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>こちらこそ恐縮です
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/27 22:02
メッセージ: 901 / 1899

mm8c2600様

>丁重にお返事頂き感激しています。

こちらこそ、そういって頂けると光栄です。

戦前の日本には、陸海軍、内閣、議会、財界、マスコミ、世論とそれぞれの意図があり、また同じ組織内部でも意見の対立があり、そういった内外の対立と抗争を繰り広げながら、激動の時代に翻弄された結果が昭和という時代なのかな、と思っています。善悪二元論ではとても語れない複雑な状況だったと思います。

>国際条例や条令派に反目して軍拡を押し通した側の理由や仮想敵国を本当に
>敵国にまわしてしまった理由も是非知りたいと思っています。そこで、質問
>続けで大変恐縮ですが、もし当時の状況を知る上で参考になるような本など
>がありましたら是非紹介して頂けないでしょうか。

ご質問の件ですが、こと海軍に関しましては、半藤一利さんの「日本海軍の興亡―戦いに生きた男たちのドラマ」(PHP文庫)がコンパクトにその辺りの事情(条約派のワシントン条約の締結への奮闘とその後の艦隊派の台頭)が記述されていると思いますので参考になるのではないかと思います。

これは mm8c2600 さんの 898 に対する返信です

>>車あれこれ
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/27 23:52
メッセージ: 902 / 1899

honkytonk様、こんばんは

海外の車の話ありがとうございます。こちらこそ興味深く拝見しました。

私も向こうでアメリカの車に乗ったのですが、GMのオールドモービルに乗っていました。ハンドルの違いはあるのですが、日本のアコードぐらいの感覚で乗れました。アメ車といえば、デカイ車というイメージですが、1990年代に入るとアメ車は小さくなり、日本車が大きくなって、大衆車はサイズ的な差はなかったのを記憶しています。

車といえば、ちょっとしたトラブルを経験しました(今となっては笑い話ですが)。少々長くなるうえにトピずれですので興味のある方は、お付き合い下さい。

アメリカの交差点は結構「右折可(日本でいうところの左折可)」が多く私の滞在したところは、郊外だったので信号もなくかつ、この右折可でした。ところがこの右折可に慣れていなかったため、たまに停止して確認することがありました。ある日その日もとある交差点で右折レーンで停止したところ、後ろから車が砂煙を上げながら突っ込んできて「ドーン!」。来る!というのが寸前に判っていたのでむち打ち症は免れました。

こういうときは怒鳴ったもん勝ちというのが頭にあって車から飛び降り「Hey, what are you doing!」といったのはよいものの、中からでてきたのはスタンハンセン見たいなオッサンで、どうしようと思ったのですが、心配そうに「大丈夫か?」と言ってくれた(撃たれなくてよかった)ので、「大丈夫だけどレンタカーだから、そちらの保証がどうかわからない」といって、とりあえず車を横に寄せようと戻ってみたらオートロックが働いていてドアが開きませんでした(アメリカの車は防犯上の見地からエンジンがかかっている状態でドアを閉めると自動的にロックがかかるそうです)。事情を件のオッサンに話すと「俺に任せろ」と車に乗り込みどこかへ行きました。ふと見ると交差点には車の列、私が乗っていた車が車線をふさいでいたのです。

仕方がないのでオッサンが帰ってくるまでは、と交通整理を始めました。ところが待てど暮らせどおっさんは帰ってこず、20分くらい経過したところ、パトカーと救急車と消防自動車(以上サイレンをならしながら)と鍵屋(アメリカでなんというのだろう)がやってきました。鍵屋に車を空けてもらい(お代不要、オッサンが払ってくれた?)、警察から簡単な事情聴取を受け、無事開放されました。お巡りさんに「私に違反はありませんか?」と聞くと「あなたに違反はありません」と言われてほっとしました。他の人たちもいい迷惑なのですが、にこやかに対応してくれ、皆と握手をして別れました(があのオッサンは結局帰ってきませんでした)。

我に返って車のリアの部分を見ているとバンパーが少々ずれているが他には損傷はなく、念のため、レンタカー屋にもっていき見てもらったところ「No problem」、言ってもらった上、車を取り替えてくれました。

非常に長くなりましたが、私にとってはサバイバルイングリッシュとクライシスコントロールの訓練(反省点:あのオッサンのライセンスプレートの番号を控えなかった)とアメリカ人のおおらかさを知る機会となりました。

これは honkytonk_2002_x さんの 894 に対する返信です

「バンザイ突撃にむかう考え方」
投稿者: crub4o 2003/ 1/28 0:07
メッセージ: 903 / 1899

日本人と欧米人の死生観・・
それが違いませんか?

「静かなノモンハン」に次のような描写があります。

悪戦苦闘の末に稜線にとりついた我々は、向こう側にソ連兵を発見した。
撃破された戦車から降り、白い布きれを振り、手を挙げて投降してくる。 我々はそれを次々に狙撃して倒した。
泣き声と悲鳴はじき止んだ。 
捕虜にしても、それを養う余力はなかったのだ。

この文章自体も、戦争の酷薄無惨さを示してあまりありませんが、それよりも・・
敗軍の味方に冷酷だった当時の赤軍では、狙撃兵が木に鎖で繋がれ、戦車兵の一部は座席に縛り付けられていたと言う記述があります。 
コミサールの残酷な支配下で呻吟していたソ連兵も、一敗地にまみれた後は、集団で個人で助命を請うて日本軍に投降してきたと言う事実が重いと考えるのです。

政治的制度的締め付けが外れた時、彼等は「生きたい」と思い投降する。
しかし、日本兵の行動は時として「死にたい」としかとれないときがあります。

欧米人の「生きたい」という行動の真因には、生と死の間に厳しい断絶が存在する死生観があるのではないかと思います。
それが生に執着する一つの動因ではないかと。
そして日本人には、生と死の間がずるずるべったりと繋がっていて、それがngc3521さんの仰る「いつの間にか死を美化する」に繋がっていったのではないかと考えます。

まあ、これは
「肉食の思想」鯖田豊之著の一部受け売りなんですけど・・

この本の中に、
「死んだ気になって頑張る」と言う日本語は、欧米では「生ける屍」という風に解釈されると書いてありました。


ところで、超亀レスですが、

トピ主様、私は何とか無事でした(^

これは ngc3521 さんの 899 に対する返信です

前掲書の中で
投稿者: crub4o 2003/ 1/28 0:22
メッセージ: 904 / 1899

従軍牧師の存在が言及されていました。

彼等は兵隊の悩みを聞いてあげたり、慰めたりと言う役目も持っていたが、その最も重大な任務は死に臨んだ兵士達に、例えばカトリックなら「終油の秘蹟」を施し、人間として死に臨める様にしてやることだと書いてありました。
キリスト教的世界観では、生と死の間に非常な断絶があるので、それを和らげるクッションの様な儀式らしいです。
→詳しくはオーソレミオさんということで(^^ゞ
飛行隊の場合は、任務開始直前に、その秘蹟を予め済ませ、安心して「人間として死ねる」ようにしておくとのことです(¨;)

おぉ、そう言えば・・
「メンフィス・ベル」で、牧師が出撃前の機体の側で、乗員を集めて何やら怪しげな儀式やっていたではありませんか!

こうまでして、「人間として死ぬ」事に執着するとすれば、或いは国家がそれを公式に承認し奨励しているとすれば、その前に「何が何でも生きるんだ」と言う事が優先事項であることは或る意味当然ではと思われてきます。

こんな儀式、日本人にはないでしょうね?

これは crub4o さんの 903 に対する返信です

超亀レス・新語?
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/28 1:38
メッセージ: 905 / 1899

クラブさんwrote
>ところで、超亀レスですが、
>私は何とか無事でした(^  ←半分?ですか

よかったですね ホッとしました このトビでお話はどこへ飛んでいくか見当もつきませんが 今 「死生感」 宗教・哲学とも言える領域まで広がっていきます この年になってくると?(まだ若いんですよ)人の死がほんとうにめずらしくもなく日常茶飯事に・・で思うことは その方が持って生まれた使命のようなものを果たされた時が最後を迎える時かと そう言うお坊さんみたいな事を言うと 必ず帰ってくるのが 「広島・長崎のあの一瞬」 なんです どんな徳を積んでいた人も どんな凶悪なことをした人も・・「あの一瞬」で蒸発した この前には 一人一人がいくら善行を積もうとも 非情と言える答えが待っている訳です 人の生死を握っているものはいったい誰(なに)?なんでしょうか 人が人らしく生きることを許さない・・「戦争」を憎みます
 
人にとって第1番に大事な事は「生きること」 その次には「生き方を教える教育」であると思いますがみなさんはどう思われますか お暇なときにまたレスしてください 超亀レス(^^)でいいですよー

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

日露戦争
投稿者: EzoWolf 2003/ 1/28 12:14
メッセージ: 906 / 1899

>日露戦争自体は、日本から見れば日本の安全保障上の理由から戦われた戦争ですが、世界史の上から見れば、やはり「アジアの開放の第一歩」であったと言わざるを得ません。

かなり事実と違う認識。日本の安全保障ではなく、朝鮮半島をどちらが取るかという争い。
その結果として朝鮮半島は「開放」されるどころか併合されてしまう。

これは honkytonk_2002_x さんの 893 に対する返信です


死生観・・・
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/28 12:27
メッセージ: 907 / 1899

