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硫黄島A
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 1:05
メッセージ: 851 / 1890

2月19日 エルドラド艦橋指揮官ターナー中将の命 午前6時40分戦艦「ノースカロライナ」「サンフランシスコ」より艦砲射撃開始 戦艦7 巡洋艦7 駆逐艦10 戦艦巡洋艦合わせて約200斉射 上陸地点 飛行場 摺鉢山に向けられた 

シャーマン少将率いる機動部隊は120機で持ってロケット弾 ナパーム弾の雨 爆撃後 戦艦群は30分間 8000発の砲弾を打ち込んだ
午前8時59分砂浜に乗り上げた海兵隊は 日本軍は壊滅していると信じて疑わなかった

しかし栗林中将命令により 日本軍将兵は米軍上陸の終わるのを萬を持して待っていたのである


先ほど手がすべり二重投稿>またまた★
おやすみなさい>みなさま(^^)

これは s1_9150242 さんの 850 に対する返信です

規格統一
投稿者: jnfi67 2003/ 1/24 1:06
メッセージ: 852 / 1890

既に回答されていますが、戦前、戦中は統一工業規格が有りませんでした。各企業が創業期に導入した海外企業の規格で生産をしていました。軍も同様で、陸海軍では砲弾はおろか、機銃弾はむろん、ひどいことに、ボルト類でさえ共有できませんでした。ガソリンのオクタン価さえ、違う有様です。資源貧乏国なのに...

これは o_sole_mio00 さんの 848 に対する返信です

そう言えば硫黄島☆
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/24 8:29
メッセージ: 853 / 1890

お早うございます☆

硫黄島と言えば…

キーワードは、

@栗林忠道陸軍中将(第百九師団長)
Aバロン西
B市丸利之助海軍少将(第二十七航空戦隊司令官)
C第二御楯隊

…などになるでしょうか?

↓市丸少将のサイト

http://www.matsuronet.ne.jp/yoyokaku/itimarurinosuke.htm

↓硫黄島攻防戦のサイト

http://homepage2.nifty.com/dprj/iwojima.htm

これは s1_9150242 さんの 851 に対する返信です

朝から泣かさんといて
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 9:39
メッセージ: 854 / 1890

ホンキーさんありがとうございました
もう・・・です

これは honkytonk_2002_x さんの 853 に対する返信です

規格はありましたよ>クスオさん
投稿者: marujee 2003/ 1/24 11:24
メッセージ: 855 / 1890

ねじの規格はJESというのがありましたよ。でも種類が多かった。

http://www.yht.co.jp/teiketsu/howto-5.html

戦前日本は高級な機械類、技術は色々の国から輸入していたのでウイットウォースねじ(英)、メートルねじ(独)、アメリカ標準ねじ(米)と3種類もあり、それぞれメーカーが技術のコピー先に合わせて勝手に使うので、ユーザー側が規格指定する必要がありました。しかしこうすると価格、在庫、納期の点で問題が多いのでどうしても種類が増えてしまい、飛行機のように部品数の多い(色々のメーカーの製品を組み合わせる)機械で部品を統一するのは大変なことです。出来てなかったのでしょう。

現在でもISOで標準化を図っているが、PCなどでさえもHDのような記憶装置関係のものはメートルねじ(日本企業が開発?)、それ以外(米企業が開発?)はインチねじですね。

皆さんがおっしゃっているように規格が違って合わないというケースもありました。どうも設計者はまず性能のことを考えるから、メンテのことまでは頭が回りません。程度の差こそあれは今でもある問題だと思います。このほか検査精度、工作精度の問題もあったとおもいます。

大量生産方式では戦前のアメリカは首一つ抜き出ていました。ドイツは、設計面、製作面では優れていたが、大量生産ではアメリカには及びません。前もどこかのカテで書きましたがアメリカのシャーマン戦車はドイツの戦車に性能では追いつかないが、壊れてもすぐ直せた。故障した他のシャーマンの部品を再利用し、修理が容易に出来た。しかし、ドイツの戦車は戦場での兵士の要求を受け入れ、常に改造していたので、性能は良いが壊れた時に同じものが少なかったのでの修理が難しかったといわれています。何かそのものの性能を重視するドイツ職人気質が出ているように思えました。チョット意外なのはソ連の兵器はシンプルで、頑丈で、同じものを作っていたので生産性、保全性は良かったようです。
この点何か国民性が出ていますね。

しかし、今の日本製はすばらしい。これらの点を解決して、故障はしないし、部品も取替えOK、性能OKですから。

でも韓国、中国に追いつかれるかなぁ。

これは kusuo1 さんの 847 に対する返信です

トピ外れ・・・日本製は良い
投稿者: marujee 2003/ 1/24 12:00
メッセージ: 856 / 1890

車について考えてみると

昔の車は・・・

@車を止めておくと必ずオイルが漏れて下に落ちていた
今こんな車見たこと無いものなぁ。古くなってもオイルなんて漏れてこないもの。エンジンルームでもオイルの漏れている形跡も無い。加工精度が良くなりパッキンも良くなったのでしょう。
Aエンジンのプラグを磨かないものなぁ
昔は5千キロぐらい乗るとプラグを外して磨いたり、プラグのギャップやデスビのポイント調整したりしたなぁ。今では無鉛ガソリンだから鉛が入っていない。だからぜんぜんプラグ綺麗だもの。デスビのポイントなんて電子式になってもうないのかなぁ。何しろボンネット開けたこともないからなぁ。最近は・・・。
Bタイヤ交換
1万キロぐらい走ったらタイヤローテーションしたなぁ。今では年でスタッドレスに変えるのも苦労しているもの。これからはスタンドに頼もう。
C今、パンクもしない
昔は道も悪かったせいかよくパンクしたなぁ。タイヤメーカーに行っていた奴に話したらタイヤ溝の設計改良のせいだという・・・本当かなぁ? でもパンクし始めたら新品に換えちゃうもの・・・パンクしないわなぁ。

車も本当に故障しませんなぁ・・・・年でスピード出さないし、乗らなくなったせいもあるよなぁ。何か年がばれるような話でした。

これは marujee さんの 855 に対する返信です

>日本製は良い\(~o~)/
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 12:33
メッセージ: 857 / 1890

うわー マルジーさんのトビずれ めずらしい!

では便乗して・・(^^)
おっしゃるとーり 今新車で車買うとまず故障しません 町の車修理工場さんが泣いています それになんかチップなど使っているのでもう素人には(クロートも?)訳が解りません でも故障しないんだからいいかー それにほんとーにパンクもしませんね 手がかからなくなった分チョット寂しい気もします(^_^;) それでもタイヤの溝は減りますよね 2年くらい?で交換 この辺はスノータイヤの交換もあるので 出費は馬鹿になりません

私も年バレル?のいやだからこれ以上言わないでおきます(笑い

これは marujee さんの 856 に対する返信です

もう笑っています☆
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 12:35
メッセージ: 858 / 1890

ある日逃げ遅れた米兵が火炎放射器で挑みかかってきた 打たれて傷つき日本軍の尋問が始まった 若い米兵は1通の手紙を持っていた 「早く帰ってきなさい 母はそればかり待っています」 これを読んだ西部隊長は「どこの国でも人情に変りはないなー」といつになく悲しい顔をした 乏しい薬を与え手厚く看護したが 翌日西に感謝しながら 息を引き取ったとか

;;;;

この戦いから? 日本軍はやみくもに玉砕することをやめ少しでも長く戦う持久戦法を取った画期的戦術の転換があったように思います 沖縄にも続くこの粘りが 米国をもって本土上陸決戦を躊躇させ今日の日本がある・・・そんな風に思いましたが(間違いかな?)

