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米本土唯一の空襲
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 8 13:58
メッセージ: 201 / 1756


一度だけ、日本軍が米国本土を空襲しています。潜水艦に搭載
されている偵察機が、小型爆弾で、オレゴン州の森林に火災を
起しました。とてもささやかですが、とりあえず空襲の記録と
して残っています。戦後、唯一の空襲(?)を行ったパイ
ロットは、近くの街から招待され、歓待をうけたそうです。

これは s1_9150242 さんの 195 に対する返信です

12月8日PART2
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 14:00
メッセージ: 202 / 1756


ここまで来て思うこと
太平洋に散った若者のこと残念です こうなってしまった1つの遠因に「日露戦争」がある そう思うようになりました 決して大勝利ではなく(あと戦う余力はなかった)天佑で講和できたものを国民は勝利した・・・と錯覚した・させたことが
神国・神兵 戦えば必ず勝つとの盲信があのような非戦闘員(国民)を大きく含む惨事となったのでは 「知らしむべからず寄らしむべし」の功罪は真に大きなものがあると思います

これは s1_9150242 さんの 200 に対する返信です

>日本の男達は勇敢でした
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 8 14:05
メッセージ: 203 / 1756


>日本の男達は勇敢でした

正直いって複雑な思いがあるのですが、例えば、軍部にも勇ま
しい事を言っていながら、女々しい行動をした人間が何人いた
ことか。一方で、自らの信念を貫き戦争に反対し、「非国民」
と呼ばれ、あるいは、特高に連行され、獄中で死んでいった人
たちもいます。

基本的なメンタリティーは今も昔もそんなに変わっていないと
思いますよ。

これは s1_9150242 さんの 200 に対する返信です
19
ミッドウェーでの敗因は
投稿者: amamiyagorou 2002/12/ 8 14:25
メッセージ: 204 / 1756


やはり,南雲中将の判断ミスだろう。最初,味方の偵察機が敵の艦隊に空母はいないと打電したとき,魚雷を陸用爆弾に付け替え,その後空母がいると打電したとき,また魚雷に付け替えているうちに,敵機の急降下爆撃を受け,空母3隻,その後1隻を失ってしまった。やはり,敵の空母を発見したとき,すぐ離陸するべきだった。そうすれば,少なくとも,相打ちにはなっていたはずだ。ハルゼー提督も,危ないところだった、もし負けていたら、やつらは米本土に上陸していただろう、と言ったそうだ。最初は日本の方が,太平洋での海軍力は上だったのだ。ところが,ミッドウェーで空母4隻を失ったため,持久戦になってしまい,アメリカの生産力に負けてしまったのだ。日本は初めから負けると分かっていて,アメリカと戦ったのではない。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>勉強次第の公平な社会?
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/ 8 14:37
メッセージ: 205 / 1756


そうですね。
基本的には、日本国籍(台湾、朝鮮を含む)で、年齢や、コースに応じた学歴を満たしていれば、平等ではありましたね。(皇族はさすがに特別待遇でした。記念撮影の時など、階級に関係なく、最前列の中央に座って撮影しています。)

爵位(公、侯、伯、子、男)は、軍の指揮系統には何ら関係はありませんでしたが、ただ天皇や天皇の名代の皇族が部隊の査閲に来る際には、爵位の無い部隊指揮官よりも前の列に整列し、閲兵を受けるという栄誉はありました。

ただ、旧身分・家柄が影響を及ぼさなかった反面、新たに軍関係の学校での成績・卒業年度が重視され過ぎ、平時なら問題なくとも、戦時でも重視されたという事実があります。
つまり、悪い言い方をすれば、点取り虫は進級も早く、重要なポストにも就けた、とは言えるかと思います。(もちろん、例外はありましたが。)
もっとも、戦時の際に水際立った指揮を執れるかどうかなど、平時においては見分けるのが実に難しい事でしょうね。本当に人事考課というのは、難しい…。(軍に限った事ではないと思いますし、お金も門地もなく、自分の学力だけを頼りに出世しようとする人も、十羽一からげに非難はしたくありませんし。)

>庄屋の息子も 金持ちも始めは等しく二等兵だったそうです 

陸軍では、「特別幹部候補生」も最初は二等兵からスタートで、下級兵士の生活を体験してから幹部に進級するシステムだったはずですが(間違っていたら、どなたかご指摘下さい)、海軍の「予備学生」は、いきなり「兵学校生徒の上、兵曹長(准士官)の下」という、士官待遇の身分からスタートしていました。
しかし、陸軍に対する気兼ねからか、第四期生からは全員最下級の二等水兵からスタートという事になりました。(つまり、海兵団に入団すると、セーラー服の水兵からスタートという訳です。)

これは s1_9150242 さんの 193 に対する返信です

>護衛空母
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/ 8 14:47
メッセージ: 206 / 1756


>アメリカが大戦中に建造した護衛空母は商船改造のものも含めて6クラス86隻(一部は建造中に終戦)

まさに物量!ですよね。(もちろん、物量だけでは戦争に勝てませんが。)

アメリカの護衛空母は、船団護衛などで、実に大活躍しました。商戦改造だから低速であるにしても、可動式カタパルトを持った飛行甲板のお陰で、新型の高速艦載機も搭載できた!(F4U戦闘機はどうだったのか、分かりません…。主にF6Fかな? ちなみに、終戦までに参戦できなかったF8Fはもともと護衛空母用の小型艦上戦闘機だったとか。)
性能的に大して変わらない日本の改造空母も、この可動式カタパルトが無かった為に、新型艦載機(彗星艦爆、天山艦攻)を充分に生かしきれなかった。
特に、彗星は隼鷹クラスの空母でも、発・着艦に難儀したと、阿部善次少佐(第652航空隊飛行隊長)が回想していますね。

これは annodomini_jp さんの 196 に対する返信です

英字新聞?
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 14:58
メッセージ: 207 / 1756

今ちょうど英語を習った恩師が英字新聞を持って訪ねて来られました
「オイ これ読んでみろ」と とっくに学校オサラバの私に読める
はずが(汗)題字に大きく

500,000 could perish in Iraq war:Medact

とあります 戦争すると50万人が死ぬと書いてあるんだよ(あたっています?)
・・・と言って 米はいくら殺したら気が済むのかなーと
「ああ腹へった ソバどっかで」と言って今帰りました(笑い
次来る時まで 翻訳しとけー 何で?立たせるゾー ナンか
おかしい もうとっくに卒業してるのに

みなさまのレス 穴の開くほど読んでいますよー
ありがとうございます 何でか今日は力が入ります
よろしくおねがいします!

