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極東軍事裁判について
投稿者: yuki070507 2003/ 1/12 1:07
メッセージ: 651 / 1854


 いろいろご意見をいただきましたが、今回は極東軍事裁判に絞って私の意見を投稿します。

 私が、この裁判を復讐劇だと言った背景には、事後法による法の遡及適用という法治の根本原則を踏み外したのみならず、A級戦犯が起訴されたのが、昭和21年4月29日。
 処刑された日が昭和23年12月23日なのです。

 起訴の日が昭和天皇の誕生日。処刑の日が今上天皇の誕生日です。
 まさか偶然とは言えませんよね。
 極めて悪意に満ちた復讐劇だと思いませんか?

 ところで、戦争に死はつきものです。
 人道に対する罪が適用されるのは、それが非戦闘員である一般市民を無差別あるいは恣意的に大量に虐殺するという行為にあるのではないでしょうか?

 日本軍にあのナチスのユダヤ人やスラブ人虐殺に匹敵する行為はありませんでした。
 それに匹敵するのは、むしろアメリカの無差別爆撃や原爆です。

 彼らは、爆撃の効果を高めるため(より多くの市民を殺傷するために)さまざまな手を用いています。

 私も東條など一部の人間は、罪を問われても仕方ないと思います。
 しかし、それは、連合国が裁くのではなく、日本人が自らの意思と手で裁かねばならなかったと思います。

 その過程で、一体誰が悪かったのか、何が原因だったのかが徹底的に明らかにされるべきだったと思うと、残念な気持ちになります。

 A級、B・C級の戦犯をスケープゴートにして、罪を彼らになすりつけ、何か軍国主義という別の国家が企てたものだったかのごとく平気で彼らを断罪するマスコミ、国民の姿勢はどう思われますか?

これは o_sole_mio00 さんの 646 に対する返信です

極東軍事裁判のいろいろ
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/12 15:13
メッセージ: 652 / 1854


今は映画館完全入れ替え制になり立見はなくなりました 以前は映画終わり頃の途中入場はめずらしくなかった 最後のシーンを見てしまい(たいがい終わりの頃に山があります それに向かって始めから見ていく どーしてあのようなラストシーンを迎えるのか ・・こういう映画の見方したことはありませんか

太平洋戦争を考える時 真珠湾から始まる順な道筋と最後に来る東京裁判(極東裁判)を逆から辿ることは私のやりたかったことです 順な道筋の方は山本長官機撃墜の1歩手前で止まっています これから後は悲惨なものが多くどうしても手が進みません しかし少しずつ前へ進んでいこうと思います 逆道は正月前参考書山と積んで このトビでも少しやりました さて


>A級、B・C級の戦犯をスケープゴートにして、罪を彼らになすりつけ、何か軍国主義という別の国家が企てたものだったかのごとく平気で彼らを断罪するマスコミ、国民の姿勢はどう思われますか?


米国はオリンピック作戦を遂行すると多大の人的被害が出ることを計算しその犠牲数を広島・長崎の非戦闘員殺傷に置き換えた訳です さすがにその被害の大きさに戦後やっきとなってラジオ放送などで 戦争の真実はこうだ・・と繰り返し放送し 悪いのは戦争に駆り立てた軍部であり かわいそうな日本国民を救う為 無謀な軍部を叩き潰す為やむをえず原子爆弾を使った・・とその責任を巧みにすり替えたと思います

清瀬弁護人は「米国が仕掛け人であり 日本は受けて立たざるを得なかった」と立証しようとされた 中央特情部(日本暗号解読班)が開戦時 国民政府駐米武官が蒋介石政府宛の暗号電報を解読し 米が対日戦を決意しいろいろ誘い出しをおこなっている・・・との暗号解読電文を捜したことは知られています 特情部は暗号に携わったものは米軍に処刑されるとの風聞を聞き 書類全て焼き払い各地に隠遁されたそうです もしこの時の電文が残っていれば 正義の戦いと叫ぶ米国の世界に対する信頼は一挙に崩れ去ったであろうと思います

で上記の私の答えは米の周到な宣伝を信じることしかできなかった マスコミ 国民の姿勢は仕方のないことであったと思います

以上思ったままに(・・・ふ〜)
・・・これ最終の答えではありません 中間報告とでも なぜなら答えが出せたときは このトピが終了する時ですからね(笑い

これは yuki070507 さんの 651 に対する返信です

開戦責任
投稿者: hn2602 2003/ 1/12 19:08
メッセージ: 653 / 1854


昔、私の親族が正月か何かの折に集まって酒を飲んで話をした時に、戦争(勿論大東亜戦争・太平洋戦争のことです)の話が出て、開戦が避けられたか否かについて議論があり、結論はアメリカが欧州との絡みで裏口からの対独参戦を考えて日本を追い込んでいた以上、個々人の努力ではどうにもならなかっただろう、つまり昭和16年の時点では対米英戦争は日本側の努力では止められなかっただろうとの結論でした。勿論対中戦争については別問題ですが。〔30年以上前の話です。)
 結局アメリカが天皇制を残したのも。このあたりが後ろめたかったのでしょう。ただFDRはどうも反日・親中の傾向があり彼がもう少し長生きしたらどうなっていたかわかりませんが。

これは s1_9150242 さんの 652 に対する返信です

30年以上前の話
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/12 20:21
メッセージ: 654 / 1854


hn2602さんレスありがとう

・・・昔、私の親族が

こういうお話はいいですね「耳学」って言いませんでしたか 戦争はやろうとする強固な勢力の前にはいくら努力してもダメな事は歴史が・・家康の大阪城攻めにいたるまでのやり方は豊臣方に同情を禁じ得ません また 欧州でのヒットラーが少しずつ条約を破っていく時も回りの国の事なかれ主義がずいぶんと助けています イラクも今多くの平和を望む声に反して きな臭くなってきています こんなに大きな犠牲の上に立っても戦争をやめる事のできない人間って国家って何でしょう 冷戦時の東西二大勢力の方が 戦争の抑止力を保てたのかもなんて思ったりするこの頃です(これは間違いかもなー) 

これは hn2602 さんの 653 に対する返信です

開戦責任の帰属は?
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/12 22:24
メッセージ: 655 / 1854


私がここで、戦争責任を語る場合、戦線の拡大、日米開戦のアカンタビリティーを述べたものです。極東軍事裁判が仮に意趣返しであったとしても、アカンタビリティーがなくなることがありません。

>私が、この裁判を復讐劇だと言った背景には、事後法による法の遡及適用と
>いう法治の根本原則を踏み外したのみならず、A級戦犯が起訴されたのが、
>昭和21年4月29日。処刑された日が昭和23年12月23日なのです。

繰り返しになりますが、仰られたことが事実であったとしても、いわゆるA級戦犯が、開戦のアカンタビリティーから逃れられることはできないと考えています。

その背景はMsg646に述べた通りです。

>A級、B・C級の戦犯をスケープゴートにして、罪を彼らになすりつけ、
>何か軍国主義という別の国家が企てたものだったかのごとく平気で彼ら
>を断罪するマスコミ、国民の姿勢はどう思われますか?

マスコミや国民は戦時統制を受けていたため、自由や情報が制限されていました。しかしながら責任が皆無かというとそうではないと思います。 ただし、戦争に関するアカンタビリティーの大きさは、東條ら指導者とは比較にならないぐらい小さいでしょう。

>私も東條など一部の人間は、罪を問われても仕方ないと思います。
>しかし、それは、連合国が裁くのではなく、日本人が自らの意思と手で
>裁かねばならなかったと思います。

理想的に言えば、そうかもしれませんが、日本人のメンタリティーでは、当時の人間が責任を追及することは難しかったでしょう。結論として「皆が少しずつ悪かった」ということになったと思います。

もっとも、日本は無条件降伏を受け入れたのですから、このような不合理を押し付けられることは、覚悟の上だったのではないでしょうか。「戦争には死がつきもの」ですが、「勝者と敗者の間にも不合理がつきもの」だと思います。

私は、冷戦体制という僥倖(?)に救われた感がありますが、60年代の日本の驚異的な経済成長を見ますと敗戦後の日本の扱いは、結果論にはなりますが日本国民もとっては、必ずしも苛酷なものではなかったと思います。

これは yuki070507 さんの 651 に対する返信です

開戦責任は結局
投稿者: hn2602 2003/ 1/12 22:45
メッセージ: 656 / 1854


軍部の責任者以外に取らせるとしたら、やはり開戦時の政府当局者が取らざるを得ないのではないでしょうか?政治責任のほかどうしても人身御供的なニュアンスが伴いますので、後日靖国神社に祭ることにはなると思います。もう一つ天皇の戦争責任を論じなければならないのですが、旧憲法上は天皇は免責されており、輔弼の大臣の責に帰せられますが、或いは退位が必要だったかも知れません。ただ戦後の共産化を防ぐ必要上、アメリカ及び日本政府が退位を許さなかったのかも知れません。

これは o_sole_mio00 さんの 655 に対する返信です

>開戦責任は結局
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/12 23:29
メッセージ: 657 / 1854


hn2602さん、こんばんは、早速のレスありがとうございます。

>軍部の責任者以外に取らせるとしたら、やはり開戦時の政府当局者が取らざる
>を得ないのではないでしょうか?