これは s1_9150242 さんの 854 に対する返信です

>そう言えば硫黄島☆
投稿者: jnfi67 2003/ 1/24 12:47
メッセージ: 859 / 1890

そう言えば。。。

栗林中将も、西中佐も、騎兵将校なんですよね...
彼らの勇戦・力戦は疑い無い事ですが、騎兵科出身なら、もっと広々した戦場で戦う機会があれば、もっと本領発揮できたんじゃないかなぁ...と、想像してしまいます。

因みに
栗林中将:「愛馬進軍歌」を作詞(作曲は?)
西中佐:男爵・ロス五輪・馬術障害金メダリスト
陸軍には珍しく、ダンディコンビですねぇ。

これは honkytonk_2002_x さんの 853 に対する返信です

>トピ外れ・・・日本製は良い
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/24 13:10
メッセージ: 860 / 1890

うむ、お説の通りですなあ…。

>車を止めておくと必ずオイルが漏れて下に落ちていた

エンジン、ミッション、デフ…。そのあたりのパッキン類の向上でしょうなあ。

>エンジンのプラグを磨かないものなぁ

今は、たいてい(?)白金プラグですしねえ。白金タイプは磨いたらダメ、という奴で、10万kmはOKですしね。(ただし1本1500円ぐらいする!)

>今では無鉛ガソリンだから鉛が入っていない。

あの鉛なのですが、対ノック性がいいと言う事でしたが…。
もともと飛行機エンジン用だったのが、第二次大戦後に鉛メーカーが仕事が減るのを恐れて自動車メーカーに売り込んだ、という説があります。ですから、ガソリンのオクタン価が上がれば、鉛などは入っていない方がいいようです。
ただし、吸気弁(インテークバルブ)のシート部分の「厚膜潤滑」のためには、やはり鉛はいいようです。無鉛ガソリンだとどうしてもバルブのポペット部分(傘の形状の部分)が減って段差が出来てしまうらしいです。…と言っても、そもそも今時はオシャカになるまで車に乗る人はいないですからねえ。

>デスビのポイント調整したりしたなぁ。

ハイハイ。あれはあれで面白いものですね。
今はフルトランジスター式で、ポイントそのものがデスビから消えましたしねえ。
更に、パワートランジスター式で、デスビそのものが消えたりしていますし。

…って何で私がそんな事知っているかと言うと、けっこうアナログな車に乗っていますので…。

以上、横レスでした!

これは marujee さんの 856 に対する返信です

こんにちは、皆さん
投稿者: crub4o 2003/ 1/24 13:12
メッセージ: 861 / 1890

>でも韓国、中国に追いつかれるかなぁ。

marujeeさん。
中国は知りませんが、韓国にはありえんでしょう。
どのトピにも跋扈跳梁してる差別的言辞を弄する輩は許せませんが、
未だに両班気質が完全に抜け切れていない、額に汗して働く行為を
密かに(或いは公然と)軽蔑する隠然たる社会的気風が存在する限り、
韓国が真の意味の工業国家に脱皮する日はまだまだ遠いのでは・・
と思います。 まあ、日本人も反面教師にせねばなりませんが。
両班気質に関するあの有名な逸話にはホンとに笑いました。

李朝時代に、朝鮮に赴任した外国の大使がテニスに汗を流していたら・・
ある両班「大使は何をされているのかな?」
大使館員「テニスと言う球技をやっているのです」
ある両班「そのような事は、下人にやらせればよいものを!」


>車も本当に故障しませんなぁ・・・・

故障はしませんけど、事故に会えば・・
最近、某所で追突されて、廃車になってしまいました(泣)

>沖縄にも続くこの粘りが 米国をもって本土上陸決戦を躊躇させ今日の日本がある・・・そんな風に思いましたが(間違いかな?)

トピ主様。
硫黄島での血戦が、米国の中に本土上陸への危惧を生んだのは
どうやら本当らしいですね。 何かの本で読んだ事があります。
同時に、沖縄でいよいよ生か死かに追い詰められた日本軍から、
初めてまとまった自発的投降者が出た事も、米軍にとっては
参考になったみたいです。
日本人が皆殺しにされるまで投降しない狂信者ばかりでは
決してないと言う風に。

沖縄戦では、米軍の負傷者救出に関する姿勢について、
ある日本軍人が次のようにコメントしてるそうです。
「米軍救護班は、自軍の負傷者を救出する為に万難を排す努力を
なす。 弾雨飛び交う中、彼らは敢然と飛び出し、自らの死を恐れず。
その意気を思うや、敢えて打ち倒すに忍びず・・」と

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>「愛馬進軍歌」
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 13:20
メッセージ: 862 / 1890

jnfi67さん 横レスですが

愛馬進軍歌いいですね 軽快で思わずいっしょに歌いました(始めて聞きます!

http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/aibashin.html

作曲:新城 正一>だそうです


国を出てから幾月ぞ
共に死ぬ気でこの馬を
攻めて進んだ山や河
取った手綱に血が通う

これは jnfi67 さんの 859 に対する返信です

クラブさんだいじょうぶ?
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 13:28
メッセージ: 863 / 1890

>最近、某所で追突されて、廃車になってしまいました←ムチウチにならなかったですか? おけがはありませんでしたか?

車は保険でなんとかなりますが 体はねー


>「米軍救護班は、自軍の負傷者を救出する為に万難を排す努力を
なす。 弾雨飛び交う中、彼らは敢然と飛び出し、自らの死を恐れず。
その意気を思うや、敢えて打ち倒すに忍びず・・」と

今日は日本軍人の心有るところずいぶん見せていただき感激しています(^^)

これは crub4o さんの 861 に対する返信です

さらにさらに(笑)トピずれ
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/24 14:17
メッセージ: 864 / 1890

国産車に関しては、ほんと、文句がなくなりましたね。

プラグやポイントの話、元整備士の私にはとても懐かしいです。学校ではやったけどいまそんなこといったら年が・・・笑

かつて満州でトラック隊にいた人の話
「車が増えるというので待っていたら、やってきたのは国産車でがっかりした。(多分日産の「ブルドッグ」)よその中隊にはフォードの中古トラックが有ったが、これは零下30度でも一発でエンジンがかかり、故障も少なくうらやましかった。国産車は、オイルパンの下に七輪をおいたり、キャブレターに懐炉をのせたりしてエンジンを温めておいても、なかなかかからず、始動するだけでも大変だった」


戦後、飛行機を作れなくなった技術者たちは、自動車でいい仕事をしました。スカGの話が出ましたが、「プロジェクトX」で紹介されていたスバル360も忘れてはならないでしょう。車体の軽量化など、飛行機の技術の流れをひくものです。そういえばこのメーカーは、元の中島飛行機でしたね。

これは honkytonk_2002_x さんの 860 に対する返信です

>>愛馬進軍歌
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/24 14:32
メッセージ: 865 / 1890

愛馬進軍歌(愛馬行進曲とも呼ばれる)は1939年陸軍省制定歌を公募し、作曲:新城正一、作曲:久保井信夫の作品が一等当選となった。

選定の実際は、陸軍省兵務局馬政課が行い、当時課長であった栗林大佐の作との風説が広まった。

作詞者は、当時北九州の中学教諭。作詞者は、歌人。(歌詞も七五調の定型詩である)

歌詞について:「共に死ぬ気でこの馬と」が正しい。

*資料=「昭和史 7 太平洋戦争後期」研秀出版 76年 他

これは s1_9150242 さんの 862 に対する返信です

皆さま、ありがとうございます
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/24 15:13
メッセージ: 866 / 1890

デコポン様をはじめ、皆さまのお話、大変楽しく拝読しました。

後刻改めてレスさせて頂きます☆ (私ちょっと忙しくなるかも…)

(「スバル」の話など、私のハートにピピッと来ました。)

