2010年06月30日

アカタン砂防

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 アカタン砂防とは、明治の砂防堰堤群(さぼうえんていぐん)のこと。田倉川に注ぐ3.6キロの渓流赤谷川に明治30年代に村内外から、一日2~300人の男女作業員が7年の歳月をかけて9基の堰堤を築造した。これをアカタン砂防と呼び100年を経た今も機能し国指定登録有形文化財に指定されている、

 南越前町に、リトリートたくらという立派な施設がある。広い野外の施設ではバーベキューなどで賑わっていた。しかしそこから一歩山へ入ると、誰と逢う事もなく、と思っていたらサルの群れを見た。サルは動物園という固定観念があり大変驚いた。あまり気にする風もなく同類と思われたのか。九号堰堤、八号堰堤、そしてベースキャンプに車を止め、そこから奥の東堰堤まで歩く。人の力だけで作られたそうだが、気の遠くなるような作業であったと分かる。女性が大勢での千本突き、この堰堤の上で唄いながら踏み固められていったのだろう。手作業に頼るしかない時代、なんだか羨ましい風景に思えるのはどうしてなのか。ここであたりが薄暗くなりかけ、タイムアウト、ここから上の堰堤はまたいずれ。

http://www.awatabe.com/fukui/akatan/

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2010年06月29日

北潟湖畔荘と花菖蒲

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 北潟湖菖蒲園の菖蒲まつりは終わっていたが綺麗な菖蒲を見ることができた。初日は天気がよく花も暑さにしおれ気味であったが、次の日は雨でそれが返って幸いしたようだ。北潟湖畔荘は初めて、

 北潟湖畔荘は福井県あわら市にある。案内された部屋が「花筐(かきょう)」ということで驚く。同室のみなさんも花筐に深いゆかりの方ばかり。正直、偶然を通りこして不思議と思った。湖畔荘の社長それに支配人とお話をする機会が、ここは元国民宿舎であったが民営化されて3年ほど経つそうだ。大変バイタリティある民営化へのお話にこちらまで元気に。カウンター案内や配膳時など、大変サービスが行き届いている。夜はすぐ前にある幻想的な赤い橋、アイリスブリッジを撮影したりして過ごす。 翌朝強い雨が降ったがうまく止んでくれて、菖蒲園まで下駄を履いて歩く。途中サワガニがたくさんいて、下駄のカランコロンの音にあわてて逃げる様がおもしろい。菖蒲を世話している女性の方達のお話では、ここには300種類の菖蒲が。花の少ない場所があるように見えるが、との問いに、花が咲いていない菖蒲はまだ1年だからだそう。それで花の密集している場所とそうでないところが出来ているとのこと、そう日記(きっとブログのことか)に書いてや、とのことであったのでここに。だから今が満開だそう、いい時にこれて良かった。

http://www.awatabe.com/fukui/kitagatako/

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2010年06月28日

花はす公園

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 花はす公園のハスを見る。ここ、花はす温泉そまやまはこれまで何度かお風呂。開店した頃だから随分前になる。はすまつりに少し早いと思ったが、道路にはすでに旗も立ってにぎやか。まだわずかだが、それだけに遠目にも鮮やかなハスが目立って綺麗。

 カメラマンの方も何人か、マクロで撮影の方や、フイルムのすごい立派なカメラを持った方などいろいろ。福井市からの方と咲いたハスよりまっすぐな蕾がいいとか話が弾む。ハス池は「蜘蛛の糸」にもあるように極楽のイメージがある。寺院の宗派によっては木花(もっか)といって木で作った大きなハスの花を飾るが、これまでたくさん手がけたので、ハスの花や葉には思いいれが強い。お話では、これからの土日は車が渋滞するほど都会からも人が押しかけるそう。はす料理もいろいろあるみたいだし頷ける。

http://www.awatabe.com/fukui/hasu/

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2010年06月27日

新田義貞戦没伝説地

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 福井時代行列の新田隊はお馴染み、新田義貞の国指定史跡の名が目についたので寄ってみることに。小さい敷地であったが、お堂と石碑がいくつか。お堂の注連縄は新田氏の家紋(一引両・中黒)入りで特徴がある。お堂の中に石碑。新田義貞は明治になって正一位という最高位を授与されたが、太閤秀吉や織田信長でさえ大正になってからだったと聞く。歴史は勝者によって、という言葉は当たっている。