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です


空母について疑問
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 15:06
メッセージ: 208 / 1756


どうしても戦争の主力となった空母に目がいきます いつも疑問に思っていたんですが 空母には艦橋が甲板の左右どちらかについているもの 全く甲板上にないものがあると 写真なんかで アレって何ででしょう 素人目には 何にもない方が 発着艦に便利と思うし あたったら大変と思うんですが(笑われそうな質問かも)
ご存知の方あれば・・・

これは honkytonk_2002_x さんの 206 に対する返信です


>>日本の男達は勇敢でした
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 15:17
メッセージ: 209 / 1756


オ・ソレさんありがとうございます
もちろん「勇敢」の意味には多くのものが含まれると解っていますよー ただ解りやすく?しぼって書いてしまいました

>自らの信念を貫き戦争に反対し、「非国民」と呼ばれ、あるいは、特高に連行され、獄中で死んでいった人たちもいます。

立派に勇敢であったと思います
主張するのがヘタ?な国民性があると思います 教育にも問題が 同じ思想 同じ行動を取らせることが教育と・・・
・・・語弊があるかも知れません(^_^;)

これは o_sole_mio00 さんの 203 に対する返信です


フリゲート
投稿者: gintetu1963 2002/12/ 8 16:34
メッセージ: 210 / 1756


少し古いネタですが、「フリゲート」は古代ギリシア・ローマ時代にすでにあったようです。
古代地中海は、ローマの艦隊が制覇する前は、フェニキアの艦隊が有力でした。
このフェニキアのガレー船に搭載されていた手こぎボートのことをフリゲートと呼んだらしいです。
近代のフリゲートは、すでに指摘のあったとおり、駆逐艦と呼ぶには小さくて軽武装な水上艦の名称とするのが一般的なようです。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

潜水艦
投稿者: gintetu1963 2002/12/ 8 16:35
メッセージ: 211 / 1756


空母よりは原潜・・そうかも知れません。
沿岸にそっと潜水艦を潜ませておけば空母部隊も容易に近づけません。
原子力でなくディーゼル電気式潜水艦ですら、海上抑止力として大変有効なようです。
フォークランド紛争のとき、アルゼンチンはただ一隻のディーゼル潜水艦を出撃させました、
ところが、イギリスの空母部隊は、これを警戒して、多大の労力を対潜作戦に割かねばならなかった前例があります。
原子力潜水艦は専守防衛にちょうどよいかも・・

これは crub4o さんの 171 に対する返信です

不沈艦
投稿者: gintetu1963 2002/12/ 8 16:37
メッセージ: 212 / 1756


白色彗星帝国・・アニメ宇宙戦艦ヤマトのことですね・・
そう、歴史上の戦艦大和は沈みました・・でも、フィクションの世界でよみがえったわけです。
アニメのヤマトはいくら撃たれても沈まない、次の回には復活してる・・
擬人化された不死身の兵器、超越的存在といった観があります。
以前、アメリカの航空機は操縦士を守るため装甲を厚くしてる、
日本の戦闘機は薄くて乗員を守る発想がない、との指摘がありました。
西洋人は、戦闘機は単なる兵器であり、壊れてもまた工場で生産すれば良い、兵士の命こそ大事、と考える。
ところが日本人は、兵器を神格化したり、人間と一体化する思考がありはしないか?
当時の人たちはこの巨大な戦艦に幻想を抱いたと想像します・・
「この船は決して沈まない、沈むのは日本が滅ぶときだ」
日本人は、単なる兵器である戦艦を、世俗の文明の及ばない超越的存在へと昇華させてしまうのかも?

これは annodomini_jp さんの 190 に対する返信です

つづき
投稿者: gintetu1963 2002/12/ 8 16:38
メッセージ: 213 / 1756


3年ほど前、有楽町マリオンで「GODZILLA」を観ました。
このアメリカ版ゴジラは正規軍に退治されてしまいます。
まずN・Yのビル街で陸軍のヘリに追われ、
川に飛び込むと海軍の潜水艦に魚雷攻撃を受ける、
最後は橋の上で空軍のミサイルを受けて息絶える・・
(ちゃんと陸海空軍に花をもたせてる・・海兵隊は?)
一方、日本のゴジラは自衛隊の火力にはびくともしません。
実はこれは不思議なわけで・・いちおう生物のはずだし・・
ニホンの怪獣は俗世間の科学を越えた存在で、自衛隊ごときにはやられない・・
いや、自衛隊に負けないことがニホン怪獣の必要条件ですらある、
ここにも世俗の文明の及ばない超越的存在への日本人の嗜好が表れてる気がします。
GODZILLAとゴジラの違いは、兵器観の違いにどこか通じるものがありそうです。

これは gintetu1963 さんの 212 に対する返信です

Re:gintetu1963さん
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 17:50
メッセージ: 214 / 1756


フリゲート艦 上陸用舟艇とはちがうんでしょうか?そうでしょうね ガレー船 ベンハーでは大きかったですよね

白色艦隊 ゴジラ興味深く読ませていただきました 実は恥ずかしい?話ですが 「宇宙戦艦ヤマト」では 何度泣いたことか また アメリカ版ゴジラでは・・・そんなんじゃなーい・・・と心の中で思いましたよ
あれ何で 「デスラー総統」なんでしょうか

ご指導くださいませ 今日はがんばるつもりです(^^)

Ps;開戦時 Z旗が もちろん日本海海戦の勝利をかついだとは思いますが Z旗についてご存知の方教えていただけませんか? 