これは dekopon346 さんの 864 に対する返信です


>>>愛馬進軍歌
投稿者: jnfi67 2003/ 1/24 15:54
メッセージ: 867 / 1890

あ、そうなんですか。
馬政課が選定したから、栗林大佐が作った、って風評になったんですか。
知りませんでした。すっかり「作詞」したものだとばかり...(^^;

これは yatiyochan さんの 865 に対する返信です

楽しいお話でした>みなさま
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 16:33
メッセージ: 868 / 1890

今日は泣いたり笑ったりでありがとうございます>みなさま

デコさん>スバル360ってあのワーゲン小さくしたような? そうなら乗りましたよ(友達の間では人気)あれ乗っている人は彼女に持てていました ミニカーなんてのもありましたね

yatiyochanさん>リンク間違っていた?もしそうならまたまた★ また教えてください 

今日は今から会議です 帰ったらまた楽しみにしています(^^)

Ps;「プロジェクトX」が出ていましたが以前フラッシュで検索していたら2ちゃんねる?とかで太平洋戦争を題材にしたすばらしく感動もののフラッシュ作品と出会いました そのとき始めて「地上の星」と出会い 中島さんの歌聴きました そしたら紅白に出ていてびっくり・・・そんなこと思い出していました

これは dekopon346 さんの 864 に対する返信です

無意味な合い駒
投稿者: latter_autumn 2003/ 1/24 16:56
メッセージ: 869 / 1890

>沖縄にも続くこの粘りが 米国をもって本土上陸決戦を躊躇させ
>今日の日本がある・・・

南九州上陸(オリンピック作戦)予定が、1945年11月。
関東上陸(コロネット作戦)予定が、1946年3月。
アメリカ軍の中にもこれらの作戦を懸念する者もいるにはいましたが、統帥部は作戦計画を承認しています。

粘りと言うよりは、悪あがきでしょう。
詰め将棋で「形は既に詰んでいるのに、無意味な合い駒を打ち続けて手数を長くしている」ようなものです。

本土決戦を躊躇したのは、むしろ日本側です。
「今日の日本」と繋げて考えるなら、降伏したからこそ「今日の日本」があるのだと思います。

これは s1_9150242 さんの 858 に対する返信です

>摺鉢山頂上の戦闘
投稿者: marujee 2003/ 1/24 17:16
メッセージ: 870 / 1890

アメリカ側の記録とは違いますねぇ。

>海兵隊の一中隊は、山頂によじ登って星条旗をおし立てた。と、たちまち、その星条旗はうちたおされた。百名の生きのこり日本兵が、突撃してこれをうちたおしたのである。が、ついに午後3時もはや、摺鉢山には一名の日本兵も生きのこっていなかった・・・

摺鉢山に星条旗最初にあげたのは1020(1945/2/23)、2度目をあげたのは1435となっています。
http://www.bullworks.net/iwojima.htm

これを見ても(下から1/4のあたり)最初のものは1020で2度目に揚げたのはその約3時間後と書いてあります。
http://www.geocities.com/Pentagon/7338/usmc.html

そして日本軍の抵抗はパトロール隊(40名・・・中隊ではない)が登っているときにはまったく無く、頂上ではチョットあった(@噴火口付近の敵の抵抗拠点となりうる窪地を見て回った・・・A最初の写真をとったカメラマンが手榴弾を投げられ、これを避けようとして噴火口の中に落ちた・・・との記述あり)が、100名もの組織的な反撃があったとは書いてありません。
またWar at Sea(Scribner社/Nathan Miller)にも同じような記載がありました。

これは yatiyochan さんの 845 に対する返信です

>無意味な合い駒
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/24 17:36
メッセージ: 871 / 1890

latter_autumnさんレスありがとう

>沖縄にも続くこの粘りが 米国をもって本土上陸決戦を躊躇させ今日の日本がある・・・そんな風に思いましたが(間違いかな?)

>>「今日の日本」と繋げて考えるなら、降伏したからこそ「今日の日本」があるのだと思います。

・・ですね やはり間違いであったかと・・ご意見ありがとうございます 詰め将棋に例えられてのお話はよく解りました
南九州上陸(オリンピック作戦)と関東上陸(コロネット作戦)がもう計画決定されていたんですね コロネット作戦は知りませんでした ありがとうございます またどうぞご意見お聞かせくださいませ

Ps;オリンピック作戦とコロネット作戦 ですが もしこんなのやられていたら日本は ほんとうに大変だったと思いますね おっしゃるように >降伏したからこそ「今日の日本」があるのだと思います <同感いたします

これは latter_autumn さんの 869 に対する返信です

>そう言えば硫黄島☆
投稿者: yuki070507 2003/ 1/24 20:55
メッセージ: 872 / 1890

 市丸少将の「ルーズベルトニ与フル書」を見ました。
 感想を申しますと、大きな感動とショックを受けました。
 
 私達は、戦後の米国主導による日本人の自己破壊に気づき、戦前日本の正当な評価を目指しながら、それでも戦後の教育に毒されていたのではなかったかと・・・。

 最後を迎えた市丸少将の心情を思うに、嘘や見栄はあろうはずありません。
 心から日本を思う純粋な気持ちから発せられた言葉に違いないと思います。

 それにしても、驚かされるのは、彼の日米の情勢いや世界情勢を見る目の確かさとここに至るまでの日本の行動に対する正義の確信です。

 世界情勢に対し、あれだけの見識を持つ市丸少将が、単に偏狭なナショナリズムから発した自己弁護の言葉とはとても思えません。
 東条英機の遺書も立派でしたが、彼の場合、私の心のどこかで偏狭な国粋主義者の自己弁護だという気持ちを否定できずにいました。

 しかし、我々は、わかったつもりでいて、とんでもない思い違いをしていたのかも知れませんね。

 当時の軍人達の心情。大東亜戦争の意義など。
 我々は、表層の歴史的事件・事象の底に流れる日本人の気持ちをもっと理解すべきなのかも知れません。

 私は以前から、利害に関わる人々が全て居なくなり、恨みや憎しみが消え去ったときには、日本の侵略戦争(とされる行為)はアジア解放の偉業だったと評価される日がきっと来ると思っています。

 しかし当然のように、それはあくまでエポックメイキングとしての結果であり、正義の理念から発したものではないと思っていました。
 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が今では殺戮者でなく、戦国の世を終わらせ、太平の世を創った偉人と評価されているように。

 honkytonk_2002_xさん。よい資料のご紹介ありがとうございました。

これは honkytonk_2002_x さんの 853 に対する返信です

少しずつレスさせて頂きます
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/24 22:08
メッセージ: 873 / 1890

>元整備士の私にはとても懐かしいです。

あ、そうだったんですか!
少し楽しんで頂けたら幸いです。私は、整備ではないのですが、仕事では自動車とかかわりがあります。

>よその中隊にはフォードの中古トラックが有ったが、これは零下30度でも一発でエンジンがかかり、故障も少なくうらやましかった。国産車は、オイルパンの下に七輪をおいたり、キャブレターに懐炉をのせたりしてエンジンを温めておいても、なかなかかからず、始動するだけでも大変だった

その話は聞いた事がありますね。
新車の国産車より、中古の外車の方が軍用トラックとして遥かに信頼性があったと…。
「七輪」の話は、私が知る限り日本の飛行機でもあったようですよ。
また、どこか国は忘れましたが、厳冬期の戦車の始動で、オイルにガソリンを混ぜ、希釈してから(「ダイリューション」ですね)エンジンをかけ、そのうちオイルが温まればガソリンも蒸発するから(エバポレーション)、まあいいだろう、という話を聞いた事があります。

