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現役、退役、予備役、予備
投稿者: jnfi67 2003/ 1/14 14:45
メッセージ: 701 / 1876


色々な小説や本を読んでいると、このあたりの区別が実に曖昧な気がするんですが...
いかがでしょ?

・現役:終身服務義務を有する軍人。軍教育課程(陸士や海兵、或いは下士官から准士官・士官へ昇進)を終了した者。

・退役:現役年限を終了し、軍務を退いた者(ま、定年退職ですな)又は諸々事情により、軍務を退いた者のうち、予備役編入しなかった者。

・予備役:現役を途中で軍務から退いた者で、未だ服務年限を有するもの。

・予備:普段は正業を有し、必要に応じ召集を受ける。主に大学等の高等教育を受けた者に短期軍事教育を施し、プールする。
終身服務義務は無い。

ん〜、上手く纏まらなかった^^;

この中で馴染みの無いのは「予備」ですよね。
予備役将校と、予備将校。よく混同しやすい...が、全く別物。
予備役将校は、現役経験のある、今は軍務を離れている人達。

予備将校は、最初から将校以外の職につき、且、平時の「リザーブ」として登録されている人達。分かり易い例では、アメリカの州軍、かな?

日本でも海軍では明治から「予備将校」制度が有ったのですが、陸軍は知りません。
あったのかな...?

余談ですがイギリス船籍の船舶を良く見て頂ければ、ユニオンジャックの他に、「ホワイトエンサイン」ならぬ、「ブルーエンサイン」を掲げた船舶が時々見かけるのですが、これは船長が「英国海軍予備将校」である事の証明です。
「予備将校指揮」の船舶は軍艦・商船問わず「ブルーエンサイン」を掲げます。
「正規将校」(予備役将校)指揮の商船だと「ホワイトエンサイン」を掲げます。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

ラバウル航空隊は
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 17:02
メッセージ: 702 / 1876


ホンキーさんどうもです(^^)

ラバウルって日本の一大基地だったんじゃないですか 「さーらーばラバウルよー又来る日ま〜で♪」なんて歌あったような そのラバウルが米軍飛び石作戦で置いてけぼり?さぞプライド傷ついたのでは?

>二式大艇が持ってくるビールやタバコなどは

↑これって水上機?ですね
水上機の活躍は あまり聞きませんが 飛行場もいらなかったはずですから南方では活躍できたはずですが・・・しかしあの大きなブイ?2つも着けていたら宙返りもできないか(笑い

これは honkytonk_2002_x さんの 699 に対する返信です

>現役、退役、予備役、予備
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 17:13
メッセージ: 703 / 1876


jnfi67さんおいでありがとう

「予備役」と「予備」があるんですね すごく詳しい! 

>日本でも海軍では明治から「予備将校」制度が有ったのですが、陸軍は知りません。
あったのかな...?

私にはもちろん解りませんが・・・

jnfi67さん また教えてください よろしく(^^)

Ps;、「ホワイトエンサイン」「ブルーエンサイン」を掲げた船舶 ←始めて聞きました ありがとう

これは jnfi67 さんの 701 に対する返信です

>ラバウル航空隊は
投稿者: jnfi67 2003/ 1/14 18:14
メッセージ: 704 / 1876


ラバウルは米軍の飛び石作戦が開始された頃、18年末〜19年頃には、実質戦力が枯渇していました。
でも、「人間」は結構いるので...「ま、ほったらかしてて大丈夫でしょ♪力攻めは被害大きいし。」とマッカーサー君が判断しました。(笑)
まぁ、周りを米軍拠点に囲まれ補給も無く、戦闘部隊と言うより、「農耕部隊」と化したラバウルを攻略する必要が無かった訳です。
米軍は他に拠点を確保していましたから。

「二式大艇」水上機、と言うより「飛行艇」です。「皇紀260『2』年(昭和17年)制式採用」で、それまでの九七式大艇の後継機です。
当時の飛行艇としては、最高速(400km/h台の高速)、最大航続力7000km強(巡航速度で一昼夜、24時間以上飛行可能)、大搭載量(2トン)と、世界最高性能の飛行艇でした。
末期には特攻隊の誘導機として、又、偵察・索敵機として活動していました。

*東京・お台場の「船の科学館」に現物が展示されています。毎朝、見ながら通勤しております...

これは s1_9150242 さんの 702 に対する返信です

ラム
投稿者: jnfi67 2003/ 1/14 18:27
メッセージ: 705 / 1876


「ラム」=「衝角」ですね...
元々はガレー船(紀元前から)の戦法の一つだったような記憶が...帆船は、ぶちかましても「後進」出来ませんからね...
んで、ヨーロッパではガレー船が廃れた頃、少なくとも「艦砲」が搭載された頃には、「ラム」は有りませんでした。
有名な「レパントの海戦」やら、時期は下って「トラファルガー海戦」の頃には、もう...

復活するのは、装甲艦が出回りはじめた時期ではなかったかと。
南北戦争の頃、北軍、南軍共にラム付き装甲艦で戦った記載を読んだ記憶があります。(因みに、この頃初の『潜水艦』も登場)
リッサ海戦はラム搭載艦が、最後に「ラム攻撃」で戦った海戦でしたっけ?

これは annodomini_jp_vol2 さんの 634 に対する返信です

>>ラバウル航空隊は
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 18:35
メッセージ: 706 / 1876


jnfi67さんは東京の方ですか 何年か前「明治座」?で近松ものを見て以来・・その時観光恒例のお台場・なんとかボタル?へ行きました 東京湾はすごいですね 高層ビルに圧倒され 別世界でした

ところで 何故飛び石作戦なるものが開始されたんでしょうね 普通に考えれば(日本流で言えば)一歩 一歩堅実に進んで行くのが常道みたいに思えますが・・・早く戦争に勝利しょうという焦りからでしょうか

「飛行艇」実は 現自衛隊の飛行艇が海から飛び立つ姿1回だけほんとうに側で見ることが・・・水煙をあげて ものすごい迫力でした(飛行艇も大きかった)銀色の胴体に大きな日の丸が印象的でした

>...「ま、ほったらかしてて大丈夫でしょ♪力攻めは被害大きいし。」とマッカーサー君が判断しました

↑大受けでした(^^)

これは jnfi67 さんの 704 に対する返信です

♪数をば恃んで 寄せ来る只中〜?
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 18:39
メッセージ: 707 / 1876


>ラバウルって日本の一大基地だったんじゃないですか 「さーらーばラバウルよー又来る日ま〜で♪」なんて歌あったような そのラバウルが米軍飛び石作戦で置いてけぼり?さぞプライド傷ついたのでは?

