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>>当時はどうでしょうか
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 8 10:43
メッセージ: 601 / 1810

>過労でふらついた整備員がプロペラに首を刎ねられた事故などは
ざらだったようです。

想像するだけで 恐いですね 「世界一危険な職場」・・と言われてもそれ以上に尊敬される職場であったと思います 当時生きていたら私も志願したと(検査ではねられる?)着艦フック?で引っ掛けて止まるんですか・・じゃ 故障してたらもう着艦できないんですね そりゃ危険ですし 前に多くの機が並んでいたら まさに命がけですね 以前子供のゲームソフトで飛行場に1度も無事着陸できなかったのを思い出しました(笑い

昨日はキリバンどなたかに踏んでもらおうと投稿控えていました みなさんお出でになっておられるのでうれしいかぎりです(^^)今日もまた書かせていただきます

これは crub4o さんの 593 に対する返信です


どなたかご存知ですか?
投稿者: marujee 2003/ 1/ 8 11:03
メッセージ: 602 / 1810


空母の件で盛り上がっていまねぇ。下記の件でご存知の方、教えてください。

たった4発の魚雷で沈んだ信濃ですがあちこちのサイトを見てみると
A)飛行甲板は装甲甲板で厚さはコンクリートライニングされてていて30cmになるとあるがどのようなものであったのか? 

上から@コンクリート、鋼 か? A鋼、コンクリート、鋼 か? B鋼、コンクリートか? それぞれの厚さは?

http://twinstars.office110.co.jp/~ships/gallery/a_to_z/momoken_shinano.html
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/402_2.html
http://pub133.ezboard.com/fpanzer4520frm17.showMessage?topicID=4.topic
(中ごろ、後ろから1/4に記載)

Bは施工性が悪く使用時に温度差で隙間が出来て剥離の恐れもあるのでこれはないと思います・・・Aも施工性はよくないですねぇ。 @なのでしょうねぇ。
いずれにしてもあまり良い方法ではありませんが材料、技術不足の当時ではやむを得ずコンクリートを使用したのだと思います。

B)装甲板(バルジ)はコンクリートが流し込んであったともあるがどのようなものか?
厚さは? 手間はかかりますねぇ。それにしても効果はなかったですなぁ。
http://www.warbirds.jp/ansq_old/B1000349.html

これは honkytonk_2002_x さんの 600 に対する返信です

化け猫の主翼折りたたみは面白い
投稿者: marujee 2003/ 1/ 8 11:26
メッセージ: 603 / 1810


>当時の空母の写真なんかで よく翼を折った機が甲板上にずらーっと並んでいる物を見かけたことがありますが そんな戦闘機もできていたんですね

以前プラモデルを作った時に感心したのですが、ただ単に主翼を折っているだけでなく、F6Fヘルキャット(化け猫)は主翼を90度捻って胴体につけるような構造になっていました。これならあのデカイ化け猫でも沢山積めますから。

これは s1_9150242 さんの 592 に対する返信です


>どなたかご存知ですか?
投稿者: jnfi67 2003/ 1/ 8 12:28
メッセージ: 604 / 1810


>@コンクリート、鋼 か? A鋼、コンクリート、鋼 か? B鋼、コンクリートか? それぞれの厚さは?

→う〜〜ん、どうなんでしょう??
私としてはAじゃないかな?と。押しなべて、日本の当時の航空機はブレーキの利きが悪く、滑走路ではコンクリート上への着陸を禁じていたほどですから。
例え艦上に着艦用ワイヤ張ってあったとしても、表面コンクリートは無いんじゃないでしょうか??で、@却下。
Bはmarujeeさんと同意見です。

B)装甲板(バルジ)はコンクリートが流し込んであったともあるがどのようなものか?

→バルジ内部にコンクリート...流し込んだとしても一部なのでは??バルジ内には様々に配管類が通ってますし。(汚水管なんかも)被雷した時、ツリム合わせに反対舷に注水するにも、バルジがコンクリートで充満してたら...

これは marujee さんの 602 に対する返信です

>よーくわかりました
投稿者: jnfi67 2003/ 1/ 8 12:47
メッセージ: 605 / 1810

>当時の空母の写真なんかで よく翼を折った機が甲板上にずらーっと並んでいる物を見かけたことがありますが そんな戦闘機もできていたんですね

→実は折り畳み翼は結構古くて...
日本でも零戦21型(艦載型・16年には配備。太平洋戦争初期の主力戦闘機)は翼端を折りたたんでいます。片翼60cmづつ程ですけど。
60cmと言う無かれ。両翼で1m20cm。2機で2m40cmの省スペースです。限られた空間しかない空母では、これでも凄い事ですね。

大戦末期に採用された米海軍のF8Fベアキャットは、空戦機動中に急激な起動をした際、空中分解を防ぐ為に自動的に翼端を数10cmフッ飛ばす機能を持っていました。

>また現在では 垂直離着陸機なんかもある?とそうするとあの長い甲板もいらなくなるのでは

→垂直離着陸機(VTOL機)は今世界でハリアー・シリーズか、ロシア(旧ソ連)のフォージャーがありますが、いずれも亜音速機で(確か)速度が遅い上、機体のあちこちのマニューバー用の排気孔なんかの為、ハードポイントが限られ兵装も限定されます。
母艦艦載機でも、制空・攻撃任務より、アメリカのように海兵隊での上陸作戦時の上空支援(対地攻撃)任務等、用途が限定されるんですね。

むしろ、アメリカ以外の空母保有国はスキージャンプ甲板を採用してます。

これは s1_9150242 さんの 592 に対する返信です


そういえば・・・
投稿者: dekopon346 (男性/橋の下(らしい)) 2003/ 1/ 8 13:01
メッセージ: 606 / 1810


空母の話、興味しんしんです。艦船のことにはうといもので・・。


ところで、旧ソ連の空母ミンスクが就役したとき、VTOL機ときいて「へー」と思ったのですが、排気熱に飛行甲板が耐えられず、すぐ改修にかかったと聞いていますが、ほんとうでしょうか?

これは jnfi67 さんの 605 に対する返信です


F6Fの自動主翼折りたたみ機構
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/ 8 14:56
メッセージ: 607 / 1810


まず、自分が昨夜キリ番を取っていたようでして、気が付きもせず、スミマセンでした☆

さて、

>F6Fヘルキャット(化け猫)は主翼を90度捻って胴体につけるような構造になっていました。

米海軍の当時のカラーフィルムを見る機会があったのですが、F6Fの主翼の折りたたみ機構が自動なんで、「うひゃ〜!」と唸ってしまいました。(知ってはいましたが、実際にあの動く機構をフィルムで見て、「こりゃあ発艦も着艦も迅速だし、機付整備員も楽だわ!」と実感しました。
日本が、九七艦攻や天山艦攻の長い主翼を、何人もの人々がえっちらおっちらたたんでいたかと思うと、実に気の毒になりました。

映画「トラ トラ トラ!」の中で、一航戦(≠一航艦)参謀源田少佐が赤城艦上で零戦二一型の翼端折りたたみ機構を自慢するシーンが有りましたが、米海軍機の翼の根元からねじってたたむ方式は、更にその上を行って本当に搭載能力向上に寄与したのでしょうね。

それから…どなたかが着艦に失敗した場合のお話しをなさっていたと思いましたが、えーと、あれは着艦フックでワイヤーを引っ掛けそこなった場合、網状のバリケードで飛行機の暴走を「ガシャン」と激突させて食い止めるんでしたよね。

これは marujee さんの 603 に対する返信です

>感服です
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/ 8 16:05
メッセージ: 608 / 1810


>現在の会社でも、「営業マンがそれ以外の部署を軽く見る」傾向・・・いまはそれほどでもないかな・・が、ありますね。

そう言えば、日本海軍の航空部隊での因習について。
もともと日本海軍の空母なり陸上の航空隊では、もちろん搭乗員が「主役」という意識はあり、彼等の鼻息も荒かったのは確かですが、「同じ釜の飯」という考えから、当初は飛行科も一般兵科(航海、砲術、通信などなど)も主計科も軍医科も比較的和気藹々としていたのが、昭和19年からの「空地分離制度」により、ギスギスしたものになったようです。
「空地分離」とは、搭乗員を大作戦でたくさん戦死させてしまうと、航空隊にしろ母艦にしろ、最初から部隊編制をやり直さなければならなかったのを、搭乗員を中心とした「飛行隊」を半ば航空隊や母艦から独立させ、必要に応じてある飛行隊を付属させたり外したりして、臨機応変に部隊を運営しようという発想のもとに作られたシステムでした。
なるほど米海軍も、空母には半独立的な「飛行隊」(戦闘機の場合「VF-××」という部隊番号がある)を付属させて運用していますが、どういう訳か日本ではうまくいかなかった。
日本の場合、この「空地分離」で飛行隊と他の兵科の将兵達が顔なじみになる前にともに作戦に突入する事が多く、母艦にしろ陸上航空隊にしろ、地上員・母艦乗組員から見れば搭乗員達は「お客さん」になってしまい、さらに悪い場合、一般兵科の将兵達が搭乗員達を「なんだあいつら。搭乗員だからってデカい面しやがって。食い物だってあいつらは滋養たっぷり。俺達は何なんだい?」という目で見てしまう事も多々あったようです。
確かに戦死率は、搭乗員の方が高かったでしょう。敵戦闘機や熾烈な対空砲火を掻い潜って敵艦隊を攻撃するのは、殆ど死を意味しました。
しかし、母艦固有の乗組員も、「それなら俺達だって、敵機の爆弾や魚雷でボカ沈、はいお陀仏、なんてザラだぜ」という気持ちがあった事でしょう。
また、この「空地分離」システムを搭乗員側から見ても、作戦中に途中で立ち寄った基地の指揮官の指揮下に無条件で入れられる事になり、