私のつたない考え方について、皆様それぞれのご意見をいただき、ありがたく思っております。


なかなか考えがまとまりにくいのですが、クラブさんのレスがあるヒントになるか、と思いました。日本人のものの考え方に、「美に対する信仰」のようなものが根強く存在するのではないでしょうか。「是・非」や、「善・悪」をさえ、大きく超えていく「美」・・・。その前では人の命さえも小さなものになってしまうくらいの。

かつて読んだことのある三島由紀夫の「午後の曳航」では、少年たちが極めて主観的、観念的な「美」の世界を作り上げ、まったく関係のない一人の男を「美」ではないという理由だけで殺します。この世界と、特攻隊員の「悠久の大義に生き、死を観ること帰するがごとく」の世界とに共通するものがあるように感じるのは、私だけでしょうか。大義も美も永遠である、その前では人間の生命などなんでもない、といった・・・。

これは s1_9150242 さんの 905 に対する返信です

西欧との考え方の違い
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/28 13:02
メッセージ: 908 / 1899

「戦場にかける橋」の著者キンビグ少佐は断言しています

「泰緬鉄道の必要性を感じ これを建設することのできた人種は いかなる西欧人種ともまったく質の異なった人種である」

「その当時 西欧人で 日本の戦略について あるいは日本軍人の名誉観念について理解している者など ひとりもいなかったのである」
・・と

そのトー時のその人達に身をおいて考えることは 戦後西欧風教育を受けてきた私達には大変難しいことであると思います しかし私達の体を流れる血が直感的に 過去の方々の考えておられたであろう事を容認していく いや解ろうとさせるのです

・・これは極論というか これこそ まさに「直感」であって 考えを積み重ねていく事を大事とする方達の忌むところとは思いますが
・・私の思いがうまく伝わるか心配です

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

日本人にとって・・
投稿者: crub4o 2003/ 1/28 13:24
メッセージ: 909 / 1899

「死」と言う概念は「美しい」に或る意味リンクしてるのかも?

前掲書「肉食の思想」には次のような事が記されています。

イタリアである時、疫病が流行した。 動物も人も次々と死んでゆく。
死んだ鶏と人間を腑分けしてみたら、心臓の同じ場所に同じような
潰瘍が発見された・・・
家畜の種付けや屠殺を通じて、人間と動物の間には本質的な差異が
無いと言う事を、否が応でも見せ付けられる。
「死ねば、人も動物と同じである」と言う実物教育の数々。
現代のシンボライズされた十字架とは相違し、時代を遡れば
磔刑にされたキリストの姿は、その死の無残さを徹底的に強調する
ようなものが圧倒的に多かったそうです。
「死」の実像が生々しい恐怖と共に実感されるヨーロッパでは、
「死」が美化される事はなかったのではないかと思います。
キリスト教における「自殺禁止」は、本来オリエントの宗教で
あったキリスト教が、ヨーロッパに土着する過程で生成してきた
のではないかとも思います。
「死んだら、動物と同じ」と言う脅迫観念が自殺禁止の教えを
生んだのではないかと前掲書では推論していました。

一方、肉食が一般化せず、動物との密着度が低かった日本では
死への嫌悪感が発達しなかったのではないかとも書かれています。
そこから「死んで身の潔白を証明する」と言う発想が生まれたの
かも知れませんね。
このような意識は、最早教育と言うレベルを超えていて、
殆ど、精神における遺伝子刷り込みに近くありませんか?
トピずれですね。 申し訳ありません。

これは dekopon346 さんの 907 に対する返信です

>死生観・・・
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/28 13:34
メッセージ: 910 / 1899

デコさん>こんにちは

きさかたの さくらはなみに うずもれて はなのうえこぐ あまのつりぶね


いい歌ですね 私はそのほうに全く疎いんですが


よのなかを なににたとへむ あさぼらけ こきゆくふねの あとの しらなみ


が好きです 太平洋を戦った方達のいい歌も今までにたくさん紹介していただきました 「日本の美」いいですね(^^)チョットのぞきみ お許しの程

これは dekopon346 さんの 907 に対する返信です

>>市丸少将の「ルーズベルトニ与フル書」
投稿者: yuki070507 2003/ 1/28 21:12
メッセージ: 911 / 1899

 honkytonk_2002_xさん、今まで軍カテなどで、ご高説を拝見しながら、あまり接点がなかったように思います。

 今回、非常に味わい深い示唆を与えてくださり、ありがとうございました。
 あの時代の軍人達の心を探るよい機会になりました。

 しかも、私の言いたかった部分をかなり代弁していただいたようで、あまり付け足すことはありませんが・・・。

 例えば、アレクサンダーやチンギス・ハーンなどの世界的な侵略戦争も、東西文明の融合による新たな文明の夜明けをもたらせたり、WW1やWW2でも近代科学の急速な発展をもたらせたりと・・・。

 決して戦争を容認する訳ではありませんが、歴史の流れで見ると、こうした悲劇も、全く無意味ではなく、何らかの意味といいますか役割があるように感じてなりません。

 大袈裟かもしれませんが、神がわざわざ人間を不完全にした目的は、この辺にヒントがあるように思います。

 ところで、戦前の軍人の考え方は、一口で結論付けるのは難しいでしょうが、私達が今の時代から推論するような薄っぺらいもの(狭量で知識が乏しいというイメージ)ではなかったのかも知れません。

 彼らの多くは、私達がわかったつもりで考えていた以上に、途方もなく純粋で、崇高だったのかも知れません。
 そう考えられる節は、確かに多くあります。
 今まで、私達はそうしたことをあまり重要視せず、単にあの時代の教育の産物だとしか考えていなかったように思います。

 しかし本当は、その考え方を基本に据えるべきなのかも知れません。
 そうすると、欧米の植民地政策と日本の台湾・朝鮮統治との違いや、満州建国とその後の支援、大東亜共栄圏などの本質が見えてくるのかも知れません。

 ただ惜しむらくは、日中戦争(日華事変)です。
 いくらソ連、中国共産党その他の陰謀があったとしても、アメリカと中国国民党の日本潰しだったとしても、日本の行為は侵略そのもの、意味のない戦争でしたね。

 またまた取りとめのないレスになってしまいました。
 せっかく書いたので投稿しますが、無視して頂いて結構です。

これは honkytonk_2002_x さんの 893 に対する返信です

戦国自衛隊☆
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/28 22:28
メッセージ: 912 / 1899

今の人を考えると 心のどこかに昔の人より進んでいると思う心が潜んでいるかも知れない 進んでいるのは生活環境や生活を便利にする道具であってその人そのものではない 何もかもごちゃまぜにして考えてはいないかと

「戦国自衛隊」という映画見ませんでしたか 戦車など現代兵器ごと戦国時代へタイムスリップしてしまうという映画でした そういった兵器はいつか燃料も切れるし そして自分を守ってくれるはずの文明の利器を無くし 過去の人達の勇敢さとか 崇高な精神とかに裸で向き合った時 未来人である私のほうが優れていると思う自信はない 文明の発展と人間性は反比例する もし そういった仮説を立てて 今のいろんな世の中の出来事を眺めて見ると結構当たっているのかなーなんて思ったりします

しかしあの映画おもしろかったなー 結局どうなったのか忘れましたが印象に残る映画でした 思いつくまま

みなさんおいでで うれしいです(^^)

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>日露戦争
投稿者: kusuo1 (999歳/男性/城) 2003/ 1/28 22:49
メッセージ: 913 / 1899

>かなり事実と違う認識。日本の安全保障ではなく、朝鮮半島をどちらが取るかという争い。
その結果として朝鮮半島は「開放」されるどころか併合されてしまう。

日露戦争の結果、朝鮮半島は李氏朝鮮の悪政から「開放」されたのです。

これは EzoWolf さんの 906 に対する返信です

>>死生観
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/28 23:08
メッセージ: 914 / 1899

>キリスト教的世界観では、生と死の間に非常な断絶があるので、それを和らげる
>クッションの様な儀式らしいです。
>→詳しくはオーソレミオさんということで(^^ゞ

私も死生観とか宗教観といった高尚な話題に気の利いたことは書けませんが・・・・。とはいえcrub4oさんのご指名とあれば、元来出たがりでもありますし、コメントさせて頂きます。

私は宗教の存在意義の一つとして「死を迎えるとき心の平静をもたらしめる」ことがあるのではないかと思います。例えば宗教の多くが死後の世界を示しています。仏教は極楽浄土、キリスト教は天国というふうに、死後の世界は幸福でなにも恐れることはないということを教えています。ただし、極楽浄土や天国へ行くには、個々の宗教観に基づく「善行」なり「功徳」を積む必要があり、逆にそこから外れる場合は、地獄が待っているわけです。キリスト教と仏教といった東西の宗教でここのところがほぼ一致するのは、偶然の一致でも示し合わせたわけでもなく、宗教が死生観を扱う帰結としての自然の成り行きだったのかもしれません。もちろん、世界中にありとあらゆる宗教がありますから、このコンセプトからはずれる宗教だって当然あります。仏教の一派でも「悪人でも成仏できる」というのがあります。