こういう歌もありましたね。

「銀翼連ねて 南の前線 揺るがぬ護りの 海鷲達が〜♪」(「ラバウル海軍航空隊」)

しかし、ラバウル…。なぜあそこを占領したのかを考えると、複雑な気分になりますよね。
あの辺、つまりビスマルク諸島ですが、軍令部が考える「米豪遮断作戦」(ゆくゆくはフィジー、サモアまでの占領も考えていた)の為の要衝ですよね? それなのに、山本長官は、そんな悠長な作戦をしていたら連合軍の戦力が盛り返してしまう、と考えていた訳で、つまりはここでも海軍軍令部と聯合艦隊司令部の意向が食い違っていた訳ですね。(陸海軍の不一致は言うに及ばず…。嗚呼…。)
それで、アメリカとしても確かにラバウルは目障りだった、と言うより、ソロモン方面でジリジリ戦闘をしていればいつか日本は枯渇すると計算していたのではないかとも、思えてしまいます。(ガダルカナル島は、連合軍もメンツをかけて、本気で占領しましたが。) ですから、昭和19年2月にトラック島が大空襲を受けて、ラバウルの残存飛行機がトラック島に撤収されると、確かに連合軍は好き放題にラバウルを爆撃しましたが、敢えて上陸する暴挙には出ませんでしたし。(つまり、中部太平洋を一気に突っ切り始めて、トラック島さえも飛び越し、昭和19年6月にマリアナ諸島に来襲。)

ところで、「ラバウル航空隊」という名の部隊は存在しなかったのですから、面白いと思いますね。

>↑これって水上機?ですね

こんなに大きいですヨ。(↓リンク) さすがに宙返りは無理ですね…。夜間戦闘機「月光」は、双発でも宙返りできたようですよ。

http://www4.airnet.ne.jp/mizuno/war/1gokan/nisikix.htm

ちなみに月光↓

http://member.nifty.ne.jp/astroboy/japan/gekko.html

九七大抵にしても、その後の二式大抵にしても、なまじっか長距離を飛べるので、戦闘機の護衛の無い遠距離索敵でずいぶんと敵機に食われてしまったようです。B-17やB-24のような大型爆撃機にもやられていたようですから。
上のリンクの二式大抵を米軍に引き渡す時に最後に操縦した日辻常雄海軍少佐(戦後は海将補)は、B-17と壮絶な空中戦を繰り広げ、最後は「こんちくしょー!」と、ピストルまでぶっ放したそうですよ。(そのB-17は日辻氏の部下の飛行艇をさんざん食い荒らし、日辻氏が相手に燃料を吹かせて追い払う事で、未帰還機増加をストップさせたそうです。)

これは s1_9150242 さんの 702 に対する返信です

大きいですね
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 19:03
メッセージ: 708 / 1876

私が目前にした自衛隊機はリンクにあった二式大艇によくにていました 大きいですね 月光は始めて見ました 前部にあるヒゲのようなものは何でしょう 速度測るピット管 レーダーかな? 日本には名機がたくさんあったんですね

海軍は以前も少し話題になったかと あの大きな豪州を手にいれようとする考えすらあったと 今にすれば考えもつかない事ですね(さすがの陸軍も反対?)逆かも

>最後は「こんちくしょー!」と、ピストルまでぶっ放したそうですよ。

何となくわかる気持ちですね(^^)

これは honkytonk_2002_x さんの 707 に対する返信です

今日は何度も書き込みしてスミマセン☆
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/14 21:07
メッセージ: 709 / 1876


>私が目前にした自衛隊機はリンクにあった二式大艇によくにていました 

恐らく、いやほぼ間違いなく、新明和のPS-1飛行艇だと思います。
新明和は、二式大抵のメーカーの川西の後身です。

>月光は始めて見ました 前部にあるヒゲのようなものは何でしょう 

レーダーです。ベースは「八木アンテナ」というものだと思いますが…。(そう、日本はレーダーでも割と進んでいたのに、軽視されてしまった! しかも、工業力の貧弱さから、壊れた真空管のスペアがなかなか入手できなかったという情けなさ。)
これは詳しい方にお願いしたいと思います。

>豪州を手にいれようとする考えすらあったと 

それはすでに、幕末の長州藩でも言われていたのですね。いやはや、大胆と言うか、何と言うか…。

http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/bakumatu.html

これは s1_9150242 さんの 708 に対する返信です

ほんとうにありがとう
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/14 21:29
メッセージ: 710 / 1876


http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/bakumatu.html


目の覚める思いです コピーします 長い間のいろいろな疑問が解けていくようで すがすがしい気持ちになりました

>今日は何度も書き込みして・・・

書けるときは書きましょう 人には波があります 書けないときもあるでしょう(^^)

これは honkytonk_2002_x さんの 709 に対する返信で

>RE開戦責任の帰属は?
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/14 23:11
メッセージ: 711 / 1876


yuki070507さんこんばんは、お疲れのところ、遅くまで返信を頂きありがとうございます。

>あの時代の国民は、明治以来の富国強兵、対外戦争勝利、領土拡張という熱に浮かされていたと思います。

私の知っている20世紀前半の日本史については、軍部や指導者の視点に偏っていたような気がします。この点につきましては、私自身も調べた上(時間がかかるかもしれませんが)で意見を述べさせて頂きたいと思います。

>あの時代の強弱関係は、巡りめぐって堂々巡りのジャンケンポンのような
>ものです。

なるほど、そういう見方もできるのですね、参考になりました。

>しかし、究明を進める中で、当時の日本の異常さが浮き彫りになるはずです。
>日本が進めたような戦争は、有史以来世界史上でも例がないでしょう。

私は、日本が異常な国だとは思っていません。キリスト的な倫理観に支配される西欧の国々から見れば一見異常に思われるかもしれませんが。西欧から見ればイスラム文化圏も異常なものと思われるかもしれません。これらを「異常」というよりは、「異質」であり、相互理解の努力を行う対象だと考えています。

>誰が計画した訳でもなく、責任の所在があいまいな日本の体制、制度、
>民族性などの欠陥を炙り出すことにこそ大きな成果があったんじゃないで
>しょうか。

これも、どちらが卵かニワトリか、ということになると思います。責任の所在曖昧だから、誰が計画した判らないのか、誰も計画していないから責任の所在がわからないのか。私は前者と解釈しています。「決めたがらない」「責任を取りたがらない」国民性に加え、地位と権限がシンクロしないシステムは、明確な意思を隠したまま、その権限が与えられなくても、話が前に進めてしまうことができます。
しかし、あえてしかるべき地位にいた人間の責任を私は問いたい、と考えます。これは、今後の意思決定システムを是正するための意味があります。これは自分が何がしかの社会的に責任のある地位(これでも今の私には若干名の部下がいます)についた時の自分の覚悟(人に求めている以上、自分を棚に上げるわけにはいかないでしょう)。念のため申し添えますが、yuki070507さんに私の考えを押し付けるつもりはありません。

したがって、東京裁判は、「責任の所在」を明確にし、日本が国際社会に復帰する足がかりとして意義があったと考えます。たとえその手続き、中身に問題があったとしても、です。

>敗戦後、自分らの責任は棚に上げ、手のひらを返したように戦前の軍部を
>批判するマスコミの考え方は、戦後もそして今も反省のないまま、悪い
>影響をひきずったままです。
>国民もそうです。被害者のみを装い、自分らの責任は棚に上げています。

ということで私は当時の国民やマスコミを責める前に自分の行動を戒めていきたいと思います。

>日本人は、もっと独立心を養い、多様な考えや個の尊重ということを大切に
>しないと駄目です。

仰る通りです。私も常々日本人というのは人に頼りすぎだと思います。また、先ほど少し触れましたが、異質なものとの接触になれていないせいか、そういったものに対しての反応が極端です。例えば外国人に対して排他的になったり、海外ブランドを買い漁ったり。

>はっきり申しまして、私が歴史から学んだことから推測しますと、
>日本は今の危機を脱出できず、再び破局を迎えると思います。

確かに今後ますます厳しくなってくるでしょうが、日本がおしなべてだめになるかというと、そうではなく、いまより発展する部分も出てくると思います。
そのためには「もっと独立心を養い、多様な考えや個を尊重すること」がキーワードになると思います。

これは yuki070507 さんの 679 に対する返信です

召集令状について
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 0:43
メッセージ: 712 / 1876