「隊長、さっそくで済まんが、君の隊から特攻隊員を2名出して欲しいんだ。」
「え! どういう事です? 我々はこれから○○へ向かう途中なんですよ! それに、そういう大事な事は私も上官の××司令に相談せねばなりません」
「ここに着陸したからには、自動的に私の指揮下に入るのだ。××司令には私から言っておくから安心したまえ。それじゃ、頼んだぞ」

などという事もあったようです。
これはやはり、現場よりも、そういう血の通わない編成にしてしまった上層部の責任と言わざるを得ません。作戦を立てるのも、兵器を使うのも、結局は「人」なのですし。

これは dekopon346 さんの 595 に対する返信です

「空地分離制度」
投稿者: jnfi67 2003/ 1/ 8 17:38
メッセージ: 609 / 1810


日本と米国が失敗・成功した一因として、搭乗員の養成システムに差が有ったのでしょうね。
空陸分離自体は良い着想だと思います。
母艦固有の搭乗員にした場合、飛行科以外の乗員が全員無事でも、搭乗員の被害が多すぎると、それだけで戦力外ですから。
アメリカはこの空陸分離で、基本的に2ローテーション(後に3ローテーション)を組んでいました。
例えば初期〜中期、空母エンタープライズ搭載のA航空隊があるとすると、その予備にB航空隊を後方に待機させている。
Aが消耗するとBに交代し、Bがエンタープライズ搭載飛行隊となり、Aはパイロットの充員・補給・休養・訓練を行い戦力回復を行う。
3ローテーションだと、A:戦闘、B:待機・訓練、C:充員・補給・休養と、このローテーションで戦います。

対して日本は...
A:ずっと戦闘。損害は余裕があったら充員。すり潰れるまで、戦闘、戦闘、戦闘...BもCも無し。でした。
空陸分離が行われた時には、既に戦局に全く余裕が無く(と、言うより、奈落の底に穴掘っている状態)ローテーションが組める状態では有りませんでした。
なので、搭乗員も他の基地要員、乗組員も気持ちギスギスしていたのでは?

勿論、「持てる国アメリカ」と同じだけのパイロット要請を「赤貧国日本」に望むのは無理ですが、せめて戦争中期以降に実施した予備飛行士官養成の拡大(養成自体は戦前からしていた)、予科練の拡大、を史実の規模でとは言いませんが(機材も燃料も足りない)その3〜4割でもしていれば...
因みに昭和16年の飛行士官養成課程(第36期飛行学生・海兵68期主体)は定員100名強。予科練数百人。
17年頃の38期飛行学生(海兵70期主体)で130名ほど。
対して、18年採用の13期飛行予備学生は約3000名程。14期飛行予備学生(学徒出陣の人達)で2500名ほど。
同じ時期の予科練は万の単位です。

1,2年で慌てて泥縄式に大増員。でも、練習機の生産戦争中合計で陸海軍あわせても500機ほど。
どうやって、乗り回すつもりだったんだろう。燃料も無いし。

因みにアメリカは練習機生産(大戦中通算)約1万機。年産約5000機強。大学には陸海軍の予備将校養成課程があり、飛行予備士官教育も質・量ともに大違いでした。燃料も自国で確保できるし。

参考までに、昭和19年頃の日米パイロットの初陣時の飛行時間は...
日本:100〜200時間
アメリカ:500〜600時間

500〜600時間の飛行経験って、戦前や戦争初期の日本海軍航空隊では、全くの初心者、未熟者扱いなのですが、末期では熟練ベテランパイロットの部類に入ります。(中期以降の特攻隊員飛行時間、60〜90時間)

開戦時の日本海軍パイロット数・約3700名
17年末期までに戦死した日本海軍パイロット・約3800名
実質的に、17年末期には海軍航空隊は壊滅していました。

>「隊長、さっそくで済まんが、君の隊から特攻隊員を2名出して欲しいんだ。」
「え! どういう事です? 我々はこれから○○へ向かう途中なんですよ! それに、そういう大事な事は私も上官の××司令に相談せねばなりません」
「ここに着陸したからには、自動的に私の指揮下に入るのだ。××司令には私から言っておくから安心したまえ。それじゃ、頼んだぞ」

→これ同様の回顧録があります。19年のフィリピン・マバラカット基地の第2梅花隊(指揮官・尾辻中尉・海兵71期)のお話し。

ここに出て来る「隊長」が、角田和男少尉(操練出身のベテラン。在命中)で「私」は大西瀧治郎中将。「隊長」に話し掛けたのは「菅野 直(かんの なおし)大尉」(海兵70期。関行雄大尉と同期。20年6月四国沖で戦死。343空・「新撰組」飛行隊長)

これは honkytonk_2002_x さんの 608 に対する返信です

アメリカニズムとプラグマティズム
投稿者: crub4o 2003/ 1/ 8 20:48
メッセージ: 610 / 1810


やはり、話題がアメリカの思考方式と行動方式に言及されますと、どうしても再度、たわ言を呟きたくなります。

アメリカの思考方式と行動方式は、
戦時平時を問わず、プラグマティズムと言う哲学に裏付けられていると思います。

http://homepage.mac.com/pragma/pragmatism.html

以下、煩雑ですが若干の抜粋です。

プラグマティズムの特徴は、要するに、思考を行動(行為)との関連の元にとらえる点にある。すなわち、どのような思想も、それに基づいて行動した結果がどうであるか、という観点からとらえられることになる。言いかえれば、我々の抱く思想は、現実の問題を解決するための道具であり、たとえば科学の用いる概念図式は、過去の経験にてらして未来の経験を予測するための道具に他ならない。したがってナイフの良し悪しがその切れ味によって決まるように、思想や概念図式の良し悪しは、その道具としての有効性によって評価されることになる。

「自分が何を考えているかを知り、自分が用いている概念の意味を自由に使いこなせるようになるということは、優れた重みのある思想を形成するためのしっかりとした基礎をつくるだろう。この方法は概念の蓄えが貧弱で、狭い範囲に限られているような人々でさえ、きわめて容易に習得することができるが、もしそれができれば、概念過剰の泥沼の中で、むやみにもがいているような人に比べて、はるかに幸せとなるだろう。」
**********************************

「思想や概念図式の良し悪しは、その道具としての有効性によって評価されることになる。」
これをもって、バートランド・ラッセルはアメリカ的思考行動方式を、一種の「器用的哲学」と呼称しました。 「しらみを想念する」のではなく、「しらみを駆除する事を想念する」のだと。 言い換えると、「状況を適当に支配できる」思考方式と行動方式が、大事であり、尊重されると言う事であると思います。

「この方法は概念の蓄えが貧弱で、狭い範囲に限られているような人々でさえ、きわめて容易に習得することができるが」
これは、アメリカが発展してきた歴史的背景の中で、大量生産とマニュアル重視主義が必要であった事を非常に巧妙に説明していると思います。

過去のしがらみが無い(様々な事情で持ちようがなかった)アメリカでは、軍隊も社会と同様に、大衆性の非常に強い存在でした。
指導的立場に在る人達は、過去のしがらみに捉われず、
「思想や概念図式の良し悪しは、その道具としての有効性によって評価されることになる。」と言う視点で、戦略や戦術を最もアメリカに適し、最も有効な方法で組織する事に慣れていました。

またその指揮を受ける大衆(一般の兵隊)は、高度な技術や概念を、徹底的なマニュアル至上主義で速成教育を受ける事に慣れていました。 その方法に、若干柔軟性に欠ける事はあっても、米軍はマニュアル主義を捨てるのでは無く、マニュアルを驚くべき速さで改編し、現実に合わせていく道を選んだのです。
その究極的到達点の一つが、アポロ計画ではなかったのでしょうか?

ロンメル将軍は、米軍と戦ってこう言ったそうです。
「最初は馬鹿の一つ覚えだが、痛い目に合うと、次はそれを必ず訂正して来る」

さあ、我々日本人は、どうなんでしょうか?