これは gintetu1963 さんの 210 に対する返信です

Z旗の掲揚(それだけです(^^ゞ
投稿者: crub4o 2002/12/ 8 17:57
メッセージ: 215 / 1756


最初っから折り畳まれ、マストトップにぶら下がっているそうです。


「Z旗、掲揚!」の命令一下、下から引くと、解けて風になびき、翩翻とひるがえる仕組みで、下からスルスル上がる物では無いと航空機映画の本に書いてありました。

これは s1_9150242 さんの 214 に対する返信です

Z旗 掲揚!
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 18:06
メッセージ: 216 / 1756


crub4oさん>いつもありがとうございます
ちょっとこれまた恥ずかしいですが 怪傑ゾロって(古い?)ガルシア軍曹にいつもゾロが「Z」書いていました
Zに何か意味があったんでしょうか
素朴な疑問です

でも毎回勝利を信じて見上げた戦いは何度あったんでしょう 最後には誰も信じなかったかも(ご利益)でしょうね

これは crub4o さんの 215 に対する返信です

ゴジラは何故違うのか?
投稿者: crub4o 2002/12/ 8 18:21
メッセージ: 217 / 1756


基本的には第2次大戦の勝敗が、軍隊と兵器に対する怪獣ないしその類似物(クリーチャー)が優位か否かを決定しています。

米軍は、神風特攻やバンザイ突撃をいわば訳の分からない怪獣の攻撃とみなし、それをシステムと弾量で斥けました。
ドイツ軍の強力無比なティーゲル戦車に突然出くわし、忽ち戦車中隊が全滅しても、よってたかってティーゲルなどの怪獣をなぶり殺しにしました。

この経験は軍事力に対する自信となって残り、戦後の怪獣映画で、アメリカの怪獣達は基本的に軍隊又は軍事力に弱いのです。

一方、戦争に負けた日本では、軍事力と武器に対する不信感が根強く残り、特に曖昧な経緯で設立された自衛隊の武力などには尊敬が集まらず(時代情勢も関係有り)、怪獣は軍隊なんぞ歯牙にもかけないと云う事になりました。

上記、「怪獣大百科」によります(爆)

これは s1_9150242 さんの 214 に対する返信です

ゴジラ!
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 19:18
メッセージ: 218 / 1756


crub4oさんのお考え全く同感です
戦後日本は戸惑ったと思います 今まで至高とされていた精神社会?がことごとく科学というか技術の前にあとかたもなく粉砕された・・・そう思うのは無理もない

・・・で 果たしてそうでしょうか 科学技術など1年前のことは もう古いのです たまたま戦争で 敵国より1歩先んじていたとして それを誇って相手国を屈服させる・・・そんなことに何の意味があるでしょうか 科学技術によってこの世界を1つにできると錯覚している人達に恐怖すら覚えます 各国が「武器よさらば」を実行しない限り 不幸は続きます ぜひ いちにのさん で・・・(笑わないでくださいね

それにしても米国「ゴジラ」あれはまるで爬虫類そのもの 日本人のいろんな意味での「ゴジラ」を理解してなかったような・・・

これは crub4o さんの 217 に対する返信です

12月8日PART3
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 19:58
メッセージ: 219 / 1756


おそらく 米国に宣戦した唯一の国
おそらく 唯一 空襲をしかけた国知れば知るほど驚きます

荒海 傾斜15度発艦困難を 祖国の勝利を固く信じて飛び立った若者達 少なくとも彼等に何ら罪はありません

憎むべきは戦争であり 憎むべきは人命より 金もうけと思う輩です

12月8日心をこめて書かせていただきました 英霊に涙を流しつつ

これは o_sole_mio00 さんの 201 に対する返信です

20
感動した!
投稿者: karubacion 2002/12/ 8 20:09
メッセージ: 220 / 1756


真珠湾攻撃の時、空からだけでなく、海からも日本軍は攻撃をしかけた。
潜水艦ともいえぬ訓練用の潜水艦で。
搭乗員はわずか2名。
攻撃したら母艦に帰れ、と命令されても帰れなかった兵士達。
潜水艦に乗っていた証言者が言った。
「相手が憎くてやっているんじゃない。国のため。」

「国のため」
この一言にワシは感動した。
今の若者よ、この言葉を学べ!
この言葉を無視する左翼に、祖先を批判する資格は無いっ!
ワシは祖先の英霊を尊ぶ!

これは s1_9150242 さんの 219 に対する返信です

>ミッドウェー
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 8 22:49
メッセージ: 221 / 1756


amamiyagorouさん

>やはり,南雲中将の判断ミスだろう。

ミッドウェー海戦前の有名な逸話で、ミッドウェー作戦の机上演習
を実施した時、日本の空母3隻は沈没する結果となったが、宇垣纏参
謀長が日本軍の被害を3分の1に修正し、机上演習を続行した、
というのがありますね。個々の場面を捉えて、全ての責任を現場
の指揮官である南雲に押し付けることもできないかと思います。
飛龍艦長の山口少将の意見具申通り97艦攻を爆装のまま出撃させて
いれば、という「IF」ですが、艦爆よりも威力はかなり低く、空母
を沈めることは難しく、うまくいって艦載機の発着を妨害する程度
だということを以前に軍事マニアの方から伺ったことがあります。
確かに南雲中将の機動艦隊の指揮官としての力量には、疑問符がつ
きますが。

>ハルゼー提督も,危ないところだった

仮に、ミッドウェー海戦でアメリカの空母が全滅してもハルゼー提
督は、無事でした。といいますのは、ミッドウェー海戦前ハルゼー
提督は皮膚病で、療養中で代役としてスプルアンス少将がミッドウ
ェー海戦に臨んでいました。ハルゼー提督は米国機動艦隊のエース
的な存在ですが、なぜか日米機動艦隊同士
の決戦として規模の大き
かったミッドウェー海戦とマリアナ沖海戦
は指揮を執ることができ
ず、いずれもスプルアンスが、指揮を執っ
ていました。

>日本は初めから負けると分かっていて,アメリカと戦ったのではない。

山本五十六長官は近衛首相に「半年や一年は暴れて見せるがそれ以上
は自信が持てない」 といっています。山本五十六長官は、半年から1年
の間優勢に進めているうちに政治的な交渉により停戦を進めて欲しい、
という意図だったのです。その意味では日本には勝算はあった言えま
すが、その読みは甘かったと思います。

これは amamiyagorou さんの 204 に対する返信です

Z旗
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 8 23:01
メッセージ: 222 / 1756


私の分かっている範囲で(間違ってたらご指摘お願いします)

信号旗はアルファベット全て、AからZまでそろっており、万国共通
のものです。信号旗を単独、あるいは組み合わせによって、船と船
の意志の疎通に使用します。従って、この信号旗の「Z旗」は、あの
「Z旗」と同じデザインであり、単独では「引船が欲しい」といった
意味だそうです。日本海海戦時に、特別に「Z旗」を単独で掲げ、
「皇国の興廃この一戦にあり・・・・」という意味を別に打電させた
のではないでしょうか。

