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文化の熟成
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/21 19:04
メッセージ: 401 / 1782


>文化の創造とは結局他国の文化を受容しこれを発展することに外ならない 
>他国の文化であろうが他民族の文化であろうが それを受け入れて身に付
>けたものは その国の文化である

私もそう思います。仮に他国の文化を取り込んでも長いうちに、自国での風土や慣習によってその文化が熟成していき、その国独自のものになっていきます。日本伝統のものはほとんどそうですね。

>中国の文化からイラン文化 アラビヤ文化 スキタイ文化 印度文化を
>引き去ったら何が残るか 漢民族というものは 案外想像力のない民族
>である・・・

中国というのは広い国ですので、そういった部分はありますが、本当にオリジナルなものはないか、といえばそうでもないでしょう。仮にオリジナルなものはないとしても長い時間が独自の文化として熟成していったと思います。

>日本民族が世界で1番優秀であるとは思わないが 他の文明民族にくら
>べてそう見劣りするとは思わない 

民族によって個性はありますが、その個性はものさしによって優秀でも劣等でもあります。私は「優秀」という言葉で民族を比較することに賛成できません。

>民族の誇りを失った民族国家は栄えない

国家が「民族国家」である必要性は薄れているように感じます。多民族国家のアメリカは現在のところ世界で最も繁栄しています。更にヨーロッパでもいろいろ問題はありますが民族を越えて共通の貨幣を持ちましたし、ルールを持とうとしています。民族の誇りを持つこと自体は、異議はありませんが、多民族を排斥したり、攻撃したりするときの方便として「民族の誇り」が使われることには反対します。

>日本民族を劣等なものと思い込ます政策は日本弱体化政策の1つである

高度経済成長で日本人は自信を取り戻したと思います。バブル崩壊で少し自信を失ったようですが。劣等感を他国から植え付けられるなどと考えることは、国際人として一人前ではないと思います。焼け野原からあの短期間に復興、成長を遂げた事は、1950〜1960年代の状況に恵まれていたとはいえ、奇跡に近く、日本人の特性を最大限に生かした(言い換えれば「優秀だった」)結果だと思います。日本の近代化政策であり、結果から見ても決して弱体化しとは言えません。

これは s1_9150242 さんの 400 に対する返信です

さっそく ありがとう!
投稿者: s1_9150242 2002/12/21 19:33
メッセージ: 402 / 1782


オ・ソレさん こんばんは
今日 何十年ぶりに(笑)図書館いったんですよ(このトビのおかげ?) 昭和27年発行の「東京裁判」の本にめぐりあい 開いたところに有ったのが・・・何か心にスーとはいってきたというか 共感するところもあったので たたき台にどうかなーと

オ・ソレさんのここは違うとか ここは賛成できないとか いいですね それができない社会に逆戻りさせてはいけません ここからは 我々の責任ですよね 

東京裁判・・・ここに 私のトビたてた 「日本はほんとうに悪かったんでしょうか?」の答えがつまっているように思います

・・・でもあれ 敗者が 勝利者の居並ぶそこでの発言ですよ たいしたものです
命より信念(思想)は思いものなのでしょうか 感動
あとで私の考えも・・・
みなさまもどうぞよろしく!

これは o_sole_mio00 さんの 401 に対する返信です


投稿者: gintetu1963 2002/12/21 19:56
メッセージ: 403 / 1782


この方は「民族」にずいぶんこだわってる・・
でも、それに矛盾する、一つの答え、を自ら言明してます・・
「文化の創造とは結局他国の文化を受容しこれを発展することに外ならない
他国の文化であろうが他民族の文化であろうが それを受け入れて身に付けたものは その国の文化である」
つまり、発言者の真意とは、おそらく反対に、
日本民族が活力を失い衰退しても、その文化が、他の民族に引き継がれて生き延びればよし、
という逆説的結論にもなります・・
個人的には、そう思います・・
芸術作品が、芸術家個人の生命を越えて、生き延びるのに似てますね・・
現代は、以前は一部の地域が享受していた文明国の特権が、全地球規模に拡散してる時代・・
あらゆる文化文明が融合しつつあります・・
こうした文化融合の生むエネルギーを、一つのシステムとして取り込んでいるのが、アメリカ合衆国なのかな、と・・

これは s1_9150242 さんの 400 に対する返信です

信念の重さ
投稿者: crub4o 2002/12/21 20:04
メッセージ: 404 / 1782


他のトピに、ちょっと書いてみた事があるので、トピ主様読んでみて下さい。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1095592&tid=a2a10ea4a4a2a1 0ea4a4a41a4la4inia4a41g2h&sid=1095592&mid=519

この作品を中学1年の時に観て、「自らの信ずるところを貫く為には自らの命を投出さねばならない時もある」という事を、絵空の他人事ではなく、はじめて自らに問い掛けられた気持ちになりました。

その時の精神的動揺を今も忘れる事は出来ません。
あらゆる責任を被らなければならぬ現在、私にとってその事は或る意味当然のようにも思えてきているのですけれど、家族の行く末がかかったら、やっぱり迷うだろうなぁと、意気地なく実行まではなかなか出来ません。
ただ、現在の若い人(いや、それなりの年齢の方も)に、このような自らの内心への真摯な問いかけがあるのかと言うと、私的には大分疑問に思っています。

北朝鮮が・・
アメリカが・・
中国が・・
とは能書きたれる人は多いですけど、
お前は何をする積もり?と聞かれて
即答できる人は少ないでしょうねぇ・・

いや、私もそうなんでお恥ずかしい限り
おまけにトピずれで失礼しました。

これは s1_9150242 さんの 402 に対する返信です

Re; れ
投稿者: s1_9150242 2002/12/21 20:34
メッセージ: 405 / 1782


gintetu1963さん鋭い!

>逆説的結論にもなります・・

あの独特の 世界史でも ニュールンベルグと2つしかない裁判のなか 極論を展開したんだと思います しかしあのあと 朝鮮 ベトナム戦争などなどを経て 世界も世界観も変ってきているはずですが 50年も前の文章が私のこころを打つのは 何ででしょう
←お前が ○○とまた書かれそう(笑い

gintetu1963さんのご意見にご意見をどーぞ
>みなさま

これは gintetu1963 さんの 403 に対する返信です

gintetu1963さん、トピ主様
投稿者: crub4o 2002/12/21 20:35
メッセージ: 406 / 1782


それにトピの皆様

>こうした文化融合の生むエネルギーを、一つのシステムとして取り込んでいるのが、アメリカ合衆国なのかな、と・・

このご意見に関して、以前別トピで投稿した事があります。
私が読んだ古い本を抜粋抽出したものに、私の意見を若干付加しました。
アメリカが現在のアメリカになろうとしている時代のある評論です。

投稿時、色々な意味で波紋を起こしてしまった(その長文と読みにくさで)事を憶えています。
投稿直後、そのトピから遁走した事も(笑)

皆様のお許しがあれば、再掲するのも一驚かと・・・

これは gintetu1963 さんの 403 に対する返信です

間違い>crub4osann
投稿者: s1_9150242 2002/12/21 20:40
メッセージ: 407 / 1782


信念の重さ←

どーぞ投稿お待ちします(^^)
Ps あそこレスもうしない

これは crub4o さんの 404 に対する返信です

間違い>crub4oさん
投稿者: s1_9150242 2002/12/21 20:40
メッセージ: 408 / 1782


信念の重さ←ありがとー

どーぞ投稿お待ちします(^^)
Ps あそこレスもうしない

これは crub4o さんの 404 に対する返信です

「一興」の間違いでしたが・・
投稿者: crub4o 2002/12/21 20:50
メッセージ: 409 / 1782

読まれたら、「一驚」でしょうね(笑)

では、頼むから皆さん怒らないでね。

お答えにはならないと思いますが(汗)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4258

アメリカニズムその@
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4259

アメリカニズムそのA
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4260

アメリカニズムそのB
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4262

アメリカニズムそのC
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4263

アメリカニズムそのD
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4264

アメリカニズムそのE
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4265

アメリカニズムそのF
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4266

アメリカニズムそのG
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4267

アメリカニズムそのH
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4268

まとめ
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=a4ja4sa4ga4bbc alda53a1bca5ja1bc&sid=1835559&mid=4269

