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太平洋戦争について教えて・・・
投稿者: s1_9150242 2002/11/11 2:24
メッセージ: 1 / 1748


始めまして(^^)
第2次大戦とも 大東亜戦争とも
そして 太平洋戦争とも・・・
戦争に行ったことがないので ほんとうのところを 知りたいです

日本は ほんとうに悪かったんでしょうか?・・・ほんとうの歴史が知りたいし
また 私の知っていることも
1
私の意見1
投稿者: poirot21th 2002/11/20 14:04
メッセージ: 2 / 1748


太平洋戦争の手痛い敗戦の反省と、それによって解放された左翼系の人達の逆恨みによって、「あの戦争は間違っていた」「昔の日本は悪だった」という宣伝・教育がなされ今日にいたる基本路線が敷かれました。
これに対し近年「それは自虐史観である」と反発する側の発言が目立ってきて、かれら自虐派の多くはこのように考えているようです。「確かに日中戦争までは侵略的国家であったかもしれないが、太平洋戦争はやむにやまれぬ自存自衛の戦いだった。しかも戦後のアジア諸国の独立に寄与した功績大である。日本人よ誇りを持て!」
以上あまりに大づかみですが、これが前大戦以後の国民レベルの思考の流れであり、昨今の従軍慰安婦・南京虐殺といった論争の争点もこの辺から出ていると思います。

しかし私の意見はこのどちらでもない。どちらの認識も間違っていると考えます。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

私の意見2
投稿者: poirot21th 2002/11/20 14:48
メッセージ: 3 / 1748


中国への侵略は帝国主義の看板を掲げる国が植民地の拡張の為に行うのであるからなんら悪徳行為ではないのです。ただその時期が諸外国より遅きにしっしたに過ぎません。
無論個人的には、かの地の住人の迷惑察するに余りあり同情にたえませんが、国家的には謝る必要は無いことです。「空き屋同然だったので狙ってやった」と言えば良い。昔の教科書問題で「進出か侵略か」ともめた事が在りましたが、不思議なものです。紛れもない侵略行為を隠す事も謝る事も必要ないでしょう。
これに対し太平洋戦争は極めつけの愚行と考えるべきです。当時は総理大臣さえ軍人でしたから徹頭徹尾の軍事国家であった訳ですが、その軍事国家が負けると分かっている相手に戦争をふっかけ物の見事に完敗してしまうのですから、救いようのない行為としか言いようがありません。当時の官民にわたる指導層は国民に詫びる責任があります。
もちろん一人一人の兵士は勇敢でありましたが、様々な局面に日本人の悪い所、正さなければならない所が表面化した戦争だったと思うのです。ですから「白人種にめにものみせてやった!(by小林よしのり)」等と浮かれたりせず、ここから一つでも多くの教訓を学ばなければそれこそ犠牲者と英霊に申し訳が立たないでしょう。これが私の先の戦争に対する考え方です。
で、板を立てた人は具体的に知りたいことがあるのでしょうか。

これは poirot21th さんの 2 に対する返信です

ありがとうございます
投稿者: s1_9150242 2002/11/20 23:30
メッセージ: 4 / 1748


もう誰も来ていただけないと・・・感激!
しっかりした文章で恐れいります。
おっしゃっていること ごもっともと。
最近の埒問題を見るにつけ 
北朝鮮は当時の日本のような気がします。あの時日本も 
経済封鎖を受けていたのではないでしょうか。
どうしても 戦争するしか道がなかったのでは ないでしょうか。
ここのところがぜひ知りたいと思います。

これは poirot21th さんの 3 に対する返信です
2
図書館にいけば
投稿者: EzoWolf 2002/11/21 12:20
メッセージ: 5 / 1748


 まずは図書館などで普通の歴史書を読んでみては。大手出版社の出している
通史から目を通して更に詳しい本に進んでいくのがよいのでは。

ネットは便利だが過剰な期待はしないように。現にろくでもないレスしかついてないでしょ。


>どうしても 戦争するしか道がなかったのでは ないでしょうか。
>ここのところがぜひ知りたいと思います。

 これはとても難しい問題で掲示板で簡単に答の出せる問題じゃないな。
一点だけ指摘すると、中国への侵略とアメリカとの戦争が密接にリンクしているという
ことを見落とすとあの戦争の理解はできないよ。

これは s1_9150242 さんの 4 に対する返信です
3
お奨め本
投稿者: ito_shumpo (32歳/男性/東京都) 2002/11/21 20:15
メッセージ: 6 / 1748


「図書館にいけば」では、あまりに具体性がない。「普通の歴史書」といわれても分からんだろう。

で、僕のお奨めは

国破レテ 失われた昭和史
村上兵衛/著 サイマル出版会 \2,233 1996年02月

初心者向けで、非常に読みやすい本です、
残念ながら絶版ですが、図書館などにはおいてあると思います。

これは EzoWolf さんの 5 に対する返信です

感謝!
投稿者: s1_9150242 2002/11/21 22:46
メッセージ: 7 / 1748


ありがとうございます。

>過剰な期待はしないように。現にろくでもないレスしかついてないでしょ。

いいえ そうとばかりでは
現に いいレスありがとうございます。

>中国への侵略とアメリカとの戦争が密接に・・・

あのとき 日本に対して 中国からの撤兵が条件だったと(違うかも?)
でも それはできるはずのない 無理難題だったのではないでしょうか・・・

これは EzoWolf さんの 5 に対する返信です
4
日米開戦の原因
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/21 23:35
メッセージ: 8 / 1748


こんばんは、はじめまして

日米開戦の原因についてですが、
日本が南部仏印に侵攻したため、米英が日本の原油輸出を停止し、兵糧攻めを受けた日本がやむをず、戦争に打って出たという説、対独戦に手を焼いていた英国が孤立主義を取っていた米国を連合国側に引きずり込みため、日本を挑発したという説、フリーメーソンの陰謀説を含め、様々な説があります。日米ともに開戦の望んでいた勢力、望まなかった勢力があり、その綱引きがあったと思われます。

また、ハルノートが日米開戦の直接の原因のように言われていますが、
ハルノートが手交される前日に真珠湾攻撃機動艦隊が単冠湾を出発しています。
それ以前に空母艦載機は、桜島を真珠湾に見立てて猛訓練をしていましたから、用意周到に準備していたものと思われます。

日本では、表面上は和戦両面でぎりぎりの努力をしていたように見えて、実は日米開戦やむなしという方針であったのではないかと思います。

これは s1_9150242 さんの 4 に対する返信です
5
イラクに激しく同情!!
投稿者: questionZ 2002/11/22 15:58
メッセージ: 9 / 1748


イラク国民および、サダム・フセイン閣下に同情いたします。
中東第2位の産油国イラクの完全支配をもくろむアメリカの悪辣極まる陰謀に苦しむイラク。
ああ、60年前の日本をそのままライブでみているようですね・・・。
日本も、ちょうどこんな感じで追い詰められていったのでしょう・・・。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

re:イラクに激しく同情!!
投稿者: EzoWolf 2002/11/22 21:20
メッセージ: 10 / 1748


バカ息子におびやかされているイラク国民には私も同情するが、60年前の日本と
イランは同じではない。現在のイラクはどことも戦争をしてないが、当時の日本は
中国侵略の真っ最中だし、アメリカは日本との戦争を欲していたわけでもない。