>戦後、飛行機を作れなくなった技術者たちは、自動車でいい仕事をしました。スカGの話が出ましたが、「プロジェクトX」で紹介されていたスバル360も忘れてはならないでしょう。車体の軽量化など、飛行機の技術の流れをひくものです。そういえばこのメーカーは、元の中島飛行機でしたね。

まったく同感です。
スカGも実は中島飛行機と立川飛行機の混血なので、私も実際スカGに乗っていますが、日本のマイカー時代の夜明けとしては、スバル360の功績が偉大すぎると思っています。

中国の自動車業界の躍進著しいこの頃ですが、私は「これだけは中国のエンジニアには作れない」と確信するものは、スバル360です。(「能力」ではなく、「心意気」の面で。)
大体、食うや食わずの技術者達が、「大衆に安くて丈夫な車を提供したい」という熱意を持ち、家族に犠牲を強いながらも臥薪嘗胆して完成させるのは、往年の日本の技術者の最大の美点だったと思います。

「ヒット作を設計して出世したい。一族郎党を富裕にしたい」などという「私利私欲」無しの、献身的な「公共心」の話です。

そう言えば…

私が幼少の頃は、スバル360でもやっぱり立派に見えましたからねえ。(トピ主さんもおっしゃっている通り。)
私の親戚の家の法事の時、和尚さんが金色のスバル360デラックスから、キラキラした衣を着て出てきた時は、子供ながらにとてもシュールだと思いました。

これは dekopon346 さんの 864 に対する返信です

>戦後の生産技術
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/24 23:37
メッセージ: 874 / 1890

皆さん、規格からいろいろと話を膨らませて頂いてありがとうございます。

今日は、早起きして大阪へ会議、午後から戻ってきて夜まで業務とハードな一日でした。ここは大阪の西約400kmなのですが、ひかりレールスターの登場で、このような離れ業ができるようになりました。新幹線700系(のぞみ号とひかりレールスターで使用)はスピードだけでなく、乗り心地、騒音、振動と日本の技術の粋が集められたすぐれものだと思っています。

車が話題になっておりますが、またまたアメリカねたで恐縮(そろそろ出羽の守と呼ばれているかもしれませんね)なのですが、アメリカでも東海岸の都市部でハイウェーの渋滞に何度か遭遇しました。原因は反対側車線で事故があったとか、なんてことないのですが、結構渋滞は巨大化します。といいますのは渋滞が始まってのろのろ運転になりますと必ず故障する車が現れます。そこを起点にさらに渋滞が伸びるわけです。そういう目に合うにつけ、日本の車は優秀だなと思ってしまいます。もっともこれについては、車検制度などメンテナンスに関する規制の厳しい緩いなどがありますので一概には言えませんが。

それと、思い出したのですが、あちらで日系3世のビジネスマンに会った時に伺った話です。その方が以前に海軍に入隊されていて、横須賀で日本の護衛艦に乗ったときの話ですが、船はヘリコプター搭載艦(時期的にいって「ひえい」か「はるな」だと思うのですが)でヘリ発着甲板に油がほとんど散っていないのを見て、日本の生産技術(ヘリコプターも確かライセンス生産)に驚かれたそうです。つまり同じ設計なのに、かたや油を撒き散らす、かたや、ほとんど油を散らさない、ということで、私もそう思い込んでいたのですが、ひょっとして単に掃除好き(潔癖症?)かそうでないの違いということもありえますね。

これは honkytonk_2002_x さんの 873 に対する返信です

>スバル360
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/24 23:56
メッセージ: 875 / 1890

>中国の自動車業界の躍進著しいこの頃ですが、私は「これだけは中国の
>エンジニアには作れない」と確信するものは、スバル360です。
>(「能力」ではなく、「心意気」の面で。)

私もそう思いますが、今の日本人にも第2のスバル360を作る「心意気」が果たしてあるのかな、と考えてしまいました。
今の日本企業は、目先の利益を優先させる傾向にあり、また社員の成果主義は、むしろ心意気より成果として形になるようなものを優先させてしまっているのではないかと思います(私は今まで「官」のアンチテーゼとして企業を持ち上げてきた面もありますが、企業をミクロな視点で見れば、問題点は数多くあり、その点は自己批判を含めて厳しく指摘したいと考えています)。
確かにトヨタはハイブリッドカーを他社に先駆けて販売し、燃料電池搭載社の開発も進めているなど環境に積極的に取り組んでいる「心意気」を見せていますが、今、トヨタはアメリカでEPA(環境保護局)から巨額の賠償を伴いかねない、環境保護違反の疑いをかけられており、それに対するパフォーマンスに過ぎず、見せかけの「心意気」ではあるまいか、とも考えています。
ただ、見せ掛けでも、そういった環境負荷を飛躍的に低減させる車を開発していくのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。
そういう意味では昨年の田中耕一さんのノーベル賞受賞が、日本企業の社員に理想をめざす「心意気」を持つ勇気を与え、日本の企業がもっとその「心意気」に対して寛容になるきっかけになればと思います。

これは honkytonk_2002_x さんの 873 に対する返信です

硫黄島の星条旗(遅すぎ)
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/25 14:05
メッセージ: 876 / 1890

ニュースフィルムで硫黄島の旗を立てるシーンを見たことがありますが、あの像そっくりでした。そのとき、「あれれ、これって・・・?」と、とまどったことを覚えています。

世界中どこでも同じことをやってるんですね。私が知っている例は、ベトナム戦争のとき。北ベトナム軍の戦車がサイゴンの大統領宮殿のゲートを破って突入するシーンです。(映像でご覧になった方いるかな?)あれも、戦闘が終わってから、北ベトナムの撮影班が撮っていました。カメラの位置が宮殿のバルコニーだから、ばればれなんですよね(笑)。

それと、米軍救護班のこと。
アメリカの海兵隊は、できる限り戦死者、負傷者を収容することが伝統だときいています。朝鮮戦争で中国軍の攻勢の前にやむなく退却と決まったとき、運べない死体は埋葬し、その位置をきちんと記録して退却していったそうです。「いずれ、遺骨を回収できるように」と。
この、「見捨てず、見捨てられない」伝統は、えらいものだと感心しました。

これは o_sole_mio00 さんの 875 に対する返信です

出羽の守 ?
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/25 16:26
メッセージ: 877 / 1890

オソレさん>大阪出張お疲れさま

私は本題と関係ないところに目が行ってしまう悪いくせが 本文中「出羽の守」ってなんだー 調べたら・・・では(アメリカでは・・)をよく使う人のことなんですね 知らなかった そう言う人は嫌われる・・となっていましたが そんなことないですよ また1つ覚えました

あと新幹線700系ってなんだー

http://www.jr-odekake.net/guide/railstar/gallery.html

と言う事でまたまたGET!(^^)
今日も休肝日になりません

これは o_sole_mio00 さんの 874 に対する返信です

兵どもの夢の後>クラブさん
投稿者: marujee 2003/ 1/25 17:54
メッセージ: 878 / 1890

>中国は知りませんが、韓国にはありえんでしょう。

そうあって欲しいですね。でもオリンピック、インターネット普及率、ブロードバンドでは負けてますね。これをみていておいおい日本は良いのかい?と思えてきます。最近は何でも弱気になります。
両班制度の話は私も読んだことがあります。韓国も日本以上に中国に追われて大変でしょう。

>硫黄島での血戦が、米国の中に本土上陸への危惧を生んだのはどうやら本当らしいですね。 何かの本で読んだ事があります。

硫黄島、沖縄での死傷者の数は過去3年の死傷者(太平洋戦争における)をこえるという話を読んだことがあります。そのためにアメリカは本土上陸に先立ち原爆投下をした?と書いてありました。