これは s1_9150242 さんの 408 に対する返信です

十驚!←ほんとに
投稿者: s1_9150242 2002/12/21 21:44
メッセージ: 410 / 1782


crub4oさん あれ全部打ち込んだんですね もう言葉もありません でもお人柄が出ていていいですね 私にはちょっと難しかった 徳富蘆花?風の文章でここちよいリズムがあります クラブさんの言葉でまとめをもう一つまとめていただけると・・・
また明日も読み返してみます

Oh! のところ以下コピー(^^)

アメリカニズムの恐ろしき所以はそれが人間を貧陋ならしむることだ。それは凡ての価値を分量の価値に帰せしむる如く、人の全心を挙げて金銭を得る目的の一機関となすのである。かくしてそれは人間を最下等動物の水準に突き戻す

第一萬人が成功を愛するからだ。

豚を殺してソーセージにするまでに、約二十分、羊を割くに二十六分、牛は三十五分を要するのみだ。各職工は規定の時間に規定の仕事をなし、各人は可及的最良の方法にてそれをなす。機械が人から人へ伝達するので、一人の屠者は一時間内に伝送し来る五百頭の豚を愉快に屠殺し

わたしめは道を求めておりまして、単なる技より勝っています。わたしめも、はじめ見習いの時は、目の前は牛でいっぱいでした。しかし三年の後にはもはや、牛の全体は目に入りません。今に至りましては心の内なる像に対していて、目によって捉えません。外部の知覚器官は止まっているままで、心の欲するところが行なわれます。。。」

此の種の完全を以って人類発達の理想とするならば、それこそ実に恐るべき事である

道具は不可思議なる功業をなすけれども、其の所有者たる人は存在を失ふ結果となるのである

併し吾々は彼を仰ぎ視る訳にはゆかぬ。彼は特に人をして人たらしむるものを缺いて居る。

凡そ大西洋を横ぎった各移住民は全く自己の利益の為にのみ働き、他人の為に働くといふ思想を排斥した。而して他人より援助を望むことも、同様彼の自尊心に反して居る。

各人が他を顧みずして自己の利益を保持する権利を與へられる場合に於いてのみ、無能の支配を避けることが出来る

各人が萬事を自己に期待し、何物も他人に期待しない場合に於いてのみ善き結果に導くのである

即ち各人が何物も期待しないで、萬人が能ふ限り社会の為に萬事をなす純然たる個人主義的文明 ←ここがまとめかな?

ありがとう>クラブ先生!

これは crub4o さんの 409 に対する返信です


アメリカニズム
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/21 23:54
メッセージ: 411 / 1782

crub4oさん、こんばんは

アメリカニズムに関する労作をご紹介頂き、ありがとうございました。私はまず、いきなりまとめに逃げ込んでしまいました(苦笑)。ソースカツ丼に続く驚き(?)でした。

私も専門家ではありませんが、多少かの国と関わりあっておりますので、その経験に基づいてコメントさせて頂きます。

まず、ご紹介の評論はアメリカ=白人という前提で論じられているように思えます。ご存知の通りアメリカは、人種の坩堝であり、白人といってもWASP、アイルランド、ラテンヨーロッパ、ユダヤ等にわかれます。以前、英会話教師の団体と飲みにいったとき、彼らは全て白人のアメリカ人でしたが、○○系と名乗りあって、アメリカ移民の早い民族順に「俺の方が偉い」とか言ってました。勿論現代では冗談ですが、昔は冗談では済まされない話だったのでしょう。マフィアというのは、イタリアのシシリー島出身の移民が、白人社会から疎外されたため団結して裏社会で生きることにより派生意したものですね。
勿論白人だけでなく、アフロアメリカン、ネイティブアメリカン、メキシカン、アジア系等のマイノリティーもいます。近年では、中国系、インド系の移民や留学生がアメリカのハイテクを支えています。アメリカの半導体産業界でいまやICといえば集積回路(Integrated Circuit)ではなく、インド人と中国人(Indian Chinese)となった、という冗談さえ生まれています。

それから「純然たる個人主義文明」とあります。勿論日本人と比較すれば、個人主義の傾向がありますが、私のような田舎者にとっては現代の都会の人は、アメリカの人と同じぐらい個人主義だと思います。当時と比べより多様化が進んだ現代のアメリカでは、「純然たる個人主義」の生活を行っている人の割合がどの位か、個人的に興味のあるところです。そもそも「純然たる個人主義」の定義も現在と当時とでは異なると思いますし。8年ほど前、アメリカの大学のセミナーに出席したときにオレゴン州立大学の先生と議論(といっても立ち話に毛が生えたものですが)したとき、ビジネスをもっとチーム単位で評価すべきだと考え、それを実践しているところがかなりの効果を上げている、チームとしての行動は個人の行動より、フレキシビリティーが上がるという説を聞き、おや、当時日本では、集団主義は、個人の行動を束縛し、フレキシビリティーがなくなると言われてむしろ個人の行動を重視すべきと言われてますと、回答したのですが、そこで意見が一致したのは、個人主義、集団主義、どちらに偏ってもフレキシビリティーが却って落ちるということでした。当時は、アメリカ経済も回復の兆しが見え始めた頃で、日本の経済構造、政治体制などが研究され、各所でセミナーが催されていました。

また、仏教の話は出てきましたが、米国の精神の大きな支柱であるキリスト教については余り語られていませんが、アメリカ人の精神構造を知る上で、キリスト教的倫理観は、把握する必要があるかと思います。また、キリスト教も、カソリック、プロテスタント、モルモン教、各種あり、また、類似の系統の宗教としてユダヤ教もあります(イスラム教も同様ですが)し、人種の多様化に伴い宗教も多様化しています。宗教の問題は、世間話でのタブーとされていますし、一般的に信仰心の薄い(私もその一人)日本人には、理解が難しいと思います。
うちの娘がキリスト教系の幼稚園に通っていましたが、お寺の娘が通っていました。クリスマス会にはさすがにお父さん(住職)は出席しませんでしたが。

これは crub4o さんの 409 に対する返信です

個人主義についての私の意見
投稿者: dekopon346 2002/12/22 16:16
メッセージ: 412 / 1782


o sole mio00さん、興味深く読ませていただきました。

アメリカどころか四国にさえ行ったことのない(笑)、田舎ものの意見として。
個人主義というものは、西欧のキリスト教文明から発生したものではないでしょうか。そこでは神という絶対者に一人一人の人間が、まさしく一対一で対する・・といった(親兄弟とか友人とかのしがらみをまったく絶った上で)、きびしい関係があったものではないでしょうか。
対して日本の場合、「ムラ社会」の伝統もあり、そもそも絶対神がいなかったこともあって個人主義そのものが育ちようがなかったのではないかと私は考えています。今の都会のひとたちも、「ムラ社会」の横のつながりをなくしただけのことで、個人主義というより「自分勝手主義」(笑)としかいいようがないのではと。(この国がいわゆる「市民社会」を、ついに持っていないこともそこらへんに原因がありそうです)

アメリカに限らず、多民族、多言語、多宗教の国家がいちばん苦心し、いまもって答えが出ていないのは、「これらの違う価値観をどういった大思想でまとめるか」という問題でしょう。儒教もキリスト教も共産主義思想も結局なしえなかったこの回答は、キリストや釈迦クラス、もしくはもっとすごい大思想家でもないとだせないかもしれません。

それでも私は、人間の手でこの答えが出せる望みは捨てたくありません。もしそういう日がくるとしたら、私の鈍い頭でいろいろ考えることにも少しは意味を見出せるか、と。(笑)


トピずれ、御免ください。

これは o_sole_mio00 さんの 411 に対する返信です

ガダルカナル
投稿者: s1_9150242 2002/12/22 17:22
メッセージ: 413 / 1782


dekopon346 さん>とびずれの方がいろいろ楽しいですね
        「自分勝手主義」・・・きっと広辞苑に載る日も
         近いかと(笑い)オ・ソレさん クラブさんきっと
         ご意見あるやも・・・で少しトビ主?の仕事を


