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2011年11月28日

紫式部公園紅葉

紫式部公園

 市内へ来たついで、どんな様子か気になって寄ってみる。紅葉は見頃で、葉の痛みがほとんどなく大変綺麗だ。雪吊りとあいまって整然としている。平日だからでしょう人影も少なく、駆け足で見ていると、

 朱塗りの橋へ二人ずれ。さかんにデジカメで池の撮影。雰囲気がチョット違うと思ったら、ブラジルからの方達、おいでになって、もう1年くらい経つらしい。日本と言えば、春桜に秋もみじ、あと富士山。ブラジルのイメージは、コーヒーに踊るサンバに、あと何だろう?と私。しばらく考えて、早口なポルトガル語?で相談、返ってきた答えは「ビーチ」でした。初め桃かと勘違いし苦笑。身振りを交えて海岸と分かる。きっと想像できないほど綺麗な「ビーチ」なんだろうと思う。向こうには桜も紅葉もないそうだから、今日のもみじはさぞかし驚かれたに違いない。外国の方ほど日本のよさが分かると聞く、朱塗りの橋の上での笑いながらの話、だまって聞いていた紫式部もコックリ頷いたような。

http://www.awatabe.com/fukui/echizen/shikibu/

投稿者 sensyu : 22:49 | コメント (0)

2011年11月23日

勤労感謝の日に思う

サギと川

 カレンダーを見てみると23日祭日は勤労感謝の日、その下に小雪、神農祭とある。てっきり戦前の新嘗祭(にいなめさい)のことかと思いきや、それはそれであった。戦争に負けたから勤労感謝の日と名前が変わったよう、それはそれでいいのだが、

 勤労感謝の日とは「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」国民の祝日、だそう。額に汗して、生産、感謝しあう、何だか風化した言葉、化石を見るような気がするのだが気のせいか。新嘗祭とは飛鳥時代から、その年の収穫に感謝する宮中儀式、瑞穂の国と呼ばれてきた日本らしい響きを持っている。天皇陛下もお体を壊されておいでとか、日本国を汚染という暗雲が覆い、真に痛ましい限りだ。

 さて急に身近な話題で恐縮だが、ごく最近、三つ驚いたことがある。第一は粟田部を震源とする広範囲に影響を及ぼした地震があり、ツイッターなどで情報が飛び交っていた。事の良し悪しは別にして、こんなに粟田部が話題になったことはあるのだろうか。八石陶芸の棚から作品が少し被害とか耳にしたが、総じて深刻な被害もなかったようで、地元では結構明るく挨拶がわりに語られている。第二は、もみじまつりへ何日間か観光バス5台が毎回乗りつけたそう。駐車場に場所の確保がしてあったのは知っていたが、大変明るい話題である。第三は、これが最も嬉しかったのだが、地元の鞍谷川に大きなサギと何十羽もの鴨だと思うが、水鳥の泳ぐ姿を始めて目にしたこと。知らなかったのは私だけかも知れないが、兎に角始めての光景に感動。川が綺麗になっていると実感、川が綺麗になるということはこういうことなんですね。

 今、サイレンの音、越前市粟田部町で車両火災、消防車出動中とのこと、大事なければよいですが。

投稿者 sensyu : 14:13 | コメント (0)

2011年11月12日

武田邦彦氏講演会・小浜

武田邦彦氏講演会

 今ネットで注目されている教授が福井県で講演と知り、小浜へ向かう。小浜市役所へ車を入れ、玄関受付の方に会場への道を訪ね、親切で適切な案内を受ける。少し時間があったので、病院や公園、それに小浜駅など散策。5時頃会場の小浜市働く婦人の家 「咲楽館」へ

 職員の方や所長ともお話でき、この「働く婦人の家」などの概要を理解。ロービーでは主催スタッフの方々とも歓談でき、大変元気のいい市との印象を持つ。続々と会場に人が集まり始め用意された椅子は満席になり、そこへ案内されて武田邦彦教授がお見えになる。

法人会講演会「環境問題のウソと本当の話」
中部大学総合工学研究所(副所長)武田邦彦氏

看板と垂れ幕、演台横に大きいカラフルな生花

 先生の講演内容はネットでもうどなたもご存知でしょうから、ここには書かないことに。なお、講演中の携帯や写真は禁止とのことで従う。予想はしていたが、1時間半の講演のうち、1時間を原発問題にさき、残りを環境問題という構成。時折、あの人なつこい笑顔でアドリブが入り会場が沸く一時を除き、咳払い一つなく水を打ったような静けさの中、朗々と先生の声だけが響く。未だこんなに張り詰めた空気の中での講演はあまり記憶がない。それほど話す方も聞く方も真剣であったからでしょう。

