2009年05月19日

新型ウイルスとマスク

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新型ウイルス、大阪では大きなイベントなどの中止の報道もされている。マスクの使用、手洗いの実行など呼びかけられている。マスクと言えば、外国ではあまり着用の習慣がないとかで、日常生活の違いに違和感を持つ方も多い。外国ではマスクに犯罪の臭いを重ねるらしく、顔を隠すマスクは嫌われるとか。ミクロン単位のウイルスに果たしてマスクが有効なのかは別にしても、日本ではマスクに違和感はない。昔から、寺などで仏像を移動したりする時、住職が息が当たらないようにマスクをするのを見る。仏教では決してローソクの炎を息で吹き消したりはしない。お宮参拝でも水で手を洗い口を清める。現在では当たり前のキスなども聞けば戦後からであり、最初の映画はガラス越しであったとか、それはそれで男女の仲がより良くなるのなら結構なことだ。このように息は不浄のものとされてきた長い歴史を持つ日本、息をかけないことが礼儀であったとするならマスクは理にかなっている。周りを気づかいながら自分を守る、その心に外国こそ学んで欲しいと思うのだが、未だ海外経験のない言葉に果たして説得力があるのか、はなはだ疑問も感じる。地球に最後生き残るものは細菌と聞いたことなど、決して絵空事ではないようだ。

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2009年05月11日

竹人形

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かわいい人形が目についたので、娘に聞いてみると丸岡の竹人形の里での体験作品とのこと。雪国イメージなのか白い髪が印象的。家の近くに竹屋さんがあって、ご主人がお店でいつも竹細工を、よくお邪魔して世間話をするのが楽しみだったが、今はない。職人さんのお店がめっきり少なくなった。竹は漆工に竹べらとして毎日活躍している。製品として出来上がったものはなく、自分で竹を削って作るのでいろいろな形のものが出来る。小さい頃「エジソン」の伝記を読み、電灯のフィラメントに日本の竹がよかったとか、あと読んだことなどすっかり忘れてしまったが、このことは印象に深く今でも記憶に。このときいろんなものを試してみたらしく、天才というより努力の人であったのかも知れない。昔の家は竹を編んだ上に壁土を塗った。地震のとき竹やぶへ逃げるといいとか、丈夫な竹のイメージがある。このかわいい顔をした小さな人形の後ろに、はるか竹取物語の時代より培われ愛されてきた、とてつもなく大きな伝統や風土暮らしが隠れている。

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2009年05月07日

春紅葉

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昨日、春紅葉鑑賞会が花筐公園で。あいにくの雨、野外での予定をやめ、ふるさとの家での会食となる。今年は花筐公園保勝会のみでの行事ではあったが盛大。事務局の交代があった。よく存じ上げの方達の中での会食は楽しいものであった。公園は瑞々しい緑に包まれ、つつじがひと際鮮やか。このところの全世界を覆う勢いの新型ウイルス、不安と心配が続いているが、ここは世の喧騒とかけ離れた別世界、心が落ち着く。ふるさとの家では囲炉裏に薪をくべ、大きな斗なべでお湯を沸かす。煤で黒くなった天井を見上げ、以前こういった光景がいたるところにあったことを思い出す。衣食住と言われるが住の変化が一番大きいように思える。

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2007年04月08日

好天です

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 朝早く今立、領家のお宮へ仕事で行く。町内の方総出で作業中、みなさんから文化財などの説明を受けた。とても立派な歴史ある神社であった。帰り服間小学校の前の桜が満開であったので車を止めて見入っていた。返す刀で花筐公園へ行く。はながたみまつりイベント最終日は好天に恵まれ、バザーなどの準備でたいへんな活気。帰り佐山姫公園駐車場を見るとまだたくさんの空きがあった。今日は芸能発表などもありここ福井県越前市花筐(かきょう)公園は最高ににぎやかですよ。AM 9:30 現在