召集令状(赤紙・白紙・青紙)は、本来郵便とは全く関係がありません。
令状は連隊区司令部で発行し、市区町村役場の兵事係(現在の戸籍係)の職員が応召者本人に直接手渡し(不在の場合はその家族に)交付した。その際受取人は受領日時(何時何分まで)記入し押印した。
令状は本記と受領証からなり、本記には応召者氏名、住所、召集部隊名、到着日時等が書かれ、これは部隊までの交通切符代わりになった。
受領証は、職員が市区町村役場に持ち帰り、「召集令状受領綴」という記録簿に保管する。
一般に赤紙が一銭五厘と呼ばれるのは、応召者本人が本籍地から離れて暮らしている場合、実家から郵便で、令状が来たことを知らせたのが原因と考えられる。
*資料 「赤紙」小澤真人・NHK取材班創元社 97年

これは s1_9150242 さんの 698 に対する返信です

>武藤を同列に・・・
投稿者: yuki070507 2003/ 1/15 1:52
メッセージ: 713 / 1876


 はじめまして。レスありがとうございます。
 そうですね。武藤を除けばね・・・。
 でも、武藤は、フィリピンにさえ行かなければ罪には問われなかったと思いますよ。
 例え、石原に楯突いて日華事変の拡大に一役買ったとしてもね。

 なぜなら、あの裁判は、アメリカにとって、名誉を傷つけられた、あるいは被害を蒙った相手を罰しているのですから。

 以前マッカーサーの意図を言いましたよね。
 本間、山下、武藤など、フィリピンで活躍した諸将が多いです。

 逆に、日本海軍など、アメリカの為すがままにされた将軍は、無罪放免です。

 松井大将にしても、本間、山下などの諸将にしても、むしろ当時の軍人としては立派な方々や戦功のあった方々ばかりです。
 我々日本人までが、連合国と同様に彼らを戦犯扱いする態度は許せない思いがするのです。

 それより何より、私達は彼らがどんな戦いをし、どんな行為を行ってきたか十分な知識を備えているでしょうか?

 牟田口や服部、辻などが、自分らの名誉欲や意地の為に多くの将兵を死に追いやった責任も、戦線を拡大した責任も取らずに戦後も生きながらえたことに対して、憤りを感じないのでしょうか?

 彼らの無謀な作戦により無念の死を遂げた将兵の思いは、済んだ事と打ち捨てられてよいのでしょうか?
 他人の痛みに鈍感であることや、正義を二の次にするかのような日本人の姿勢は、天に唾する行為のように思われます。

これは marujee さんの 687 に対する返信です

>>RE開戦責任の帰属は?
投稿者: yuki070507 2003/ 1/15 2:09
メッセージ: 714 / 1876


 o_sole_mio00さん
 本日は、大変遅いので、簡単に返信します。

>私は、日本が異常な国だとは思っていません。

 あの戦争は、世界史上でも稀有な戦争だと言いました。
 私は、日本人の体質、考え方は、世界でもかなり異質と考えています。
 もちろん、欠点ばかりではありません。
 しかし、昭和の始めや現代ではその欠点が致命傷となっている、あるいはなりそうだと言いました。

>東京裁判は、「責任の所在」を明確にし、日本が国際社会に復帰する足がかりとして意義があったと考えます。たとえその手続き、中身に問題があったとしても、です。

 本当に、日本があの無謀な戦争に突入した責任が彼らにあるとお考えですか?
 あなたの理論に従えば、彼らよりしかるべき政府関係者や軍中央の人間が大勢いるのではありませんか?
 なぜ、彼らを罰することで良しという結論になるのでしょう?

 私の考えを押し付ける訳ではありませんが、 o_sole_mio00さんほどの方にしては何か釈然としません。

これは o_sole_mio00 さんの 711 に対する返信です

>召集令状について
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/15 3:03
メッセージ: 715 / 1876


yatiyochanさんありがとうございます よく解りました 「赤紙」について考えるのは始めてのことです 今日は早く寝ようと思っていたのですが 思わず調べていたら 今までノメリ込んでしまいました

終戦は「赤紙」からの開放と・・それ程「赤紙」の存在は大きく 悲喜交々があったみたいです 役場で発行選んだ為不公平もあったとか また戦後朝鮮戦争の時(昭和25年)日赤の看護婦さんに対し米軍より「赤紙」が発行され驚いたことなど 他にもいろいろあったみたいです・・・

またよろしく>みなさま
では おやすみなさい

これは yatiyochan さんの 712 に対する返信です

聞き忘れですが
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/15 3:12
メッセージ: 716 / 1876


>「赤紙」は有名ですが、「白紙」というのもありました。これは徴用令状のことです。・・・と

>召集令状(赤紙・白紙・青紙)

●青紙とは?何でしょう

よろしければお暇なときに教えてください

これは yatiyochan さんの 712 に対する返信です

青紙
投稿者: jnfi67 2003/ 1/15 10:44
メッセージ: 717 / 1876


は、確かなりふり構わぬ、総動員令だったはずです。根こそぎ動員。これやったら、国家は破綻します。

これは s1_9150242 さんの 716 に対する返信です

経験談をきくことの難しさ
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/15 14:06
メッセージ: 718 / 1876


例によって(笑)トピずれします。

戦争の経験者に話を聞くという事は、どうもしんどいものです。
「戦争体験を風化させるな」といったことがよくいわれます。確かにそのとおりなのですが、「体験談」というもの、いろいろと厄介な問題があります。以前にどなたかが指摘されましたが、記憶というあいまいなものに頼るため、正確さに欠けること、また「被害」は語られやすく「加害」はそうはならないことなど。

さらにこれがもっとも大きい問題だと思うのは、「経験者にいかにして語る気をおこさせるか」といった問題です。悲惨な体験をした方ほど、それは人には語りたくないものなのでしょう。そういったことこそ知りたいのに、そこを、どうするか。

さらに、聞く側の問題として、ある程度の知識がないと聞いても理解できないといったこともあります。体験者はしばしば、こちらもなにもかも理解しているものとして話を進めがちなもので、こちらが実は理解していないのだとわかると話をやめてしまったりするものなのです。

なんだか訳がわからんぞという声がしそうですが、なぜこんなことを書いているかというと、先に投稿した「釣鐘」のことがきっかけでした。

父「供出した釣鐘を国が補償する?ばか、それくらいならわしは恩給もらっとる」
私「なんで、恩給もらえんの?」
父「任官してないからな」
私「え?でももらってる人いるでしょ?終戦のとき兵の身分でも」
父「だから任官してないからだって」


押し問答の挙句わかったのは、「徴兵だったひとは兵の身分でもいいが、志願した人(父も)は任官しないともらえない」といったことでした。父はこのことを私がわかっているとして話したため、食い違いになったわけです。このあと、ほかに聞きたいことがあったのですが、父は口を開きませんでした。まさに上に書いたとうりになったわけです。

こういったことは他の人でもたびたび経験しました。ま、勉強してない私が悪いのですが、それにしてもしんどい(笑)。しかしどれほどしんどくても、私にとっての「基礎資料」なので、おろそかにはできません。ノンフィクションライターや伝記作家の「取材の苦労」とは、こんなことかな、などと思いながら(笑)。
トピ主さんに「いい話ですね」と、誉めていただくためにも(爆)これからも「きくこと」そして「考えること」を続けていかねば、と思っています。

これは jnfi67 さんの 717 に対する返信です

召集令状について その2
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 14:50
メッセージ: 719 / 1876


