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>護衛空母
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:41
メッセージ: 451 / 1796


>アメリカが大戦中に建造した護衛空母は商船改造のものも含めて6クラス86隻(一部は建造中に終戦)

→カイザー造船所では、1週間に1隻、進水させていたそうですね。こりゃ、たまらん...

>戦艦でも大戦中に10隻程建造とか。

→これは、ちょっと違う気が。大戦中の竣工はアリゾナ級だけだったのでは?(4隻)サウス・ダコタ級の竣工って、いつだっけ...???
10隻以上って、もしかしてエセックス級空母の事をおっしゃってられるのでは...?

*アイオワ級:33kt(公試)

これは annodomini_jp さんの 196 に対する返信です

訂正
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:43
メッセージ: 452 / 1796

→これは、ちょっと違う気が。大戦中の竣工はアリゾナ級だけだったのでは?(4隻)サウス・ダコタ級の竣工って、いつだっけ...???

→「アイオワ級だけだったのでは?」の間違いでした...失礼〜〜〜;;;

これは jnfi67 さんの 451 に対する返信です

>マレー沖海戦とは?
投稿者: jnfi67 2002/12/24 19:54
メッセージ: 453 / 1796


>どうして英国は真珠湾翌日に出撃可能だったのか
(基地は インドとかに?)

→日本陸軍部隊がマレー半島コタバルに上陸したから。その攻撃の為に出撃。
行って、帰ってくる予定だった。(シンガポールに)

>どうして真珠湾近海に総兵力を集めていた日本が 地上基地からの
飛行機のみによる攻撃でよしと考えられたのか
(真珠湾の戦果たった1日後ですよ)
しかも プリンス・レパルスとも当時最強と言われていた戦艦!

→ここは、よく判りません...;;航空派が強行したのかな?ま、一応、南遣艦隊もいたし...
あと、P.O.Wの水線下の装甲は「薄っぺら」だったそうです。
*P.O.W:プリンス・オブ・ウェールズ

>真珠湾→マレー沖→ミッドウエー でいい?

→ 真珠湾+マレー沖→「インド洋」→「サンゴ海」→ミッドウェー、でしょうね。

これは s1_9150242 さんの 233 に対する返信です

兵器に関して
投稿者: jnfi67 2002/12/24 20:47
メッセージ: 454 / 1796


工業力以前に、国家として明確な工業基準なんて無かった。。。(虚ろな笑)

例えば、今の日本には「日本工業規格」有りますよね?
でも、当時はそんなもの無かった。。。
例えば、航空機メーカー。三菱、中島、川西、愛知。。。いずれも、創業期に導入した外国の規格でやってましたから。。。
mm、cm、インチ、フィート、入り混じって。
A社のボルトはB社のエンジンに合わないとか。
陸軍の機銃弾は海軍では使えない、とか。
(陸:12.7mm、海:13.2mm)

せめて、「国家工業規格に準じた生産現場」を作ってからにして欲しかった(笑)

これは dekopon346 さんの 76 に対する返信です

>空母について疑問
投稿者: jnfi67 2002/12/24 20:59
メッセージ: 455 / 1796


初期の、甲板上に艦橋がないモノは、どうしてそうしたのか知らないんですが。。。(何故だろう??)結局、「このまんまじゃ、視界が悪い!」からなのでは?(かなり、こじつけ;;)
アイランド(艦橋)が右舷にあるのは。。。多分、着艦時の最終旋回が左回りに由来するのでは?
「蒼龍」で左舷艦橋が不評で、飛龍は右舷艦橋にしたとか、何かで読んだ気がします。

これは s1_9150242 さんの 208 に対する返信です

>>空母について疑
投稿者: s1_9150242 2002/12/24 21:20
メッセージ: 456 / 1796


jnfi67さん>イブのプレゼントもらっている気持ちです 見ていますよ ありがとう
すごいキ−打ち込みにあ然^^

>初期の、甲板上に艦橋がないモノは、どうしてそうしたのか知らないんですが。。。(何故だろう??)結局、「このまんまじゃ、視界が悪い!」

そうですね ただ着艦時にあたらないかと心配したもので(^_^;)←シロウト考えです
また煙突ですが 海面(下方)に向かって煙を吐いている空母の写真見たような記憶が・・・これも着艦時に視界を妨げないようにかと思いました
ほんとうに感謝!

これは jnfi67 さんの 455 に対する返信です

まあまあjnfi67さん(^^ゞ
投稿者: crub4o 2002/12/24 21:34
メッセージ: 457 / 1796


そう厳しくチェックしなくとも・・

ここは軍カテじゃないですから、堪忍して下さいな。
トピ主様の人柄で上がってるトピですから。

>>どうして真珠湾近海に総兵力を集めていた日本が 地上基地からの飛行機のみによる攻撃でよしと考えられたのか(真珠湾の戦果たった1日後ですよ)しかも プリンス・レパルスとも当時最強と言われていた戦艦!

>→ここは、よく判りません...;;航空派が強行したのかな?ま、一応、南遣艦隊もいたし...

「スラバヤ沖海戦」(原題:ジャワ海海戦)によると、日本の高速戦艦が比較的近場にいたらしく、英国艦隊も日本の旧式戦艦を砲撃戦で屠りたかったらしいのです。
(ビスマルク対フッドの復仇戦をアジアでやりたかったんでしょうね)
しかし、英国艦隊が発見された位置が、日本艦隊からは離れすぎていたために、取りあえず航空部隊の単独攻撃が先行したと言うのが真相らしいです。
航空機単独で戦艦を撃沈できるとは、当の日本軍も案外信じていなかったのではと思います。

これは jnfi67 さんの 453 に対する返信です

>視界が悪い!
投稿者: crub4o 2002/12/24 21:41
メッセージ: 458 / 1796


航空母艦も船ですもんね。

艦橋がないと、見通しが悪くて機敏な操艦も出来ません。

それに、甲板上に着艦した航空機の状態を一発で把握するには、高いところが便利ですよね。

これは s1_9150242 さんの 456 に対する返信です

S・ダコタ級は開戦後の筈です
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/24 22:00
メッセージ: 459 / 1796


>>戦艦でも大戦中に10隻程建造とか。

>→これは、ちょっと違う気が。大戦中の竣工はアリゾナ級だけだったのでは?