 

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

化け猫>marujeeさん
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 8 22:48
メッセージ: 611 / 1810


こんばんは

>以前プラモデルを作った時に

マルジーさんもプラモ作ったんですか 私は連合艦隊を作ろうと 「大和」以下空母 巡洋艦 駆逐艦など15隻?ほど作ったんですが スケールを合わせなければチグハグになるとそればかり考えて あと潜水艦は下の方外さなければ 全体とマッチしない 綿なんかを散らして(波のつもり)あきずに 眺めていた思い出が

F6Fヘルキャット(化け猫)って言うんですか すごい呼び名をつけたもんですね(^^) 

これは marujee さんの 603 に対する返信です

日本の零戦にも
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 8 22:56
メッセージ: 612 / 1810


jnfi67さん 折り畳み翼は日本の零戦にもあったんですね 

>60cmと言う無かれ。両翼で1m20cm。2機で2m40cmの省スペースです。限られた空間しかない空母では、これでも凄い事ですね。

何でも米国には・・と思っていましたが 日本もがんばっていました 嬉しいお話でした

>むしろ、アメリカ以外の空母保有国はスキージャンプ甲板を採用してます。

スキージャンプ甲板って? よろしければ

ありがとうございました^^

これは jnfi67 さんの 605 に対する返信です

>アメリカニズムとプラグマティズム
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 8 23:03
メッセージ: 613 / 1827

>ロンメル将軍は、米軍と戦ってこう言ったそうです。
「最初は馬鹿の一つ覚えだが、痛い目に合うと、次はそれを必ず訂正して来る」

さあ、我々日本人は、どうなんでしょうか?

crub4oさん>いつもありがとう!
ちょっと 難しそう(私には)何度も読んでから 感想を書きますね

オソレさんに期待!(^_^;)

もう1度ゆっくり皆さんの読み直しします
ありがとうございました


これは crub4o さんの 610 に対する返信です

プラモで艦隊作るなら
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/ 8 23:03
メッセージ: 614 / 1828

1/700ウォーターラインシリーズですね。
中学校の時にはまっていました。
「ポケット機動部隊」と称して空母龍穣と巡洋戦艦シャルンホルストの日独合同艦隊を編成して悦にいったことがあります。
自分の一番の出来は、キングジョージ5世で塗装も上手くいったので、これだけは捨てずに保管しておいたのですが、もう20年以上立ちましたので、勝手に捨てられたかもしれません。
ここに来るとまた作りたくなってきました。

これは s1_9150242 さんの 611 に対する返信です

>アメリカニズムとプラグマティズム
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/ 9 0:13
メッセージ: 615 / 1828


トピ主さんのご期待に添えるかどうか不安ですが(^^;

crub4oさんの仰られる通り、アメリカ人はプラグマティズムに裏打ちされた合理的な思考を行います。ご存知の通りアメリカは、人種の坩堝であり、DNA的な「アメリカ人」は定義できません。アメリカの環境といますか、システムがプラグマティズムを培っていくのではないかと思われます。
その環境というのは何か、ということを考えたのですが、日本と比較しますと典型的な組織では上下関係というのは厳然と存在するのですが、アメリカでは、部下が上司をファーストネームで呼んだり、激しく議論したりというのが日常です。ヒエラルキー社会とフラットな社会の差は、合理的な思考にもある程度影響してくるのではないかと思います。とは言いましてもいかにアメリカといえども、軍隊での上下関係は、絶対ですし、訓練等で、上官が部下を激しく叱咤する光景もテレビなどで目にします。

そういえば、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、今週の日曜日の深夜にNHKで、アメリカへ留学し、アメリカの企業に就職していた30才過ぎの中国人が母国のベンチャー企業の社長として招聘されたのですが、社員は、遅刻はするは、役人的であり昔の体制をまだ引きずっていました。業を煮やした社長は社員全員を集めて「社会主義的な考えはやめてくれ」と叫んでいました、社会主義国の中国で、です。アメリカ的ビジネス感覚からの発言ですが、社長にしても中国にいれば、中国的な思考や行動をしたはずですが、アメリカで学ぶことによりアメリカニズムを体得できたのだと思います。

アメリカの社会を見ますと、自由かつ、柔軟な思考力と目的意識、一方でマニュアル主義、一見矛盾しますが、合理的な分業制に根ざしたものだと思います。ただ、考える人は一生懸命考え、考えなくても良い人は何も考えずにマニュアル通りに行動する。ここが貧富の差の分かれ目にもなる訳です。

何故、アメリカでこのような思考様式なったかは、crub4oさんが仰られていますが、移民国家であること、歴史的なしがらみがないことと、清教徒及びネイティブアメリカンを除いて、富を得るために集まった人々とその子孫の国家であることなどが要因ではないかと思います。「富を得ること」ぐらい明確な目的はないと思うのですがいかがでしょうか。

もっともベトナム戦争のときにアメリカ人たちは、泥沼化する戦争に目的を見失い、アメリカ全土を退廃的なムードに包まれました。世界有数の合理的思考をもつアメリカにしても、他の国とは絶対的に異なるということでもなさそうです。

これは crub4o さんの 610 に対する返信です

ありがとうございます
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/ 9 0:51
メッセージ: 616 / 1828


jnfi67様

詳細なご説明有り難うございます。
そうですね。「ラバウルからは死ななきゃ帰れないのさ」という言葉がしばしば聞かれたらしいですが、定期的な人事異動以外では最後まで現地で酷使されるのが日本でした。
ソロモン方面の連合軍搭乗員達は、ローテーションで確実にヌーメアあたりで休息できるので、それを楽しみに奮闘するという事も出来たでしょうね。
そのような不利な状況で敢闘した日本軍将兵に同情の念を禁じ得ません。

>→これ同様の回顧録があります。19年のフィリピン・マバラカット基地の第2梅花隊(指揮官・尾辻中尉・海兵71期)のお話し。

実は、その辺の話ですとか、現在群馬県上野村の村長黒澤丈夫氏(元海軍少佐 海兵63期)の話がベースになっております。
尾辻中尉は、「K部隊」出身。つまり母艦航空隊である634空から特攻隊に来られた方でしたよね。
角田和男氏(乙5期 元海軍中尉)も、尾辻中尉が部下達をいたわる様子を「慈母観音のようだった」と言っておられましたっけ。

これは jnfi67 さんの 609 に対する返信です


関連
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/ 9 10:20
メッセージ: 617 / 1828


気の毒なのは 兎に角第1線であったと 上級司令部や大本営が 敵の戦法に関する情報も知らず 密林の孤島という認識もなく 増援隊はもちろん 握り飯1個もよう送り届けないで 一歩たりとも後退させないという非常さはどこから来たのだろう?ようするに大本営作戦課や上級司令部が 米軍の能力 戦法 地形に対する情報のないまま 机上で二流三流軍(中国軍)に対すると同様の作戦をたてたことに 上官の命令は天皇の命令となり 退却は大罪・・・

おはようございます! 今日も元気で(^^)

これは honkytonk_2002_x さんの 616 に対する返信です

コインの裏と表
投稿者: crub4o 2003/ 1/ 9 22:36
メッセージ: 618 / 1828

流石にo_sole_mio00様です!
私の言いたい事をご経験からも詳しく裏付けていただきました。
有難う御座います。

>「富を得ること」ぐらい明確な目的はないと思うのですがいかがでしょうか

この目的に邁進する事において、アメリカほど徹底された国は存在しないでしょう。
日本人は欲呆けなどと言われますが、
その徹底振りと論理の首尾一貫している事は感嘆するほどです。
私は商業に従事していますが、アメリカの同業態の生き様を見聞して、それを実感しました。
だからこそ、私は日本がアメリカの思考様式生活様式に追随する事に対し、一抹の危惧の念を拭う事が出来ません。
中途半端な考え方や行動をしている者が、先達を軽々しく真似ると、碌な事は無いと思うのですが、如何でしょうか?

>もっともベトナム戦争のときにアメリカ人たちは、泥沼化する戦争に目的を見失い、アメリカ全土を退廃的なムードに包まれました。

この結果、出てきた方式が先の湾岸戦争で徹底的に実証された戦い方ではないですか?
ステルス爆撃機
巡航ミサイル
テレビジョン誘導又はGPS誘導爆弾
強力な主力戦闘車両と劣化ウラン弾

何れをとっても、敵が対応する暇も無く、米軍の損失は極小で、相手方は壊滅する兵器体系ばかりです。
それは軍隊の一つの夢ではありますが、
それを喧伝する米側プレスの姿勢には、違和感を禁ずる事が出来ません。
独裁者を倒すと言うと姿勢が気に食わないと言うのではなく、「結果良ければ、全て良し」と言う思想に危惧を感ずるのです。

アメリカの何もかもそうだと言う積りは毛頭ありませんが、これがプラグマティズムのコインの裏と表ではないかという気がしてなりません。

日本人はさて、どちらに向いて生きていくべきなのでしょうか?
是非、皆さんに聞いてみたいと思います。

これは o_sole_mio00 さんの 615 に対する返信です


>コインの裏と表
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/ 9 23:42
メッセージ: 619 / 1828

crub4o様、こんばんは
お褒めに預かり恐縮です。

>>もっともベトナム戦争のときにアメリカ人たちは、泥沼化する戦争に目的を見失
>>い、アメリカ全土を退廃的なムードに包まれました。
>この結果、出てきた方式が先の湾岸戦争で徹底的に実証された戦い方ではない
>ですか?

