2010年11月24日

越前の里紅葉

さぎちゃん

 少し日にちが経ったが、近くの五分市越前の里へ行く。確か万葉の里ともいっていたような。味真野苑・万葉菊花園の名前も聞く。鯖江の方と出会い、紅葉の撮り方などいろいろ話が弾む。

 奥の休憩所の池に大きなサギが、万葉庵の方にお聞きするとサギは3匹いて、名前はどれも「サギちゃん」と言うらしい。紅葉と溶け合いとても絵になる。ここへは以前谷口家住宅の見学に来たことがある。例にもれず囲炉裏で火を焚く係りの方がいる。かやぶきの家は世話が大変。庭園内の紅葉は手入れよく、鮮やかに発色している。池もゆったりと大きく秋満開。

http://www.awatabe.com/fukui/echizen/manyo/

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2010年11月23日

朝倉氏遺跡紅葉

一乗谷駅

 河田からの道を覚えたので、朝倉氏遺跡までが近く感じる。戸の口坂からとどちらが近いのか計ってみたい。最近では「何もない」と驚きのキャッチフレーズで売り出している遺跡だが、どうして紅葉もなかなかいい。

広い遺跡跡に点々と見える井戸と数は少ないが真赤な紅葉の取り合わせが何とも不思議な雰囲気を作っている。すぐ側石仏群のある西山光照寺跡へも行ってみる。途中にある一乗谷駅が何とも秋らしいたたずまいに見え何枚かシャッター、すすきのよく似合う駅。

http://www.awatabe.com/fukui/asakura/ko_yo/

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2010年11月22日

永平寺の紅葉

永平寺紅葉

 見頃に間に合ったようだ。玄関先の紅葉群は見事で、みなさん上を向いて歩いている。永平寺は今年何度目かになるので、要領よく紅葉を見て回ることができた。

若い人も目立つ、仏教伽藍と紅葉は大変よく似合うからそこにひかれるのだろう。木漏れ日の中、石仏と苔と紅葉が輝く。思わず足を止める光景が随所に、そして目とこころをやさしく包み込む秋の色。

http://www.awatabe.com/fukui/eiheiji/ko_yo/

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2010年11月07日

冠山(かんむりやま)登山

冠山

 つい最近やってきたときはガスの為、冠山の山頂は見えなかった。そこでリベンジ。朝9時頃山頂は逆光が強く撮影に不向き。そこで時間稼ぎをかね急遽山頂アタックを試みる。


 偶然、登山に詳しい方と同行することができ、おかげで初めて冠山の頂に立つことができた。冠平であまりに急な岩肌を見て、一度は断念しそうになったが、どうにか山頂へたどりつく。山頂の景色はすばらしく、あきらめずに登ってよかった。途中ロープに頼る急な岩肌が一箇所あり、そこさえクリアーすれば、あとはひたすら歩くのみ。片道2時間、往復4時間の登山は楽しいものであった。青空に映える紅葉はすばらしい眺めで只感嘆。

http://www.awatabe.com/ikeda/kan_muri/

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2010年11月04日

菊花マラソン応援

菊花マラソン

 菊人形開催中の菊花マラソン応援に行く。粟田部のうすずみ会館前が折り返し地点。見知った市役所職員の方や警察のパトカーなども見え、あたりは大変賑やか。しばらくすると、

 サポーターの伴走と共に選手の方の力走。こういった障害を持つ方達のマラソンは始めて見たので感動。ゲストランナーとして元五輪ランナーの松野明美さんとアテネパラリンピック男子フルマラソン(視力障害)金メダリストの高橋勇市選手が出場している。西樫尾交差点では、大型トラックを舞台に、はながたみ子供太鼓が賑やかに演奏し、沿道では旗を振っての応援。越前富士に向かうまっすぐな1本道を多くのランナーが小さくなって、どこまでも続く様はとても印象的なすばらしい光景であった。(11/ 3)

http://www.awatabe.com/fukui/echizen/kikuka/

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2010年10月31日

冠山の紅葉

冠山の紅葉

 池田町の冠山、国道157号線を走る。途中までは大変整備された道だが、頂上へ近づくある場所から急に狭くなる。綺麗な紅葉に目を奪われないよう運転に気をつけなくては。

 降っていた雨も上がったが、やはり頂上付近はガスがかかっていた。ガスと言えば濃い霧の別名でしょうか、小説「氷壁」の中で主人公がガスに囲まれていく場面を思い出す。ガスで烏帽子の形をした冠山頂は残念ながら。随分以前夏ではあったが一度見た記憶がある。突然真っ白な中からリュックを背負った人影が鈴の音と共に、こういった場所では人と出会うと何とも嬉しいものだ。先ほど出会った方達も鈴を鳴らしていた。白いガスと鈴の音、対非日常的雰囲気の中での立ち話、話題はやはり熊に。今年の夏の異常気象で山のナラの木にドングリがない。熊は柿などを求めて里に降りていく。毎日のように、怪我や射殺のニュースが続いている。こうしてお話を聞けば、一生懸命山を守っている方達もおられるのだが、きっと追いつけないほどの生態系の乱れが起こっているのだろう。羨ましいほどの、こんな美しい場所で生きている動物達、幸せだったはずなのだが、