http://www.awatabe.com/2007/hanagatami.htm

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2007年04月04日

ぼんぼりがきれい

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 夜花筐公園へ行ってみた。ボンボリが点灯されていてきれい。平日で9時ごろと遅かったからかもう人影はなかったが今度の土曜日はにぎやかだろうと思う。電球の切れたボンボリをいくつか見つけ、工事業者へ連絡した。よく知っている業者でもあり、すぐに電球の取替えをするとの明るい返事であった。そう言えば何年か前、ある会でそういった見回りをしたことがあったのを思い出す。強い風が吹けばボンボリはいくつか飛ばされるし維持管理もなかなかだと分かっている。桜は5分咲きぐらいだろうか、夜でもあったのでどうだろう。写真を見て判断して欲しい。


 さきほどアラレが少し、今は雨が降っている。公園を覗くといつもとちょっと違う雰囲気がする。一本の桜に開花した花と蕾の時間的バランスが極端に違うような気がする。公園全体にもそれが言える。中腹などはまだ全くの蕾状態で、しかもそんなに赤くない。これでは全体を指して何分咲きなど難しくて言えないのではないかと思った。そろわない、そんな感じがまだする。07 04 AM 11

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2007年04月01日

はながたみオープニング

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 佐山姫公園駐車場は三里山縦走から降りてこられた方でいっぱい。みなさんソバ券を手にし思い思いの町内のお店へ行かれる最中。これは先だって今立商工会粟田部支部が無料券を発行すると総代会に出席し聞いていましたから、喜ばれているみなさんのお顔を見て嬉しい思い。300人ほども登山されたと今聞きましたが参加人数未定の中勇断していたので、冗談ですが予算大丈夫なのかと思わず。駐車場で以前より懇意にしている福井市のテレビ番組製作会社の方と偶然お会いし、同行されていた福井県広報の方ともお話しました。ここご覧になるはずですから、間違っていたらご指摘ください。なんでも、継体大王1500年の紹介を県が製作中とか。粟田部は岡太神社、薄墨桜、皇子が池を中心に製作されるそう。女性キャスターに「今日の薄墨桜はどうでしたか」とお尋ねすると、「まだ咲きはいまいち」との答えが。今から登ろうかと思っていたけど今日はやめようと笑いながら別れました。少し歩き花筐公園へ。越前市市長を横に市議の福田さんの開会式挨拶真っ最中、花筐公園広場には始めて「おらいし」が飾られて、大変にぎやかです。これも継体大王イベントの一環でしょうか。今日の公園桜の咲きは大概の方が「二分にちょっととおいかな」と言われているのを公式としましょう。

 今立商工会はいよいよ明日、平成19年4月2日午前10時30分、今立商工会館前にて越前市商工会設立式典が挙行され「越前市商工会」となります。あまりにも長く慣れ親しんだ「今立商工会」と呼べるこれが最後のページとなりそうです。

公園から歌謡ショーでしょうか、ここまで唄声が聞こえてきます。時々日も差す今日は小春日和。

http://www.awatabe.com/2007/hanagatami.htm

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2007年03月30日

花筐公園の桜開花

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 昨日福井県では福井気象台による開花宣言があった。早朝、ここ越前市花筐(かきょう)公園でも同じくまだ数えるほどだがソメイヨシノに開花が見られ、公園に活気がみなぎってきた。同じ木で見られた昨年の公園一番桜は4月8日であったから10日も早い開花となった。今日より昨年のような日程で開花が進んでいくと思う。公園内にある小さな山桜2本は満開となっているので桜が見れないことにはならない。何となく一安心。東京は満開とTV報道がにぎやかだ。ほんと、桜はきれいですね。

