2007年02月27日

小さな石鹸

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 銭湯と言えば既に懐かしい響きがする。花筐公園に於いて南こうせつとかぐや姫が神田川を歌ったのはついこの間のような気がするのだが、もう18年も前になろうとは。町には銭湯が2軒もあってよくおじゃましたが2軒とも無くなって久しい。あの番台に座ってご主人が客の応対をする姿はいかにも日本的情緒。ラムネを飲めると喜んで行ったものだ。家には小さいころ五右衛門風呂があり丸い木を足で踏んで沈めながら入浴した。小さい子供にはバランスを取りながら沈めるのがなかなか難しい。十返舎一九の弥次喜多道中でどちらかは覚えていないが、この入り方が判らず木の下駄を履いて入ったという笑い話しが東海道中膝栗毛にあったようだが、なかなかいい方法だと思ったことがある。

 ひさびさにシピーの横にある何とかというモダンな名前の銭湯へ行った。もう温泉並みの浴場になっていて、壁の大きな水槽には熱帯魚が泳ぎ、サウナや露天風呂もついている。風呂上りに畳敷き大食堂で生ビールを飲みながら食事ができるなどいたれりつくせりとなっている。自動販売機で入浴券、手にはロッカーのキーを巻いて便利になったと思いながらも、ふっと昔の番台が頭をよぎる。木の風呂桶が逆さまにきれいに詰まれていた。タイルに桶を置くとき独特のエコーがした。今はプラの桶、あんまりいい音で響かない。男湯と女湯は壁一枚で遮ってあるだけで上は開いていた。お~い、もう先に上がるよ~なんて湯煙の中、声掛け合うなんて今はできない。

 小さな~石鹸カタカタ鳴った~という風景はボディシャンプーの泡の前に説得力を失い幻想的抒情詩となった。昨日採れたフキノトウの味噌和えを前にし、こちらの昔から何にも変わらない風味になんだかホッとするのは。

 若かかったあの頃~何も恐くなかった~、ただ、、、
そんな歌声に酔った時代もあった。
 
 

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2007年02月21日

小京都と奥座敷

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 京都の東寺の五重の塔は何度か見た。あと清水の塔は八坂を登りながら眺めるのが好き。奈良の法隆寺の塔もさすがでした。この塔の中には部屋がなくて太い心棒があるだけと聞いた時は驚き。住まいの用を足さない建造物は他にあるのでしょうか。さしずめ東洋版バベルの塔というには美くしすぎよう。福井県の若狭でも、いかにも年代を感じる三重の塔など見て回ったことがある。小京都と言われる所以である。福井は関西の奥座敷という言葉を年配の方から聞いたことを思い出す。主に芦原温泉などに使われた言葉ではなかったか、情緒の判る方でなければ誤解される言葉かも。今日、外は青空で春の陽気となっている。近くの365スキー場は積雪が少なく今25日で終了するそう、入場者も過去最低を記録したとか話題に、チョット寂しい。さて何日か3D四苦八苦しながら楽しかった。もう何年も前からいろんなフリーソフトを試してはいたがせいぜい丸い球を作っていたぐらい。そういった経験もほんとうは後押ししてくれているかも知れないのだが。出来上がったものを見て、どこかで見たことが、そうこれは五重の塔と大好きな大阪城のイメージが合体している、思わず苦笑。バーチャルの世界は楽しい。こんなことが出来るようになるとはPCを始めて触った頃考えもしなかったこと。3Dの世界は驚きの連続。関連でキャドというソフトがあるのは知っていたが、今朝の報道で福井コンピューターの一部上場が大きく報じられていた。奥座敷から表舞台への脱却は個性あるプログラマー達の双肩に懸かっているのか。越前の抜けるような青空を見上げながらそんなこんなを。

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2007年02月13日

海と水仙は

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 水仙は福井県の県花。越前海岸できれいに咲いている。弁慶の洗濯岩とのミックスはこの時期ならではの福井の風物詩といえそう。スイセンは匂いがよい。昨年は大雪で大変だったと記憶に新しい。確か水仙娘がこの花を持って都会へ宣伝出向する姿が例年報道される。越前といえばこの時期カニを連想される方がほとんどでしょうが、私はどちらかといえば、こちらの風景をまず思い浮かべてしまう。冬の海と水仙のたたずまいはとても素朴で夏とは違った落ち着きを漂わせる。昨日の様子。


