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>寄生虫でダイエット?
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 1:53
メッセージ: 501 / 1810


>今じゃ寄生虫でダイエットなんて話があるのに。

ほんとうですか?信じられません(笑い

>父が、軍隊のころはこうだったと言い出したのが始まりですが、けっこういけますよ 高粱・・・
   ↑
どう読むんでしょう IMEパットで調べたら
あわ リョウと出ました コウリョウ?かな 

軍隊のころはこうだったと・・・みたいな話はほんとうにいいですね うんうんと聞いている姿が浮かびます

私もそのようにして聞いた話ですが 当時は兎に角食料をということで 校庭や公園まで畑になったそうです お米はあんまり口に入らず さつまいもやカボチャが多かったとか ほら道端に春先つくしが あれなんかもつくだに風に これは食べました
あとタニシなんかもと聞きましたがこれは食べたことがないです 最近中国の方が多く働きに来られていますが食の違いから問題が起きています 彼等は空を飛ぶものは飛行機以外は何でも食料になるそうで特にハトなんか(どこにでもいる)ダメですと説明しなければいけないそうです でも働きものですよ 見習うべきところはたくさんあります・・・と知り合いの社長さんが言っていました なんかだんだん脱線してきたみたいで・・・それから 先ほど500の大きいキリバン踏ませていただき感謝します みなさまの温かい心が伝わってきます ありがとうございました

これは dekopon346 さんの 493 に対する返信です

高粱は
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/27 2:14
メッセージ: 502 / 1810


「コウリャン」だと思います。確か稲科の穀物ですね。

これは s1_9150242 さんの 501 に対する返信です

どうもです
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 3:24
メッセージ: 503 / 1810


アンノさん「コウリャン」ありがとう
おいおい漢字の読み方から教えないかんのか・・・と声が
今年もあとわずかですが よろしくご指導の程お願いします

これは annodomini_jp さんの 502 に対する返信です

>太平洋戦争について「考えて」・・・
投稿者: jnfi67 2002/12/27 13:33
メッセージ: 504 / 1810


散々、裏話やらなんやらで引っ張りまわした挙句に、いきなり最初に戻って申し訳ないんですが(^^;

太平洋戦争の開戦原因や敗戦原因以前に、「何故、日本は、帝国陸海軍は、あのような行動を起こしたのか。」について遡って考えて見ました。
取りとめも無く、思いつくままですので、かなり支離滅裂です。突っ込まれても反論出来ません^^;;ご容赦ください。

1.明治維新により徳川幕府が崩壊し、明治政府となったが、その実態は藩閥を中心とする究めて中央集権的(中央強権的)な国家組織となった。
(今日まで続く、「お上至上主義」)
藩閥の中心は薩長土肥。中でも軍隊としては「海の薩摩、陸の長州」
海の薩摩に関しては、日露戦争の頃には下級士官レベルから崩れていくが、陸の長州は、元老・山形有朋(山形狂介)が鎮座し老害を撒き散らしていた。(陸軍の政治傾倒化)
それでもまだ、日清・日露の頃までは「国家背水の陣」の認識は政府・軍部首脳にまで良く認識されていた。適材適所も、良くなされていた。(乃木第三軍編成を別として。これは明らかに員数合わせの失敗)
彼我の戦力差(国家戦力、軍事戦力)の研究、情報収集・分析、作戦立案、外交努力...「勝てないまでも、負けない戦争」がコンセプトとしてあった。
「国家防衛戦争」の認識がしっかりしていた。

2.まさか、まさかの幸運続きで日露戦争は日本優勢の判定勝ちに持ち込めた。
ただし、人員の犠牲(もっぱら陸軍)は想像を絶した(奉天会戦時、常備役部隊はほぼすり潰し、後備役(中年の予備役)まで引っ張り出して員数合わせをしていた。)
国民の不満を反らす為には多数の「英雄」を必要とした。(下級指揮官、下士官兵の「英雄」は、正に「英雄」に値する。が、乃木希典などは「愚将中の愚将。無能中の無能」である。軍神に非ず。)
戦争後、肥大した軍組織、その中の多数の高級将校のポストが必要となった。
解隊されるはずの部隊は存続された。
「軍神」批判は許されず、203高地での失敗(敵火線に対する、丸裸の銃剣突撃)は美化され、やがてそれが表芸とされてしまった。(203高地を落としたのは、乃木を無視して出張ってきた児島源太郎の指導した坑道作戦と、大規模砲撃戦である。)
「合理主義」「火力・装甲重視」「適材適所」は完全に葬り去られ、全く根拠の無い「精神主義」「学業成績至上主義」が蔓延する。

3.大正デモクラシーが終り、日本が民主主義を手に入れるチャンスは消滅した。
大恐慌を経て、国内経済は疲弊し国民生活が窮乏する。反して、財閥は肥え太った。
困窮した庶民・農民層の部下と直接接する軍の下級指揮官(若手将校)の間に、最初同情(自身も似たような出身)やがて義憤となり、政府・財閥・元老といった首脳層に対する不満が蓄積していく。(皇道派の形成)
やがて陸軍内部のテロリズム(永田軍務局長暗殺。陸軍の下克上風土)及び社会・政府に対する武力行使(5.15、2.26事件。5.15は海軍将校だが。)軍内部の内部抗争(統制派による、皇道派の粛清)に発展していくが、これらは全て軍が解決・事後処理権を政府から奪って行ってしまう。
その大元となった「統帥権の独立」
(山形有朋が下地を作った)
以後、繰り返されていく陸軍の政治傾倒化の増大、改善されない経済状況、国民生活、国内の閉塞感、台頭する国粋主義と迎合する陸軍。

3.やがて、日本の政治は軍(陸軍)が牛耳る事となる。意にそぐわぬ内閣は「陸相辞任。後任不在」で倒閣する。国内言論はテロルで封殺する。陸軍の極端に歪な精神主義は、日本の本筋に置き換えられる。
やがて、時代遅れの帝国主義(植民地主義)かぶれとして、大陸進出(北支以南)を行い、利権を有する欧米(米は遅れていたが、為に巻き返しに必死)と衝突する。

4.その流れの涯の、日中戦争と対米戦争。そして、敗戦。
(ここは、かなり端折り;;;)

う〜〜〜ん...なんか、何を言いたいのか...??文章力無いなぁ...我ながら。
(スミマセン。駄文で)
もっと、もっと、書く要素は山ほど有るんですが....
他に「身内の庇い合い編」「教育の不備編」etc、書きたいですが、余計支離滅裂になるので、またの機会に...

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

jnfi67さん、すごい!
投稿者: dekopon346 2002/12/27 14:12
メッセージ: 505 / 1810


よくもこれだけ・・・感嘆です。

私が考えるのは、日清・日露で勝ったこと(それもきわどい)による夜郎自大と、「統帥権の悪用」、この2つが大きかったのではと。特に後者は、昭和になってからのこの国に、とんでもない悪影響をもたらしたものでしょう。
明治憲法下の日本で、統帥権をたてにとって軍部が暴走した場合、これのブレーキがどこにもなかったこと(特に陸軍)、いわばシステムとして欠陥があったということでしょうか。
もちろん、他にもさまざまな要因があり、簡単に済む話ではありませんが。

これは jnfi67 さんの 504 に対する返信です

統帥権、そしてシビリアンコントロール
投稿者: crub4o 2002/12/27 17:20
メッセージ: 506 / 1810


「統帥権」と言う言葉=概念が一人歩きし、暴威を振るった最大の理由として、
鯖田豊之著「戦争と人間の風土」新潮社, 1967年刊行の中に、次の様な記述がありました。
(相変わらずうろ覚えです、御免なさい)