これは questionZ さんの 9 に対する返信です
6
蝦夷狼氏へ
投稿者: VS7020A 2002/11/22 21:37
メッセージ: 11 / 1748


蝦夷狼さんは、大和民族がお嫌いですかねやっぱり・・・(藁

これは EzoWolf さんの 10 に対する返信です

開戦の原因
投稿者: s1_9150242 2002/11/22 23:30
メッセージ: 12 / 1748


みなさま ほんとうにありがとうございます。

今現実におこっている 社会情勢と あのとき
戦争への道をとった(選ぶしかなかったのか?)
日本・・・北朝鮮・イラクのこともほんとうに
似ているような気がします。

もし勝っていたら 今どんな日本になっていた
でしょうか。どんな世界になっているのでしょう。

歴史において もしも・・・は意味のないこと
でしょうが。

太平洋戦争の始まりを理解することが 今の
社会情勢を解ることに 繋がるかと
どうすれば 戦争にならないか 考えたいと
思います。いろいろなご意見をお聞きしたいし
もうすでに貴重な ご意見 お聞かせいただき
喜んでいます。これからも よろしくお願いいたします。

これは o_sole_mio00 さんの 8 に対する返信です

参考書籍
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/23 0:45
メッセージ: 13 / 1748


ご参考までに手許にある書籍を紹介致します。

「日本はなぜ戦争を始めたのか」益井康一著、光人社

元毎日新聞記者の著者が満州事変から日米開戦に至るまでの過程を検証した本です。

これは s1_9150242 さんの 12 に対する返信です

日本はなぜ戦争を始めたか
投稿者: s1_9150242 2002/11/23 16:33
メッセージ: 14 / 1748


今日もおいでいただきありがとう!
どうやら 皆様の知識は大変深いと・・・
私も ここで勉強していきますので よろしく

あの当時 軍事力では海軍の主力艦 米英それぞれ10
日本8という しかも それを補う技術力で対等 それ
以上であったと・・・中国大陸には100万と号する
関東軍が

おりしも ドイツのヨーロッパにおける「電撃作戦」の
すさまじさを見、ヨーロッパにおける敵対国は英国 
ロシアのみとなるを 見れば・・・
米国も 今の世界制覇の米国じゃなく ダンスばかり
している? 未だ未知数・・・なんて軽いのりで

ドイツ イタリアが手をあげるはずがない・・・と信じての
開戦というより(ドイツは すでに戦闘中)参戦であったと
・・・だれを責めることが できるでしょうか?
みなさんは どう思われますでしょう
皆様に感謝の 毎日です よろしく 

これは o_sole_mio00 さんの 13 に対する返信です

連合国と枢軸国の戦力比
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/24 0:32
メッセージ: 15 / 1748


こんばんは

>あの当時 軍事力では海軍の主力艦 米英それぞれ10日本8という しかも それを補う技術力で対等 それ以上であったと・

ということですが、戦前、戦中と2回にわたり海軍大臣を務めた米内光政が、日独伊と英米仏ソの海軍が戦ったときの勝算について「勝てる見込みはありません。だいたい日本の海軍は、英米を向こうに回して戦争するように建造されておりません。独伊の海軍に至っては、問題になりません。」とコメントしています。

量を補う技術力もその後レーダーやソナー、VT信管、ターボチャージャーといった新技術の開発に遅れをとり、質量ともに劣勢になって行きました。もっとも技術の進歩については、海戦前には、予測はつかなかったかもしれませんが。

いずれにしても質量ともに考慮した総合力でも、日本は英米に劣勢であり、山本五十六連合艦隊司令長官はそれを認識していたからこそ、宣戦布告ぎりぎりの(実際には布告前だった)真珠湾奇襲を強く主張し、実行したのではないでしょうか。

これは s1_9150242 さんの 14 に対する返信です

賭けだったんでしょうか
投稿者: s1_9150242 2002/11/24 20:01
メッセージ: 16 / 1748


こんばんは(^^)

>その軍事国家が負けると分かっている相手に戦争をふっかけ
物の見事に完敗してしまうのですから、
救いようのない行為としか言いようがありません。
 >poirot21thさん wrore

>ああ、60年前の日本をそのままライブでみているようですね・・・。
日本も、ちょうどこんな感じで追い詰められていったのでしょう・・・。
 >questionZ さん wrote

>質量ともに考慮した総合力でも、日本は英米に劣勢であり、
 >o_sole_mio00さん wrote

 それでは 当時の日本は勝算もなく 戦争に突入したので
しようか? または 一かバチかの賭けをしたのでしょうか
一国が 国運を賭けるとき 負けると解っているのに動く
ものでしょうか ご意見お聞きしたいと・・・

これは o_sole_mio00 さんの 15 に対する返信です

そこまで真剣に考えていなかったのでは
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/24 22:25
メッセージ: 17 / 1748


日米開戦直前の近衛〜東条内閣のころは、海軍省や軍令部から、米内光政、山本五十六、井上成美に代表される対米戦回避派は遠ざけられており、この時点の海軍幹部の考え方としては「この先は日米の工業力から考えて差がつき勝てなくなるが、今なら勝てるのではないか」といった考え方が支配的だったと思います。
「質量ともに考慮した総合力でも、日本は英米に劣勢」と書きましたが、この時点で、日本の首脳陣は客観的な判断ではなく、希望的観測をこめた係数(例えば米軍は弱兵であり、日本人兵士1名は米国人兵士3名に相当する等)を乗じて、勝算ありと結論付けていたのではないかと思います。
この癖は、現代でも一向に治っておらず、大赤字必至の有料道路の通行料を水増しして、採算がとれると結論づけたりすることと同類の発想ではないかと思います。
対米戦の展開についても、軍部首脳は本土を焦土と化すような展開は想像だにしておらず、南方の資源の争奪戦に終止し、それには打ち勝てるのではないか、とぐらいにしか考えていなかったのではないでしょうか。

これは s1_9150242 さんの 16 に対する返信です

トビずれかな?
投稿者: s1_9150242 2002/11/25 0:41
メッセージ: 18 / 1748


>希望的観測をこめた係数・・・
うん! よくわかります
確かに 日本人の考え方をよくついていると感心

戦後米国のおっしゃるとーりに何も考えず ただ生産に邁進してれば
よかった日本に 始めて自分で 決めなければ いけない問題が
・・・埒問題 開戦時の決断と比較はできないでしょうが 合い通じる
ものは あるかも知れませんね

米英は 前にも書いたように 日本の主力艦の比率を厳しく制限
そこに「大和」 「武蔵」 誕生もあったんではないかと
今これらに 変るものは ミサイルと核ですよね
いったい どれくらいの国が 核をもっているんでしょうか
これは トビずれかも知れませんが 自分は 持ってもいい
しかし あなたは 持ってはいけない・・・なんて堂々まかり
とーるのは どうしてなんでしょうか
あの頃とちっとも変っていないと感じるのは 私だけ?
皆さんは どうお感じでしょう

これは o_sole_mio00 さんの 17 に対する返信です

大艦巨砲主義と戦艦
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/25 23:52
メッセージ: 19 / 1748


日米開戦前から、日本海軍では大艦巨砲主義と航空兵力重視の2つの思想が競合していたのですが、航空兵力重視の山本五十六が連合艦隊司令長官に就いて、空母部隊による真珠湾攻撃が実現した、といえるでしょう。

