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2010年09月26日

コスモス広苑

コスモス

 福井市から入り坂井平野を走っていると、福井総合病院、福井医療短期大学の建物の前、道路を挟んで一面コスモスの畑が広がっている。まだ開花はパラパラという感じだったが奥のほうはもう少し見れそうなので行ってみる。

 このあたりは山がほとんどない平野なので広々として気持ちがよい。10月1日~10月24日までの期間、10月10日には第16回福井コスモスまつりがあるそう。お世話している人にいろいろお聞きした。たくさんの人で、今日のように奥までは車で入れないとか。まだ早いがそれでも何組か見学においで。いろんなコスモスが見れた。これから期間中コスモスが満開になれば、もっときれいだろうと思う。

http://www.awatabe.com/fukui/kosumosu/

投稿者 sensyu : 01:04 | コメント (0)

2010年09月23日

朝倉氏遺跡彼岸花

朝倉氏遺跡彼岸花

 彼岸の中日、昨夜は雷鳴轟き大荒れ、今朝もまだ雨が降っている。ここ朝倉氏遺跡。彼岸花が簡素な遺跡跡に色を添え、今ならではの光景をかもしだし。

 朝倉遺跡の方にお聞きする、今年は彼岸花の咲く時期が遅いとか、おかげで今日綺麗な彼岸花を見ることが。彼岸花は赤い色が普通だと思うが、ここには白、ピンク、黄色と色とりどり。淡いピンクの彼岸花は珍しい。案内石版には瓢町(ふくべまち)とあったが、ここも遺跡の中にある。朝倉遺跡のシンボル門と彼岸花はよく似合う。いにしえ、着飾った華やかな女房達のざわめきが花となり現在に甦るのか。

http://www.awatabe.com/fukui/asakura/higanbana/

投稿者 sensyu : 15:13 | コメント (0)

2010年09月22日

平泉寺・苔

平泉寺

 日本の道100選という案内板。そこを通り抜け平泉寺へ。登り口横の売店、吹き出る汗、暑いときは氷水、メニューにあったのに金時はないとのことでイチゴにする。あとラムネを飲みながら、瓶の中のビー玉をカラカラ、音に涼む。

 昔からあるお店、お聞きすると戦後しばらく傷痍軍人の方達が使っていて、その後をやられたそう、気さくなおばさん。ここでラジオ風の境内案内してくれる機器を借りて出発。耳のイヤフォンから女性の声で案内が流れてくる。説明を聞きながら退屈しないで一番奥の楠木正成公墓塔まで登ることができた。住所と名前を書けば無料で借りることができる。平泉寺は冬一度来ているので、雪のない境内を興味深く歩けた。苔の美しさは格別でその緑に心安らぐ。

http://www.awatabe.com/fukui/heisenji/

投稿者 sensyu : 02:52 | コメント (0)

2010年09月19日

放生祭

放生祭

 若狭最大の秋祭り、八幡神社祭礼は「放生祭(ほうぜまつり)」の名で知られ300年の歴史ある福井県の無形民族文化財。小浜は最近、オバマ大統領との話題で名前の上ることが多いが、こういった歴史ある祭りを持つ文化都市。

 放生(ほうぜ)とは生を放つ、字のごとく殺生を戒め、魚鳥類を解き放つ儀式、古くは「放生会(ほうじょうえ)」が起源という、すばらしい名前を持つ祭りと知る。京都の祇園祭を彷彿させる立派な山車や、大太鼓、獅子舞など独特のものがある。小浜駅横の観光案内所でパンフや案内を受けることができるので、初めてでも迷うことなく楽しめる。八幡神社近くの沿道はたくさん屋台が並ぶ。神社境内で待っていれば、次々各区の山車がやってきて、おはやしや踊りを奉納していくが、街中で見るのもいい。車ならJR小浜駅横に大駐車場、1時間無料、3時間まで100円と便利。ここから神社まで歩いての街中散策が適度な距離でいい。

http://www.awatabe.com/fukui/obama/

投稿者 sensyu : 22:23 | コメント (0)

2010年09月18日

今庄宿

今庄宿

 この今庄宿のことは町中、公徳園前にある「近世の大宿場町 今庄」という大看板に詳しく。京、江戸へ行き来する人々が最初に宿泊したのが今庄宿。江戸時代、福井藩主、結城秀康は重要な宿駅として計画的に町並みを造らせ、江戸参勤、伊勢参りなどの宿泊で繁栄する。