ガナルカナル

1)反抗開始の米軍との初めての地上戦
2)日本軍初めての撤退
3)半年との長期戦であった
4)戦死2万の3/4が餓死・栄養失調
5)航空戦力の大半を失った

昭和17年8月 5日 飛行場完成
     8月 7日 米海兵師団11000名
           (ブァンデクリフト将軍)上陸開始
     8月21日 第1次攻撃900名(一木支隊)全滅

     23000人の増強するも補給が続かなかった

ヘンダ―ソン飛行場をめぐって死闘が続く
   翌年2月1日〜7日残った13000名撤退

まともに(対等に)戦争ができたのはここまで
ならば ここで戦争終結をするべきであったと
天皇またそれを取り囲む人達が夢見ていたアジアの征服 日本への
教化を断念すれば これから後の多大な人命の犠牲も最小ですんだ

しかし もしそのような事を言えば国内でどのような暴動が起きるかも
知れないと考えたはず 日露の講和時の前例もある 世界の1/3を
染めた日の丸を縮小した時の「神」の権威喪失を恐れたのではないか
国民がフラフラになり一片の気力も失せるまで・・・その時まで
終戦を延ばした・もしそうであれば 非常に利己的と
・・・どうしょうもなかったんでしょうね オソレさんなら
ダメだー 「上に立つ人の責任」を果たしていない!アンノさん
もそう言われるでしょう(^^)

これは s1_9150242 さんの 387 に対する返信です

>個人主義
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/22 22:30
メッセージ: 414 / 1782


dekoponさま、こんばんは。
私の書き込みにご興味をお示し頂きありがごうとざいました。

>そこでは神という絶対者に一人一人の人間が、まさしく一対一で対する・・
>といった(親兄弟とか友人とかのしがらみをまったく絶った上で)、
>きびしい関係があったものではないでしょうか。

ご意見をお聞きして、新約聖書、旧約聖書の「約」が神と民との契約を意味していることを思い出しました。つきつめて考えれば神と信仰者の1対1の契約になると思います。神と信仰者の関係はまさに仰る通りだと思います。神と自分との関係を考えて自分がどうあるかを考える、そこから個人主義が派生していくということは十分ありうることだと思います。例えばムラ型社会では、「他人の目」が人間の行動を抑制する力になっています。例えば大人は子供に「やめなさい、ヒトが見てるでしょ」と言いますが、ではヒトが見ていなければいいのか、と突っ込みたくなるのですが。これが「やめなさい、神様が見てますよ」であれば、神様はずっと見てますからどんなときもやってはいけない、となります(神様は実際にはいないのだからやってもいい、というのは神様を信じない人の論理です)。
宗教的倫理観が、人の行動の方向性をある程度決定していると私も思います。

>日本の場合、「ムラ社会」の伝統もあり、そもそも絶対神がいなかった
>こともあって個人主義そのものが育ちようがなかったのではないかと私は
>考えています。

確かに宗教的倫理観が、人間の行動に影響を与えると思いますが、それだけでもないと思います。現在の日本人の倫理観にもつながるムラ型社会は、江戸時代に出来上がったのではないかと考えています。長く続いた強固な封建社会によって、権力者から管理される、管理しやすいようにお互いに監視しあう。その過程で人は自衛のため個を集団の中に埋没させて、自我を抑制する。今太平戦争を通じて議論しているものの一つである日本人のメンタリティーが出来上がっていったのではないでしょうか。

>今の都会のひとたちも、「ムラ社会」の横のつながりをなくしただけの
>ことで、個人主義というより「自分勝手主義」(笑)としかいいようが
>ないのではと。

仰る通りです。確かに欧米の個人主義とは異なりますね。

>多民族、多言語、多宗教の国家がいちばん苦心し、いまもって答えが出
>ていないのは、「これらの違う価値観をどういった大思想でまとめるか」
>という問題でしょう。

アメリカには「アメリカンドリーム」という漠然とした(ある意味幻想なのかもしれませんが)回答を持っています。一言でいってしまえば「富」というものですが、「富」しか世界中の人をまとめるものがないかと思うと少しさびしい気がします。「富」に代わる普遍的かつ倫理的な価値観を見つけることができれば、人類はもっと幸福になるのですが・・・。

これは dekopon346 さんの 412 に対する返信です

レーダーについて@
投稿者: marujee 2002/12/22 22:33
メッセージ: 415 / 1782


調べてみました。

<レーダーの歴史>
レーダーの原理を発表したのはドイツのH・ヘルツで、最初(1904)に実用的な特許をとったのは船舶の衝突防止用として開発したのはドイツ人、フルスマイヤーであったが、あまり関心ももたれず、実用化にはまだ時間がかかると考えられていた。しかし、1920〜30年にかけて各国(米、英、独、仏、伊、日、露、蘭、・・・)ともに試作機開発のレベルには達していたが、ヒトラーはあまり開発に力を入れなかった。この中で最初に大々的に実用化したのはイギリスであった(1937)。・・・<英国の戦い>参照

開発当初のレーダーは「m 波」のもので、大きな物、広範囲で出力を上げる(遠距離向き)には使用できたので、大戦中は早期警戒用レーダーとして使用された。その後、英国ではエコーが少なく、小さい物も検知でき、小型化もできるマグネトロン(マイクロ波「波長cm」を発振できる)を開発し、米国もこれを用いて改善に努め、航空機、小型艦船、火砲制御用へと急速にレーダーの用途を広げていった。連合軍側と枢軸側のレーダーの技術の差が戦闘に大きく影響した。
尚、現在のレーダーはマイクロ波を利用したものである。

<英国の戦い(英)>
英国では1937年には早期警戒用レーダーCH(Chain Home)として、ドーバー海峡近に、設置された。開戦時(1939/9)には18箇所になっており、「英国の戦い」、V-2基地の発信地確認などで活躍した。CHシステムは40〜43年にかけてアイルランド西岸をもカバーするようになり艦船の監視も行うようになった。

<フランス上空 Kammuhuber Line(独)>
ルール地方を英国に夜間爆撃されたドイツはその対策をKammuhuber空軍大佐(後に大将)に命じた。当初は探照灯、高射砲とM f110重戦闘機飛行隊1個であったが、その後早期警戒用のFreyaレーダーを、42/2には爆撃機の方向確認用、味方戦闘機の誘導用のWulzburgレーダーを配置し、頭の先にLichtensteinレーダーをつけた夜間戦闘機をも組み合わせ、効果的な防空システムとなり、英軍の被害も大きくなっていった。しかし、43/7のハンムルグ爆撃ではchaff(レーダー錯乱用のアルミ箔)を使って独防空網を攪乱し、損害を2%ぐらいに抑えることが出来た。独側は数種の周波数しか使っておらず、この方法は効果的であった。(枢軸国ではマグネトロンは実用化できなかった)

(続く)

これは s1_9150242 さんの 382 に対する返信です

レーダーについてA
投稿者: marujee 2002/12/22 22:39
メッセージ: 416 / 1782


(大西洋の戦い)
開戦時(39/9)はU-boat の狼群作戦は輸送船団攻撃に非常に有効であった。英船団護衛艦はレーダーを装備し始めるとU-boatの被害は多くなった。この対抗策としてU-boatは42/8から逆探Metoxを導入し何とか対抗したが、43/3には英空軍はMetroxでは検知できない高周波数(波長10cm)のH2Sレーダーを装備した飛行機でU-boatを奇襲(Biscay湾)し成果を収めた。独側はこの対策としてさらに高周波のNaxos(波長 12cm)を開発(43/9)したが、英側はこれに気づき(43/11)H2Sを改良しさらに高周波にした(3cm)。その後は連合軍の爆撃の影響もあり、独側は開発競争に着いていけなくなった。43年には英軍はレーダー以外でも護送船団護衛艦艇、航空機の充実、ヘッジホック装備、暗号解読がすすみ、船団護衛システムを改善し、逆にU-boatを攻撃するようなシステムを作っていった。