国指定史跡
燈明寺畷 新田義貞戦没伝説地
明暦2年(1657)農民がこの地の水田から鉄製冑を掘り出した。当時の藩軍学者伊原番右衛門がこれを暦応元年(1338)閏7月にこの付近で戦死したと伝えられている新田義貞のものであると鑑定したことからこの地が義貞戦死の地と考えられるようになった。福井藩主松平光道は万治3年(1660)この地に「暦応元年閏7月2日新田義貞戦死此所」と刻んだ石碑を建てた。以後此の地は義貞戦死の地とされ「新田塚」とも呼ばれて、今日にいたっている。福井市教育委員会
 太平記に記される新田義貞は今の群馬県で出生。後醍醐天皇に応えて鎌倉幕府討伐の挙兵。暦応元年・延元3年(1338)藤島城付近の戦闘で矢に射られ戦死。遺体は坂井市称念寺に運ばれ、この寺に墓所がある。南北朝時代は年号もそれぞれ違うという特異な時代。

 この出土したという冑はつい最近市郷土歴史博物館での展示を見たばかり、松平光道は千畳敷の墓所を作った方、この大きさの石碑ならお手のものであったことでしょう。ここは初めて訪れたが、駐車にちょっと苦労した。歴史は繋がっていると改めて認識。

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2010年06月26日

大安禅寺と菖蒲

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 月食が見れると楽しみにしていたが雨が降っている。ネットで、『秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる』という記事を目に。秀頼といえば淀殿、しかしわたしが連想するのは、豊臣秀頼といえば結城秀康。そして秀康といえば、

 大安禅寺の千畳敷にある福井初代藩主秀康の墓はもう何度か訪れている。今、花菖蒲祭で賑わっている。歴史の好きな方ならご存知のように、秀康の名は秀吉と家康から一字づつ。兄の信康からかわいがられた思いからか、立場を代え、孤立していく秀頼を弟のように守っていたことは、大阪落城の悲劇が秀康の死後であったこと、その前の関ヶ原の上杉への配置からも窺うことができる。秀康の墓の後ろにもうひとつ墓が建っている。秀康に殉死した、土屋左馬助、永見右衛門、介錯の侍も追い腹とのこと。このままにしておけば、家老本多伊豆守も自害する勢いであった為、あわてた家康が「殉死すること沙汰の限り」(もってのほか)の下知を出して治まったそう。秀康がいかに慕われていたかが分かる。ここには、4代光通、国姫の墓もあり、複雑な歴史模様も見えてくる。ここを訪れるといつもヒンヤリしたものを感じるが、気のせいとばかりは、、、。きれいだった菖蒲のことを書こうとしていたのですが脱線。

http://www.awatabe.com/fukui/daianji/

投稿者 sensyu : 20:49 | コメント (0)

2010年06月21日

ゆりの里満開

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 以前訪ねた時、まだほとんどつぼみだったが、満開の知らせを見て、立ち寄ってみる。何色ものゆりの絨毯が出来上がっていてカラフル。もっと嬉しかったのは何人かのスタッフの方が憶えていてくれたこと。

ユリーム内では今回もいろいろなイベント、バラの絵を上手に描く方にみなさん驚き、実演はすばらしかった。障害を持たれた方達のグループも車椅子でおいでで、ゆりの間を楽しそうに、お茶席も人気があった。こちらの建物はゆりを逆さに形どったものではないかと気がつくが間違っているかも。

http://www.awatabe.com/fukui/yuri2/

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2010年06月20日

APECとライトアップ

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APEC(Asia-Pacific Economic Cooperation)ー福井県で開かれる。いきなり養浩館庭園ライトアップと郷土歴史博物館、両入場無料報道があったので参加してみることに。夕刻、福井市へ入るとフェニックス通りに、これまで見たことのないものすごい警備、

 外国のVIPを多数向かえテロ予防で仕方のないことと思っていたのだが、右翼との睨み合いなどとの報道も目にした。養浩館庭園へは最近一度来ていたので問題なく。夜景ライトアップは綺麗、お合いした福井市からのグループの方達と盛り上がった。帰る頃、APEC参加の外人二人がお出で、簡単な英語で挨拶したら笑顔で挨拶が返ってきた。発音では「エイパック」と聞こえた。時計を見ながら隣の郷土歴史博物館へ初めて、歴史を動かした有名人の古文書がたくさん展示してある。松平春嶽と坂本龍馬、またグリフィスへのカタカナの手紙など印象に。閉館の時間も迫ったので、外へ出て博物館を撮影しているとき、背広15人くらいの集団が博物館に、挨拶すると、中ほどの背の高い外人の方からやさしい声が、これだけの警備の中ではきっと外で挨拶を交わしたことなどなかったかも知れない、などとフッと想像。

http://www.awatabe.com/fukui/youkou/apec/

投稿者 sensyu : 19:25 | コメント (0)