http://www.awatabe.com/2007/kaika.jpg

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2007年03月25日

能登の地震

 お隣石川は能登を中心に大きな地震があった。次々と報道される映像はその生々しさを伝えてくる。春先とはいえまだまだ外は冷え込む。被災者の方々のご苦労はいかばかりか。少し離れた越前とはいえ家は大きく揺れた。長い揺れに悪い予感がしたが、何度も行ったことのある能登や輪島の名前に驚いた。小さい頃よく地震があった。外へ飛び出してはいけないと親に言われたことを思い出す。屋根瓦が一気にズッテくるからと聞いたような。あの頃の大人は福井地震を経験しているからか教えは大変具体的であったと記憶している。ブログをいろいろ見ていると鳥が卵を産まなくなったとか、いろいろ自然界での予兆もあるようだ。福井豪雨の時も川の魚に異変があったことは耳に新しい。そういった方面の研究をもっと大々的にやるといいような気がするが、きっと釈迦に説法ですね。

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2007年03月24日

一番桜

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 雨が降っていたが何となくそんな気がして公園へ足が向いた。冷たい雨の中一本だけかわいいい桜をいくつか咲かせている木があった。この木は確か根尾からの分け木であったような。全山まだ蕾も膨らんでいない中にあって可憐な感じがした。たまたま居合わせた学生の方たちに傘を差してもらいながらの一番桜ゲット。分け木と言っても1年がんばった桜、ままこ扱いはできない。今年は暖冬ということで、全国桜の開花予想を早めてのイベントにいろいろ支障もあったように聞く中、心配なことだ。私のお店のボンボリも見つけ、この場所でまた花見ができたらいいなと思いながら、雨の中ひさびさに一人歩く公園はとても峻厳な雰囲気があり軽い緊張を覚えた。

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2007年03月09日

ポストの威厳

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 赤いポストの存在感はそれは大きかった。背伸びしながらおつかいのハガキを入れたなど遠い思い出となってしまった。家のすぐ近くにあったのでなおのことだったのだろう。帽子をかぶり口があってお腹から出す。ロボットの元祖なのか。その頃は「鉄人28号」なんて人気の漫画があった。すごい力を持ったものへの憧れがあり、どこまでも人間臭い姿が好まれたのではないか。どうして今の四角い箱になってしまったのだろう。何気に見て感じたのは、どことなく擬人化されたその姿が、戦前の頃の多くのイメージと重なって見えたからなのか、それとも値段が高かったのか、分からない。赤ちゃんから大人まで慕われたであろうポストは頼りがいのある姿で確かにそこに立っていたのだ。昔のものはポストから建物にいたるまで、重量感というか威厳というか決して裏切らない、そんな気があたりに漂っていたような。

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2007年03月08日

夜空

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  小学校の5年生の頃だったか直径15㌢という途方も無く大きなレンズを手にし、長さ1.5メートルもの屈折望遠鏡を自作したことがある。その頃今よりもっと空は澄んで、周囲も暗かったおかげもあってか、自宅からいつも星を見ていた。最初に見たのは月、クレーターが目の前に大きく現れた時は驚いた。金星の大きな三日月、木星と4つの衛星、土星の輪、太陽の黒点、それからスバル星団、オリオン星雲、アンドロメダ星雲などなど、一通り眺めたが


 
  やはり天の川を倍率を低くし、これで見た時の感動が一番であった。肉眼では6等星までしか見えないがこれだけ口径が大きいと12等星ぐらいまで確認できたのではないかと思う、目の前にいろんな色の星が圧倒的な輝きで飛び込んでくる。時間を忘れるという経験を始めて体験した。今だにカラオケなどで歌う「見上げてごらん夜の星を」のレパートリーの原点はここにある。夜空で、仲良く隣り合う星も立体的な視点から見れば、光年という単位で実は遠く隔たっているという。今では誰でも知ってることだが天の川の帯は太陽系を含む渦巻き銀河を横から見ている。初めてその事を考えた人はもう尊敬します。隣り合っていても実は遠い距離を持つ、これは人と人との関係に於いても言えることだ。しかし物質的な距離は理解しやすいが、精神的な距離を感じるということは簡単に説明ができない。自身が目を閉じればこの世界は見えないが、それでも確かにそこにあると体験で言っているだけ、そう信じているだけなのか。"そんな遠く果てしない"ことを考えさせてくれるのも「夜空」
 