N・カロライナ級は開戦直前でしたが、
S・ダコタ級(4隻)は開戦後だったと思います。
それにアイオワ級(4隻)が加わり、アラスカ級(2隻+)を含めると10隻になりますね。

ただし、アラスカ級については、巡洋戦艦とも大型巡洋艦とも高速戦艦とも言われるモノでして、
分類上も戦艦(BB)を与えられていませんが、全長などはN・カロライナより長いので、
まぁ、巡洋艦の扱いという訳にも行かないな…と個人的には思っていたりします。
シャルンホルスト級(ドイツ)より備砲もでかいし…。

これは jnfi67 さんの 451 に対する返信です

>>駆逐艦、フリゲート、巡洋艦
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/24 22:06
メッセージ: 460 / 1796


>→元々は、機雷や魚雷攻撃を行う水雷艇を砲力で駆逐するための「水雷艇駆逐」艦として誕生しました。その後、水雷艇より大きな艦体に、魚雷や機雷を積むようになりました。

>→その通りですが...艦種を決める時に、いい代案が無くってむか〜しの「フリゲート」という艦種名を当てはめたそうです。


メッセ147でほぼ同趣旨のカキコをしてまっせ^^

これは jnfi67 さんの 450 に対する返信です

>これ日本人の特質かなぁ?
投稿者: crub4o 2002/12/24 22:14
メッセージ: 461 / 1796


そういえば言葉の使い方を思い出しました。

第一次大戦の貴重な教訓を学ばなかった日本軍ですが、一つだけ吸収したのが、ドイツ軍が開発した浸透戦術です。
企図が暴露される大規模な攻勢準備射撃の代わりに、敵を精神的に攪乱する短時間砲撃と、強力な防塞を回避して脆弱な地点を突破し、敵の心臓部に進撃していく軽装備部隊戦術です(多分(^^ゞ

ドイツ軍に置いて、この浸透戦術はあくまでその後に続く大規模で高度に計画化された攻撃の発起点であったのですが、学んだ側の日本軍では、この浸透戦術を「無手勝流」の攻撃と曲解していた節があります。
砲弾が不足してるから、「これって日本軍にジャストフィット」って、誰かが言ったりして・・
「図らずして遭遇し、戦闘する」という解釈ですね。
だから、相手が盤石の構えで揺るがなければ、それでいちころな訳です。

ノモンハン戦で、関東軍は至る所で「浸透し」、「盤石の構え」の赤軍に至るところで撃破された・・  

これって、今の日本でもありますねぇ

これは marujee さんの 443 に対する返信です

う〜ん^^; 仮定の話ですからね…
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/24 22:20
メッセージ: 462 / 1796


>バトル・オブ・ブリテンに零戦は参戦出来たか?
>疑問です。大いに。生産機数は当時、雀の涙だったのでは??欧州に派遣できるほど、生産されていたかな?(忘れた...;;;)

無論、遠く離れた日本から零戦(あるいは1航艦)を派遣するといあのは無理でしょうね。


>→これは(航続距離の短さ)欧州各国の戦闘機共通です。スピットも1000km無かった。(たしか、700〜800kmだったかな)

いえ、それはその通りですが、これは零戦とメッサーとスピットの比較ですから、別に日本が優秀…
とは言っていませんよ。私は個人的にはソ連の戦闘機が好きなんです。あと、イタリア…^^;


>「よ〜〜い、どん。」の討ちあいなら、メッサーの方が分が有ったのでは...

それはあるでしょうね。ただし、状況は航続距離を気にしなけりゃならんメッサーとの戦闘です。
(スピットの位置に零戦が居ると仮定しての戦闘を考えていたもので)


>また、零戦の20mmはエリコン系の短銃身型で初速が小さく、低伸弾道性が悪かった。

知りませんでした。エリコンといえば一流ブランドだと思っていた^^;


>→スピットの原型は、スピード記録を争う為に開発された競技機です。(シュナイダー杯で優勝。1930年代前半)けして、格闘戦重視のコンセプトで開発されたものでは有りません。

そうだったのでしたか。私は単純に翼面荷重で比較していました。


貴公、詳しいですね。ビックリしました。今後もご教授くださいね。

これは jnfi67 さんの 444 に対する返信です

>日本の伝統文化
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/24 23:56
メッセージ: 463 / 1796


>しかし ここでお会いしてまだ1ヶ月?程なのに そんな気がしませんね(^^)

こちらこそ、お付き合い頂きありがとうございます。丁寧なレスを返して頂きますのでこちらも励みになります。実は私がこちらで投稿したしたものを、編集しているのですが、とうとうワードの標準様式で20ページを突破しました。

>伝統は 発明の地をさす言葉ではなく 継続しているかどうかを表わす言葉
>ではないでしょうか

個々の工芸、芸能、文化についていえば、そのとおりだと思います。ただ、全ての日本の伝統文化は、神代の昔から続いていたわけでなく、平安時代に確立したものもあれば、江戸時代に完成したものもあります。これから始まるものもあるかもしれません。日本の伝統について語るとき、個々のルーツは無視してあたかも全てが神代の昔からあったように話す方(s1 9150242さんのことではないですよ)がいらっしゃったので、以前から少し引っかかるところがあったのです。
私も日本の文化伝統は世界に誇るべきものだと思っています。ただ「だったら一つくらいはできるんだろうな。」と以前に言われたことがあります。そこで、外国人相手なら書道をはったりでやって(やたら難しい漢字を書いて)やろうと思っていましたので例としての「書道」のチョイスはナイスでした。

>どうでしょうか? なんか言われそうな予感(汗

そう仰らずに、今後ともお付き合いの程よろしくお願致します。

これは s1_9150242 さんの 439 に対する返信です

ノースカロライナに搭乗したことがあります
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/25 0:26
メッセージ: 464 / 1796


アメリカ滞在時に、博物艦として保存されてある戦艦ノースカロライナに搭乗
しました。艦橋内に主要な海戦をジオラマ化してあったのですが、これって
1/700のウォーターラインシリーズ?って思ってましたが、アメリカでも1/700
の軍艦のモデルがあるようですね。ただ、日本の船は日本製のウォーターライ
ンシリーズではないかと思っています。
40センチ砲にさわって見ました。艦の大きさに比べて小さく感じたのです
が近くで見るとさすがにでかかったです。左舷の中ほどに「ワニは危険だ!」
と書いた看板があったので、下を覗き込んだら本当にワニが顔をのぞかせて
いました。

これは annodomini_jp さんの 459 に対する返信です

いいな〜…ノースカロライナ
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/25 0:53
メッセージ: 465 / 1796


>アメリカ滞在時に、博物艦として保存されてある戦艦ノースカロライナに搭乗しました。

博物館になっているんですね。日本における戦艦・三笠みたいな感覚でしょうか?
でも、なぜノースカロライナなんだろう?サウス・ダコタの方がある意味相応しいような?
…S・ダコタは確か霧島(金剛級巡洋戦艦)を撃破(実質的には撃沈)したという珍しい艦。
ある意味、第二次大戦で戦艦を沈めた戦艦というのは希少なんだけどなぁ…。余談でした^^


>40センチ砲にさわって見ました。艦の大きさに比べて小さく感じたのですが
>近くで見るとさすがにでかかったです。

40センチ砲ですかぁ…長門級と同じですね。凄いよなぁ。


>左舷の中ほどに「ワニは危険だ!」と書いた看板があったので、
>下を覗き込んだら本当にワニが顔をのぞかせていました。

な、なぜワニ?