>米英は 前にも書いたように 日本の主力艦の比率を厳しく制限

と書かれていらっしゃるように、日米英で海軍兵力の制限を行いましたが、当時日本では八八艦隊という、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻からなる艦隊を企画しておりました。しかし、軍縮条約により、八八艦隊計画で建造が実現を見たのは、長門、陸奥の戦艦だけです。ただし、加賀と赤城は空母と言う形で日の目を見ました。八八艦隊は、日本海軍における大艦巨砲主義の象徴ともいえますが、この計画が未完に終わったことが、大和級戦艦の建造の伏線だったと私も思います。しかし真珠湾攻撃の成功が、太平洋海域の海戦を航空兵力主体に変わり、大和や武蔵の超大型戦艦の出る幕はありませんでした。
ちなみに太平洋海戦時に12隻あった日本の戦艦のうち、最も役に立ったのは、最も旧式で攻撃力の弱い金剛級(金剛、比叡、榛名、霧島)でした。金剛級は速力が30ノットと空母の随伴が可能(これが、機動部隊と呼ばれる所以)でかつ、速力を生かした対艦、対地攻撃も可能で、太平洋戦争の全般を通して活躍しました。
大和や武蔵は現代の核兵器で言われるような抑止力にもならなかったのではないでしょうか。

>いったい どれくらいの国が 核をもっているんでしょうか

米、英、仏、露、中、印、パ:持っているか核実験を成功させた国
ウクライナ、カザフスタン:旧ソ崩壊のドサクサにまぎれてひそかに所有していると思われる国
イスラエル:余り報道されないが、みんなが持っていると思っている国
イラク、北朝鮮:たぶん持っているんじゃないかと思われるが持って欲しくないと思う国

これは s1_9150242 さんの 18 に対する返信です

日本が始めて?
投稿者: s1_9150242 2002/11/26 2:46
メッセージ: 20 / 1748


o_sole_mio00さん ほんとうに詳しい!
それに 聞きたいことていねいにありがとう(^^)
毎日 ワクワクして読ませていただいています

大艦巨砲主義・・・しかたないですよね 日露戦争時の
日本海海戦で劇的な勝利をおさめ その余韻はさめるはずも
しかし 自らが 開戦時 真珠湾にて また英の戦艦2ハイ
あっというまに 航空機のみにて沈め 海戦の様を変えたのも
日本でしたね しかし すぐに3番艦信濃を空母にしたあたりは
さすがです(役にたたなかったようですが)

航空機で 船を沈めたのは世界で日本が始めて?
もしそうなら 大変画期的なことだったと・・・これは
いける と米軍にも教えたようなもんですが
→ミッドウエーだったかな(^_^;)

核保有国 ありがとう 勉強になりました
こんなにも多くの国が・・・本音では日本も欲しい??
唯一被爆国が とんでもないことかな

これだけ 多くの国が・・・もう抑止力どころか 危険ですね
「武器よさらば」 にならないものかと

これは o_sole_mio00 さんの 19 に対する返信です
7
性格にはイギリス軍
投稿者: oni_sakuza 2002/11/26 18:11
メッセージ: 21 / 1748


航空機で戦艦を沈めた例としては、真珠湾奇襲の前に、イギリス海軍によるタラント奇襲があります。
タラントはイタリア海軍の拠点ですが、1940年11月11日にイギリス地中海艦隊は「ジャッジメント作戦」を発動し、空母イラストリアスにより、タラントのイラリア艦隊を奇襲してます。結果、戦艦6隻の内、3隻を着底(実質的に沈没)させて、その戦力を激減させることに成功しました。

山本五十六が真珠湾奇襲構想を言い出したのが、タラント奇襲から間もない11月下旬であり、イギリス海軍の勝利から真珠湾奇襲を思いついたという説もあります。
但し、タラントはあくまで港内の話です。洋上で航空攻撃によって戦艦を沈めたのは、日本海軍のマレー沖海戦が最初です。
(いちおう、イギリス海軍が航空攻撃でドイツの戦艦ビスマルクの舵を破壊し、その命運を断ち切ったという例もありますが)

これは s1_9150242 さんの 20 に対する返信です

イギリスだったんですか!
投稿者: s1_9150242 2002/11/26 21:44
メッセージ: 22 / 1748


ありがとうございます(^^)
・・・でもちょっぴり残念かなー
日本が最初かと思っていたので そうですよねー 空母も
タンクも 英国の発明? ですよね

山本五十六提督って 聞けば聞くほど世界に誇る アドミラル
だったんですね・・・
いっとき 陸軍から命を狙われて しかたなく完成まもない
洋上の「大和ホテル」に暮らしたとか ほんとうでしょうか

陸軍と海軍の 兵器ブンドリ合戦が戦局に影響したとも聞いた
ことが 縄張り争いは いつの世も同じかと
太平洋戦争というと 「連合艦隊」 ばかりが目立ちますが
陸軍は どうだったんでしょう
・・・中国大陸で 目いっぱいだったんでしょうか
敗戦の責任は 全て 海軍のせいみたいで 同情したり

これは oni_sakuza さんの 21 に対する返信です

ホテル
投稿者: oni_sakuza 2002/11/26 22:20
メッセージ: 23 / 1748


>いっとき 陸軍から命を狙われて しかたなく完成まもない
>洋上の「大和ホテル」に暮らしたとか ほんとうでしょうか

ちょっと違います。大和が完成し、連合艦隊旗艦となるのは日米開戦後のことです。
山本五十六は海軍次官だった頃に三国同盟を阻止しようと奔走し、強硬分子から敵視されたのは有名な話です(実際、三国同盟締結は一度はポシャっています)。そこで、「山本暗殺」を恐れた海軍大臣の米内光政が、山本を連合艦隊司令長官に転任させたという説があります(真偽はともかく)。
当時の連合艦隊司令部は戦艦長門にありました。よって、「暗殺回避のために山本を連合艦隊司令長官にした」との説が正しいなら、命を狙われた結果、「大和ホテル」ではなく「長門ホテル」の住人になった事になります。

なお、敗戦の責任では、陸軍もおおいに糾弾されてます。なにしろ、ガダルカナル、ニューギニア、ビルマ、フィリピンその他、あちこちで負けてるわけですから。

これは s1_9150242 さんの 22 に対する返信です

山本五十六
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/26 23:10
メッセージ: 24 / 1748