 宿場町といえば、時代劇などに出てくる一筋の道に旅籠が並ぶそんなイメージ。今庄宿もまさにそういった感じが今に残るが、そこに作られた感じはなくとても自然。浄心閣では坂本龍馬に関する展示、建物では昭和会館が大変立派。また明治殿では名前の通り明治天皇巡幸の資料。ここで偶然お会いしたボランティアの宮井さんから今庄宿の詳しいお話をお聞きする。大変年配の方であったが親切にしていただいた。今庄宿は宿場町として賑わい、その後SLの今庄駅を中心に発展してきた歴史がある。坂本龍馬が歩いた街道浪漫宿場町、独特の雰囲気が漂う。

http://www.awatabe.com/fukui/imajo/

投稿者 sensyu : 00:31 | コメント (0)

2010年09月17日

大野城築城430年祭

大野城

 越前大野城築城430年祭の旗が目立つ大野。商工会前あたりから見る大野城が綺麗。藩主隠居所との建物、地元の方にどうぞと薦められるまま。畳敷きの日本間が落ち着く。

 資料によると、幕末の大野藩主、土井利忠が文久2(1868)年から明治元(1868)年死去するまで隠居所に使用していたそう。「更始(こうし)の令」という贅沢を禁止した利忠公らしく建物は清楚。武家屋敷とはこういったものと思われる。移築復元のできることが木造建築の最大利点かも知れない。現在でも、古い屋敷のねあげしての工事は時々目にする。

 近くの平成大野屋とか「二階蔵」なども見学、この二階蔵の下見板や腰板にはスチーム冷浴法による柿渋と木酢液の注入処理がしてあるそう。人形による朝市はとても情緒を感じた。大変親切なボランティアの方が案内をされておられた。祭りの最中にまたこれたらと思う。

http://www.awatabe.com/fukui/oono/

投稿者 sensyu : 20:27 | コメント (0)

2010年09月15日

越前大仏

越前大仏

 越前大仏は1987年(昭和62年)に開眼された。この翌年東京ドームが完成しているが、それに匹敵するような巨額を持って建立された越前大仏、誰しもが驚いたと思う。確かできてすぐに拝観した記憶がある。

 当時は駐車代も拝観料も大変高いものであったが、それよりも驚きのほうが大きかった。それからもう20年以上経つ。その間いろいろあって現在に至っていることはもちろん知るところだが、2度目に見る大仏はやはりすばらしいと思った。20年経っても変わらない姿、そこに不変の法を感じることができる。奈良の大仏と比べることはない。それぞれがそれぞれであり、形の奥にあるものこそが大事で大切なものとみなさん知っている。神戸からの家族づれ、親子して驚きの声にならない声、4時間かけてきたが値打ちあったとお聞きする。

http://www.awatabe.com/fukui/daibutu/

投稿者 sensyu : 22:15 | コメント (0)

2010年09月13日

お茶を作る

お茶その1

静岡のお土産、作り方の説明書もあったので早速、
中度に熱したホットプレートに水100cc、
そのなかに自分で摘んだ両手に山盛りの
3~4枚目までの柔らかいお茶の葉を入れる。

お茶その2
葉がしんなり、水気が無くなったら
新聞紙の上にひいた巻きすに乗せ、半分にたたみ
新聞紙に水分を出すように転がしながら3分揉む。

お茶その3
弱度のホットプレートに戻し、かきまぜながら
水分を取る。巻きすとこれを繰り返し3回。

お茶その4
最弱度のホットプレート上で葉を少しずつ手揉み、
手のひらで、水分の無くなっていく感じがつかめる。
最後、細かくサラサラになったお茶の葉を広げて
電気を切り、朝までそのままにしておいた。

お茶の紙パックに分け入れると10回分くらいか、
苦労しても少ない量だが、お茶の味と香りは驚くほどよい。

投稿者 sensyu : 00:02 | コメント (0)

2010年09月12日

蓮如の里

蓮如の里

 今庄町の芋ヶ平にある蓮如上人像は以前から一度訪れてみたいと思っていたが、ようやく。古木を通り小倉谷、そうして瀬戸。ここから舗装してあるとはいえ山道を相当走ることに。