これは s1_9150242 さんの 214 に対する返信です

>>>日本の男達は勇敢でした
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 8 23:19
メッセージ: 223 / 1756


s1 9150242さん

いつもご丁寧なご返答、恐縮です。

>主張するのがヘタ?な国民性があると思います 教育にも問題が 
>同じ思想 同じ行動を取らせることが教育と・・・

すごく示唆に富んだご指摘だと思います。「和を以って尊しとな
す」国民性は、ややもすると「付和雷同」に陥ってしまうことが
あります。一方、アメリカ人は、多民族国家で、まとめるのが難
しく激しい議論が日常茶飯事であり、画一的で議論の少ない日本
人と比較して、戦争になってもまとまらないから、兵士も勇敢で
ないだろう、と過小評価した部分があったかもしれません。
「決まるまでは激しく議論し、一旦決まれば、まい進する」、
「議論も無く決定するが、不満があれば手を抜く」
前者がアメリカ、後者が日本とは言いませんが、そういった部分が
あったのではないか、現代日本にもそういったところありませんか。
自戒の意味を込めて・・・。

これは s1_9150242 さんの 209 に対する返信です

和を以って尊しとなす
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 8 23:54
メッセージ: 224 / 1756


そうですね 今日はみなさまのおかげでいろんな事を感じ勉強できたと ほんとうに泣けたり 笑ったり ありがとうございました
 ご指摘のこと私なりに考えて見るとやはり 農耕民族と狩猟民族の違いがあるのかなーと 狩をする場合その時その時のいろんな判断を迫られる場合が多いような気がします 田畑を耕す場合お隣の様子を見ながら 同じように作っていればまず間違いはありません 例えが稚拙かも知れませんが・・・ 学校教育はうがった見方かもと思いますが 同じ時刻同じ行動同じ答えを求めすぎます 私には都合(国家または企業)のよい人作りの場所であった又はINGであると見えます 同じコピーの大量生産・・・言い過ぎかもしれませんね ・・・で自己主張する訓練というかノウハウを知らないのが現状と思います どの会議でも物言う人は決まっており 後の人はだまっています 意見がないかと思えば その後飲み会でもあれば ウソーと驚く程いろんなことを(笑い
人と堂々議論する方法を勉強することから始めなければいつまでたってもこの国は変らない気がします 生意気いってすみません 12月8日 有意義に過ごせました

これは o_sole_mio00 さんの 223 に対する返信です

兵器の絶対化
投稿者: dekopon346 2002/12/ 9 13:25
メッセージ: 225 / 1756


>ところが日本人は、兵器を神格化したり、

まさにご指摘のとおりです。特に陸軍におけるそれは現在からは考えられないほどのものだったようですね。包囲されてやむなく火砲を破壊して撤退してきた砲兵将校が「なぜ、死んでこなかったか」と、自決を強要されたり、戦車の乗員も、「被弾して動けなくなっても、戦車と運命を共にしろ」と教えられていたそうです。

なにか、日本人の精神性といったものに根ざしているのでしょうか。

これは gintetu1963 さんの 212 に対する返信です

関連?
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 9 13:42
メッセージ: 226 / 1756


デコポンさん>こんにちは

>自決を強要されたり
>日本人の精神性といったものに根ざしているのでしょうか

マレー沖海戦について夜教えてもらおうと思っているんですが その中で英国の提督が 艦とともに運命を共にするそうです 部下の退艦勧告に「ノー・サンキュー」と

太平洋戦争は始まったばかりでおそらく艦と運命をともに・・・は始めてではないかと こう言った風習はいつの頃よりあったんでしょう またこのことが後の「大和」などの前例となったんでしょうか やはり人命より艦(物質)が大事だったんでしょうかね ・・・まもなくマレー沖海戦が始まります?

これは dekopon346 さんの 225 に対する返信です

戦争のできない国
投稿者: dekopon346 2002/12/ 9 13:47
メッセージ: 227 / 1756


今ごろ何を・・と笑われそうですが。

この日本という国は、資源(食料、燃料など)からみても言語(主語、時制が明確でない)からみても、すぐカッとなる性格(射撃に不向き)からみても、戦争のできない国だと思います。なぜ戦ったかを考えると、今現在からみて不思議なことです。

中国、春秋時代の戦術家といえば孫子ですが、こんなことをいってます。
「それ兵久しくして国利なるものは、未だあらざるなり」
戦争ばかりしていて国が栄えたためしはない、ということです。日本も、太平洋戦争を最後に戦争から遠ざかったためにここまでこれたということでしょう。
この国が戦争のできない国であることをむしろ誇りに思いながら、かつて勇敢に戦い、亡くなっていった人々に感謝したいものです。

これは dekopon346 さんの 225 に対する返信です

殺せ! 殺せ!・・・
投稿者: marujee 2002/12/ 9 15:11
メッセージ: 228 / 1756


>ハルゼー提督は・・・・・マリアナ沖海戦は指揮を執ることができず、いずれもスプルアンスが、指揮を執っていました。

ハルゼーは42/10以来、慎重すぎたゴムレー提督に代わり、南太平洋地域司令官(後に第3艦隊)をしており、44/10のマリアナ沖海戦は中央太平洋地域(後に第5艦隊)に入っているため、中央太平洋地域司令官スプルアンスが指揮を執りました。
スプルアンスはギルバード諸島(マキン、タラワ)、マリアナ諸島(サイパン、グァム・・・)、硫黄島、沖縄の作戦を担当し、ハルゼ−はレイテ沖、台湾沖の海戦を担当していました。
対照的な性格でスプルアンスは冷静沈着の知将、ハルゼーは勇猛果敢な猛将でした。
スプルアンスはマリアナ沖海戦で勝っていたのに、その後の追跡が甘かったこと、そしてハルゼーはレイテ沖海戦で小沢艦隊の偽装作戦に引っかかったこと(「34機動部隊はいずこにありや? 繰り返す、いずこにありや? 世界が知らんとす」)、台風の中を航行し駆逐艦3隻を始めとする損害を与えたこと・・・が問題視されました。でもハルゼーは国民的な人気があり、ニミッツにもかわいがられていたためか特にお咎めはありませんでした。
彼の新配属者たち(後の大統領ケネディーたち)への挨拶は「殺せ! 殺せ! もっと日本人を殺せ! 役に立ちたいのなら、いやらしい黄色い奴をやっつけることだ!」だそうな。・・・まあ、柄の悪い現場型の人ですな。 
http://www.angelfire.com/fm/odyssey/Halsey.htm