確かに1980年代以降は、ベトナムの失敗を教訓として、見事に修正してきたと思います。

しかし、ベトナム戦争に関して言えば、もっと早く撤退する機会はあったのではないかと思います。ベトナム戦争に関して言えば1970年代にはアメリカ的プラグマティズムは機能しなかったのではないかとも言えるのではないでしょうか。

また、湾岸戦争以降のアメリカの戦いを見ていますと、ベトナム戦争の教訓から泥沼化は避けられる戦略を選んでいますが、湾岸戦争でのサダムフセイン、アフガンでのオサマビンラディンのように不倶戴天の宿敵に対して止めを刺すことができなかったという課題を残しています。次の(?)イラク侵攻では、そこをどう修正するかは注目すべきところではあります。

>日本がアメリカの思考様式生活様式に追随する事に対し、一抹の危惧の念を拭う
>事が出来ません。

仰る通りと思います。これについては面白い例があります。雪印などの企業不祥事が相次いだとき、ビジネス誌などで「企業不祥事の再発を防止するためには、日本もアメリカにならってコーポレートガバナンス(企業統治)のシステムをとりいれるべきだ」みたいなことが書かれており、当時一部の企業で取り入られていたコーポレートガバナンスが脚光を浴びるようになりました。一方コーポレートガバナンスのお手本であるアメリカ企業では、エンロンやワールドコムなどの巨大企業での不祥事が相次ぎ、不祥事の抑止としてコーポレートガバナンスは必ずしも機能しないことが証明されました。
更にもう一つ言えば、日本は海外のシステムを取り入れる場合、形だけの帳尻合わせに留まり、「仏作って魂入れず」といったことになりがちです。
アメリカでも新しいシステムを取り入れても、別の弊害が生じたり、システムが停滞することにより、機能不全が生じたりするようです。しかしながら、アメリカ式プラグマティズムは、crub4oさんもご指摘の通り、他の社会にはないスピードで修正してきます。いろいろと欠点もありますが、そういった適応力と変化を恐れない勇気はアメリカのすごいところです。

これは crub4o さんの 618 に対する返信です

我々の向くべき先
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/10 0:17
メッセージ: 620 / 1828

crub4oさんのご質問

>日本人はさて、どちらに向いて生きていくべきなのでしょうか?

私の個人的な考えは、これだけ多様化した社会であれば、同じ日本人であっても向くべき方向は違ってくると思います。今後は、一人一人が、自分の意志をもって進むべきものと思います。
例えば、最近日本の企業でも「勝ち組」と「負け組」に双極化してきています。一昔前では、規制に縛られる一方で保護され、「護送船団方式」で一律に発展してきました。しかし金融(いまや全て「負け組」)を除いて自由な競争にさらされるようになりました。「勝ち組」と「負け組」では向くべき方向はおのずと違ってきます。一方いわゆる「勝ち組」企業内では、社員同士が厳しい競争にさらされています。いくら企業が「勝ち組」でも自分がその中で「負け組」になってしまったら、何の意味もないと思います。逆に言えば「負け組」企業に属していても、その時に培った経験があとに生かされ、個人として「勝ち組」になること(勝ち組への転職、自分でベンチャーを興すなど)もありえます。

方向はどうであれ、これからは我々一人一人がもっと強くなること、別の言い方をすると実力をつけることが必要ではないでしょうか。

これは crub4o さんの 618 に対する返信です

それについては…
投稿者: honkytonk_2002_x (男性/扶桑) 2003/ 1/10 2:03
メッセージ: 621 / 1828


どうもです☆
そういった、兵站ですとか、敵の戦法の研究がどうだったかについては、以下の本がオススメです!↓

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167274027/qid=1042131507/sr=1-2/ref=sr _1_2_2/249-5001146-7881133

如何に日本がおっとり刀だったか…。

これは s1_9150242 さんの 617 に対する返信です

ベトナム戦争の教訓
投稿者: EzoWolf 2003/ 1/10 12:43
メッセージ: 622 / 1828

 「ベトナム戦争の教訓」で問題なのは、アメリカ軍がそれ以降の戦争で報道陣を
コントロールするようになったことです。グレナダ、パナマ、湾岸戦争と報道陣は
自由な取材活動ができなくなっています。
 私はこちらの方に危険を感じます。

これは crub4o さんの 618 に対する返信です

>アメリカニズムとプラグマティズム
投稿者: jnfi67 2003/ 1/10 13:05
メッセージ: 623 / 1828


感服...この言葉しか出ません(^^;

>思想や概念図式の良し悪しは、その道具としての有効性によって評価されることになる。

→この言葉の例として妥当かどうか、イマイチ自信ないのですが...
例)階級と役職:役職を「思想や概念図式」とすれば、その「道具としての有効性の評価」は階級なのかな、と。
大戦期の(今でも?)米軍では基本的に「正規階級」「仮階級」の2種類有りまして。
将官は基本的に全員、正規階級が少将なのです。(元帥除く)
で、それ以上は「仮階級」として「役職」に付随します。
第3艦隊司令官に就任したら「仮」中将、太平洋艦隊司令長官に就任したら「仮」大将に昇進する。勿論、昇給もします。
で、そのポジションを何らかの理由で辞任・解任されたら、また元の「正規階級」の少将に戻ります。
太平洋戦争開戦時の真珠湾攻撃により、時の米太平洋艦隊司令長官・キンメル大将は、解任の上、「少将」に降格されたと何かで読みなしたが、「解任」は正解でも「降格」ではなく「元に戻った」のです。

この場合。「道具としての有効性」(海軍大将としての)を示せなかったキンメルは「思想や概念図式の良し悪し」の判断をされ(太平洋艦隊司令長官として適任か。無論、責任問題も)解任された、と。

ちょっと「屁」理屈になってしまいましたが、crub4oさんの文章を自分なりに必死こいて読んだ結果の感想です。

どんなものでしょう??

これは crub4o さんの 610 に対する返信です

>コインの裏と表
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/10 16:50
メッセージ: 624 / 1828

レスいろいろありがとう>みなさま

>日本人はさて、どちらに向いて生きていくべきなのでしょうか?

またトンチンカンになったら・・と心配ですが みなさんなら許してくれそうです

「西部開拓史」いい映画でした そこで思うことは 最近のTV大統領演説を見て思うことは「正義」はいつでも米国にある といった決め付けばかりが目立ちませんか?どーしてビルに突っ込んでくるような狂信的と言える人達がいるのか そこを力で押し込んでしまっているように思います

銃を持っていなければ家族を守れなかった歴史を持つ国と 支配者に柔順で武器を持たなくてもこれた?国とは同一視できないのではないかと 侍は刀をよほどのことがない限り抜かなかったそうで またその罰則も厳しかったと

英国から独立できたのも インディアンの土地を取り上げたのも 現在のイラクにいたるまでその底辺を流れる思想は自分達にのみ「神」(正義)がいて 「銃の力」の前には なんぴとたりとも屈する それだけのように思えます

コインには厚さがあるはず その中心でいることはできませんか・・・(卑怯な答え?
また それがだめならコインではなく「硬貨」で考えてはどうでしょう 日本は日本らしい考え方・・・なら無理がないように
・・・だから戦争に負けちゃったんだよ・・・と声が聞こえそうです(汗

すみません また議論をムチャクチャに?みなさんのお考え静かに見ています

これは crub4o さんの 618 に対する返信です

>どんなものでしょう??
投稿者: crub4o 2003/ 1/10 17:19
メッセージ: 625 / 1828

jnfi67さん、ずばりその通りだと思います。 
人事そのものが、プラグマティズムに裏付けられているのでしょうね。

>この場合。「道具としての有効性」(海軍大将としての)を示せなかったキンメルは「思想や概念図式の良し悪し」の判断をされ(太平洋艦隊司令長官として適任か。無論、責任問題も)解任された、と。

となると、ある職務を委託された「人」は「道具としての有効性」を発揮できないと、廃物となりますね。 これはどっかで聞いた事のある話では・・
そう、織田信長の部下に対する処遇ではないですか?
日本人には、織田信長ファンは多いけれども、その斬新なアイディアや実行力を評価する人も、役立たずとなったかっての部下を言わば「ごみ」扱いで放り出す信長の所業についてコメントする人は比較的少ないのではないでしょうか?
信長は結局、いずれ自分も「ごみ」扱いされると錯覚(?)した人物の手にかかりましたね。
江戸時代以前で、恐らく最も合理的な思考行動様式をとっていたであろう人物が、自らが採用したプラグマティズムの反作用にあっけなく倒れたのです。 
日本史「丸出ダメ夫」の私が言及する資格はありませんが、
この事の意味は、日本人の奥深くに根付いた心性を考察する上で、この上もなく重大な出来事であり、また現代に至るも明快な解答は出ていないのではないかと思います。