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2007年03月03日

古墳ってやっぱり

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 一面トップに大きく「継体稜に巨大石組み」と報道された。大阪府は高槻市の今城塚古墳とある。高槻には親戚もあり何度かおじゃましたことがあるので、継体天皇の古墳があることは以前より知っている。福井県は継体即位1500年ということで、この発掘をナイスタイミングと捉えたと思う。何故今城塚古墳と呼ばれるのか、ほんとうに継体稜なのかはネット上にいろいろ詳しくあるので、ここで書くまでもないですね。おおとの皇子の校歌を歌い育ち、所縁の佐山姫の住まわれたという所で、こうしてキーボードを打つ身にすれば、継体稜はもちろん気になるところです。

 早速Google Eearthで見にいきましたが正直上空から見た感想は複雑。学術の名の下ではあんな風になるのか。美しさを保ちながらの発掘はきっと難しいのでしょうね。ところで、古墳ってお墓なんでしょう。何千年たったら何をしてもいいのかな。人は未来永劫生きたい、肉体は滅んでも魂は生き続けたいと願う気持ちは古代の方がもっと強かったように思う。だから、死後の静寂を求め力に応じて山のような頑丈な古墳など作ったのでしょう。そう言えばあのキリストでさえ、何日か前お墓が見つかったとかネットに流れていたし写真も見て驚いたばかり。言葉は悪いけど何でも「アバク」時代なんでしょうか今。自分の先祖のお墓だったら絶対いやだと思いませんか。ピラミッドや始皇帝の墓、キリストまで、、、だからといって日本は日本でいいような気もしますが。最近では堂々と「無神論です」「死んだら終わり」など胸を張って言われる方もたくさんおられる世の中ですから、もう仕方のないことなんでしょう。ささやかな抵抗、こんな感じであって欲しい継体天皇稜、3D楽しみながら越前より遠く高槻に思いを馳せる。

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2007年03月01日

記録的暖冬に

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 1899年観測以来最高気温を更新、今年の暖冬は記録的となったそう。1889年といえば伊藤博文や福井ゆかり岡倉天心、また樋口一葉などそうそうたる名前の羅列が煌く時代。以来誰も経験していない冬を過ごしていると思えば、それなりに考え深いものだ。ここまでくると「よかった」から「気持ちが悪いね」と挨拶も微妙に変化してきている。道路に全く雪がないのも変に落ち着かない。慣れとは恐ろしい。さて道路と言えば車のナンバープレートの話、

 富士山ナンバーが出来るらしい。他にもいろいろその土地を表すような名前のナンバーが許可されていくとか。観光に一役買うというのがその動機の一端か。失礼かも知れないが何につけ硬いと思われがちな役所にしては珍しい。あまりに強引であった合併後のギクシャクとした空気懐柔策と見るのは穿った考えか、または県境を無視し道州制への布石とでもいうならそれはそれでらしいと納得もできようか。いずれにしても楽しそうな企画と映る。すると、この辺は福井ナンバーから越前ナンバーになるのかも知れないと想像してみる。ちょっと一昔前と断って、福井ナンバーは都会であまりよく言われていない時代があったようだ。停止線オーバー、唐突な車線変更などが主な理由であったよう。大阪でタクシーに乗った時、運転手さんから直に聞いたこともあるからほんとうだったのかも。これには肩を持つようだが、慣れない都会の何車線もある道路と多くの一方通行の道路が影響していたのではないかと今では思っている。そんなこんなを思えば過去のイメージ一新で「越前」も悪くないかもと思えてくるが、何でも「越前」さえつければよいかと言えばあまりに芸がないと、自分も含め(笑)思えてくるのはどうしたことでしょう。