2010年06月13日

瀧谷寺

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 瀧谷寺(たきだんじ)は三国駅の近くにある。駐車場横の総受付で拝観料を、それから長い参道を本堂まで歩く。この参道を歩くだけでも来たかいがある。思うに、この参道の距離はそれなりの心の準備の為にあるのか、

 本堂では寺の奥様に案内していただく。朝倉・柴田・松平、歴代藩主に大事にされてきた歴史を持つそうだ。庭園は縁に座り眺めていると落ち着く。岡田啓介の「堅貞」と書かれた横額が目についた。宝物殿には国宝・重文がたくさん、最近何度か目にした柴田勝家の髭を散らしたような花押のある古文書などに興味。福井市から団体の方がおいででにぎやかに、みなさん帰りに門からの浮世離れして見える参道に驚きの声をあげておられた。摩尼宝山・瀧谷寺というせいか尼寺と間違えられることもあるそう。

http://www.awatabe.com/fukui/takidanji/

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2010年06月12日

福井空港

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 福井空港へ寄ってみる。最近ではニュースになることもなくひっそりしている。小松の自衛隊機の発着や、富山の川辺の空港へのジエット離発着は何度か見た。せめてセスナの発着が見れるかと少し期待しながら、

 福井空港の開港は1966年6月30日とか、この年、民主党が結成され、代表は菅直人・鳩山由紀夫両氏であったと聞けば、何か現在に照らして考え深い。1976年定期便が休航、その後1985年に空港拡張、ジェット化空港整備が決定され毎日のようにニュースで滑走路延長に関する状況が流れていたが、今の航空業界の現状を見れば、何が幸いなのか分からない。片隅に並んでいるセスナを見て、子供の頃見た映画「紅の翼」を思い出す。石原裕次郎の主題歌ばかり頭に残り、内容はすっかり記憶圏外。その時見たような気がする同じ青空、目の前にゆったりと時間が流れている・・・空に心があるんなら、翼も夢を見るんだぜ・・・。

http://www.awatabe.com/fukui/airport/

投稿者 sensyu : 23:00 | コメント (0)

2010年06月10日

三連水車

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 森の水車という歌を思わず口ずさむ、足羽川頭首工より引かれた水によって回る三連水車。朝倉氏遺跡のすぐ側にあり、ここ「あさくら水の駅」はできてまもない施設。水車が人目をひき家族連れが多く見られる。水車といえば、

池田のかずら橋にもあって人気のスポット。三連水車は粉ひき小屋のひき臼が回るという仕掛けもあって楽しめる。ビオトープの池や小学生の為の体験農園もあり散歩して回れる。ふれあい情報館はモダンな作りで館内はいろいろ嗜好が凝らされて賑わっていた。 あれは水車のまわる音、耳を澄ましてお聞きなさい、コトコトコットン、ファミレドシドレミファ・・・。

三連水車を動画で(40/sec)

投稿者 sensyu : 22:40 | コメント (0)

2010年06月05日

ゆりの里公園

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 春江のゆりフェスタが始まっているということで覗いてみる。夏日ともいう天気で少々暑かった。駐車場は満杯の様子であったが誘導の方の指示で運よくスンナリ。係りの方もそう言って笑顔、幸先がよい。ここはもう10年以上も前に出来ているそうだが初めて足を。ユリーム春江という三角帽子のような建物が目印、シンボル。この中で今日はフリーマーケットをやっていて大変賑わっていた。ユリ園は15万輪というだけあって一面に広がっているが、今年は少し咲きが遅いらしい。それでも一角に咲いているユリ群があって楽しめる。また温室のユリもある。スタッフの方達が親切で何でも聞くと2倍楽しめるかも。ゆりといえば「ユリ・ゲラー」「吉永小百合」それに沖縄の「ひめゆりの塔」を連想する。

http://www.awatabe.com/fukui/yuri/

投稿者 sensyu : 19:12 | コメント (0)

2010年06月01日

ふるさと商品券

 越前市商工会で「ふくい ふるさと商品券」の説明会があり各商店が参加。越前市では前回どおり武生商工会議所と越前市商工会がタイアップ、越前市限定の「プラチナ スクラッチカード」の説明もある。

6月13日発売
発行金額 1.54億円、1万4千冊
一冊の購入金額1万円、1千円の商品券が11枚セット
1世帯3セットまで
使用期間 平成22年6月13日~9月30日

 全県下の一斉イベントでもあり県下17市町でそれぞれ違った柄の越前和紙を使った透かし入りの商品券も発行されるそう。前回、あっというまに完売したことからみて、今回もそうなる予想とか、売り手も買い手も喜ばれる事業を県の応援の元、これが呼び水となって景気回復に繋がることを期待します。

投稿者 sensyu : 17:35 | コメント (0)