米国の意向が問題です。
 もはや、その時点では、米国はヨーロッパ参戦の為に日本を利用する決意を固めていた可能性があります。

 ですから、私は、ほぼ100%の確信を持って言える転換点としては、日華事変に始まる日中戦争の早期終結がポイントだったと考えています。
(再掲終わり)

 以上です。
 もう一度整理すると、私は直接原因を言っているのではなく、歴史にもしもがあれば、どこまで遡れば、太平洋戦争などしなくて済んだかという考え方です。

 原因を挙げるなら、ウエイトの差こそあれ、山ほどあります。
 最後の決定的な原因はハル・ノート(11月26日)でしょう。



これは marujee さんの 987 に対する返信です

>s1
2003/ 2/ 2 18:55
メッセージ: 991 / 2205

投稿者: s1_9150242
alkanhelさんレス遅くなりました

今ドイツの戦いの本読んでいるんですが1次大戦後ベルサイユ条約などでほんとうに各国から痛められている とくに賠償額は天文学的数字とか 読んでいると独裁者が出現する土壌があったなーと

ヒトラーは女性を味方にするには結婚しないことと(最後の最後に結婚したんですね)そんなことまで計算しているとは驚きです 日本では結婚していないと一人前と見てくれないところが・・

>ついでにいうと 最近ホロコーストの犠牲者の資産【遺産】を巡って スイス銀行
ヒト悶着おきております

と言う事はまだまだ戦後を引きずっているんですね いろいろありがとう!

すごい議論!見てますよ>みなさま



これは alkanhel さんの 986 に対する返信です

>>>歴史 ハクション!
2003/ 2/ 2 19:03
メッセージ: 992 / 2205

投稿者: s1_9150242
jnfi67さんよかったですね かぜは1度ひくとしばらくは大丈夫です(^^)


>では、これからもずーっと、このトピで皆様のご意見楽しみに拝見しつづけていきます< 同感!・・・そして投稿しましょう しかしみなさんすごいの一言ですね

まずは自分が勉強しないと質問もできませんから 充電中です(笑い



これは jnfi67 さんの 985 に対する返信です

>インドネシアでの日本の搾取と・・
2003/ 2/ 2 19:26
メッセージ: 993 / 2205

投稿者: s1_9150242
ttt826000さん>ここしばらくレス遅れですみません 今ご紹介のURL見ています 自分が旅行している気分になれます またいろんな所へも行けるいいページですね ありがとうございました

>泰緬鉄道では、連合軍捕虜だけでなく
ジャワ島から、連れてこられた
労務者も、多くいたそうです

・・・なんかだまして連れてきたみたいなことも書いてありましたね 木に吊るされたのが忘れられないとか

日本人に限らずと思いますが集団になると人は何でもできるみたいです その豹変ぶりを見聞きすると 集団の中では私もそうなるのかなーと心配になります
「赤信号ミンナデ渡れば恐くない」みたいな・・



これは ttt826000 さんの 979 に対する返信です

インドネシアなどの占領地行政の評価
2003/ 2/ 2 19:58
メッセージ: 994 / 2205

投稿者: hn2602
現地の人々の日本の占領地行政の評価については、植民地宗主国の植民地行政の他、当該地の民族・宗教グループや歴史にも大きく影響されると思われます。例えばインドネシアの場合はオランダの占領前に国家形成を行っていたジャワ島(イスラム教のスルタンの統治)、ヒンズー教徒の多いバリ島、キリスト教化したマルク諸島、第1次大戦後に併合されたスマトラ島、インドネシア語派と全く異なる言語・人種の西パプアなどや華僑などで日本軍の支配の実態もその受容や評価は当然異なります。自身の都合の良い証言・証拠をつまみぐいすることなく、総合的に判断すべきですが、極めて困難で結局どうしても主観が入ってしまうようです。



これは s1_9150242 さんの 993 に対する返信です

占領地行政
2003/ 2/ 2 21:58
メッセージ: 995 / 2205

投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい))
これについては、現地の人間がどうかんがえていたのかが評価の分かれ目になると考えるのですが。「日本軍が来てから、あれはよくなったけど、これとこれは困った」みたいな証言がでてこないと、判断は難しいのではないでしょうか。多くの方が指摘されたように、時期、現地責任者、その地の文化などなど多くの要因で証言も違ってくることでしょうし。

よくいわれる「植民地支配からの解放」は、いわゆるセカンド・ゲス、結果論にすぎないのではとも考えています。そういう道筋をつけたことには意義を認めるにしても、そんな自慢するほどのことだったのか、と。
以前にも投稿しましたが、一般の兵士の意識としては(ある意味では大本営でもそうだったかもしれませんが)現地に「無知」なだけだった感じがしてなりません。現在のように、情報が多く得られる時代でさえ、文化的な摩擦なしで大勢の日本人がどこかの国や地域に進出することなど、至難のことでしょう。ましてあの時代なら・・。

