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2006年02月12日

飽食の時代

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繭玉(まゆだま)を模し、クリの木の枝一面に餅を巻き、餅花(もちばな)と成し、五穀豊穣、国家安泰、家内安全を祈りながら山車(だし)が町中を巡行する蓬莱祀(おらいし)という神事は、その1500年という歴史からも昨年1月に国選択無形文化財に指定されました。

大きな修羅(しゅら)と呼ばれるソリに幅3メートルもある俵を乗せ、その飾り高さは6メートルにもなりますから、巡行の時はいたるところ道路上の電線を持ち上げながらとなります。50名ほどで曳き回すわけですが、各町内で待ち受ける方々のリレーが大きな力です。また、台座に恵比寿大黒の衣服を着た囃し方が音頭を取る様は京都の祇園山車を彷彿とさせます。

継体天皇がこの地から樟葉宮へ即位のため還御されることとなり、その徳を偲びながら神事として長く続けられてきたことは驚嘆に値し、純朴な越前の風土を感じさせられます。安閑、宣化、両天皇の産湯の池と伝承される皇子ヶ池は目と鼻の先にあり、住んでる所は佐山といって、継体天皇ゆかりの佐山姫とまで聞けば、そういった歴史の匂いの中で生活してきたことになります。

こういった餅花は結構各地に残っていると以前歴史の講義を聞いたことがある。つい最近まで、お米は現在の貨幣と同様の扱いであったし、杵と臼でつく正月の餅つきが大事な行事とされてきたことと合わせ、これらは飢餓への恐れの裏返しとも思える。枝に巻かれた餅の意味と願いは何だったのか考えることが、この飽食の時代にあってこそ意味があると思われます。

http://www.awatabe.com/2006/oraishi.htm

投稿者 sensyu : 2006年02月12日 20:01

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