1 徴用令状 詳細は知りません。国家総動員法(1938年)に基づく諸令、国民勤労報国協力令(1941年)や学徒勤労令・女子挺身勤労令(1944年)などに関し政府が命令したものと思われます。これは召集令状と関係ありません。
2 召集令状の種類 (1945年)
@ 赤紙=充員召集 臨時召集 帰休兵召集(補欠召集)
A 白紙=教育召集 演習召集 簡閲点呼 国民兵召集
B 青紙=防衛召集

防衛召集は、空襲などの際、国土防衛のため、予備役・補充兵役・国民兵役(在郷軍人と呼ぶ)を短期間召集すること。

*資料 前出のほか、「徴兵制と近代日本」 加藤陽子 吉川弘文館 96年

これは s1_9150242 さんの 716 に対する返信です

「いいお話ですね」
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/15 15:02
メッセージ: 720 / 1876


古来より日本には「敗軍の将兵を語らず」などと言います まして今次の大戦は未曾有の戦死者を出している訳で生き残った方々にはいろいろ深い想いがあるようです ある新年会で盛り上げようと「貴様と俺とは同期の・・♪」を歌ったら年配の方がシーンとしてしまったので それ以来歌わないことにしています

*何にもトビずれしていませんよ
デコさんいいお話ありがとう(笑い

それから「青紙」も勉強しました ありがとうございます

これは dekopon346 さんの 718 に対する返信です

>>武藤を同列に・・・
投稿者: marujee 2003/ 1/15 15:27
メッセージ: 721 / 1876


>でも、武藤は、フィリピンにさえ行かなければ罪には問われなかったと思いますよ。

そんなことはありません。
陸軍より罪は軽いと思われていた海軍でも開戦時の海軍省軍務局長岡敬純は終身刑を食らっています。当時軍務局長をやっていたのですから死刑はないと思いますが終身刑は食らっていたでしょう。
http://www.history.gr.jp/tokyo/

これは yuki070507 さんの 713 に対する返信です

横からスミマセン>ユキさん
投稿者: marujee 2003/ 1/15 15:49
メッセージ: 722 / 1876


興味のある話ですので私も入れてください。

>本日は、大変遅いので、簡単に返信します。

チョット簡単すぎてよく理解できないのですが・・・下記点についてのお考えを教えてください。

>私は、日本人の体質、考え方は、世界でもかなり異質と考えています。

現在形ですね。具体的にどんなことでしょうか?

>本当に、日本があの無謀な戦争に突入した責任が彼らにあるとお考えですか?

彼らのみにあったとは思いませんが彼らには責任はあったでしょう。
私も前にも書きましたが戦争は喧嘩と同じですから一方的に日本側だけに責任があったとは考えていません。

>彼らよりしかるべき政府関係者や軍中央の人間が大勢いるのではありませんか?

具体的な考えをお持ちですか?

これは yuki070507 さんの 714 に対する返信です


日本陸軍の兵役区分
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 17:18
メッセージ: 723 / 1876


日本陸軍は、兵科と各部に区分されるが、1945年時の兵科について記述する。

兵役は、常備役(現役・予備役)、補充兵役(第一・第二)、国民兵役(第一・第二)、義勇兵役に区分される。

1 常備兵役
@ 現役=徴兵制により、満19歳の男子で徴兵検査に合格し、徴集された者。2年間服役する。
A @の内下士官を志望し、下士官教育を修了した者。45歳まで服役。
B 陸軍士官学校(陸士)を卒業した者。将校の停年(今の定年)まで服役。例 大佐55歳。大尉48歳。
C 予備役将校の内、現役を志望し陸士丁種学生を修了した者。停年まで服役。
D 志願兵として入隊し、満19歳に達した者。
2 予備役
E 現役を終えた者が以降15年4ヶ月服役する。予備役は@〜Dの軍隊経験を有するので、戦時には召集により部隊要員となった。
F 予備役将校養成教育を修了した者。
3 補充兵役
G 徴兵の際、現役に適する者で徴集定員を超えたため、入隊しなかった者が17年4ヶ月服役する。年度予定数に応じて第一・第二を区分する。平時は180日間の教育召集に応じ、戦時は充員・臨時召集に応じ入隊する。
4 国民兵役
H 第一国民兵役=予備役を終えた者、又は戦闘経験を有する補充兵役を終えた者が45歳まで服役。
I 第二国民兵役=@〜Hまでの兵役に服さなかった満17歳〜45歳までの者が服役。
5 義勇兵役
J 男子満15歳〜60歳、女子満17歳〜40歳が服す兵役。1945年6月23日法律39号にて公布施行されたが実施前に終戦を迎えた。

これは jnfi67 さんの 701 に対する返信です

>日本陸軍の兵役区分
投稿者: jnfi67 2003/ 1/15 18:11
メッセージ: 724 / 1876

詳細なレス、有り難うございます!!

義勇兵役まで制定されてたとは、知りませんでした。

*沖縄戦のひめゆり部隊や中学生部隊は、この義勇兵役に入るんですか?

これは yatiyochan さんの 723 に対する返信です

沖縄の学徒隊
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 18:27
メッセージ: 725 / 1876


義勇兵役の公布は先に書いたとおり、1945年6月23日で、この日は沖縄戦の終結したときでもあります。
従って沖縄の学徒隊は義勇兵役ではありません。
沖縄学徒隊は同年1月より軍事教育、看護教育を受け、身分は志願兵、および軍属でした。

*資料=「日本軍の沖縄作戦」 沖縄戦史刊行会 月刊沖縄社 85年

これは jnfi67 さんの 724 に対する返信です

日本陸軍の予備役将校
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 19:03
メッセージ: 726 / 1876


1945年時の予備役将校に関する記述です。

@ 陸軍士官学校卒業の現役将校で、諸事情により、或いは停年(今の定年)により予備役に編入された者。「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿」に記載される。

A 一年現役兵から予備役将校になった者。

B 現役兵の内、甲種幹部候補生を志望し、合格後教育課程を修了した者。

C 現役兵の内、甲種幹部候補生を志望し、合格後陸軍予備士官学校を卒業した者。

D A〜Cの内、特別志願(特志)した者。特志は現役に準ずる待遇となる。

E 学徒動員令(1943年)により、各教育部隊の甲種課程を修了した者。

F C・Eの乙種幹部候補生となった者の内、成績優秀により、「将校勤務適任証書」を付与された者。

G 特別操縦見習士官を志望し、その教育課程を修了した者。

H 現役兵から将校まで累進し、停年を迎えた者。 

これは jnfi67 さんの 701 に対する返信です

>将校、生徒について教えてください
投稿者: marujee 2003/ 1/15 20:27
メッセージ: 727 / 1876


どうも今まではっきりしていなかったことをご存知でしたら教えてください。

@甲種幹部候補生と乙種幹部候補生の違いは(志望できる資格、最高官位など・・・)? 学卒と中卒、高卒の差かなぁ?
A幼年学校、士官学校の生徒の官位は?兵士ではないからぜんぜん比較にならないのかなぁ? 下士官クラスが町であったらどちらが先に敬礼したのかなぁ?
B以前このトピで戦争末期には幼年学校はなかったということですが何時頃無くなったのですか?