西欧諸国は長い期間戦乱状態にさらされた結果、国(近代的な意味ではないが)の指導者が統治において求められる資質は、第一義的に軍事指導能力であった。 当然、若年から壮年にかけての方が何かにつけて軍務に適している。 従って、西欧の国王や皇帝は成長期に十分な軍事的素養を受ける可能性が非常に高く、一朝事あらば並み居る将軍や兵隊に侮られること無く指揮を執る能力を持つ人物も多かった。 
支配者側に、軍事的観点と軍事的素養を下部構造として構築した上で、行政的観点と素養(権謀術数)を上部構造として身につけるケースが多かったのである。
これを持って、軍人型社会と言う事も可能であろう。 政治指導者は、一旦戦争が起これば、専門家としての将軍連に任せるだけでなく、自らの経験と類推能力を駆使して、軍事一般に比較的適切に介入する事が可能だったのである。 このような社会では、軍人になるという事、軍隊に従事する事が一種のステイタスとなり、憧れともなる。 また、一般人の軍事に対する関心も勢い高まってくる。 つまり、軍人社会と一般社会は双方向性の流通が可能な社会だったのである。

翻って日本はどうであろうか?
西欧同様の長い歴史を通して、軍人若しくは軍事的経験や軍事的観点を持つ政治指導者が、実権を握っていた期間はどれ位あるだろうか?
客観的に言えば、それは戦国時代と明治時代だけであると断言できそうだ。
それ以外の期間は、基本的に軍事的素養や観点とは凡そ縁遠い人物が、政治的実権をにぎっていたので、軍事と政治とは縁遠いものである事が一般的であった。
侍と言い、武士道といっても、一旦権力を握った後、彼らの実態はどのようなものであったか? これを持って、日本を非軍人型社会と言う事も可能であろう。 このような社会では、軍事と政治及び一般社会にはある種の断絶が存在する。 

***************************************

明治時代にシビリアンコントロールが可能だったのは、厳しい体験から軍事的素養を否が応でも積まざるを得なかった人物が政治指導者となっていたからだと思います。
軍事の酸いも甘いも噛み分けた政治家が実権を握っているのだから、軍部の独走など起こりようが無かったのでしょう。
だが、それ以降に現れた政治指導者は、そもそもそんな経験が無くて専門家に侮られるか、当の軍人も先輩が苦心惨憺、薄氷の上に築いた成功体験を野郎自大に妄想する二流の人物になってしまった。 
統帥権が軍部独創の絶好の口実に使用されたのも事実ですが、その土壌を育んだものは日本が歴史的に非軍人社会であったところに大きいというのが、前掲書に示唆されていました。 つまり文化的土台が無いところに、大きな無理をして軍事機構を作らざるを得なかった。 ここに軍部の思い上がりと暴走の根があったと言うのです。

言われてみると、思い当たる節が2.3あります。
@日本の軍人は民間を「娑婆」「地方」と蔑視していた。 文化的伝統が無い軍人のアイデンティティは、民間を一段低く見る事にしか見出す事ができなかったのかも?
A「学徒出陣」は何ゆえにああも遅れ、仰々しいものになったのか?
一方のアメリカでは、何の疑問も無く、開戦早々に18才の学生が戦陣に飛び立っていったのにである。

なんとはなしに、軍事を巡る伝統の違いを感じませんか?

ちなみに、この前掲書にはナチスドイツこそシビリアンコントロールの極致であると指摘していました。 言われてみればなるほどです。
伝統あるドイツ国防軍が、テロリスト上がりの政治家に結局最後まで牛耳られたのですから。

これは dekopon346 さんの 505 に対する返信です


1942年に
投稿者: crub4o 2002/12/27 19:53
メッセージ: 507 / 1810


ドイツ海軍のUボート数隻がフロリダ周辺のアメリカ西海岸を襲いました。
パウケンシュラ−ク(太鼓連打)作戦といいますが、アメリカはまだ潜水艦の脅威を甘く見ていたので、散々な目に遭います。

この時、米海軍やコーストガードだけでなく、多数の民間人がボートをチャーターし、猟銃やライフル、手榴弾や手製爆薬を抱えて、Uボート捜しに狂奔したそうです。
浮上したUボートの艦橋に手榴弾を投げ込んでやろうという輩が大勢いたとか・・

近代戦の実相を知らないと言うより、この逸話は軍事に関する欧米民間人の深層心理をかなり的確に炙り出しているような気がします。
落下傘で脱出した敵パイロットの山狩りではないのだから、彼らはこと戦争になると、相当「好戦的」なのではと思います。
こんなこと、今はおろか、当時の日本の民間人に考えられますか?

そんな「非軍人的」伝統を持つ日本の民間人を、兵隊に仕立てて戦わせようとするのですから、ますますもって
「軍事に口を挟むな」と統帥権が乱用され、
「死して虜囚の辱めを受けることなかれ」の教えが平気でまかり通ってしまうのではないでしょうか?

よく軍カテの馬鹿者が、「日本兵は最後まで戦うから立派」などと垂れ流していますが、それまで派手に撃ちまくっていたのに、弾切れになったらさっさと手を挙げると言うのは大変な勇気ですよ。
降伏したから助命されるかどうかは、それが法制度的に保証されていた欧米でもあくまで原則ですからね。 自分に適用されるかは最後の瞬間まで分かりません。

トピずれになってしまいましたが、
捕虜観でも、軍人的風土と非軍的風土の違いが出てしまったような気がします。
つまり、「戦争における真の勇気とは何か」の捉え方の違いです。

これは crub4o さんの 506 に対する返信です

>ジェット機、ロケット機
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/27 20:50
メッセージ: 508 / 1810


どうもです。

秋水は、ほぼMe163のコピーで、実際に海軍では初期には「Me163」と呼称していたと、当時の搭乗員が証言しています。(ただ、B-29の防御力を考慮して、20mm機銃を30o機銃に換装しています。)
橘花は、コピーしようにも図面の大半が潜水艦と共に海没してしまい、大幅に設計しなおさねばならなかったようです。

桜花は、銀河を母機とした出撃は結局無く、撃沈戦果は駆逐艦一隻ですね。

最初の桜花特攻の指揮官野中五郎海軍少佐(戦死後大佐)については、以下をどうぞ。↓

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ooka-nonaka.htm

夜間雷撃の権威的存在であり、本来特攻に批判的だった野中少佐は、常々桜花について「この槍使い難し」と語ったそうです。

これは o_sole_mio00 さんの 498 に対する返信です


涙が・・・
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 22:16
メッセージ: 509 / 1810


>ちゅき きらいのないように なんでも おいちいおいちいってたべなちゃい

でわ さようなら おとうちゃまより ぼーへ

只今会議より帰宅 もう涙が・・・

これは honkytonk_2002_x さんの 508 に対する返信です


「考えて」・・・
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 23:04
メッセージ: 510 / 1810


ありがとう!ちょっと涙してしまいましたが 気を取りなおして

太平洋戦争について「考えて」・・・にすればよかった
太平洋戦争の遠因として明治維新までさかのぼるjnfi67 さんの視野の広さについていけるかどうか

1)「海の薩摩、陸の長州」→「国家背水の陣」→「国家防衛戦争」の認識(勝てないまでも、負けない戦争)

2)日露戦争は日本優勢の判定勝ちに→203高地での失敗は美化され→全く根拠の無い「精神主義」「学業成績至上主義」が蔓延する。

3)大恐慌・国内経済は疲弊し国民生活の窮乏する(財閥は肥え太った)→政府・財閥・元老に対する不満が蓄積していく→ 「統帥権の独立」
以後陸軍の政治傾倒化の増大、改善されない経済状況、国民生活、国内の閉塞感、台頭する国粋主義と迎合する陸軍。
→陸軍の極端に歪な精神主義+時代遅れの帝国主義(植民地主義)=大陸利権を有する欧米と衝突 

・・・かな? そのときどきの不満とかを軍部が利用?して肥大していった様子がよくわかります どうやら203高地に対する評価の仕方が分かれ目であったように感じました あのとき国民全部が困窮していたんではないんですね(財閥とか)読んでいていつの時代のことだろーなんて思うほど