原則的に仰るとおりだと思います。中国戦線の拡大の意思決定〜開戦時の首相、外相、陸相、海相は、開戦に関するアカンタビリティーを有していると思います。

ここで、アカンタビリティーとレスポンシビリティーですが、どちらも日本語では一般的に「責任」と訳されますが、アカンタビリティーは特に「説明責任」とも訳され、地位や職務に付与された責任という意味合いで、具体的な行為に対する責任がレスポンシビリティーだと認識していただければよいと思います。アカンタビリティーがレスポンシビリティーの上位に位置するものです。

>旧憲法上は天皇は免責されており、輔弼の大臣の責に帰せられますが、
>或いは退位が必要だったかも知れません。

昭和天皇の開戦責任については議論の分かれるところでありますが、開戦の詔勅を出したり、御前会議に立ち会っていることから形式的には関与しているといえますが、イギリス型立憲君主国としての原理である「君臨すれども統治せず」を遵守しているという前提で、免責が妥当かと思います。GHQと当時の政府が退位を望んでいなかったのであれば、引き続きその地位を維持することで問題ないと思います。

これは hn2602 さんの 656 に対する返信です

陸軍の機械化は
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/13 2:32
メッセージ: 658 / 1854

 さて正月気分もそろそろ抜けてきましたが これからは新年会が待っています 景気もこんなんではあんまり盛り上がらないかも知れません

 ちょっと話題が違いますが 日露戦争203高地の映画なんか見ますと 露兵が機関銃を撃ちまくっているシーンがあります あの戦いは正にこの機関銃が物を言ったと しかるに 太平洋戦争まで相当な時間があったのに 38歩兵銃?(しかも非常に重かったと)米軍は自動小銃で全面30メートルの幅を1人で守れたとか 狙って撃つというより全面に弾幕を張るやり方(海軍の射撃と同じ)で日本軍はこれを突破できなかったと・・プラモなんかで見ても戦車なんか日本のは砲身が非常に短い 米のシャーマン?なんかすごく長くてスマートですね 海軍に比べ陸軍は兵器の研究が遅れていたんでしょうか 広大な中国大陸で戦っていた割に不思議に思います 独の機械化部隊の活躍からみて差がありすぎるとは思いませんか 軍刀より自動小銃だと(日本にはまだなかったんでしょうか?・・ 

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>>
投稿者: marujee 2003/ 1/13 11:03
メッセージ: 659 / 1854


>中国戦線の拡大の意思決定〜開戦時の首相、外相、陸相、海相は、開戦に関するアカンタビリティーを有していると思います。

日本人だけでも300万人は死んだのですから当然そうだと私も思います。しかし、山一證券の倒産の最後の社長のように何とか努力したが?がやっぱりどうしようもなかったということはあります。これを当事者だけの責任とするのは少し酷です。このほか連合国側は日本は追い詰められて開戦に踏み切ったのに、ナチと同じように日本も共同謀議して開戦につなげたと解釈し、この理由で有罪としている点は残念です。平和に対する罪・・・1.共同謀議に関する罪
戦争の原因は喧嘩と同じで片方だけが一方的に悪いというものではありません。両方の言い分を明らかにし何が悪かったのか検討しないと後日の参考にはなりません。この点を清瀬弁護人、東條自身も(彼も日本のやり方が正しかったとは言っていません)主張していたが取り上げられませんでした・・・もちろん、勝者の論理が通るのは世の常ですから仕方ありませんが・・・。

これは o_sole_mio00 さんの 657 に対する返信です

>陸軍の機械化は その@
投稿者: crub4o 2003/ 1/13 11:06
メッセージ: 660 / 1854


言葉の定義
<小銃>
通常装薬を用いて、相当長射程を狙撃する目的で開発された小銃。 
38式歩兵銃やモーゼル小銃などは、5発単列組弾丸を弾倉に収納し、ボルトアクション装填で単発発射する。 一方、米軍のガーランドライフルは、8発千鳥組(複列)弾丸を弾倉に収納し、発射する毎に自動的に薬莢が排出され、次弾が自動的に装填される。 
つまり、相手に狙いをつける姿勢だけで他の動作をせずに引き金を次々に引くだけで、8回連続発射でき、弾切れになると、8発千鳥組弾丸の保持帯は自動的に下に落下する仕組みになっている。
これを半自動小銃と言います。
朝鮮戦争の時には、凍てついた戦場に落ちた保持帯のカーンと言う音を合図に、弾切れを察知した中国軍が突撃してきたそうです。
自動小銃とは10発、20発の弾倉を持ち、引き金を引いたままだと、次々に弾丸が自動的に発射される小銃を指します。 小銃の発射反動は非常に強烈なので(発射装薬が多いため)、実際に全自動で小銃を射撃する事は、狙いがつけにくく、歩兵にとっては弾薬の浪費にもつながり、あまり適した武器とは言いにくいと思います。
「砲艦サンパブロ」でスティーブ・マックィーンが使っていたのが、この自動小銃です。
この映画の背景は1920年代(?)で、また1930年代を描くアメリカのギャング映画にも良く登場しますが、いかにも反動がきつそうに描写されています。
自動小銃は、どちらかと言うと、「軽機関銃」に近い武器です。

<機関銃>
英語でマシンガンと表記するこの銃は、軽機関銃と重機関銃に大別されます、
軽機関銃は、歩兵分隊や小隊の支援火器として使用され、弾丸は基本的に小銃のそれと一緒です。 つまり通常装薬を用いて長射程(300m以上)の目標を連続射撃します。
弾倉は20発〜30発タイプが多いのですが、日本軍はここでも遅れており、小銃のバラ弾丸をホッパーに詰め込んで発射するタイプが多用されていました。 当然、戦場では故障続出で、次に30発弾倉型が開発されますが、それも中国戦線ではチェコ製の軽機関銃とは性能に差がありました。 
重機関銃は、より人数の多い部隊への全般支援を意図したものであり、第一次大戦時には連続射撃の為に、銃身を水で冷やすタイプが主流だったのですが、文字通り重過ぎて扱い難い為に、放熱被筒をつけて空気で銃身を冷ますタイプが増えてきました。
機関銃の特色は、連続射撃による銃身過熱に備えて、予め予備銃身が用意されており、交換しながら撃てる様になっている事です。
一方、ドイツ軍は、MG34・42と言う汎用機関銃を大量生産しました。
これは、2脚架をつけると軽機関銃になり、3脚架や照準具をつけると重機関銃になると言う超優れ物であり、生産性も発射速度も非常に優秀でした。 発射速度は最高毎分1500発(毎秒25発!)もあり、連合軍からは鬼の様に憎悪されたそうです。
最大の欠点はその長所の裏返しであり、大量に弾丸を消費する為に、補給が付かなくなると部隊全部の戦闘力ががた落ちすると言う事です。
ドイツ軍はこの汎用機関銃を中心に歩兵部隊を組み立て、機関銃手以外の歩兵は弾運び人夫の役割を負っていました。 第2次大戦時にドイツ陸軍が異様なほど近代的に見えた理由の一つはこの機関銃の使用法にあると何かの本に書いてありました。