<太平洋の戦い>
米の早期警戒(波長m級)レーダーは39年末には実用化し、東、西海岸部には42年初めには警戒網を設置していた。真珠湾で日本機を最初に検知したのはこのタイプである。実戦で効果的に使用されたのは始めて夜戦で勝利をおさめたサボ島沖海戦(42/10)以降で、マリアナ沖海戦でも日本機を早期発見し、戦闘機を敵より高位置で待伏せすることが出来た。
マグネトロンを使用したマイクロ波レーダー(波長cm級)のものは英からの導入技術をもとに開発(40/10)、実用化された。高精度で、小型化が可能なため主として火砲制御用、小型艦艇、航空機用に使用される。レイテ沖海戦のスリガオ海峡での西村艦隊を撃滅したのもレーダー砲撃による先制攻撃出来たことによる事が大きい。またB-29に搭載して夜間、曇天下でも精密爆撃が出来た。
日本も43/6,9にはU-boatでドイツから図面、技師を送ってもらい、早期警戒用のレーダーを配備していた。(済州島、五島、種子島・・・)中国本土からのB-29による最初の爆撃(44/6)は済州島で検知されていた。

日本のレーダー(電探)については下記が詳しい。(モット良いのがあるかもしれないが・・)
http://www1.odn.ne.jp/~yaswara/home.html

以上

これは marujee さんの 415 に対する返信です

レーダー@バトル・オブ・ブリテン
投稿者: gintetu1963 2002/12/23 1:17
メッセージ: 417 / 1782


フランスを陥落させたドイツは、イギリス攻略に乗り出します。
英仏海峡での空の戦い「バトル・オブ・ブリテン」のはじまりです。
開戦時のドイツ空軍は、メッサーシュミットを主力に1179機の戦闘機、
対するイギリス空軍は、ホーカーハリケーンとスピットファイア608機、
しかしイギリスは密かに新兵器「レーダー」を配備していました。
これが決め手となって、イギリスは本土を守りきったそうです。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

レーダーAレッドベレー
投稿者: gintetu1963 2002/12/23 1:19
メッセージ: 418 / 1782

攻守ところをかえて、今度はイギリス空軍がドイツを攻めます。
ドイツ側も新型レーダーをすでに配備しています。
イギリスはこれが気になって仕方ありません。
そこで、特殊部隊を送り込んで、このレーダーの心臓部を持ち帰ってしまいます。
それを研究して電波妨害装置を開発、ドイツ空襲に乗り出します。
この特殊部隊は、赤いベレー帽を被っていたことから「レッドベレー」と呼ばれたそうです。

これは gintetu1963 さんの 417 に対する返信です

レーダーB 英仏海峡突破作戦
投稿者: gintetu1963 2002/12/23 1:22
メッセージ: 419 / 1782


ドイツ海軍は、フランスの軍港を基地としていた巡洋戦艦部隊を、北海の港に移す必要に迫られます。
最短ルートは英仏海峡を抜けることです。
しかしこれではイギリス側のレーダーに探知されてしまいます。
ところで、当時すでに電波雑音は太陽の黒点活動に関係があり、日の出と共に電波雑音が増加することが知られていました。
ドイツは、作戦のかなり前から、イギリスのレーダーに雑音状の妨害電波を、日の出と共に少しづつかけはじめ、
しばらくすると弱めていくことを繰り返していました。
最初はごく弱い妨害電波なので、イギリスのレーダー操作員は自然現象だと勘違いしました。
ドイツはこの妨害電波を日を追う毎に少しづつ強くしていきます。
そして作戦決行の日、妨害電波を最大出力にして、イギリスのレーダーを無力化、艦隊はまんまと海峡を突破します。
このとき、ドイツの新鋭機フォッケンウルフが艦隊の護衛につき、英空軍を圧倒する性能をみせたそうです。
性能的には、メッサーシュミット<スピットファイア<フォッケンウルフ 、だそうです。

これは gintetu1963 さんの 418 に対する返信です

レーダーC伊52号
投稿者: gintetu1963 2002/12/23 1:23
メッセージ: 420 / 1782


日本はレーダー後進国だったようです。
そこでドイツからの技術輸入のため潜水艦「伊52号」を派遣します。
伊52号はインド洋から大西洋に無事入ることができました。
しかし、このあとが大変です。
連合軍のレーダーをかいくぐってドイツの港に入港しなくてはなりません。
このため、日本はドイツと暗号無線で連絡を取り、大西洋上でドイツ潜水艦と会合し、
レーダー警戒装置を装備してもらう事になりました。
ところが、この無線通信はアメリカに傍受され暗号も解読されてしまいます。
伊52号が大西洋の会合地点に近づいた時、そこにはアメリカ海軍の航空機と艦船が待ち構えていたのです。
伊52号はたちまち発見され撃沈されてしまいます。

これは gintetu1963 さんの 419 に対する返信です

Re;レーダーについてA
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 2:05
メッセージ: 421 / 1782


marujeeさん>いつもありがとう

前から思っていたんですが 今期の戦いを理解するとき どうしても「大西洋の戦い」と相互リンク(笑い)していかなければよく解らないと 例えば開戦時 米国の頭の中は(ルーズベルト)英国を助けヒトラーを倒すことばかりで 太平洋への比率はなんと1割5分(助かったと言えばそれまでですが)・・・でせめて10対3ぐらいは太平洋に兵力をまわせ!と太平洋を担当する将軍達は思ったとか(あれは米の全兵力でなかった! ゾ〜としますね) 

ご紹介URLおもしろかったですよ あんなふうに立てに波がでるんですね(魚群探知機みたい)映画でみる丸いスクリーンを線が回るのかと あっ あれ日本のでした(汗

しっかり読ませていただきました
またお願いします(^^)

これは marujee さんの 416 に対する返信です

Re;バトル・オブ・ブリテン
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 2:22
メッセージ: 422 / 1782


ありがとう!gintetu1963さん

実は「バトル・オブ・ブリテン」ずーと前に映画館で見たんですよ ものすごい迫力でした あの時独の空軍大攻勢から英国を救ったのがレーダーとスピットファイヤーだったと 空中戦 戦争とは言えきれいでした(映画の話ですからね)ドーバー海峡を渡って連日の空襲あれが「バトル・オブ・ブリテン」だったんですね 思い出しました
ある日バタッと独がやってこなくなるところが印象的 誰か泣いていたなー(チャーチル?)
スピットファイヤーとメッサーシュミットほんとうはどっちが強かったんでしょう もし零戦となら?興味湧いてきませんか

これは gintetu1963 さんの 417 に対する返信です

Re;英仏海峡突破作戦
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 2:43
メッセージ: 423 / 1782


気がついたんですが私も映画はよく見にいきました 戦争物はアメリカで作られているからでしょうか どうしてもそちらサイドに身を置いて見てしまいませんか?いつのまにか ほんとうは同盟国だった独を悪者のように・・・ほんと映画って恐いですね ヒトラーを語る(賛美?)ことは彼の国では法で禁じられているそうです しかし当時木戸?大臣が陛下に「戦争と平和」を読むことを薦められたとか 歴史は熱狂した人民によって作られていくそうです ナポレオンもヒトラーも東条大将もその熱狂した流れの中に必然的に生まれ またその流れに乗っていただけの只の人であったと(ここはご意見のあるところでしょう)

太陽の黒点とそれを利用しての妨害電波の話興味深々で読ませていただきました

零戦>メッサーシュミット>スピットファイア ・・・どうでしょう(笑い
フォッケンウルフ?