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2007年02月27日

小さな石鹸

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 銭湯と言えば既に懐かしい響きがする。花筐公園に於いて南こうせつとかぐや姫が神田川を歌ったのはついこの間のような気がするのだが、もう18年も前になろうとは。町には銭湯が2軒もあってよくおじゃましたが2軒とも無くなって久しい。あの番台に座ってご主人が客の応対をする姿はいかにも日本的情緒。ラムネを飲めると喜んで行ったものだ。家には小さいころ五右衛門風呂があり丸い木を足で踏んで沈めながら入浴した。小さい子供にはバランスを取りながら沈めるのがなかなか難しい。十返舎一九の弥次喜多道中でどちらかは覚えていないが、この入り方が判らず木の下駄を履いて入ったという笑い話しが東海道中膝栗毛にあったようだが、なかなかいい方法だと思ったことがある。

 ひさびさにシピーの横にある何とかというモダンな名前の銭湯へ行った。もう温泉並みの浴場になっていて、壁の大きな水槽には熱帯魚が泳ぎ、サウナや露天風呂もついている。風呂上りに畳敷き大食堂で生ビールを飲みながら食事ができるなどいたれりつくせりとなっている。自動販売機で入浴券、手にはロッカーのキーを巻いて便利になったと思いながらも、ふっと昔の番台が頭をよぎる。木の風呂桶が逆さまにきれいに詰まれていた。タイルに桶を置くとき独特のエコーがした。今はプラの桶、あんまりいい音で響かない。男湯と女湯は壁一枚で遮ってあるだけで上は開いていた。お~い、もう先に上がるよ~なんて湯煙の中、声掛け合うなんて今はできない。

 小さな~石鹸カタカタ鳴った~という風景はボディシャンプーの泡の前に説得力を失い幻想的抒情詩となった。昨日採れたフキノトウの味噌和えを前にし、こちらの昔から何にも変わらない風味になんだかホッとするのは。

 若かかったあの頃~何も恐くなかった~、ただ、、、
そんな歌声に酔った時代もあった。
 
 

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2007年02月13日

海と水仙は

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 水仙は福井県の県花。越前海岸できれいに咲いている。弁慶の洗濯岩とのミックスはこの時期ならではの福井の風物詩といえそう。スイセンは匂いがよい。昨年は大雪で大変だったと記憶に新しい。確か水仙娘がこの花を持って都会へ宣伝出向する姿が例年報道される。越前といえばこの時期カニを連想される方がほとんどでしょうが、私はどちらかといえば、こちらの風景をまず思い浮かべてしまう。冬の海と水仙のたたずまいはとても素朴で夏とは違った落ち着きを漂わせる。昨日の様子。


 今日は天気もよく3月の気候だとか。つくしが出たとか、ふきのとうが芽を出しているとかまるで春話題になっている。スキー場はうまく雪が降ったそうで連休は今年一番の賑わいだったと聞いた。チケットを買うのにも長く並ばなければいけないそう。明日から天気が悪化するそうだが、もうこの勢いを止めることはできないだろう。写真の重なりはアルファーを使って透明感を出してみたが存外、人のこころの中の思い出もこんな風に透明感の重なりが綾なしている世界かも知れない。幾重にもなった年々薄れていく半透明の思い出の向こうに一つだけしっかりとした何か動かしがたい風景があるような気がするのは気のせいか。

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2007年02月12日

昔も今も

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 小雨の中粟田部最大行事のひとつ蓬莱祀(おらいし)が町内を練り歩きました。出掛け、日本書紀の改竄疑惑記事を目にし、おかしな気分になりましたが、大勢の人の笑顔を見てそんな気分は吹き飛びました。継体帝1500年記念の蓬莱祀は圧巻でした。報道関係の方々は言うに及ばず見たことのないほどのカメラマンの数。前を遮っての撮影に山車の出発が長くできないほどで嬉しい気持ちに。越前市長をはじめ来賓の数もいままでになく多かったよう。また今回古代衣装も目新しく華を添えます。一般の方が多く綱を引きにお出ででしたから大変活気がありました。私もひさびさにTVのインタビューなんか受けたりして、子供の頃の思い出話なんかしたようですが、カットされるかも。あと神戸の大学生が民族学専攻とかで勉強してました。話をお聞きするとちゃんとネットを見ているとかで話が弾みます。動画は初めてmpgを使ってみたので、まだ動作確認はできていません。flashはこれも初めて画面いっぱい使ってみました。ファイルが重いかもと心配ですが、ブロードバンド時代ですから少し冒険。気がついたらもうこんな時間に、、、。