これは s1_9150242 さんの 658 に対する返信です

>陸軍の機械化は そのA
投稿者: crub4o 2003/ 1/13 11:08
メッセージ: 661 / 1854

<機関短銃>
俗に「短機関銃」ともサブマシンガンとも言いますが、「マシンピストル」の正確な訳をすると、「機関短銃」が正しいかと思います。 文字通り、連続してうてる短銃(ピストル)です。
ピストルと同じ量の装薬を用い、比較的短い射程を意図し、その代わり発射の反動が少なく、歩兵にとって接近戦の時は扱い易い武器です。 反面、装薬量が少ない為、威力に欠ける欠点があります。 ドイツ軍が大量に保有していたのがこのマシンピストルです。
映画「アンタッチャブル」でFBIやギャングが多用して派手に撃ちまくっている銃こそこのマシンピストルです。 弾倉としては、30発から最高71発まであります。
フィンランド軍は71発ドラム弾倉のマシンピストルで赤軍を散々な目に合わせ、痛い目に合った赤軍はそれを自軍に採用しました。 敗戦時に日本人が呼んだ「マンドリン」がそれです。
ドイツ軍のマシンピストルは、引き金の引き方で、単発・点射(3〜4発連射)・連続射の3つの撃ち方ができました。

<突撃銃>
ドイツ軍が開発した現代の軍隊が主流とする武器の元祖です。
発射装薬の量を、小銃とピストルの中間位にして、発射反動を減らし、同時に携行できる弾薬量を増加させ、必要な時には長射程を単発狙撃し、中射程の時は点射し、接近戦の時には大量の弾丸をばら撒けるようにした大変な優れ物の武器です。
この銃を発展させた米軍は、ベトナム戦争時に一人当たり350発もの弾丸を携行させる事が可能になったそうです。 第2次大戦時の日本軍一人当たりの携行弾薬量と比較すると、実に3倍になります。

結論から言えば、近代的大量生産能力に不足していた旧日本軍には、大量の弾薬を補給する能力も金も意思も無かったと言う事です。
弾の不足は「精神力と一銭5厘の命で補え」と言う思想ですね。
「必要な時に撃ちまくる」事の重要性を力説した兵器開発者は日本にもいましたが、「弾が勿体無い」の一言でその基本思想は退けられ、そういった兵器の開発は等閑視されたのが実状です。

これは crub4o さんの 660 に対する返信です

スミマセン
投稿者: marujee 2003/ 1/13 11:09
メッセージ: 662 / 1854


タイトルをつけようとしてミス操作しました。msg659のタイトルは

>>開戦の責任は結局

です

これは marujee さんの 659 に対する返信です

もしご存知でしたら・・・>クラブさん
投稿者: marujee 2003/ 1/13 11:50
メッセージ: 663 / 1854


銃に関する情報、とても興味を持って読ませてもらいました。有難うございました。
ところで今までチョット疑問に思っていたことを教えてください。

@正月にバンドブラザーズのビデオを見たのですがドイツのスナイバーがボルト式装填の小銃にスコープをつけて撃っていました。あれを見てドイツも遅れていたのかと思ったのですが命中精度を上げるためには単発の銃のほうが良いからなのでしょうか? それとも単に古くても慣れている銃を・・・ということなのでしょうか?
A日本の歩兵は通常の装備では何発持っていたのでしょうか? 例のバンドの前に着けていた弾入れ(30発? 60発?)
B38銃の弾は機関銃と互換できたのですか?

これは crub4o さんの 661 に対する返信です

陸軍は・・・
投稿者: marujee 2003/ 1/13 12:03
メッセージ: 664 / 1854


>海軍に比べ陸軍は兵器の研究が遅れていたんでしょうか 

大体海軍の使う金と陸軍の使う金が同じだから自然に陸軍のほうが頭数が多いだけ武器の開発に回す金が少なかったのではありませんか?

そのせいか陸軍の教育は「尚武の国は豊かな国に勝つ」の精神主義でやりぬこうとしたのか白兵戦、銃剣突撃を強調しすぎましたなぁ。

これは s1_9150242 さんの 658 に対する返信です

男子の本懐
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/13 12:12
メッセージ: 665 / 1854


marujeeさん、レスありがとうございます。

>これを当事者だけの責任とするのは少し酷です。

そうなんですよね。組織のトップにいるだけで、その責めを負うということについては、心情的には私にも抵抗はないわけではありません。しかし、よきにつけ悪きにつけアメリカナイズされている現代の国際社会において、組織のトップがその責めを負うことは一般的なことです。私は、以前にも述べましたが、私あるいは私を含む組織が世界に出て行くときに、どのように対応すべきかを勉強するための題材として、太平洋戦争や東アジア戦争を見ています。
昭和の初期に首相を務めた浜口雄幸は、昭和恐慌の処置として、金解禁や軍縮の処置を断行し、右翼テロで重傷を負い、そのときの傷がもとで命を落としました。彼は、暴漢に襲われた時「男子の本懐だ」と言ったと言われております。浜口のように一命を賭して立ち向かった人物もいるのですから、心情的には酷かもしれませんが、敢えてその責めを追求すべきだと思います。

>戦争の原因は喧嘩と同じで片方だけが一方的に悪いというものではありません。
>両方の言い分を明らかにし何が悪かったのか検討しないと後日の参考にはなり
>ません。

真実を検証するという点では東京裁判は余り意味をなしませんが、日本が無条件降伏し、サンフランシスコ講和会議で国際社会に復帰するための通過儀礼という点で、その存在はやむを得ないものと思います。
たしかに真実を検証するときには、いろいろな側の主張を吟味することが必要です。従って今後真実の検証を行う場合は、関わりあった国の政府、研究者が共同で検証し、お互いに持っている資料・情報は包み隠さず提供することが重要だと考えます。としても真実に近づくにはいろいろと困難がつきまとうと思います。

これは marujee さんの 659 に対する返信で

>疑問
投稿者: crub4o 2003/ 1/13 12:39
メッセージ: 666 / 1854


@ボルトアクション小銃の最大の短所は、その排莢次弾装填動作の為に手間が取られる事ですが、戦時中の日本映画「土と兵隊」で例の38式を撃ちまくっている日本兵の姿勢を観ると、照準をピタリ合わせたまま、ボルトを操作していました。 この映画は戦闘シーン撮影の為に実際の兵士の実弾射撃を再現させたらしいので、目的が狙撃ならボルトアクションで何の問題も無いと思いますし、経済面からも高価な連発銃は必要ないでしょう。

A戦闘行軍での所持弾薬数は120発です。 30発入り(5発挿弾子*6組)弾薬盒を
 革帯の前部左右に1箱ずつで計60発、革帯後部に60発弾薬盒を1箱で合計120発となります。 休止の時は、この後部弾薬盒が邪魔で寝転がると痛かったでしょうね。

B前述のホッパー型弾倉になら互換できました。 もともとその目的も兼ねて、そう言う弾倉にしたのでしょうね。 先ほどの「土と兵隊」の中にその発射シーンが登場します。 5発組弾薬を装填し、撃つとすぐ無くなっちゃいます。 ハッキリ言って貧乏くさい発想ですね。
 一方、重機関銃の30発保弾板方式は貧乏な日本軍に適合した型式ですね。
 発射速度が遅い代わりに、照準が極めて正確になり、銃身の消耗も防止でき、それでいて機関銃本来の役割はある程度果たせるのですから。 しかし、その弾薬も限られていたのですから、はっきり言って処置無しです。

これは marujee さんの 663 に対する返信です

非常に乱暴なたとえですが
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/13 14:00
メッセージ: 667 / 1854


441でみなさんに笑っていただいた「日本=浅野内匠頭」論(爆)の続きといいますか。

日本を、個人とした場合、その犯した罪をどう表現するか。連合国側からすれば「殺人罪」にしたい、だが日本に「殺意」があったか?「計画性」などなかったのではないのか?ここのところが東京裁判で問題だったのではないでしょうか?