それに、占領された側から見れば、「大東亜共栄圏などと難しいことを言う前に、戦闘で壊された家や用水や畑をなんとかしてくれ。軍票という紙切れ一枚でなんでももっていかれるのは困る。」といった思いがあったのではないでしょうか。日本軍にはなんとかしてやる気持ちはあっても、そんな余裕はなかったのに、と考えると、これもどうしようもなかったのかな・・・。


ここのところ多忙で、ロムもできない感じになってます。思うように書けませんが、なんとかついていきたいので、よろしくお願いします、皆様。



これは hn2602 さんの 994 に対する返信です

このトピに参加された皆様・・・
2003/ 2/ 2 23:35
メッセージ: 996 / 2205

投稿者: crub4o
トピ主様がトピを立てられた日が、
昨年11月11日。

初めてレスがあったのは11月20日。
poirot21thさんの「私の意見1」です。

それから実質70日で、何と1000レス
を迎えようとしています。
しかも、だんだん中身濃くなってるし(¨;)

軍カテでもいつも上がってるトピありますけど、その中身の半分は誹謗中傷といって差し支えないと思います。
このトピはそれが殆ど無い!!!
これは特筆すべき出来事です。(と思う)

これもトピ主様の人柄が成せる技と思うのですが、皆様いかがですか?
いや、同県人のよしみではないです(^^ゞ

1000レス超えたら、
トピ主様を祝福しませんか? 



これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>アメリカと国連
2003/ 2/ 2 23:59
メッセージ: 997 / 2205

投稿者: o_sole_mio00
>正義とは、突き詰めて考えれば、人の数だけ存在するのではないでしょうか?

普遍的な「正義」は存在しないという意味であれば、その通りだと思います。

>要するに、世間・世論の支持を得る手段として、自己の確信に基づく正義を
>主張し、自己の行為を正当化しようとするものに他なりません。

要するに「正義」も所詮プロパガンダの道具の一つということですね。私もその通りだと思います。

>世論の動向は、昔も今も、成功のカギを握るということでしょう。

例えば、国際世論の動向はアメリカのイラク政策の成否のカギを握ることになるということですね。

>日本の歴史が、天皇の軍隊である日本軍には、世論工作に不得手な伝統として
>受け継がれたのかも知れません。

これは対外的な世論工作、例えば、満州国成立後の国際連盟での承認工作とか、今議論になっております東南アジアでの占領化での宣撫政策ということを指しておられるでしょうか。
こと対国際世論工作に関しては日本の外交の貧弱さが示す通り、天皇の軍隊に限らず、日本人の特徴が短所として顕れている例ではないかと思います。


>国連が機能するなら、国連軍を創設し、世界の治安維持に当てるのが理想です。
>しかし、国連の安全保障理事会は、拒否権と言う決定的な欠陥があります。

湾岸戦争では国連はかなり機能していました。また、冷戦時、最も米ソ全面戦争の危険の高かったキューバ危機の時には国連の場が米ソ交渉の場として重要な役割を果たしました(最終的な交渉は密かにボビーケネディーがソ連大使館へ乗り込んで行ったそうですが)。
今回の場合、国連が機能しなくなるのは、アメリカが国連を無視した行動をとった場合であり、これも国際世論を無視した行動となります。
確かに安全保障理事会の常任理事国制度は私も廃止すべきと思います。

>一刻を争う大事なときに、機能しない可能性は十分あります。

「一刻を争う大事なとき」という定義が難しいですが、その場合は当事国が考えるしかないでしょう。まさか、そういったときも「アメリカに判断を仰げ」と仰っているのではないと思いますので。だから、ノドンが飛んできたり、朝鮮半島から武装難民が日本海沿岸へ大挙して押し寄せたりした場合、日本はどう対処するかについて主体的に判断すべきだと思います。もっとも日本の場合は日米安保条約がありますから、アメリカに相談すべきなのかもしれませんが。