私は無宗教(一応仏教ですが)の上、生命科学に関連した分野を専攻していた関係で宗教に基づくような死生観は持っていません。ただ、「老いる」というのは穏やかに死を迎えるという事に関して、非常に優れたメカニズムだと思います。体力が徐々に衰え、感覚も鈍くなり、眠るように大往生というのが、理想的な死に方ですが(私の祖父は実践しました)。

ということでまとまりがない上、トピずれで失礼しました。

これは crub4o さんの 904 に対する返信です

「惜しむらくは」・・・ですか?
投稿者: crub4o 2003/ 1/28 23:21
メッセージ: 915 / 1899

>ただ惜しむらくは、日中戦争(日華事変)です。

yuki070507さん、
以前から思っていたのですが、
この文章を拝見すると、日中戦争を日本の瑕瑾とお考えになっておられるのですか?
無礼を承知で申し上げれば、それは違うと思いますよ。

yuki070507さんが恐らく肯定的に
例示された事柄又は概念

>欧米の植民地政策と日本の台湾・朝鮮統治との違いや
>満州建国とその後の支援
>大東亜共栄圏などの本質

これらが「施される側」の意識を抜きにして、
また良好にその過程が進捗したと好意的に解釈したとしても、

(実際は満州事変に始まる)日本の中国侵略は、
それらの概念や好意的解釈を粉微塵に粉砕してしまったと私は思います。
日中戦争こそ、道を踏み外した過去の日本の本質だと私は考えます。

「瑕瑾」でも「惜しむらく」でもない、
中国侵略が過去の日本の本質だったればこそ、
隠しようのない邪な欲望を見破られて、
yuki070507さんの言われる「陰謀」や「潰し」にまんまと載せられてしまったのです。
私はこの点に関してはそう確信しています。

ただ、私は誤りは誰にでも、どの国にもあると考えます。
問題は、その本質を自覚せず、長期的国益と友好善隣を理解せず、
誤った方向を是正できなかった事にあると思っています。

これは yuki070507 さんの 911 に対する返信です

>東南アジアでの日本軍統治
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/28 23:49
メッセージ: 916 / 1899

横レスですが。

>大東亜戦争ニ依リ所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ所在各民族ハ我ガ
>善政ヲ謳歌シ

日本の当時の東アジアの統治が現実問題善政であったか搾取であったかは議論の分かれるところではあります。以前にインドネシアについてはMsg259、Msg264、Msg265触れましたが、当時の東南アジア地区については、南方占領地行政実施要領や大東亜政略指導大綱に基づいて統治されていました。ところが同じ要領・大綱に基づいて統治されたインドネシアでは比較的日本の統治が評価されている(ロームシャと呼ばれる過酷な労働があったものの)のに対して、フィリピンでは、治安の維持にてこずり、活発化する抗日ゲリラに手を焼いていたといわれています。
この2カ国の統治状況が対照的なのは2つの要因があるように思われます。
(1)日本が統治する前に支配していたのがインドネシアの場合オランダの植民地として搾取されていたのに対し、フィリピンはアメリカの主権下にあったが自治がかなり認められていた。
(2)インドネシアの統治を担当した今村均中将が現地の住民と共存共栄の方針で当たったこと。ただし、今村中将のインドネシア統治については軍部からも批判があり、今村中将の方針は、当時の日本の東南アジアにおける統治方針ではなかった。

以上より日本の東南アジア統治についても統治した地域、時期により、善政と搾取が入り混じっていたと思われますし、東南アジアの各国は緩衝国のタイを除き、列強の支配化にあった当時の状況を考慮すると善政だから「善」、搾取だから「悪」とも一概に言えるものでもないと思います。

これは latter_autumn さんの 897 に対する返信です

>「惜しむらくは」・・・
投稿者: yuki070507 2003/ 1/29 0:36
メッセージ: 917 / 1899

 あの投稿は、市丸少将の最後の書を読んだ時に感じた私の気持ちを書いたものです。

 私があの書から感じたありのままを上手に表現できればよいのですが、うまく表現できません。
 だから、必ず反論を受けると思い、一旦は投稿を思いとどまったのですが、やはり見逃してはくれませんね。

 私は、客観的、あるいは戦後の一般的な歴史認識を言っているのではありません。

 我々戦後に生まれ、戦後の教育を受け、考え方や見るもののほとんどが、戦後のフィルターを通してあの時代を見ているわけですね?

 でも、あの時代を本当に理解するには、当時の人々の当時の(当時の人でも戦後書かれたものでない)考えをもっと知らなければ、真実は見えないのではないか?ということです。

 その考えに立って、当時の人々の生の声を振り返ると、確かに今とは違う考え方に立っていると感じたことは数多くあるでしょう?

 我々は、今まで、そうした行為・考え方を愚かであるとか、狭量であるといった一方的な決め付けで一顧だにしませんでした。

 しかし、歴史の最後尾に位置する我々が、今だから手にする豊富な情報と最新の民主的な考え方をもって、これら先人達を断罪することが果たして適切なのでしょうか?
 いや、もっと推し進めて、我々は本当に正しいのでしょうか?

 人間社会には、その時代時代の考え方や規範があり、例えば、信長の時代に、今の民主的な考え方や法治的考え方を当てはめて、愚かだと指弾することに何の意味があるでしょうか?

 戦前の日本は、我々の父祖の時代であり、そう遠くないことから、我々は今の規範を持って当てはめようとしますが、実際には、戦前と戦後で、社会の仕組みも規範・価値観も劇的に変化しました。

>中国侵略が過去の日本の本質だったればこそ、隠しようのない邪な欲望を見破られて、yuki070507さんの言われる「陰謀」や「潰し」にまんまと載せられてしまったのです。

 果たして、そういい切れるでしょうか?
 私の言ってることなど、いろんな人が言っていますが、真剣に考えたことがありましか?
 そして、本当に彼らの考えや行動を理解していると言えますか?

 私の場合、歴史ファンですし、常に歴史に学ぶ気持ちを持って接してきたつもりです。
 ただ、その理解は、原因と結果が中心であって、大雑把に言えば、マクロの本質を理解すればよしと思っていたところがあります。

 しかし、もっとミクロたる個人の考えにスポットをあてた上で、当時の日本や世界の行動を推し量る必要があることを感じます。
 当時の人々を後世の我々が十分な理解なしで断罪するのは、少し控えたいと思います。(もちろん一部には言っていい人、また言わなきゃならん人もいますが)

 最後に、日本の対外進出云々についてですが、それらは全て前提がついているでしょう?
 「・・・かも知れません」とね。
 そういう考えに立脚した場合は、そういう・・・と言えるのかもしれません。という意味ですよ。
 わかりにくいね。表現力不足です。

これは crub4o さんの 915 に対する返信です

感慨深いですなあ
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/29 1:42
メッセージ: 918 / 1899

まず、私がリンクを貼った「ルーズベルトニ与フル書」により、何人かの方々から貴重なご意見を頂き、感慨深いです。お礼を申し上げます。
同意出来る、出来ないは別としてお礼を言えば、「八方美人」となりますかな…?

依然として、私の考え方は、↓の投稿の通りであると、この場にて申し上げておきます。(誤解を招きたくないので申し上げておけば、自国を「弁護するだけの人」も、「断罪するだけの人」も、私は「おや?」と思わざるを得ません。外国人の中にも日本を誉めるだけの人、貶すだけの人がいますが、どちらも「ウーン?」とならざるを得ません。)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=bc0jbfmnc0oaha 4ka4da4a4a4f65a4a8a4fa1a6a1a6a1a6&sid=1835208&mid=896

これは yuki070507 さんの 911 に対する返信です

村川大尉(第二御楯隊指揮官)遺詠
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/29 3:07
メッセージ: 919 / 1899

閑話休題☆

第二御楯隊指揮官村川大尉は第601海軍航空隊(元の母艦航空隊)の艦爆隊長でした。
同航空隊の先任隊長は、艦攻隊の肥田真幸大尉(海兵67期。ご存命)でしたが、特攻の場合あくまで艦爆が主力であり、機数も艦攻より多いという事から、司令杉山利一中佐の決定により、村川大尉が指揮官になりました。(同隊の戦闘機隊長は海兵70期の香取穎男大尉[ご存命]。)

資料: 肥田真幸著「青春 天山雷撃隊」(光人社NF文庫)

http://www.tokkotai.or.jp/murakawa_iei.htm

これは s1_9150242 さんの 889 に対する返信です

>バンザイ突撃? と少し違うのですが
投稿者: alkanhel 2003/ 1/29 3:20
メッセージ: 920 / 1899

>国外へ出た兵士しか年金?出ない・・
内地勤務でも三年間のお勤めで 恩給がつきます。
外地に行くと 一年で三年分になります。
余談ですが 独国防軍兵士には恩給がでてますが 武装親衛隊兵士は国防軍兵士と同じように戦闘に参加しましたが ヒトラーの私兵ということで 恩給がつかないそうです。

