2010年03月24日

国宝三重塔

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 若狭明通寺三重塔は見ごたえがある。ここは2度目になる、玄関入り口に立つが以前の記憶は薄れている。桧皮葺本堂で正座しマンツーマンでのご説明をいただくが、これはこの寺の方針みたいです。この本堂と三重塔は鎌倉時代の建造物で国宝に指定されている。今度奈良の薬師寺へ行く予定だが、写真で見れば六重に見える塔も三重塔らしい。違いを比較できると楽しみ。興福寺三重塔も見れそうだ。はるか地方にあって中央にひけをとらぬ密教建築が何故越前若狭に、歴史はおもしろい。

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2010年03月23日

オリオン座

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 星座で一番親しまれているのはオリオン座ではないでしょうか。三ツ星が並び、4つの明るい星が取り囲むさまは大変見つけやすい。オリオンは冬の星座、夏になり苦手のサソリが登場すると地平に逃げ込む。ひときわ目立つ赤色巨星ベテルギウス、星の終焉の話にはよく出てくる。太陽もいずれはこの星のように赤く大きくなり、地球の軌道も飲み込まれるとか聞いたような。赤い星は星としては晩年で、青い星は若い。星にも初めがあれば終りがある。昨夜は爆弾低気圧という言葉も納得の大荒れ、今晩は空全体に薄雲がかかって星は見えない。何日か前、オリオンを撮ってみた。三日月が出ていたので、ピント無限大焦点は月に合わせてうまくいったようだ。20秒くらいが限界か、これでも少し星の軌跡が出ている。やはり自動追尾の赤道儀がないとこれ以上は無理。それでも肉眼では見えない星も写っていて感心。いつかスバル星団をねらってみよう。

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2010年03月22日

若狭三方縄文博物館

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 敷地の広大さ、建物の斬新さ、てっきり県の施設だろうと思ったら、どうも若狭町の施設らしい。受付案内の方が親切。すぐ横の三方五湖は国際的に重要な湿地として、2005年にラムサール条約湿地に登録されたと大きな看板が建っていた。ここに限らず福井の湖にはたくさんの水鳥がゆったり泳いでいていい感じ。三方五湖は三方湖、水月湖、管湖、久々子湖、日向湖であったと復習。広場に縄文時代の住まいが3つほど、中を覗いてみたり、なかなか興味深い。博物館は鳥浜貝塚やユリ遺跡の出土を中心に音響などを駆使し大変工夫されている。福井は縄文文化のメッカだったなど初めて認識。出土した丸木舟、それに赤い漆を塗ったくしなどが印象。貝塚地層に乗った博士の人形、一瞬ほんものかと思ったので追記。縄文の原点を見つめることから湧き出る現代文明への疑問に警鐘を鳴らすという明確な主題を持った稀有な博物館にDOKIDOKI。

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2010年03月21日

気比の松原

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 春の選抜高校野球、たしか開会式行進のアナウンスは福井県の女子生徒だったでしょうか。開会式の君が代もきれいな声でした。開会式直後の敦賀気比、テレビ応援。昨日からの強風のせいか、フライの目測が難しかったみたいですが、緒戦勝利し選手のみなさんの喜びが伝わってきました。敦賀といえば、気比の松原、並び立つ松に強固なチームワークを連想。この海水浴場はこれまでによくきました。ごく最近の写真があったので、お祝いアップ。

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2010年03月20日

丸岡藩砲台跡

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 この丸岡藩砲台跡は時間軸を感じさせないリアルさがある。そこに立ち、荒波押し寄せ砕け散るを聞けば、緊張感の高まりは怖いほど。砲眼覗き見れば、あたかも異国の蒸気船その威容を現し、あたりを圧するかのように進む。白鉢巻をしめ若者達が真剣な眼で砲身の先を見つめ、そんな光景が目に浮かぶ。海防は時代を問わず国の基本、備えあってこその平和。砲台はぺりー来航の前年に築かれたそうで貴重な遺跡とある。今の若者もすごい、たまたま波乗りサーフィンを眺めて驚き、昔はなかった。スリルを求めるのは若者の特権、しかし海水冷たくないのか、ウエットスーツの力だろうか、いずれにしても気をつけて。わが身を振り返れば、いつのまにか君子でもないのに、危うきに近寄らずなどと、知ったようなことを言っている。