カッとなって思わず手が出てしまったけど、そのあとどうするか、どうなるかについてはほとんど(全然か?)考えていなかったのではないでしょうか。

それに、手を出させた側も、客観的に見て全く問題がないとはいえない。つまり吉良上野が「この田舎侍」と言ったことのように、キレさせた責任というものもある・・・。

などと考えていると、「殺人罪」じゃなく「傷害致死罪」での立件が妥当かな、と思ってしまうのは私だけでしょうか?
浅野内匠頭の場合、「ご乱心」すなわち今で言う心神耗弱状態で、だから切腹だったと私は解釈しています。これがはっきり殺意を持って襲い掛かっていたら、もっときびしい処分(武士としての礼遇を停止された死刑)だったのではないかと。

日本も、戦後の米ソ対立という構造のせいとはいえ、あの程度ですんだのならまだよかったのかな、と考えています。


いささか乱文ですが、お笑いということでご容赦ください。

これは crub4o さんの 666 に対する返信です

どこでキレたか
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/13 14:53
メッセージ: 668 / 1854


「日本はハルノートで無理難題をつきつけられて、止む無く開戦に踏み切った。」とよく言われますが、時間的な矛盾があります。
ハルノートが手交されたのが1941年11月26日、真珠湾攻撃機動部隊がヒトカップ湾を出撃したのが同日、時差があるため、機動部隊が出撃したほうがハルノートが手交された時刻より早いことになります。また、機動部隊の飛行隊は、桜島を真珠湾に見立てて猛訓練を積んだと言われていますので、真珠湾の奇襲に関して言えば用意周到なものと言えます。
ことハルノートに関して言えば「日米開戦止む無し」との認識で受け取り、「やっぱりな」といった感覚だったのではないかと思います。
しかし、「日米開戦止む無し」の結論に至ったのはやはり、感情的にキレさせられた部分があったのではないかと思います。
では、どこでキレたのか?思うに1941年8月1日からの対日石油輸出前面禁止措置だったのではないかと思います。兵糧攻めにされた(日本史上かつてなかったのではないでしょうか)ことで、追い詰められた気分になり、対米開戦に一気に傾いたような気がします。
そう言えば、北朝鮮も1994年の合意事項に違反し、重油の輸出が凍結されていますが、それ以降言動がエスカレートしています。キレてしまったのでしょうか、キレたふりをしているのでしょうか。

これは dekopon346 さんの 667 に対する返信です

>開戦責任の帰属は?
投稿者: yuki070507 2003/ 1/13 19:03
メッセージ: 669 / 1854


 昨日から家族で出かけておりましたので、レスが遅くなりました。
 o_sole_mio00さんのご意見に対するというより、私の考えを簡単に述べておきます。
 もう話題が移ってるようなので、この件は無視して頂いても結構です。

 私は、極東軍事裁判はけしからんということを言いたいのではないのです。
 あの裁判は、戦勝国が自分らの基準で敗戦国を裁いた。それも悪意や恣意を持って・・・。
 したがって、決して日本の為にしたものじゃない。あれで戦争責任や敗戦原因を含む一切の戦後処理が一件落着と思うのは大きな誤りだということを言いたかったのです。

 東條はともかく、松井、本間、山下、武藤などの諸将に戦争責任を問うのは、日本人の目からすればおかしいです。
 日本人の目で見れば、彼ら以上に裁かれるべき人間がいるはずです。

 あの戦争に全体を貫く青写真がなかったのなら、個々の局面で日本を追い込んでいった者、あるいは無謀な作戦や自己の栄達のために多くの将兵を死に至らしめたり、外国の反撃を招いた者を裁かねばならなかったと思います。

 また、あの時代、マスコミや国民は、軍部を煽り、追い込んだのです。戦時統制などは、はるか後のことです。

 日本人の手で裁くとなれば、徹底した原因究明と結果分析が必要です。
 そうした過程を経てこそ、日本人の体質、欠点等が浮き彫りにされ、戦後を生き抜く我々日本人に対する大きな教訓となったのではないかと思い、残念なのです。

 日本の戦後は、きちんとした戦後処理が為されぬまま、東西対立や朝鮮戦争の影響により、米国の占領政策もゆるやかなものとなりました。
 もちろん国民の努力もあって、世界第2の経済大国にのし上がったのです。

 日本人と日本社会には、すぐれた長所と欠点の両方あると思います。
 明治維新と戦後は、この日本人の長所を最大限に生かすことができました。
 しかし、昭和の始めと現代は、日本人の欠点が前面に出ています。

 民族性と言ってしまえば、日本人はこれからも未来永劫、繁栄と破局を繰り返すのでしょうか?
 私には、戦後、日本人が自らの欠点を反省し、是正するせっかくのチャンスを見逃してしまったと思います。

 それもあの大戦で亡くなった多くの方々の犠牲の下にです。
 その犠牲は、後世に生かされなかった。ではすませたくないという思いです。

これは o_sole_mio00 さんの 655 に対する返信です

陸軍の遅れは
投稿者: yuki070507 2003/ 1/13 20:09
メッセージ: 670 / 1854

 陸軍の近代化の遅れは、一にも二にも日華事変(この場合は日中戦争と言ったほうが適切でしょうね)のせいだと思います。

 あの日中戦争に要した戦費と犠牲者は、半端ではありません。(ごめんなさいね。戦費がいくらで戦死者や戦病死者がどのくらいかなどすぐわかるのですが、めんどうくさいのでカットします)

 陸軍と海軍が予算を6分4分とか、5分5分とか言われますが、陸軍の予算の大部分は日中戦争の為に費やされたのです。

 すなわち、師団の大増強、軍需物資調達などの戦費調達費用そして戦死者・戦病死者への弔慰金などに消えたのです。

 日本の国力を考えれば、日中戦争を戦いながら太平洋戦争を戦うなど、土台無理だったのですよ。
 太平洋戦争の原因にもなった日中戦争です。一にも二にも日中戦争を終わらせることが当時の最優先の国益だったんです。

 ところで、不評の三八式歩兵銃ですが、仮に日本の国力で、自動小銃など装備したところで、きっと補給が続かなかったでしょうね。
 三八式歩兵銃で丁度良かったんじゃないでしょうか?

これは s1_9150242 さんの 658 に対する返信です

それはないでしょう>オソレさん
投稿者: marujee 2003/ 1/13 22:43
メッセージ: 671 / 1854


>「日本はハルノートで無理難題をつきつけられて、止む無く開戦に踏み切った。」とよく言われますが、時間的な矛盾があります。・・・・・1941年8月1日からの対日石油輸出前面禁止措置だったのではないかと思います。

オソレさんの説は一部そう思った人がいたかもしれないが日本としての開戦に踏切ったのはやはりハルノート以降だ思います。もしオソレさんの説が正しいのなら

@9/6の御前会議で決めた外交を重視(期限10/15)し開戦の準備をすると決定した
A10/18近衛解散、東條内閣組閣
B11/4陸海軍合同軍事参議官会議(天皇臨席)日米交渉決裂の時の戦争を準備しながら外交交渉を続ける事を改めて決定したこと(期限11/30)正式には翌日の11/5御前会議にて決定
C8月以降の野村大使の交渉、来栖特使の派遣(11/4〜)甲案、乙案による日米交渉
D12/1?開戦を決定した夜東條の妻は寝室で号泣する夫を見た…

これらは何だったのだ?ということになります。まさかアメリカを欺く(除くD)ためではないはずです。この時までは真剣に外交交渉を考えていたはずです。

ハルノート(11/26…米)を見てこれは駄目だと思ったのは中国からの撤退には満州を含むものと日本側は解釈したためでしょう。(ハルは春までの交渉では満州を除くだったので当然そうだと考えていた)満州は10万の英霊と20億の軍費を犠牲にし、その後もかなりの投資をしたところなのでここからの撤退はひどいと考えたのです。

例の東京裁判で陸軍の内情暴露した田中隆吉(開戦時兵務局長)が満州は入っていなかったのか? と言ったというのをどこかで見たことがあります。

これは o_sole_mio00 さんの 668 に対する返信です

門外漢で恐縮ですが…
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/13 22:48
メッセージ: 672 / 1854

