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2011年10月31日
粟田部祭り
今月も今日で終わる。10月はやはりお祭の思い出が大きい。友達から、粟田部祭りにお神輿を担ごうと誘われ、この年でと一旦は断わったが、いろいろ聞いてみると、ここ2年ほど大人神輿が出ていない。いろんなところからこれでは寂しいと声が上がっているそう。
それならと、何十年ぶりに担ぐことにした。確かに平日でもあるし、若者は集まらないだろうと思っていたが危機感を持ったのかたくさん集合。はっぴをしめ、来た人に棒鉢巻の締め方なんかを教えたり、すっかりその気になって神輿を担ぐ。さすが粟田部はいざとなるとすごい、これも伝統。一日じゅう「よいやさ、よいやさ」の掛け声の中、沿道から見知った方々からの大きな声援を貰い、恒例(らしい)のメイン道りでの水掛けも担いだ。ずぶぬれになりはしたが体力の再確認、年寄りの冷や水と言われないよう、調子に乗らないよう気をつけなければ(笑)
http://www.awatabe.com/awa/sairei/
2011年10月28日
冠山と徳山湖
池田の冠山へ行ってみる。相変わらず雄大な景色と紅葉。今回は鯖江の方と知り合いになり峠に至るまでほとんどご一緒させていただく。大変カメラに詳しい方のようで、大変勉強になった。どこへ行っても必ずといっていいほど誰かと仲良くなれる、いつも不思議に思っている。
今回も少しの間ガスの中に入ったりと感動の光景に浸りながら峠へ。そこで岐阜県側を見下ろしてみると小さく湖のようなものが見える。以前から気になっていたので、今回は行ってみようと思う。車を走らす途中、今庄の田倉へ抜ける道があったが工事中で通行止めの表示。ここから高倉峠、昨年行った蓮如の里へ抜ける道と分かった。それにしてもなかなか目的の湖に着かない。山では近くに見えても、実際はものすごい距離があると思い知らされる。長いトンネルをいくつか抜けようやく。徳山ダムを始めて、湖はダム湖であった。福井県大野の九頭竜ダム湖によく似た景色がどこまでも続く。ダムはロック式でこれも似ている。エメラルド色の湖に大変綺麗な橋、徳之山八徳橋でPCエクストラドーズド橋という形式、これによって工期短縮、経費削減が可能になったそう。やはりたくさんの村が湖底に沈んだようで、ふるさとの碑を見た。鮮やかな景色を見ることができ、足を伸ばしたかいあり。
http://www.awatabe.com/ikeda/tokuyama/
2011年10月27日
神明苑にて
今鯖江の神明苑にいる。宴席も終わり、PC持込、ロビーから記事を直接アップ。目の前に東日本大震災復興支援、陸前高田物産市のコーナーもあって、このところの日本をよく表しているようだ。
神明苑の方とお話している。ここの泉源は元歩兵36連隊兵舎跡地からであり、神明小学校の校舎のあったところに立地している。この地から大勢の出征兵士を送り出したそう。自慢は料理がおいしいことで、これから忘新年会など特に鍋物に人気が集まるとのことです。温泉の効用は腰痛によく効くと評判らしい。明日の朝風呂が今から楽しみ。
http://www.awatabe.com/fukui/sinmei_b.jpg
http://www.awatabe.com/fukui/sinmei_b.gif
2011年10月20日
飛騨高山研修会
9月18日、高山市「飛騨高山まちの博物館」にての研修会があり参加。花筐公園保勝会、郷土史研究会合同によるもので、約30名の参加があり、本町を朝6時半出発、高山へ10時に着く。高山市役所から
市職員の方がバスに乗車、「飛騨高山まちの博物館」研修会場へ向かう。大変明るい研修室で職員の方達による講義が約1時間、歩いての博物館内説明が約1時間あり、バスの中での福田代表の歴史講座と合わせ3時間はみっちり勉強したことになります。
さて、高山市は旧武生時代から越前市との姉妹縁組もあり、若い頃、武生の仲間と民宿に泊まったり楽しい思い出のたくさんあるところ。日本一広い面積を有し、東京都と同じ面積と言えば驚異的。92パーセントは森林で槍ヶ岳、乗鞍、穂高、白山と日本の屋根の名がポンポン出てくる。今日の研修目的の「公園」については都市公園が34箇所、地区公園が39箇所、合計73箇所もある。しかし、市街地周辺での宅地開発で緑が減少している。この為、公園緑地に対する市民の要望が強く、市も潤いとやすらぎを感じることのできる環境作りを基本理念としているそうだ。歴史的な町並と調和する里山の保全に力を入れ、都市公園の整備を進めていることなど「緑」を中心にした施策が目立つ。公園は行政の管理下にあり、住民参加型というものではない。これは数も規模もあまりに大きいことと歴史的推移に起因している。例えば今回のお目当て城山公園などは、私有地と国有地が入りまじり、天然記念物文化財もあり手を加えることができない、だから行政主体となっている。
飛騨高山といえば、金森長近の縄張りによる町作り。城の図面も拝見。おもしろいと思ったのは、秀吉の活躍する戦国時代の図面は大雑把で、徳川時代のものは精密に描かれている。これは戦国の世では城の図面は最高機密であり漏洩を恐れ、太平の時代はその心配がなく逆に補修の為などに精密な図面を必要としたからだそう。長近といえばこの後で行く城山公園に乗馬姿の凛々しい騎馬武者の像が建っている。越前は大野城、ここにある長近の像との雰囲気の違いは大変おもしろい。その時々の長近の心をよく表しているようにも見える。
高山陣屋前での記念撮影の後、自由散策など楽しい時間を過ごし、見送っていただいた市職員の方に感謝しながら帰路。大変有意義な一日を過ごすことができました。
http://www.awatabe.com/travel/hida/takayama.htm
2011年10月16日
イノシシとハッカー
ハッカーと言えば、ネットの世界ではあんまりいい響きはしない。イノシシも最近では増えすぎ、人間社会とのバランスが崩れ悪ものになっている。さてこのイノシシとハッカー、名前がおもしろいところで繋がった
イノシシ防護柵を設置するときハッカーという変わった名の道具を使う。鉄筋どうしをくくりつける針金を巻くのに使い、曲がった先がクルクル回転する。ちょうど女性が編み物に使う棒のような感じ。今朝その機会があり始めて使ってみたが大変便利。それにしても何故イノシシが増え畑を荒らすように。山に餌がないとかは想像できる。猟師がいなくなったからという方も。ほんとうのところは分からない。イノシシの子供はウリボウなどと呼ばれかわいい。今日の柵設置の作業も、こっちへ出てくるなよ、とせいいっぱいのやさしさ。今日の作業の様子はこちら。