秀吉の朝鮮出兵も戦国の戦いで肥大した大名達に褒賞する土地不足 さかのぼって 蒙古襲来の後幕府が衰退していくのも同じく褒賞する土地不足明治西郷の征韓論もよく似たものではなかったかと?
どの国でも同じかも知れませんが国内の経済をよくする手っ取り早い方法は富を手に入れるため他国の植民地化(そうだそうだと言っているんじゃありませんよ)英国なんか地図でみると小さいもんですが スペイン無敵艦隊破って以来 なんと「日の沈まぬ帝国」 として地球儀を塗り替え世界の多くを植民地化していたんです 日本がおとなりの柿に手を出す気持ちはわからんでも・・・あの時代は必然そういう方向に強国は例外なく?走ったと思います しかし今の時代通信 交通の発達で地球の相対的な大きさはどんどん小さくなっています 日本では町村合併 道州など進行中ですが ゆくゆくはアジア国とでもいう大きい国で合併してはいかがかと(通貨からでも) 少し早い初夢?
(もしそうなるとアジア国日本州になるのかな)新亜共栄圏?
歴史を真摯に議論されているトビで不謹慎とお叱りかも?夢ですよー
Ps・・・で選挙で日本州から立候補される候補者は大統領になれるか

これは jnfi67 さんの 504 に対する返信です

>シビリアンコントロール
投稿者: s1_9150242 2002/12/27 23:16
メッセージ: 511 / 1810


うーん すごい crub4o さん

読んでいて思いました あるスポーツをやっている方のお話 ある時協会を作ろうということに(そうすると公機関から補助金が出ると欲に目がくらみ?)そこで会長が必要であるということに 公から見ると有名な例えば議員さんなんかが好まれる訳です そのスポーツの事などなーも知りません しかし挨拶とかはうまいんです 開会式なんかには最適! しかしそのスポーツを知らない為参加されている方達の希望するところがうまく伝わりません 何年かしてそのスポーツを何年もやってこられた方が会長になりました 役所は軽く扱いを始めましたが メンバーの方は喜んでいました かゆいところに手が届くからね これでめでたしかと しかし今度はあんまり何でも知っているので口出しがすぎてうっとうしがられることが 難しいですね人とは で今は元にもどり なーも知らない方で治まっています シビリアンコントロールは是か非か有事には(即断を迫られる)害あるかも 平時には必要 こんな都合よくは行きませんか(笑い

そう言えば 信長 秀吉 家康はたたきあげでその眼光の前には何ぴとも・・・ そのあとはシビリアンコントロールだったので うまく徳川300年も続いたのかな 支離滅裂(^_^;) ご指導よろしく ありがとう! 
何度も読み返して見ます

これは crub4o さんの 506 に対する返信です

>>太平洋戦争について「考えて」・・
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/27 23:20
メッセージ: 512 / 1810


jnfi67さん

明治から昭和初期にかけての陸軍を中心とした戦争観に関する評論、とても興味深く拝見いたしました。コンパクトにまとまっており、分かりやすかったですよ。

>明治維新により徳川幕府が崩壊し、明治政府となったが、その実態は藩閥を
>中心とする究めて中央集権的(中央強権的)な国家組織となった。
(今日まで続く、「お上至上主義」)

以前にも投稿したのですが、日本における支配者と被支配者の関係は、江戸時代の強力かつ、長期間にわたる封建社会によって成立したと考えています。明治維新によっても幕藩体制から薩長藩閥政府に支配の主体が変わっただけだったのだと思います。

>まさか、まさかの幸運続きで日露戦争は日本優勢の判定勝ちに持ち込めた。

日本には日露戦争に費やした労力に加え、得たものは微々たるものであった。実質的には痛み分けだと思います。日露戦争を正しく分析しなかったことが、昭和につながってしまったのですね。

>全く根拠の無い「精神主義」「学業成績至上主義」が蔓延する。

昭和以降終戦までに登場する人物は、官僚的な人が多いようです。東条英機なとは典型的ですね。独裁者ではなく能吏といった感じです。

>3.やがて、日本の政治は軍(陸軍)が牛耳る事となる。意にそぐわぬ内閣は
>「陸相辞任。後任不在」で倒閣する。国内言論はテロルで封殺する。陸軍の
>極端に歪な精神主義は、日本の本筋に置き換えられる。

ここで以前に投稿したのですが、満州事変で石原莞爾が関東軍を独走させて満州国を成立させましたが、その後に石原の部下の武藤章が石原に背いて大陸への戦線拡大を独断ですすめた。本来軍隊とは規律を重視するもののはずですが、陸軍の無軌道ぶりには唖然とさせられますが、このダブルスタンダードの実状について「身内の庇い合い編」や「教育の不備編」等で紹介していただけるものと思います。続編を楽しみにお待ちしています。

これは jnfi67 さんの 504 に対する返信です

>寄生虫
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/27 23:42
メッセージ: 513 / 1810


そういえば、ダイエットの目的でサナダムシを体内で飼っている人がいるという話は聞いたことがあります。最近では化学肥料の普及で寄生虫をほとんど飼っている人は前述の意図的に飼ってらっしゃる人を除けばほとんどいないと思います。近年のアレルギー疾患の増加は寄生虫の現象と無関係ではない、という説があります。体内の免疫機構は、人体に侵入してくる寄生虫に対して機能するものがありますが、それが寄生虫に対して働くことがないうちに、何かの拍子に人体に対して働いてしまう、それがアレルギー疾患であるということです。全てのアレルギー疾患がこれで説明がつくものではありませんが、アレルギーとは人体版「軍部の暴走」かもしれません。

これは s1_9150242 さんの 501 に対する返信です


死して虜囚の辱めを受けることなかれ?
投稿者: s1_9150242 2002/12/28 0:13
メッセージ: 514 / 1810

>そんな「非軍人的」伝統を持つ日本の民間人を、

まったくそのとおりです 秀吉の刀狩りいらい田を耕すおとなしい 農耕民族の日本人に 国民皆兵と鉄砲を持たせ 慣れない戦場に駆り立てた狂気とも言える時代は つい先ほどあったんです どだい幌馬車西部劇でお馴染みの ああいった歴史を持つ国とは出発点を異にしているのです アメリカが嫌いという意味ではないですよ

>軍人的風土と非軍的風土の違いが出てしまったような気がします。
つまり、「戦争における真の勇気とは何か」の捉え方の違いです。

そうです ビフテキを当たり前に食べていた国と 穀物 魚を食べていた国との考え方の違いは あって当然のことだと思います 真の勇気・・・勇ましいそぶり 声が大きいといったものではありませんよね(^^)

これは crub4o さんの 507 に対する返信です

ものさし
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/28 0:14
メッセージ: 515 / 1810


>善悪で物事の判断は難しいとそれなら正義 不正義もその国により見方が
>違ってくるのか ものさしはどこにあるのか それともないのか・・・
>ないとしたら世界を支配するのは力だけ?

ものさしは、ひとりが持っており、そのものさしもシチュエーションによって変わってきますよね。それは、太平洋戦争だけでなく身の回りの全ての事象がそうではありませんか?

例えば「セクハラ」と「スキンシップ」ですが、やった本人が「スキンシップ」のつもりでもされた相手が不快であれば「セクハラ」だし、同じ行為を受けたとしても中年オヤジは「セクハラ」でお気に入りの若手社員だと「スキンシップ」。

同じ国のなかでもものさしは人によって違うでしょう。一人一人の体験、情報、信条によって違ってくると思います。

>28名を罰することによって 日本国民全体を有罪と意識させようとして
>いるのである

これは、結果として戦争指導者の責任を日本国民に転嫁していると思います。敗戦後「一億総懺悔」などというフレーズが生まれたのですが、だれが発したのでしょうか。指導者が自分達の責任を回避するためにばらまいたとしか思えません。とりあえず身内同士では、責任の所在を曖昧にしたかったのかもしれませんが。
東京裁判でどんな判決がでようが、国民一人一人には罪はありません。胸を張って焼け野原か這い上がっていけばよかったのです。そのことを当時の日本の指導者は明確な形で示すべきだったと思います。

これは s1_9150242 さんの 500 に対する返信です

日露戦争の頃は
投稿者: hn2602 2002/12/28 0:33
メッセージ: 516 / 1810


捕虜になることは別に辱めではなかったそうです。勿論敢闘せずに降伏すれば罵倒されたでしょうが。その後どんどん変な精神主義になっていったようです。

 ところで陸軍は長州閥が機能していた頃は、国家に対する反逆はほとんど無く、長州閥にたいする反発から反長州派が主導権を握るようになってからどんどん独断専行が目立つようななり、遂に戦争に突っ走ったという説を読んだことがあります。皆さんはこの説はどう思われますか?