http://www.awatabe.com/kawaraban.htm

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2007年01月27日

越前の裁き

 韓国ドラマを数多く観ていると、あるパターンに気づく。社会的には出世物語を賛美し、恋愛では三角関係で最後誰かが身を引くという姿を美化しているようなものが多い。ドラマによく出てくる社内でのあれこれは、昔になるがNHKの「若い季節」を思い出す。分かりやすく、ドラマの中に没入しやすいところが人気の秘密かも知れないし、外国のドラマだからと少し離れて余裕の姿勢で観ることができるからとも言える。好きだからこそ身を引くという姿は人間だけが持つことのできる高尚な感情だと思うが、この話は大岡越前のお裁きにもあったような気がする。お奉行の前で二人の女が子供の手を引っ張り合う話だが、痛がる子を見て思わず手を離した女を本当の母親と裁いた奉行はやはり名奉行だと今では感心している。この話を聞いたのは小さな子供の時だった。その時話を聞いていて自分の手が痛く感じた記憶がある。ほんとうの母親なら痛くてもいいから負けないで離さないで欲しいとおぼろげに思ったものだ。愛する人の苦しむ姿を見たくないという感情は教えられて持つに至るのか、それとも持ってこの世に生まれてきたものなのか、よく話題になる延命治療などにも繋がり少し時間を割いて考えてもいい。頭の中では大岡越前も遠山の金さんもごっちゃであり、大岡越前は何故越前なのか福井との繋がりなどなどまだハッキリと分からない私では、なかなか「一件落着~!」とはいかない。

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2007年01月14日

左義長まもなく

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 まもなく花筐公園で左義長飾りの点火式が始まる。左義長は花筐公園に隣接する岡太神社の神事であり厄年の方の厄払いが毎年行われる。この左義長飾りは大変立派でしかも気品に満ちている。寡聞にして今までこれほどの飾りを他に目にしたことがない。頂には「天下泰平 五穀豊穣」の「サバの尾」を飾り天下国家の平安を祈る。火打ち石をかたどった「火打ち」は厄年女性の方の手によるもので、火難を避ける意がある。また「丸竹」は厄年男性を表し、家庭が丸くいきますようとの願いがある。このようにそれぞれ深い意味を持ち人々の願いが天まで届くように高くそびえたつ左義長は粟田部町民の誇りでもある。そんなとき、「福井市公園、プラ製樽左義長会場に大量投棄」今朝大きく報道された。どうやらこのプラ製樽は門松の土台に使われたものだそうだ。『正月飾りを燃やす左義長のどんど焼きといっても、ダイオキシンなど問題があり常識的に考えて、』地元の方は神事の冒とくと怒り、警察も捜査するそうである。「常識を疑う」とはよく聞く言葉であるが、大変難しい時代になったと実感させられる。小さなしめ飾りなどにもそういったものは随所に使われている。時代の変遷が早すぎる昨今、其の波が伝統行事にも押し寄せている。常識というものさしを誰が作り誰が教えるのか考えなければならない時代、寒風が吹き抜けていく。

http://www.awatabe.com/2007/sagicyo.htm

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2007年01月13日

池田が近い

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 配達があってお隣池田町へ行く。昨年開通した越前市と池田町を結ぶ新清水谷トンネルをくぐると雪の量が目に見えて違ったが、それより池田へあっと言う間に着いたのには驚いた。旧清水谷トンネルは山を登ったところにあり、中ほど岩盤がむき出しになっているところもあって少し怖かった。小さい頃はバスに乗って毎年池田の稲荷にある須波阿須疑神社のお祭りに行った。山道はカーブが多くバス酔いした記憶があるが、そんなこんなを思い出せば道行の快適さは雲泥の差となった。山へ登ることもなく平地を行く感じである。もう隣町と言うより同じ町という感じさえ受ける。もう少し早く出来ていれば今立と武生市町村合併の様相にも多大な影響を与えたかも知れない。きれいなトンネルでこれから池田へ行くのがとても楽になる。