  独事情が出たところで・・
欧州でも 米軍の日系人部隊がしばしば「BANNZAI突撃」を やったそうです。ただ、「BANNZAI」という喚声は自然発生だそうです。

彼らは独軍と同じに 米国社会の日系人差別とも戦っていたのです。だから自分達の犠牲を顧みず勇戦したのです。
戦後、彼らは運良く?差別がへった。

運良くといったのは 同じころ黒人部隊は
やる気が無かったように見えたそうです。
そんな彼らをなじった 日系兵士は
戦後、南北戦争以来 米国のために戦ったても 実生活における 差別がほとんど無くならなかったためと知り いたくこうかいしたそうです。

太平洋においても 米陸軍は初めに黒人が
きて 後から白人がきた、とか
大戦初期の比島攻略戦においても 最前線は比人であり 白人はいつも後方にいた、
と言う証言もあります。

万歳突撃は はじめは はじめのころは
米軍も 戸惑ったそうですが 同じ事を繰り返す日本軍と言う認識から末期には
そろそろ「バンザイ突撃」があるぞと
体制を整えていてそうです。

東西で同時期日本人によるバンザイ突撃がおこなわれた。

バンザイ突撃は 敵軍に向かっているようで その実 祖国へむかっていたのかもしれない。

これは s1_9150242 さんの 880 に対する返信です

>前掲書の中で
投稿者: alkanhel 2003/ 1/29 3:32
メッセージ: 921 / 1899

>こんな儀式、日本人にはないでしょうね

 水杯というのがあります。
だいぶと違いますが 死を覚悟しての
死地へ向かう前の 儀式というところで
にてるかな?

ついでですが 日本軍には従軍「僧」が 極わずかですが いたそうです。

これは crub4o さんの 904 に対する返信です

軍縮条約7割と6割
投稿者: alkanhel 2003/ 1/29 4:31
メッセージ: 922 / 1899

>英米が7割で妥協・・
日本の外交暗号はつつぬけであったので
日本が 最終的に6割を呑むということを
承知していたので 英米はねばったのです。
同性能の戦艦【大砲でも戦車でもよい】
が 双方十隻ずつあったとすると ひきわけのようになります。これが10対7と10対6では 結果が大きく変わってきます
以下の方程式により
(A二乗)−(B二乗)=C二乗
C=Aの残存兵力

A=米 B=日であります。
100−49=51、・・・@
100−36=64・・・A
@=7、A=8です。
ここで全滅についいぇ
戦力の三割を失った時 部隊としての 戦闘能力を失うとされております。

つまり一個師団が戦力の三割を失った時点で師団としての
能力をうしない 旅団,か連隊くらいになり その師団は消滅=全滅あつかいになります。
艦隊決戦をした場合
@の場合敵の三割をけしたので大打撃を
あたえたことになり 日本に勝っても
第三国にやられる恐れがあるわけです。

Aであれば二割しかやってないので 艦隊は健在といことになり 不安は無い。

当時も日本は米国とやっても勝ち目は無い
事をしっていたので せめて一矢報いる
ために 最低7割といったのです。

交渉決裂した場合、無制限建艦競争となり
米国の屑鉄輸入して一部の武器を作ってた貧乏日本は たちどころに破産してしまうので 6割案をのんだのです。

ならば 一割でも、と思う人がいるかもしれませんが そんなことすれば米英が悪者のなるので そこまでむちゃはいいません

ちなみにこのゲームにのったのがソ連です
冷戦に敗れましたね・・

また軍縮の目的は 戦争で武器を消費するのも 軍縮で武器を破壊するのも武器の量を 減らすという事でおなじです。
そして 時期がくれば 戦争に備えるという目的で武器を調達します。
ナチスに資金援助したのが米国資本【直接ではなく独資本を通じて】や 軍需産業だったりするのは 偶然ではないでしょう。
ちなみに独軍の爆薬の90%以上を供給したIGファルベンや 独のベアリングの95%を供給したスエーデンの会社は米国資本。また米軍はなぜか 在独米資本系工場の空襲はひかえたそうです。
火薬工場やれば 継戦能力がおちて 早く戦争が終わります。軍需産業は儲かりませんね。ついでに外国に武器援助することで
もっと儲かりますね。
企業にとってみれば 金さえ払えば誰でもよい。ソ連に売るより【うれば値切られたであろうし 踏み倒されたかもしれない】
その点米政府が買ってそれを援助することにしておけば 米国民が困るだけ【税金だから】軍需産業にとってみればとっても美味しい。

これは mm8c2600 さんの 890 に対する返信です

日中戦争(補足)
投稿者: yuki070507 2003/ 1/29 8:02
メッセージ: 923 / 1899

 日中戦争について、若干補足しておきます。

 私は、満州事変と日華事変は、全く性質の違うものだと捉えています。

 したがって、戦後の考え方である日中戦争(満州事変以後終戦までの15年戦争という捉え方)という表現は極力避けるようにしています。

 一見して、この両事変はよく似ているように見えますが、内容は大きく異なります。
 満州事変には、朝鮮統治と共通するものがありますが、日華事変は侵略戦争そのものです。

 満州国については、当初は世界各国の非難を浴びましたが、その後の交渉過程では、米国も中国もこれを承認する姿勢を示しています。
 決して、この事変をもって、日本は太平洋戦争に突入したのではありません。

 この満州建国の経緯、統治の実態は、当の満州国の住民にとってどう評価されたでしょうか?

 多くの資本投入により、近代化がなされ、整然とした都市整備や秩序・治安の安定など。
 それまでは、中央政府の支配が及ばず、軍閥が支配する無秩序・前時代的で非常に不安定な地域であって、当然ソ連の進出が懸念される状況でした。

 私は、積極的に当時の日本の行動を褒め称えたい訳では、決してありません。

 ただ、クラブさんのご意見は(私もかつてはそうでした)、日本の侵略性を厳しく糾弾しておられるが、それを言えば、日本は明治以来現在の日本国に踏みとどまり、侵略せず、富国強兵に努めるべきだったということになりませんか?

 それこそ、今の時代から見た(当時の時代背景を無視した)歴史糾弾・価値観の押し付けではないでしょうか。

 その認識は、信長・秀吉・家康の行動を単なる殺戮と評価することに通じませんか?
 時代背景もさることながら、彼らの精神にそういった無私の正義・潔癖性が必要でしょうか?そして、それを証明できるでしょうか?

これは yuki070507 さんの 917 に対する返信です

日露戦争と満州
投稿者: EzoWolf 2003/ 1/29 12:53
メッセージ: 924 / 1899

>日露戦争の結果、朝鮮半島は李氏朝鮮の悪政から「開放」されたのです。

どうせ黄文雄とか金完燮とかのトホホ本が種本だろう。「開放」されたんだったら、
なぜ死をとした猛烈な反日運動が起きるのかね。かれらが恩知らずだからというのは
やめてくれよ。



 さて話変わって、日露戦争の結果両国は満州を南北に分割してそれぞれの勢力圏と
することで合意した。また両国は自国によって敷設された鉄道警備のための軍隊を
駐屯させることをお互いに認め合った。これが関東軍である。

 その後両国は満州における利権を守るという共通の目的のために協調するようになる。
しかし革命が勃発してソビエト政府が成立。ソビエト政府は北満州の鉄道は引き継いだが
軍隊の方は引き上げてしまう。日本は満州の利権を守るパートナーを失ってしまう。


#満州に関しては後ほどまた投稿予定

これは kusuo1 さんの 913 に対する返信です

>閑話休題☆
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/29 13:08
メッセージ: 925 / 1899

ホンキーさんご紹介のURL見るのは・・やっぱりでした 最近涙腺がめっきり弱い 特に子供にあてた手紙なんかは もう・・


今日知ったんですが★かも 
現在の硫黄島は海上自衛隊の管理下になっているそうですね シーレーン防衛の重要拠点だそうです? この戦いを知ってしまった今思えば 当時の敵味方を繋ぎやはり日本を守っている島・・不思議な気がします

米軍にとって日本軍以上の戦死者を出してまで獲ろうとした島 どうやら本土爆撃にマリアナから飛び立ったB29が傷つき帰路 洋上不時着したときの中継基地が欲しかったみたいですね そうしてこの事によって助かったB29の搭乗員は硫黄島戦死者の4倍27000人にものぼるとか 

日本陸軍はよき司令官のもと「粘る」ことで面目は大いにたった(正に勝利したと言っても)が この島を失うことは本土が焦土となる 知っていたはずの大本営がまだ局地戦と位置ずけていたと思われるのが残念です
・・しかし時すでに消耗していた海軍など状況を考えると誰もどうすることもできなかったのでしょうね

これは honkytonk_2002_x さんの 919 に対する返信です

>バンザイ突撃は・・祖国に
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/29 13:37
メッセージ: 926 / 1899

alkanhelさんレスありがとう

>>国外へ出た兵士しか年金?出ない・・
>内地勤務でも三年間のお勤めで 恩給がつきます

それでは 私が聞いた人は勤務が短かったんでしょうね・・・うん よく解りました独の話はまあ親衛隊の方にはチョット気の毒な気もしました 日本にも近衛兵とかあったんでは・・(比べてはいけないのかなー?)