これは o_sole_mio00 さんの 464 に対する返信です

>>チャンバラの中に
投稿者: s1_9150242 2002/12/25 10:10
メッセージ: 466 / 1796


dekopon346さん>こんにちは いつもありがとう!

>「敗戦責任」なら、日本だけのことになりますが、むしろ「戦争責任」として、当事者の全員(もちろん連合国側も)のことを論じることのほうが意味があるのではと考えています

そうです 私も同じです 耳に入るのはアジア諸国からの非難ばかり・・・で思わず「日本は本当に悪かったのか?」と書いてしまいましたが おっしゃるとおり「善悪」は表裏1体というか断定は難しいものかと思います こんなに多くの方がおいでくださるとは夢にも思わず頭に浮かんだ言葉をそのまま書いてしまいました(今でもそうですが;;
よろしくご指導ください(^^)

これは dekopon346 さんの 440 に対する返信です

Re;見栄えの悪い顔?
投稿者: s1_9150242 2002/12/25 10:20
メッセージ: 467 / 1796

jnfi67さん 昨日は驚きました(^^)
これからもよろしくお願いします

>身長153cm以上、体重53kg(?だったかな)以上が条件で、且「顔面が著しく見苦しいもの」(つまり、見栄えの悪い顔の者)もNGだったそうです。

戦争する兵士になんで 「見栄えの悪い顔」が問題に? どんな基準で選ぶ?審査員は?などなど笑えました(・・・何か重要な理由がほかにあるのかも?・・・

>「風俗業の子弟」(祇園やらの子弟)「身代限りの子弟」(破産者の子弟)等は受験資格が有りませんでした。

これらも何でかよく解りません?見栄えのよい??軍隊を作ろうとしたのかな
ありがとう

これは jnfi67 さんの 449 に対する返信です

大統領の戦記@
投稿者: marujee 2002/12/25 12:25
メッセージ: 468 / 1796


ケネディーの戦記

1942/8、ガダルカナル島に米海兵隊が上陸してから15ヶ月間にわたって日米の激しい攻防戦がソロモン諸島及びその近辺の海で行われた。制空権の無い日本軍は夜間、駆逐艦で兵員、食料、弾薬を送ろうとし(米軍ではこれを「東京急行」といった)、それを防ごうとする米軍とこの狭い海域での激しい戦いが幾度も繰り広げられた。その中のエピソードの一つとして後の大統領、ジョン・F・ケネディー(JFK)の話がある・・・。

1942/8/1、J.F.K指揮のPT109を含む15隻の魚雷艇部隊に「コロンバンガラ島南のブラケット海峡を通過する(東京急行)を阻止せよ」との命令が出された。日本軍について多くの情報があり、視界も良い夜ではあったが、8/2夜明け前に、PT109は駆逐艦「天城」に衝突され、ほぼ真っ二つに割れて沈没してしまった。この衝突で2名が戦死しJFKと12名の部下はガソリンが炎上している海へと投げ出された。若い指揮官は傷を負ってはいたが負傷者の救命胴着の紐を歯でかみながら泳いでいたところを島の人たちのカヌーで助けられた。彼の救出を依頼するメッセージが入っていた椰子の実がオーストラリア軍の沿岸監視員のもとに届けられ、8/9には仲間のPTボートによって救出され、彼は基地に戻ったが、部下の生存者を求めて再び現場に戻っていった・・・・。後にこの行為のためにJFKは海兵隊勲章、紫ハート勲章を授与され英雄になった。

彼のPT-ボートが今年の7月に59年ぶりに発見されたとの記事を見つけた。
http://www.usatoday.com/news/science/2002-07-11-pt-109.htm

PT109のプラモデルも良く見ましたねぇ。

これは s1_9150242 さんの 445 に対する返信です

大統領の戦記A
投稿者: marujee 2002/12/25 12:28
メッセージ: 469 / 1796


パパブッシュの場合

マリアナ沖海戦(44/6)以降、次期作戦計画のためスプールアンスとそのスタッフは第5艦隊を去りハワイへと戻った。第5艦隊は全てハルゼーの指揮下に入り、ハルゼーの新しいTF38は空母9隻、軽空母8隻の大艦隊となった。彼はこれらの空母を4つのグループに分け、それぞれの空母群を戦艦、巡洋艦、駆逐艦で円形に囲む布陣をとることにした。
44/8/末から9/初めにかけてハルゼーはこの新機動部隊でミンダナオ、フィリピン諸島中央部、小笠原諸島の日本軍航空基地の弱体化を図るための激しい空襲をおこなった。

9/2、軽空母「サン・ジャシント」からTBF4機、「エンタープライズ」からヘルダイバー8機、F6F 12機が小笠原諸島父島にある無線局をめがけて飛び立った。父島の敵対空砲火はことのほか激しかった。20才のジョージ・HW・ブッシュのアベンジャーは「全ての地獄の門が開いているところへ鼻を突っ込んで爆撃をしたようなものだ・・・周りは対空砲火の黒い煙でいっぱいであった・・・」と懐古していた。突然、彼の機体は激しい衝撃を受けた。エンジンに砲弾が命中したのだ。「いやなことに黒い煙が出始めた。私は計器を見た。機体は急速に降下し始めた。島の上空であったので危ないと思い海のほうへと向った。エンジンから煙が出て炎が翼をなめはじめた。爆弾はすでに投下していたので機体を水平に戻すようにし、無線士と機銃手に脱出の命令をした。自分も操縦席から身を乗り出したが、頭を尾翼にぶつけてしまったのか、気を失った。落下傘の開傘紐を早く引いてしまったのだ。気がつくと落下傘が尾翼に引っかかったまま機体と一緒に落下していたのだ。あわてて落下傘を引っ張ってなんとかやっと自由になれた。
2時間ぐらい彼は頭から血を流し、疲れ、塩水を飲んで気分が悪くなってはいたが必死で自分の救命筏が島から遠ざかるように手で漕いでいた。「もうこの世の終わりか?」とも思っていた。そのとき突然、目の前100ヤードぐらいのところに潜望鏡が突き出し、アメリカの潜水艦「フィンバック」の灰色の司令塔が現れた。数分後には未来の大統領は甲板上に手荒く引き上げられた。そして「フィンバック」は急速に海中に潜行していった・・・。