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2010年03月19日

吉崎御坊跡

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 長い階段を登ると吉崎御坊跡の石碑、後ろへ回ると文部省の名が。誰一人いなかったせいかも知れないが目の前のあまりに清浄な雰囲気と広さに驚く。高村光雲作、蓮如上人の銅像が中央奥に見えた。説明板によれば、あの大西郷の像などと共に光雲四大作の一であるそう。高さ5メートル、台座7メートル、越前・加賀から多くの寄付浄財によって、昭和の初め頃できた。周りに池をめぐらせてあるが、水はなく、人魚姫のような石像がその中に。後で知ったことだが、池は東西御坊を守る防火水槽の役をしていたそうで、人魚姫は、上人が救済したという大蛇の姿になった女であった。伝説「肉付の面」などといい、ここでは女性の恐ろしい姿を見るかと思えば、京都から200キロメートル以上もの距離を徒歩で運ばれる上人の絵像到着に感動し涙を流す女性達、御輿車の横でやさしそうなおばさんからその時の様子をお聞きし胸にこみ上げるものが。御坊跡には、いわれある遺跡が回りに多く配置されて、見て回ると時間を忘れる。早桜が咲き、うぐいすが鳴く、心静かでそれでいて喜び湧くひと時、「けふといふけふはじめてよし埼にまふでける。その嬉しさありがたさのあまり・・・」加賀千代女六十才の紀行文、ここに立てば、なんだかその気持ち分かるような気がする。


写真は念力門、石碑の裏に

「由緒」
「本願寺北の総門は天正十九年豊太閤の寄付なり元天狗門と名く元治元年奇跡に因りて火止めの御門とも称せらる。昭和廿四年 巨橋輪番本山に乞うて下付を浮く 斉藤、平田両氏他百余名吉崎念仏報謝団を組織して荷車十六輌を以って之を運搬せり。偏に祖恩を思ふて嶮難六十里を忍び専ら念仏を称えて風雨の九日を耐ゆ霜月の中の五日壮行を完遂せり、嗚呼偉なる哉、翌、四月竣工す。光明尊師親しく之を落す。念力門とは勝如宗主の名くる所なり。」

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2010年03月16日

越前大野城

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 大野城は一人の寄付で建てられたとか、その点では勝山城と似ている。大野城は山城なので天守まで結構歩くことに。途中年配の方達と多くすれ違う。格好のジョギングコースなのだろう。今年はいたるところで雪による枝折れが目立つ。重い雪質だったようだ。天守近くに土井利忠と金森長近の像が建てられているが、その表情が大きく違っているのがおもしろい。織田、豊臣、徳川と仕えた長近はさすが。また利忠は実直そうに見える。大野といえば朝市は何度か、今回天守の側まで登れてよかった。

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2010年03月15日

梅と蜜蜂

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 県グリーンセンターで育てていた薄墨桜の小さな分け木が戻ってきたということで、保勝会30人ほどで昨日公園内に植樹。同時に緑の羽募金によるもみじ植樹も。午前いっぱい清掃などの作業、後天気もよく公園広場での昼食。その時、私の町にもちょっとした梅林があると聞いて早速。今まで梅のことを考えたことがなかったから無理はない。きれいな梅を見てびっくり。満開の梅の下、小さな羽音が、これがミツバチか。体が小さいからか全く脅威を感じないやさしい羽音。時間を忘れ蜜蜂を目で追いかける。後で分かったことだが花粉団子を足に働きもの。タテハ蝶?もやってきます。結局青い鳥の話よろしく追いかけていたものは足元、すぐ目と鼻の先距離にして2~300メートルというオチになったが、これも梅を探し、いろんなところへ行き、いろんな方の話を聞いたりした後だから分かったことなのかも知れない。梅のおかげで出会った人はいったいどれほどに。結局無駄なことは一つもなかったのだと思う。最後の最後、わが町の梅に感動し幕、こんな嬉しいことはない。