http://www.awatabe.com/ikeda/kanmuri/

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2010年10月16日

1億本のコスモス

 初めて見る1億本のコスモスは圧巻。早く目が覚め、福井へコスモス観賞。途中雨が降って引き返そうか迷ったが、到着は朝6時前。一面コスモスの乱舞の中、夜が明けて行く。

 両側コスモス咲く中をジョギングの方、お聞きすれば1億本は栽培面積から割り出せるしNHKでも放送されたとか。今日が満開といわれナイスタイミング、今年は少し遅いと。休耕田の利用で、コスモス畑の位置は毎年変わるそう。これだけ広い平野だからできるのかも知れない。広い駐車場も見えた。観光バスもたくさん来るそう。カメラマンは夕方多いなどいろいろ会話。福井宮の下のコスモスは今が見頃。

http://www.awatabe.com/fukui/kosumosu/kosumo_b.jpg

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2010年10月05日

おさごえ民家園

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 福井日赤病院を左に見てもうしばらく、足羽山に沿って行くと「おさごえ民家園」がある。その横のカルチャーパーク駐車場から歩く。立派な噴水公園になっていて青空に真っ白な水煙を上げている。

 おさごえ民家園は県内各地の古民家を福井市が移築保存しているところ。かやぶきの家は維持管理が大変で、ほとんど毎日のように囲炉裏で火を焚かなければ屋根が傷む。係りの方のお話ではかやぶきは25年に一度は葺き替えが必要で、今も中ほどの旧箕輪家住宅の葺き替え工事中であった。職人さん達が休憩中でいろいろ会話。特殊な技術でもあり、岐阜とか山梨とか県外から、アパートに寝泊りして2ヶ月ほどかかるそう。昔のものをそのままの形で残していくには、こういった職人さんが残っていくかにかかっている。工事中の古民家は今立八石の箕輪家のものと知りご縁もあり少し驚きながら見学。完成したらまた見に来てくださいと職人さんに言われ、そうさせていただこうと思う。

http://www.awatabe.com/fukui/osagoe/

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2010年10月04日

堤防に咲く彼岸花

堤防沿いの彼岸花

 越前市、武生は菊人形も始まり、これから街中はにぎやかに。その菊人形会場を横目にもう少し行くと川があり、遠目からも真っ赤な彼岸花の群生が見える。

 ここ、越前市上太田町にある吉野瀬川の堤防は初めて歩く。何百メートルかの間は車が入れないように柵があり散歩道になっている。今、彼岸花満開で綺麗な光景。あまり人が歩かないのか、大小の鳥を近くで見ることができるようだ。土手に咲く真紅の彼岸花、こうして鳥達を驚かせないよう静かに歩いていると、光景は違えどフッと京都の哲学の道を連想。

http://www.awatabe.com/fukui/echizen/higanbana/

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2010年09月26日

コスモス広苑

コスモス

 福井市から入り坂井平野を走っていると、福井総合病院、福井医療短期大学の建物の前、道路を挟んで一面コスモスの畑が広がっている。まだ開花はパラパラという感じだったが奥のほうはもう少し見れそうなので行ってみる。

 このあたりは山がほとんどない平野なので広々として気持ちがよい。10月1日~10月24日までの期間、10月10日には第16回福井コスモスまつりがあるそう。お世話している人にいろいろお聞きした。たくさんの人で、今日のように奥までは車で入れないとか。まだ早いがそれでも何組か見学においで。いろんなコスモスが見れた。これから期間中コスモスが満開になれば、もっときれいだろうと思う。

http://www.awatabe.com/fukui/kosumosu/

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2010年09月23日

朝倉氏遺跡彼岸花

朝倉氏遺跡彼岸花

 彼岸の中日、昨夜は雷鳴轟き大荒れ、今朝もまだ雨が降っている。ここ朝倉氏遺跡。彼岸花が簡素な遺跡跡に色を添え、今ならではの光景をかもしだし。

 朝倉遺跡の方にお聞きする、今年は彼岸花の咲く時期が遅いとか、おかげで今日綺麗な彼岸花を見ることが。彼岸花は赤い色が普通だと思うが、ここには白、ピンク、黄色と色とりどり。淡いピンクの彼岸花は珍しい。案内石版には瓢町(ふくべまち)とあったが、ここも遺跡の中にある。朝倉遺跡のシンボル門と彼岸花はよく似合う。いにしえ、着飾った華やかな女房達のざわめきが花となり現在に甦るのか。

http://www.awatabe.com/fukui/asakura/higanbana/

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2010年09月22日

平泉寺・苔

平泉寺

 日本の道100選という案内板。そこを通り抜け平泉寺へ。登り口横の売店、吹き出る汗、暑いときは氷水、メニューにあったのに金時はないとのことでイチゴにする。あとラムネを飲みながら、瓶の中のビー玉をカラカラ、音に涼む。