日系兵士の話はこの間TVでも 大変だったと 戦場である限りどこも同じなんですがヨーロッパ戦線よりやはりこちらでの方が複雑な気持ちであったのではないかと・・そう思われるから人一倍がんばったでしょうね ひょっともして 日系兵士の方々は ヨーロッパ戦線へしか行かなかったのかな? 戦争開始時の日系人収容所強制移住は 日本側からの防諜がその最大の理由と聞いたことがありますから

これは alkanhel さんの 920 に対する返信です

国って買えるんですか?
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/29 14:49
メッセージ: 927 / 1899

ちょっとご存知のかたよろしく

「1898年 アメリカはスペインと戦い キュ-バを保護国とし プエルトリコ グアムを手に入れ フィリピンを購入した」 という一文に出会ったんですが 【フィリピンを購入した】ん? 国って【購入】できるんですか

笑われてもいい! お聞きします(^_^;)
ガダルカナルへの最初の疑問です

硫黄島での陸軍の奮戦を知って 飛び石作戦を逆にたどる気持が
沸いてきました・・・却下!されるかも

満州も興味深々です>ウルフさん 

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

割譲のことですね
投稿者: ttt826000 2003/ 1/29 16:19
メッセージ: 928 / 1899

スペイン植民地だったフィリピンでは96年、民族主義者のアギナルドが大規模な
 反乱を起こし、1898年6月には独立政府を樹立し、99年1月には東アジア初の共和国を誕生
 させます。しかし、米西戦争の結果、プエルト・リコ、グアム島とともに2000万ドルで
 アメリカに割譲されてしまったんです。独立政府を樹立したわずか半年後の、99年12月
 のことです。やっと独立したと思ったら、自分たちの国は売られていたというのでは・・と

紹介しているところがありましたね。

これは s1_9150242 さんの 927 に対する返信です

リカルテ将軍と米国
投稿者: ttt826000 2003/ 1/29 16:45
メッセージ: 929 / 1899

フィリピンが、 アメリカの植民地に
されても、 りカルテ将軍の場合は、
19世紀末から、アメリカと戦い
1945年に死亡するまで、
戦い続けてるので、複雑です。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog156.html

山下奉文大将はリカルテ将軍に日本
への再亡命を勧めたが、将軍は「わしは最後の一人となるとも、
アメリカと戦うつもりだ。わしの80年の生涯は、ただこのた
めにあった。」と断った。

ここで、紹介されてました。


20世紀初めの、欧米の帝国主義国は、
日本に、 アジアでの独立運動を、援助
する動きをしないようにと要請してたり
してますね。

これは s1_9150242 さんの 927 に対する返信です

1899年2月、米比戦争
投稿者: ttt826000 2003/ 1/29 17:05
メッセージ: 930 / 1899

1899年2月からの、
米比戦争のことは、日本の世界史の
教科書では ほとんど
書かれてないですよね。

1902年、ルーズベルト大統領は
フィリピン平定を宣言。

米比戦争での、アメリカの動員兵力は
8万だったらしいですね。

これは s1_9150242 さんの 927 に対する返信です

>リカルテ将軍と米国
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/29 17:17
メッセージ: 931 / 1899

ttt826000さん早速のレスありがとう!

知らないままあの世へいくとこでした(^^)
今日を境にフィリピンを見る眼が変りました また彼の国から日本へお出でのたくさんの方達のことも・・・聞いてよかった!

>何故、このようなことは学校で教えられないのでしょう?いろいろな高校の社会の参考書を見てもこのようなことは書かれていませんでした・・と紹介されていました・・ですね(^^)

↑こころに残った言葉です みなさんのご感想などもお聞きしたいですね
またご指南のほどよろしく>ttt826000さん

今日はすごい雪でいやになります
みなさんのところは大丈夫ですか

これは ttt826000 さんの 929 に対する返信です

完全トピズレ;;
投稿者: jnfi67 2003/ 1/29 18:06
メッセージ: 932 / 1899

で、申し訳有りません(前もって...)

5日振りに見てみると、いやぁ〜、様々に議論弾んでいますね...

でも、読もうとしても、頭が働きません...
皆様、体調にはくれぐれもご注意を...
インフルエンザで死にかけています...

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

私はこう考えます。 その@
投稿者: crub4o 2003/ 1/29 18:37
メッセージ: 933 / 1899

世の中にズバリ侵略そのものと言う戦争行為というものは、そんなに存在しません。
あの独ソ戦ですら、ボリシェヴィズムへの予防戦争であると言う見解もありましたから。
戦争(事変と言い換えても良い)というものを区別できるとしたら、「自衛戦争」と「そうではないもの」位しかないのではと思います。 
「自衛戦争とは何か?」を巡って、軍カテの「日中戦争トピ」で過去遣り取りがありました。 
私は語義や法制度解釈の議論が酷く苦手なので(と言うより知らない)殆どコメント出来ませんでしたが、私はこのトピに過去ログの存在するフィンランドの特に「冬戦争」を「自衛戦争」の典型例であると書いた覚えがあります。 つまり、「自衛戦争」と言う範疇は極めて狭く、「戦争はすべからく自衛である」等という我田引水は出来ないと言う事を言いたかったのです。 
現在、軍カテの「日中戦争」トピと「南京大虐殺」トピで、日本の中国に対する行為を「自衛戦争」であると言う論者が跋扈していますが、私はこの方々とは全く一線を画しています。 私は「何もかも日本は誤っていた」とは思わない代わりに「日本は全て正しかった」と断言する行為とその根本思想に、野郎自大の匂いを感じ取るのと同時に、その考えが将来の日本の方向性を危うくしかねないと考えるからです。(寧ろ後者が問題!)

yukiさんのお考えが私とは違う事には当初から気付いていましたが、「日本は全て正しかった。 あれは自衛戦争だった」と言う論旨を御取りになっていなかったので、尊敬すべきお方だと思い、今もそう考えている次第です。(不遜で失礼!)



これは yuki070507 さんの 923 に対する返信です

私はこう考えます。 そのA
投稿者: crub4o 2003/ 1/29 18:39
メッセージ: 934 / 1899

ところで・・

>私は、満州事変と日華事変は、全く性質の違うものだと捉えています。
>一見して、この両事変はよく似ているように見えますが、内容は大きく異なります。
>満州事変には、朝鮮統治と共通するものがありますが

「満州事変には、朝鮮統治と共通するものがあります」これが或る意味キーワードではないかと思います。
「朝鮮統治」が、どれほど西欧諸国の植民地政策と相違しようとも、それがどれほど朝鮮国民に恩恵を与えたものにせよ、我々日本人が自ら誇示すべきものではないと言うのが、私の考えです。
別トピにかっての朝鮮支配について私はこう書きました。
「その国が一人立ちできずに苦悶していても、それを支配する事による評価はあくまでも被支配者に任せればよい。 幾ばくかの貢献があったにしても、その真の意図が日本側の我田引水に起因するとすれば、日本人が自ら誇ることは薮蛇であろう。 この論理を敷衍していくと、原爆投下も日本人の為と言う理屈を浴びる事を覚悟せねばならないから」と。
私がまた別のトピでよく引用する本に、次の様な記述があります。
「ジャワとその住民は、西欧諸国の指導を受けなければ決して享受できなかった水準の生活を送っているのであった」
この文章の高慢ちきで野郎自大な思い上がり振りをyukiさんはどうお感じになりますか?
いや、オランダの暴虐な搾取や愚民化政策と、「朝鮮統治」とは違うよなどと仰らないで下さいね。 それがどんなに良いものであっても、自ら誇るべきものではないよと言いたくてこの文章を引用したのです。 それこそ「大和心」ではないですか?

「満州事変」は、日本にとっては経済的苦境の打開策と「朝鮮統治」を脅かすかも知れぬ赤色ソ連に対する東アジアの「コルドン・サニテール」構築の二つの意義を持っていました。 
満州事変勃発以前に、この事は私がしつこく引用するあの「アメリカニズム」の中に、その可能性を既に客観的な指摘を受けているのです。 
yukiさんは、

>今の時代から見た(当時の時代背景を無視した)歴史糾弾・価値観の押し付けではないでしょうか。

と仰っていますが、すでにこの時代(1928年)に「中央政府の支配が及ばず、軍閥が支配する無秩序・前時代的で非常に不安定な地域であって、当然ソ連の進出が懸念される状況」は、結局満州と中国の人民が自主的に解決せねばならぬ問題であり、日本がそれに介入する事は、長い意味で両国に不幸な関係をもたらすであろうと言う意見が開陳されているのです。
勿論、この先駆的な意見は、英米の利権を差し置いて日本が抜け駆けする事を牽制する意図を含んでいる事は論を待ちませんが、いずれにせよ、明確に日本以外の領土に対して、善なる意図をもってしても「押し付け」と取られかねない行動をとれば、必ずこのような評価が下されることを覚悟しなければならないのです。 同時にそれに反する行動が起きる事を、そしてそれを「言い出しっぺ」として責任を持って収束させていく義務が発生する事を覚悟せねばならないのです。