これは yatiyochan さんの 726 に対する返信です

陸軍幼年学校
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 21:00
メッセージ: 728 / 1876


陸軍に関心を持っていただき、ご質問ありがとうございます。知っている範囲でお答えします。

@ 甲種幹部候補生は将校になる者を指します。乙種は下士官になる者を指します。これは幹部候補生試験(資格に差はない)により合格者は甲種、不合格者は乙種となります。

A 幼年学校は「陸軍生徒」の身分。陸軍士官学校は正確には予科と本科に分かれ、予科は「生徒」。予科の課程を修了し士官候補生の時点で「上等兵」。3ヶ月の隊付勤務の間に「軍曹」。本科に進み課程を修了し見習士官「曹長」となり、部隊勤務後「少尉」に任官となる。

B 陸軍幼年学校は東京・仙台・名古屋などにあったのが大正時代の軍縮により
次々と閉鎖されましたが、やがて復活し、終戦時まで存在していました。
 
*資料=日本の戦史別巻10 「陸士・陸幼」毎日新聞社 81年

これは marujee さんの 727 に対する返信です

>陸軍幼年学校
投稿者: marujee 2003/ 1/15 21:34
メッセージ: 729 / 1876


どうも有難うございました。
私のDBに入れておきます。

幼年学校は終戦まであったのですねぇ。そうでしょうねぇ。

海軍は兵学校生徒ではどのような扱いだったのでしょうか?(聞く時は一度に聞けよと叱られるかもしれませんが・・・スミマセン。)

これは yatiyochan さんの 728 に対する返信です

比島を蛙飛び・・・?
投稿者: marujee 2003/ 1/15 21:40
メッセージ: 730 / 1876


>「ま、ほったらかしてて大丈夫でしょ♪力攻めは被害大きいし。」とマッカーサー君が判断しました。

マリアナ諸島、ニューギニアをまさに全て占領せんとしていたアメリカ軍は次の侵攻先について陸軍と海軍の意見が分かれました。ニミッツ(海軍)の次の侵攻先は台湾、中国沿岸、沖縄へとマッカーサー(陸軍)は”I shall return” を言うために勿論フィリピン侵攻を主張しました。
結局1944/7/24、 FDRが2者をハワイへ呼んで調整し「後方へ35万の兵力を残したままで日本への直接攻撃は危険が多すぎる」とのマッカーサーの意見が通りフィリピンを先に攻撃することに決めました。これで硫黄島、沖縄の上陸作戦は4~5ヶ月は遅れました。
皆さん、フィリピンを蛙飛びしていたらどうなっていたと思われますか?

当時、サイパン(マリアナ諸島)は占領し、日本本土爆撃は秋には可能、アメリカの潜水艦は日本海まで我が物顔で日本本土沿岸(日本海にも)にまで進出していました。日本海軍、商船の暗号は全て解読しており日本の動きは手に取るように分かっていました。ニミッツ、キングの主張した「台湾を占領し日本の占領地からのシーレーンを抑え油、米、その他必要物資を抑えることはフィリピンでの無用な流血を防げる」という戦略も結構可能性は高く終戦も早まったと思うのですが・・・。

これは jnfi67 さんの 704 に対する返信です

予備役将校の昇進
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/15 21:57
メッセージ: 731 / 1876


現役と予備役の概念はjnfi67氏のメ701にてよく理解できるかと思います。
予備役は平時(平和時)には不必要です。戦時(戦争時)になると多くの部隊を動員するため充員・臨時召集をかけ集めるわけです。
故に予備役は現役に比べ昇進も遅くなります。(平和が続けば全く昇進しない)
最高位は通常「大尉」です。
但し726に記しましたが、特別志願(特志)の制度があります。有能な予備役将校のうち志望者は平時にても勤務でき、待遇も現役に準ずるというもので1937年に発足しました。
特志将校は「少佐」(本によっては中佐も居たらしいが未確認)まで昇進しています。

海軍兵学校に関しては、十分説明できる知識がありませんので、すみません、悪しからず。

これは marujee さんの 729 に対する返信です

陸軍の昇進について
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/15 22:15
メッセージ: 732 / 1876

こんばんは お話見ていました
昇進についての話題が出ていますが 陸軍について 最初は誰でも二等兵から始まるそうです 試験によって昇進していく(または手柄?)普通昇進は曹長までと聞いたことが それより上の少佐 大尉などは 陸大など学校を出ていなければ・・と聞いたことがあります・・そうなんでしょうか? 又今の自衛隊なんかも同じくそうなんでしょうか よろしければ

これは yatiyochan さんの 731 に対する返信です

聞く苦労、是非してください>デコポンさん
投稿者: marujee 2003/ 1/15 22:39
メッセージ: 733 / 1876


>戦争の経験者に話を聞くという事は、どうもしんどいものです。

でもうらやましいですねぇ。お父さんがまだご尊命とは・・・。お父さんには戦前、戦時中の話はぜひ聞いておくべきです。私の場合は近親者ではもういません。 以前は私もこのような人たちに色々聞いたものです。例えば12月8日のニュースを聞いた時にどう感じたかとか、シナ事変の話を聞いてみたり・・・葬式、法事などで少しお酒の入った時に・・・、結構ひどいことをしたことを言っていました。どこまで本当か知りませんが・・・。

米英のサイトを見ているとWW2のOB同士が未だにインターネットで話し合ったり、OBの人が若い人と話をしていましたねぇ。(もっともここのところは覗いていませんが・・・)
例えば自分の親父は軍艦何々に乗っていて撃沈され戦死したのだがこの船に乗っていた人に最後の状況を教えて欲しいと聞いたのを見たことがあります。
打つのはタイプと同じだから結構お年の方でもインターネットをやっているのですねぇ。
この年恰好の人も殆ど鬼籍の人が多くなりました。チョット前までは8/15、12/8が近づくとWW2に関する本が良く出たものですが今ではトンと見かけなくなりました。

これは dekopon346 さんの 718 に対する返信です

>比島を蛙飛び・・・?
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/15 22:52
メッセージ: 734 / 1876


マルジーさんこんばんは

チョット内容はずれかも知れませんが マッカーサーのフィリピンに対する執着はすごいものが 撤退するときよほど悔しかったと見えます 

さて 日本は今でも?土地に執着があります 米はそんなものより高さに執着して制空権を取ることに全力でした 飛び石作戦から見れば もうフィリピンは飛ばしても何等影響はなかったと思います 日本もあっさり 引き下がって入れば損害も少なかったと しかし土地に執着があります レイテが 海軍最後の墓場となった?んですね もう将棋で言えば常に先手を取られていれば 防戦一方になるのは仕方が

話は変りますが 今日のTVで北朝鮮の兵士が アメリカが攻撃してくれば こちらには人間爆弾の部隊があるぞーと叫んでいました 思わずこのトビを思い出し 時代錯誤を覚え 慄然としました 北朝鮮は戦前の日本軍を手本にしていたと聞いたことが 恐いことです

これは marujee さんの 730 に対する返信です

未来への教訓としては?
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/15 23:13
メッセージ: 735 / 1876


yuki070507さん、夜分遅く恐れ入ります。

>私は、日本人の体質、考え方は、世界でもかなり異質と考えています。

異常(異質)な国ということは「正常な国」との比較になりますが、yuki070507さんは、正常な国としてどのような国をイメージされていらっしゃいますか。時間があるときにでもお答え下さい。
個人的には日本がキリスト教的倫理観をもつ欧米との比較において、ユニークな国であり、比較の上で欠点も長所も持ち合わせている国であると理解しています。
昭和の初めは確かに欠点が露呈した形になりました。現代において相変わらずの部分が危機を乗り越えることにより、良い方向に変わっていけばよいと思いますが、変わるのは外圧頼みといったところでしょうか。

>本当に、日本があの無謀な戦争に突入した責任が彼らにあるとお考えですか?