これは s1_9150242 さんの 514 に対する返信です


寄生虫とアレルギ−
投稿者: hn2602 2002/12/28 0:40
メッセージ: 517 / 1810


確か皮膚科教授(藤田氏?)の説ですが、実のところIgE(レアギン型抗体)のなかで寄生虫、真菌、アレルギ−に関与する抗体は別々で、学会の主流はこの説を認めていないとのことです。
 寄生虫に栄養分を横取りされるのでやせることはやせるでしょうが・・・。

これは o_sole_mio00 さんの 513 に対する返信です

ものさし・・・オ・ソレさん
投稿者: s1_9150242 2002/12/28 0:43
メッセージ: 518 / 1810


オ・ソレさんいつもご指導ありがとうございます もうすぐ今年も終わります この1ヶ月は この掲示板で始まり 終わった感がします 泣いたり 笑ったり

オ・ソレさんは 国の誤りを時の指導者の責任にされることが 多いように思います
(違うかも) 私は指導者とは弱いものだとこの頃思っています 自分がなんでもいいから「長」と名のつく立場になるとよくわかります その時の多くの方の意の流れには逆らえません 歴史は名のある 偉人と言われる方が作ってきたのでしょうか 偉人とは名もない柔順な多くの方のこころに思う事が具象化された頂点に 座っているだけの人と思えてなりません・・・個より多を取る考えは 歴史ではおもしろくないですね(^_^;)

これは o_sole_mio00 さんの 515 に対する返信です


>一億総懺悔
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/28 0:56
メッセージ: 519 / 1810


>敗戦後「一億総懺悔」などというフレーズが生まれたのですが、だれが発したのでしょうか。

東久邇宮稔彦王(首相)ですね。

これは o_sole_mio00 さんの 515 に対する返信です

ぜひ 教えてください
投稿者: s1_9150242 2002/12/28 1:08
メッセージ: 520 / 1810


>敗戦後「一億総懺悔」などというフレーズが生まれたのですが、だれが発したのでしょうか。

東久邇宮稔彦王(首相)ですね。

↑この方は? 戦後すぐの総理ですか
>honkytonk_2002_xさん 自分で調べればいいんでしょうが(^_^;)

これは honkytonk_2002_x さんの 519 に対する返信です


指導者の責任
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/28 1:22
メッセージ: 521 / 1810


>オ・ソレさんいつもご指導ありがとうございます

いえいえ、言いたいことを書いているだけです。ご一読頂けるだけでも幸いです。 

>オ・ソレさんは 国の誤りを時の指導者の責任にされることが多いよう
>に思います(違うかも) 

日本人の文化として後から責任を追及することはなじまない部分があります。しかし、このような歴史の悲劇を繰り返さないために、敢えて責任を明確にしなければならないと思っています。

>私は指導者とは弱いものだとこの頃思っています 自分がなんでも
>いいから「長」と名のつく立場になるとよくわかります その時の
>多くの方の意の流れには逆らえません

弱くても弱いなりに責任は取れると思います。実は私も多少ですが部下のいる身分、つまり「○長」なのですが、毎年、私の追うべき責任について上司と話し合います。私は「長」という立場になって、明確に責任というものか実感を持つことができました。多数の意に沿って失敗したら、「逆らわなかった自分が弱かった、今度は自分の意志を通すことにしよう」と反省するでしょう。
組織を預かることは、その組織の持つ機能と責任を明確にし、その結果について責任をとることです。残念ながら日本の伝統的な組織にはそれがありません。
日産のカルロスゴーンは、見事に私のお話したことを具現化し、達成したと思います。今後日本のカルロスゴーンが何人も出てきたときに、こういった考え方が定着していくのではないかと思います。

これは s1_9150242 さんの 518 に対する返信です

オッケーです
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2002/12/28 2:57
メッセージ: 522 / 1810


↓以下のリンクで、閣僚の名が分かりますよ。

http://www.netlaputa.ne.jp/~house/ichiran/naikaku/43.htm

これは s1_9150242 さんの 520 に対する返信です

>>一億総懺悔
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/28 10:19
メッセージ: 523 / 1810


honkytonkさん

ありがとうございました。

東久邇宮稔彦王(首相)の記者会見にこういうのがありました。
「ことここに至ったのは、勿論政府の政策も良くなかったからでもあったが、また国民の道義の廃れたのも原因である。このさい軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならない」

皇族の首相で自分の意志でいったか、誰かに言わされたかどうかははなはだ疑問なのですが。

それから、森利行さんの続・近代日本の社会心理に次のような下りがあります。
責任について私の言わんとしていることがうまく纏められていますので少し長くなりますが、引用させて頂きます。

例えば戦争責任の問題をとってみても、西欧における戦争責任問題とは、何かが本質的に違うのだ。ちなみにドイツにおいては、責任ある「悪の主体」が比較的明確であるのに対し、日本においては、特定の「主体」にではなく、日本人全体に責任があると感じられている。 ― 靖国問題の難しさはこの認識の差にある ― しかし、合理主義と訳される「モダニズム」によって社会の近代化が押し進められるのであれば、善と悪は「実在の主体」(政府や個人や企業など)として明確にされなければならないのではないか。

第二次世界大戦で百六十万人にのぼる、餓死・病死者を出したという問題は、近代社会のなかで起こった事件としては、終戦後にそのことが全く語られなくなったことと共に、特殊なこと、というより「異常」なことだと思う。その異常さは、その数に倍する数の遺族が存在したにもかかわらず、全く社会問題化されることがなかったことにおいても際立っている。本来であれば、東京裁判がどうこうという以前に、日本国民によって、戦争責任者達は、その無意味な精神主義と無策による敗戦の責任を、追及されてしかるべきではないのか。

 ここで私が言いたいことは、いわゆる「悪の主体」が国家にあるということではもちろんない。戦後最初の総理大臣の「一億総懺悔」という言葉が象徴するように、我々日本人は、責任ある「主体」を曖昧にし、そして自らの父や兄が軍部の無策によって殺されたという現実さえも、「運命論」的に受け入れてしまう。つまり、極論すれば我々日本人には、社会の近代化(モダニズム)には欠かせないはずの、「主体」という概念が存在していないのだ。

 このことを、日本人の国民性として片付けることは簡単だと思う。しかし事はそう単純ではない。自らを「主体」として立ち上げないということは、自らの「責任」を回避することであり、そのかわり問題の責任を、上部組織、例えば国家にも求めないということだ。また、敗戦や経済不況など大きな問題が生じたときも、我々は「悪の主体」を追求することはせず、そのかわり「一億総懺悔」をするのだ。だがしかしそのことの問題が根深いのは、「みんなで責任をとる」のではなく、それが「懺悔」であることだ。つまりそこには、驚くべきことに、許してくれるはずの「主体」 ― 神・仏・母性・父性的アメリカ ― をあらかじめ想定しているのだ。

 当然のことだが、責任をとるということと、懺悔するということとは決定的に違う。しかし我々にはそのことが解らないと思う。なぜなら「主体性」とは「責任」において担保されるものなのであって、それとは逆に「懺悔」とは、あらかじめ「許し」を前提とするものだからだ。 ― 例えば、怒りを持続できる朝鮮人達の心情が我々に理解できないのはそのためだと思う。我々はひたすら許しを請うているだけであって責任をとってはいない ―