 初耳といえば、先生は若い頃、オートバイで本州を一周され、その時一度小浜へ来てなんだか古い感じの宿の2階に泊まった記憶があるそう。あと、男性の方がいく分多いと感じた会場内にも関わらず、「日本男子が情けない」「日本の男はカス、セミの抜け殻」などの言葉はチョット反論したくもあるが、これは心内に何かどうしようもない特定の組織とか人物を思い描いてのことか又は叱咤激励の裏返しだろうといいように想像解釈したい。どうやら総理の代わりはいくらもいるようだが、「子供を守りたい」と声を枯らしてまわる先生の代わりは今の日本にいないと感じるからだ。最後に講演会を開催していただいた主催者のみなさまにも敬意と感謝を。
2011 11/10

投稿者 sensyu : 16:21 | コメント (0)

2011年11月09日

小次郎公園紅葉

佐々木小次郎

 服間の水間谷へは仕事でよく行く。久しぶりに小次郎公園へ寄ってみる。このところ、もみじの紅葉ばかり見ているので、いろんな木々の紅葉はまた違った風情があって楽しめる。

 佐々木小次郎の銅像、背景の高善寺屋根とよく溶け合って独特の雰囲気がある。偶然、存じ上げのご夫婦とお会いし、歓談。悠々と泳ぐコイの群れ、これだけ大きなコイになると鳥もあきらめるらしい。山から少し間がありイタチやテンなどもこないそうだ。目の前でブラシで造園小川の石の根元のアカを磨きとるところを見て、いつ来ても池の綺麗な訳に納得する。寒桜を勧められ見てまわる。土産物売り場(2003年の開所式には私も立会い)では、何人もおばさん達が集まって楽しそう。新鮮な野菜を持ち寄り販売も。賑やかな輪に入って、あれもこれもと少しばかり買ってみたがその安さに驚き。紅葉もいいが、こういった楽しく会話する場があるのは楽しい。もう少ししたら紅葉のピークと聞いた。広々とした公園は今、秋真っ盛り。

http://www.awatabe.com/fukui/kojiro/

投稿者 sensyu : 13:53 | コメント (0)

2011年11月03日

西山光照寺跡の発掘

一乗谷駅

 もう何年も前、始めて西山光照寺跡を見た時の驚きは今でも覚えている。並んだ石仏のお顔をひとつひとつ確かめるように見て回った記憶がある。すすきの咲く野原にぽつんとある一乗谷駅に一両の列車が止まる、実にのどかな光景、

 平成22・23年、このすぐ横の山際で発掘調査があり、つい最近、発掘後の埋め戻し作業を偶然目にしたこともあり、文化の日の今日、「文化の日記念公開講座・西山光照寺跡の発掘最新成果より」に参加することにした。

 一乗谷朝倉氏遺跡資料館へは予定より少し早く着き、常設展を見て回る。信長の署名やよく知っている寺社の名前などがある古文書に惹かれる。午後1時半から始まった講座は見る間に人で埋まる。ほとんど年配の方だったように思う。実際に発掘を行った文化財調査委員の櫛部さんのお話と、学芸員の宮永さんの西山光照寺に関する歴史講座とがあり、その後徒歩で現場へ行っての説明もあった。埋め戻しされているとはいえ、大きく深い井戸や「南無阿弥陀仏」と掘られた大きな自然石など見所はある。講座でいただいた大変詳しい資料の表紙には発掘の写真とともに、「500年前の祈り・・・」とある。この発掘によって知らされた西山光照寺跡の持つ意味をこの現代に置き換えて考えてみる。よい文化の日を過ごさせていただき感謝。

西山光照寺の歴史
『現在、福井市花月1丁目にある天台宗寺院。「福井大仏」として親しまれている。戦国時代には一乗阿波賀にあり、朝倉氏滅亡後、慶長11年(1606)に結城秀康から寺領を与えられ、同16年、現在の地に再興されたと伝えられる。その創建については、資料が乏しく詳細不明だが、初代朝倉孝景の叔父朝倉将景(長禄3年(1459)に長禄の合戦で敗死。法名、光照用公居士)の菩提を弔うために建てられたと考えられる。』資料引用

投稿者 sensyu : 23:09 | コメント (0)