繰り返しのお答えになりますが、何がしかの責任があるかないか、との質問であれば、答えはイエスですし、全ての責任が彼らにあったか、という質問があれば答えはノーです。

>>東京裁判は、「責任の所在」を明確にし、日本が国際社会に復帰する足がかり
>>として意義があったと考えます。たとえその手続き、中身に問題があったとし
>>ても、です。
前の投稿を少し補足しますと、歴史の流れの中で意義があった、ということです。責任が分散し、うやむやになり、誰の責任も追求できなかった、というのよりはましです。

>あなたの理論に従えば、彼らよりしかるべき政府関係者や軍中央の人間が大勢
>いるのではありませんか?

他にそんなには大勢いるかどうかはわかりませんが、他にも責任を追及すべき人間がいるかどうかは議論の残るところである、と何度も申し上げたと思います。
ただ、A級戦犯として処罰される方にも就いていた組織のトップとして、何がしかの責任があります。トップが責任をとって初めてその下の人間が相応の責任を感じることができるのです。
できることなら、タイムマシンに乗ってもう一度東京裁判をやり直したいところですが、残念ながら叶わないことです。戦直後の混乱した状況、勝者が敗者を裁くという不条理の中で、やむを得ない部分があったと思います。
従って、A級戦犯の方々は責任を清算したのですから、不当に人格を貶めることをしてはいけないと思います。

>なぜ、彼らを罰することで良しという結論になるのでしょう?
それとよしにせずに、教訓として、責任の所在を常に明確にすることを、いろいろなところに働きかけたいと思います。家族、コミュニティー、会社、役所、政府、大きいものでも小さいものでも構いません。自分で行動することが大切だと思います。先にも過去は取り返しがつきませんが、未来ならまだ間に合います。
そういえば、以前に「破滅に向かう」と仰っていましたが、そんなこと仰らずにどのように対処すべきか、を考えていきませんか。

これは yuki070507 さんの 714 に対する返信です

海軍生徒
投稿者: jnfi67 2003/ 1/15 23:15
メッセージ: 736 / 1876


海軍の場合、幼年学校に相当する機関はありません。
生徒養成機関は
1.海軍兵学校(江田島)
2.海軍機関学校(舞鶴)
3.海軍経理学校(築地)
の3校で、受験資格は中学4年1学期終了程度。
入校すると「兵曹長の下、一等兵曹(17年以降の上等兵曹)の上」の身分が与えられます。
期間は時期により違いますが、最短2年4ヶ月(74期)〜4年(60期台前半)でした。

卒業後少尉候補生に任官。大体8〜12ヶ月で少尉に任官します。
候補生は前期を練習艦隊で、後期を実施部隊で訓練しました。

これは marujee さんの 729 に対する返信です

>横からスミマセン・・・
投稿者: yuki070507 2003/ 1/15 23:16
メッセージ: 737 / 1876


 昨日は、深夜に大トラで帰って、見なくてもいいこの掲示板を見たのが失敗でした。

>チョット簡単すぎてよく理解できないのですが・・・

 そうでしょう。o_sole_mio00さんにも悪いことを言ってしまいました。

 私の酔った頭の中では、過去の軍事トピや当トピでの投稿やら何やらが、ごっちゃになって説明済み事項としてあったようです。

>>日本人の体質、考え方は、世界でもかなり異質・・・

 これは、軍事カテの大和心トピなどでも言ってきたことなのですが、私は、島国日本の長い平和な農耕社会の中で育まれたムラ社会特有の考え方、行動によるものと思っています。

 聖徳太子以来の和の精神。出る杭は打たれる。沈黙は金。寄らば大樹の陰。村八分への畏れ。赤信号、皆で渡れば怖くない等等。

 前にも投稿しましたが、日本人は、もっと独立心を養い、多様な考えや個の尊重ということを大切にしないと駄目だということです。

 個人の権利については、戦後必要以上に教えられてきましたが、肝心のこうした心には触れられずじまいです。

 ですから、現在の日本における危機・問題点につながっています。
 何度も言いますが、日本人はあれだけの敗戦を経てもなお、何の教訓も得ていないように思います。
 ただ、戦争拒否のヒステリーを起こしただけですね。

 今の、憲法の問題、自衛隊の装備・運用、有事法制、外交、政治・行政等等、抜本的な改革を進めるリーダーも不在。指導者や国民の当事者意識、危機意識の欠如。
 私には、戦前の分析・反省を行わなかったツケによって、その体質は改まらなかったとしか思えません。

>>彼らよりしかるべき政府関係者や軍中央の人間が大勢いるのではありませんか?
>具体的な考えをお持ちですか?

 日本人の視点で、断罪すべき人間がいたということです。
 軍事裁判で裁かれた人たちは戦勝国の論理で裁かれた人たちです。決してイコールではないはずです。

 私が思う人間は以前に一部列挙しました。しかし、当然のことながら、私は戦前日本の政治家・軍人達の行動を逐一知るものではありません。
 何年かかろうとも日本人の手で、事実を分析・究明すべきだったということです。

これは marujee さんの 722 に対する返信です

責任を取るということについて
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/15 23:34
メッセージ: 738 / 1876


責任を取るということについて
人間の責任の取り方の1番は「死」でしょう しかしこの頃裁判などで聞きますのは生かして反省させたい 簡単に?死なせないでーというのもあります この間読んだ本によると 東京裁判前 近衛元総理は服毒自殺 東條大将はピストル自殺 東條大将は米軍の手当てであの裁判となったわけですね そういう意味ではお二方とも最高の責任を取られた 取ろうとされた訳です ここで疑問に思われるのは忠臣であるはずの最高権力者が天皇をおいたまま死のうとされた事です 1死を持ってその命ごいをされようとしたのか 多くの亡くなられた将兵を思いそうされたのか ご本人以外知る由もありません ただ捕虜となることを恥と感じておられたのかも知れません 刑罰の重さは異論の別れるところかも知れませんが 天皇は今でいうところの辛い方の道を選ばれた・・そう思います


最近の企業の不始末は目をおおうばかりです 倫理感のかけらも見れません 日本のこれまでの発展は大企業と国とが船団方式で作ってきたということです しかし国民をああも平気にだますようなことは情けないをとーりこします 小さいながらも会社をやっていますので企業の仕組みは少しは解ります ああやって頭を下げていてもいろんな方法で生活に困ることはありません 責任・・・マスコミの前で頭を下げ 役職を辞任・・・それで済んでしまうところには何の抑止力も感じられないと・・・

ああ今日はちょっとぼやいてしまいました 大目にみてください


Ps;一指し指族はタイピングが遅い 投稿しようとしたら もう皆さんが

 オソレさんの
 >そういえば、以前に「破滅に向かう」と仰っていましたが、そんなこと仰らずにどのように対処すべきか、を考えていきませんか。

この言葉がありました つけ加えさせてください(^^)

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

日本陸軍の昇進
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/16 0:02
メッセージ: 739 / 1876


陸軍の軍制を調べると実にめまぐるしく改正されていることが判ります。

兵役区分に現役兵徴集が19歳ということを記しましたが、普通「おやっ」と思います。19歳というのは1944年からで、それまでは20歳でしたから戦争経験者に訊けば大概そう答えられるでしょう。故に時期によって全く話が通じないことがあります。

あなたの話は明治・大正期の時代のように思えます。従って事実です。現役兵から曹長まで累進するのは出世といえると思います。

戦争末期には学徒動員令によって、特別甲種幹部候補生制度が生まれました。
これは専門学校・師範学校以上に在学する者の内から陸軍大臣の選考により採用。採用後「伍長」。6ヵ月後「軍曹」。2ヶ月間部隊勤務後「曹長」。同時に見習士官というコースです。
これ以外にもいくつかありますが省略します。