これは o_sole_mio00 さんの 221 に対する返信です

それ兵久しくして・・・
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 9 15:30
メッセージ: 229 / 1756


私の愛読書(だった)に「プラトン」「三国史」「徳川家康」なんかがあります 結構長編だったと 「プラトン」なんかは西洋のキリスト教などにも影響を与えているのではないかと その考え方は積み木を一つ一つ積み上げて行くようで理性的です 東洋の書を読んで思うことは 非常に「直感的」なところが多いように

最初と最後 原因と結果ははっきりしてるんですが その間の考え方に「以心伝心」「目で話をする」など 非常にファジイというか曖昧さを感じてしまいます

西洋と東洋 「動」と「静」のように言われることがあると思うんですが 最初の「何を基準とするか」の文化・思想が根本的に違うのかも

多民族国家 純血?国家なども考え方に深く係わっていると思います
・・・勉強不足で(汗;

これは dekopon346 さんの 227 に対する返信です

re2:英国への通告なし攻撃の理由
投稿者: Q_WADIS 2002/12/ 9 19:06
メッセージ: 230 / 1756


 理由としては、そんなところなんでしょうね。余り胸はっていえる理由じゃないすが。
 英蘭両国への宣戦布告なしの攻撃は、日華事変のような現地軍の暴走ではなく、政府の政策ですから、当然閣議の決定事項であろうし、もしかすると本省から駐英大使に訓令もあってしかるべきだと思うのですが、閣議議事録とかあるいは外交資料館になにか残っていないでしょうか。
 
 後、当時の外交方針にケチをつけても意味はないのですが、亡命政府だから、あるいは苦戦中だから、布告するまでもない、というのは、あまりにも問題のある考えです。弱国で在るが故に結ばざるを得なかった不平等条約の改正に努力した陸奥宗光がありせば、相手がいかな小国であろうとも断断固として正々堂々宣戦布告を行うべし、と言ったであろう、というのは勝手な想像ですが。
 これまた、当時の世界情勢判断にケチをつけても意味はないのですが、敵を知り己を知らば云々というのは対米的によく言われる話ですが、米国のことも知らなかったかもしれませんが、英国についても、もうすぐ降伏するから宣戦布告しない、という考え自体、いくらなんでも英国を軽く見過ぎですね。
 やはり腐っても鯛で、世界最大・最強の海軍を擁し、米・露を上回る莫大な海外領土と人的資源。さらに独との航空戦を凌いだ1942年秋時点で、英国の降伏を予想するというのは見通しとしては甘すぎで、一体駐英武官の報告はどのようなものだったのか?まあ、逆に駐独武官の見方も違う意味で甘かったということなんでしょうね。

これは EzoWolf さんの 168 に対する返信です

>英国の提督
投稿者: crub4o 2002/12/ 9 19:21
メッセージ: 231 / 1756


サー・トム・フィリップス大将でしたね?

チャーチルと第一次大戦のガリポリ戦の頃からの因縁浅からぬ海軍軍人だったと思います。
第2次大戦がはじまり、英国戦時内閣が発足してから、艦隊の運用法を巡ってチャーチル首相と対立を起こし、東洋艦隊司令長官として、事実上の左遷人事で派遣された軍人です(参謀ではあるが、大型艦隊の指揮経験が無い事が誰の目にもこの人事が異様に映った理由だそうです)

また、艦隊防空に関しても、艦載対空砲の運用により、航空機攻撃を撃退可能であると断乎として主張していました。
ノルウェーを巡る戦闘で、大型艦が多数撃破され、クレタ島を巡る戦闘で多数の巡洋艦駆逐艦を喪失していた苦しい時期でもあり、この主張はいかにも時宜を得ないものであったと言えます。
(但し、戦艦はUボート以外にはやられた事が無く、またフィリップス提督の脳裏にあった航空機とは、エンジン付きあほうどりとも言える自軍のソードフィッシュであった事を斟酌してあげる必要はありますが)

マレー沖に沈んでいったフィリップス提督は、
@自らの左遷人事とそこでの責任
A指揮する戦艦が破滅する事により、自らが主張した戦艦優位論が破綻した。
つまるところ、これらを受けて、自らの死と言う形で従容と受け止めたのであろうと言われています。

同時に、これより数ヶ月後、スラバヤ沖海戦では、オランダ東洋艦隊司令長官ドールマン提督も、自らの生れ故郷であるジャワを守ろうとするように、旗艦「デ・ロイテル」と共にジャワ海に沈んでいきました。

個人と軍艦の生死を賭けた結びつきは、以上のようなケースもあり、また敗報頻りとなった大戦末期の日本海軍では、沈没間近しとなると「死に方用意」の号令さえ発せられたそうであり(貸し本漫画でみたので真偽不明w)、一律には分からないものがありますね。

答えになってなくて、申し訳ありません。

これは s1_9150242 さんの 226 に対する返信です

遠交近攻
投稿者: Q_WADIS 2002/12/ 9 19:23
メッセージ: 232 / 1756


>・・・この戦争は独伊が勝つことを前提に始めれたと思いますから

 南方資源地域に関しては英仏蘭領、どれも火事場泥棒の観もありますが、「もし」をいっても始まらないのですが、独が英仏と開戦してなかったら日本が南方進出を行えたか微妙で、さらには単独で対米英との開戦を決意しえたかもどうか。独伊英仏間の欧州戦があったからこそ、太平洋戦争も起きた、という気もします。
 日独同盟は、独は対ソ攻撃を、日本は対米攻撃を事前に同盟国と協議しておらず、同盟国の割には互いに好き勝手やっているだけみたいな感じですね。なぜそんな両国が結んだかと言えば遠交近攻策じゃないですが、単に両国が遠く、独は東アジアの植民地を失っていたから利権がぶつからなかっただけ、という気がします。

これは s1_9150242 さんの 184 に対する返信です

マレー沖海戦とは?
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 9 19:40
メッセージ: 233 / 1756


英東洋艦隊発見12月9日午後5時10分攻撃隊出撃するも帰路
翌午前11時56分プリンス・オブ・ウエルズ以下4艦発見出発
より5時間半経過 攻撃開始12時14分雷爆撃75機 内3機撃墜
3機中大破25機被弾とあります 実に40パーセントを越す命中率
を受けながら プリンス・オブ・ウエルズ同レパルスを撃沈は 予告
なしの真珠湾以上の戦果であったと

どうして英国は真珠湾翌日に出撃可能だったのか
(基地は インドとかに?)
どうして真珠湾近海に総兵力を集めていた日本が 地上基地からの
飛行機のみによる攻撃でよしと考えられたのか
(真珠湾の戦果たった1日後ですよ)
しかも プリンス・レパルスとも当時最強と言われていた戦艦!