こんばんは

>山本五十六提督って 聞けば聞くほど世界に誇る アドミラルだったんですね・

空母を主体とした航空兵力を海軍の主役に押し立てた功績は大きく、その意味では「世界に誇るアドミラルだったと思います」。しかし、対米戦の展開の読みが甘かったのではないかと思います。真珠湾攻撃にしても、目標であった空母は演習でいなかったし、成果といえば、旧式の戦艦を何隻か沈めたのみで、しかも着底沈没であったため、使用可能な戦艦は、ウエストバージニアのように引き上げ・改装され、戦争後半に活躍したものもあります。港湾施設を破壊しなかったため、真珠湾そのものは使用可能でありましたが、2次攻撃あるいは、空母が留守であると分かった時点で目標を港湾施設に切り替え真珠湾をしばらくの間使用不能にしていれば、ミッドウェイの展開も違ったものになっていたと思います。真珠湾攻撃の第2次攻撃が進言されたとき、山本五十六は「現場に任せる」と言い、更に「泥棒だって帰り道は怖いよ、南雲はそういう男だ」と何やら他人事のような事を言っています。私には山本五十六の対米戦のプランが、@米国太平洋艦隊の主力空母の壊滅、A真珠湾基地の破壊Bハワイの占拠、のどれだったかがはっきりしません。
真珠湾の中途半端な成功がその後の対米戦プランに齟齬をきたし、ミッドウェイの敗戦の伏線となっているような気がしてなりません。
もう一つ山本五十六の有名なエピソードで、昭和15年に近衛首相から日米戦の海軍の見通しを聞かれたとき「初めの半年や1年は暴れてご覧に入れますが、2年、3年となると確信は持てません」と答えたというものがありますが、この回答を山本五十六の海軍省時代の盟友であり、海軍きっての合理主義者だった井上成美は、「半年や1年暴れて見せるといったために、無知な公家を迷わせた。実戦部隊の最高責任者たる連合艦隊長官が対米戦に自身がないということであれば、職を賭しても反対すべきだった」と評しています。
少し、山本五十六に批判的な事を書きましたが、リーダーとしての山本五十六は人格、人徳に申し分なく、織田信長のような強力な押さえつけるようなリーダーシップを発揮するのではありませんが、会う人間全てを虜にし「この人のために命がけで働こう」という気にさせてしまう東洋的なリーダーとして私は高く評価しています。まさに私の理想の上司像です。山本五十六にとって不幸だったのは勝つあてのない、戦争を任されてしまったためで、敗戦は彼の能力を貶すものではないと思います。

これは s1_9150242 さんの 22 に対する返信です

うん 私も好きです
投稿者: s1_9150242 2002/11/27 0:10
メッセージ: 25 / 1748


アドミラル山本をほんとうに 尊敬されているのがよく
わかります ラバウルの地に 撃墜された時 護衛戦闘機の方達の
悔しさは いかばかりであったでしょう 命を賭して 最前線で
将兵を鼓舞された 日本まれに見る提督の姿は 後世まで語り継がれて
しかるべきと 思います

さて そこで残念に思うことは 東京の大本営のあり方かと
ミッドウエーに大敗北した 南雲中将のあつかいなんか ひどい
もんでは 本土上陸もさせないで すぐに南方へ・・・とか
どっかの 島で 最後 腹切ってますよね?
国内では 我が損害は軽微なんて 言っておいて 
結局 山本五十六長官も そのような扱いを受けたのでは
もちろん 戦死の後 国葬された?とは聞き及びますが

つごうの悪いことは ひたかくしの伝統は延々と続くものかも
知れませんね 一国の政治を預かる方達は ぜひとも 言葉だけではなく
アドミラル山本に恥じないよう がんばって欲しいと 

今度の総理は なんとなく 軍人風なところあるかな
・・・演説は好きです

これは o_sole_mio00 さんの 24 に対する返信です

南雲の扱いひどくはないかと
投稿者: oni_sakuza 2002/11/27 17:28
メッセージ: 26 / 1748


南雲はミッドウェー作戦後も空母部隊(第1航空艦隊を第3艦隊に再編)の司令官を務め、第2次ソロモン海戦や南太平洋海戦で、アメリカ海軍の空母部隊と戦ってます。その後、第3艦隊司令官の地位を小沢治三郎と交代し、1944年のマリアナ諸島陥落時に玉砕しました。
これは、むしろ甘い扱いです。アメリカなら更迭→予備役編入、ソ連なら銃殺刑になってもおかしくありません。本来なら、南雲はミッドウェー後に更迭し、後任に航空戦に通じた小沢治三郎をもってくるべきでした。にも関らず、だらだらと南雲を使い続けた(それ以前に水雷戦専門の南雲に空母部隊を任せた)のはかなり問題だったと思います。

これは s1_9150242 さんの 25 に対する返信です

まったく同感です>鬼さん
投稿者: marujee 2002/11/27 18:24
メッセージ: 27 / 1748


初めまして。横からすみません。
同じ意見を書いていたものですからそのまま投稿します。

>そこで残念に思うことは 東京の大本営のあり方かとミッドウエーに大敗北した 南雲中将のあつかいなんか ひどいもんでは 本土上陸もさせないで すぐに南方へ・・・

そうでしょうか? 日本帝国海軍は甘いのではないでしょうか? ミドウェー(42/6)であれだけの失敗をしたのにそのことを隠すためか、南雲中将は左遷もされずそのまま機動部隊の司令官をしていましたよ。第2次ソロモン海戦(42/8)、南太平洋海戦(42/10)の機動部隊司令官は彼でした。アメリカだったら真珠湾の太平洋艦隊司令官キンメル提督、ガダルカナルでの南太平洋地区司令官ゴムレイ提督などはすぐに左遷されていますよ。
帝国海軍も身内のチョンボは隠しあう典型的な日本社会だったのです。今でも外務省をはじめとする役人社会や企業でも責任者のお咎めがないケースが多いのです。

これは oni_sakuza さんの 26 に対する返信です

勝利した戦いは?
投稿者: s1_9150242 2002/11/27 18:27
メッセージ: 28 / 1748


なるほど・・・きっと 今の順番待ち大臣?みたいなもんで
実際の作戦立案は 参謀がやっていたのかも知れません
上の方の知己などで 切り捨てができなかったのかもね

考えてみると 真珠湾 マレー沖など 開戦時以外 ほとんど
負け続けてきたのが 太平洋戦争だったのではないかと?
これは 大勝利と言われる作戦はあったのかな

もしそうであるなら 日露戦争の時のように 早めの終結が
できなかったものかと 確かに沖縄戦では 蒙古襲来の時のように
神風(台風)は 吹いて 駆逐艦1隻沈没と聞いたことは
ありますが(^_^;)

これは oni_sakuza さんの 26 に対する返信です
8

投稿者: gintetu1963 2002/11/27 19:37
メッセージ: 29 / 1748

はじめまして。
96式陸上攻撃機がイギリスの戦艦2隻をマレー沖で撃沈した話し、子供の頃熱中しました。
高度三千から250キロ爆弾を投下すると、海面まで20〜30秒かかるそうです。
その間、戦艦も航行しますから命中させるのは至難の業と思います。
当時の日本の航空兵は技量がよほど優れていたんでしょう。

これは s1_9150242 さんの 20 に対する返信です
9
>勝利した戦いは?
投稿者: crub4o 2002/11/27 19:40
メッセージ: 30 / 1748


はじめまして、軍カテなどで投稿しているものです。

マレー半島攻略などはなかなかうまく戦っているなと思います。
しかし、欧米列強の出店を叩いた緒戦の様子を詳細に分析すると、基本的に日本軍の後の(軍事的)敗因が早くも露呈しているなと感じます。

@フィリピン攻略戦で、米軍の演習地であったバターン半島に米比軍主力をあっさり逃がした事。 この時の大苦戦が「バターン死の行進」の直接的伏線に繋がっている。 
Aマレー半島とシンガポール攻略も英軍の兵力のほうが上で、断乎たる抵抗にあえば、日本軍は進撃姿勢のまま戦力が枯渇する危険性にあった事。
B蘭領インドネシア攻略におけるジャワ海海戦(スラバヤ沖海戦)で、海軍の砲術優位の神話が早くも揺らいでいる事。 
C余りにも有名な挿話ですが、インド洋海戦で日本海軍機動部隊は、ミッドウェィ海戦と全く同じ状況におかれ、これも全くの偶然で虎口を逃れたに過ぎない事。