自衛隊にはこのような特例的な昇進コースはありません。それは平和を象徴しているのかもしれません。

これは s1_9150242 さんの 732 に対する返信です

>日本陸軍の昇進し
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/16 0:31
メッセージ: 740 / 1876


yatiyochanさんレスありがとう

ものすごくお詳しいですね 私の祖父が日露戦争で陸軍曹長とかで 金鵄勲章とかをもらってあと在郷軍人?でした それで思わずお聞きしました この話は人にした事がありません 1度だけ誰かにしたら あの戦いで生きて帰れたのはきっと井戸にでも隠れていたんだろーと言われました

戦後しばらくして自分で命を絶っています 小さかったのでよくは解りませんがきっといろんな社会の変化に絶望したのかも知れません 祖父ですから もちろん私は尊敬していますし 戦争で戦った兵士の方にも同じ気持ちを持っています

これは yatiyochan さんの 739 に対する返信です

>未来への教訓としては?
投稿者: yuki070507 2003/ 1/16 0:47
メッセージ: 741 / 1876


 o_sole_mio00さん。
 昨日は、大変失礼しました。最近深酒はしないのですが、なかなか帰してもらえず、しこたま飲んでしまいました。

>異常(異質)な国ということは「正常な国」との比較になりますが、yuki070507さんは、正常な国としてどのような国をイメージされていらっしゃいますか。

 異常というとニュアンスが違います。
 私は、日本人の全てが駄目だとは言っていません。
 前にも書いたとおり、長所も欠点もあると考えています。

 ですから、正常な国というと、長所ばかりで欠点がないとうな誤解を生むような気がします。
 ただ、先の戦争における、日米の戦略や戦術、用兵等のさまざまな対処の方法を比較した場合は、歴然とした優劣がありました。
 この原因を突き詰めて考えていくと、日本人の体質や考え方に行き着くということで、これを以前説明しました。

>良い方向に変わっていけばよいと思いますが、変わるのは外圧頼みといったところでしょうか。

 日本人の欠点の一つに、水に流すといいますか、深く考えるということをしないというところがあります。
 何度も問い詰めたり、突き詰める考え方をすると、往々にして小難しい奴だといって敬遠されます。

 あの敗戦は、こうした日本人が真剣に自分らを問い直すチャンスだったと思うのです。
 WW1以後敗戦に至るまでの日本は、反省点が満載です。教訓の宝庫です。
 そして、それは現代に通じるものや本質的なものが多く含まれています。

>責任が分散し、うやむやになり、誰の責任も追求できなかった、というのよりはましです。

 その可能性も確かに否定はしませんが、連合国の論理で一件落着したという気持ちにさせてしまったというのは、利より害が大きかったのではないでしょうか。
 そして、何より無実の罪により戦犯の汚名を着せられた多くの方々の無念を思うと、我々日本人がそれを肯定してはいけないと思うのです。(もちろん、全ての人が無罪だと言っているのではありません)

>A級戦犯として処罰される方にも就いていた組織のトップとして、何がしかの責任があります。トップが責任をとって初めてその下の人間が相応の責任を感じることができるのです。

 その考え方を広く普及させれば、努力責任の考えを発生させると同時に、責任放棄にも通じる両刃の剣のような気がします。
 同じ地位、立場にあっても、人によって為した言動・行動は大きく異なります。もちろん結果もそうです。
 やはり、ケースバイケースで評価すべきではないでしょうか。

 何だか、また反論になってしまいましたね、共通の部分も多くあるのですが、紙面?の関係上、反対意見のみ書きました。あしからず。

 破滅については、何かの僥倖(WW1や朝鮮戦争のような外的な要因)が加わらない限り、自力の解決は不可能だと思います。
 理由は、戦前日本のどこが駄目だったかを考えればわかるはずです。
 ではまた。

これは o_sole_mio00 さんの 735 に対する返信です

金鵄勲章
投稿者: yatiyochan (48歳/男性/福岡市東区) 2003/ 1/16 1:04
メッセージ: 742 / 1876


金鵄勲章(俗にきんし)について伊藤桂一氏が「兵隊たちの陸軍史」(番町書房)の中で述べています。

兵隊の功績を端的にあらわすのは金鵄勲章だが、これくらい無言の誇示となるものはなかった。殊勲甲乙に価する功績がなければこれはもらえない。

次に「金鵄勲章叙賜規定」(受賞の規定)第66条の引用(原文カナを修正)

下士官兵 第66条 抜群の武功を奏したる将校の指揮下に在て能く衆に擢んでて動作し此将校の武功を奏する為め最も力ありと認定せられたる者

つまりこの勲章は抜群の功績者のみに授けられるものであることを記させて頂き、以って御祖父様の冥福をお祈りいたします。

これは s1_9150242 さんの 740 に対する返信です

感謝します
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/16 1:22
メッセージ: 743 / 1876


身内以外の方から

>御祖父様の冥福をお祈りいたします。

と言われたのは始めてです ここにきたかいがあります(正直 今でも何でこんなトビたてたのか不思議なんです 血の成せるわざでしょうか)

みなさんお仕事でお疲れです できるだけ明るく楽しく しかして有意義であったとあとで思えるトビになりますよう ぜひともご協力お願いいたします

では今日は温かい気持ちで休めます
ありがとうございました

これは yatiyochan さんの 742 に対する返信です

完全トビずれですが>オソレさん
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/16 1:44
メッセージ: 744 / 1876


完全トビずれですがお許しのほど

オソレさん> 別トビで岡山県の大原町が地元とか・・・間違っていたらすみませんが ひょっともして私の町と姉妹縁組しているのではありませんか? 今話題になっている 武蔵のふるさと 私の町は小次郎生誕の地です そうですね6〜7年ほど前?調印式がありました そして今でも交流が続いています 小次郎にあやかろうと大騒ぎしていますよ 間違っているかも

ではおやすみなさい

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

遅いレスですが、
投稿者: crub4o 2003/ 1/16 13:47
メッセージ: 745 / 1876


>カッとなって思わず手が出てしまったけど、そのあとどうするか、
どうなるかについてはほとんど(全然か?)考えていなかったのではないでしょうか。
それに、手を出させた側も、客観的に見て全く問題がないとはいえない。
つまり吉良上野が「この田舎侍」と言ったことのように、
キレさせた責任というものもある・・・。

最近、CATVか何かで「忠臣蔵」をやってました。 
片岡知恵蔵御大があのくぐもり声(笑)で圧倒的存在感を示す映画です。
この映画の中で、浅野内匠頭が勿論徹底的に痛めつけられるのですが、
その度に家臣は「殿様、何卒ご堪忍の程を・・」と再三再四にわたり主君の自重を求めます。
赤穂家と家臣団の運命がかかってるから当然の言葉です。
切腹の場に赴く浅野内匠頭浅野内匠頭が、家臣の見送りを受ける有名な場面がありますよね。
そこで内匠頭は、「皆にすまぬ」と一言呟きます。 
この死に臨んだ主君の一言は、播州赤穂の大石(片岡御大)に伝えられます。
「何! 殿が皆にすまぬと申されたと!」と大石は絶句します。
厳しい封建社会の中で、出してはいけない自らの感情に逆らいきれなかった
主君の家臣に対する謝罪の言葉が、公儀への異議申し立てと討ち入りへの導火線
となった事が、映画を観ている誰にも伝わる場面でした。
正直言って感動しちゃいました。