真珠湾 マレー沖と この大戦果による慢心が「ミッドウエイ」へ
と続いた・・・そうでしょうか?
真珠湾→マレー沖→ミッドウエー でいい?

これは s1_9150242 さんの 226 に対する返信です

12月8日に考えたこと
投稿者: dekopon346 2002/12/ 9 20:03
メッセージ: 234 / 1756


私などは、12月8日というと・・・太平洋戦争開戦の日、というよりは・・・ジョン・レノンの命日、と考えてしまうのですが(苦笑)。

1971年、ジョンはヨーコとともに一曲を吹き込みました。「ハッピークリスマス」。時節柄、あちこちからこの曲が聞こえてきます。絵に描いたようなピースソングです。
「War is over」しかし30年たっても、人類は戦争をやめようとしません。いつになったらこの無間地獄からわれわれは抜け出せるのでしょうか。
歴史の冷酷な命令で、誰ともわからぬ「敵」を殺し、また殺される・・。たがいに争う両者に、人類が人類の名において「アホ!」と罵倒しぬくことしか今はしかたのないことでしょうか。



柄にもないことを投稿しました。

これは dekopon346 さんの 227 に対する返信です

>12月8日に考えたこと
投稿者: s1_9150242 2002/12/ 9 20:25
メッセージ: 235 / 1756


激しく感動!同意!
dekopon346さんのおっしゃるとーりと思います でも歴史をかえり見ればどうやら人類は戦争好き?なアニマルかと(^_^;)

1人1人は例えば極悪人と言われる人でさへいいところを持っているものです 最近で言えば 国会議員であった○ネオさんも家庭ではよきパパであったろうと思っています しかし ひとたび集団とかした時 何でこうまで残酷な殺し合いができるんでしょう また平気で?ミサイルを打ち込むことができるんでしょう 「個」と「集団」の中での人間の考え方の変わりようをつきつめる事に答えがあるかも知れませんね
・・・教えて欲しい課題です

これは dekopon346 さんの 234 に対する返信です

>人類は・・・
投稿者: crub4o 2002/12/ 9 21:00
メッセージ: 236 / 1756


>「War is over」しかし30年たっても、人類は戦争をやめようとしません。いつになったらこの無間地獄からわれわれは抜け出せるのでしょうか。
>歴史の冷酷な命令で、誰ともわからぬ「敵」を殺し、また殺される

>柄にもないことを投稿しました。

とんでもない。 本質的疑問ですね。
私こそ、この話題で恐らくこのトピには最も縁遠い事を想い出してしまいました。

「寄生獣」岩明均作 講談社 全10巻の漫画です。 笑わないで下さいね。
これは本当に傑作です。 最初は抵抗ありますが、その造形が「ターミネーター2」にもパクられたいわく付きの作品です。
まあ、下記のリンクを読んでみて下さい。

http://homepage3.nifty.com/murasakigawa/essay/books/kiseiju.htm

この作品の中で、寄生獣は人間に寄生して乗っ取った瞬間、人類の天敵として「この種を食い殺せ」と言う命令をどこからともなく受けます。
物語が進むにつれて、寄生獣の代弁者がこう叫びます。
「人間こそ地球の寄生獣だ」と・・

食べる為に殺すだけでなく、楽しみや憎しみの為に地球の生きとし生けるものを殺す「人間」の所業を振り返った瞬間、この言葉は何の違和感も無く、戦慄を持って響き渡ります。

人間は、地球に寄生するのではなく、食い殺すのではなく、共生しなければ生きてはいけない。 
この事が愈々益々、事実を持って証明されつつある時代に、我々はいまなお何をやっているのでしょうか?

深い闇・・・

これは dekopon346 さんの 234 に対する返信です


ノーブレスオブリージュ
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 9 21:54
メッセージ: 237 / 1756


ヨーロッパ(英仏など)の上流階級者の身だしなみとして「ノー
ブレスオブリージュ」の精神があります。「ノーブレスオブリー
ジュ」とはフランス語で「高い身分には、責任を伴う」と言う意
味です。イギリス人の提督が船と運命を共にするのは、一つには
「ノーブレスオブリージュ」の精神の発露ではないか、という気
がします。
東西を関わらず、人の上に「ノーブレスオブリージュ」の精神を
持つことが必要だと思いますが、当時の軍部にこの精神を持って
いた人は何人いたことでしょうか。若者を絶望的な人間兵器に仕
立てて送り出し、終戦までの時間稼ぎをしようとした連中には人
の上に立つ資格はないと思います。また、一連の政、官、業のス
キャンダルで自らの責任を認めず、他人に責任を転嫁しようする、
責任者達も同罪です。

これは s1_9150242 さんの 226 に対する返信です

>殺せ! 殺せ!・・・
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/ 9 22:10
メッセージ: 238 / 1756


marujeeさん

>ハルゼー・・・南太平洋地域司令官(後に第3艦隊)をしており、
>44/10のマリアナ沖海戦は中央太平洋地域(後に第5艦隊)に入っ
>ているため、中央太平洋地域司令官スプルアンスが指揮を執りました。
>ハルゼーは国民的な人気があり、ニミッツにもかわいがられて
>いたためか特にお咎めはありませんでした。

ご教示ありがとうございました。なるほど、ハルゼーがマリアナ
沖海戦の指揮を執っていなかったのは、担当外だったということで
すね。
もしかしてハルゼーとニミッツは不仲だったのでは、と思ったので
すがそれも違うようですね。
しかし、例のハルゼーのスローガン「殺せ、殺せ」は英語だと
"Kill Jap, Kill Jap, Kill More Japs"と実にリズミカ
ルですね(と余り喜べないですが)。