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2010年03月14日

梅まつり

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 越前若狭三方の梅まつりの旗が沿道に。梅街道の梅の花はまだ7分ぐらい残っていましたが、見頃を逸したかなと、初めて見るからか、それでも充分綺麗。梅の里会館のスタッフの方達に教えてもらい、山の上目指して探索開始。ほんとに、言葉にならないようなすばらしい満開の梅林光景を見ることができました。栽培されている方と出会う。ハチがいませんね、と私。寒いと小屋の中でじっとして、暖かくなると勝手に出てきますよ。私、雪降りましたね、大丈夫でしたか。これから霜が降りないか、と心配のご様子。福井若狭梅の今おかれた状態、日本、世界レベルでのお話をお聞きし、これから梅干が今までと違って見えそう。梅の実がなる頃、また行けたらと。

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2010年03月11日

一乗谷朝倉氏遺跡

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 戦国武将朝倉100年の栄華も夢幻、広い発掘跡の片隅に墓が。義景終焉の地、大野にも墓がある。織田・浅井・朝倉、劇的な瞬間の連続が繰り広げられたこの地に立てば、頬を撫で行く風も悲しげ、栄耀栄華はいつか落つる椿のはかなさ。この時代、京が中心、比較的近い越前が早い内に巻き込まれたのか。雪深い一乗谷、攻め込むものなどおらぬと思っていたとしても、まして、この地から天下を望むなど、専守防衛、それだからこそ京に劣らぬ文化の華が咲き続けていたのでしょう。昨年はこの地にまず皇太子殿下、そして天皇・皇后両陛下がおみえになり大きな行事が開催されたのも、壮大な歴史から見て、まことに相応しい選地。ガイドの方にお聞きした姉川の戦いでの長刀振り回す真柄十郎左衛門の姿、大阪の陣などなど越前兵はその歴史の要所要所において強かった、なにぞの本に記されていたのを思いだし。

http://www.awatabe.com/fukui/asakura/

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2010年03月09日

福井城 御廊下橋

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 初代藩主結城秀康、福井城築城四百年を機に復元されたとあり、それが記された日は平成20年3月、御廊下橋はちょうどまる2年経ったことになります、初めて見たなど大きな声では言えません。福井城より北の庄と言ったほうが勝家・お市の方と繋がりよい響き。今年の福井時代行列の配役の話題も見聞き。堀には悠々と水鳥が泳いでいます。福井城のお堀と言えば、連想するものは子供の頃よく聞かされた福井空襲の話。とても悲惨で胸が痛みます。お堀の横に、その時亡くなった女性電話交換手の方達の碑が建てられています。袴を履いて仕事中の凛々しさがかえって悲しく映ります。福井をフェニックスと呼びますが、子供の頃見た福井祭りはそれは賑やか、カーニバルなどと言って、派手に飾られた自動車の行進に度肝を抜かれた覚えも、花火や、ぞうやライオンの出るサーカスを見たことなど、お堀の水面の小さな揺らぎの中に現れては消えていきます。

http://www.awatabe.com/fukui/oroukabashi.jpg

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2010年03月08日

松阪城梅林

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 松阪市長署名のある「蒲生氏郷公と松阪」碑によると、天正12年6月、29歳の若さで松ヶ島城主となった氏郷公がこの町を「松坂」と命名した、とある。天主跡にひときわ目を引く梅の花、梅が余裕を持って並ぶ様は印象的で綺麗。そこには「松阪城梅林」の石碑が。してみると古くは松坂、松坂城であった時代があったのかも。「坂」から「阪」への面白い歴史があるのかも知れない。ここは天守を持たない城であるが、その野面積みはすごい、角のみ切込みはぎになっているのは珍しく、この城だけであるそう。天守を作る話も過去あったそうだが、きちんとした城図面が残っていなかったので断念したとか。眼下に見える御城番屋敷の歴史など、案内をかって出ていただいた市駐車場の係りの方に感謝。実は途中仲間から一人外れてしまい、焦って迷い込んだところが天守跡にある松阪城梅林、雨だったせいでしょうか誰もいなくて、綺麗な光景を一人占め。ちなみに越前福井城の石垣は切込みはぎで対比して分かりよい。

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2010年03月05日

名水

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 きれいな水は見ているだけで気持ちがよい。越前若狭瓜割の滝は有名、ポリに名水を持ち帰る姿を多く見た。名水なら近くにもいくつかあり、横に小さな仏の祀られているところが多い。大野の御清水も有名、こういった場所で洗濯や野菜洗いなど、社交の場でもあったよう。子供の頃は普通に見られた風景。白山連峰の恵みを受けた湧き水、途切れなき流れは越前名水と言われ何よりの宝もの。若狭のお水送りも頷けることだ。神宮寺はちょっと前に訪ねてみたが、このお水送りの為とかで立ち入りができなくなっていた。名水は遠く奈良までも繋がって、春を告げる呼び水。