 今日は天気もよく3月の気候だとか。つくしが出たとか、ふきのとうが芽を出しているとかまるで春話題になっている。スキー場はうまく雪が降ったそうで連休は今年一番の賑わいだったと聞いた。チケットを買うのにも長く並ばなければいけないそう。明日から天気が悪化するそうだが、もうこの勢いを止めることはできないだろう。写真の重なりはアルファーを使って透明感を出してみたが存外、人のこころの中の思い出もこんな風に透明感の重なりが綾なしている世界かも知れない。幾重にもなった年々薄れていく半透明の思い出の向こうに一つだけしっかりとした何か動かしがたい風景があるような気がするのは気のせいか。

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2007年02月12日

昔も今も

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 小雨の中粟田部最大行事のひとつ蓬莱祀(おらいし)が町内を練り歩きました。出掛け、日本書紀の改竄疑惑記事を目にし、おかしな気分になりましたが、大勢の人の笑顔を見てそんな気分は吹き飛びました。継体帝1500年記念の蓬莱祀は圧巻でした。報道関係の方々は言うに及ばず見たことのないほどのカメラマンの数。前を遮っての撮影に山車の出発が長くできないほどで嬉しい気持ちに。越前市長をはじめ来賓の数もいままでになく多かったよう。また今回古代衣装も目新しく華を添えます。一般の方が多く綱を引きにお出ででしたから大変活気がありました。私もひさびさにTVのインタビューなんか受けたりして、子供の頃の思い出話なんかしたようですが、カットされるかも。あと神戸の大学生が民族学専攻とかで勉強してました。話をお聞きするとちゃんとネットを見ているとかで話が弾みます。動画は初めてmpgを使ってみたので、まだ動作確認はできていません。flashはこれも初めて画面いっぱい使ってみました。ファイルが重いかもと心配ですが、ブロードバンド時代ですから少し冒険。気がついたらもうこんな時間に、、、。

http://www.awatabe.com/kawaraban.htm

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2007年02月04日

謡曲『花筐』

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このところ毎日継体大王に関するシリーズが新聞トップに掲載されている。粟田部郷土史研究会会長福田氏への取材記事も目にした。長い記事の中特に記憶に残ったのは「世阿弥は何もないところからは創作をしないと言われており、『花筐』は史実もしくは伝承に基づいたものと捉えることができる。」という下り。今朝の記事では福井市郷土歴史博物館学芸員の方の「古代の文献に出てこないし内容に矛盾もある、これを史実と見るのは危険」と継体と神社の関係についての記事も目にした。朝倉遺跡資料館長の青木氏も加わっての結論は「人々が越前出身の継体大王を誇りに思い、心の豊かさではぐくんできた伝承は今後も語り継ぐべき」と結んであったように思う。


 歴史において頼りとするものは発掘と文献しかない、と言ってしまえばそれまでだが、それに言い伝えのようなものが加わるからおもしろい。特にネットをやり始めてからキーワードという観念が入り込み自然正しいとされる言葉名称を捜そうとするようになってきた。しかし調べれば調べるほど、一つの事象に対する呼び方や考え方があまりに多面的であることを思い知らされる。キーワードの登録数の多いものが正しい言葉呼び名であるという考えを聞いた時には妙に感心したものだが、今はそうとばかりも言えないように思える。

『・・・編纂のことたる全々われ一己の負うところの者にして、他と毫も交渉無きものたり、然り交渉なし、交渉なきところ自由の筆を有す、権勢何物ぞ、人の好悪するところ、また何物ぞ、筆せんと欲すれば筆す、筆せざらむと欲すれば筆せず、快なる哉・・・』昭和五年、郷土の先輩伊藤氏の巻頭序文。『今および後の郷人等の、往を知り来を察せんがために・・・すてられもせぬ物語』とある。真実とはこういった気概の中にのみあると思う。

投稿者 sensyu : 19:21 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月02日

建国記念日に

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 一昨年、国選択無形民俗文化財の指定を受け、今年は越前市粟田部ゆかりの継体天皇即位1500年を祝い県を挙げての取り組みの中、蓬莱祀(おらいし)が建国記念日に粟田部町内で巡行される。岡太神社敬成会・蓬莱祀保存会の会員通知内容もいつになく盛り上がっている。保存会井筒会長によると今年は山車の引き手の衣装を福井デザイン専門学校に依頼し今回初お披露目となるそうです。

2月10日 午前9時より まゆ玉つけ・俵締め
2月11日 午前9時より 蓬莱祀組み立て飾り付け
      午後1時より 粟田部一円引き回し

市祭り(小判買い) 2月 9日午前0時より
(商売繁盛祈願)
特日祭り      2月10日午前0時~7時
(無病息災家内安全祈願)
会員全員参加で盛り上げたいと敬成会広瀬会長よりのご案内です。

力の入った今年の蓬莱祀ぜひご覧になってください。

http://www.awatabe.com/houraishi1.htm

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