私は歩兵の装備などには本当に疎いのですが…

誰でしたか、サイパン陥落の後、こう語った陸軍将校は?
「今度のサイパン戦で、我が陸軍の装備が本当にお粗末だという事が分かった。しかし、もう遅い…」と。

ところで、私が知る限りでは、海軍の落下傘部隊である横須賀鎮守府第一特別陸戦隊(横一特)には、「ベルグマン短銃」と呼ばれる自動小銃が装備されていたとか…。
これは、ドイツ製か、もしくはドイツのライセンスで日本国内で生産されたものか、ちょっと今分からず、すみません…。

これは s1_9150242 さんの 658 に対する返信です

>>開戦責任の帰属は?
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/13 22:59
メッセージ: 673 / 1854


yuki070507さん、こんばんは
連休中お忙しいところ、お考えをご教示頂きありがとうございます。

>あれで戦争責任や敗戦原因を含む一切の戦後処理が一件落着と思うのは
>大きな誤りだということを言いたかったのです。

日本人が自ら戦争を総括するという点においては仰る通りと思います。

>東條はともかく、松井、本間、山下、武藤などの諸将に戦争責任を問うのは、
>日本人の目からすればおかしいです。

松井以下の諸将が全く関係なかったといえないと思います。もちろん、死刑が妥当かどうかは議論が残りますが。例えば武藤章は、上司の石原莞爾の命に背いて大陸での戦線拡大を推進した人物です。ただし、その石原も満州事変では同じようなことをやったため、決して責任がなかったとはいえません。
ただし、仰ることは決して理解できないこともありませんので、日本人の目=yuki070507さんの目と置き換えて承りました。

>また、あの時代、マスコミや国民は、軍部を煽り、追い込んだのです。
>戦時統制などは、はるか後のことです。

軍とマスコミの関係をMsg574に投稿しております。1930年以降軍はにマスコミに対して統制を強めていきますが、それ以前に国民とマスコミが軍を煽っているという解釈でよろしいでしょうか。

>日本人の手で裁くとなれば、徹底した原因究明と結果分析が必要です。
>そうした過程を経てこそ、日本人の体質、欠点等が浮き彫りにされ、
>戦後を生き抜く我々日本人に対する大きな教訓となったのではないかと
>思い、残念なのです。

当時の人たちでは、持っている情報も制限されていたでしょうし(例えば政府や軍部の資料も今ほど公開されたかというと疑問です。)、また、直接裁く人間も少なからず当時の体制に関わった人たちでしょうから(まさか日本共産党員に裁かせるわけにもいかないでしょうから)、結局は責任の主体を浮き彫りにすることができず、結局第三者(=連合国)が裁きゃなきゃ何もできない、という政府スキャンダルの究明させても結論は霧の中、外圧によってことが動くという現在の日本の状況を彷彿とさせる結果になったのではないかと思います。
むしろ多くの情報を持ち、またグローバル化により日本人の思考、日本式システムの問題点を認識し始めた現代の人間が、裁くというのではなく、分析することによって太平洋戦争、東アジア戦争が、未来の日本への教訓となるのではないでしょうか。

これは yuki070507 さんの 669 に対する返信です

突っ込みありがとうございます
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/13 23:19
メッセージ: 674 / 1854


キレる=衝動的になるということから、どこで衝動的に戦争に向けての準備を始めたか、という観点で組み立てました。基本的には和戦両方だったのだと私も思っております。ハルノートを手交される前に機動部隊は出撃したものの、いざとなれば引き返せばよいわけですから。そこまで衝動的に日米開戦に突き進んでいたわけではない、ということですね。

先の説の根拠にならない根拠ですが、2年前の番組で大本営の参謀、戦後伊藤忠の会長を歴任された瀬島龍三さんがテレビ出演され、日米開戦の原因について聞かれ、例の石油禁輸を挙げられていましたので、それも頭に残っておりました。

もっとも和戦は独立して準備は行われたでしょうから、外交で解決の目処が立ったとしてもその気になった軍部(特に陸軍)が、9/6や11/5の御前会議の決定を反故にするなんてこともありではないかとも考えるのですが、そこまで軍部は酷くなかったということでしょうか。

これは marujee さんの 671 に対する返信です

o_sole_mio00様
投稿者: crub4o 2003/ 1/13 23:21
メッセージ: 675 / 1854


>裁くというのではなく、分析することによって太平洋戦争、東アジア戦争が、未来の日本への教訓となるのではないでしょうか

この件りは諸手を挙げて賛成します。

が・・

>むしろ多くの情報を持ち、またグローバル化により日本人の思考、日本式システムの問題点を認識し始めた現代の人間が、

「グローバル化」により、本当に日本人は日本式システムの問題点を認識し始めたのでしょうか?
o_sole_mio00様はよく大企業の例を挙げられますが、生産量はともかく従事している人数から行くと、日本の底辺は中小零細企業が占めていますでしょう。
よくインターネットの事も例示されますが、それでも先の戦争の実態を信じられないほど曲解してる人が多いなと言う気がしますが・・
いかがなものでしょうか?

これは o_sole_mio00 さんの 673 に対する返信です

お詫びと訂正
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/13 23:28
メッセージ: 676 / 1854

yuki070507さんへの返答で

>松井以下の諸将が全く関係なかったといえないと思います。もちろん、
>死刑が妥当かどうかは議論が残りますが。例えば武藤章は、上司の
>石原莞爾の命に背いて大陸での戦線拡大を推進した人物です。ただし、
>その石原も満州事変では同じようなことをやったため、決して責任が
>なかったとはいえません

と発言しましたが、以前に「A級戦犯の責任はアカンタビリティーに基づく」と記載しておきながら、武藤章についてはレスポンシビリティーに該当する責任です。

従いまして

>ただし、仰ることは決して理解できないこともありませんので、
>日本人の目=yuki070507さんの目と置き換えて承りました。

は撤回致します。失礼の儀ご容赦下さい。

これは o_sole_mio00 さんの 673 に対する返信です

本当の気持ち
投稿者: crub4o 2003/ 1/13 23:31
メッセージ: 677 / 1854


>もっとも和戦は独立して準備は行われたでしょうから、外交で解決の目処が立ったとしてもその気になった軍部(特に陸軍)が、9/6や11/5の御前会議の決定を反故にするなんてこともありではないかとも考えるのですが、そこまで軍部は酷くなかったということでしょうか。

五味川順平さんの「御前会議」を読むと、
大本営の戦争指導班が、近衛総理が言及したFDRとの頂上会談についてコメントしている件がでてきます。

「戦争やめにしないかな・・」と言う
戦力格差を夜郎自大だけでは解決できない事を内心認めている弱気の見解が
日誌として紹介されていますね。

これは o_sole_mio00 さんの 674 に対する返信です

crub4o様
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/14 0:03
メッセージ: 678 / 1854

ご指摘の点につき、私の考えを申し述べたいと思います。

グローバル化により日本式システムの問題点を見出した日本人は確実に増加していると思います。
意識して大企業を上げているわけではなく、「官」のアンチテーゼとして例示していたのですが、多くの大企業がグローバル化の取り組みを行っていること、その取り組みやトップの発言が情報として入手しやすいことが大きな理由とご理解下さい。
また、いわゆるベンチャー企業はいうに及ばず中小企業と言われる企業の中にもその技術力やITの活用により、世界的なシェアを持っている企業も数多くあり、そういった企業も海外を知ることににより、日本の抱えている矛盾を認識していると思います。企業の規模というよりは「官」と「民」の取り組みの違いを強調したかったのが本意であります。そして「民」の取り組みはより広範囲になっており、またそういった成功体験を共有化することにより、このような認識をより広範囲なものにすることは可能であると思います。
インターネットの利点として、情報をたやすく取り出せることが出来る点がありますが、反面その情報は玉石混交であり、その情報の取捨選択ができる知識と周辺情報を持ち合わせていなければ正確な判断はできないと思います。私が心がけていることは、1つの情報を得た場合、サポートする情報が他のサイトにないかを確認すること、別のメディアで確認することなどです。
私も先の2,3の投稿で浅才薄学振りを露呈しており、判断を誤らないよう自戒、精進したいと思う次第であります。

そういう意味では、yukiさんのご意見、marujeeさんのご指摘、crub4oさんのご質問、いずれも自分の頭の中を整理し、矛盾点を確認するのに参考となりました。
今後ともよろしくお願い致します。