>沖縄でいよいよ生か死かに追い詰められた日本軍から、初めてまとまった自発的投降者が出た事も、米軍にとっては参考になったみたいです。

沖縄には民間人、急遽徴用された兵士もいましたからねぇ。投降者があったことにほっとします。サイパンでは民間人がバンザイ・クリフからの日本人女性が飛び込んでいく悲惨なニュース映像をご覧になった方もおみえだと思います。

・・・この戦いでは後味の悪いことが起きた。米軍による凶悪な残虐行為があるとのプロパガンダを信じた役8000名の民間人が、あるものは子供を抱いて島の北部の崖から鱶のいる海へと飛び込み自殺を図ったのだ。
掃海艇艦長クリアベス大尉によると「この地区では浮いている死体がいっぱいで船を進めることが出来なかった・・・」。「その中には赤ん坊を生みかけのまま溺死した裸の妊婦の死体があった。赤ん坊は頭を出したそのままの状態で死んでいたのだ。・・・4〜5才の子供が日本兵の首にしがみついたまま溺死しているのもあった。岩場に頭をぶつけた死体が4体あった。・・・海面上には何百の溺死体でいっぱいであった・・・」・・・「War at Sea 」N.Miller より抜粋
反吐が出るような話ですが、本当に戦争の残虐さ、酷さを強く感じます。

http://www.hi-ho.ne.jp/k-akiba/073_spn_drive_puntan.htm
http://www.hi-ho.ne.jp/k-akiba/049_spn_div_banzai.htm

今ではダイビングの名所だそうで・・・・。

これは crub4o さんの 861 に対する返信です

出羽守大いに結構>オソレさん
投稿者: marujee 2003/ 1/25 18:14
メッセージ: 879 / 1890

>またまたアメリカねたで恐縮(そろそろ出羽の守と呼ばれているかもしれませんね)なのですが

昔どこかの国があまりにも外国のことを知らずにとんでもない戦争をしでかしたのですから・・・。

上司によく言われました。「分からなかったら他所のやっている良いことの真似をしろ。真似も出来ないのか・・・情け無い」 でも日本は真似するまでは良かったが、真似されるようになると何をしたら良いのか分からなくなった・・・という状態なのですね。今は・・・

>つまり同じ設計なのに、かたや油を撒き散らす、かたや、ほとんど油を散らさない、ということで、私もそう思い込んでいたのです

戦時中、日本人は撃墜されたB-29のエンジンを見て油が漏れてなくて驚いたものですが・・・時代は変わりましたなぁ。

これは o_sole_mio00 さんの 874 に対する返信です

バンザイ突撃?
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/25 21:22
メッセージ: 880 / 1890

こんばんは>s1です

マルジーさんの投稿読ませていただきました 今まで会議で その中に80を越えられる方がおられました 質問の矢(笑い

鹿児島から 房総へ転属とかで海軍の兵器整備員だったそうです ヒヤ−すごいですね それで どうなったんですか それから・・・と 私 機関砲担当とか 撃墜2機あったとか その時の様子思い出しながら 

でもいろいろお聞きしていたら 戦後なーんの補償もないとか(^_^;)

なんでー とお聞きしたら 国外へ出た兵士しか年金?出ないんですって・・・ほんとですか? でも命あってよかったですからーーと 私

うーん いろいろ考えてしまいました

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

バンザイ突撃A
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/25 21:34
メッセージ: 881 / 1890

ごめんなさい なぜ?の表題
昨日から いろいろ本を読みあさっていましたら 「 バンザイ突撃」は 戦後外国のメディアがおもしろく?報道した・・と

決して諸手を上げて「バンザイ」と叫びながら 自殺行為突撃したんじゃない・・

また★?かも

これは s1_9150242 さんの 880 に対する返信です

バンザイ突撃にむかう考え方
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/25 22:51
メッセージ: 882 / 1890

に、興味があるのです。なぜ、あんなことを日本軍はしたのでしょうか。

もちろん、要因が多すぎて、これこそが原因だと特定できるものではないにしても、いったいなぜ?
「死して虜囚の辱めを受けず」の教えや、桜の花の散り方を美しいと感じる心、「ええい、もうどうでもなれ」的なやけくそ心理など(またしても浅野内匠頭?笑)さまざまな要因が考えられると思いますが。

はっきりいって無意味な(敵に与えた損害など、心理的な面はともかくほとんどなかったのでは)この行動を、なぜとってしまうのでしょう。
どうも、われわれ日本人の心の中には、壮烈な最期に美を感じる精神がいつのころからか根ざしているようです。特攻隊に対する感情など、その最たるものでしょう。


こういった考え方が、戦時どころか今日でもどこからともなく出てくるところに、日本人の大きな課題がありそうです。軍事カテの「本土決戦スレッド」なんてのがまじめな顔で立てられるところに・・・。

これは s1_9150242 さんの 881 に対する返信です

>出羽の守、新幹線
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/25 23:46
メッセージ: 883 / 1890

トピ主様、marujee様

暖かいお言葉ありがとうございます。お言葉に甘えまして、私の知っているアメリカ事情を折につけ紹介させて頂きます。もちろんアメリカという国は、欠点も多いですし、日本と随分事情が異なりますので以前にもお話しましたが、無批判に受け入れるべきではないと思います。いずれにしましても日米の比較は、太平洋戦争と言うものを考察するときに参考になるものであると思います。

それから、トピ主さんが引用されたサイトはおでかけネットですね。JRのおでかけネットは私の出張の友です。国内でも大都市間(博多〜東京など)は、新幹線も飛行機と熾烈な競争をしておりますが、地方都市ではやはり空港のアクセスや便数を考えますと私は新幹線派です。最近は新幹線にノートパソコン持ち込んで移動中に報告書をまとめるようになりましたし、ひかりレーススターには一部ですが、コンセントと少し大きめのテーブルのついてパソコン作業に便利なシートもあります。

そういえば新幹線は、世界の高速鉄道のなかでは、いわゆる電車方式を採用している点でユニークです。他の国では、例えば、フランスのTGVやイタリアのETR500のように編成の両端に動力を集中しているのが普通です。言い換えれば編成の両端が機関車で間が客車、といったスタイルになっています。電車にするとどうしても機構が複雑になりますので日本の精巧な生産技術がなければ、高性能を安定して達成させることは困難なのかもしれません。

思い出しましたが、戦時中に、東海道の輸送能力の限界を向かえようとしてたため、東海道に標準軌(日本の在来線は狭軌)の新線を建設し、そこへ弾丸列車を走らせる計画を立て、2,3トンネルを掘り始めたところで、終戦を迎え中止したのですが、これが後に東海道新幹線として復活した、という話を聞いた事があります。

最後になんとか戦争ネタに戻して終わる事ができました。

これは marujee さんの 879 に対する返信です

>バンザイ突撃にむかう考え方
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/26 1:46
メッセージ: 884 / 1890

>こういった考え方が、戦時どころか今日でもどこからともなく出てくるところに、日本人の大きな課題がありそうです

宴会なんかすると決まって乾杯の音頭から始まり バンザイ三唱で終わりませんか?何か違和感を覚えるこの頃です 若い女性の方も「バンザイ」と両手を上げて・・あんまりかっこいいものでは

商売人の会では「バンザイ三唱」はやりません→お店がバンザイ(倒産)につながりますから ・・で一本締めで よ〜パン です 

中国?の映画なんかでは「バンゼイ」と聞こえます やはり皇帝を称える言葉なんでしょうか 右手上げて「ガンバロー」なんてのも・・・これは選挙か(笑い

これは dekopon346 さんの 882 に対する返信です

>ほんとうのところを 知りたいです
投稿者: mm8c2600 2003/ 1/26 10:08
メッセージ: 885 / 1890

初めて参加致します。
トピ主様同様に私も本当のところを知りたいと思っています。投稿記事はまだ半ばで総て読みきっていませんが皆様からご教授を頂ければ幸いです。

まず私としては現在の日本はアメリカの世界戦略の一員として置かれていると直感します(これはあくまで直感なのでその理由を問われても答えに窮しますが)ではいつ頃から、そのようになったかを考えてみたのですが日露、日清戦争以降。即ち大東亜戦争が要因ではないかと思いました。当時の外交の行き詰まり、その要因を作った勢力。軍縮会議に於いても当時の日本全権団は会議の要所々でリーダーシップを取り見事に日本に取って有利な討議を交わしたと聞いています。にも関わらず勝ち目のない戦争に向かって行ったのは何故でしょうか。それを知る事によって本来の日本人の気質を知る事にもつながるかもしれません。しかし、それは現在の日米関係を知る上で有意義になると個人的に思っています。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