ところで、
厳しい国際社会の中で、出してはいけない自らの感情に逆らいきれなかった
軍部他の国民に対する謝罪の言葉はついぞ聞こえなかったような気がします。
最後の大和撫子とも言える美智子皇后の拉致問題への言及がありましたね。 
あの踏み込んだ思い遣りのお言葉には感動しました。
たとえ法制度上の決定的発言を許されていなかったにせよ、亡き昭和天皇から
「国民よ、すまなかった」と言うお言葉があれば、どれほどすっきり
したかと、そこらあたり、個人的には釈然としない思いがあります。

既出の「一億総懺悔」等という表現もこの辺りと関連してませんか?
忠臣蔵ほどすっきり感動させてもらえないのが、残念です。

これは dekopon346 さんの 667 に対する返信です

>比島を蛙飛び・・・?
投稿者: jnfi67 2003/ 1/16 18:27
メッセージ: 746 / 1876


フィリピンは「蛙飛び」しても、台湾を占領すれば同等以上の戦略効果があったと考えます。

「...日本の占領地からのシーレーンを抑え...」
まさに、これが目的なのですから。
南方資源地帯(今のインドネシアやマレーシア付近ですね)から物資を日本に送るにはどうしても、フィリピン、台湾、沖縄近海を航行します。
その内どれか一箇所でも寸断されると、シーレーンは破綻しますから。

マッカーサーがフィリピンに拘ったのは、一つは些か政治的な動機では無いでしょうか?
彼は開戦初頭、フィリピンから叩き出されていますし。
「I shall return」などと大見得切って見せた手前、恰好付きませんしね。
かなり、自尊心の高い性格だったようで。
それに、大統領選挙にも色気を出していたそうです。
となると、フィリピンを攻略しないままではPR不足になります。

もう一つは、彼は米陸軍参謀総長を経て退役後、フィリピン国軍に招聘された(させた)のですが、その階級は元帥でした。
(参謀総長時代は陸軍大将)
且、父親の代からフィリピンに利権も持っています。
個人的な愛着と欲も有ったと考えられます。

これは marujee さんの 730 に対する返信です

yuki070507さんの投稿の感想
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/16 20:25
メッセージ: 747 / 1876


要すれば、「日本人の思考の型が問題だ」と、理解しました。同感できる部分も多く、大変勉強になりました。

学校で英語を学んで、成績の悪かった私が言うのも変ですが、「ずいぶん論理的な言語なんだな」と思ったものです。「困る」とか「いかがなものか」など、日本語特有のあいまいな表現は出てきませんね。
太平洋戦争は、「英語的考え方」と、「日本語的考え方」との対決、と考えられないでしょうか。とことん理詰めでやってしまう英語的発想が、非論理的で精神主義の日本を圧倒した、と。前に書いたことがありますが、主語や時制の明確でない日本語では、戦争には向かないと思います。

沖縄での日本軍はそれまでと違い、米軍のいやがる出血を強いつつ後退持久する戦法をとり、これには米軍からも評価が高かった、と、何かで読んだ記憶があります。つい最近、この戦法が八原高級参謀(沖縄第32軍の作戦主任)の立案と知り、さらにこの人が開戦時までニューヨークタイムズを読んでいたといわれるほどのアメリカ通だったと言われていることを知りました。「英語的考え方」が、日本軍にも生かされていれば・・・と、残念に感じたものです。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>>未来への教訓としては?
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/16 22:17
メッセージ: 748 / 1876


yuki070507さん

>昨日は、大変失礼しました。最近深酒はしないのですが、なかなか帰して
>もらえず、しこたま飲んでしまいました。

ご丁重なあいさつ、恐れ入ります。どうぞお気になさらないで下さい。私の方は気になりませんので。まあ、皆さん本業があり、アフター5を含めてそちらが忙しいと思いますので、のんびりとやりましょう。

>異常というとニュアンスが違います。

「異常」という言葉を用いましたのはyuki070507さんがMsg679で

>しかし、究明を進める中で、当時の日本の異常さが浮き彫りになるはずです。

という表現をお使いになっていたのが頭に残って、それで「異質」と「異常」を並列させて使用しました。
過去ログでも書いておりますが、私個人としては長所、短所という表現をできるだけ避け「特徴」という言葉を使用するようにしていますので、

>私は、日本人の全てが駄目だとは言っていません。前にも書いたとおり、
>長所も欠点もあると考えています。

には同意いたします。
それでは質問を変えましょう。yuki070507さんにとって普通の国というのはどんな国をイメージされていますか。

>その可能性も確かに否定はしませんが・・・
>・・・両刃の剣のような気がします。

ご自身でも仰られていますが、私とyuki070507さんとの間にそんなに意見の相違がなく、その中でお互いに相違点を強調しあっているような気がします。ディベートの訓練としては格好の素材ですね。yuki070507さんをタフなディベーターであるとお見受けしました。

>破滅については、何かの僥倖(WW1や朝鮮戦争のような外的な要因)が
>加わらない限り、自力の解決は不可能だと思います。

ただ、yuki070507さんのご意見を拝見してチャーチル(敵国の首相で恐縮ですが)のある言葉を思い出しました。

「楽観主義者はすべての問題の中に機会を見出し、悲観主義者はすべての機会の中に問題を見出す」。

私は楽観主義者でありたいと思います。

これは yuki070507 さんの 741 に対する返信です

>責任を取るということについて
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/16 22:38
メッセージ: 749 / 1876


トピ主さん、こんばんは

このタイトルに関して、本日英会話の先生と責任について議論をしましたので、少し紹介させて頂きます。私の英会話の先生はオーストラリア人で、英会話だけでなく、欧米流のビジネスシチュエーション、特に会議の進め方について教えてもらっています。先生によりますと責任を追及することについて日本と欧米では風土が違う(Caltural difference)と話していました。その先生によりますと、日本人は「責任がある=非難する(to be responsible is to be blamed)」と短絡的に考え過ぎるといっています。従って責任を取ることが苦痛となり、責任を避ける、他人に押し付ける、そういった風土になったのでは、と考えいるようです。

これについては、私も同意する部分があり、前にも述べましたが、責任にはアカンタビリティー(accountability)とレスポンシビリティー(responsibility)があり、アカンタビリティーはその地位や肩書きにリンクしているものです。本人が手を下していなくても「監督責任」や「不作為の罪」が問われるのはこのためです。まあ、組織のトップとして管理監督が余りにもずさんであれば当然非難の対象となるでしょうが、ちゃんとやっていて、不可抗力的な部分があったとしてもアカンタビリティーは発生するわけです。
太平洋戦争でも、A級戦犯の罪に問われた人たちは、アカンタビリティーを果たしたといえますし、他に海軍では井上成美、陸軍では今村均のように、自らのアカンタビリティーを自覚し立派に責任を果たした人たちもいます。

これは s1_9150242 さんの 738 に対する返信です

完全トビずれですが>トピ主さん
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/16 22:47
メッセージ: 750 / 1876


トピ主さん、またまたこんばんは

オソレさん> 別トビで岡山県の大原町が地元とか・・・

あちらのトピもご覧になられたんですね。
あちらにもときどき出没します。
すみませんややこしい書き方で、私の実家は、岡山県は同じなのですがずっと
南の倉敷市で、大原町ではありません。倉敷には大原美術館はありますが、大
原町とは関係ないようです。
武蔵とは少し違いますが、現阪神タイガーズの星野監督は、私の中学校の
大先輩です。私が入学するかなり前に卒業されていますが。
ちなみに今住んでいるのが、巌流島のある山口県です。小次郎の(ものと呼ばれる)墓があるのも山口県だそうです。

完全にトピずれですね。失礼しました。

これは s1_9150242 さんの 744 に対する返信です

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