これは crub4o さんの 675 に対する返信です

RE 開戦責任の帰属は?
投稿者: yuki070507 2003/ 1/14 0:14
メッセージ: 679 / 1854


 o_sole_mio00さん、真摯なレスありがとうございます。

 明日はおそらく遅くなると思われますので、今日のうちに気のついたところだけでも返信したいと思います。

 あの時代の国民は、明治以来の富国強兵、対外戦争勝利、領土拡張という熱に浮かされていたと思います。
 それは日比谷焼打ち事件に端を発し、右翼やマスコミ、言論界と互いに影響しあいながら高まりを見せたと思います。

 もちろん、政府や軍部の教育・宣伝活動もありますが、当の政府・軍部が何を恐れていたかと言えば、国民世論なのです。

 なぜ、あのような馬鹿げた日中戦争を止められなかったか?
 既にこの戦争により亡くなった数十万英霊と国民に申し訳が立たんということなのです。
 もちろん、突き詰めていけば、無駄だった、負けだったと認める勇気がなかった。さらには国益より自己の保身を優先したということもあるでしょう。

 しかし、あの時代の強弱関係は、巡りめぐって堂々巡りのジャンケンポンのようなものです。
 天皇にしても、政府・軍部が出した具申をひっくり返す訳にはいきません。
 なぜなら、その結論の背景には、国民もマスコミもいるのですから。
 国民の総意をひっくり返すのは、紛れもなく専制政治となります。

 もう一つ、誤解があるようですが、私は誰かを罰したいのではないのです。
 徹底した責任追及とはいっても、日本軍は降伏後、公文書のほとんどを焼却していますから極めて難しいでしょう。

 しかし、究明を進める中で、当時の日本の異常さが浮き彫りになるはずです。
 日本が進めたような戦争は、有史以来世界史上でも例がないでしょう。
 誰が計画した訳でもなく、責任の所在があいまいな日本の体制、制度、民族性などの欠陥を炙り出すことにこそ大きな成果があったんじゃないでしょうか。

 敗戦後、自分らの責任は棚に上げ、手のひらを返したように戦前の軍部を批判するマスコミの考え方は、戦後もそして今も反省のないまま、悪い影響をひきずったままです。
 国民もそうです。被害者のみを装い、自分らの責任は棚に上げています。

 全ては、極東軍事裁判を正当化し、全てをあの戦犯になすりつけて戦後が終わったと考えたことに起因しています。

 ですから、私はあの裁判はでたらめだった。死刑とされた方々は無実だと言いたいのです。

 日本人は、もっと独立心を養い、多様な考えや個の尊重ということを大切にしないと駄目です。
 はっきり申しまして、私が歴史から学んだことから推測しますと、日本は今の危機を脱出できず、再び破局を迎えると思います。

これは o_sole_mio00 さんの 673 に対する返信です

禁輸処置
投稿者: EzoWolf 2003/ 1/14 0:34
メッセージ: 680 / 1854


>思うに1941年8月1日からの対日石油輸出前面禁止措置だったので はないかと思います。

この禁輸処置もアメリカの警告を無視して南部仏印に進駐したのが原因で、
日本は膨張政策を止める気がないとアメリカに思わせてしまった。
そして代わりの石油や他の資源もオランダの植民地から、買い付けることは
十分可能であったのに日本の硬直した態度がオランダを硬化させてしまう。

あと天皇の戦争責任は世界史の方でさんざんやったけれど私はあったと考えます。
権限はあったし、政治的、軍事的発言も多数行っているのでね。

これは o_sole_mio00 さんの 668 に対する返信です

>陸軍の機械化は その@A
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 1:35
メッセージ: 681 / 1854


討論中申し訳ありません

>陸軍の機械化は その@A

クラブさんありがとう

今日は「左義長」という伝統行事で1日中お世話を うまく成功しそのあとの慰労会でそうとう飲みました なにせ町の最大行事の1つですから何もかも半端じゃないんです 酔いも醒めてきましたのでお礼のレス書いています

「銃」についてこんなに詳しく知ったのは始めてのことです 気楽にお聞きしてほんとうに申しわけなく思う程です ありがとうございました 小銃・機関銃など区別知るよしもなく只々うなずくばかりです

>千鳥組弾丸←

●これは ちどりぐみ・・と読めばいいんでしょうか

>自動小銃は、どちらかと言うと、「軽機関銃」に近い武器

よくわかりました

>日本軍はここでも遅れており、小銃のバラ弾丸をホッパーに詰め込んで発射するタイプが多用されていました。

●ホッパーとは?

>ドイツ軍は、MG34・42・・発射速度は最高毎分1500発(毎秒25発!)もあり

↑信じられない発射数ですね 驚きました

>第2次大戦時にドイツ陸軍が異様なほど近代的に見えた理由の一つはこの機関銃の使用法にあると

そうですね それにあの耳を隠すようなヘルメットも 何か「近代的」に見えますね

>弾の不足は「精神力と一銭5厘の命で補え」

●一銭5厘ってなんでですか?


 詳しいご説明返す返すも恐縮です(^^)


今日はすごく投稿が多いですね 読みながら少しずつレスしようと
ありがとうございます>みなさま

これは crub4o さんの 660 に対する返信です

>陸軍は・・・
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 1:49
メッセージ: 682 / 1854


マルジーさんありがとう

>海軍の使う金と陸軍の使う金が同じだから

そう言えば 予算ぶんどり合戦?おっしゃるとーり半々だったみたいですね 例えば飛行機なんか 海軍が1000機取れば陸軍も同数を要求したとか しかし太平洋戦争半ばからの米軍との消耗戦に入るとさすがの陸軍も海軍に数を譲ったと聞いています そういう譲りあい?もお尻に火がついてからですから遅かったかも(笑い

「尚武の国は豊かな国に勝つ」←知らない言葉でした

これは marujee さんの 664 に対する返信です

>陸軍の遅れは
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 2:01
メッセージ: 683 / 1854


yuki070507さんの言われていることでハッと気づきました そうです 当時中国と戦争続いていたんですね それをすっかり忘れていました(^_^;)

>日本の国力を考えれば、日中戦争を戦いながら太平洋戦争を戦うなど、土台無理だったのですよ

全くそのとーりですね あの広い中国で追いかけても追いかけても ふところの広い国との全面戦争 中国との戦争にくぎりのないまま突入なんて無謀 しかしひょっともして 中国と戦っていたのは陸軍だけで海軍がそれに負い目を感じていたなんてことはなかったでしょうか(珍説)

>ところで、不評の三八式歩兵銃ですが、仮に日本の国力で、自動小銃など装備したところで、きっと補給が続かなかったでしょうね。

はい もうよくわかりました(^^)

これは yuki070507 さんの 670 に対する返信です

>門外漢で恐縮ですが…
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 2:13
メッセージ: 684 / 1854

honkytonk_2002_xさんありがとう

サイパンは悲惨でした しかし陸軍はそれでもよく戦ったと思います ただ中国軍と最新鋭の米軍とを同一視してかかった軍上層部の甘さは残念ですね

>海軍の落下傘部隊である横須賀鎮守府第一特別陸戦隊(横一特)には、「ベルグマン短銃」と呼ばれる自動小銃が装備されていたとか

日本にも自動小銃あったんですね 全兵士にゆきわたっていたらこの戦いもずいぶんと変ったものになったでしょうが・・・ありがとうございます

これは honkytonk_2002_x さんの 672 に対する返信です

横レスですが 同感!
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 2:18
メッセージ: 685 / 1854

>日本人は、もっと独立心を養い、多様な考えや個の尊重ということを大切にしないと駄目です。
 はっきり申しまして、私が歴史から学んだことから推測しますと、日本は今の危機を脱出できず、再び破局を迎えると思います。

そう思います

これは yuki070507 さんの 679 に対する返信です

ベルグマン短銃
投稿者: jnfi67 2003/ 1/14 10:46
メッセージ: 686 / 1854


ベルグマン短銃は自動小銃ではなく、機関短銃と言うべきものですね。

元々ドイツ製だったはずですが、日本でもライセンス生産していたはずで、主に海軍の陸戦隊が好んで使っていました。
横一特以外に上海特別陸戦隊(上陸・シャンリク)でも使用されていましたね。