まとめましょう。
自ら誇るべきではない「朝鮮統治」の延長形を、日本以外の領土に適用すれば、それは必ず予期していなかった波紋を引き起すのです。
ローマ式インフラストラクチュアを「文明」として、軍隊と共に進出させた古代帝国時代とは既に意識が変貌しつつあったのです。 
その波紋が自他共に野放図に広がっていった結果こそが日中戦争であると私は考えます。

これは crub4o さんの 933 に対する返信です

私はこう考えます。 そのB
投稿者: crub4o 2003/ 1/29 18:41
メッセージ: 935 / 1899

>満州国については、当初は世界各国の非難を浴びましたが、その後の交渉過程では、米国も中国もこれを承認する姿勢を示しています。

満州住民の自治を促し、中華民国政府や英米の面子を立て経済的利権を折半していくと言う方法が取れたと私も思います。 当時の国際連盟と言う曖昧な組織の中で、リットン調査団の報告とは別に、「これから是正していくよ」という方策が存在しえたと思います。
経済的には苦境でも、当時の日本は政治的にはまだまだイニシアティブがとれたはずです。
しかし、過去の日本がとった方向性は、全く別だったでしょう?
寧ろ、「逆切れ」の一本道ではなかったですか?
そして、日本がこの方向性是正を行い得なかった事を持って(言い出しっぺの義務不履行を持って)日中戦争は起こったのであり、その責任から私は「満州事変に始まる日本の中国侵略」と表現する次第です。
問題解決と方向性是正に対する過去の日本の真摯な努力を感ずれば、私もこのようには表現しないでしょう。 
またyukiさんの仰る外国政府の陰謀と言うものは、立派な独立国家であった日本が強固な意思を持っていれば、厄介な障害にはなり得ても、決定的要因にはなり得ないと私は考えます。

>ご意見は(私もかつてはそうでした)、日本の侵略性を厳しく糾弾しておられるが、それを言えば、日本は明治以来現在の日本国に踏みとどまり、侵略せず、富国強兵に努めるべきだったということになりませんか?

日本は朝鮮と台湾の領有以後、ある一線に踏みとどまるべきでした。
その時代は、日本が強力な帝国主義列強に包囲され、その行動を規範するものは、所詮は植民地主義国家群の邪なで貧欲な価値判断基準でしかなかったからです。
必死で生き残ろうとしたその頃の日本の行動を賢しらに批評する積もりはありません。
しかしそれ以後、日本と日本人が野郎自大の風潮に染まりつつあった頃、歴史的意識の方向性が変化していった事はご存知と思います。 
それがいかに不幸な結末を迎えても、「自分の事は自分で決める」と言う流れが生まれ、それに敢えて棹差そうと言う国には、「その結果生まれた反作用は自ら責任をとらねばならない」となりませんでしたか? かっての植民地帝国は結局そうなりませんでしたか?
日本はこの時点で自覚し、「小日本」主義を選択する事が出来たと思います。
それは苦しい選択ではありますが、日本人自身が自問自答し、真に自主的な独立国家の独立した日本人に成長する絶好の機会でもあったと私は考えます。
「大和心」を持つ「小日本」でありながら、国際的視野を持つ自主的に思考し行動する日本人に飛躍する絶好のチャンスであったと思います。 
何故なら、物事はコインの裏と表の関係であると考えるからです。

長々と記し、誠に申し訳ありませんでした

これは crub4o さんの 934 に対する返信です

jnfi67さんおだいじに!
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/29 18:46
メッセージ: 936 / 1899

>インフルエンザで死にかけています...

何より大事なのは ご自身の体ですよ!
完全に治るまでパソコン厳禁!・・・今年のかぜ辛いそうです 温かくして寝るのが1番ですよ  

これは jnfi67 さんの 932 に対する返信です

>私はこう考えます
投稿者: yuki070507 2003/ 1/29 22:42
メッセージ: 937 / 1899

>世の中にズバリ侵略そのものと言う戦争行為というものは、そんなに存在しません。あの独ソ戦ですら、・・・

 その論法で言えば、日華事変は侵略戦争じゃない、と言うことは十分可能です。
 何故なら、日本は仕掛けられた立場です。盧溝橋で最初に発砲を受け、その後も日本の不拡大方針をあざ笑うかのごとく、郎坊、公安門、通州の襲撃事件が起こり、さらに上海に飛び火し、事変は拡大しました。

 これらは全て、中国軍等による抗日挑発行動です。
 また、当時中国内の日本軍は、北清事変後の北京議定書により西欧列強と共に北京に駐留していた合法的な軍隊です。

 ですから、独ソ戦が自衛戦争と言うなら、日華事変以後の日中戦争は胸を張って自衛戦争と言えます。(この事変だけを捉えればね)

 しかし、歴史は流れであり、この事変だけを切り離すことはできません。
 ここに至るまでの満州事変、北支工作などが存する以上、中国の日本に対する不信や反発は当然の帰結といえますし、その後の日本の戦争拡大は、単に自己のメンツや武力による屈服を狙ったものであり、自衛を超え、何らの意義も見出せません。

 私は、日本人として、あの時代を振り返った場合、なぜ太平洋戦争のような愚かで、悲惨な戦争に突入していったのかということをまず考えました。

 そうして、歴史を遡ることができるなら、どこが分岐点だったかを考えたときに、最大のポイントは日華事変だったということです。

 私は、満州事変は大きなターニングポイントであったことは十分認識しています。
 すなわち、国際連盟脱退を導き、世界の孤児となってしまったこと。
 現地軍の独断専行の悪弊を招き、陸軍内の下克上という弊害を現出させたことです。

 もし、日本が満州建国をもって、国防外郭線としていれば、きっと日本の信は早晩回復し、日本興隆の基礎となったと思っています。

>yukiさんのお考えが私とは違う事には当初から気付いていましたが、「日本は全て正しかった。 あれは自衛戦争だった」と言う論旨を御取りになっていなかったので、・・・

 私もクラブさんとは、よく似た考えのようでいて、少し違うと思いますよ。
 私は、日本人ですから、日本の将来を憂い、日本の将来にとっての反省点や改善点をまず考えています。
 しかし、歴史認識は常に客観的であることを心掛けています。
 日本に有利なように、あるいは自己の信条・利益の為に歴史を捻じ曲げるという考え方は何より嫌いです。

 私から見ると、クラブさんは、戦前日本に対し、主観が入りすぎていると感じます。
 何やら憎悪の対象として見ているように感じることがしばしばあります。

 気持ちはわからなくもありませんが、それも客観性に欠けるような気がします。

 私が、日本の台湾・朝鮮統治や満州国を肯定するのは、日本がそうした地域で行った誠実な実績の部分を、客観的に評価しているからです。
 で、なぜわざわざ主張するかといえば、中国・韓国ならいざ知らず、我が日本で戦後の行き過ぎた自虐史観により、侵略行為と言う名の下に、プラス面まで葬り去ってきたからです。

 日本の行為を全て侵略だった、悪意だったと切り捨てるのは、決して正しい歴史認識ではありません。
 そのような行為をいつまでも推し進めることこそ、日本の将来に暗い影を落とし、いつかはその反動がいっぺんに噴出すこととなると思います。

 信長の行為を、比叡山焼き討ちや長島一揆における大虐殺、浅井・朝倉のシャレコウベで作った酒盃などのみをもって断罪することは、大間違いです。
 正も邪も、すべてありのまま評価することが当たり前のことであって、将来に生かせる正しい歴史認識となるのではありませんか。

これは crub4o さんの 933 に対する返信です

>私はこう考えます
投稿者: kusuo1 (999歳/男性/城) 2003/ 1/29 23:06
メッセージ: 938 / 1899

> 私は「何もかも日本は誤っていた」とは思わない代わりに「日本は全て正しかった」と断言する行為とその根本思想に、野郎自大の匂いを感じ取るのと同時に、その考えが将来の日本の方向性を危うくしかねないと考えるからです。(寧ろ後者が問題!)