Re;>ほんとうのところを 
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/26 10:54
メッセージ: 886 / 1890

おはようございます>mm8c2600さん

>ほんとうのところを 知りたいです
>にも関わらず勝ち目のない戦争に向かって行ったのは何故でしょうか

ここまでみなさんにいろいろ教えていただいてきましたが 一言でこうだ・・と言えるものではないですね 今私が思っているのは いろんな要因がその方向に日本を押しやってきたんだなーと
しかしこのトピが終える時 大きないくつかの要因に絞り込むことはできそうな気がします みなさんと共に一歩ずつ考えていきましょう よろしくお願いします

>現在の日米関係を知る上で有意義になると個人的に思っています

全く同意見です mm8c2600さんのこれからの ご意見に期待します(^^)

これは mm8c2600 さんの 885 に対する返信です

>アメリカの国際戦略、軍縮会議
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/26 16:43
メッセージ: 887 / 1890

mm8cさん、はじめまして。o_sole_mioと申します。

アメリカ合衆国の世界戦略についてですが、アメリカは19世紀のモンロードクトリン以来、孤立主義をとっており、第1次世界大戦も不参加、国際連盟も非加盟の態度をとっておりました。アメリカ合衆国が、本格的に国際戦略を意識し始めたのは、第2次世界大戦に参加した後と思われます。したがって第2次大戦が終了し、アメリカの占領下におかれた日本がアメリカ合衆国の大戦後の世界戦略(主に対共産圏政策)の枠組みに組み込まれたのは、当然の成り行きということです。

海軍軍縮会議については仰る通り、日本代表は、海外からも高い評価を受けたようですが、海軍では軍縮条約締結に積極的であった条約派と、軍縮条約に反対し、軍備増強を望む艦隊派に分けれてその綱引きが開戦まで繰り広げられました。条約派の代表格は軍縮会議の全権代表であった加藤友三郎です。条約派の流れを汲むのが、米内光政、山本五十六、井上成美らで、特にこの3人は陸軍が推し進めようとした日独伊三国同盟を一度は、阻止することに成功しました。しかしその後、条約派は、予備役や前線に配属され、海軍中枢に艦隊派の流れを汲む人たちが占めるようになると海軍でも日米開戦に向かいました。

私の認識している概略は以上のとおりですが、このトピにはもっと詳しい人たちがいて、更に補足や修正をしてくれます。

今後ともよろしくお願い致します。

これは mm8c2600 さんの 885 に対する返信です

>バンザイ突撃にむかう考え方
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/26 17:00
メッセージ: 888 / 1890

>この行動を、なぜとってしまうのでしょう

「花は桜木 人は武士」 小学校では愛国心を熱をもって教え なんら疑うことなく「サムライ精神」を受け入れたであろうと 武士道の基本は「たおれてのち止むー恥辱をうけんよりは死を」

日本の兵に最後まで戦えと命令する必要などなく 敵にうしろを見せることは卑怯で 家名に傷がつく 最大の名誉は天皇の為に死ぬこと・・これは現在の世界でも「○軍様」と連呼している国を見ていると充分想像できます

この時代の背景に「自殺」を美化する中世的情緒主義が 例えば三原山噴火口に1青年が飛び込むと新聞を見た人がそれ以後1年間の間に149人も後追い 688人が未遂であったとか これら自殺ヒステリー症が日本の尊厳と天皇にむすびつき バンザイ突撃のような自殺行為に

信長の時代「一向一起」 江戸時代「島原の乱」 など信じるものを持った農民達の抵抗は武士をして心胆寒がらせたとか 斬っても斬っても進んでくる・・バンザイ突撃と似ていませんか 帝国軍の大多数は農民出身であったと思います その時信じさせられた? 信じたものに柔順に従った そう思います

これは dekopon346 さんの 882 に対する返信です

第二御楯隊・KAMIKAZE
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/26 18:53
メッセージ: 889 / 1890

第二御楯隊
昭和20年2月21日朝 「神風特別攻撃隊第二御楯隊」村岡弘大尉率いる零戦9彗星11天山8 計28機八丈島着陸 第1次〜5次に分け硫黄島に向け飛び立った 

同午後4時28分 空母「サラトガ」へパイロットより「敵機発見 2機撃墜」 4時59分雲間より突如6機の日本機が襲いかかった 対空砲火は熾烈をきわめ「KAMIKAZE!」の叫び
先頭2機火を噴きながら右舷激突 艦内にて爆弾爆発 続いて3番機 5番機 デッキ カタパルトにそれぞれ激突爆発 6番機火を噴くも右舷クレーンに激突 この間わずか3分 「サラトガ」6時30分消火

同6時46分5機の「KAMIKAZE」4機撃墜されるも1機が飛行甲板に7メートルの大穴を 「サラトガ」36機焼失 3機海面不時着死者123名 負傷192名

同6時45分硫黄島東30キロ 護衛空母「ビスマルク・シー」神風攻撃により炎上沈没218名戦死


本土より見放された硫黄島守備隊将兵にとって 米艦隊に勇躍突入していく日本友軍機の姿 燃え上がる米空母の姿はどのように映ったであろうか 想像に難くない しかし守備隊1人1人も神風攻撃隊搭乗員となんら変らない特攻の戦士と言ってよい 自分の姿とだぶらせ胸を熱くしたと思われる

第二御楯隊 なんのことか解りませんでしたが おかげで調べよく解りました>ありがとうホンキーさん

これは honkytonk_2002_x さんの 853 に対する返信です

>ありがとうございます
投稿者: mm8c2600 2003/ 1/26 20:29
メッセージ: 890 / 1890

o_sole_mio様、早速ご返事ありがとうございました。

確かに進駐から現在に至るまでおっしゃるとおりだと思います。私が感じたのは日露戦争の後から彼らは非常に日本を警戒しはじめ軍縮会議で是が非でも日本の軍拡に歯止めをかける必要がったのではないでしょうか。何故ならかつては借り物で戦った国が英米の艦船と同等クラスでありながら火気は遥かにそれを凌ぐ戦艦を造っていた技術と恐慌の最中にありながら、それを造る経済力があったのは予想外だった。そして先の海戦を直に見聞きしていた彼等は日本海軍の勢いを見逃す訳もなかったと思われます。日本が7割にこだわったように何故、彼らもさして根拠がなさそうな7割に妥協できなかったのでしょう。言い換えれば英米が7割で妥協すれば、すんなりと解決できたわけですから。全く個人の想像の域を出ませんが彼等は近々、交渉決裂すると見込んでいたのではないでしょうか。更に孤立した日本はきっと英米と戦争をはじめると。戦艦は勿論ですがこと潜水艦にこだわったあたりに興味があります。実際に戦争になると手痛い思いをすることになりますから。

そうは言っても本来、最大に疑問に思うのは加藤友三郎氏が語ったとうり、既にアメリカを敵国にまわしてはならないという認識が当時からすでにあったにも関わらず軍令部に代表されるように自ら、その要因を作っていく思想の素地が現代生きる私に一番理解できないとこです。このように全く幼稚な考えしか浮かんでこないのですが何分、素人だと思って今後とも寛大なお気持ちで御教え頂ければ幸いです。