http://www.awatabe.com/yuki/ikeda.htm

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2007年01月05日

慈母の懐

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 ここ福井は越前の空、新春にふさわしい雲ひとつない快晴。わずかばかりの雪が屋根と道路脇に残ってはいるものの冬を感じさせない陽気となっている。今年はいいお正月だったね、と挨拶声があちこちで聞かれる。『自然は春に於てまさしく慈母なり。人は自然と溶け合い、自然の懐に抱かれて、限りある人生を哀しみ、限りなき永遠を慕ふ。即ち慈母の懐に抱かれて、一種甘える如き悲哀を感ずるなり』(自然と人生 / 徳富蘆花)今日の天気は蘆花風に言えば、まさしく慈母。厳冬を知るゆえに深く響く言葉なのかも知れない。

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2007年01月02日

新年に思う

大雪
 年老いし人あまた住む山里に雪下ろしの事故多きを憂ふ

The Great Snows 
 Numbers of the old
 Live in mountain villages:
 Sad to hear of
 Many accidents that befell
 As they shovel snow off roofs.

 年末年始とあわただしく過ぎていく。偶然目にしたこの句は天皇陛下の詠まれた歌と知り大雪で苦労したことなどよみがえり思わず涙した。人のこころ内には神聖な領域がある。どうやらその琴線に触れたようだ。

 年末恒例の紅白歌合戦は初めて見過ごした。家族との新年の食卓でいろいろ話が弾んだが、どうやら女性のほとんど裸とも言える姿が放映されたようだ。ネットで確認するといくら言い訳しても裸としか見えない。抗議の電話が殺到するのも頷ける。

 紅白はその昔、初めて出演できた新人歌手が震え涙を流しながら歌い、誰もがその姿に心打たれた、いわゆる神聖な番組であった。時代が変わったとはいえ、自らその品位をおとしめていくのはどうしてなのか分からない。世界に放映されることをどのように考えているのだろう。最近よく見る韓国のドラマにある男女のあるべき姿と比べ恥ずかしい気がする。

 紅白は日本の年越しの代名詞であり、生活の多様さからくる視聴率など気にせず、いつまでもいい番組であってほしい。年越しに都合で見れなくても紅白がそこにある、それで充分存在価値があると思うがどうでしょう。天皇陛下の句には英訳がある。世界を意識したものと思われ、日本のこころを代弁しあまりあるものをそこに感じる。

明けましておめでとうございます。

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2006年12月17日

薄墨桜

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 昨年の大雪による枝折れなどで心配された薄墨桜。支える支柱が20年ぶりに取り替えられ、またその真下の斜面では桜の植樹が花筐公園保勝会の皆さんの手で今日行われていました。会長のお話では200本植樹とのことで近年にない大々的なものです。大勢の方が汗を流されていました。福井県の全県イベント継体大王1500年も絡み来年の桜まつりが楽しみです。これから厳しい冬に突入ですが粟田部の宝、薄墨桜の凛とした姿を久しぶりに見ることができました。

http://www.awatabe.com/2006/usuzumi.htm

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2006年12月02日

大粒アラレ

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 今朝のというか深夜2時半頃から3時頃バタバタという大きな音。外を見てみたら道路や車の屋根が真っ白。大粒のアラレでした。カミナリも鳴って本格的冬の到来かと思わせるものでした。窓から手を出してみるとアラレが当たって痛いほど。そうとう大きなものもありましたがすぐ溶けたみたいです。昨年の大雪を思い出し、今年は静かな冬であってほしい。「雪やコンコン、アラレやこんこん」などと歌った頃の情緒とは程遠い昨今の冬イメージ。もみじの美しさがまだ覚めやらぬなか、アラレとはね。季節の変わり目のあまりの激しさに驚く。朝、家内がそれって「ヒョウ」じゃないかと。ヒョウとアラレの違いはきっとネットで調べるとすぐ分かるんだろうな。何でもいつでも分かるネット。そう分かっているとつい調べるのがおっくうになる。知識の海という贅沢になれると勝ってなものですね、人間って。


