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2011年11月03日

西山光照寺跡の発掘

一乗谷駅

 もう何年も前、始めて西山光照寺跡を見た時の驚きは今でも覚えている。並んだ石仏のお顔をひとつひとつ確かめるように見て回った記憶がある。すすきの咲く野原にぽつんとある一乗谷駅に一両の列車が止まる、実にのどかな光景、

 平成22・23年、このすぐ横の山際で発掘調査があり、つい最近、発掘後の埋め戻し作業を偶然目にしたこともあり、文化の日の今日、「文化の日記念公開講座・西山光照寺跡の発掘最新成果より」に参加することにした。

 一乗谷朝倉氏遺跡資料館へは予定より少し早く着き、常設展を見て回る。信長の署名やよく知っている寺社の名前などがある古文書に惹かれる。午後1時半から始まった講座は見る間に人で埋まる。ほとんど年配の方だったように思う。実際に発掘を行った文化財調査委員の櫛部さんのお話と、学芸員の宮永さんの西山光照寺に関する歴史講座とがあり、その後徒歩で現場へ行っての説明もあった。埋め戻しされているとはいえ、大きく深い井戸や「南無阿弥陀仏」と掘られた大きな自然石など見所はある。講座でいただいた大変詳しい資料の表紙には発掘の写真とともに、「500年前の祈り・・・」とある。この発掘によって知らされた西山光照寺跡の持つ意味をこの現代に置き換えて考えてみる。よい文化の日を過ごさせていただき感謝。

西山光照寺の歴史
『現在、福井市花月1丁目にある天台宗寺院。「福井大仏」として親しまれている。戦国時代には一乗阿波賀にあり、朝倉氏滅亡後、慶長11年(1606)に結城秀康から寺領を与えられ、同16年、現在の地に再興されたと伝えられる。その創建については、資料が乏しく詳細不明だが、初代朝倉孝景の叔父朝倉将景(長禄3年(1459)に長禄の合戦で敗死。法名、光照用公居士)の菩提を弔うために建てられたと考えられる。』資料引用

投稿者 sensyu : 2011年11月03日 23:09

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