これは marujee さんの 468 に対する返信です

>ケネディーの戦記
投稿者: s1_9150242 2002/12/25 14:14
メッセージ: 470 / 1796

マルジー?さん今日の話題はすごいですねあの元合衆国大統領二人が日本と戦いしかも生命危ない戦闘であったと よく戦争がすんでから仲良くなった話はよくあります お二方ともそうであったとしたら いいですね

「東京急行」駆逐艦がガ島に食料運んだというアレですね 本来の戦闘能力を犠牲にしての運送業?は無念だったろうと 確か伊号潜水艦も・・・魚雷発射管に食料装填 発射!・・・では(汗

その点米潜水艦は本来の業務を完全にこなし 商船の攻撃など目覚しいものが 糧食をたつ・・・兵法の常道かな 兵器の用い方の誤り と言ってもあの場合そうするしか仕方なかったのかも知れません


>島の人たちのカヌーで助けられた。彼の救出を依頼するメッセージが入っていた椰子の実がオーストラリア軍の沿岸監視員のもとに届けられ、


白黒ですが(いつもこれだー)映画でこの場面があったような 南の島 前編これ英語字幕スーパーのなか2人の日本兵が 草影に隠れている米兵士の前を「熱いのー」と言いながら通るシーンが なんかイリイリして見ていたの思いだしました 島という島みんな 原住民は米兵士に協力していました 占領政策はうまくいっていなかったみたいです

これは marujee さんの 468 に対する返信です

いや、やはり海軍士官はスマートに…でせう
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/25 14:39
メッセージ: 471 / 1796


>戦争する兵士になんで 「見栄えの悪い顔」が問題に?

外交官としての役割も持ち、ジェントルメンである事を標榜する海軍では、やはり一定の見栄えが必要
…そう考えられたのでしょうね。しかし「容姿端麗」ではなく「著しく見苦しい」ですから、
余程凄いモノでない限り、これに引っ掛かる事は無いと思いますよ。多分ね。


>これらも何でかよく解りません?見栄えのよい??軍隊を作ろうとしたのかな

こちらは多分、将来の海軍幹部にスキャンダルが起きない様にという処置ではないでしょうか?
しかし、「風俗業」と「破産者」の子弟だけを除外するといふのは、やはり理不尽な気がする。
例えば、仁侠の子弟は問題無いのだろうか?
「海軍大佐の父、出入りで惨殺!大佐は予備役に入り、二代目襲名!」とか^^

これは s1_9150242 さんの 467 に対する返信です

あはは^^;;
投稿者: jnfi67 2002/12/25 14:47
メッセージ: 472 / 1796


いやぁ〜〜、すみません。;;
思いがけず、ほんわかと、自分の好みにあうトピがあったもので、つい興奮して我を忘れてしまいました。m(__;m

皆さん、かなり博識で。。。^^
これからも(時々脱線するかもしれませんが;;;)よろしくです。

>日本の高速戦艦が比較的近場にいたらし

→あ、そーでしたね。金剛と比叡が近辺行動中でしたな。(第2艦隊・近藤中将座乗)その指揮下に、小澤少将(当時)の南遣艦隊が。。。
そうか、とりあえず、航空機でちょっかい出してみよう、という目論見だったんですね。

これは crub4o さんの 457 に対する返信です

>いや、やはり海軍士官はスマートに
投稿者: jnfi67 2002/12/25 15:02
メッセージ: 473 / 1796


>ジェントルメンである事を標榜する海軍では、

→えーと、多分そうだと思います。

>将来の海軍幹部にスキャンダルが起きない様にという処置ではないでしょうか?

→これも、そうだと。。。思い。。。ます。(自身無し)

結構、昔の海軍に関してかかれた本には断片的に載っているんですが。。。
(参照書籍)
「最後の撃墜王〜菅野 直の生と死〜」碇 錠二(ん?)
「素顔の帝国海軍」(続、続々編も。)「我が青春の海軍生活」両書とも、瀬間 喬)
「思い出のネイビーブルー」(松永 市朗)
他。
*瀬間氏は海経20期(兵59とコレス)、松永氏は海兵68期(343空・紫電改で有名な・の先任飛行隊長・鴛淵 孝少佐と同期の方。直木賞作家の豊田 穰氏とも同期で、マレー沖海戦の航空戦隊指揮官、松永少将(当時)のご子息の方です)

これは annodomini_jp さんの 471 に対する返信です

>スマートに…でせう
投稿者: s1_9150242 2002/12/25 17:02
メッセージ: 474 / 1796


・・・でせう 親戚のおばあちゃんが今でも書いています(笑い)アンノさんいつもありがとう!

身長のことなんかも制限があったようですがひょっともして 軍服のサイズが何段階しかなかったのかも 効率で決めていたとしたら問題ですね その当時帝国軍隊から不適格なんて言われたらショックだったんじゃないかと 大きい(体格)のは問題なかったんでしょうか 当時お相撲さんなんかはどうしたんでしょうかね

>仁侠の子弟は問題無いのだろうか?
「海軍大佐の父、出入りで惨殺!大佐は予備役に入り、二代目襲名!」とか^^

大受けです(^^)

これは annodomini_jp さんの 471 に対する返信です

洋的ものさし?
投稿者: s1_9150242 2002/12/25 17:05
メッセージ: 475 / 1796


東京裁判

日本の憲法はプロシャ式 国会はイギリス式 地方自治制度はフランス式であるが 何か一つ日本固有のものはなく 日本の政府は一言で言えば西洋的な着物を着た新君主政府であると結論する・・・カナダ代表ノーラン検察官

2000年の国家生活を営んできた日本国民が 西洋諸国から立憲政治を押し付けられたからと言って骨の髄まで立憲国民となれるものではない 維新以来の日本の政治化の苦心などは全然理解できない 彼等は西洋的なものの考え方で東洋を測ろうとするところに誤りがある それ以外に物差しがあることを知りもしないし 知ろうともしない 東京裁判の色調は「人種的偏見」である・・・弁護団長鵜沢聰明博士 とある


  西洋的ものさし? 東洋的ものさし? むむ・・・

これは s1_9150242 さんの 432 に対する返信です

横レスですが・・・
投稿者: s1_9150242 2002/12/25 17:26
メッセージ: 476 / 1796


>とりあえず、航空機でちょっかい出してみよう = あはは! ぜひお願いです(^^)