これは marujee さんの 228 に対する返信で


「ノー」という勇気が
投稿者: s1_9150242 2002/12/10 0:43
メッセージ: 239 / 1756


ここまできて 皆さんのいろいろなご意見をお聞きして この戦争はひょっともして避けられたのではないか・・・という風に思ってきました 決して米は戦争を望んでいた訳でもなく 一重に決断は日本にあったと思えます 当時の海軍力はそら恐ろしく巨大であったと いかな米英と言えども無視できぬ圧力は感じていたはずです 一言海軍トップが「ノー」と言えばよかったと
又 その言葉を総理も陸軍トップも望んでいたふしがあったような・・・悲しいかな「ノー」と言えるだけの人がいなかった そう言うことで「腰抜け海軍」と言われ 全ての責任を負うことにためらいが
ノーブレスオブリージュ・・・知っていたはずですが・・・今の日本に合い通じると 進歩なき60年を痛みます

これは o_sole_mio00 さんの 237 に対する返信です

Re;crub4oさん
投稿者: s1_9150242 2002/12/10 1:35
メッセージ: 240 / 1756


丁寧なレス痛み入ります 感謝
私がcrub4oさんぐらいキー打ち込もうとするとどれだけ時間がかかるやら・・・皆さん凄すぎでいつも驚きます 少し私の持って行き方に無理があるような気もします あるがまま少しペースを落としてゆっくり進もうと思います(私は・・・ですよ)みなさんはご自由に(笑い) よろしくご指導くださいませ>みなさま

これは crub4o さんの 231 に対する返信です
21
世界の3馬鹿
投稿者: dgyi333 2002/12/10 15:49
メッセージ: 241 / 1756


吉田満さんがピラミッド、万里の長城と並んで3馬鹿に勘定しているのね。あの
名作「戦艦大和ノ最期」のなかで。
と言うことが書いてあった。下のアドレスに


http://www.hazamano.com/

これは gintetu1963 さんの 212 に対する返信です

22
インドネシアでの日本軍の美談
投稿者: ackroyd_36 (15歳/日本) 2002/12/10 18:07
メッセージ: 242 / 1756


 インドネシアはオランダに300年も植民地化されていた。それを日本軍がたった九日間でオランダ軍を破り追っ払ってしまったのだ。
 オランダの愚民化政策で母国語すらバラバラのままにさせられ、武器も持たせられない状態だったインドネシア人に日本軍はまず母国語を統一し教育を受けさせ武器を持たせ軍隊を作らせた。
 やがて日本の敗戦となり再びオランダ軍がこの地の再植民地化を狙って上陸してきた時、日本軍は自分たちの武器をインドネシア軍に与え、なんと二千人の日本軍かこの地に残ってインドネシアのために戦った。この日本兵達は先頭に立って勇敢に戦い千人が命を落とし、この戦争をへてついにインドネシアは独立を勝ち取った。
 
 このような事実関係からインドネシアは日本に好意的な国である。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

そうですねぇ>Q WADISさん
投稿者: marujee 2002/12/10 18:23
メッセージ: 243 / 1756


>なぜそんな両国が結んだかと言えば遠交近攻策じゃないですが、単に両国が遠く、独は東アジアの植民地を失っていたから利権がぶつからなかっただけ、という気がします。

もう少し突っ込んで考えてみると、

@両国ともに自立できる生活圏を作ろうとしていた
アメリカのアメリカ大陸、イギリスの大英帝国のような自立できる生活圏を持っていない日、独両国は自立できる生活圏を持とうとした。すなはち、日本は満蒙(中国大陸)までを、ドイツはウクライナまでを民族自立のための生活圏にしようとした。
A敵の敵は味方
当然、既存勢力(米、英、仏)は新興勢力(日、独)の生活圏拡張は望まない。したがって無いもの同志で組もうとした。
B村八分同志がくっついた・・・
どちらも1933年に国際連盟を脱退した(日本 3月、ドイツ 10月) どちらも孤立を防ぐ意味から仲間(同盟国)が必要であった。
C共産主義への不安感があった・・・
日本にはロシア皇帝を殺しまった共産主義者にたいして、ドイツは1次大戦中に共産主義者たちが惹き起こした騒乱で戦争に負けた・・・との思いがあり反感を持っていた分子がいた。そのソ連が急速に力をつけていたことに対し共通の不安感があった。
D電車に乗り遅れるな
1940/9の三国同盟ができた時は独が電撃作戦(1940/5)で快進撃を成し遂げ(1940/6)欧州大陸を制圧した。すぐにでも英本土上陸をやるのではないかと思われていた。この機会に長期戦で苦しんでいた国民党政府との戦いを支援する米英の支援ルートを遮断するのに絶好のチャンスだと思った。(また東南アジアの英、仏、蘭の植民地を・・・との助平根性が働いた?)
Eドイツには特別の思い入れがあった
帝国陸軍を指導したのはドイツであった。従って陸軍関係者はドイツには特別の思い入れがあった。将軍、参謀本部の参謀のような出生街道を歩いた人は幼年学校(選択語は独、仏、露のみ)、士官学校とドイツ語を選択しドイツの駐在武官を経験した人が多い。

あの時代の陸軍の中枢にいた人は親は軍人、子供の時から(幼年学校)寮に入り共同生活をし、仮想戦略で「満蒙をとること」を教えられ、Eで述べたような経過を歩んだ人が日本の政治、外交を握ってしまったのだから、中国大陸への侵略、ドイツとの同盟は自然の流れであったのでしょう。

これは Q_WADIS さんの 232 に対する返信です

>インドネシアでの・・・
投稿者: s1_9150242 2002/12/10 18:53
メッセージ: 244 / 1756


こんばんは

>なんと二千人の日本軍かこの地に残ってインドネシアのために戦った。この日本兵達は先頭に立って勇敢に戦い千人が命を落とし、この戦争をへてついにインドネシアは独立を勝ち取った。

知りませんでした 今日は雪が降り寒い一日となりましたが心温まる思いがします
ありがとうございました

marujee さん>独が日本陸軍の先生とは・・・なるほどー いろんなことが氷解していきます てっきり幕末 英仏がからんでいたので陸軍は仏 海軍は英かなーと勝手に思っていました(^_^;)