幾つでも指摘できますが、貧乏国家日本は短期決戦による戦略的防衛態勢にしか「痛み分け」を見出しえなかったのにも関わらず、
@「敵に対して劣勢な兵力で攻撃」と言う局面が多く、
A敗れた時の柔軟な戦略的戦術的選択肢を持っていなかった事、
Bそして往々にして敗勢を挽回する予備戦力を持っていなかった事、
Cいやそもそも資源無しの状態であるが故の精神主義=精兵主義であったにも関わらず、極端な人命軽視の為にかけがえの無い歴戦の兵士を簡単に死に追いやってしまった事
などなど、敗れる原因には、純軍事的に観ても事欠かぬ戦であったと思います。

しかし、それらはいわば付けたしであって太平洋戦争の遠因はやはり満州事変に始まる日本の中国侵略とそれの解決方法にあったと言うのが私の結論です。
他のトピでも書いていますが、歴史的には、当時の日本には中国侵略とその解決に当たって、第2の道を選ぶ事が可能であったと考えています。
1939年に、北欧の小国家フィンランドはソ連に不当な戦争を仕掛けられ、前後2回にわたる激しい戦争を行いますが、敗れはしたものの、制限された形ではあれ遂に自由と独立を勝ち取る事が出来ました。
それは、自らが望む国体を求めて「生き残る」と言う目的に向かって、政府国民が一致団結していた事が最大の原因です。
翻って、中国侵略を開始した当時のかっての日本は、フィンランドほどの窮地に置かれていたかと言えば、それは「否」と言わざるを得ません。
たとえ、中国問題の解決を巡って国内が紛糾する事があったとしても、無条件降伏よりは余程自主的な解決方法が存在したと思うのです。 作家の五味川さんはそれを「小日本主義」と呼びました。

つまり、「大日本帝国」から「小日本」への意識の切り替えと行動の訂正が自主的に出来なかった事が、太平洋戦争に繋がったのであり、それが無残な無条件降伏に帰結し、そして現在の日本が精神的にはアメリカの属国に近い存在になっているのだと私は考えています。
歴史は教訓を学ぶ為に存在するとすれば、今こそ我々は将来の自立日本のために、あの戦争を学びなおさねばならないと思います。

 

これは s1_9150242 さんの 28 に対する返信です

Re; みなさまへ
投稿者: s1_9150242 2002/11/27 22:08
メッセージ: 31 / 1748


>今こそ我々は将来の自立日本のために、
 あの戦争を学びなおさねばならないと思います。

・・・そうです そうです もう感動で胸がいっぱい
皆さんに お礼のレス書かなければと 思っているんですが
なにぶん 人指し指族なもので お許しのほど

やはりいろんな方の おっしゃる事 聞いていると 自分の
思っている世界が いかに狭いものか 痛感します

この頃のいろんなでき事と 照らし合わせても 日本人って
ひとつのことに 何の疑問も持たず なだれこんでいくような
危なっかしい 性を持っているかと
人と違う意見をもつ事を極端に恐れる・・・
太平洋開戦時 いろいろ批判するなど とても難しいことで
あったろうと 容易に想像できます

秀吉が 得意とした くらい攻め・・・ちから攻め?
(必ず 相手の戦力以上で戦う)の歴史を持ちながら 
精神ばかりに 頼っていたとしか思えないのは 
私ばかりでしょうか?
戦争末期 ほんとうに! 竹やりで 戦うつもりだったんでしょうか
そのあと どうするつもりだったんでしょう! 

これは crub4o さんの 30 に対する返信です

戦争末期の新兵器
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/27 23:07
メッセージ: 32 / 1748


竹やりで本当に戦うつもりかどうかは分かりませんが、戦争末期の新兵器は悲壮なものばかりです。有名なのは、神風特攻隊や人間魚雷回天ですが、ロケット戦闘機桜花、モータボートに爆弾を搭載した震洋、潜水服を着た兵士が先に機雷のついたモリで敵艦を突く人間機雷伏竜、特攻専用の飛行機も開発されまていました。爆弾内蔵で車輪は引っ込むのではなく離陸すると着陸する必要はないので外れるそうです。全て兵士は生還できない人間○○です。
マリアナ沖海戦後、東条内閣は退陣し、戦局は急速に悪化、以後の内閣は、終戦の道を探る使命を帯びたものとなっていきます。しかしながら軍部は、一矢を報いた後できる限り有利な形で交渉のテーブルにつきたい、という幻想を抱いていたようです。時間稼ぎ、結論の先送りのため、上のような兵器が開発されたようです。先送りすればするほど、戦局はさらに悪化し、一矢報いるチャンスはどんどん遠ざかっていくにも関わらず。
小磯内閣、鈴木内閣で海軍次官を務め、終戦に最も積極的であった井上成美は、米内海相に「一日も早く戦をやめましょう、一日遅れれば何千、何万の日本人が無駄死にするのですよ」と語ったそうです。
この井上の言葉は私の心に響きます。といいますのは、私の住んでいる町は終戦の前日、8月14日に大空襲がありました。当時海軍工廠があったのですが、工場に働き手としてきていた女学生や小学生の多くが空襲の犠牲となりました。海軍工廠のあった場所の向かいの丘にはいまも防空壕の入り口が残っています。防空壕の前を通りかかった時、子供たちに昔、日本が戦争をしていたこと、空襲を受けた人が防空壕へ逃げ込んだこと空襲でたくさんの人が犠牲になり、そのなかには子供もいたことなどを話してやりました。

これは s1_9150242 さんの 31 に対する返信です

南雲と小澤
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/27 23:59
メッセージ: 33 / 1748


軍事カテの常連の方も参加し、盛り上がってきましたね。

oni sakuzaさんこんばんは、以前に戦国トピでお会いしたと思いますが、戦時ネタもお詳しいですね。

ご説の通り南雲は、連合艦隊最精鋭の機動部隊の司令官として酷評されております。水雷専門家で航空戦に通じておらず、作戦は参謀の源田実に任せ切りだったことから、南雲艦隊は影で「源田艦隊」とも呼ばれていたそうですね。確かに航空艦隊の司令官としては、及第点は与えられない南雲ですが連合艦隊全体の責任を一手に引き受けてしまった感があり、少し気の毒な気がします。一方小澤治三郎は、南雲と同じ水雷屋でありながら、航空兵力の将来性に着目し、機動艦隊を発案したとも言われ、太平洋戦争時の連合艦隊の諸将の中では山本五十六に続いて評判がよいのですが、一つ疑問なのは小澤が機動艦隊を率いたマリアナ沖海戦でどのくらい勝算があったか、ということです。連合艦隊のマリアナ沖海戦のポイントは、新型の艦攻「天山」と艦爆「彗星」の航続距離の長さを利用したアウトレンジ作戦ですが、搭乗員の錬度不足、米軍側のレーダーの発達、VT信管の開発で「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれる惨憺たる結果となりました。アウトレンジ作戦自体を見ると他の日本海軍司令官にはない明確なプランがあるのですが、周辺の状況を読み切れていない感が無きにしも非ずです。あるいは勝ち目のない戦いでアウトレンジ作戦に「死中に活」を求めたのでしょうか。
確かに航空部隊の指揮官は人材不足の感(山本五十六は自らは空母部隊の指揮官となり米内光政を連合艦隊長官に仰ごうと考えていましたが)がありますが、その当たりが日本の限界だったのでしょうか。

これは oni_sakuza さんの 26 に対する返信です

精神の荒廃
投稿者: crub4o 2002/11/28 0:17
メッセージ: 34 / 1748


>戦争末期 ほんとうに! 竹やりで 戦うつもりだったんでしょうか
そのあと どうするつもりだったんでしょう! 