仰せのとおりでしょう。

>「満州事変には、朝鮮統治と共通するものがあります」これが或る意味キーワードではないかと思います。

満州事変と朝鮮併合には時間的にかなりの隔たりがあり、余り共通するものはないと思います。
統治の理念に共通性があったとの意味でしょう。

>「朝鮮統治」が、どれほど西欧諸国の植民地政策と相違しようとも、それがどれほど朝鮮国民に恩恵を与えたものにせよ、我々日本人が自ら誇示すべきものではないと言うのが、私の考えです。

誇示する必要はないですが、事実は事実として明らかにしなければなりません。
黙って嘘まで受け入れる必要はありません。

>「その国が一人立ちできずに苦悶していても、それを支配する事による評価はあくまでも被支配者に任せればよい。 幾ばくかの貢献があったにしても、その真の意図が日本側の我田引水に起因するとすれば、日本人が自ら誇ることは薮蛇であろう。 この論理を敷衍していくと、原爆投下も日本人の為と言う理屈を浴びる事を覚悟せねばならないから」と。

歴史は事実を究明することであって、評価することではないと思います。
物事は視点を変えれば善も悪もない、原爆投下も日本人の為とも言える。
評価はする人の立場によって個々に違うでしょう。

>自ら誇るべきではない「朝鮮統治」の延長形を、日本以外の領土に適用すれば、それは必ず予期していなかった波紋を引き起すのです。
>その波紋が自他共に野放図に広がっていった結果こそが日中戦争であると私は考えます。
満州国については、当初は世界各国の非難を浴びましたが、その後の交渉過程では、米国も中国もこれを承認する姿勢を示しています。

昭和に入り、明治維新以来の日本の政治をリードしてきた元老院が死に絶えたにも係らず、大日本帝国憲法上の統治者である天皇が政治を指導しなかった。首相には軍部を抑える権限がなく、官僚化した軍部は野放図になり、満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと日本政府や天皇の意思に関係無く戦争を拡大し続けた。

>満州住民の自治を促し、中華民国政府や英米の面子を立て経済的利権を折半していくと言う方法が取れたと私も思います。 当時の国際連盟と言う曖昧な組織の中で、リットン調査団の報告とは別に、「これから是正していくよ」という方策が存在しえたと思います。
経済的には苦境でも、当時の日本は政治的にはまだまだイニシアティブがとれたはずです。

利口なら満州にアメリカ資本を導入し、共同で開発したでしょう。官僚化し国際感覚を欠いた当時の日本の指導者は、愚かにも日本で満州の利権を独り占めにする事しか考えられなかった。

>外国政府の陰謀と言うものは、立派な独立国家であった日本が強固な意思を持っていれば、厄介な障害にはなり得ても、決定的要因にはなり得ないと私は考えます。

日本には何の統一した意思もなかったし、日本の軍部にも統一した意思が存在しなかった。政府、軍中枢の不拡大方針とは逆に前線では中国挑発に進んで乗り戦争をどんどん拡大していった。

>日本は朝鮮と台湾の領有以後、ある一線に踏みとどまるべきでした。

そうでしょうが、大局的な見地に立って物事を判断する政治的な意思がなく、ある一線を決める人がいなかった。

>それがいかに不幸な結末を迎えても、「自分の事は自分で決める」と言う流れが生まれ、それに敢えて棹差そうと言う国には、「その結果生まれた反作用は自ら責任をとらねばならない」となりませんでしたか?

誰にも決めると云う意思そのものが無かった。

>日本はこの時点で自覚し、「小日本」主義を選択する事が出来たと思います。
それは苦しい選択ではありますが、日本人自身が自問自答し、真に自主的な独立国家の独立した日本人に成長する絶好の機会でもあったと私は考えます。
「大和心」を持つ「小日本」でありながら、国際的視野を持つ自主的に思考し行動する日本人に飛躍する絶好のチャンスであったと思います。 

国際的視野を持つ自主的に思考し行動する日本人に飛躍する絶好のチャンスだったんでしょうが、軍部を中心とした官僚支配の日本では、誰も責任を負わない無責任体制になり、破滅へ向かっていったのだと思います。
個人的には、国際的視野を持ち自主的に思考し行動する日本人も多くいたんでしょうが、体制を変えることは出来なかった。
明治憲法と実際の政治のギャップが、太平洋戦争での日本の

これは crub4o さんの 935 に対する返信です

訂正
投稿者: kusuo1 (999歳/男性/城) 2003/ 1/29 23:18
メッセージ: 939 / 1899

元老院→枢密院

これは kusuo1 さんの 938 に対する返信です

>kusuo1さん
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/29 23:33
メッセージ: 940 / 1899

明治憲法と実際の政治のギャップが、太平洋戦争での日本の
        ↑
このあとをお聞きしたいです(^^)
これで終わりかも?そうでしたらごめんなさい

これは kusuo1 さんの 938 に対する返信です

フィリピンのアメリカ統治
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/29 23:37
メッセージ: 941 / 1899

フィリピンがアメリカの統治下におかれる経緯は、ttt826000さんが紹介されております。またリカルテ将軍は、スペインからの独立運動のリーダーであったアギナルドなどとアメリカ統治に抵抗していましたが、アギナルドはアメリカに捕らえられた後、アメリカ統治に協力するようになりました。リカルテ将軍は、米国統治に対して抵抗を続けるのですが、アメリカのフィリピン統治は、軍政から民政、民政から自治国(コモンウェルス)と次第に緩やかな独立を目指し、1946年には完全独立する予定、というふうに、全体的に見れば他の列強各国の植民地経営と比較すると、かなり緩やかな統治となっていたと言え、オランダの過酷な統治を受けたインドネシアとは対照的でした。

それを裏付けるかのように、太平洋戦争中の日本統治時代に比島軍政監部総務部長を務めた宇都宮直賢氏が「オランダの施政とアメリカの施政を比較検討するならば、インドネシア人はオランダを不倶戴天の敵と見ていたが、フィリピン人はアメリカを憎い敵なぞと少しも思っていなかった」と語っています。

これは ttt826000 さんの 929 に対する返信です

>私はこう考えます。 そのA
投稿者: yuki070507 2003/ 1/30 0:06
メッセージ: 942 / 1899

 満州・中国政策も、台湾・朝鮮統治も敗戦により、中断しました。
 琉球、アイヌは、現在に続いています。

 他国支配、侵略という言葉は、同じ行為であっても、受ける立場、経た時間などによって大きく変化します。

 歴史認識とは、人により、時代によって変わる。要するに絶対ではないということです。
 ですから、主観の入らない客観的な事実が大切だと思います。

>それがどんなに良いものであっても、自ら誇るべきものではないよと言いたくてこの文章を引用したのです。 それこそ「大和心」ではないですか?

 私は、かつて大和心トピに盛んに投稿しておりましたが、未だに大和心は何かよくわかりません。

 ただ、クラブさんの指摘するこの考え方は、日本人の長所であって、欠点でもあります。
 その考え方は、今よりむしろ戦前の日本人に共通する考え方です。

 そのでしゃばらない控えめさ、恥を重んじる心、沈黙は金などに通じます。

 戦前の軍人は、心の中では対米戦など無理だと思っていたんです。日中戦争だって無意味だと。
 でも、自分が言わなくても、誰かが言うだろう。
 あるいは、口をついて出てくるのは、常に周りを意識した言葉だったんですよ。

 戦後の日本もそうです。
 韓国などの主張は、あまりにもひどいです。戦争への反省から、頭を垂れる日本人に対し、歴史の捏造、エンドレスの謝罪要求、竹島の不法占拠など、反り返る一方です。

 これはもちろん韓国人の考え方や国民性もあるでしょうが、日本人にも責任の一端はあります。

 要求されるがままに、安易な謝罪を繰り返し、捏造された歴史認識にうなずき、何事にも丸く治めようと、自己の主張をせず、膝を屈することを選んだのです。

 そのような行為は、戦前の日本軍部の態度と正反対のようでいて、実は極端さでは同類です。
 これは、危険さにおいて同じです。

 かくも不器用な日本人の心根を支配するのが大和心だというのなら、悪い面は改善すべきです。
 私が、以前やかましくいっていた、独立心や多様な個の尊重です。

 満州事変を最大のポイントだとする考え方は、この日本民族特有の精神(大和心?)を拠り所とするということです。
 とすれば、太平洋戦争の原因は、聖徳太子の和の精神や弥生時代のムラ社会の発生まで遡らねばならないかも知れません。

これは crub4o さんの 934 に対する返信です

>私はこう考えます。 そのAつづき
投稿者: yuki070507 2003/ 1/30 0:38
メッセージ: 943 / 1899

 長いので、一旦切りました。
 話が後先になったりするかも知れませんが、悪しからず。

>・・・結局満州と中国の人民が自主的に解決せねばならぬ問題であり、日本がそれに介入する事は、長い意味で両国に不幸な関係をもたらすであろうと言う意見が開陳されているのです。

 我々の頭に染み込んだ民主主義的発想や人道主義的な考え方、そして豊富な判断材料(情報量)など、むしろ我々の側のことを言っているのであって、当時そういった意見が存在したという事実をもって、反論されても当惑します。

 これは、クラブさんにだけ言ったのではなく、私にも当てはまることです。
 難しいかもしれませんが、一度頭の中をクリアして、発想を180度切り替えないと無理なような気がします。

 では、中途半端ですが、もう遅いので、Bについては、今度にしたいと思います。

 ところで、クラブさんと真剣にやり取りしたのは初めてですね。
 今日は、他の用事をしながら慌てて投稿してしまいました。
 また誤解を生んだかも知れません。
 次回は、先の分も読み返して、きちんとまとめた形で返信したいと思います。では。

これは crub4o さんの 934 に対する返信です

日本の統治について
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/30 0:58
メッセージ: 944 / 1899