これは o_sole_mio00 さんの 887 に対する返信です

>八八艦隊
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/26 23:00
メッセージ: 891 / 1890

>素人だと思って今後とも寛大なお気持ちで御教え頂ければ幸いです。

私も単なる素人です。逆にあやしいところはご指摘頂ければ幸いです。

確かに日露戦争後の対日感情は悪くなるのですが、これはドイツの皇帝が言い出した黄禍論がアメリカでも広まり始めた事、それから日本からの移民が増え、単純労働作業はアメリカ市民にとって代わるようになり、職を奪われたアメリカ市民によって対日排斥運動が活発化したためです。

こういった背景もありアメリカが日本に対して警戒心を増大させていったのは確かだと思いますが、一方日本でもアメリカは日露戦争以後の仮想敵国としてクローズアップされました。

そこで1907年(明治40年)4月4日、陸海軍統帥部が定めた「帝国国防方針」「国防所要兵力量」「帝国軍用兵綱領」には、アメリカに対する戦備として戦艦8隻・巡洋戦艦8隻を基幹戦力として計画されました。

これが、いわゆる八八艦隊の原型ですが、膨大な費用が必要となるため、実際の計画策定時(1914年)には八四艦隊で承認されましたが、1916年、仮想敵国アメリカは戦艦10隻・巡洋戦艦6隻を基幹として、156隻23万トンという巨大な建艦計画を掲げたたため、後に日本も巡洋戦艦2隻を追加し八六艦隊となりました。

そして、日本と米国は建艦競争を始めるわけですが、1922年のワシントン軍縮条約で日米両国の建艦競争歯止めがかかります。八八艦隊で日の目をみたのが、長門、陸奥の両戦艦、戦艦加賀と巡洋戦艦赤城が空母として(ワシントン条約で規制がなかったため)建造されました。アメリカでも確か、空母レキシントンとサラトガが、建艦競争の名残り(途中から空母となった)だと思います。

>恐慌の最中にありながら、それを造る経済力があったのは予想外だった。

ワシントン条約の締結が1922年で、この頃はまだ、経済恐慌は始まっておりません。むしろ「大正バブル」ともいえる状態でした。それでも八八で実行するには経済的に不可能でした。日本が経済的におかしくなるのは1923年の関東大震災以降で、1927年の金融恐慌、1929年の世界恐慌、と続き、1930年の金解禁に伴う昭和恐慌でどん底となります。

>英米の艦船と同等クラスでありながら火気は遥かにそれを凌ぐ戦艦を造っていた
>技術

戦艦「扶桑」級のことを仰られていると思われますが、この戦艦確かに日本初の超ドレッドノート級かつ日本で初めて設計された戦艦で当時世界最強と呼ばれたいたものですが、どうやらこの戦艦は設計上多くの欠陥を抱えており、太平洋戦争でも余り役に立ちませんでした。その後建造された、伊勢級、長門級でも設計上の欠陥のため、たびたび改造が行われました。扶戦艦陸奥記念艦の陸奥に関する説明にあったのですが、陸奥(長門も同様)は煙突の位置に問題があり、煙突を曲げて見たり、2本ある煙突を1本にまとめたり、いろいろ苦心があったようです。もっともそのことは、米英は知らなかったかもしれませんが。

これは mm8c2600 さんの 890 に対する返信です

>八八艦隊(訂正)
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/27 0:15
メッセージ: 892 / 1890

>戦艦加賀と巡洋戦艦赤城が空母として(ワシントン条約で規制がなかったため)建造されました。

と書きましたが、ワシントン条約に空母の規制がなかったわけではなく建造中の主力艦のうち2隻を空母に改造することが特例として認められていたため、の建造でした。レキシントンとサラトガも同様の理由です。
ちなみに本来は、速力の速い巡洋戦艦である天城級を改装する計画でしたが、1番艦の天城は関東大震災で損傷していたため土佐級の2番艦の加賀が2隻目に当てられたということです。

うろ覚えで書くとろくなことはありません。失礼致しました。

これは o_sole_mio00 さんの 891 に対する返信です

>市丸少将の「ルーズベルトニ与フル書」
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/27 10:53
メッセージ: 893 / 1890

お早うございます。yuki様、まずは喜んで頂けたようで、私も嬉しく思います。

> 私達は、戦後の米国主導による日本人の自己破壊に気づき、戦前日本の正当な評価を目指しながら、それでも戦後の教育に毒されていたのではなかったかと・・・。

そうですね。戦前の極端さから、戦後の極端さへ…。なぜ、「良いものは良い、悪いものは悪い」と正当な評価を与えられないのでしょうか?
確かにGHQ主導の「何でもかんでも日本の軍部を主体とする指導者層が悪かった。連合軍は、圧政下に苦しむ日本国民を開放した」という考え方は、あながち間違いと言えなくとも、ならばそれ以前のものは何でも誤っていたのか?と言うと、然にあらず。
まさか市丸少将の「手紙」を読めば、それを「侵略行為」の「言い訳」だの「こじつけ」だのと思う人は、いますまい。なぜなら市丸少将は「命乞い」をしているのではないのですから。また、ふてくされているのでもないのですから。

>私は以前から、利害に関わる人々が全て居なくなり、恨みや憎しみが消え去ったときには、日本の侵略戦争(とされる行為)はアジア解放の偉業だったと評価される日がきっと来ると思っています。
>しかし当然のように、それはあくまでエポックメイキングとしての結果であり、正義の理念から発したものではないと思っていました。
 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が今では殺戮者でなく、戦国の世を終わらせ、太平の世を創った偉人と評価されているように。

戦争自体を待ち望む人や、したり顔で戦争を肯定する人は、あまりいないと思いますが、戦争は破壊を意味する一方で新たなものの創造のきっかけになってきた事も、また事実です。
信長、秀吉、家康にしろ、当時は殺戮者・独裁者としての面が生々しく人々には映ったかも知れませんが、今ではおっしゃる通り、長い戦乱の世を終わらせた(終わらせようとした)画期的な人物達と評価されています。

世界史上の「五大海戦」の最後にあたるのが日露戦争での日本海海戦です。(順番にサラミス、レパント、アルマダ、トラファルガーの各海戦。リンク↓)

http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/history00.html

日露戦争自体は、日本から見れば日本の安全保障上の理由から戦われた戦争ですが、世界史の上から見れば、やはり「アジアの開放の第一歩」であったと言わざるを得ません。
それは日本人が望もうと望まざるとにかかわらず、そういう意義を持ったからです。
私としては、それを日本人が殊更に過去の栄光としてひけらかすべきではないと考えます。(誇らしくは思っても。) その時の日本は偶然、前期の信長らと同じく、そういう時代にそういう実力を蓄えた状態で居合わせた「役者」の一人であったと思います。

第二次世界大戦(太平洋戦争を含む)自体も多面性も持ちます。「持てる国」と「持たざる国」、「自由主義」と「全体主義」、「欧米」と「アジア」、「西側」と「東側」(末期には既に冷戦の徴候が見えていましたし)、などなど…。
さらに年月が経てば、更に冷静に、客観的に考察されるようになると思います。

いずれにせよ、まさかテレビの時代劇ではあるまいし、全てを「善」と「悪」に真っ二つに分けられる事は無いと思います。例えばシヴァ神や天使ガブリエルが「創造」と「破壊」の両方を司るように。

これは yuki070507 さんの 872 に対する返信です

>>戦後の生産技術
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/27 11:13
メッセージ: 894 / 1890

o_sole_mio00様、お早うございます。
興味深いお話しを、有り難うございました。

>渋滞が始まってのろのろ運転になりますと必ず故障する車が現れます。そこを起点にさらに渋滞が伸びるわけです。そういう目に合うにつけ、日本の車は優秀だなと思ってしまいます。