おっと、これから娘を歯医者に連れて行かなければなりません。また後ほど。

これは honkytonk_2002_x さんの 519 に対する返信です

honkytonk_2002_xさん>どうも〜
投稿者: s1_9150242 2002/12/28 22:58
メッセージ: 524 / 1810


いままで これ読んでいました

>・・・畏くも 詔書には「朕は常に爾臣民と共に在り」と御示しになって居ります、此の有難き 大御心に感奮し、我々は愈愈決意を新たにして、将来の平和的文化的日本の建設に向って邁進せねばならぬと信じます、全国民が一つ心に融和し、挙国一家、力を戮せて、不断の精進努力に徹しますならば、私は帝国の前途は軈て洋々として開け輝くことを固く信じて疑わぬものであります、斯くしてこそ初めて、宸襟を安んじ奉り、戦線銃後に散華殉職せられましたる幾十萬の忠魂に応え、英霊を慰め得るものと固く信じます
・・・1945/9/5 議会演説 東久邇宮稔彦内閣総理大臣

全文はむちゃくちゃ長いんですが 戦後始めての内閣で仕方ないのかも知れない 天皇はまだ戦前のままの扱いが目立ち 責任どころか 終戦できた 感謝しろ風で驚きました

今日は親戚の法事で ありがたーいお経の
一日でした(笑い

これは honkytonk_2002_x さんの 522 に対する返信です

懺悔と責任
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/28 23:07
メッセージ: 525 / 1810


皆さん、年末年始モードですね。
私も今朝、娘を歯医者につれって言った後、大掃除の手伝い。

今朝の書き込みで引用しっ放しでしたので、少し、当方のコメントを付け加えます。かなりこれまでにお話したことと重複があるかもしれませんが、年の暮れに免じてお許しください。

>西欧における戦争責任問題とは、何かが本質的に違うのだ。ちなみに
>ドイツにおいては、責任ある「悪の主体」が比較的明確であるのに
>対し、日本においては、特定の「主体」にではなく、日本人全体に責
>任があると感じられている。

ドイツの場合は、全てをナチス幹部の責任を押し付けて、その他のドイツ人は責任を回避すらしているように思えます。ナチスに政権運営を委ねたのはドイツ議会のその他の勢力のはずですが。
日本の責任の主体が曖昧であり、現代に至っても不祥事等が起きたとき、その責任の所在を明らかにしないことは既に申し上げた通りです。

>極論すれば我々日本人には、社会の近代化(モダニズム)には欠かせない
>はずの、「主体」という概念が存在していないのだ。

責任以前の話として、日本人には本質的に自分が個人としてどう思うかを、表現するスキルが欠けているような気がします。

海外でビジネスをされる方の話で印象に残っている事に、海外でビジネスをする場合、語学力が重視されがちだが、自分の考え方を相手に言葉で伝えなければならないことが多く、本当はそのスキルのほうがもっと大事だということです、その方曰く「英語で話せないことは日本語でも話せない」。自分の意見を表に出す事が、責任の意識につながるのでないかと考えています。
言い換えますと、日本人には個人の意志に基づく行動を行い、その行動に基づく責任を完結させるという意識がない、といいますかそのように教育を受けていないような気がします。
もちろん中には例外の方もいらっしゃいます。小磯、鈴木内閣の海軍次官を務めた最後の海軍大将井上成美は、対米戦回避派でかつ、海軍次官として、戦争の早期終結に尽力した人物でありながら、「その地位にありながら早く戦争を終わらせる事ができなかった」ことについて責任を感じ、戦後30年を隠棲、英語塾で生計を立てながら清貧を貫いたということです。確かに井上は、山本五十六から「東条英機と渡り合える男」と評され、自分の意見はずばり言うタイプの人間のようでした。

>自らを「主体」として立ち上げないということは、自らの「責任」を
>回避することであり、そのかわり問題の責任を、上部組織、例えば
>国家にも求めないということだ。

相手の責任を指摘しないことにより、自らの責任を帳消しにしてもらうことにもなると思います。日本人の美徳かもしれませんが、欧米を中心に海外では通用しない(「不正」と解釈されるかもしれません)考え方だと思います。残念ながら、グローバリゼーションが進み海外の人々との関係が切り離せなくなれば、こちらも意識を変えていく必要があると私は思います。

これは o_sole_mio00 さんの 523 に対する返信です

トピ外れですが>オソレさん
投稿者: marujee 2002/12/28 23:08
メッセージ: 526 / 1810


お尋ねします。

521>歴史の悲劇を繰り返さないために、敢えて責任を明確にしなければならないと思っています
523>我々はひたすら許しを請うているだけであって責任をとってはいない ―

オソレさんは責任の明確にし、謝罪、場合によっては何らかの補償をと考えておみえですか?

歴史として過去の問題を検討することは私も大切だと思います。
しかし、日本の過去については北朝鮮を除く殆どの国とは平和条約を結び、清算してきました。我々は戦前とは憲法、政治、社会体制をも変えた、世代も変わった。これ以上謝罪をし続けることはナンセンスだと思っています。

ゴルバチョフが日本人のシベリア抑留について次ぎのように答えた。「あれはわれわれと違う 哲学を持った、違う世代の人がした事だ・・・」私も同じような経験がある。以前、イギリス人に彼らの祖先が植民地でしたことについて今のイギリス人はどう考えているのだ?と質問したら、まったく同じ返事が返ってきました。岡崎久彦は次のように書いている。
http://kokusen.homeip.net/jouhou/siryo/120422.htm

我々も過去のことは我々もゴルバチョフと同じように答えればよい。岡崎久彦の言うように歴史家に任せればよいのです。

これは o_sole_mio00 さんの 523 に対する返信です

トピ外れですが>marujeeさん
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/28 23:48
メッセージ: 527 / 1810


marujeeさん

>歴史の悲劇を繰り返さないために、敢えて責任を明確にしなければ
>ならないと思っています

上記での責任の対象は自国民を考えておりました。

満州事変以降、日本国民は若者、壮年は戦争に駆り出され、戦局の悪化につれ、兵士は絶望の戦いを続け、あるいは、必殺兵器として戦地で散っていかなければならなかった。また銃後においても物資が欠乏し、困窮した生活を強いられ、空襲で焼け出されたり、あるいは命を落とす、また、終戦後は敗戦国として焼け野原から這い上がっていかなければならない。そんなときに「一億総懺悔」であって、この惨状に対して日本国民に対し責任の意志を伝えた指導者が皆無に等しい(井上成美など例外もいますが)のが非常に残念なのです。
また、現代にも続く政官財の不祥事に伴う責任者の責任回避などを見るにつけ、日本人がこれから世界中のあらゆる分野で進出していくためには、「責任の意識」を身に付けてもらいたい、そのための反省材料としての戦争責任(あくまでも自国民に対する)であると、考えています。

おそらくご質問の趣旨は、東アジアでの戦争責任に関してだと思いますが、

>歴史として過去の問題を検討することは私も大切だと思います。
>しかし、日本の過去については北朝鮮を除く殆どの国とは平和条約を
>結び、清算してきました。我々は戦前とは憲法、政治、社会体制をも
>変えた、世代も変わった。これ以上謝罪をし続けることはナンセンス
>だと思っています。

私もほぼ同意見ですし、この手の話題は、他のトピやカテで熱く(なり過ぎる場合もあるようですが)議論されているため、ここのトピでは論ずる必要もない、と敢えて触れないようにしていました。

ただ、世代が変わっても、彼らは彼らの歴史に基づいた教育を受けていますので、意見は求められることがあります。その場合に率直に自分の意見を述べればよいと思います。時には、喧嘩になるかもしれません(私の場合、現になったことがありますが)が、そうやって直接意志のぶつけ合いをすることで、わだかまりが小さくなるかもしれません。それが我々の世代の戦争責任かなと考えています。

これは marujee さんの 526 に対する返信です

>懺悔と責任
投稿者: crub4o 2002/12/28 23:53
メッセージ: 528 / 1810


o_sole_mio00様
いつも素晴らしい投稿を感嘆して
拝見致しております。

>相手の責任を指摘しないことにより、自らの責任を帳消しにしてもらうことにもなると思います。

私の会社にもいます(;_;) こんな社員・・
もしかしたら、私も甘やかされるのを望んでるかも・・

>日本人の美徳かもしれませんが、

いやいや、美徳ではないです。
これはよくないですよ。

>欧米を中心に海外では通用しない(「不正」と解釈されるかもしれません)考え方だと思います

「思います」などと謙遜されることなく、
断固主張してください。
私も自己改造に邁進する致しますので・・(爆)