私が、アメリカ的プラグマティズムの長所に感嘆しつつも、それを日本に導入すべきだと意見する人達に若干の違和感を禁じえないのは、その副作用が歴史の浅いアメリカと相違して、日本では間違いなく激烈である事をその方々は完全に理解されていないのではと考えるからです。
アメリカ的思考様式行動様式は、戦後日本を大きく変えましたが、それは日本人自身が過去自縄
自縛で困っていた部分だけに作用したのであって、束縛される事により日本人一人一人が甘やか
されていた部分は手付かずだったのでは思います。(例証無しの妄想気味で申し訳ない)
資本主義の牙城アメリカにおけるプラグマティズムの最も枢要で厳しい克己を要求される思想
の副作用は、まだ日本では全面的に発現していないと思うのです。

o_sole_mio00様が、
>「勝ち組」と「負け組」では向くべき方向はおのずと違ってきます。一方いわゆる「勝ち組」企業内では、社員同士が厳しい競争にさらされています。いくら企業が「勝ち組」でも自分がその中で「負け組」になってしまったら、何の意味もないと思います。逆に言えば「負け組」企業に属していても、その時に培った経験があとに生かされ、個人として「勝ち組」になること(勝ち組への転職、自分でベンチャーを興すなど)もありえます。
>方向はどうであれ、これからは我々一人一人がもっと強くなること、別の言い方をすると実力をつけることが必要ではないでしょうか。

と仰っておられます。 その通りであり、私も「負け組」の経営者の一人として、おのず
と違う方向性に会社を引っ張っておりますし、一人一人が実力をつけなければならない事
は当然至極であります。

にもかかわらず思う事、それは、
企業に良かれ悪しかれ「社風」というものがあるように、国家又はそれに類する巨大な集
団にはより良い未来を切り拓く為の何らかの方向性が存在すべきだと言う事です。
私はフィンランドの苦難に満ちた歴史をそれを意識して投稿してきました。
アメリカに良かれ悪しかれプラグマティズムと言う根幹があるとせば、その長所を取り入
れ、その短所の副作用を軽減化するだけの新しい日本人としての根幹思想が必要なのでは
ないかとおぼろげに考えています。
軍カテには「大和心」と言うトピがあり、そこでは過去の日本人が慈しんできた思想概念
が詳しく論じられていますが、浅学で僭越ではありますが、これから日本人に必要な根幹
思想はそれだけではないと言うような気がしています。
誤解無きように言えば、私は全体主義思想に賛成しているのでは決してありません。

商売をやっていて思うのは、時の流れがここ10年程で異常に加速化しているなという事で
す。 まず、個人が強くあれと言うのは、理の当然なのですが、大きな困難に直面しよう
としている現在の日本には、同時に新しい日本に必要な根幹思想とそれに同意し、その指
揮を執っていく政治家を「作っていく」事が必須なのではと考えています。
でないと、いずれ時の流れが「個人の努力」に追いつき追い越してしまうのではと不安の
念に駆られる時があります。

文章になってませんね(笑) 堪忍して下さい。 

これは jnfi67 さんの 623 に対する返信です

プラモに嵌っていました
投稿者: marujee 2003/ 1/10 18:26
メッセージ: 626 / 1828


20何年前になると思いますがプラモデルで第2次大戦時の稼動機を作ろうと思いたって、1/72に統一して爆撃機は生産台数1000機以上、戦闘機は3000機以上のものをほぼ全て作りました。これを見ながら戦記物を読むのに嵌っていたのです。

例えばゼロ戦と化け猫を比べてみると大きさ、形、色(当初の明灰色)などがつい分違います。化け猫はでかくてごつい、ゼロ戦は小さくとてもスマートです。弁慶と義経いや曙と広末涼子みたいなものだ。これでは勝てないと思いました。B-29に体当たりしようとして主翼の上に載ってしまったという話なども等縮尺で比べるとよく理解できました。

これらの作品をショウウィンドウケースを買ってきて入れていたのですが甥に殆ど壊されてしましました。今では女房が人形や造花を入れており、私の作品は段ポールの中に入っています。今ではWW2の飛行機のプラモデルなどあまり見なくなりました。直そうと思って塗料も売っていません。しかも古くなったのはすぐ接着部が離れてしまいどうしようもないのです。

軍艦も1/700で揃えたかったのですが置き場所に困りやめてしまいました。今ならデジカメで撮ってHPなどに載せればと思うのですが・・・。

これは s1_9150242 さんの 611 に対する返信です

>プラモに嵌っていました
投稿者: jnfi67 2003/ 1/10 18:33
メッセージ: 627 / 1828

>これを見ながら戦記物を読むのに嵌っていたのです。

あ〜、解ります。その気持ち。
私もそうでした。ほんの中の状況をプラモ使って色々想像しながら読みましたねぇ...

*大戦中の軍艦でも、そもそも軍艦でも無いんですが、カティサークを作ろうとして(海洋モノに嵌った時期)途中で余りのしちめんどさに挫折しました(笑)

これは marujee さんの 626 に対する返信です

あの〜おもわず
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/10 19:00
メッセージ: 628 / 1828

プラモのついでと言っては(^_^;)

日露戦争当時の軍艦の写真や映画見ると 艦艇の先っちょが変に逆向きに湾曲してるんです 氷割るんならいいと思うんですがあれって何ででしょう?

太平洋戦争当時の軍艦は 今の船のように舳先が 手前に曲がっていますね

「大和」や「武蔵」は 船の先の水面下が 魚雷のようにまあるくなっているのは 日本の発明と聞いていますが・・スピードでそう

これ 議論中断じゃないですよ
合間にでも よろしく(^^)

説明が文章にすると難しくって解ってもらえたか?

これは jnfi67 さんの 627 に対する返信です

ラム艦首のことかな?
投稿者: marujee 2003/ 1/10 22:14
メッセージ: 629 / 1828

>日露戦争当時の軍艦の写真や映画見ると 艦艇の先っちょが変に逆向きに湾曲してるんです 氷割るんならいいと思うんですがあれって何ででしょう?

ラム艦首(衝角艦首)のことでしょうか?海戦では衝突して敵船を破損させるための頑丈な特殊の船首をつけていました。しかし大砲の射程が長くなり、軍艦にもスピードが要求されるようになったので次第に廃止されるようになりました。
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/photo/tone1/tone_p.html

これは s1_9150242 さんの 628 に対する返信です

足高(たしだか)の制
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/10 22:29
メッセージ: 630 / 1828

>第3艦隊司令官に就任したら「仮」中将、太平洋艦隊司令長官に就任したら
>「仮」大将に昇進する。勿論、昇給もします。
>で、そのポジションを何らかの理由で辞任・解任されたら、また元の
>「正規階級」の少将に戻ります。

徳川吉宗が、享保の改革で少し異なりますがよく似た制度を取り入れていました。江戸幕府では役職の要件として、基準となる家禄があり、これが若い家臣の抜擢を妨げていましたが、吉宗は、家禄が足りない場合、その役職に就任している期間は、必要分加増し、その役職から外れると家禄を戻すということをやりました。
大河ドラマ「吉宗」で見たので憶えておりました。足高の制で阿部寛(誰の役か忘れました)が老中か奉行になったと記憶しています。

これは jnfi67 さんの 623 に対する返信です
29
それは衝角というんじゃ
投稿者: dainihon2644 2003/ 1/10 23:06
メッセージ: 631 / 1828


日露戦役といえば三笠じゃろうけどあの艦で主砲は30サンチじゃ。帝國聯合艦隊の敵前一斉回頭が距離8000じゃけえのう、結構艦と艦の位置が近い。
昔はエジプトのガレー船のように艦の横っ腹をその艦首の水線下の先っちょでどつくんじゃ。そのあと機関を反転すれば破口から水が流れ入るって寸法なんです。これで敵艦が沈む。日露戦役の頃はラム戦なんてもうないが名残でのこっとったとです。

これは s1_9150242 さんの 628 に対する返信です


>>どんなものでしょう??
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/10 23:54
メッセージ: 632 / 1828

crub4o様

アメリカのプラグマティズムのご紹介から、そこに潜む問題点を鋭くつくご投稿、深く感銘致しております。

>私が、アメリカ的プラグマティズムの長所に感嘆しつつも、それを日本に導入
>すべきだと意見する人達に若干の違和感を禁じえないのは・・・

アメリカ式システムを無批判かつ性急に導入することは私も反対です。最近の企業が導入している主なシステムは、
(1)成果重視主義の人事評価システム
(2)コーポレートガバナンス
ですが、crub4oさんが仰られている通り、日本には日本のあるいは企業にはその企業の「風土」があり、システムを導入するためには、
@システムを導入するため企業で言えば社員、国で言えば国民の意識改革を行う。
Aシステムを企業(日本)の風土に合うように手を加える。
上記取り組みが成功していると見られる企業(組織)は、上記@とAを組み合わせてじっくりと導入していくあるいは、導入しながら調整していったところのようです。
単に社長を「CEO」、取締役を「執行役員」と呼び変えただけで、企業が変わることはあり得ませんから。