これはあるトピでの私の投稿です。

「雲流るる果てに」
http://www.jmdb.ne.jp/1953/cc001490.htm
またまた古い映画で申し訳ない。 神風特別攻撃隊の極めて有名な古典です。
この映画のラスト、主人公を含む特攻隊が沖縄の米艦隊に突入していった直後、通信を傍受していた司令部で、「成績がよくないなあ」「なあに、飛行士はまだまだいる」と言う会話が交わされます。 その時、私の心に暗くやり場のない憤りがむらむらと湧いてきたことを今も忘れることは出来ません。 こんな会話、現代の日本でも交わされてるんじゃないですか?
*******************************

この会話は決して映画内での空想ではありません。
私が以前読んだ「日本の軍隊」1950年刊行:にも、本土決戦時に如何にして下級の兵隊や住民を弾除けに使うかがマニュアルとして印刷されていたと言う元将校の証言が記されていました。

そこに存在するのは、限りある命を塵芥のように扱おうとする精神の荒廃です。
貧乏であるが故に、人を精神肉体共に超人として鍛え上げようとし、それが不可能である事を思い知らされた挙げ句、その精神肉体を弾丸とし、防壁にしようとした目眩がするような悪循環の末に辿り着いた極致です。
今、掲示板のこの種のテーマに投稿する若い方には、このようなことすら知らない人が多すぎます。
私は父親が非常に特殊な形で戦争に携わり、戦後も外地に10年ほど滞在する経験をしていたため、この種の情報には小さいときから様々な切り口で接することが出来ました。
今、掲示板で投稿しているのは、そのような情報や伝聞を通じて得た考えを、皆さんと話し合いたいからに他なりません。

これは s1_9150242 さんの 31 に対する返信です

私もおなじです
投稿者: s1_9150242 2002/11/28 0:48
メッセージ: 35 / 1748


>crub4o さん

白黒の映画で 鶴田浩二主演というと 特攻に何度か
出撃するが 何度も敵に会えず 基地に帰ってくる
・・・そんなの 記憶にありますが・・・違うかも?

>今、掲示板で投稿しているのは、
そのような情報や伝聞を通じて得た考えを、
皆さんと話し合いたいからに他なりません。

そうですよ 私も同じです ゆっくりおつき合い
よろしく お願いいたします

>o_sole_mio00さん 軍事カテというのがあるんですね
 VT信管については 存在を知ったとき 胸がしめつけられる
 気がしました かわいそうな 特攻若者達を思い

今日は大勢の方でびっくりしました
また よろしく(^^)

これは crub4o さんの 34 に対する返信です

>南雲と小澤
投稿者: oni_sakuza 2002/11/28 9:08
メッセージ: 36 / 1748


そうですね。確かに南雲艦隊について評価する時は、南雲司令官だけではなく、参謀長草鹿龍之助や航空参謀源田実もこみで考えるべきだと思います。また、日本の角田覚治、アメリカのスプルアンスのように、門外漢が空母部隊を指揮して戦果を出した例もあり、必ずしも「門外漢=航空戦に不向き」ではないでしょう。
考えてみると、太平洋戦争で空母部隊を指揮した将星たちには、小沢治三郎・山口多聞・角田覚治・スプルアンス・キンケイドなど、大砲屋や水雷屋だった者が結構います。ハルゼーにしても、航空屋になってパイロット技術まで取得したのは、だいぶ年をとってからですし。

また、御指摘の通り、マリアナ海戦での小澤の作戦には問題が多々あったと思います。ただ、距離を詰めて攻撃隊を繰り出しても、潜水艦の雷撃による損害は史実通りでしょうし、米第5艦隊の反撃は史実以上のものとなったかもしれません。このあたり、既に手詰まりになってた観があり、作戦の問題に加え、日本海軍の欠点や、古賀長官遭難のツケが一気にでてきた印象もあります。

これは o_sole_mio00 さんの 33 に対する返信です

ご無沙汰している間に
投稿者: poirot21th 2002/11/28 10:10
メッセージ: 37 / 1748


ずいぶんと賑やかになっているようで慶祝のいたりと存知ます。
さてマリアナ海鮮時のアウトレンジ作戦ですが、作戦というものが行き当たりばったりではなく、勝利の一点をめざして緻密に構築される物である以上、とりうる最上の策であったと考えます。勝利が望めるたった一本の細い糸と言ったほうがいいかもしれません。
小澤他誰もが敵に先んじて遠距離で索敵に成功した瞬間「天佑我に有り!」と確信したに違いないでしょう。
ところがその先制が大敗の主因となってしまう。
これは、レイテのおとり作戦、台湾沖の嵐を利用しての奇襲雷撃、も同じですね、天佑と見える状況がすべて裏目にでて最悪の結果を招いてしまう。
もしかすると太平洋戦争とは起こりうる選択肢の中のワーストな展開ではなかったかとさえ思っています。
なぜこうもダメなのでしょうか。
何か原因があるとすればそれは日本人が戦争というものを甘く見ていた所にあるのかも知れません。

これは oni_sakuza さんの 36 に対する返信です

レス主さまへ
投稿者: poirot21th 2002/11/28 10:54
メッセージ: 38 / 1748

>日本人ってひとつのことに 何の疑問も持たず なだれこんでいくような
危なっかしい 性を持っているかと

実に重大な点に着眼されました。激しく同意です。
ある特攻隊員の生き残りは「なぜ志願したんだ」という問いに対し「皆が志願しているのに自分だけいやだとは言えなかった。」と述懐しています。
日本人にとっては集団からはじきだされるのは死ぬより辛い事なのです。
西欧人が神に帰属して心の安定を得るように、日本人は集団に帰属する事で心の安定を計るのかも知れません。つまり「何の疑問もいだかずなだれこむ」というより、「多少の疑問があっても流れにはあらがえない」というのがより近いでしょうか。
これは日本人の弱点の一つです。

余談ですがあなたがお書きになった秀吉の話。ちから攻めというのは城を調略などの手段を使わずに兵馬をもって攻撃する事ですね。くらい攻めというのは私は知りませんが、あなたの言うように敵より優勢兵力を展開する事かもしれません。
もう一つ「くらい打ち」という言葉があってこれは自分の政敵や将来危険となる人材にあえて高い地位を与えるという政略の意があります。実力以上の地位を得た事で周りから妬まれ失脚することを狙いとした陰湿だが有効的な施策です。