白黒の映画「キング・コング」見ました?あの最後でエンパイアビル?に登ったコングを飛行機が襲うんですよ あの時飛行機は二枚バネ(複葉機)でした 太平洋戦争が始まったとたん スマート?な1枚バネに
あの変化はすごいことだと思うんですがどの国が発明 始めたのかご存知ないですか

また ライト兄弟の飛行機を見ると確かプロペラは後ろに 尾翼は前に・・・と思いますが これなんかもすごい進歩?を遂げていますね それにプロペラの間をとおして銃弾を打つことってできたんでしょうか 不可能な気がするんです

あと零戦の航続距離がよく話題になっています 航続距離を伸ばす為に燃料タンクを胴体の下につけたんではないかと
・・・もしそうだとすると 爆弾や魚雷といったものが装填できなくなるのでは・・・

よろしければお暇なとき教えてください

これは jnfi67 さんの 472 に対する返信です

>横レスですが・・・
投稿者: jnfi67 2002/12/25 18:44
メッセージ: 477 / 1796


>白黒の映画「キング・コング」

→そーいえば、代わってました。。うんうん。
単葉機を最初に開発した国。。。どこだろう??すみません、勉強不足で^^;
でも、多分フランスかイギリスじゃないかなぁ?当時の航空大国はフランスで、ついでイギリス。ドイツは敗戦で開発・保有は禁じられていましたから。
1919年から10数年の間ですね。(1936年には日本でも96式戦闘機(陸軍)が採用されていますし)

>尾翼は前に・・・と思いますが

→これも、知識不足^^;すみません。
でも、最初に採用したのは軍隊(米陸軍)で、その時に前後入れ替わった、と読んだ記憶が。。。
最初は偵察用でしたから、前に「尾翼」があると、視界が悪いからじゃないでしょうか?

>プロペラの間をとおして銃弾を打つことってできたんでしょうか

→結構、古い時期からありまして。第1次大戦中〜末期にはドイツが、続いて英仏が「プロペラ同調装置」を開発して搭載していました。だもので、フォッカーも、ソッピードも機首搭載機銃で戦えました。

>あと零戦の航続距離がよく話題になっています

→「落下式増槽タンク」ですね。
まぁ、零戦は戦闘機ですから、爆弾や魚雷は搭載する必要無かったので問題にならなかったのでしょう。(末期の特攻は別として)
ただ、爆撃機(陸攻)なんかは増槽タンク、付けれませんから、一式陸攻なんかは両翼内部、殆ど燃料タンク、っていう設計で。だから数発被弾するとすぐ火達磨になる。米軍から「ワン・ショット・ライター」なんて呼ばれてました。。。
まぁ、零戦の航続距離は増槽タンクだけじゃなくって、機体の徹底的な軽量化の一因ですから。。。
「アシの長さ(航続距離)を取るか、頑丈さ(搭乗員の生還率)を取るか。。。」ですね。
  

これは s1_9150242 さんの 476 に対する返信です

>S・ダコタ級は開戦後の筈です
投稿者: jnfi67 2002/12/25 19:00
メッセージ: 478 / 1796


あ、S・ダコタ級は開戦後でしたか。
失礼しました。
プラス、アラスカ級。で、10隻。うんうん、数が合いますね。

個人的にはアラスカ級、好きです。
凄くシャープな印象で。アメリカの軍艦デザインはアイオワ級で一つの頂点に達したと思うんですが、その精華がアラスカ級のデザインじゃないかと。。。
分類上はBCでしたっけ?(あ、ちょっと脱線しました^^;)

まぁ、シャルンホルスト級も似たようなものですよね。備砲はアラスカ級の12インチ(30.5cm)三連装三基九門に対して、シャルンホルストは28cm砲でしたが。。。

これは annodomini_jp さんの 459 に対する返信です

>>>駆逐艦、フリゲート、巡洋艦
投稿者: jnfi67 2002/12/25 19:03
メッセージ: 479 / 1796


>メッセ147でほぼ同趣旨のカキコをしてまっせ^^

→失礼っ;;;まだ全部読んでないもので;;;

これは annodomini_jp さんの 460 に対する返信です

ちょっと一服・・・
投稿者: dekopon346 2002/12/25 19:09
メッセージ: 480 / 1796


皆様、こんばんは。

ほんとにいろいろ勉強になります、皆様のレスを読むのは。

私がここに投稿するのは、「日本人って何だろう?」という疑問を解きたいからです。アイデンティティといいますか(←知ったかぶり)。なんとか、素人なりに考えてみようと。
じゃ、なぜに歴史?なぜに太平洋戦争?と問われれば、答えは「戦時にこそ、その民族のもつ特徴がわかりやすく出てきて、素人にも扱いやすいのではないか」と考えたからなのです。ま、ここを突っ込まれてうまく答えられるほど、できる頭ではないのですが。

時にはとんでもないことを言い出す可能性もありますが(笑)、なんとかご容赦いただきたいと。これからもよろしくお願いします。

これは s1_9150242 さんの 466 に対する返信です

>ノースカロライナ
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/25 22:55
メッセージ: 481 / 1796

ノースカロライナが保存されているのは、ノースカロライナ州ウィルミントンという町です。ノースカロライナにちなんでノースカロライナ州が引き取ったのだと思います。ノースカロライナ州は南部の東海岸にありますので、ワニが生息しています。同僚がゴルフをしたとき、グリーンの隅でワニが寝そべっていたそうです。カップが反対側にあったのでプレーは続行したそうですが、何とも勇気があるというか、無謀というか・・・。

アメリカは各地に第2次大戦中や朝鮮ベトナム戦争に活躍した船や飛行機が保存されています。もの好きなもので移動中に船や飛行機が飾ってあったものを見ると立ち寄って写真とっていました。他の大物ではマンハッタンに同様に博物館として保存されている空母イントレピッド(以前に紹介しました)に行きました。また、真珠湾には戦艦ミズーリと戦艦アリゾナ(沈没してますが)がありますが、ハワイには行ったことがありませんので是非いってみたいと思います。アメリカでは、退役後の艦船は、解体したり、水爆の標的にされたものもありますが、一部は戦艦ノースカロライナのように所縁のある場所に保存されているそうですので他にもいろいろとあるのではないかと思います。

これは annodomini_jp さんの 465 に対する返信です

ちょっとトピずれですが
投稿者: hn2602 2002/12/25 23:22
メッセージ: 482 / 1796


実は早川書房から出ている帆船物の小説(ホ−ンブロワ−シリーズなど)を愛読していますが、欧州の海軍は歴史的に士官は上流階級から、下士官兵は下層階級から成り立っており、欧米の海軍士官との交際上も、日本海軍の士官も「紳士」でなければならなかったからではないでしょうか?そう考えると「見栄え」も必要だったのでしょう。
 ところで帆船時代の水兵が泳げないというのはびっくりしましたが、日本の水軍では水練は常識だったのでしょうか?(村上水軍や松浦党など)