これは、実に不思議なもので、そもそも日本ほどには渋滞慣れしていないアメリカ車は、やはり渋滞に弱いのでは?と思えます。
それはアメリカ車に限らず、英国車、イタリア車などの全ての外車に言えると思います。
しかしそれはそれぞれの国の交通事情によるものであって、「善し悪し」の問題ではないと思えるのですよね。

アメリカ車は、渋滞に弱くても、ひたすらにフリーウェイを突っ走る際には最適だと思いますし(アメリカで一時的に仕事をしていた時にそう思いましたが、日本車でフリーウェイを突っ走っても「まあ、悪くなんじゃない?」とは思いました)。
また、イギリス車、特に古い車は渋滞に滅法弱く、バッテリーの充電が間に合わなくなった、などという場面に遭遇した事があります。
イタリア車は、イギリス車に若干近い部分も有りますが、もっとクレイジー(良い意味で)で、もっとも驚いたのは、昔のアルファロメオのトランスミッションが、ニュートラルから1速へ戻す際のシンクロ(ギアの同調機)が非常に弱いという事です。つまり、イタリア人からしてみれば「1速など発進の際にしか使わないのだから、それでも構わない」という事ですね。日本みたいな渋滞が名物になる国では到底通用しない発想です。
むかし、日本車が急な山道や未舗装のデコボコ道には強くても、東名高速道路が開通した途端にオーバーヒートが多発した、などという話もあります。(つまり、長距離高速運転という下地が日本には無かったからやむを得ない話ではありますね。)
おっと、ちょっとずれてしまいました!

これは o_sole_mio00 さんの 874 に対する返信です

>>スバル360
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/27 11:28
メッセージ: 895 / 1890

>今の日本人にも第2のスバル360を作る「心意気」が果たしてあるのかな、と考えてしまいました。
今の日本企業は、目先の利益を優先させる傾向にあり、また社員の成果主義は、むしろ心意気より成果として形になるようなものを優先させてしまっているのではないかと思います

それは全く同感であります。
私自身はエンジニアではありませんが、エンジニア達を間近に見ていると、どうも「疲弊」しているのではないかと、思えてしまいます。(もちろんそれは私が見た限りの事ですので、乱暴に一般化するつもりはありません。)

元来多くの夢や希望に燃えていたエンジニア達が、一企業人でもあらねばならないという現実に直面し、次第に「創造」から「山積された要求を必死にさばく」方向に重点が移動してしまった、と言えないであろうかと…。
ですから、一概に現代の技術者達を十羽ひと絡げに批判する気などありません。

しかし、自己満足に終わらない献身的な「心意気」は今いずこ?ではありますよね。「哲学」と言い換えてもいいかも知れません。

これは o_sole_mio00 さんの 875 に対する返信です

追記
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/27 11:33
メッセージ: 896 / 1890

歴史の出来事の見方と言えば、ナポレオン1世をどう見るか、も例として分かり易いかもしれませんね。

ヨーロッパを席捲した侵略者と見るか、本人が称した通り「革命の申し子」であって、欧州各地に革命の種子を蒔いて廻った、と見るか…。

ナポレオン自身が仮に自己顕示欲だけの人物だったにしても、確実に革命の種子は欧州で発芽しましたしね…。

これは yuki070507 さんの 872 に対する返信です

「ルーズベルトニ与フル書」
投稿者: latter_autumn 2003/ 1/27 17:18
メッセージ: 897 / 1890

>まさか市丸少将の「手紙」を読めば、それを「侵略行為」の
>「言い訳」だの「こじつけ」だのと思う人は、いますまい。

私は、こじつけだと思います。
これが彼の無知ゆえなのかそれとも故意なのかは、判りませんがね。

>白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ
>有色人種ヲ以テ其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。
>之ガ為奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ彼等ヲ
>喪心無力化シメントス。

↑特に、ここと、

>大東亜戦争ニ依リ所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ所在各民族ハ我ガ
>善政ヲ謳歌シ

>大東亜共栄圏ノ存在ハ毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ却ッテ世界
>平和ノ一翼トシテ世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ
>日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量
>アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。

↑ここです。
「我ガ善政」とか「世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スル」とか、まやかしですね。

>なぜ、「良いものは良い、悪いものは悪い」と正当な評価を
>与えられないのでしょうか?

日本が「大東亜共栄圏」で行った圧政と搾取については、「悪いものは悪い」と正当な評価を与えるべきだと思います。

これは honkytonk_2002_x さんの 893 に対する返信です

感謝致します
投稿者: mm8c2600 2003/ 1/27 19:28
メッセージ: 898 / 1890

o_sole_mi様

不勉強且つかなりの思い込みで乱暴に投稿させて頂きましたが丁重にお返事頂き感激しています。特に八八艦隊の経緯ですが大変興味を持ちました。そして海軍軍人は内政だけでなく国際的な視野で国防を捉えていた事に大変関心する次第です。故に母国の国防と国際的地位に腐心した当時の軍人や政治家そして国民の感情に同時に興味が湧いてきます。結果だけを見ると敗戦という結末をみた国であり、また国民なのですが活字に見られがちな海軍省と軍令部の対立だけで結論を出してしまうのは今一つ納得しかねる次第です。お互い反目しあったのは必ずや理由があったはづだと思います。権力や地位を得た人に付きまとう名声は否定できませんが、それを差し引いても国(国民)の国防と未来を決定付ける理由には物足りない気が致します。国際条例や条令派に反目して軍拡を押し通した側の理由や仮想敵国を本当に敵国にまわしてしまった理由も是非知りたいと思っています。そこで、質問続けで大変恐縮ですが、もし当時の状況を知る上で参考になるような本などがありましたら是非紹介して頂けないでしょうか。

これは o_sole_mio00 さんの 891 に対する返信です

>>バンザイ突撃にむかう考え方
投稿者: ngc3521 2003/ 1/27 21:41
メッセージ: 899 / 1890

久しぶりの投稿、失礼致します。
このトピは皆さん非常にお詳しいので、なかなかレスがつけられないもので・・。

小説ネタなのでどこまで正しいかは疑問ですが、
司馬遼太郎氏の小説(たしか「翔ぶが如く」か「坂の上の雲」のどちらかだったと思います)に書いてあったことです。

日露戦争(日清戦争だったかもしれません)において、
日本軍が悩まされたことの一つに、敵軍の捕虜になった兵士から簡単に情報が漏れてしまったということがあったそうです。
このため、日本軍では兵士に捕虜になるくらいなら死を選べという教育をするようになった、と。

それが、いつの間にか死を美化するようになってしまった。
実際に戦争になると、兵士にはなんとしてでも生きて帰ってもらわないと困るんです。
一人のよく訓練された兵士を育成するためには、時間も金もかかるのですから。
それを指揮官も、国民も軽く見るようになったこと。
これも、太平洋戦争の敗因の一つであると思います。

これは s1_9150242 さんの 888 に対する返信です

.>>バンザイ突撃にむかう考え方
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/27 22:01
メッセージ: 900 / 1890

ngc3521さんありがとう


>日本軍が悩まされたことの一つに、敵軍の捕虜になった兵士から簡単に情報が漏れてしまったということがあったそうです。
このため、日本軍では兵士に捕虜になるくらいなら死を選べという教育をするようになった、と。

とってもショッキングなことを聞きました でもほんとうのことに向き合うことが大事と思います もしそういうことが軍の根底思想に流れていたとしたら 人命軽視もはなはだしいことです 米軍のすごい兵士救命を知るにつけ 残念です またどんどん教えてください よろしくお願いします

これは ngc3521 さんの 899 に対する返信です

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