これは ackroyd_36 さんの 242 に対する返信です

>>インドネシアでの・・・
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/10 23:13
メッセージ: 245 / 1756


インドネシアの独立運動での日本軍の参加は、映画化もされてい
ますね。人数はともかくとして、インドネシアにとどまって独立
に尽力した日本人がいたのも事実でしょう。ある日本人は、日
本は結局インドネシア開放するのではなく、植民地として支配
しただけであったため、その償いの意味で独立戦争に参加したと
聞いています。
一方、日本はインドネシアをどのように統治していたのでしょうか。
たくさんのインドネシア人が、徴発され、戦場での建設作業に従事
しました。その過酷な労働から徴発されたインドネシア人は「ロー
ムシャ」と呼ばれました。「ロームシャ」の数は30万人に及び、
7万人が過酷な労働により亡くなったということです。インドネシア
人の対日感情は概ねよいとのことですが、「ロームシャ」の事実を
知る人たちの印象は当然のことながらあまりよくないでしょう。
インドネシア独立に尽力した日本人について敬意を覚えますが、
それはあくまでも個人の良心に基づくものであり、日本人がやった
ことと胸を張っていえるようなものではないと思います。

これは s1_9150242 さんの 244 に対する返信です

Re:寄生獣
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/10 23:17
メッセージ: 246 / 1756


crub4oさん

寄生獣は10年以上前、独身寮住まいだったころ、寮の後輩に借りて
読んでいました。確か、主人公の寄生した寄生獣は脳に到達せず、
主人公に協力するんでしたね。右手に寄生したから「ミギー」だ
ったとか。

トピずれ失礼しました。

これは crub4o さんの 236 に対する返信です

ドイツと日本とインドネシア
投稿者: EzoWolf 2002/12/10 23:47
メッセージ: 247 / 1756


>てっきり幕 末 英仏がからんでいたので陸軍は仏 海軍は英かなーと勝手に思っていました(^_^;)

これは正しいのですが普仏戦争後、負けた方から勝った方へ先生を換えてしまいます。

>まあ、逆に駐独武官の見方も違う意味で甘かったと いうことなんでしょうね。

武官よりも大使の方がリッペンドロップの説明を鵜呑みにしてたと何かの本でよんだな。

インドネシア歴史探訪
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/indonesia/

力作です。これであなたも俄インドネシア通

これは s1_9150242 さんの 244 に対する返信です

Re;インドネシア・・・
投稿者: s1_9150242 2002/12/11 0:37
メッセージ: 248 / 1756


>普仏戦争後、負けた方から勝った方へ先生を換えてしまいます。

そうでしたか 勉強になりますね 勉強と言えば EzoWolfさんご紹介の「インドネシア歴史探訪」すばらしいページです 目にやさしい アイボリーの色に惹きつけられ 只今自分のページに取り入れたりしていました(どこを 見ているんだー)内容多いページなので ゆっくり探検しようと思います ありがとうございました

これは EzoWolf さんの 247 に対する返信です

インドネシア
投稿者: ackroyd_36 (15歳/日本) 2002/12/11 0:37
メッセージ: 249 / 1756


ジャワを占領した日本陸軍第16軍はさっそくスカルノやハッタらを解放し、将来の独立の約束と引き替えに日本軍政への協力を取り付けました。
 同時にインドネシア民衆の歓心を買うため、さまざまな懐柔策が採られました。
「オランダ領東インド」は待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称されました。
 また、オランダ人を全員収容所へ送り、代わりにインドネシア人を役所や企業でかなり高い地位につけたので、彼らの社会進出が飛躍的に進みました。
 さらに、公用語をオランダ語からインドネシア語に改めたことは、インドネシア語を共通語として全国に普及させる上で計り知れないプラスとなりました。

 しかし国歌と国旗掲揚は間もなく禁止になり、「皇紀」「昭和」という元号が導入され、学校では日本語のほか「修身」なども教えられました。天皇崇拝は強化され、皇居に向かって最敬礼させる「宮城遙拝」も強要されましたが、これらは一神教のイスラム教徒のインドネシア人には耐え難いものでした。
 その一方、「トナリグミ(隣組)」「フジンカイ(婦人会)」「セイネンダン(青年団)」「ケイボウダン(警防団)」など様々な団体が作られ、動員と統制の訓練が行われたことは、オランダの分割統治によって「ルーズな」構造になっていたインドネシア社会に組織原理を持ち込み、刺激を与えました。
 さらに重要なのは、オランダが決して行わなかった軍事教練も開始したことです。最初は日本軍内の補助兵力「ヘイホ(兵補)」が養成され、のちには郷土防衛義勇軍のような大規模な兵力も組織されます。

 反面、オランダが築いた中央集権的国家機構は陸軍と海軍の分割占領によってずたずたにされ、経済もオランダの輸出入市場と切り離されたため崩壊、インフレ率は3年半の軍政で4000%に達しました。
 にも関わらず軍政当局は米の生産量の3〜5割を強制的に徴用したので、人々は生活苦にあえぎました。
 加えて、随時「ロームシャ(労務者)」が徴発され、日本軍のために労働させられました。その数は約30万に及びましたが、終戦時に生き残っていたのはわずか7万人だったと言われています。
その償いの意味もあってか外務省の資料によると
インドネシアの主要援助国 (1994−98年累計)
(1)日本 68.3% (2)豪7.4%(3)オーストリア5.7%(4)仏4.4% (5)英3.9%

これは o_sole_mio00 さんの 245 に対する返信です

Re;>>インドネシアでの・・・

投稿者: s1_9150242 2002/12/11 0:52
メッセージ: 250 / 1756


o_sole_mio00さん>いつも 鋭い感覚をお持ちですね(^^)
やはり 戦争のウラに泣く多くの怨嗟の声が聞こえてきそうです
 
>過酷な労働から徴発されたインドネシア人は「ロームシャ」と呼ばれました。

「ロームシャ」ってインドネシア語なんですか? 何か日本にも似たような言葉があると思いますが・・・「労務者?」

一将功なり万骨・・・と言いますが大勢の人達はどうであったか 大事な事だと思います ありがとうございました

これは o_sole_mio00 さんの 245 に対する返信です

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