これは annodomini_jp さんの 471 に対する返信です

>>チャンバラの中に
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/25 23:27
メッセージ: 483 / 1796

>善悪だけで論じるのはいかがなものでしょうか。

本当に仰る通りだと思います。太平洋戦争を百羽一絡げに「善だった」「悪だった」決めつけることには無理があります。こういった善悪二元論が、延々と不毛の論争を続ける原因にもなっていると思います。
東京裁判も日本が「被告」なのですが、日本が負けたから被告であって、決して日本が悪で、連合国が善ではないはずです。

話が複雑化する要因として、(1)相対的な善と悪、(2)感情の記憶、があるのではないかと考えています。

相対的な善と悪では、例えばアメリカの大統領であったエイブラハムリンカーンは南北戦争で勝利し、黒人奴隷を解放しました。黒人を奴隷の身から解放したのですから、リンカーンは正義の人かどうかということについて議論する場合、奴隷として自由がなかった身分から、人種差別によって制限されたが、ある程度の自由を得たのだから正義の人である、とも言えますし、一方でリンカーンは北部の産業界の利益代表に過ぎず、どんどん成長している工業地帯の安価な労働力を南部から奪っただけで、黒人の真の解放はなかった。彼は解放を騙っただけで悪人であることには変わりない、という主張(現代ではこっちのほうが普通だと思います)もあります。後者が一般的な(納得できる)のも、60年代のキング師を中心とする黒人の公民権運動の結果かもしれませんし、時代時代で善悪を評価するものさしも変化するのだと思います。

感情の記憶というのは、一般的に被害者は被害の事実を記憶し、加害者は加害の事実を忘却しようとする。そして時間の経過とともに被害者の被害の記憶は、事実を超えて、エスカレートし、加害者の加害の記憶は、加害の事実を正当化しようとする。これは精神の安定を保つための自己防衛的な反応だと思います。歴史の事実を検証するとき、20世紀の事件においても資料が全て残っているわけではなく、当事者の証言、つまり記憶の歴史に頼らざるを得ず、事実になかなか近づくことができない、とうジレンマに陥ります。そういえば立命館大学の北村先生も似たようなことを仰られていました。

こんなことを書いていると結論はなかなかでないのではないかと思いますが、個人的にはそういった結論のなかなか出ない問題について考えること自体に意義があると思っています。

これは dekopon346 さんの 440 に対する返信です

「プロペラ同調装置」>jnfi67さん
投稿者: s1_9150242 2002/12/26 0:17
メッセージ: 484 / 1796


ありがとう!実は子供の頃からの疑問が一つ 解けました 「プロペラ同調装置」って名前知らなかったです 早速その名前で検索して解りました プロペラのカムと機銃の撃鉄を連動させて撃つんだそうですね
しかし 調整を誤るとプロペラに弾があたって破損させるそうです・・・やっぱり
プロペラの回転速度より弾を打ち出す初速が速いから成り立つそうです 

・・・と聞いてもやはり あの高速で回っているプロペラの合間をぬって弾を・・・よくあたらないものだと やっぱり不思議です 

これは jnfi67 さんの 477 に対する返信です

同調装置の無い時代
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/26 4:07
メッセージ: 485 / 1796

各国ではかなり色々な手法で、プロペラと格闘していました。第1次大戦の初めの頃ですね。

プロペラが前に有るからいけないのだ…といふ事でプロペラを後ろに付けるプッシャー式(推進式)。
イギリスのデ・ハビラントDH2やRAF.FE2等がこれです。日本の震電はこれの末裔でしょうか。

プロペラに当たらなきゃ良いのだろう…という事で上翼の上に機関銃を設置した機体も有りました。
フランスのニューポール10や同11等がこれになりますが、同調装置開発と共に改造されました(当然)。

プロペラに当たっても平気にすりゃ良いのだ…といふ事で一部に防弾用の鉄板を張るという事も有ったとか。
これは具体的な機体が挙げられないのですが、昔何かで読んだ時にはフォッカー以前では普通の対策だったとか。

さて、ところで、第1次大戦中の一時期、三枚翼の戦闘機が流行しました。
レッド・バロンの愛機はフォッカーDr.1という三枚翼機であった筈です。格好良いんですよ…。

これは s1_9150242 さんの 484 に対する返信です

ノースカロライナ州だったんですね^^
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/26 4:10
メッセージ: 486 / 1796


先の大戦の後、戦艦大和がもし残っていたら…奈良公園に保存!
という訳にもいきませんね^^

でも、武蔵だったら、東京湾にど〜んと浮かべて良い気分ですよね〜。

これは o_sole_mio00 さんの 481 に対する返信です

アラスカ級
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/26 4:47
メッセージ: 487 / 1796

たしか分類上は新しい艦種記号で「CB」であったかと。正式には「ラージ・クルーザー」ですか。
ですから、無理に訳すと「大型巡洋艦」になるのですが、ドイツやイギリスなら巡洋戦艦にした所です。
実はアメリカには巡洋戦艦という艦種も制定されていたので、一体何をどう勘違いして「CB」なのかは不明^^

もっとも、アメリカの建造した巡洋戦艦はレキシントン級(計画6隻)だけで、これは40センチ砲艦だから、
30センチ砲艦はアメリカ的には「巡洋戦艦な訳ないじゃん」だったのかも^^

さて、そんなアラスカ級ですが、艦名は戦艦に準じた基準で選定され、アラスカ・ハワイ・グアム…
と当時のアメリカの准州あるいは海外領土から採られたみたいです。完成したのは2隻だけですが。

これは jnfi67 さんの 478 に対する返信です

裏話
投稿者: jnfi67 2002/12/26 11:21
メッセージ: 488 / 1796


皆さん、かなり詳しい方が多いので、もしご存知でしたら教えて欲しいのですが...
それは「戦争前の軍隊日常裏話」

私の知識はかなり海軍系に傾いているので、陸軍系に詳しい方がいらっしゃれば...