これは o_sole_mio00 さんの 525 に対する返信です

訂正
投稿者: crub4o 2002/12/28 23:58
メッセージ: 529 / 1810


>私も自己改造に邁進する致しますので・・

「邁進するよう努力しますので」
の間違いでした(恥)

これは crub4o さんの 528 に対する返信です

縦糸と横糸
投稿者: s1_9150242 2002/12/29 2:32
メッセージ: 530 / 1810


今日の法事ですっかり正座がにがてになっている自分を発見 正座する機会がめっきり減りました さてお経のあと必ずお説教があります 今日のお説教の主題は「縦糸と横糸」でした 亡くなられた方を繋ぐ縦の糸 ご先祖 残された肉親 横糸親類縁者 どちらがかけても織物にならない・・・南無ー

太平洋戦争における「縦糸・横糸」は これは日本(縦糸)と世界(横糸)?になるんでしょうか それとも縦に流れる時間糸を その時々現れる人達が横糸となって 織り込んでいくのでしょうか 太平洋戦争における縦と横って何でしょうね

お寺さんで思い出しました もうすぐ除夜の鐘
戦時中 お寺の鐘や個人の仏具など供出したんだそうですね これなんか加藤清正の建てたお城の壁は篭城に備えて食べれるようになっていた?とかに繋がるのかと 平時に信仰の対象 有事には兵器に化ける? こんなの他にもあるのかな 加賀100万石が芸術に力を入れたように見えるが 有事のさいの鉄砲や刀などの職人を集めて備えていたとか・・・

思いつくまま 年末モード (笑い

これは s1_9150242 さんの 524 に対する返信です

よく分かりました>オソレさん
投稿者: marujee 2002/12/29 10:01
メッセージ: 531 / 1810


>>歴史の悲劇を繰り返さないために、敢えて責任を明確にしなければならないと思っています
>上記での責任の対象は自国民を考えておりました。

よく分かりました。

>>これ以上謝罪をし続けることはナンセンスだと思っています。
>私もほぼ同意見ですし、この手の話題は、他のトピやカテで熱く(なり過ぎる場合もあるようですが)議論されているため、ここのトピでは論ずる必要もない、と敢えて触れないようにしていました。

そうですね。私とほぼ同じお考えということも分かりましたし、ここでのトピは太平洋戦争ですからね。これ以上の議論はやめましょう。

>時には、喧嘩になるかもしれません(私の場合、現になったことがありますが)が、そうやって直接意志のぶつけ合いをすることで、わだかまりが小さくなるかもしれません。それが我々の世代の戦争責任かなと考えています。

私も若いころ、同じような経験(アメリカ人と原爆投下についての議論)があります。そのときにつくづく感心したのは彼らはチャンとした歴史観を持っていたこと、議論もうまいことでした。(それと自分の英会話能力が乏しいため思っていることも十分言えなく悔しい思いをしました)
それ以降、少しは自国の歴史を勉強していなくてはと思いました。(英会話のほうはさっぱりですが・・・)またそのときアメリカではディベートが学校の授業となっている事を初めて知りました。

これは o_sole_mio00 さんの 527 に対する返信です

外国の外交のうまさは
投稿者: s1_9150242 2002/12/29 11:09
メッセージ: 532 / 1810


ディベート<ありがとう

日本には 「沈黙は金」「黙して語らず」「弱い犬ほどよく吼える」
     「以心伝心」「目は口ほどにものを言う」「引かれものの小唄」
     「能ある鷹は爪を隠す」「口は災いの元」「きじも鳴かずば撃たれまい」
     ・・・まだまだあるんでしょう(間違いあるかも)

     えらんことは言わないで長いものに巻かれろ 式な寡黙を尊ぶ流れ
     があると思いませんか 外国と日本の違いはそういったところが
     大きいと思います

 http://member.nifty.ne.jp/debate/txt/d_jugyou/debate_toha.htm

 ↑なるほどこう言った勉強をしているのか これからの時代ただ意味のない
  笑顔をしていてもだめかもしれませんね これここで実験?やれるのかな

これは marujee さんの 531 に対する返信です

心温まるエピソード
投稿者: marujee 2002/12/29 11:52
メッセージ: 533 / 1810


シナ事変においては伊藤桂一が色々このような話(悲しき戦記・・・)を書いています。しかし、太平洋戦争については日本にとってとても厳しい戦いであったせいか私はあまり見たことがありません。
どなたか良い話をご存知ですか?

最近読んだ数少ない感動した話を紹介しますと・・・
1944/10/12、マッカーサーのレイテ上陸の支援としてハルゼーが台湾南部を空襲したのにたいし、10/12〜15にかけて台湾に待機していた当時の日本の陸海軍の精鋭T部隊がハルゼーの機動部隊攻撃にでた。10/15、大本営は空母11隻撃沈、8隻撃破の大戦果をあげたと報告した。然し現実は重巡「キャンベラ」「ヒューストン」2隻が大破しただけであった。・・・台湾沖航空戦のときの話ですが、

重巡二隻が大破し通常なら自沈させるのだが、制空権を握っているのだからハルゼーは曳航してゆく決心をした。こののろのろと曳航されている重巡に日本機は繰り返し攻撃を加えた。これらの重巡が日本機の航続区距離外へ逃れられるのかと誰もが疑問に思った。日本軍の攻撃機は上空護衛機に次々と撃落されたがそのうちの1機が防衛網をすり抜け、魚雷でヒューストンの後部を吹き飛ばした。魚雷が命中するや否や曳航していたタグボート・ポウニィーは「我、貴艦と共にあり」と点滅信号を打ち続けた・・・こうして6500tの海水が浸水したヒューストンは無事日本機の航続圏外に逃れることができた。

当然、魚雷命中し弾薬庫にでも火が入れば自分も沈んでしまう危険性があったのです。ヒューストンの乗組員はずいぶん心強かったことかと思います。
ハルゼーはこのびっこの艦隊を日本艦隊おびき出しのえさになると言ったそうですが、これは強がりで、船は沈めたくないというのが彼の本音では?・・・と私は思っています。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

心温まるエピソード どうでしょう
投稿者: s1_9150242 2002/12/30 12:58
メッセージ: 534 / 1810


marujeeさん>頭の中にはあったんですが捜すのに時間かかっちゃいました 私の1押しはこれ↓

http://www.town.yaotsu.gifu.jp/spot/sugihara/sugihara.html

当時の情勢 立場を考えればいかに勇気あることか また心温まるエピーソードだと思いますが・・・(的はずれ?)

あと 南方で戦闘中米軍が ある(野球?)スポーツの選手に投降を呼びかけた逸話も記憶にありますが・・・どなたかご存知ないですか

これは marujee さんの 533 に対する返信です

>縦糸と横糸
投稿者: dekopon346 2002/12/30 13:13
メッセージ: 535 / 1810

s1_9150242さん、こんにちは。

みなさんすっかり年末モードのようで、この間までの盛り上がりがうそのようですね。
>太平洋戦争における「縦糸・横糸」・・・
私も同じことを考えたことがあります。しかしそんな2次元じゃなく、もっと多様な、さまざまな角度からの分析が必要ではと考えるようになりました。ここに参加されている大勢のかたがたと、(どこまでついていけるかわかりませんが)さらに多くの見方考え方ができるようになっていけば何より、と思います。

ところで。
金属供出について。
父の生家は、お寺です。ここも戦争中に鐘を供出させられ、今でもないままです。そういったものは補償の対象にはならないものかと、子供のころからの疑問でした。父からの受け売りですが、鐘楼というものは鐘の重さで建物全体のバランスがとれるものだそうで、鐘をはずしたら取り壊さないといけないとか。それで、今は土台の石積みがあるだけです。
そこまでして戦わなくてはならなかったものか・・。



これが今年最後の投稿になりそうです。皆様よいお年を。

これは s1_9150242 さんの 530 に対する返信です

廃仏希釈
投稿者: s1_9150242 2002/12/30 14:45
メッセージ: 536 / 1810


・・・梵鐘がなくなったので山門が軽くなり 風の被害を避けるため
同じ重さのコンクリート製のおもしを作り吊した・・・
(デコポンさんの言われたとーりでした)