これは gintetu1963 さんの 419 に対する返信です

零式艦上戦闘機となら…
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/23 2:54
メッセージ: 424 / 1782


零戦は初期型の21型だと航続距離は最高で3300km。最高時速は530kmと言われています。

対して、メッサーシュミットBf109は、最高速度こそ時速550kmと零戦に勝るものの、
航続距離は何と660km!比較になりません。パリ−ロンドン間を何とか往復で飛べる程度。

また、馬力と速度優先で小回りの効かないメッサーは格闘戦となれば零式に敵いません。
両者の武装を比べると、零戦もメッサーも同じく20mm機関砲を2門装備していますから、互角です。

なお、スピットファイアとメッサーなら、要撃戦という状況ではスピットに軍配が上がります。
スピットは零式と同じく格闘戦に重点を置いた機体ですから、燃料を気にして全力を出せないメッサーでは、
まさに手も足も出ない状況かと思います。メッサーの持ち味…加速と上昇能力は燃料が十分有って
始めてその威力を発揮するものですから、バトル・オブ・ブリテンでは活躍しようが無いのです。

なお、余談ですが、スピットよりもホーカーハリケーンの方が活躍したという話しを聞いた事があります。
あまり詳しくないので、確たる事は言えませんが…。

よく、バトル・オブ・ブリテンに零戦が参加していたら歴史は変わったと言われる所以は、
何と言っても零戦の長大過ぎる航続距離にあると言えましょう。

これは s1_9150242 さんの 422 に対する返信です

Re;零式艦上戦闘機
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 3:13
メッセージ: 425 / 1782


アンノさん 早速のレス感謝!まだ起きていましたか(失礼・・・自分を棚にあげてね)

零戦は子供の頃のあこがれでした 男の子はみんな?そうでした で勝てないと解った米軍は 確か2機でチームを組んで挟み撃ち先鋒?で対処せざるを(自信ないですが)何年も前 加山雄三?がなんかこういう映画に出ていて最後B29に向かって「出て行けー」と言いながら 体当たりするんです
私もいっしょに叫んでしまいました(声はだしませんよ)あの時の戦闘機は「紫電回」とか(漢字違うかも)

それでは もう一つレスしてから寝ます
ありがとうございました
おやすみなさい Zzzz

これは annodomini_jp さんの 424 に対する返信です


「アメリカンドリーム
稿者: s1_9150242 2002/12/23 3:48
メッセージ: 426 / 1782


お話中の横レスすみません

>クリスマス会にはさすがにお父さん(住職)は出席しませんでしたが。
・・・笑えました

dekopon346さんwrote
>「ムラ社会」の伝統もあり、そもそも絶対神がいなかったこともあって個人主義そのものが育ちようがなかったのではないかと

オ・ソレさんwrote
ムラ型社会では、「他人の目」が人間の行動を抑制する力になっています。例えば大人は子供に「やめなさい、ヒトが見てるでしょ」と言いますが、ではヒトが見ていなければいいのか、と突っ込みたくなるのですが。これが「やめなさい、神様が見てますよ」であれば、神様はずっと見てますからどんなときもやってはいけない、となります(神様は実際にはいないのだからやってもいい、というのは神様を信じない人の論理です)。

新しい見方ができるような気がします うんなるほどーと ほんとに説明が上手ですね 脱帽です

>「アメリカンドリーム」という漠然とした(ある意味幻想なのかもしれませんが)回答を持っています。一言でいってしまえば「富」というものですが

これについておもしろいことを聞きました「アメリカンドリーム」を追うアメリカでは経済力によって幾重にも階層が分かれているそうです そしてその階層にならなければ 解らない情報(金儲け)があるので皆さん必死で1つでも上の階層に這い上がろうとする訳です その時自分の持っている資本(お金)を10倍に多く言ってもいいんだそうです そういった国ですからこんなことは誰からも責められず咎められないとか・・・正直な?私にはとてもできない芸当(どこからか○○つきと声が(汗

これは o_sole_mio00 さんの 414 に対する返信です

Re:信念の重
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 4:28
メッセージ: 427 / 1782


crub4oさんの長いの(笑い)読んでいてレス遅くなりました 

>この作品を中学1年の時に観て、「自らの信ずるところを貫く為には自らの命を投出さねばならない時もある」という事を、絵空の他人事ではなく、はじめて自らに問い掛けられた気持ちになりました。

その頃は純粋で多感で(今でも?)その頃何と出会うかでその人が決まるかも知れませんね 私はその頃NHKの教育TVで白黒のいい映画とたくさん出会いました「市民ケーン」「二都物語」「ジャンヌ・ダルク」・・・数えきれません
 
>能書きたれる人は多いですけど、
お前は何をする積もり?

全くお恥ずかしいかぎりです(^_^;)
私は「コップの水」を思いだしました お金を貯める秘訣は 喉が渇いていてもまずコップにいっぱい水のたまるのを待ち そこからこぼれ出したシズクを舐めるように飲むんだそうです たいがいの人はがまんできなくて途中でコップ半分の水でも飲んでしまうとか・・・これ例えとしては完全に外れていますね
言いたいことは まず家族を幸せに それができたらご近所を大事に それでもまだ余裕があれば そこで天下国家を論じればよいと思います やっぱり答えになっていませんね クラブさんに何か言われそうです

これは crub4o さんの 404 に対する返信です

>Re;零式艦上戦闘機
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/23 9:01
メッセージ: 428 / 1782


>勝てないと解った米軍は 確か2機でチームを組んで挟み撃ち先鋒?

サッチ・ウィーブですね。
日本でも204空飛行隊長宮野善治郎大尉が採用しましたが、やはり無線電話の調子が思わしくなかった日本側は、充分に編隊空戦のメリットを生かしきれなかったとか。(太平洋戦前には、意外とよく聞こえたそうですが。)
また、戦前でしたか、横山保大尉(後に中佐)も、同様に2機中心の編隊を主張したようです。

>加山雄三?がなんかこういう映画に出ていて最後B29に向かって「出て行けー」と言いながら 体当たりするんです

「太平洋の翼」ですね。
あれは史実に基づいたフィクションですが、面白いですよね。
昔の戦争映画は、用語とか服装も、比較的しっかりしていましたが、今時のはもうダメでしょうね。指導する側が、大方戦争を体験していない方々ですし。
何年前でしたか、某Fテレビで「戦艦大和ノ最期」をドラマ化しましたが、用語などはまるでダメ。「艦長ドノ!」「大尉ドノ!」なんてセリフを聞いて、卒倒してしまいました。また、海軍モノで「タイサ」「タイイ」はカンベンです。

これは s1_9150242 さんの 425 に対する返信です

零戦vsスピットファイヤ
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/23 9:41
メッセージ: 429 / 1782


ちなみに、零戦はポートダーウィン上空では豪州空軍のスピットにほぼ圧勝していますな。
何よりも立派なのは、撃墜数もさる事ながら一式陸攻の護衛役としての任務を全うした事でしょうか。

欧州戦線で格闘戦に絶対的な自信を持っていたスピットが、零戦に真っ向から格闘戦を挑んだのはまずかった。
結局は高空からの一撃離脱戦法に切り替えてますしね。

最後は、終戦の日に艦載のシーファイヤ(英空母インディファティカブル搭載?)が252空の零戦と戦って、こちらは零戦が確か4機以上でしたか、未帰還。英海軍はシーファイヤとアヴェンジャー(イギリス向け)を一機ずつ喪失だったかと思います。

これは annodomini_jp さんの 424 に対する返信です

零戦の光と影
投稿者: crub4o 2002/12/23 11:20
メッセージ: 430 / 1782


>なお、余談ですが、スピットよりもホーカーハリケーンの方が活躍したという話しを聞いた事があります。

スピットファイアはドイツ戦闘機を狙い、ホーカーハリケーンはハインケルやドルニエが主力の脆弱な双発爆撃機を襲ったのですから、「ハリケーンの方が活躍した」のは或る意味当然かも知れません。 英国らしいしぶとさですね。

>よく、バトル・オブ・ブリテンに零戦が参加していたら歴史は変わったと言われる所以は、何と言っても零戦の長大過ぎる航続距離にあると言えましょう。

「空軍大戦略」「戦艦ビスマルクを撃沈せよ」「高速戦艦脱出せよ」を訳した内藤一郎じいさまが、よくそう言った事を書いておられました。
航続距離の短さをあげつらって、スピットファイアやメッサーシュミットを「有人高射砲弾」と称してましたね。
ただ、このじいさまは同時に次の事も述べていました。
「ドッグファイト一辺倒の古い意識に凝り固まっていたRAFのパイロットの殆どは、空戦初期の激しい消耗戦の中で次々に戦死傷し、血の洗礼によりヒットエンドラン戦法の持ち主が主力になっていった」
架空戦史は好きではないのですが、
@零戦は防弾装備が事実上「零」なので、消耗戦の中で、優秀なパイロットの生還を確保し続ける事が可能であったか?
A英国側がヒットエンドラン戦法に切り替わっていく中で、旋回性能に特徴のあった零戦はその能力を発揮継続する事が可能であったか?

私的にはかなり疑問が多いと思います。 英国の出店において零戦が圧勝したのは、早期警戒システムが無かった事と、その地のパイロット達が英国上空の戦いにおける血の教訓を学んでいなかった事によるものが多いのではないでしょうか?