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2010年03月04日

足羽山動物園

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足羽山、秀吉が布陣し、越前北の庄の勝家と対峙。そんな想像をめぐらせながら新設された見晴らし台へ、三国の東尋坊タワーが見えると案内板に、まさか福井市内から海にある施設が、これがほんとでもう驚き。ここ足羽山公園は開園100周年らしい。今までに何度か来ている動物園を覗いてみる。

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いきなりですが、動物って笑うかも知れないと思ったり、おもちゃの鳥が池に浮かんでいる?と目を凝らして見たり。人気のポニーの尻尾に何してる、みつ編み?とお聞きしたら「そうです」、、じゃメスなんですか、「オスです」、、;かわいがられていますね、いい光景。足羽山、最近ボンボリ存続の件でもニュースになっていたような、もうすぐ桜まつり。木の芽田楽とか、ここには思い出がたくさん。

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2010年03月03日

義経と東尋坊

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 バド県体で何度か、試合の後、みんなでここ平泉寺へ。苔が一面に、綺麗だった。それが一面の雪、おまけに人影なく冷気漂う厳粛な雰囲気に圧倒されそう。一筋の踏み固められた雪道をはずさないよう歩く。長靴を用意してよかった。時々がぶりながら神泉とされる御手洗池(みたらしいけ)など、側に泰澄大師お手植え、千数百年を経る御神木の三叉杉を見上げる。平泉寺、寺と呼ばれているが、鳥居もある神社、白山信仰は神仏習合だからか、ご神体が仏像という社が多くあるようだ。奥州平泉に落ちのびる途中、源義経が詣でたそう、登り口には東尋坊跡と彫られた小さな石碑、横に「東尋坊は、力が強く乱暴な僧で、、三国の絶壁から突き落とされ、、」どうやらこの寺の僧だったよう。僧なら、人を海の中に引き込まないで欲しいものだ。石川からおいでのグループとすれ違う。みなさんカメラを肩に、私の長靴を見て全てを悟ったみたい、さてどうされたか。

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2010年03月02日

雄島

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 東尋坊は何度も来ているが、雄島と言えば朱塗りの橋を眺めるだけ、今回ようやく島の中を一周できた。昼、暗い道が神社へと、以前怖い番組も作られ、そういったスポットにもなっているよう。朝倉義景とか松平忠直ゆかりと聞いただけで何だかありそうな予感。そんな先入観が何でもない石を顔に見えたりさせる。島の先端、中ほどにはこじんまりした灯台もあり、そのあたりからの景色はなかなかいい。遊歩道にはすべて飛び石が敷いてあり歩きやすい。しかしころんで膝に泥が、やっぱり何かあった;

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2010年03月01日

浮き浮き勝山

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 昨日の勝山は左義長の熱気で盛り上がり。朝9時頃から雨も上がり、11時頃には18もの駐車場も満杯、12あるやぐらから、おはやし、浮きだいこが賑やかに。10時からの子供ばやしコンクールも一部見ることが、その上手さ可愛さに驚く。初めて見て回ったが、駐車係りやイベントの方達の親切・笑顔が行き届いていた。振る舞い鍋のトン汁おいしい。また作り物・絵行灯にしても、時事を遠慮せずに切っているものもあり気持ちいい。繊細な押絵もまじかに。昔活躍したという織物機の実演説明もよかった、それに組み紐のプレゼントも。全てのやぐらを回ったせいか、万歩計は18000歩という最近にない数字を示し大満足。どんど焼きは夜9時からとか、後ろ髪引かれながらの帰路となる。

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白梅と紅梅

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 梅にもいろいろな種類が、八重形や梅鉢形、白梅・紅梅などさまざま、今まで気にしたこともなかった。梅にカメラを向けていると、年配の方が。写真展などで1席を賞されたこともあるそう、いろいろ楽しくご教授いただく。あ、そこは逆光になるからフラッシュを、みたいな感じで。ありがたいですね。越前福井城堀横、福井市中央公園の梅の花満開直前。

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