>企業に良かれ悪しかれ「社風」というものがあるように、国家又はそれに
>類する巨大な集団にはより良い未来を切り拓く為の何らかの方向性が存在
>すべきだと言う事です。

crub4oさんの仰られることについて、間違いであるというつもりはありません。しかし、これだけインターネットに代表される情報社会の先鋭化や産業、ビジネスのグローバル化、ボーダレス化が進んだ21世紀に敢えて国家のような大きな「組織」に頼ったり縛られたりすることを拒否したいと個人的に思っています。もちろん完全に開放されるわけには行かず「心意気」の部分だけですが。
例えば、老後に生活の維持に必要な年金がもらえるかどうかですが、あてにはしないでおこうと思います。生涯現役の覚悟はしております。このようなことをいうのは、日本の政治と行政に対して絶望しているということの表れかもしれません。
国民年金や国民皆保険制度は、弱い国民が支えあっていく制度で、このような互助的な観念は、アメリカには薄く、必要を感じれば個人で企業の保険や年金制度に加入しています。もちろん収入に余裕のある人にしかできません。私がアメリカにいた1994年頃はアメリカでも国民皆保険のようなシステムをつくろうとしていたころで、メディケアというシステムですが、健康保険制度(もちろん民間ですが)の加入率はかなり向上していると思います。確か、松竹梅のようなコースがあって安いコースは、受けられる治療も制限されているそうです。
こういった互助的なシステムは日本社会の特色であり、こういったセーフティーネットがあることにより、国民も不安なく生活できるということでいろいろな意味で安定した社会を維持することに貢献していたと思いますが、反面国や企業の財政を圧迫し、競争力を減弱している要因でもあります。さすがにラディカルな私でもこういった互助的なシステムを完全に廃止することは反対であり、もっとメリハリをつけていけばよいとは思います。もっとも高齢化にどう適応していくかなど大きな課題は山積みですが。とにかくいえることは、「老後に年金をちゃんともらいたい」とか「病気をしたときに医療費は保険から出してほしい」と思うのであれば、そのときのために個人として今までの倍以上払う覚悟を持つか、現在払っているお金の行方に興味を持つことが必要ではないかと思います。

>現在の日本には、同時に新しい日本に必要な根幹思想とそれに同意し、
>その指揮を執っていく政治家を「作っていく」事が必須なのではと考えて
>います。

私は、時代の流れが速く、かつ多様化していく日本社会で、共通かつ普遍の「根幹思想」が構築できるかどうかは疑問です。また「日本人」の定義も普遍とは言いがたい(例えばnon-native Japaneseの増加)のではないかと思います。
ただし、日本の政治や行政システムを改善するためには、そういった理念を持つことも決して間違いではないと思います。

これは crub4o さんの 625 に対する返信です

>ベトナム戦争の教訓
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/11 2:36
メッセージ: 633 / 1828


以前聞いたんですが 米大統領が演説するときよく後ろに何人もの人がこちらを向いているでしょう あの人選は周到に計画されているそうですね 国民全てからの指示を得たい場合 人種 性別 年などいろんな層を並べ立てるそうです そう言えば妙に同じような笑顔や拍手・・・

それにしても 日本の予算委員会などで下品なヤジや笑いを写すばかりの国とはずいぶんと違いを感じます

権力者によるマスコミのコントロールは ほんとうに恐い それを補って余りあるのがこのネットなんだと思っています ネットはだいじょうぶなんでしょうか ここで見聞きしているぶんには 大丈夫みたいですが・・ときどき驚くような方も現われるし(笑い

これは EzoWolf さんの 622 に対する返信です

ああ、いやいやラムは…
投稿者: annodomini_jp_vol2 (男性/九州) 2003/ 1/11 2:58
メッセージ: 634 / 1828

実は近代になってから復活したのですよ一時期。

装甲艦が登場する様になると、砲戦ではなかなか致命的な打撃を与えられないといふ事で、
艦首のラムで敵艦の横腹に穴をあけたら良いといふ事になったのです。

とはいえ、なかなか勇気の必要な作戦ではあり、そう簡単にはラム戦は発生しないものですが、
実例を挙げるならば19世紀後半のリッサ海戦でしょうか?ちょうど日本が明治維新をやる頃ですが、
オーストリア帝国海軍とイタリア王国海軍との間でおきた海戦です。この時、オーストリア艦隊は
優勢なイタリア艦隊にラム攻撃をしかけ、見事勝利したといふ事がありました。

これは dainihon2644 さんの 631 に対する返信です

WW2におけるラム戦・・・
投稿者: marujee 2003/ 1/11 10:16
メッセージ: 635 / 1828


>なかなか勇気の必要な作戦ではあり、そう簡単にはラム戦は発生しないものですが、・・・。

WW2では対小型艦艇に関してはやっていましたね。U-boatにたいして英国の駆逐艦が爆雷攻撃をして浮上してきたU-boatにラム攻撃をするとか、以前このトピにも書きましたがケネディーの魚雷艇PT-109に対して日本の駆逐艦天城がラム攻撃をやりました。

例外として昔の映画で「眼下の敵」で浮上したU-boatが駆逐艦に衝突して穴を開けて沈没させた話がありましたね。(これはフィクションですが・・・)
>クライマックスで駆逐艦、Uボート共に相撃ちになり、燃え盛り沈没寸前の両艦から脱出するとき、初めて両艦長は、顔を合わせました。お互いが認め合い、思わず敬礼をします。ベストを尽くして戦った二人の間には言葉は要りませんでした。
http://www.h3.dion.ne.jp/~t-kat/my_favorite/ememy_blow.htm

とても感動的な映画でした。今でもTVでやる時がありますが・・・。

これは annodomini_jp_vol2 さんの 634 に対する返信です

「眼下の敵」
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/11 11:28
メッセージ: 636 / 1828

横レスですが
私も映画館で見ました ずいぶん前だと思います アレって女優さん出ました?前編これ男の熱い戦い 知能戦でもあったと 印象に残っているのは もちろんおっしゃるとーり最後の敬礼シーンですが お互い二艦が気づかれないように音を止めている時 駆逐艦で魚釣り?をしている その糸先をたどっていくと その真下に潜水艦がいるシーンがありました うまいなーと思った記憶が

ほんとうに米独それぞれの立場から公平に描かれていて気持ちがよかった 善悪はない・・・の証明映画かも その人を尊敬できるかどうかは その人の顔形じゃなく その人が何を考えているかで決まる・・・教えてくれた数少ない映画の1本でした 「敬礼」ならページ作りました 興味のある方は検索かけてみてコソッと笑ってください

これは marujee さんの 635 に対する返信です

>足高(たしだか)の制
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/11 12:39
メッセージ: 637 / 1828


オ・ソレさんありがとう
足高の制←すごい知恵ですね やろうと思えばどんな手もある そう思いました こういったのに 「徳政令」なんてのもありました ある議員さんなんか「平成の徳政令」を主張していましたが 確かに住宅ローンなどで苦しむ人達にはそういった思い切った政策も必要かと

太平洋戦争後 新円への切り替えもある意味徳政令であったと 国民の財産を集中させ国の借金を大幅に減らすことができたとありました

昔の徳政令は「御家人」救済が主であり当然そうでない人達は泣いたはずです 大多数の国民が喜ぶ 徳政令ってないでしょうかね

これは o_sole_mio00 さんの 630 に対する返信です
30
太平洋戦争について
投稿者: yuki070507 2003/ 1/11 15:12
メッセージ: 638 / 1828


>第2次大戦とも 大東亜戦争とも
そして 太平洋戦争とも・・・

 あの時代の戦争の捉えかたはいろいろです。
 我々は知らず知らずのうちに、アメリカから見た戦争である「太平洋戦争」をずーっと意識していませんでしたか?

