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2007年03月06日

傘と提灯は

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 「傘と提灯は早く返せ」という諺がある。これは用がなくなったら借りたものをすぐに忘れてしまうからと言えば身に覚えもありそうだ。また長い人生の中いったい何本の傘を置き忘れたことか、思い出せない数であったような気がする。傘も今では大変廉価になったようで、傘やのご主人が最近は傘も景品になるような時代と口説かれているのを聞いたこともある。この辺では洋傘のことを「こんもり」と言う。こんもり傘の思い出はみなさんいろいろお有りではないかと想像する。

 
 有る時期、電車通学の時などで、当時のヤングは傘を逆さまに持っていたような気がする。長靴の外へズボンのすそを出したたんだ傘は逆さまに持つ、若者のファッションはいつの時代もこのように些細なことにこだわるのが良とされた。今のお臍を堂々と出しズボンをギリギリ下げ、目のやりばに困るようなファッションから見ればかわいいものである。また黒板などに三角と直線で傘のイラストを書き左右に男女の名前を書いてはやし立てた風景はどこかほのぼのとした記憶となって、そこには今の生き死にに関わるような陰惨ないじめという陰は微塵もなかったように思う。

 さて、傘と言えば「核の傘」などよく聞くことば。沖縄返還に活躍されたという若泉敬氏の名前が思い浮かぶ。戦後命がけで政務に携われた方もおられたのだと郷土の後輩として考え深い。ひとりそう思うだけかも知れないが、地元でほとんど語られることなく今日あるは寂しい気がする。ふるさとに込められた響きと願いの中に満ち宿るもの、それはどういったものなのか考えてみたい。例えば傘の作る日陰の中にもその答えのひとつがありそうだ。
 

 

投稿者 sensyu : 2007年03月06日 19:26

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