このように世の中には日本人の弱点を逆手にとって利用する輩も居るのです。善男善女はくれぐれもご用心を。

これは s1_9150242 さんの 31 に対する返信です

敗因
投稿者: crub4o 2002/11/28 12:54
メッセージ: 39 / 1748


>なぜこうもダメなのでしょうか。
何か原因があるとすればそれは日本人が戦争というものを甘く見ていた所にあるのかも知れません。

はじめまして、poirot21thさん。


ご指摘の点に関しては、日米の行動とそれを裏付ける思想を比較した(つもり)の私の投稿を再度掲示してみます。

軍カテのあるトピで、米軍の防衛態勢に関しての内容です。

@CICに誘導された戦闘機隊が艦隊遠隔地での優位を占拠して、先制攻撃し、同時集中攻撃の可能性を予め奪ってしまう。
A航空母艦を中心とする輪形陣の上空での、味方戦闘機隊の近接防空戦闘は厳禁され、上空の航空機は全て「敵」という状態にする。
B防御放火の正確な集中を期する為、輪形陣内における単艦での回避運動も禁止される。
Cその上で、VT信管付砲弾が撃たれる。
D高射砲弾の破片の嵐を突破した敵機は、次いで40mm口径ボフォース機関砲の豪雨を浴びる。 どんなに頑丈な単発機でも、これを一発浴びれば致命傷となる。
Eこれを突破すると、20mm機関砲弾をホースで水をかけるように浴びせられる。
F例え被弾しても、ダメージコントロールシステムが実に柔軟に機能する。

以上の様に、日本機は一つの武器に倒れたのではなく、統合された重層防御システムと言う思想にも破れていたと言えます。

*******************

上記は、米軍が防御と言う事を戦争の基本として思想化し、具現化していたと言う証左として書きました。
その徹底振りは、攻撃する本質的裏付けが無い癖に、攻撃一辺倒と防御は卑怯と言う思想すら流れていた旧日本軍とは、文字通り天と地の差と言えます。
マリアナ沖海戦で、日本海軍が先制攻撃に飛び立った瞬間、日本はアメリカの思想とその実態に完膚なきまでに敗北していたと言えるでしょう。

これをより大雑把に抽象化したのが、私の次の投稿です。

>『日本兵はタフで、劣悪な兵器や環境でも我慢して闘う。欧米の兵隊は軟弱で、劣悪な環境だと闘おうとしない。だから、彼らの兵器が進歩するのは当然だ。』
>まあとにかく、本質をとらえた名言だと思ってます。

仰るとおり、全面的に同意します。

私はこれを本質と言うより、yukiさんへのレスで書いたように、思想の発露と実現と捉えています。
「所与の条件を適当に支配する」思想と
「所与の条件を甘受する」思想の相違と。

従って、この「所与の条件を適当に支配する」思想は、その実現に最も歴史的制約が
僅少であったアメリカでこそ、完全開花が
可能であったと考えます。

*******************

今、この思想の元に世界を統制しているのがアメリカ合衆国であると思います。
しかし、このアメリカ的思想とその具現化には、ある危険性が潜んでいます。
その点を詳述すると煩瑣になるし、また妄想と言われかねないので省きますが、敗れたりとは言え、アメリカ的思想と行動を日本が無批判に真似る事には、私は懐疑的であり、批判的であります。

その事を持って、「将来の自立日本の為に」と言う文章を過去ログに記しました。

これは poirot21th さんの 37 に対する返信です

歴史の価値は
投稿者: s1_9150242 2002/11/28 13:09
メッセージ: 40 / 1748


一番最初においでいただいた poirot21th さんですね?

>「何の疑問もいだかずなだれこむ」というより、
>「多少の疑問があっても流れにはあらがえない」

・・・そうです 私の語いの貧相さに 恥ずかしいかぎり
秀吉の件もありがとうございます
ある時以来 読書をピタットやめてしまい 昔読んだいろんな
本を思い出しては書いていますので 間違いがあれば みなさん
指摘して くださいね

歴史は 時の権力者により 都合よく変えていかれる・・・
と聞いたことがあります・・・しかしこの戦争は 60年しか
たっていません 辛かったであろう戦争に参加された方達も
まだ ご存命です しかし揺るがす事のない 歴史なんです
同じ血の流れる方達が是非はともかくも 命をかけて日本を守ろう
としたんです(天から見放された戦いであったかも知れませんが)

歴史は 今生きている私達 これからの若い人達の道標として
存在することにのみ 意義を感じます
同じ思いをみなさんと 共有できる方達とゆっくり 語り合えたら
こんな幸せは ありません
今は みなさんについていくので精一杯ですが

よろしく >>みなさま(^^)<<

これは poirot21th さんの 38 に対する返信です

トピ主様へ
投稿者: crub4o 2002/11/28 13:14
メッセージ: 41 / 1748


>白黒の映画で 鶴田浩二主演というと 

あの映画のラスト近く、還らぬ出撃に飛び去った主人公の遺書が、鶴田浩二のナレーションで流れます。
家族友人に宛てた言伝の最後は、
「身長・・・、体重・・・、極めて健康」
と結ばれるのです。

このナレーションを聞いた瞬間、溢れる涙を止める事が出来ませんでした。

そのような映画だったと思います。


>そうですよ 私も同じです ゆっくりおつき合い
よろしく お願いいたします

いや、こちらこそお願いします。
これからもよろしく。

これは s1_9150242 さんの 35 に対する返信です
10
はじめまして
投稿者: dekopon346 2002/11/28 13:56
メッセージ: 42 / 1748


太平洋戦争のことを(日本側から)調べていて感じることなのですが、日本の軍隊は(陸海軍問いません)、「ムラ社会」にその基礎を置いている気がしますがいかがでしょうか?ゆくときはみんないっしょ、仲間はずれにはなりたくないといった気分をうまく利用してるというか・・・。

父の友人の体験ですが
この方、海軍に入隊して2,3日目の身体検査で、「お前は、肺病の疑いがある。そんな者は軍隊にはいらん。帰れ。」と、軍医に言われたそうです。
そこでどうしたかというと、泣いて頼んだのだそうです、「どうかこのまま置いてください。」と。

私はききました。「だって病気なんだから、帰ってくることもできたでしょ?」「いや、それはそのころの空気を知らないから言える事だ。村中で赤飯炊いて送り出してくれたのに、どんな顔で帰れるか」

きだ・みのる氏が「にっぽん部落」で喝破したとうりの、「ムラ社会」のことばです。ムラ八分になりたくない気分が言わせたことなのでしょう。

勇ましい「開戦論」に、ムラ八分いや億八分になりたくないがために賛成し、軍隊どころか日本全体が走り出してしまった、それがあの戦争の原因のひとつではなかったかと考えています。

日清・日露戦争のころは、こうした集団ヒステリーじみた状況はほとんどなかったのではないでしょうか。少なくとも政府や軍部はきちんとした判断ができていたように思います。


なんだかまとまりのないことを書きました。皆さんにいろいろ突っ込まれそうですね。

これは crub4o さんの 41 に対する返信です
11
和をもって尊しとす>デコポンさん
投稿者: marujee 2002/11/28 18:29
メッセージ: 43 / 1748


デコポンサンの意見を興味深く読みました。私も同じように考えています。
日本人は聖徳太子の時代より、「和をもって尊しとす」を考えすぎて、意見が違っていても自分の意見にあまり固執せず事態をうまくまとめるために妥協してしまう習性があります。この点、外国人は違います。激しく自分の意見を主張します。