空前にして(そして絶後と思われる)戦闘機パイロットは、ルフトバッフェのブービことエーリッヒ・ハルトマンですが、その彼は徹底したヒットエンドラン戦法と至近距離射撃を金科玉条としていました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~surplus/sonorama8.htm#K75
生き残って、次の戦闘に出撃すると言う戦争の優先順位から考えると、零戦の戦術思想そのものに、総力をあげる消耗戦に相応しくないものがあるように思えてなりません。

これは annodomini_jp さんの 424 に対する返信です

>NHKの教育TV
投稿者: crub4o 2002/12/23 11:38
メッセージ: 431 / 1782


最初からトピずれです。

>私はその頃NHKの教育TVで白黒のいい映画とたくさん出会いました「市民ケーン」「二都物語」「ジャンヌ・ダルク」・・・数えきれません

ジャンヌ・ダルク。
おお〜、イングリッド・バーグマン主演のものじゃないですか? 
私はべッソンのものよりずっといいと思いますが・・

「二都物語」
高校のリーダーのテキストでしたよ(笑)

「市民ケーン」
「かくも長き不在」
「手錠のままの脱獄」
「ケイン号の叛乱」これはカラー?
「外人部隊」
ホントに数え切れませんね〜、トピ主様。

>まず家族を幸せに それができたらご近所を大事に それでもまだ余裕があれば そこで天下国家を論じればよいと思います

私は全部ほったらかしです(笑)
 

これは s1_9150242 さんの 427 に対する返信です


東京裁判 清瀬弁護人
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 19:16
メッセージ: 432 / 1782


裁判長!

昭和21年5月6日清瀬弁護人は力のこもった声でウエップ裁判長に
呼びかけた(以下敬称略)

  清瀬   裁判官に対する忌避の申し立てがございます

  ウエップ その忌避の申し立てとは何か

  清瀬   正義と公平との要求のために ウエップ卿がこの
       裁判をなされるは適当でない またポツダム宣言の
       趣意を守ってこの裁判をするには適当でないと考える
       ものであります

  ウエップ もう少し詳細にその理由を申したててください

  清瀬   ウエップ卿は ニューギニアにおける日本軍の不法
       行為について調査され豪州政府にその意見を報告
       せられている
 
  ウエップ 私が裁判長としてすわることに関係あるとは思われ
       ません 休憩を宣します
  キーナン 文書にして提出されるものでしょう

  清瀬   無関係であるとは思いません


法廷は15分の休憩をとってニュ―ジーランド ノースコット判事が
裁判長の席についた
  裁判長  この裁判所はマッカーサー元帥の命令によって行政
       処分を行ふ役所であるから 忌避などは許されない
       したがって却下する
  ・・・再びウエップ裁判長席へ

正当な理由によって忌避された裁判官が権力あることを主張して裁判長
の席につく 東京裁判の価値は? 裁く者は権力で勝ったが 理論には
敗れた 裁かれるものは権力で押さえられたが 理論においては堂々の
勝利をおさめた ウエップがたけり狂ったのは彼が弁護団から忌避された
腹立ちによったと

日本の国民が敗戦により虚脱状態に陥り 第○国人の暴民に汽車に
ただ乗りされても咎めるだけの気力なきときに敢然裁判長の忌避の
中立の申し立てをした清瀬一郎 その胆力に感嘆を覚える

人間社会の正義を愛する心は愛国心といった狭いものではない
弾丸飛ぶ戦場に敵陣に突入する勇気は多くの日本人が持っている
しかし仁愛と理知との上に立ち堂々正義を主張できる勇気と知性
を持つ日本人は少ない・・・とある

東京裁判 清瀬一郎弁護人要約

 ご感想あれば(^^)       

これは s1_9150242 さんの 400 に対する返信です

「太平洋の翼」
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 19:34
メッセージ: 433 / 1782


honkytonk_2002_xさんこんばんは 明日はX'masイブですね ケーキ食べますか?私はずーとこの日「清しこの夜」歌っています 今年もケーキにありつけるかどうか?
クリスチャンではありませんが 子供達が喜ぶなら 何でもいいです(^_^;)

レスありがとう!
ところで「太平洋の翼」だったんですね
 
>用語などはまるでダメ。「艦長ドノ!」「大尉ドノ!」なんてセリフを聞いて、卒倒してしまいました。また、海軍モノで「タイサ」「タイイ」はカンベンです

どう呼ぶんでしょう めんどうでしょうがぜひ教えてください 待っています
よろしく!

これは honkytonk_2002_x さんの 428 に対する返信です

>>NHKの教育TV
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 21:18
メッセージ: 434 / 1782


crub4oさん レスありがとう
ちょっといいですか?

映画っていいですね あの輪郭をぼかしたようなボーっとした女性の横顔

 近頃の映画もいいですよ 「タイタニック」でイカダの上に恋人を乗せて 自分は凍る海の中に沈んでいく

おっとトビずれ? いえ違うと思います こういういろんな思いを例え匿名であろうが表現できる 幸せが今あるんです これを何より大事にしたいと思います 掲示板今日はいろんな ところへ見学にいきました crub4oさんよろしくご指導のほど

今日も思いつくままいろいろ書こうと思っています 見守ってくださいね(^^)

これは crub4o さんの 431 に対する返信です

>「太平洋の翼」
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/23 22:53
メッセージ: 435 / 1782


ご家族といい夜をお過ごしですね。
やはりシャンペン…になってしまいますかね。私的には。いやはや…。

>どう呼ぶんでしょう 

能書きになってしまいますが、海軍では普通上官を呼ぶときは職名で呼びます。「艦長」とか「分隊長」とか。それも「どの」とか「閣下」とかは付けずに。手紙の宛名には、部下に対しても「殿」(大佐まで)や「閣下」(少将以上)は付けます。

階級は、大佐は「ダイサ」、大尉は「ダイイ」ですよね。

それでは!

これは s1_9150242 さんの 433 に対する返信です

瓦礫の中の憲法
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/23 23:29
メッセージ: 436 / 1782


ビジネス雑誌のプレジデントに海軍の軍記物をよく執筆されている
半藤一利さんが連載している終戦前後のノンフィクションものです。
今、東京裁判に差し掛かった頃で、次号で最終回です。おそらく単
行本になると思いますがご興味があれば、図書館などにバックナン
バーがあると思いますのでご一読下さい。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

チャンバラの中に
投稿者: s1_9150242 2002/12/23 23:36
メッセージ: 437 / 1782


NHKで思い出したんですが 「チャンバラ」は日本人なら人気が
ほんとうに小さい頃 NHKのお子様番組だったんでしょうか
悪徳代官とその手下を正義の主人公がバッタバッタと切るわけです

そのあと 切られた手下の皆さんがむっくり起き上がってインタビュー
を受けるんです(笑い) 私には奥さんもいるし かわいい子供もいます
のように
子供ながらに 強い衝撃を受けたのを思い出します
悪い人達と思う その中にいい人が(全員!)いっぱいいる訳です 
悪徳代官も 私だって・・・と言う始末


映画は 何と言っても「西部劇」が多かった ガンマンかっこいいですね
シエ−ン カムバックですよ 
しかし インディアンの悲惨な歴史は 幌馬車隊の陽気な行進の前に
かき消されていました アメリカの歴史は金鉱をめざした 今も
めざしている 西部劇そのものなんです レデイファーストも 西部
開拓時極端に少ない女性から始まっているのはみなさんご存知ですよね

私の町にも国際交流員として外国からいろんな方がお出でになります
異口同音に昔からあった日本のものに感嘆します
伝統と文化と言うと おおげさかも知れないですが 日本に生を受けた以上 日本の延々と続く歴史の中に身を置いているわけです
この国に誇りをもって生きられるよう それが願いです エラソウにね(^_^;) 

これは crub4o さんの 431 に対する返信です

日本の伝統文化
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/24 0:23
メッセージ: 438 / 1782