あと、陸軍の兵器体系の遅れですが、他の方も言っていましたが、補給が追いつかなかったと思います。
陸軍の弾薬関係の造兵敞はたしか小倉?(大坂は砲関係だし。。。)
生産が追いつかないかと。
第2次大戦で、兵士1人を殺傷するのに消費される弾薬数は約4,5万発。ベトナム戦争では10数万発に及びましたから。

因みに余談ですが、世界の自動小銃の少口径化は、この事が最たる原因です。

これは honkytonk_2002_x さんの 672 に対する返信です

武藤を同列にしては・・・?>ユキさん
投稿者: marujee 2003/ 1/14 10:56
メッセージ: 687 / 1854


>東條はともかく、松井、本間、山下、武藤などの諸将に戦争責任を問うのは、日本人の目からすればおかしいです。

武藤を除けば全く同感です。しかし…

>例えば武藤章は、上司の石原莞爾の命に背いて大陸での戦線拡大を推進した人物です。ただし、その石原も満州事変では同じようなことをやったため、決して責任がなかったとはいえません。(msg673‥オソレさん)

武藤はオソレさんご指摘のほかに39/10〜42/4 まで東條の下で陸軍省軍務局長をやっていて@3国同盟、A仏印進駐、B大東亜戦争に大いに関与した部門の責任者です。当然責任をとる必要があります。
松井、本間、山下と違い平和に対する罪でA級戦犯としてフィリピンからつれてこられたのです。
[参考]
A級戦犯…政治的犯罪、政治的立場や信念の対立の裁判
B級戦犯…国際法、国際慣習侵犯の裁判
C級戦犯…人道に反する残虐行為の裁判

これは o_sole_mio00 さんの 673 に対する返信です

本当に有難う>クラブさん
投稿者: marujee 2003/ 1/14 11:22
メッセージ: 688 / 1854

でも随分銃に強いですねぇ。感心しました。その他の武器についても強いのでしょうね。
本を読んだり映画を見たりして疑問に思ったことが解決できました。これコピーしてとっておきます。
子供の頃、38銃を持たしてもらったことがありましたが本当に重かったこと、「アメリカ軍の銃はこんなに重くない、騎兵銃ぐらいだ」とガキ大将が得意げに言っていたこと、(年がわかるなぁ…)戦後、背嚢(ランドセルの代わり)や弾薬盒(筆箱の代わり)がクラスに配給で割り当てられ籤引で分けたことなども懐かしく思い出しました。(私はあたりませんでしたが…)

これは crub4o さんの 666 に対する返信です

弾幕射撃
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 11:28
メッセージ: 689 / 1854


>米軍は自動小銃で全面30メートルの幅を1人で守れたとか 狙って撃つというより全面に弾幕を張るやり方

そうですね。
よくよく考えれば、かつて織田信長が当時最強と言われていた武田騎馬軍団をやぶったのは、火縄銃隊を3列横隊に並べて連続して一斉射撃をしたからと言われています(火縄銃は2発目を装填するまでに時間がかかるので、最初の横隊が射撃したら列の後ろへ廻り装填を開始し、第二横隊が射撃し…を繰り返す)。
これぞ正に「弾幕射撃」とは言えないでしょうか?

このように、戦国時代から日本は銃砲の使い方(しかも、火縄銃は当時の最新式兵器)が下手だった訳でもありません。

上述の信長の織田軍団の新戦術は、まるで米艦隊がレーダー照準とVT信管付きの対空砲弾で、練度の高い日本の雷・爆撃隊をほとんど寄せ付けなくなったのに、少し似ています。(つまり、いくら訓練で雷・爆撃の精度を高めようとも、それに打ち克つ対空兵装を米艦隊は手に入れていた。)

陸上戦闘では、確か…ギルバート戦について書かれた本でしたか、海軍の陸戦隊でさえ、訓練用の弾丸が、極端に制限されていて、まともな射撃訓練さえ出来なかったとか。
貧しい家計(予算)と、現場将兵の精神力に甘え過ぎた軍上層部。ないない尽くしだったとは言えましょうか…。

追伸:
海軍の落下傘部隊(横須賀鎮守府第一特別陸戦隊)が使用した自動小銃は、「ベルクマンMP18」を落下傘部隊用に改造したものではないかと思いますが、確信が持てません。
いずれにせよ、横一特はサイパンで玉砕しています。(降下作戦ではなく、陸上戦闘で。)

因みに、緒戦のメナド降下作戦時の司令堀内豊秋海軍大佐については、以下をどうぞ。↓

http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/kyoudo01.htm

これは s1_9150242 さんの 658 に対する返信です

ありがとうございました!
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 11:30
メッセージ: 690 / 1854


>ベルグマン短銃は自動小銃ではなく、機関短銃と言うべきものですね。
元々ドイツ製だったはずですが、日本でもライセンス生産していたはずで、主に海軍の陸戦隊が好んで使っていました。
横一特以外に上海特別陸戦隊(上陸・シャンリク)でも使用されていましたね。

いやあ、情報有り難うございました!
シャンリク時代からだったとは…!

これは jnfi67 さんの 686 に対する返信です

飛び石作戦
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 12:12
メッセージ: 691 / 1854


米の飛び石作戦によっておいていかれた島もたくさんあったのでは?そうでなくても小野田さん?のようにゲリラとなって戦後ずいぶんしてから 帰国された方もおられましたね

ご紹介URLありがとう 始めて知りました

>日本軍が降伏すると、インドネシアの再占領をねらうイギリス軍とオランダ軍が上陸してきました。しかし、もう支配されるのはいやだ。独立したいと願う、インドネシアの人々は、日本軍の武器をひそかに渡してもらい、勇敢に戦います。この戦いは四年間続きインドネシアの人々の犠牲は八〇万人に及びましたが、一九四八年ついにオランダは、インドネシアの独立を認めました。この戦いで、戦争の終わった日本に帰ることをあきらめ、進んで独立戦争に参加してインドネシアの人々と共に戦った日本兵が、約二千人いました。

こういったこと皆さんあんまり知らないのではないでしょうか 心温まる時間をありがとうございます(誇りを持てますね)

これは honkytonk_2002_x さんの 689 に対する返信です

玉石混交
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 12:29
メッセージ: 692 / 1854


>インターネットの利点として、情報をたやすく取り出せることが出来る点がありますが、反面その情報は玉石混交であり、その情報の取捨選択ができる知識と周辺情報を持ち合わせていなければ正確な判断はできないと思います。

この「玉石混交」という言葉に感銘をうけました インターネットはほんとうに便利ですごいですが 使う方も相当な勉強をして掛からなければ・・・肝に命じます

今日の新聞にインターネットは「原っぱ」がいいか「公園」がいいかという記事が出ていました 誰でも自由に集える「原っぱ」がいいにこしたことは言うまでもありません しかしそこで野球をしてはいけないとかあれはだめだとか 私達の知らないところでだんだん規制がかかって来ている・・とのことだそうです 監視の行き届いた「公園」は安心できますが やはり「原っぱ」のほうがいいと思いませんか

これは o_sole_mio00 さんの 678 に対する返信です

いや門外漢です>marujeeさん
投稿者: crub4o 2003/ 1/14 12:54
メッセージ: 693 / 1854


Marujeeさん、お孫さんいらっしゃるんですか・・・
年長の方に無礼な書き方をしてしまい、誠に失礼致しました。

>でも随分銃に強いですねぇ

いやいや、私は兵器軍事マニアでは全然ありません。
10年程前に読んだ「第2次大戦ドイツ軍兵器集」と言う本を覚えてただけです。
日本人がドイツ軍の軍服を着て、銃や手榴弾を持ってポーズとったりしてる
写真もあったりして、薄気味悪かったんですが(爆)、清水の舞台から
飛び降りる気持ちで(笑)本屋さんのおねえちゃんに差し出して買いました。
店員のおねえちゃんとは目を合わさないようにして・・・(超核爆)
あれ位ドキドキしたのは、初めてH本買った時以来かも・・(笑)
別冊宝島映画秘宝の「怪獣大百科」購入の時は、東京出張の折で
「旅の恥は掻き捨て」の気持ちでもっと堂々としていました(笑)