太平洋戦争の時もナチの快進撃に惑わされ、マスコミは書きたて、「いいのかな?」と思っていた人もいたが、殆どの人はそれに乗って開戦を望んだのです。「バスに乗り遅れるな」が当時の合言葉でした。

これは dekopon346 さんの 42 に対する返信です

悲哀ただよう話
投稿者: poirot21th 2002/11/28 19:05
メッセージ: 44 / 1748


大変な勉強家でいらっしゃる。私は平易な文しか書けないのでご容赦を。
仰るとうり勝つためのシステムとして日本軍のあり方は米国の一歩も二歩も後塵をはいしていたと思います。私が「戦争を甘く見ていた」というのもそこです。
艦爆「彗星」は液冷エンジン機ですね。整備の煩雑な液冷エンジンは空母には不向きで、現に米艦載機に液冷は一機種もありません。おまけに不具合の多発で空冷に結局換装する始末。
次期戦闘機として米国が超小型のF8Fベアキャットを開発したのに対し、空母が小型で何より資源に乏しい日本がバカでっかい「烈風」を作る。
こんな逸話は数挙にいとまもありませんが、何か統一した意思というのが微塵も見あたらないのです。

日本が米国に勝つ唯一の方法として「徹底して人的損害がかさむよう戦うべきであった。」という説があります。いわゆるベトナム方式でしょうか。太平洋戦争に置き換えるとつまり、特攻をするなら戦艦や空母ではなく、徹底して兵員輸送船や上陸用舟艇母艦を狙う事です。
しかしながら兵器が高価で人の命がただ
同然の当時の日本では逆立ちしても出てこない着想ではないでしょうか。いや、せめて「空母を狙え」とでも言わなければ成り立たない用兵が特攻というものなのかもしれません。

これは crub4o さんの 39 に対する返信です

よろしく!
投稿者: s1_9150242 2002/11/28 19:08
メッセージ: 45 / 1748


>ekopon346 さん おいでありがとうございます

>ムラ八分いや億八分になりたくないがために賛成し、
軍隊どころか日本全体が走り出してしまった、
それがあの戦争の原因のひとつではなかったかと考えています。

ほんとうですね 今でもちっとも変っていない気がします
どうしたら 変ることが・・・

今日は 今 チョット? 飲んでいますので酔いが覚めたら
( いつも 真剣に書いていますので )
また 投稿させていただきます

よろしく お願いいたします(^^)

>皆さんにいろいろ突っ込まれそうですね。

・・・そんなことが あるんですか

これは dekopon346 さんの 42 に対する返信です

驚きましたよ! ていうか、
投稿者: crub4o 2002/11/28 20:35
メッセージ: 46 / 1748


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000575&tid=ja10f8a9a4oa4h a4fa4ba4a4a4a4a4ha43a4m&sid=2000575&mid=1

トピ主様って

同県人の方ですか!!

私は福井生まれの福井育ちです。

って、他の人には迷惑ですね(爆)

皆さんにソースカツ丼でも食わせたい気持ちです(超核爆)


さぁ、卵カツ丼好きの方、かかってきな(笑)

これは s1_9150242 さんの 45 に対する返信です

私も泣きます
投稿者: s1_9150242 2002/11/28 22:49
メッセージ: 47 / 1748


> crub4o さん

私は パソコンにさわって まだ2年です
その間独学でこつこつ 200ページほど
のHPも立ち上げています あなたなら たどりつけるはずです
応援して くださいね
ソースかつどん・・・ご指摘のところに 書いてください(^^)

さて
>皆様

真摯な お言葉1つ1つ吟味して読んでいます
気がついたことに 感動する「涙が止まらない」
 
そうです!!
この 戦いは 知れば知るほど 涙が止まりません

男子が「泣く」 ということは いつのまにか「禁」に
なったそうです いつの頃から そうなったんでしょうか
人が 人としての感情表現ができなくなった・・・

ご存知な方は 教えてくださいね

これは crub4o さんの 46 に対する返信です

システムの差
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/28 23:42
メッセージ: 48 / 1748


太平洋戦争は、史上まれにみる消耗戦であり、資源のない日本がそういった消耗戦に参加してしまった(言動から推測すると矢本五十六はそれを望んでいなかったのですが)ということ自体無謀なことですが、国を挙げて資源を効率的に利用するシステムの差がこのような消耗戦では物を言うのではないかと思います。アメリカという国は、多人種国家であり社会システムしっかりしていないと社会が上手く機能しません。それに引き換え日本人はあいまいな部分があっても以心伝心とか臨機応変に対応することができますが、アメリカ人は本質意的に曖昧さを嫌うようです。何故このようなことが言えるかと言いますと私が関わっている産業界の規制はほぼアメリカ発であり、規制の中身から考えてアメリカの国民性が色濃く反映されているように思えるのです。
目新しいことで言えばコーポレートガバナンス、すなわち企業を統治するするシステムによって米国企業が日本企業に対して優位性を誇っています。ただし、エンロンやワールドコム事件により、この考え方も少し怪しくなってきましたが。
日本人の場合面白いのは、ここでも何人かの方が指摘されたように、自発的同じ方向へ突っ走るあため、何も制御するシステムがないにも関わらず、あたかもシステムがあるかのような「擬似システム」に国民の多くが乗ってしまうことがあるようです。
擬似システムは、確立したシステムより劣っているかというと必ずしもそうではなく機能すれば高度成長時代のように、確立したシステムを凌ぐものになると思います。
システムとは何ぞやとか、日本とアメリカのシステムの考え方についての違いは何かを論じると結構太平洋戦争の過程も面白い解析ができるのではと思っています。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

ソースカツ丼
投稿者: o_sole_mio00 2002/11/28 23:48
メッセージ: 49 / 1748


トピ主さん、crub4oさん

私ソースカツ丼が大好きです。実家は中国地方なのですが、近くの中華料理屋(!)のソースカツ丼が好きで外食の機会によく食べていたものです。ところがそれ以外の西日本ではあまりソースカツ丼はメジャーではなく、寂しい思いをしていたのですが、たまたま福井がソースカツ丼発祥の地ということを知る機会がありました。
そころで質問なのですが、福井の方はソースカツ丼をご家庭でも食べているのでしょうか、もしそうであればレシピなど教えていただきたいのですが。
トピずれで申し訳ありません。

これは crub4o さんの 46 に対する返信です

ソースかつどん!
投稿者: s1_9150242 2002/11/29 0:20
メッセージ: 50 / 1748


o_sole_mio00 さん すごい!

この間 アメリカに 長く住んでおられた方のお話しを聞くと
かの国を 理解しようとすれば マネー(お金)を基本に
考えれば 全てが氷解すると・・・そんなお話しでした
その点 日本では 精神とか 伝統とか 真綿でくるむような
素材の中に その核心が かくれているので ややこしくなるとか

日本からみた 太平洋戦争 世界から見たら ずいぶんと違った
ものに 写るんでしょうか

島国日本 テレビ ラジオ 全て耳に入ることは 同じこと
インターネット ここにこそ 求めてやまない真実があると
思う この頃です

自分からの トビずれ 今日はお許しのほど>みなさま

遅い入力で今 ソースカツどんレス知りました
オーソレさんによろしくね・・・crub4o さん

  これは o_sole_mio00 さんの 49 に対する返信です

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