>伝統と文化と言うと おおげさかも知れないですが 日本に生を受けた以上 
>日本の延々と続く歴史の中に身を置いているわけです

すみません、「日本の延々と続く歴史の中に」の「日本の」に引っかかってしまいました。日本の歴史もまた海外の歴史と無関係ではいられません。
また以前にも述べましたが、日本の伝統文化は、海外から入り、そこで長い時間をかけて熟成していくわけです。これらの伝統文化は、芸術としての完成度は非常に高く、「誇り」と思うことに異論はなく、私も素晴らしいと思うのですが、その起源上、ことさら「日本」を強調してよいのかな、と思うものもあります。例えば、私の地元の伝統工芸の萩焼ですが、これは元々豊臣秀吉の朝鮮出兵で、半島の陶芸技術者を連れて帰り(今で言えば拉致ですが)日本にこの技術を広めたと言われています。萩焼の人間国宝の三輪休雪さんの家系は、その連れてこられた朝鮮人陶芸技術者から連綿と続いています。また、確かに萩焼のルーツとなる陶芸が、韓国にも存在し、こちらでは「萩焼のルーツ展」も催されたこともあります。朝鮮半島で確立した(生まれたというと語弊があるかもしれませんので)陶芸技術は、日本に渡り、進化した。萩焼は「アジアが誇る」伝統工芸ではないかと思います。

これは s1_9150242 さんの 437 に対する返信です

日本の伝統文化は
投稿者: s1_9150242 2002/12/24 1:31
メッセージ: 439 / 1782


>日本に渡り、進化した。萩焼は「アジアが誇る」伝統工芸ではないかと思います。

オ・ソレさんのおっしゃることに異論はありません いつも尊敬いたしております 
しかし ここでお会いしてまだ1ヶ月?程なのに そんな気がしませんね(^^)

意見言わしていただけるなら(異論じゃないですよ)仏教に始まり 陶芸 漆工いろんなものが 朝鮮をとおして中国からのルーツであることは論を待ちません しかしそれが完成 又は継続されているかどうか
そのものがその国に根ずいているかどうかがすなわち伝統と言えるのではないでしょうか ここに「書道」を例に取ってみます 漢字はもちろん中国で発明され 毛筆で書かれたとします しかしその古典時代の書法は中国には忘れ去られ 日本にのみ存在しています 中国にはもうないんです そうすると これは日本の伝統と言ってもいいんではないでしょうか こんな例はいくらもあると思います 伝統は 発明の地をさす言葉ではなく 継続しているかどうかを表わす言葉ではないでしょうか
もしそれが許されるなら 「日本の・・・」になるわけです 自信ないですが(^_^;)
どうでしょうか? なんか言われそうな予感(汗

これは o_sole_mio00 さんの 438 に対する返信です

>チャンバラの中に
投稿者: dekopon346 2002/12/24 13:24
メッセージ: 440 / 1782


>悪い人たちと思う その中にいい人が・・

ものごとの価値って、相対的なものだと思うんです。「悪」があるから「善」もあるし、「光」がなかったら「影」もできないでしょう。

s1_9150242さんの最初の疑問「日本は本当に悪かったのか」、これを善悪だけで論じるのはいかがなものでしょうか。上に述べた理由から、私はそういう考えはしないのですが。
「敗戦責任」なら、日本だけのことになりますが、むしろ「戦争責任」として、当事者の全員(もちろん連合国側も)のことを論じることのほうが意味があるのではと考えています。

さて(笑)チャンバラからの連想です。(以下次へ)

これは s1_9150242 さんの 437 に対する返信です


カッとなること
投稿者: dekopon346 2002/12/24 13:50
メッセージ: 441 / 1782


皆さんご存知の「忠臣蔵」。浅野内匠頭が脇差で吉良上野介に斬りつける場面。

あるとき、ふと考えたのですが、これって太平洋戦争に向かっていった日本そのままなんじゃないかと。それまでのさまざまな背景に加えて、ハル・ノートを突きつけられ、カッとして後先も考えずやってしまった・・・。
浅野内匠頭そっくりじゃないですか(笑)。手を出しておいて、後どうなるかをまるで考えていないなんて。

南方の占領地をどう運営していくかを、開戦してからきめたりなど、どろなわもいいところ。つまり国家そのものが、先のことをろくに考えていなかったのですから。

みなさんのまわりにも、すぐキレる人、きっといるでしょう。国全体がこの状態になったら、理性的な判断もなにもあったものじゃないですね。

あいにく、日本が斬りつけた吉良上野介は、腰を抜かしたりせずにすぐ反撃してきて、あとはもうご存知のとおりでした。
脇差で人を殺そうと思ったら、突くしかないでしょう。侍ならこのことは常識だったはずなのに、斬りつけてしまった内匠頭。さてこそ、「ご乱心」として切腹させられてしまうわけですが、この国も「ご乱心」だけはしてほしくないものです。


冗談半分の投稿です。お笑いください。ただし、冗談は半分だけです(笑)。

これは dekopon346 さんの 440 に対する返信です

マリアナの七面鳥撃ち
投稿者: marujee 2002/12/24 14:47
メッセージ: 442 / 1782


細かい戦闘状況を書いたものはアメリカ側にはあるが、日本側では見たことがない。
概況を書いたもの(たとえば圧倒的強いF6Fヘルキャット群が愚鈍な日本の攻撃部隊をよってたかってやっつけた・・・、それを潜り抜けてもVT信管付の対空砲火によりバタバタと撃落された・・・など)はあるのだが、どう愚鈍であったのか?よく分からない。負け戦だから誰も言いたくないのか、殆どの人が死んでしまったせいか・・・。アメリカ側のものも翻訳されたものがないので英語で読まざるを得ない・・・時間がかかる。
 以前読んだサイトだが・・・忘れた、また探したが見つからなかった・・・確か次のような内容であった。

ウラシュー中尉はその日、物凄い事をやってのけた。レキシントンを発艦したところで「直ぐに愛機のヘルキャットのエンジンから油が漏れていることに気がついた。他の5機の故障機と空母の上を回っていたら、1群のジュディー(彗星)がレキシントンに近づいてくるのを発見した。仲間たちといっしょにその群れに飛び込み、素早く敵機の後ろに潜り込み、距離を詰め、射撃ボタンを押した。 「ジュディー 1機撃墜!」と無線で叫ぶやいなや日本機は粉々に飛び散った。すぐに2機が照準器の中に入ってきた。これらもつづいて撃墜した・・・。そうしたらジュディーたちは牛の暴走のように逃走しはじめた」と回想し、「いつも一機で編隊を引っ張ってゆこうとしていたので、ヘルキャットの操縦士はカウボーイが牛を群れに追い込むようにして撃墜した。もし彼らがもっと分散してしまったらあのように沢山は撃墜することは出来なかった。」と回想している。・・・・経験の浅い日本軍操縦士は牛の群れのようにベテランの編隊長の後を追っていただけで、十分な回避運動も出来なかったのだろうか? F6Fに取り囲まれボコボコにやられてしまったのだ。
彼はこの日に6機のジュディーを8分間、360発の弾で撃落し(当日では最高記録)、太平洋戦争を通しては19機撃墜し、海軍2位のエースになった。
ウラシーのサイトは他にも沢山ある。そのうちの一つに彼が6機撃墜を指で示している写真があった。とても若々しく、うれしそうな顔をしている。
http://usfighter.tripod.com/vraciu.htm

その後も攻撃部隊の損害の大きさにも気づかず、小沢は肉挽き器に飛行機をつぎ込んできた・・・・・。 日本側から見れば本当に「悲しき戦記」である。

これは marujee さんの 416 に対する返信です

面白い考えですねぇ>デコポンさん
投稿者: marujee 2002/12/24 15:20
メッセージ: 443 / 1782


>浅野内匠頭そっくりじゃないですか(笑)。手を出しておいて、後どうなるかをまるで考えていないなんて。

「早飯、早糞、・・・即決即断」がモットーの帝国陸軍ではそれはいえますねぇ。

当時の軍部の考えは、昭和18年にもなるとアメリカは完全に戦争体制が整う、やるならそれ以前にやるべきだ。今後、ドイツのイギリス本土の海上封鎖、本土上陸が進めば、降伏もありうる。そうなればアメリカも意欲をなくし、講和に応ずるようになる・・・という楽観的な、人任せ的な考えのようでした。

これ日本人の特質かなぁ?

 16年12月ではモスクワでドイツ軍は敗退しているのにねぇ。 悪い話は上に上げなかったのでしょか?