 日本は、本当は日華事変に続く大東亜戦争を戦ったんですよね。
 中国大陸からインドに至る東アジアと太平洋の島々を巡る戦いです。
 ABCD各国を相手に、日本の陸海軍力の限界を遙に超える2正面いや多正面戦争です。

 おそらく有史以来、世界のどの国もチャレンジしたことのないような雄大(無謀)な戦いを挑んだといえるでしょう。

 しかも、恐るべきは、これだけの壮大な戦いにもかかわらず、基本となるべき国家戦略も軍事戦略も何もなかったのです。
 決して大東亜共栄圏の考え方が先にあったのではありません。

 極東軍事裁判でも、連合国側は、調べれば調べるほど、本当は誰が原因だったのか、戦争を始めたのは誰だったのか、わからなくなっていったのです。

 極東軍事裁判で裁かれた人々は、ほとんどが連合国側の報復意図による無実の罪です。

 あの戦争の処理は、本当は終わっていません。
 あの戦争の数々の発生原因や失敗を繰り返さないように、後世の我々がもっとよく分析し、今後に生かさなければいけません。

 そうでなければ、あの戦争による数百万いやアジアを含めれば、千万規模の犠牲者が無駄になってしまいます。
 さらに、反省なき報いは、すでに現在の日本で現われ始めています。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>太平洋戦争について
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/11 15:52
メッセージ: 639 / 1828


>そうでなければ、あの戦争による数百万いやアジアを含めれば、千万規模の犠牲者が無駄になってしまいます。
 
全く同感です>yuki070507さんお待ちしておりました(^^)

私はご覧のとーり「・・・教えて」専門ですがしばらくの間にみなさまから いろんな考えや知識を教えていただいており 考え方が広くなっていく毎日です みなさま同様よろしくお願いいたします

 >さらに、反省なき報いは、すでに現在の日本で現われ始めています。

たとえばどのような事でしょうか よろしければお考えなど

これは yuki070507 さんの 638 に対する返信です

トピ主様、yuki070507さん
投稿者: crub4o 2003/ 1/11 16:03
メッセージ: 640 / 1828


トピ主様、
相変わらず、暖かいお出迎え有難うございます。
yuki070507さんはとてもいい方なので、
どんどん煽って(笑)投稿してもらって下さい。
yuki070507さんは
深夜の室内競技とお酒が好きらしいです(笑)
それと地方版に、蕎麦への恨み節投稿しておきました(笑)

yuki070507さん

わざわざご足労有難うございます。
私は日本史全く駄目なので、
その点、宜しくお願いします。

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

>クラブさん
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/11 16:22
メッセージ: 641 / 1828


了解です(^^)

いつもありがとうございます
あっちの方は いつもヒヤヒヤです(笑い

私も地元では「酒豪」に入っているみたいですが パソコンさわる時はできるだけ?控えています(再セットやりたくないですから)室内競技は バドとバレーを少々

yuki070507さん>クラブさんにはいつも「おんぶにだっこ」していただいております 私はまだまだ 知識不足でレスはなかなかできませんが ここにおいでの皆さんはすごい方ばかりで きっとレスされると思います 今一度どーぞよろしく

これは crub4o さんの 640 に対する返信です

>>太平洋戦争について
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/11 16:49
メッセージ: 642 / 1828


yuki070507さん初めまして、o sole mioと申します。

>基本となるべき国家戦略も軍事戦略も何もなかったのです。

「戦略の欠如」は現代でも日本人の欠点の一つだと思います。満州事変の石原莞爾は、日本人には珍しく対米戦を意識した戦略をもっていました。彼は対米戦を熾烈な殲滅戦と想定し、そのために満州国を活用して国家としての体力を養い、来るべき対米戦に備えるというもので、そのため石原は大陸での戦線拡大に反対でしたが、周囲には理解されなかったようです。ただし、満州国の経営は容易ではなく、石原が主導権を持っていても彼の目論見通りにはいかなかったと思います。

>極東軍事裁判でも、連合国側は、調べれば調べるほど、本当は誰が原因
>だったのか、戦争を始めたのは誰だったのか、わからなくなっていった
>のです。

形式上、責任の所在を曖昧にする、日本の意思決定システムが、権限と責任が収斂してくシステムに身をおく西洋人には理解されなかったのだと思います。それは日本の司法が巨悪を暴くことができないように、日本人が日本人を追求する時でも同じジレンマに陥ってしまいます。

>極東軍事裁判で裁かれた人々は、ほとんどが連合国側の報復意図による
>無実の罪です。

東京裁判でいえば、裁かれた人たちの中には無実はいなかったと思います。ただし、量刑が妥当なものであったかどうか、他に裁かれるべき人間がいたかどうかは、議論の分かれるところです。
そういえば、先に述べました石原莞爾は自分を戦犯として裁くよう主張しましたが、連合国に無視されたそうです。そして石原の政敵であった武藤章や東条英機が死刑になりました。

>あの戦争の処理は、本当は終わっていません。
>さらに、反省なき報いは、すでに現在の日本で現われ始めています。

これらにつきましては、具体的にご教示いただければ幸いです。

今後ともよろしくお願い致します。

これは yuki070507 さんの 638 に対する返信です

>>太平洋戦争について
投稿者: yuki070507 2003/ 1/11 16:59
メッセージ: 643 / 1828

 はじめまして。
 暖かな歓迎ありがとうございます。
 私は、軍事カテを専門に投稿しております。以前、日本史カテにもしばらく顔を出したこともあるのですが、カテを広げるとチェックが忙しくなるので、最近は軍事カテ一本に絞っていました。

 さて、
>>反省なき報いは、すでに現在の日本で現われ始めています。

 先の投稿で、私が太平洋戦争云々に言及したのは、太平洋戦争だけを切り離して考えてはいけないと思うからです。
 私は、盧溝橋事件以後の日華事変に続く大東亜戦争への流れが重要だと思うのです。

 当時の日本政府・軍中央は事変の不拡大・戦争の早期終結を図っていました。
 しかし、米英ソなどの思惑が合致し、彼らが中国を支援した結果、南方への侵攻を余儀なくされた日本は、太平洋戦争を戦う羽目になったのです。

 では、当時の日本に、こんな国家戦略が描かれていたでしょうか?
 当時の政府・軍中央の誰が、こんな無謀な計画を進めたのでしょうか?

 極東軍事裁判でA級死刑となった東條や松井、本間、山下、広田などの方々が居なければ、あの戦争はなかったのでしょうか?

 翻って、現在に視点を変えます。
 今、日本は危機的状況を迎えています。
 700兆円に及ぶ借金を抱える財政危機、バブル崩壊後市場の縮小と不良債権を抱える金融危機、そしてデフレ不況です。
 こうした危機的状況にある政府・国会・行政・マスコミ・国民の対応はどうでしょう?
 一体誰が、この危機的状況を作り出したのでしょうか?
 そして、誰に責任があるのでしょう?

 当時も今も、日本の上から下まで思考方法や行動様式は実によく似ています。
 戦前の反省から、戦後は右から左へと大きく考え方を転換したように見えて、その本質は変化していないのです。

 民族性と言えばそうかも知れませんが、そこには、戦前の全否定、言い換えれば、自分達のこととしての真剣な原因究明が為されなかったことによる、真の意味での反省の欠如が見えるのではないでしょうか。

これは s1_9150242 さんの 639 に対する返信です

クラブさん
投稿者: yuki070507 2003/ 1/11 17:16
メッセージ: 644 / 1828


 昨年からお誘いいただいたのに、なかなか踏み切れませんでした。
 実は、最近仕事が忙しいことや悩み(大した事ではありませんのでご心配なく)などから、考えが集中できなくなっておりました。

 かつての軍カテのようには投稿できないとは思いますが、少しずつ投稿させていただこうと思います。

 ところで、あのアメリカニズム。ここでも登場しましたね。
 あの投稿のはざ間に、私の頓珍漢な質問が入ってるのが少し気になります。
 再びさーっと見ましたが、やっぱり難解ですね。

 いくら時間がある学生時代とはいえ、あれを自らの意思で根気よく読んだということに何より敬意を表します。
 ではまた。

これは crub4o さんの 640 に対する返信です

o sole mioさん
投稿者: yuki070507 2003/ 1/11 18:27
メッセージ: 645 / 1828

 はじめまして。
 レスありがとうございます。

 石原莞爾については、その才能に比べ、人望が足りなかったのではと思います。
 また、満州事変での彼の実績が、後の日華事変での現地軍の独走や中央の命令無視につながりましたから、もはや彼では日華事変の拡大を止めることはできなかったですね。
 私は、もし永田鉄山が生きていれば可能だったのではと想像しますが、その辺の事は軍事カテの「歴史に残る軍人は?」のトピで色々書きましたから、ここでは止めておきます。よかったら覗いてみてください。

>東京裁判でいえば、裁かれた人たちの中には無実はいなかったと思います。

 極東軍事裁判は、裁判という名と形のもとに行われた報復劇です。
 特に平和に対する罪や人道に対する罪など、事後法によって裁いています。
 もし、日本人が裁かれるなら、無差別爆撃や原爆投下を行ったアメリカ人も裁かれるべきです。
 ドイツのニュルンベルク裁判に倣って開いたものの、ナチの犯罪に匹敵するものは、実際にはなかった。
 にもかかわらず、報復の流れに乗って裁いたということでしょう。
 本間、山下、武藤などの死刑には、マッカーサーの私的な意図が感じられます。

 現在の日本との関連については、さっき簡単なものを投稿しました。

これは o_sole_mio00 さんの 642 に対する返信です

yuki070507さん
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/11 22:54
メッセージ: 646 / 1828

早々にレスを頂き、ありがとうございました。

永田鉄山は、2・26事件につながる陸軍の皇道派と統制派の抗争に巻き込まれた人物ですが、統制派のホープとして期待されていた人物のようですね。
短期間ではありましたが、陸軍省軍務局長として辣腕を振るっており、健在であれば、石原を掣肘することができ、戦線拡大の要因の一つであった陸軍軍紀の弛みを抑えることができたかもしれないということですね。