 昔からあるお店、お聞きすると戦後しばらく傷痍軍人の方達が使っていて、その後をやられたそう、気さくなおばさん。ここでラジオ風の境内案内してくれる機器を借りて出発。耳のイヤフォンから女性の声で案内が流れてくる。説明を聞きながら退屈しないで一番奥の楠木正成公墓塔まで登ることができた。住所と名前を書けば無料で借りることができる。平泉寺は冬一度来ているので、雪のない境内を興味深く歩けた。苔の美しさは格別でその緑に心安らぐ。

http://www.awatabe.com/fukui/heisenji/

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2010年09月19日

放生祭

放生祭

 若狭最大の秋祭り、八幡神社祭礼は「放生祭(ほうぜまつり)」の名で知られ300年の歴史ある福井県の無形民族文化財。小浜は最近、オバマ大統領との話題で名前の上ることが多いが、こういった歴史ある祭りを持つ文化都市。

 放生(ほうぜ)とは生を放つ、字のごとく殺生を戒め、魚鳥類を解き放つ儀式、古くは「放生会(ほうじょうえ)」が起源という、すばらしい名前を持つ祭りと知る。京都の祇園祭を彷彿させる立派な山車や、大太鼓、獅子舞など独特のものがある。小浜駅横の観光案内所でパンフや案内を受けることができるので、初めてでも迷うことなく楽しめる。八幡神社近くの沿道はたくさん屋台が並ぶ。神社境内で待っていれば、次々各区の山車がやってきて、おはやしや踊りを奉納していくが、街中で見るのもいい。車ならJR小浜駅横に大駐車場、1時間無料、3時間まで100円と便利。ここから神社まで歩いての街中散策が適度な距離でいい。

http://www.awatabe.com/fukui/obama/

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2010年09月18日

今庄宿

今庄宿

 この今庄宿のことは町中、公徳園前にある「近世の大宿場町 今庄」という大看板に詳しく。京、江戸へ行き来する人々が最初に宿泊したのが今庄宿。江戸時代、福井藩主、結城秀康は重要な宿駅として計画的に町並みを造らせ、江戸参勤、伊勢参りなどの宿泊で繁栄する。

 宿場町といえば、時代劇などに出てくる一筋の道に旅籠が並ぶそんなイメージ。今庄宿もまさにそういった感じが今に残るが、そこに作られた感じはなくとても自然。浄心閣では坂本龍馬に関する展示、建物では昭和会館が大変立派。また明治殿では名前の通り明治天皇巡幸の資料。ここで偶然お会いしたボランティアの宮井さんから今庄宿の詳しいお話をお聞きする。大変年配の方であったが親切にしていただいた。今庄宿は宿場町として賑わい、その後SLの今庄駅を中心に発展してきた歴史がある。坂本龍馬が歩いた街道浪漫宿場町、独特の雰囲気が漂う。

http://www.awatabe.com/fukui/imajo/

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2010年09月17日

大野城築城430年祭

大野城

 越前大野城築城430年祭の旗が目立つ大野。商工会前あたりから見る大野城が綺麗。藩主隠居所との建物、地元の方にどうぞと薦められるまま。畳敷きの日本間が落ち着く。

 資料によると、幕末の大野藩主、土井利忠が文久2(1868)年から明治元(1868)年死去するまで隠居所に使用していたそう。「更始(こうし)の令」という贅沢を禁止した利忠公らしく建物は清楚。武家屋敷とはこういったものと思われる。移築復元のできることが木造建築の最大利点かも知れない。現在でも、古い屋敷のねあげしての工事は時々目にする。

 近くの平成大野屋とか「二階蔵」なども見学、この二階蔵の下見板や腰板にはスチーム冷浴法による柿渋と木酢液の注入処理がしてあるそう。人形による朝市はとても情緒を感じた。大変親切なボランティアの方が案内をされておられた。祭りの最中にまたこれたらと思う。

http://www.awatabe.com/fukui/oono/

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2010年09月15日

越前大仏

越前大仏

 越前大仏は1987年(昭和62年)に開眼された。この翌年東京ドームが完成しているが、それに匹敵するような巨額を持って建立された越前大仏、誰しもが驚いたと思う。確かできてすぐに拝観した記憶がある。