で、私の知ってる裏話、と言えない範囲ですが...
1.食事:昔は陸海軍で食事は結構嗜好が異なっていたらしく、陸軍では将校・下士官兵共に「和食」がメイン(と、言うより、ほぼ100%和食)手元に旧陸軍の補給兵站関係の本があるのですが、メニューはほぼ、一昔前の(昭和30〜40年代頃の)一般家庭の食事内容でした(昭和1桁〜20年頃では「ゴージャス」だったんでしょうね)
海軍では(艦隊・部隊)、下士官兵は朝食はパン(1斤)、砂糖、バター、味噌汁、他。昼食・夕食は麦・白米半々の飯に、副食類(結構、贅沢だったようで)士官・准士官は各室(士官室、1次室、2次室、准士官室)毎に毎食コックに作らしていたそうで。
朝食は和洋選択でき(ホテルの朝食位とお考え下さい)、昼食はフルコース、夕食は上等な定食並か、鍋モノもあったそうです。(金曜のみ、夕食は「カレーライス」)
士官の1食当たりの食費は(食費は自己負担)30〜35銭だったそうで。
当時新任少尉の月俸約75円、師範学校卒の新任教師の月俸40〜45円。
1円=約5000円強で考えると、海軍士官の1食の食費は今で考えれば1500円〜1750円。自炊で1食1500円も食材買ったら、結構な料理が食べれるのでは?しかも、大抵に於いて足が出て、毎月の俸給から差っ引かれていたそうですから...
有名な裏話として、山本五十六長官が戦死の前、トラックにいた頃、運動不足と美食の結果、側近・知人に「最近、息切れするし、手足が浮腫んでね...」とこぼしていたとか。もしかして山本長官、肝硬変寸前だった??

2.トイレ:旧海軍の艦艇では、士官用と下士官兵用のトイレはその数が人数比率で大きく違っていたそうです。
士官用トイレは確か、36人に1ヵ所。対して下士官兵用トイレは116人に1ヵ所と、随分無謀なほど数が少なかった。(因みに米海軍は士官用、下士官兵用共に36人に1ヵ所)
旧海軍の造船官って、「士官はやたらと用を足し、下士官兵は滅多に用を足さない。」とでも考えていたんでしょうかねぇ...?(まさかね。下士官兵軽視の表れでしょう)

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>同調装置の無い時代
投稿者: s1_9150242 2002/12/26 11:40
メッセージ: 489 / 1796


こんにちは

>日本の震電はこれの末裔でしょうか。

ということは後ろプロペラの戦闘機があったんですね 驚きです 
太平洋戦争末期にはジェット推進 ロケット推進まで出て来たと聞きますが実際に戦闘に加わったんでしょうか 実験段階で終戦を迎えたとか 「桜花」…これはロケット?だと 独からの技術提携を受けたんでしょうか 戦争は技術の進歩に貢献するんですね 皮肉なことです

これは annodomini_jp さんの 485 に対する返信です

>大統領の戦記
投稿者: jnfi67 2002/12/26 11:42
メッセージ: 490 / 1796


JFKとブッシュパパの話は有名ですね。

JFKの場合、兄(長男)が義勇空軍パイロットとしてイギリスで戦ってたが戦死してしまい、亡兄の代わりに次男の彼が、父の後を継いで政界に出た...という裏話(?)も有りますしね。

他に「大統領(又は国家元首)の戦記」で言えば...
1.アイゼンハワー米大統領:大戦時、連合軍欧州方面総司令官

2.シャルル・ド・ゴール仏大統領:大戦時、師団長。後、自由フランス軍総司令官

3.フルシチョフ・ソ連首相:大戦時、スターリングラード戦に於けるソ連軍政治委員として参加

後誰がいたっけかな...?

これは marujee さんの 468 に対する返信です

>裏話
投稿者: s1_9150242 2002/12/26 11:59
メッセージ: 491 / 1796


トイレの話が出ていましたね この時間恐縮ですが(汗)陸軍のある方からの耳聞きですのでほんとうかどうか…
大勢の軍隊で一番恐れていたのは伝染病だったとか 蔓延すれば命とりです それで検○の検査をよくしたそうです そのやり方に 広い校庭にズらーっと腰を降ろし命令一過…(終戦まぎわだったかも)聞いた時 驚きました 戦争はかくも非人間扱いになるんだなー・・・その方は鹿屋で終戦を迎えられ もう少し終戦が遅ければどうなっていたか と
今の日本はいいよーとポツンと言っておられたのを思い出します 失礼しました

これは jnfi67 さんの 488 に対する返信です

jnfi67さんの>裏話
投稿者: s1_9150242 2002/12/26 13:05
メッセージ: 492 / 1796

とってもおもしろそうですね 簡単にレスしまして すみません いい話題だと思いました みなさんぜひ何か書き込みよろしく 楽しみです

こちらでは雪が降りました 今年はなんだか冬が早くやってきたような 異常気象だーと思いましたが今日の新聞記事によると「異常気象とは30年に1度のこと」と気象庁で定義づけされてるそうです そんなことも決まっているのかーと驚きでした

これは jnfi67 さんの 488 に対する返信です

>>裏話
投稿者: dekopon346 2002/12/26 13:27
メッセージ: 493 / 1796


脚気、結核、寄生虫・・・

この3つ、ひょっとしたら日本陸軍の最大の敵であったかもしれないと、元軍医だったお医者さんがなにかに書いておられました。特に最後のヤツは、肥料に人○を使っていたため、持っている人がかなりいて、ガダルカナルやニューギニアなど、ジャングルの中で補給を断たれたといった状況では、そういう人から亡くなっていったとか・・・。
今じゃ寄生虫でダイエットなんて話があるのに。

ところで。
我が家ではこのところ麦をまぜてご飯を炊いています。父が、軍隊のころはこうだったと言い出したのが始まりですが、けっこういけますよ(笑)。父によると、豆を混ぜるのがいちばんうまかったとか(米7豆3くらいの割合)。あと、高粱(大陸から持ってきたらしい)を混ぜることもあったけど、脱穀が悪いのか籾殻が多くて、これにはまいったとのことでした。

これは s1_9150242 さんの 491 に対する返信です

>裏話
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/26 13:52
メッセージ: 494 / 1796


私も皆さんと同様、楽しく拝読しました。特に金額の話は、興味津々!