Msg916の続きになるのですが、日本の統治が、善政として評価されるか、苛烈として非難されるかは、日本が入る前の状況、日本の統治責任者の方針によるところが大きく、同じ政策を行っていても評価は分かれますし、時期が異なると方針も変わるということで絶対的評価として「善」か「悪」かという評価はできません。またマクロな視点で善政と評価された場合でも、ミクロな視点では、強制労働、略奪、陵辱なども皆無ではなかったでしょうし、逆に苛烈な統治と評価されたとしてもミクロな視点では、統治者としての日本軍や日本人が地域に徳を施していたということもありえます。このように、列強の植民地支配には共通した部分があるとは思いますが、白(善)の部分と黒(悪)の部分、あるいは灰色(中間、白に近いものの黒に近いものもある)の部分が地域、時間ごとにモザイクのように分布していたと思われます。これを白の部分だけ見て「全部白だった」とか黒の部分を見て「全部黒だった」と評価することがいかにナンセンスかは、ここにご参加の皆さんは既にご理解されていると思います。

次に客観的な評価あるいは検証ですが、歴史は客観的に評価・検証すべきだということもここに参加の皆さんの共通の認識だと思いますが、これも結構難しいと思います。歴史の検証を出来る限り客観的に行おうと思えば、一次資料を当たる必要があると思いますが、私のような素人が一次資料を入手したり図書館へ行ったりして目を通すことは、容易ではありません。従って、いきおいWeb siteや書物を見ることになるのですが、やはり、サイト管理者や書き手の意図(いずれにしても玉石混交です)がありますので、そうした情報の中で客観的な判断を下すのは決して容易ではありません。前述のWebsiteや書籍からはある程度一次資料にたどれるものもありますし、そうでなないものもあります。そもそも「一次資料」の定義が何かということもありますし、時代を検証できるほど残っているのか、あるいは開示されているのかという疑問もあります。
従って、客観的にとはいいますが、それでも個人的な思い入れは、そこに入ってくると思います。

日本の統治についても私自身は評価そのものは差し控えたいと考えておりますが、個々の事象ととしてどうであったかは、調べていきたいと思います。そしてできる限り多面的に物を見ていきたいと思います。

以上まとまりがなくなりましたが、一人言と聞き流し(読み流し)て下さい。

これは o_sole_mio00 さんの 941 に対する返信です

もっと自分を主張しょう!
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/30 2:14
メッセージ: 945 / 1899

 今日も いいお話やご意見お聞きし感心しきりです

 何度か言っていますが 歴史の追求は 今を生きる我々と未来を作るこれからの若い方々の為にあることは論を待ちません 過去こうであったから これからもそうしなければいけないなぞ もちろんないと思います もはや1つの国家が自分の主張だけをとうして行ける時代でないことは誰でも知っています 日本人の持つ考え方で世界の中での話し合い 1つのテーブルについたとしてもうまく立ち回ることができるか はなはだ疑問です

 卑近な話で恐縮ですが町の会合など参加してみるとよくわかります ほんとうにみなさん口が重いです それが美徳・奥ゆかしさであると思い込んでいる姿を見るにつけ これは長い間の経験からか 又は慣習なんだなーと思っています 時々すごく饒舌な発表をされる方と出会うこともあります そういった方はなにがしかの会の方であったりして 知識をひけらかすことばかりが目立ち多くの参加者方々の心を もうひとつ動かすことができないようにみえます

 自分の思うところを主張する勉強をしたことがない・・そんなところからでも出発していかなければいつまでも世の中は同じなまま また知らず知らずの内に取りかえしのつかない事になりそうな予感がします 誰かが何とかしてくれるだろう 誰も彼もそう思っているとしたら怖いことですね

 どんなに有名な方であっても私と同じ人間である・・そう誰もが自信を持って思うようになればこの国は変ると思います どんな方も今生きている分野でのスペシャリストなんですから

 余談ですが 当時 外交官になるといろんな勉強をしなければいけなかったそうです 外国の方と会食するときその席に女性の方が同伴していると おられる女性の方全てとダンスをしなければいけないとか そのときの心得があるそうです まず最初は なかで1番美人でない方と踊り始めることと・・そんなことばかりに?(重大なことなのかも)神経使っているようでは 肝心の交渉の方は・・そこまで神経を使っていたことを誉めたたなければいけないのかも? 

 このトビでみなさまとお会いし はや2ヶ月はたちました さすが日本は広く しっかりしたご意見をお持ちの方ばかりで こうして一生懸命背伸びしながら ついていく毎日です 再び本など読むようにもなりました 深く感謝申し上げます 

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

宇都宮少将も知らなかった米軍の報復虐殺
投稿者: ttt826000 2003/ 1/30 3:16
メッセージ: 946 / 1899

o_sole_mio00さん、自分は
宇都宮少将のことは、詳しくないのですが
気になる、手記がネットで公開されていた
ので、 米軍の二面性について。


1945年の終戦後の、
山下将軍の降伏のあと、
宇都宮少将は、優遇キャンプに
入られていたようですね。

米軍は、日本兵捕虜を、優遇キャンプと
強制重労働キャンプなどに振り分けた。

フィリピンのカンルバン墓地に、戦後の
米軍による、強制重労働などで
2万の墓標の下が、日本兵捕虜の死体で
埋められたという証言があります。

マッカ―サ―将軍は、復讐の舞台を
フィリピンに選んだわけで、
日本本土で、戦後に日本人に見せた顔とは
違う顔もあったと、指摘されてます。 

手記の要点は・・
 米軍が標高二千三百二十メートルの高所で武装解除を行った理由の一つは、カバヤンの急坂を登らせて疲れさせることにあった。そしてもう一つの理由はボントック道55K地点からバギオまで六十キロになることにあった。その間を行進させて、「バターン死の行進」のお返(注1)しをすることにあったのだ。

それから、終戦後の米軍の、
日本兵捕虜に対する待遇が改善されたのは
計画的な、死の行進や、過酷な強制労働で
二万人の日本兵捕虜が、死亡したあと
だったみたいです。

二万人の計画的、巧妙な、虐殺が、
短期間で完了したのが、
昭和二十年十一月末だったそうです。

この手記を紹介してたホ−ム
http://www.jmcy.co.jp/~goto/Majime/toshio/shonin/shinin01.htm

http://www.jmcy.co.jp/~goto/index.html

これは o_sole_mio00 さんの 941 に対する返信です

☆大阪でも「もうひとつの戦争展」開催! 
投稿者: godiraswife (800歳/女性/タヒチ) 2003/ 1/30 5:36
メッセージ: 949 / 1899

「もうひとつの戦争展〜語り継ぎたい隠された歴史〜」

日時:平成15年2月7日(金)〜9日(日)  午前10時〜午後7時
   (最終日は5時まで)
講演会:2月8日(土)午前10時30分〜12時
   「朝鮮半島情勢と日本の進路・・・我々は何を為すべきか」
   講師 産經新聞ソウル支局長 黒田勝弘氏

会場:大阪府立労働センター(エル・おおさか)
   (大阪市中央区北浜東3−14)
主催:もうひとつの戦争展実行委員会  入場無料


 昨年夏・名古屋で開かれた「もうひとつの戦争展」には5300人余の来場者
がありました。

 これは、名古屋市県中小企業センターでプロ市民団体が「あいち・平和のた
めの戦争展」(開催11回目)を開催するに際し、その内容が自虐的で偏って
いるとして、日本世論の会愛知県支部や日本会議愛知県支部の有志らが実行
委員会をつくりこれにブツケタ形でありました。同時期・同じ建物で、戦争展を
開催するとあって、世間の耳目を集めました。

 大阪の「もうひとつの戦争展」も大成功裡に終わらせよう ! !
「もうひとつシリーズ」が全国各地で開催され、いままでウソをついてきたプロ市
民やサヨクが戦々恐々とした日々が訪れる事を切望いたします。

もう一つの戦争展の案内チラシは下記です。地図もあります。
 http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/paz.htm

ここのチラシの2ページ目には、
 従軍慰安婦の強制連行とされる写真が、実はまったく逆で、アサヒグラフ
昭和12年11月10日号に掲載された、日本軍に守られて村に帰る中国農村
婦女子の写真である。

との証拠もあります。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

日本兵は言った
投稿者: alkanhel 2003/ 1/30 5:40
メッセージ: 950 / 1899

「捕虜はてぶらであった、我々は完全武装で同じ距離を歩いた」

当時ロクな輸送機関の無い日本軍はああするしかなかった、といっております。

>「バターン死の行進」のお返(注1)しをすることにあったのだ。

東京裁判においても 東条英機が捕虜虐殺で起訴 有罪となっておりますが
これは 中国で捕まったドーリットル隊の乗員を 無差別爆撃で死刑にした事件なのですが

このとき東条は住民につかまって虐待される前に保護!し 裁判にかけろ」と下命し
内地でやると公正さを疑われるというので
上海に移送して公判にかけられました。
東条自身は有期刑を考えていたそうですが「小学校を銃爆撃したのはものはついで」
等と答え上官の命令でもなくて 反省の色なしで やむなく死刑となった。
ルーズベルトは「死刑」だけを とりあげ
捕虜虐殺とわめきたて これが後の
「おまえたちもやった」という 太平洋戦線かくちでおきた
米兵による日本兵捕虜虐殺の口実にされた。

不思議なことだが 米軍は日本に近いところほど 人道的なめんを おおくみせ
遠くなるほど 悪魔的側面を」おおくみせる。

まるで 計算ズクである。

これは ttt826000 さんの 946 に対する返信です

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