 当時は駐車代も拝観料も大変高いものであったが、それよりも驚きのほうが大きかった。それからもう20年以上経つ。その間いろいろあって現在に至っていることはもちろん知るところだが、2度目に見る大仏はやはりすばらしいと思った。20年経っても変わらない姿、そこに不変の法を感じることができる。奈良の大仏と比べることはない。それぞれがそれぞれであり、形の奥にあるものこそが大事で大切なものとみなさん知っている。神戸からの家族づれ、親子して驚きの声にならない声、4時間かけてきたが値打ちあったとお聞きする。

http://www.awatabe.com/fukui/daibutu/

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2010年09月12日

蓮如の里

蓮如の里

 今庄町の芋ヶ平にある蓮如上人像は以前から一度訪れてみたいと思っていたが、ようやく。古木を通り小倉谷、そうして瀬戸。ここから舗装してあるとはいえ山道を相当走ることに。

 何度か道を違えたのではと思いながらも、ようやく蓮如の里と大書してある標柱を見て安堵。広い野原に誰もいなかったが、しばらくして山上より一台車が降りてくる。お聞きすれば、子供の頃ここに住んでおられたそう。ここには何の建物があったなど懐かしそうに。あの山が冠山で池田にも岐阜にも繋がって、と指さしながら。今は人気なくススキが茂っているこの地にいろんな物語があったよう。

碑文ー概説
 文明三年(一四七一年)初夏中旬頃、本願寺破却の際蓮如上人は、叡山の僧徒に追われ、芋ヶ平、まで難を逃れた。この時畑仕事をしていた老婆に導かれ岩穴の中に一時身を隠され老婆に三度の食事の世話を受けた。やがて上人ご出立の際老婆に対し「汝はわがための命の親なりよい形見を得させん」と六字の名号を与えられた。これを岩屋の名号と稱し今に伝えられている。別碑ー蓮如上人お別れ おうた 「戀しくば 南むあみだ佛と 稱うべし われも六字の 内にこそすめ」

http://www.awatabe.com/fukui/rennyo/

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2010年09月10日

勝山城博物館

勝山城博物館

 勝山城天守へ登るのは初めて。5層の天守、内部は6階各部屋を見学。鎧冑、刀剣、弓、火縄銃など戦国を彷彿とさせる展示は圧巻、賎ヶ岳合戦図屏風など立ち止まって拝見。

 駐車場横の売店でソフトクリーム、たくさんの若者で長い列。坂道を上がると城が見えてくる、近くで見るとさすがに大きい。他で見慣れているものと違って白っぽい石垣、龍の彫り物が目に入る。内部は靴を脱いでスリッパ履き。エレベーターで一気に天守上階。向こうに越前大仏が見える。下へ降りながら各部屋を、階段は何度も折り返しをつけ、緩やかで歩きやすい。各階大きな扇風機の前で涼む。受付で会話、新しすぎてだめとか言われる人も多いとか、そう言えばわざわざ名古屋城を木造にしたいとかの記事を目にしたこともある。もし、信長の時代にコンクリートの技術があれば、信長ならきっとこの城を選んだかも、など楽しく会話。今年、薬師寺で耳にした話では、前の高田管主は全て木造での再建を望んでいたが、建築の許可が下りなかったとか、巨大建造物建立にはいろいろな規制があるようだ。

http://www.awatabe.com/fukui/katuyamajo/

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2010年09月03日

白崎公園

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 白崎公園は武生から敦賀へ向かう8号線沿いを少し入ったところ、開園してもう何年も経つそうだが感覚的にまだまだ新しい公園。それだけにいろいろ目新しい設備がある。

 音の出る階段や声を反射させるパラポラなどが。春にも一度足を、上にとても綺麗な堤があった。ここは屋内ゲートボール場を持つ公園、また子供達には大型遊具が設置。広い園内のあちこちに鳥がたくさんいて楽しい。池の中の休憩所で鯉を見たり、カラフルな蝶やトンボが回りを飛ぶ。とにかく大きくて広いので家族で過ごすにはピッタリの公園。

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2010年08月31日

北の庄城址

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 この柴田神社は福井市の街中にあるが、駐車の関係もあってなかなか訪れる機会がなかった。元町商店街はすっかりモダンな通りに変身している。柴田勝家の築いた北の庄城天守跡と伝わる。当時の石垣の遺構が残っている。

ここはまだご存命中であった平山郁夫画伯が勝家のご子孫ということで大きく報道され、当時本人も足を運ばれ挨拶されていた。勝家とお市の方は福井時代行列のシンボルになっている。路面電車のある大通りを白馬に乗って闊歩する俳優ふんする勝家を何度か見た。戦は時の運、戦没したその天守跡にこうして祀られる、福井と勝家はきってもきれない縁がある。側にお市の方の像もあったが、どうしてもっと寄り添ったものにしなかったのか、シャイな県民性の成せる技か。

http://www.awatabe.com/fukui/shibata/

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