>山本五十六長官が戦死の前、トラックにいた頃、運動不足と美食の結果、側近・知人に「最近、息切れするし、手足が浮腫んでね...」とこぼしていたとか。

かの悪名高き(?)辻政信氏が、ガ島へ赴任する途中トラック島の大和に立ち寄り、出された食事の豪華さ(鯛の刺し身や冷えたビール!)に驚き、イヤミ半分で「いやあ、海軍さんは豪華ですなあ」と言ったら、福崎副官が「長官があなたのために特別に用意されたんですよ」と答えたとか。
実は、「特別」でも何でもなく、それがGF司令部職員の「普通の」食事だったとか!
この場合、辻参謀のイヤミも分からないでもありません。

>士官用トイレは確か、36人に1ヵ所。対して下士官兵用トイレは116人に1ヵ所と、随分無謀なほど数が少なかった。

これはひどいですね! 具体的な数字は知りませんでした。
戦闘機搭乗員だった故・羽切松雄氏の著書によりますと、かつて空母「蒼龍」(?)の戦闘機隊に属していた時、着艦後に小用をガマン出来なくなって、やむをえず士官用トイレにかけこんで用をたしてしまったら、甲板士官か誰かに、「キサマ! 生意気だ!」と殴られてしまったとか。
それを聞いた上司の横山保分隊長が激怒し、その士官を殴った上で、「キサマ! 搭乗員の気持ちが分からんのか!」と部下の復讐をしてくれたとか。
ただ、羽切氏はそういう海軍の因習を告白しながらも、逆恨みするような書き方をしていないのは、人徳を感じさせます。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167173034/qid=1040877455/sr=1-1/ref=sr _1_2_1/249-9625163-2752311

これは jnfi67 さんの 488 に対する返信です

>後誰がいたっけかな...?
投稿者: marujee 2002/12/26 18:32
メッセージ: 495 / 1796


第2次大戦時軍人で後にその国のトップになった人は・・・
ヨーロッパにはまだいるかもしれませんがチョット思い出せません。
でも、アジアでは沢山いますよ。こんなのはどうですか?

@アウンサン将軍 (ビルマ)/日本軍に最初は協力
http://member.nifty.ne.jp/biruma/aungsan.htm

A毛沢東、周恩来(中国)
http://www2.big.or.jp/~yabuki/doc/mz9110.htm

Bスハルト(インドネシア)/日本軍がインドネシアの独立に協力
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog036.html

C朴 正熙(韓国)・・・日本の士官学校出身/日本軍人
D李 登輝(台湾)・・日本軍人
E中曽根康弘・・・日本 海軍経理学校卒/海軍士官
・・・・

これは jnfi67 さんの 490 に対する返信です

>>後誰がいたっけかな...?
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/26 19:27
メッセージ: 496 / 1796


ちょっと横からすみません。

>E中曽根康弘・・・日本 海軍経理学校卒/海軍士官
・・・・

中曽根氏は、東大卒で、海軍の主計科短期現役士官に志願したので、「海経卒」とは言い難いかも知れません。(確かに主計科の短現は築地の海経で訓練を受けましたが…。)
以上、不躾をお赦し下さい。

これは marujee さんの 495 に対する返信です

戦艦サウスダコタ
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/26 22:19
メッセージ: 497 / 1796


>先の大戦の後、戦艦大和がもし残っていたら…奈良公園に保存!
>という訳にもいきませんね^^

う〜ん、鋭い!といいますのは、アンノさんから紹介があった太平洋戦争唯一(でしたっけ?)の戦艦同士の戦いを制したサウスダコタのサウスダコタ州は、ロッキー山脈の東のはずれで、海がありません。船も1962〜1963年にかけてスクラップにされています。保存するにも海がなかったのでしょう。しかし船は残されていませんが、サウスダコタ州のスーフォールズという町に戦艦サウスダコタ記念公園がありました。

http://www.siouxfalls.com/details.cfm?ItemID=31

日本の戦艦の関係では、山口県の柱島付近で沈没した、戦艦陸奥の記念館が沈没地点近くの山口県の東和町にあります。15センチの副砲等が沈没地点から引き上げられて展示されています。

これは annodomini_jp さんの 486 に対する返信です

ジェット機、ロケット機
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/26 23:29
メッセージ: 498 / 1796


日本で開発された、ジェット機、ロケット機は桜花(ロケット機)、
秋水(ロケット機)、橘花(ジェット機)で秋水と橘花はドイツの戦
闘機のコピー(秋水はMe-163の、橘花はMe-262の)で、試作段階で終
戦を迎えました。桜花は特攻兵器として実戦に使用されたのですが、
一式陸攻や銀河に搭載して、目的近くで切り離されるため、ほとんど
の場合、目標に達する前に母機ともども打ち落とされほとんど戦果は
得られなかったと聞いています。

これは s1_9150242 さんの 489 に対する返信です

>ジェット機、ロケット機
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 0:57
メッセージ: 499 / 1796


>ドイツの戦闘機のコピー(秋水はMe-163の、橘花はMe-262の)で、試作段階で終
戦を迎えました。

小さい頃 空に一筋引いて飛ぶ飛行機をジエット機だーと大騒ぎして見ていました やはり独からの技術援助?はあったんですね それにしても独は Vロケットなど今の宇宙時代の先取りみたいなこと当時から ユダヤの迫害さえ(科学者の亡命)しなかったら ほんとうに地球帝国なんてなっていたかも知れません 原爆も先に持てたと思いますから 

桜花はちょっと話を知っているので 悲惨です 桜の花のように散れ(しね)と言っているのでしょう きれいな花の名前つけてほしくない兵器です

これは o_sole_mio00 さんの 498 に対する返信です

力だけ?
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 1:00
メッセージ: 500 / 1796


・・・自分達だけが特別列車を仕立てたり 軍の飛行機に乗って日本内地に逃げ帰った関東軍の軍人軍属に憎悪の念・・・しかし満州事変以来日本が戦った戦争の全てが侵略戦争であったとは考えられない 国民を極端な俳日に駆り立て居留民の婦女子を辱めた中国人に 中日抗争の責任がなかったか 不戦条約を蹂躙し 火事泥的に満州の資材を本国に運び去ったソ連が 日本の侵略を受けたと言えるのか 中立国の義務に違反して敵(英)に軍需物資を送り 日本の玄関先 アリューシャン沖で海軍大演習を行い 揚句のはてはハル・ノートを突きつけ 真珠湾の奇襲を受け「生き残る為の戦争」という アメリカの言い分に理があるだろうか 好戦的 侵略的になった日本の軍人も悪いが何が彼等をそうさせたのか 東京裁判は28名の被告を罰せんとしているのではなく 28名を罰することによって 日本国民全体を有罪と意識させようとしているのである 戦勝国が力をもって復讐を遂げようとしていなら致し方ないが 正義の名において日本を裁こうというならばわれわれはこれと戦わざるを得ない・・・東京裁判 弁護団

↓ない頭で考えている(笑い)

これは頷けるが今までの議論でいくと 善悪で物事の判断は難しいとそれなら正義 不正義もその国により見方が違ってくるのか ものさしはどこにあるのか それともないのか・・・ないとしたら世界を支配するのは力だけ?

これは s1_9150242 さんの 475 に対する返信です

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