私もこの本を読むまで、殆ど何も知らなかったので、すごく興味深かったです。
ミサイルとか軍艦とか飛行機とか戦車って、高価だし、或る意味非人間的でしょ。
銃も凶器ですけど、比較的人間くさいところが惹きつけられた理由ですかね。
この本には、兵隊の装備品なども写真図解付きになっていて、ドイツ兵が
使用した「ラード入れ」と言うのを見て、驚いたり親しみを感じちゃいました。
きっと、野戦給食のシチューやスープに入れて味を調えたりしたんでしょうね。

もう、まるっきりトピずれですが、
最近立ち読みした本の中では、各国軍隊の野戦携帯食料を食べ較べて星で
評価するものが面白かったです。
破壊や人殺しの話より、ご飯の話の方がやっぱりいいです。
フランスやイタリアは流石に贅沢で洒落た携帯食だったですね。
私の家内のものより絶対に1000倍立派に見えました(笑)
驚いたのはノルウェーで、何と7000kcalもの熱量があるんですって。

ところで、Marujeeさん
軍カテの「張本人」トピでご常連だったですね?
レンドリースの件なんかとても興味深かったです。

これは marujee さんの 688 に対する返信です

伝統行事、ご苦労様です。
投稿者: crub4o 2003/ 1/14 12:56
メッセージ: 694 / 1854

●これは ちどりぐみ・・と読めばいいんでしょうか

そうです。 縦に4発の弾が2列になって互い違いに組み合って合計8発です。

●ホッパーとは?

弾を入れる投入口です。 自動販売機のお釣りが出てくるところがあるでしょう?
あんな感じの穴か゛銃の弾倉部分の上部に開いてるんですよ。

●一銭5厘ってなんでですか?

え、トピ主様、聞いてませんか?
赤紙=召集令状の事ですよ。
礼状の値段が一銭五厘。
だから、兵隊なんて一銭五厘でいくらでも招集できるんだって
兵隊の命なんて一銭五厘と同じ値打ちしかないんだって
言う軍部の思い上がった気持ちを表す有名な言葉ですよ。

これは s1_9150242 さんの 681 に対する返信です

>玉石混交
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 13:20
メッセージ: 695 / 1854


お説には、私も考えられます…。

>誰でも自由に集える「原っぱ」がいいにこしたことは言うまでもありません しかしそこで野球をしてはいけないとかあれはだめだとか 私達の知らないところでだんだん規制がかかって来ている・・とのことだそうです 

何と言いますか、子供達を思いっきり暴れさせる場所をどんどん減らすのは、納得できません。
何故でしょうか? 子供達が投げるボールが大人達に当たるからでしょうか? それとも、近隣の民家の窓にボールが当たる可能性があるからでしょうか? もし前者なら、そんなのは当たって当たり前。大事なのは、そこで子供が大人に「ごめんなさい」と謝る習慣を身に付ける事、そして大人が「ああ、いいんだよ」と赦す寛大さを身に付ける事ではないでしょうか? そして後者なら、それこそ自治体が防護網などを税金で設置すれば良い。
とにかく、「ここならいくらでも球技が出来る」という場が無いと、かえって路地や駐車場で子供がボール投げをやり、停めてある車を傷付けたり民家の窓ガラスを割ったり、ひいては交通事故も発生しかねません。

子供のうちから「あれもダメ、これもダメ」では、かえって過保護になると常々思います。
それより、「そういう事をしてもいいが、その場合こういう危険性がある。それにも責任を持たなければならない」という責任感を身に付けさせる事が肝心だと思います。(特に学校では、「責任回避」の為に子供達のケガを防ぐ事に躍起になるそうで。もっとも、それは保護者の側も神経過敏だというのもありますが…。)

なんか言い過ぎちゃいました!

これは s1_9150242 さんの 692 に対する返信です

もう少し正確にいうと
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/14 13:21
メッセージ: 696 / 1854


「令状の郵便料金の値段」です、一銭五厘は。はがきの値段ですね。

「赤紙」は有名ですが、「白紙」というのもありました。これは徴用令状のことです。
つい先日、自宅で漬けた漬物を持って、父の同級生(女性の方です)が訪ねてくれました。彼女は先の戦争中、家で農業を手伝っていたのですが、この白紙で動員され、工廠(どこだったかは聞き漏らしました)で爆撃を受け、やっと助かったという経験があるそうです。
「学生だけかと思っていたけど、家にいた者まで白紙がきていたとは知らなかった」とは、父のせりふです。地域によったのでしょうか?同い年の母には、そんな経験はないのですが。

これは crub4o さんの 694 に対する返信です

すみません
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 13:36
メッセージ: 697 / 1854


ちょっと説明不足だったかも(^_^;)

>誰でも自由に集える「原っぱ」・・・

これインターネットを取り巻く環境の例え話です 説明がヘタですみません

おっしゃるとーり ほんとうの子供の世界も同じだとは思いますが 今の子供達は塾などの為遊んでいる姿は町から消えました 自分の子供の頃を振り返って かわいそうな気がしてなりません

早速のレスありがとうございました(^^)

これは honkytonk_2002_x さんの 695 に対する返信です

赤紙=召集令状
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 13:44
メッセージ: 698 / 1854


クラブさん・デコさんありがとう!

ね 私の無知ぶりには驚かれるでしょう

>赤紙=召集令状の事ですよ。
礼状の値段が一銭五厘。
だから、兵隊なんて一銭五厘でいくらでも招集できるんだって
兵隊の命なんて一銭五厘と同じ値打ちしかないんだって
言う軍部の思い上がった気持ちを表す有名な言葉ですよ。

そして郵便料金のことでしたね

また一つ覚えました(^^)
ありがとう!

これは crub4o さんの 694 に対する返信です

飛び石&最後の日本兵
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 14:23
メッセージ: 699 / 1854


>米の飛び石作戦によっておいていかれた島もたくさんあったのでは?

有名なのはラバウル(ニューブリテン島)でしょうか。(陸軍は今村均大将の第八方面軍司令部、海軍は草鹿任一中将の南東方面艦隊兼第十一航空艦隊司令部がありました。) 壊れた飛行機をかき集めて、何とか飛べる飛行機を数機作って、アドミラルティ諸島あたりを奇襲したりするなど、なかなか侮れないゲリラ作戦を展開していましたよね。
軍歌を文字って、「敵は幾万有りとても、置いてけ堀にするがいい♪」などと自嘲気味に歌っていたようです。
阿川弘之の「暗い波涛」によると、食べ物だけでなく、タバコの栽培までやる兵士がいて、「ラバウル専売公社です」とシャレたりもしていたとか。(まあ、過酷な戦場での一服の清涼剤、とは言えましょう。) たまに敵の制空圏を掻い潜ってやってくる二式大艇が持ってくるビールやタバコなどは、さぞや御馳走だったのでは、と想像します。あ、それからマラリア薬のキニーネも、命綱ですよね…。
ラバウルは比較的自給自足体制が整っていたので、食糧事情は良い方だったようですが、中部太平洋方面で取り残された島々などは、一層悲惨だったようです。つまり、「飢餓地獄」。
やはり、珊瑚礁で出来た島々は、自ずと作物に制限がある、という事でしょうか?(農作物に疎くて、済みません。) いや! もともと椰子の木などが多く、比較的平坦な地形を、砲爆撃でほとんど焼け野原にされてしまったからかも、知れません。

ところで、

>小野田さん?のようにゲリラとなって戦後ずいぶんしてから 帰国された方もおられましたね

余談ですが、実は最後に発見された日本兵は、台湾人でした。
中村輝夫という方で、中国名は「李光輝」、台湾のアミ族としての名は「スニヨン」という方でした。昭和49年に、インドネシアのモロタイ島で発見されたとの事です。以下の本で、知りました。↓

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094024166/qid=1042520554/sr=1-1/ref=sr _1_2_1/250-1871641-5456213

これは s1_9150242 さんの 691 に対する返信です

アチャー!
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 14:26
メッセージ: 700 / 1854


>>誰でも自由に集える「原っぱ」・・・

これインターネットを取り巻く環境の例え話です 説明がヘタですみません

おっと!
こりゃ恥ずかしい!
…早とちりして、スミマセン☆

これは s1_9150242 さんの 697 に対する返信です

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