金属回収とは金属供出とも云われ 戦争中に鉄 銅製品を家庭
や工場から回収して軍事生産に廻されました 昭和17年(1942)
には回収令による強制譲渡命令を出して寺院の仏具・鐘楼まで
供出することになりました)

明治維新に当たり、明治政府は天皇の出自系譜を神格化しよう
と考えました 天皇を天照大神の子孫たるアラヒトガミ
とし、神武創業、祭政一致、天皇親政の思想を構築しようと
しました つまり神道国教化です

このため江戸時代には国教的な地位を得ていた仏教を弱体化し
新たに天皇中心の現人神理念 つまり神道を確立しようとして
政府は明治初年に立て続けに神仏分離令を出しました
分離とは言え実態は大規模な廃仏希釈であります

政府は佛寺や僧侶の凄まじいリストラを断行しました
寺院や仏像や経典も廃却されました それは中国の文化大革命の
暴挙のごとく 貴重な歴史的遺産の抹消となりました。
僧侶の多くは寺を捨てて 神道に再就職することで延命をはかり

・・・とあります

江戸時代までは仏教(または儒教?)中心であったと
全国のお寺は 一つの役所的感覚で戸籍の管理をしていた
感があります その大きな力を神道によって覆す必要が
あったのかも いずれにしろ 宗教を政治に利用する形態は
感心したものではありません(十字軍のこともありますから
日本だけ言われることではありませんが)

宗教の用具を供出してまでの戦い・・・そこにはもう正義も
徳もなぁ〜にもない 闘争本能だけが残っているだけ
(・・・と断定してもいいかなー?)

デコポンさん よいお年をお迎えください(^^)  

これは dekopon346 さんの 535 に対する返信です

>心温まるエピソード
投稿者: o_sole_mio00 2002/12/30 23:14
メッセージ: 537 / 1810


トピ主様、参加の皆様

こちらのトピに参加させて頂き、私の以前から太平洋戦争に関して考えていたことを投稿することができ、また皆様方からいろいろとご教示頂き、今年はずいぶんと充実した年末を過ごすことができました。どうもお世話になりました。

本年納め(になるかな?)の投稿ですが、心温まるエピソードを一つ。

最後の連合艦隊司令長官小澤治三郎長官は、戦後は自ら敗戦の責任を感じて井上成美同様に隠棲し、清貧を貫いた人ですが、小澤の晩年の楽しみは、アメリカの子供達からの手紙を読み、返事を書くことだそうでした。小澤の戦巧者ぶりとその人柄は、アメリカでも伝えられ、子供達の尊敬を集めたそうですが、敵将のポジティブな面も国民に伝えたアメリカの懐の深さにも感心させられた逸話です。

来年もよろしくお願致します。
皆さん良いお年を!

これは marujee さんの 533 に対する返信です

>>心温まるエピソード
投稿者: s1_9150242 2002/12/30 23:54
メッセージ: 538 / 1810


オソレさん>ありがとう
今 テレビで地村夫妻が「感動と転換の年であった」と・・・私もそうです
このトビにトビこんだ?おかげで 考え方にずいぶん変化があったと思います

まず過去の出来事を世界の視点から見ることができる またそうしなければいけないと(私はガチガチの民族至上主義?だったかも)

世の中には立派な人が大勢いるんだなーと感心したり驚いたり ほんとうに新鮮な毎日でした(まだ2ヶ月ほど?)

私は正直とっくにネタぎれしていますが ゆっくり ゆっくり皆さんと語れたらこんな幸せはないと思っています ご指導ください 来年はオソレさんのような理路整然とした 文章が書けるようになれたらいいなーと

しかし心温まるエピソードってなかなか見つからない・・・それほど戦争は悲惨なんでしょう では一応(まだ早いって)
オソレさんよいお年をお迎えください(^^)

これは o_sole_mio00 さんの 537 に対する返信です

硫黄島での出来事
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/31 0:58
メッセージ: 539 / 1810

硫黄島の守備にあたった、陸軍第26戦車連隊の指揮官でありました西竹一中佐という方が居ました。
中佐は通称バロン西。ロス五輪の馬術競技で優勝したスポーツマンでも有りました。

米軍は高名なバロン西を惜しみ、投降を呼びかけましたが、中佐の率いる連隊は肉弾戦まで挑み、全滅。
無論、連隊長の西中佐も戦死を遂げたといふ事です。(戦死日時の詳細は不明です)

ところで、ロス五輪・硫黄島といえば、水泳100mで銀メダルを取った河石達吾さんも、戦死されてます。

これは s1_9150242 さんの 534 に対する返信です

バロン西 ! でしたか
投稿者: s1_9150242 2002/12/31 1:45
メッセージ: 540 / 1810


てっきり 野球選手とばかり思い 今日何時間か 探していました ・・・で野球選手も多く戦死されていることを知りました

馬術の・・・でしたか 硫黄島と言えばあの頃から玉砕と言う言葉が ・・・いくら投降を呼びかけられても

何かで読みましたがやはり 国の家族のことを思えば 立派に死ぬしかなかったと

今日ニュースが流れていましたが北朝鮮に子供 家族を置いてきている方達の凛とした発言に頭がさがります(内心はいかばかりかと)

アンノさん バロン西ありがとうございます

これは annodomini_jp さんの 539 に対する返信です

西男爵で良かったんですか?
投稿者: annodomini_jp (男性/九州) 2002/12/31 3:21
メッセージ: 541 / 1810


まさか、彼のコトだとは思わずにレスしていました…。
私は私で「へぇ〜、野球選手で米軍が投降を呼びかけた人もいたんだぁ」とか思いながら、
そう言えば、西男爵も投降を呼びかけられたといふエピソードを持っていたなぁ〜…なんて思って。
ラッキーストライクでしたね。いやいや、お役に立てて良かったです。

もっとも、西男爵への「投降放送」は実は噂話に過ぎないのでは…といふ声もあるみたいです。
以前、何かで読んだか聞いたかした覚えが有ります…例によっておぼろげな知識ですが…。

これは s1_9150242 さんの 540 に対する返信です


半可通は死ねば?
投稿者: zak_k_org (42歳/男性) 2002/12/31 10:10
メッセージ: 542 / 1810


 

これは annodomini_jp さんの 541 に対する返信です

Re:日露戦争の頃は
投稿者: s1_9150242 2002/12/31 14:53
メッセージ: 543 / 1810


たいへん遅くなりましたが 日露戦争には太平洋戦争と共に興味があります

>長州閥にたいする反発から反長州派が主導権を握るようになってからどんどん独断専行が目立つようななり、遂に戦争に突っ走ったという説

笑わないでくださいね
エ〜と 禁門の変以来薩長は内心わだかまりは消えていなかったのではないかと で陸軍の重鎮山県有朋なんかが 幅を利かせていたので うまくいっていたんでしょうが日露戦争のとき 軍閥で能力も考えない長州閥人事をやって 第三軍によるあの大変な消耗戦をやってしまった(ここはみなさんご指摘何度か) その時から反長州派が勢いを持ったんじゃないでしょうか ありそうですね 自信ないですが・・・
反長州派ってどのような方達が? 
hn2602さんはどうお考えでしょう
太平洋戦争の遠因?として大事なところかと

これは hn2602 さんの 516 に対する返信です

よいお年を
投稿者: s1_9150242 2002/12/31 19:59
メッセージ: 544 / 1810


ここのところずーと「太平洋戦争」を追っかけてきましたが
いよいよもうすぐ2003年 終戦よりこの方 歴史に
おいては短いとも言える間に 朝鮮戦争を始めベトナム戦争
エクゾセ・ミサイルで驚いたフォークランド戦争 中東戦争
まだまだ・・・戦争は止まるところを知りません

私だけかも知れませんが まわりの方は これらを対岸
の火事程度に受け止め そんなに考えていないように・・・
もう戦争はこりごり の気持ちは解りますが現実に起こって
いる今だ生々しい戦争を自分のこととして捉える
そうすることで 各国の考え方や 世界のこれからいこうと
している方向が解ってくると思います 世界の中の日本という
視点を持ちたいですね(自分に) 