>極東軍事裁判は、裁判という名と形のもとに行われた報復劇です。

極東軍事裁判は、勝者が敗者を裁くという点で、公正に欠けるきらいがあり、司法という観点からは問題点が多々ある裁判であるという点は認識しております。
しかしながら、いくらマッカーサーの私的意図が入っていても、連合国側の所業が裁かれていなくても、それは手続き論の問題であって、裁かれた人間が有罪か無罪かは別問題だと思います。
B・C級戦犯はともかく、東京裁判で裁かれたA級戦犯については、先に述べました通り、量刑の妥当性、他に裁かれるべき人間がいるかどうかは別にして、戦争の責任を有している、すなわち無実ではない、と考えています。

現在の日本の問題点について、拝見致しました。

>当時も今も、日本の上から下まで思考方法や行動様式は実によく似ています。
>戦前の反省から、戦後は右から左へと大きく考え方を転換したように見えて、
>その本質は変化していないのです。

私もここで繰り返し述べているのですが、日本人のメンタリティーは、当時と余り変わっていないと思います。

>極東軍事裁判でA級死刑となった東條や松井、本間、山下、広田などの
>方々が居なければ、あの戦争はなかったのでしょうか?

いなくてもおそらく戦争はおきていたでしょう。しかしながら彼らには、当時の地位から開戦に対するアカンタビリティーがありました。ただし、彼らがそのアカンタビリティーに相応しい能力を持ち、権限を与えられていたかというとそうではなく、これが日本式意志決定システムの特徴の一つであり、この時代(現代もそうです、つまり変化の時代)には弱点として働いたと考えています。一方アメリカの場合は、意志、能力権限とアカンタビリティーは大統領に集中するのでほぼ一致します。

キャノンの御手洗社長はアメリカと日本の意思決定システムの違いについてこのように述べています。
「アメリカの方が優れているのはトップダウンが徹底していることです。トップが自らの知識見識を振り絞り、自分のクビをかけて目標設定したらトップダウンで流していく。日本では目標設定もみんなで合議してコンセンサスで決める。誰で決めたかわからないようにして、何か起こったときに責任の所在を曖昧にする。」
現代のような変化の時代には、大なり小なり組織のトップは自らの意志を持ち、組織を信念を持って引っ張りその結果に責任を持つことが大切だと思います。

これは yuki070507 さんの 645 に対する返信です

説明不足でしたかな
投稿者: dainihon2644 2003/ 1/11 23:10
メッセージ: 647 / 1828


左様ですよ。装甲というものはなかなか大砲の弾じゃ撃ちやぶれんけえの。やれるのは艦上構造物だし、水線下を破壊せんことには艦は沈まんけえ、ラムで沈めよった。
ご忠告感謝

これは annodomini_jp_vol2 さんの 634 に対する返信です

横レスです(^^)
投稿者: s1_9150242 2003/ 1/11 23:44
メッセージ: 648 / 1828


>日本では目標設定もみんなで合議してコンセンサスで決める。誰で決めたかわからないようにして、何か起こったときに責任の所在を曖昧にする。

うーん思い当たりますね 何人かであらかじめ決めていても会議にかけて さもそこで決議されたようにしていく 何か有っても「みんなで決めたんだよー」と 成功すれば「アレ私の提案」と これ私の今見聞きする社会そのもの ちょっと離れて見つめると恥ずかしくなります

しかし責任ばかりを追求する社会がそういったやり方を作ったとも・・
(どうしてそういう社会になったんだろう?)
でも家庭を持っていると強いことは言えなくなるの解ります(チョット次元が低かった?)

延々とこんなことではダメだと思ってはいるんですが この辺では「自分のこともちゃんとできない者が 人様の事など」と言われ たいがいの人がうなずいてしまいます(^_^;)
今も当時も同じ? そういう面では今のほうがもっと悪くなっているのでは

これは o_sole_mio00 さんの 646 に対する返信です

私について
投稿者: crub4o 2003/ 1/12 0:04
メッセージ: 649 / 1828


余計な事ではありますが、
改めて、このトピへの私の投稿姿勢をお話させていただきます。

私の父親は、16歳の頃から戦中戦後の足掛け15年間、外地で稀有とも言える体験を味わってきました。 父の兄はレイテ島で戦死しました。
その様な環境から、物心つく頃から、私は日本を巡るかっての戦争に興味を持ちました。
昭和30年代から40年代にかけては、かなり好戦的な漫画や読み物が多く(日本軍太閤記とか日本軍の鬼退治みたいな感じですね)、私だけではなく、大勢の子供が「日軍万歳」の視点であの戦争を観ていたと思います。
それが変化してきたのは、小学校高学年から中学にかけてで、まず戦争の陰で多くの無辜の日本人が、そして巻き込まれたアジアの人達が非業の死を遂げた事を理解し始めてからです。
次いで、私にも容易に理解できる日本の信じ難い程の愚劣な戦い振りを知り、日本とその戦争の詳細を知れば知るほど絶望的な気分に落ち込んだものです。(考えてみれば、アメリカ的プラグマティズムの一端に触れたのはそれが最初だったかも)
その頃読んだ「秘録大東亜戦史・比島編」昭和28年刊行(ほぼ原資料です)
http://www.mmjp.or.jp/jst/index/jst04622.htm
フィリピン本土戦で、40万人近い軍人・民間人が完全に勝負あった後に全く無駄な死を余儀なくされた事を知り、以後は日本の戦史や関係史を積極的に漁る気持ちを喪失しました。 
それは同時期に、「最後の100日」ジョン・トーランド1966年刊行 を読んだ事も大きく作用しています。 初めて知る欧州大戦の実相、断末魔に苦しむ第3帝国の狂気、想像を絶する民間人に対する大量虐殺・集団焼殺・報復に次ぐ報復の中で行われる婦女暴行やあっけないほどの捕虜大量屠殺は、トーランドの記述が過剰な感情を交えぬ乾いたものであったが故に、私にとって一層衝撃的な内容でした。
日本やアジアだけでなく、しかもその何層倍もの狂気と暴力が欧州の地に罷り通っていたのを知り、それ以後は専ら欧州各国の大戦とその前後を知る事に熱中しました。
(たまさか、高校からは世界史が大好きになったのとも関連しています)

そのような興味と読書が一巡した頃に、アジアを巻き込んだ日本の戦争とその前後を、先の絶望的な気分では無く、何だか客観的に眺められる事に気付きました。
アメリカニズムやプラグマティズム、フィンランドやソ連についておぼろげながら学んだ事は、「外側から観た日本」という視点もあり得ると私に教えてくれたような気がします。
しつこくなりますが、「アメリカニズム」の著者フォン・カイゼルリンクも次のように言っています。
「その国の人となりを最もよく知るものは、畢竟外国人なり」と。
これからもそんな観点で投稿させていただければと思います。

ところで、私が引用した「アメリカニズム」は、一般向け読者に供せられた極めて初期のアメリカ的プラグマティズムに関する論評であると私は考えています。
アメリカが世界の覇者となる前に論ぜられたというところに、私は意義を見出しています。
野茂の存在を考えていただきたいと思います。
彼の意思が無ければ、MLBにおける現在の状況はありえないでしょう。
先覚者は何にせよ大変ですよね。
と言う事で、YUKiさんよろしく(笑)

これは s1_9150242 さんの 1 に対する返信です

責任と敗者復活戦
投稿者: o_sole_mio00 2003/ 1/12 0:16
メッセージ: 650 / 1828


s19150242さん、横レスありがとうございます。

>しかし責任ばかりを追求する社会がそういったやり方を作ったとも・・

責任を追求することは大事なことなのですが、社会は責任を追及した後でその人に、名誉挽回の機会、いわば敗者復活戦を用意する必要があると思います。いわば、責任を追及したがらない社会の裏には、そういった敗者復活戦の場が準備されていないという背景があるのではないでしょうか。
よく思うのですが、日本人の特徴で瑕疵を極端に嫌う傾向にあるようです。例えば、車が少しでも凹むと修理に出したり、商品の外観が少しでも汚れていると苦情を言ったりといったように。これがキャリアでも同じで、失敗したり経歴に傷がついたりすると人生が終わったかのようにとらえてしまう人が多いのではないでしょうか。失敗をすると後がない、だから失敗したくない→責任を取りたくない、という思想があるのかなと思います。役所や大企業は、成功する人間より、失敗しない人間が出世していくようにも思えます。
失敗や責任を厳しく追及する社会には、責任をとった後に敗者復活戦の場を与えておかないと片手落ちです。でなければ、失敗を恐れて何も変えることができなかったり、責任の所在が曖昧になったり、責任の擦り付け合いをしたりといった日本の現状がなかなか変えられないと思います。

これは s1_9150242 さんの 648 に対する返信です

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