 何度か道を違えたのではと思いながらも、ようやく蓮如の里と大書してある標柱を見て安堵。広い野原に誰もいなかったが、しばらくして山上より一台車が降りてくる。お聞きすれば、子供の頃ここに住んでおられたそう。ここには何の建物があったなど懐かしそうに。あの山が冠山で池田にも岐阜にも繋がって、と指さしながら。今は人気なくススキが茂っているこの地にいろんな物語があったよう。

碑文ー概説
 文明三年(一四七一年)初夏中旬頃、本願寺破却の際蓮如上人は、叡山の僧徒に追われ、芋ヶ平、まで難を逃れた。この時畑仕事をしていた老婆に導かれ岩穴の中に一時身を隠され老婆に三度の食事の世話を受けた。やがて上人ご出立の際老婆に対し「汝はわがための命の親なりよい形見を得させん」と六字の名号を与えられた。これを岩屋の名号と稱し今に伝えられている。別碑ー蓮如上人お別れ おうた 「戀しくば 南むあみだ佛と 稱うべし われも六字の 内にこそすめ」

http://www.awatabe.com/fukui/rennyo/

投稿者 sensyu : 19:23 | コメント (0)

2010年09月10日

勝山城博物館

勝山城博物館

 勝山城天守へ登るのは初めて。5層の天守、内部は6階各部屋を見学。鎧冑、刀剣、弓、火縄銃など戦国を彷彿とさせる展示は圧巻、賎ヶ岳合戦図屏風など立ち止まって拝見。

 駐車場横の売店でソフトクリーム、たくさんの若者で長い列。坂道を上がると城が見えてくる、近くで見るとさすがに大きい。他で見慣れているものと違って白っぽい石垣、龍の彫り物が目に入る。内部は靴を脱いでスリッパ履き。エレベーターで一気に天守上階。向こうに越前大仏が見える。下へ降りながら各部屋を、階段は何度も折り返しをつけ、緩やかで歩きやすい。各階大きな扇風機の前で涼む。受付で会話、新しすぎてだめとか言われる人も多いとか、そう言えばわざわざ名古屋城を木造にしたいとかの記事を目にしたこともある。もし、信長の時代にコンクリートの技術があれば、信長ならきっとこの城を選んだかも、など楽しく会話。今年、薬師寺で耳にした話では、前の高田管主は全て木造での再建を望んでいたが、建築の許可が下りなかったとか、巨大建造物建立にはいろいろな規制があるようだ。

http://www.awatabe.com/fukui/katuyamajo/

投稿者 sensyu : 17:06 | コメント (0)

2010年09月04日

天神社祭礼

tenzin_s.jpg

 天神社、天神さんのお祭り。新しくなったお堂の中に、雄略18年(474年)建立、天保6年(1835年)再建の祠が鎮座する様は壮観で重々しい雰囲気がある。明治の「神仏分離令」後、毎年9月3、4日の両日、粟田部佐山天神地区の氏子によって祭祀されてきた。

 今年は下佐山地区の当番とか、見知った方々がお世話されていて、お神酒をいただきながらいろいろお話しを。小さい頃はお堂の正面に白い幔幕を張り映画会が行われ、大勢の人が集まっていたような記憶がある。屋台もでていたときもあったそうだが、記憶からは薄くなっている。親しみを込めて「お天神さん」と呼ぶ方が多い。境内の樹齢300年の樫の木もみごと。すぐ横の秋葉神社の祠も祭礼の提灯などで賑やか。

投稿者 sensyu : 08:22 | コメント (0)

2010年09月03日

白崎公園

siro_s.jpg

 白崎公園は武生から敦賀へ向かう8号線沿いを少し入ったところ、開園してもう何年も経つそうだが感覚的にまだまだ新しい公園。それだけにいろいろ目新しい設備がある。

 音の出る階段や声を反射させるパラポラなどが。春にも一度足を、上にとても綺麗な堤があった。ここは屋内ゲートボール場を持つ公園、また子供達には大型遊具が設置。広い園内のあちこちに鳥がたくさんいて楽しい。池の中の休憩所で鯉を見たり、カラフルな蝶やトンボが回りを飛ぶ。とにかく大きくて広いので家族で過ごすにはピッタリの公園。

投稿者 sensyu : 21:35 | コメント (0)