>NATOなどの集団的自衛措置を拡大して対処するか、アメリカのリーダーシップの下、多国籍軍を組織して対処するかの方法しかありません。

具体的な軍事作戦については、おそらく最大の軍を率いるアメリカのリーダーシップに委ねざるを得ないと思いますが、その行使については、国連の判断が必要だと思います。

>目の前の流血を避けるために、侵略を見逃したり、核・生物化学兵器の開発
>を許すという厭戦行為は、将来大きな流血につながる恐れ大です。

イラクを攻撃することによって、核・生物化学兵器の開発を阻止し、イラクに親米政権ができ、テロは発生しなくなる、というシナリオが現実のものになれば、意味があると思います。しかしイラクをやみくもに攻撃してもテロ行為は後を絶たない、イラクに親米政権はできない、できたとしても非常に不安定である、核は分かりませんが生物化学兵器は、密かに製造される、といった可能性が高いでしょう。武力でそういったことは阻止できませんし、逆に憎悪の連鎖を増幅させるだけです。むしろ中東全土に民衆レベルでの反米感情(この地域の民衆レベルでは現状にあってもアメリカは純然たる「悪」です)が高まり、サウジアラビア、ヨルダンといった親米の王族国家がむしろ不安定となることが懸念されます。

すでに多くの血が中東で流され、憎しみの連鎖が泥沼化しています。これだけ、大量の血が流されているのだから、将来に多い少ないは関係ないかもしれませんが、今までのやり方をどちらかが変えなければ、何をやってもこれからももっと多くの血が流れるでしょう。そして流血は世界中に飛び火するでしょう。

>そうやってナチスの小さな侵略を許したことが、WW2の惨禍を生みました。

それはアメリカのプロパガンダです。上の論法から言えば確信犯的にそのプロパガンダにお乗りになっているようですが。私は、サダムフセインをヒトラーになぞらえることにより、不安を煽る手法には賛成できません。

ほとんどトピズレになってしまいました。
失礼しました。



これは yuki070507 さんの 983 に対する返信です

厳しいですねぇ、o_sole_mio00さん
2003/ 2/ 3 0:18
メッセージ: 998 / 2205

投稿者: crub4o
本レスを拝見して、

o_sole_mio00さんの本質というか、

真骨頂を垣間見たような気がします。

そこで、yukiさん。

ひとつお伝えしたいことがあるんですけど

捨てメイルアドレスお持ちじゃないですか?

興味深い事をお伝えできると思います。
ご連絡お待ち申し上げております。



これは o_sole_mio00 さんの 997 に対する返信です

>めっそうもありません、crub4oさん
2003/ 2/ 3 0:43
メッセージ: 999 / 2205

投稿者: o_sole_mio00
いえいえ、yuki070507さんなら、異論のあるところは、きっちりと反論されると思います。

>o_sole_mio00さんの本質というか、

>真骨頂を垣間見たような気がします。

これは誉め言葉として、ありがたく頂戴致します。

ところで、この書き込みが999になると思いますので、次の方が、栄えある1000番目の書き込みです。



これは crub4o さんの 998 に対する返信です

ありがとうございます
2003/ 2/ 3 0:56
メッセージ: 1000 / 2205

投稿者: s1_9150242
おお!みなさまのご議論すごい!の一言 すばらしいです

私もまた★覚悟で 今の議論内容から遠く離れているかと思いますがご容赦 まず「・・・日本はほんとうに悪かったんでしょうか」・・こう言った質問は今となっては 恥ずかしいかぎりです 只あの時点で「靖国参拝」が問題になっており 事あるごとに非難される他の国を見聞きし・・・何でそんなに干渉してくるんだろーと単純に思ったからです 1国の国民を代表する総理が他の国の顔色を伺いながらの参拝は異常な事だと思いました

さて「我が国」とか「日本」とかいう観念はいったいいつからあるんでしょうか 徳川300年時代雄藩はあれども「日本」という概念はなかったのではありませんか 中世のヨーロッパそのままであったと・・・しかし黒田武士(節?)の中では「・・・日ノ本一のこのやりを」もありますし 戦国屏風には日の丸の扇子や旗指物が描かれているようなので 自信はありません

「蒸気船たった4杯で夜も眠れず」のとーり ぺりーによる黒船来航以来「国」という形がどうしても必要になった しかも始めて脅しとも言える外交を受けた とーじの幕府のあわてぶりは想像に難くありません 歴史上ここが1大転機であることは 納得されると思います これ以来 先人の努力により兎にも角にも「国家」ができた訳です

時あたかも「アヘン戦争」により それまで大国であると信じていた中国の惨憺たるを見 こころある「日本指導者」が「富国強兵」を突き進んだのは理の当然であり よくぞ植民地化されることを防がれたと感嘆いたします その時点時点で日本は知恵を振り絞り300年の遅れを取り戻し その急激さから無理を重ねてきた「だろう」と想像します

ありがとうみなさん




追記
2205という膨大な投稿数となりましたが かってながら保存は1000までといたしました。最初の頃の初々しさがたまらなく好きです。
2003 4/29 s1_9150242

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