これは dekopon346 さんの 441 に対する返信です
27
ん?
投稿者: jnfi67 2002/12/24 18:54
メッセージ: 444 / 1782


>零戦は初期型の21型だと航続距離は最高で3300km。最高時速は〜(中略)〜航続距離は何と660km!比較になりません。パリ−ロンドン間を何とか往復で飛べる程度。

→これは(航続距離の短さ)欧州各国の戦闘機共通です。スピットも1000km無かった。(たしか、700〜800kmだったかな)
欧州は隣国同士が殆ど陸続きで隣接していて、そうそう長大な航続距離は必要としなかった。且、戦術思考も「邀撃機」として開発されていたはず。
因みに、零戦は海軍機(母艦艦載機)であり、足の長さ(航続距離)は第1条件でしたから...

>また、馬力と速度優先で小回りの効かないメッサーは格闘戦となれば零式に敵いません。両者の武装を比べると、零戦もメッサーも同じく20mm機関砲を2門装備していますから、互角です。

→戦闘思考の違いでしょう。一撃離脱戦法をやられると、逆の状況になります。
零戦は(と、ゆうより、日本機は)機体強度上の問題で急降下速度制限がありました。(450kt前後?詳しくは忘れましたが)
メッサーは20mmは1門です(バトル・オブ・ブリテンの頃。E型・エミール・では。他に13mmを2丁)
また、零戦の20mmはエリコン系の短銃身型で初速が小さく、低伸弾道性が悪かった。
実際、よほどのベテラン(それも、射撃の上手い)パイロットでないと当てれなかった。戦争初期の零戦は、専ら低伸弾道性の良い7.7mmでコクピット狙い撃ちと何かで読んだ記憶が(出典ど忘れ。すみません。)
対して、メッサーの20mmはマウザー系の、低伸弾道性の良い20mm(18年頃、陸軍が輸入して三式戦に一部のっけてます。)
「よ〜〜い、どん。」の討ちあいなら、メッサーの方が分が有ったのでは...

>スピットは零式と同じく格闘戦に重点を置いた機体ですから、燃料を気にして全力を出せないメッサーでは、まさに手も足も出ない状況かと思います。

→スピットの原型は、スピード記録を争う為に開発された競技機です。(シュナイダー杯で優勝。1930年代前半)けして、格闘戦重視のコンセプトで開発されたものでは有りません。
確かに、横機動ではスピットの方が優れていましたが、縦機動ではメッサーの方が優秀でした(エンジンの設計より。)スピットは燃料気化式で、横転降下の際、マイナスGにより、エンジンが咳き込む為に一度機首を振って燃料の流入を助けなければならない(余分な動作)メッサーは燃料直噴式なので、その必要が無い。
格闘戦でメッサーがスピットを撃墜する場合は、この降下時の「余計な動作」を狙ったと言う。

>メッサーの持ち味…加速と上昇能力は燃料が十分有って始めてその威力を発揮するものですから、バトル・オブ・ブリテンでは活躍しようが無いのです。

→まぁ、これには異論ありません。
と、言うより、スピットもその後の大陸への空襲において、足の短さから役に立たなかった(苦笑)
(あ、ノルマンディー以前の話です。)

>なお、余談ですが、スピットよりもホーカーハリケーンの方が活躍したという話しを聞いた事があります。

→他の方も仰ってられる通り「分業」していました。戦闘機(主にBf109)相手はスピット。爆撃機相手は、ハリケーン。
また、当時スピットは16個中隊しかなく、ハリケーンは40数個中隊存在していた。まぁ、数が多かったんですね。それだけ、戦闘回数も多かった。
また、低高度での運動性が優れていました。ハリケーンは。少なくとも、Bf109よりは。

バトル・オブ・ブリテンに零戦は参戦出来たか?
疑問です。大いに。生産機数は当時、雀の涙だったのでは??欧州に派遣できるほど、生産されていたかな?(忘れた...;;;)

これは annodomini_jp さんの 424 に対する返信です

マリアナ海戦
投稿者: s1_9150242 2002/12/24 18:54
メッセージ: 445 / 1783

マリアナ海戦

昭和19年6月19日6時34分サイパン沖に米機動部隊発見
同7時30分 第1破攻撃隊129機が飛び立ちここに最後の空母艦隊決戦の火蓋は切って落とされた くしくも6月6日連合軍ノルマンディ上陸開始の直後である 小沢中将勝算を信じて祝杯用意の出撃であった


第一機動艦隊(長官小沢治三郎中将)
   第三艦隊 第一航空戦隊  大鳳 瑞鶴 翔鶴
        第二航空戦隊  準鷹 飛鷹 竜鳳
        第三航空戦隊  千歳 千代田 瑞鳳
        第十六水雷戦隊 矢矧 以下駆逐艦15

   第二艦隊(長官栗田健男中将)
        第一戦隊 大和 武蔵 長門
        第三戦隊 金剛 榛名 
        第四戦隊 愛宕 高雄 麻耶 鳥海
        第五戦隊 妙高 羽黒
        第七戦隊 熊野 鈴谷 利根 筑摩
        第二水雷戦隊 能代 以下駆逐艦14


「あ」号作戦 総力をあげて 戦艦空母一隊となっての決戦は最初にして
最後の戦いであった
対する米軍 150隻をこえる大艦隊

        正式空母  7
        軽空母   8
        護衛空母 14
        戦艦    14
        重巡    10
        軽巡    11
        防巡     4      
        駆逐艦   86
 
     艦載機 日430機 米1496機

彼我の勢力 3対1の劣勢にあって 小沢中将は
微動だにしなかった・・・なぜか?

これは s1_9150242 さんの 387 に対する返信です

>マリアナ海戦
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:03
メッセージ: 446 / 1783


>彼我の勢力 3対1の劣勢にあって 小沢中将は微動だにしなかった・・・なぜか?

→「アウトレンジ戦法(日本機の方が航続距離が長い事を根拠に)」という、クリスマス・イヴ(あ、今日だ...)の恋人達(ううっ...ちくしょ〜〜...涙)より「甘ぁ〜〜〜〜〜い」幻想(妄想?)があったから(笑)

これは s1_9150242 さんの 445 に対する返信です

>カッとなること
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:08
メッセージ: 447 / 1783


あはは...仰る通りですね(笑)

後、当時の(今でもですが)陸軍の体質を言い表した四字熟語が「用意周到、動脈硬化」(爆)(陸自のそう言われてるそうです)

これは dekopon346 さんの 441 に対する返信です

うわーーー
投稿者: s1_9150242 2002/12/24 19:10
メッセージ: 448 / 1783


そくレス正解!!!

あれ? なんか・・・〜〜?

そうですね航続距離飛躍の 「52型」「彗星」「天山」が\(~o~)/

しかし・・・でしたね

これは jnfi67 さんの 446 に対する返信です

海兵(陸士は忘れました...)
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:25
メッセージ: 449 / 1783


>海軍兵学校って今の防衛大学校みたい? 誰でも入れたんでしょうか

→基本的には、他の方も言ってられる通り。
後、「風俗業の子弟」(祇園やらの子弟)「身代限りの子弟」(破産者の子弟)等は受験資格が有りませんでした。
また、身長153cm以上、体重53kg(?だったかな)以上が条件で、且「顔面が著しく見苦しいもの」(つまり、見栄えの悪い顔の者)もNGだったそうです。

これは s1_9150242 さんの 183 に対する返信です

>駆逐艦、フリゲート、巡洋艦
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:33
メッセージ: 450 / 1783


>駆逐艦は、もともと、水雷攻撃を主たる目的とした艦で、

→元々は、機雷や魚雷攻撃を行う水雷艇を砲力で駆逐するための「水雷艇駆逐」艦として誕生しました。その後、水雷艇より大きな艦体に、魚雷や機雷を積むようになりました。

>戦争の後半に駆逐艦より一回り小型で対空、対潜に特化した艦
艇が米軍で建造され、これがフリゲート艦と呼ばれるようになり
ました。

→その通りですが...艦種を決める時に、いい代案が無くってむか〜しの「フリゲート」という艦種名を当てはめたそうです。

これは o_sole_mio00 さんの 142 に対する返信です

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