「盲人ゾウをさわる?」 のお話どおり部分を理解し全体を見ない
愚を避けるために いつでも大きな目を持ちたいと思います
インターネットは 私達が持てた最強の武器?だと思います
大事に大事にしたいと思います

 おいでくださいました皆様ありがとう!
    よいお年をお迎えください

これは s1_9150242 さんの 543 に対する返信です

こちらこそです。 トピヌシ様
投稿者: crub4o 2002/12/31 20:18
メッセージ: 545 / 1810

>おいでくださいました皆様ありがとう!
    よいお年をお迎えください

午後6時に仕事を終え、家族ですき焼きなど食べました。

昼飯にはおろし蕎麦の大盛りも食ったし。
丁度、NHKの取材班が来てましたよ。
店を出て、車を運転してたら、ラジオの
地方版で、
「年越し蕎麦の支度で大忙しの順化の蕎麦屋では、
開店を待ちきれぬお客がおろし蕎麦に舌鼓を打っていました」
と私の事を報じていました(爆)

ここはホンとに素敵なトピですね。
それもこれも、トピ主様のお人柄ですよ。
私のネット上の知人にも軍カテで参加を
呼びかけました。
来年も宜しくお願いします。

それでは、皆様、よいお年をお迎え下さい。

私は1月3日から仕事です。
また、頑張らなくちゃ・・

これは s1_9150242 さんの 544 に対する返信です

明けまして
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 1 0:52
メッセージ: 546 / 1810


明けましておめでとうございます

今行く年来る年で 太平洋戦争で供出した鐘を復興したお寺が出ていました 60代70代の方が中心になってと 紹介がありました ここで つい最近議論していたことなので その方達の心もちが素直に伝わってきました あと対談で(作家 五木さん) これから日本のよいところ(日本人は気づいていないかも とことわり)をどんどん世界に出していくとよいみたいなお話がありました

今瀬戸内さんも戦争談義をしています 今こそその時なんですね・・・チャンネルは娘により お台場 東京ドーム?に切り替えられてしまいました(笑い

一年の計は・・・と言います よろしく!Ps;crub4oさんレスありがとう!

これは crub4o さんの 545 に対する返信です

新年おめでとうございます
投稿者: dekopon346 2003/ 1/ 1 13:02
メッセージ: 547 / 1810


皆様、今年もよろしくお願いします。

今日はこちらはいい天気になりました。仕事なので大助かりです。

さて
以前hn2602さんが、陸軍の長州閥に対抗する勢力がでてきてから、陸軍が暴走し始めたとする説を紹介しておられたと思います。皇道派と統制派のことですね。(一見思想対立のようですが、実は反長州だったと)

この説については、世界史>参謀本部と軍令部 
で、どなたかが述べられていました。詳しく書いている暇がありませんので、とりあえずご紹介まで。


さあ、また仕事だ・・・。

これは s1_9150242 さんの 546 に対する返信です

元旦ですね
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 1 21:01
メッセージ: 548 / 1810


ご紹介のトビ全部目を(特に統帥権とか皇道派とかはゆっくり)
デコさん(こう呼んでも?)ありがとう エッ!元日仕事ですか
ごくろうさまです 本年もどうぞよろしく

今 金ちゃんの仮装大賞見ています アイディアのすごさにドキッ
としたり 合格した人達の飛び上がって喜ぶ姿に こちらまで
いつしょに笑顔を作っています

・・・どうやら 2.26事件あたりが曲がり角? あの事件で
皇道派が一掃された?そのように読みましたが・・・
私の知っている限りでは 若手将校が娘を身売りしなければ
いけないほど困窮していた農村の窮状 腐敗した政治などに
絶望して決起したとか 映画なんかも見ました 雪の中兵隊
が進むシーンが特別記憶に

いつも違和感を覚えるんですが そういった例え煽動されて
やったとはいえ国を思って立ち上がった若者達に

宮城前 即位式
「今日の大雨に 青年達は朝から濡れているのだ どうして自分
だけが天幕の中に立っていられるか」 といわれた方が

「朕自ら近衛師団を率い 此が鎮圧に当らん」 と

この隔たりを覚えるのは私だけでしょうか

逆になる話ですが 作家の三島さんが自衛隊のビルの上
から 自衛隊員に決起をうながし 自殺したとき テレビ
見ていました あの時も よく似た違和感を感じました

とりとめない文で失礼します

これは dekopon346 さんの 547 に対する返信です

2・26の悲劇
投稿者: annodomini_jp_vol2 (男性/九州) 2003/ 1/ 2 1:43
メッセージ: 549 / 1810


青年将校達は立派だし、純粋だとは思います。従った下士官兵は、彼等の高潔さと純粋な気持に共鳴した、
そんな風に考えても良いと思います。しかし、よくよく考えると、2・26事件は帝・政府の統制下に
あるべき軍の一部が【決起】と称して、帝の近臣および政府の首脳部を殺戮してまわるといふ、
およそ法治国家では有ってはならない暴挙でした。彼等青年将校の言い分に聞くべき部分が有ったとしても、
(殆ど無いと言って良いでしょう。彼等の要求は簡単には天皇…実際は陸軍の独裁体制の確立ですから)
軍を率いる公人が、為して良いことと悪いことの区別がつかない者どもである事には変わりないと思います。

昭和帝の言葉「朕自ら…」には、その前提が有りまして、叛乱鎮圧にあたるべき陸軍内部に
叛乱軍の行動を容認する空気…つまり「決起」と捉える動き…があり、帝都の混乱を静める事に
消極的であったのを見て、叱咤する必要を感じた帝が述べたのが、件の言葉です。それにより
叡慮が明かとなり、陸軍はやっと帝都の騒擾を鎮定すべく行動を開始しました。それまでは、
叛乱軍を「説得する」と称して真崎大将が「激励」に行ったりという訳の解らない状態に陸軍はなっており、
青年将校らは一時は「決起軍」として陸軍に認められ陸軍挙げてのクーデターに発展し得るのでは、
と考えたフシが有りました。しかし、根本を正せば帝・政府に牙を剥くのは亡国の挙に相違なく、
帝の支持は得られなかったといふ事です。彼等青年将校の帝への横恋慕ともいふべき感情は、
帝の冷静な判断には到底通じる訳も無く、私個人は、あの状況で本質を理解し、毅然とした態度を貫いた
昭和帝にはかなり大きな評価を与えて(僭越だけど)も良いと考えています。

帝は仰る通り、清廉で真面目な方でしたが、事の是非を見とおす力を備えていたと言えるかと。

これは s1_9150242 さんの 548 に対する返信です

宇垣一成と東条英機
投稿者: hn2602 2003/ 1/ 2 2:20
メッセージ: 550 / 1810


陸軍長州閥は、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一と続き、田中義一の早世(といっても結構な年ですが)の後、嘱望された宇垣一成が首相になれなかったことが私は、大東亜戦争の一因ではなかったかと思います。宇垣は陸相時代、4個師団軍縮を成し遂げ、その政治的力量や識見は見るべきものがあり期待されましたが、軍縮の被害を受けた陸軍内部の反発も強く、宇垣に大命降下(首相任命)があったとき陸軍は「陸相」(現役武官)を出さず、結局組閣できず宇垣は首相になれませんでした。このとき昭和天皇の口ぞえがあれば陸相問題は解決したといわれています。(宇垣を現役復帰させ陸相兼任させる、陸相の現役制を予備・後備役も認める、天皇が現陸相に重任するよう求めるなど)。昭和天皇は宇垣のような政治的軍人を好まなかったとも、内奏(上奏)に際し宇垣は余り丁寧に報告しなかったからとも言われますが、真相はわかりません。是に対し陛下は東条英機に対しては、正直で好感が持てると感じていた節があります。
 田中義一も高橋是清に高く評価されていたという話があり、満州某重大事件の処理を誤らなかったら戦争への道を防げたかもしれません。

これは dekopon346 さんの 547 に対する返信です

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