 日本海側を裏日本などと呼ぶのは今では禁語になっているとか。多感な若い頃、ここでいうところの表日本で何年か暮らしたことがある。冬になると確かに寒いのは寒いが天気のよい日が圧倒的に多く極楽にも思えた。同じ日本に住むのに不公平なことだと痛感した記憶がある。バカンスで何日かスキーを楽しんだりするには雪国は眩しい存在だろう。しかしそれはあくまでも「何日か」なのだ。そのスキーもやる人が減少しているとか。いじめも子供だけかと思えば、大人社会でもなど報道されている。言ったでしょう、子供社会は大人社会を写す鏡だって。ことさら仰々しく今更なのです、とまとまりのないことをあれこれ。

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2006年11月28日

公園の赤じゅうたん

 雨あがりの花筐公園は今どんなんだろうと早朝訪れてみた。遠くからも真っ赤な色が見えるのでワクワクしながら。静かな公園には整備工事の業者以外まだ誰もいなかった。来てよかった。誰もまだ歩いていないもみじだけの絨毯(じゅうたん)が続いている。実は生まれて初めての体験。落ちたばかりの姿そのままにもみじの葉が立っている、そんな感じが一面に広がる中、とてももったいなくて踏みしめることができない。もし人が見ていたら笑ったに違いない。つま先だって恐る恐る歩く人影を見れたろうから。三段目の大もみじが見たことないほど、冗談かとも思えるほど真紅に紅葉していたのであきずに眺めていると、初めて女性の方と出会う。武生から、鯖江から?とお聞きすると、なんのことはない今立との返事。何日か前テレビで紹介されていたから見にきたという。そうだね案外地元の人で知らない人がまだたくさんいる灯台元暗しだね、と私。そういう私もこのもみじまつりが始まるまで知らなかったのだから笑えない。よく京都などの観光みやげの絵葉書なんか見て、そういうところはまた別の世界だと思ってきたが、自分の住むほんの近くに、それらに勝るとも劣らない光景が、この福井の地で幾星霜展開されてきていたのだ。ほんとうに見せたいとき見てもらいたいとき人はいないのかもなどと思いながら公園を後にした。私は贅沢させてもらったけど何か悪い気さえ覚えたのが不思議と言えば不思議。

http://www.awatabe.com/momizi/carpet/index.htm

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2006年11月26日

紅葉みごろに

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 このところの冷え込みか、予想どおり花筐公園のもみじの色つきは5年ぶりの鮮やかさとなった。昨日は秋晴れとなり大変多くの人が公園を散策する姿に驚いた。紅葉と書けば「紅」赤いもみじのイメージがあるが、黄色のモミジもこんなに美しいかと再認識。黄と赤のコントラストが今年は特に目を引いた。たくさんのカメラマンを見かけ、今年は被写体に困らないだろうと思う。花筐もみじまつり実行委員長が、今回特に県外からとお隣鯖江からの見学者が多く目につくと言っていた。武生から(今では同じ越前市だが)お見えの年配の方が、大きな太いもみじを見て自然に育ったもみじがいたるところにある、福井県内にこれほどのところはないとお話されるのをお聞きし、あちこちから「きれいだね」と声が聞こえる中、もみじも誇らしげに枝を張っているように思えた。今年はほんとうにきれい。期待はずれはないですよ。

http://www.awatabe.com/momizi/hanagatami/index.htm

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2006年11月19日

もみじライトアップ開始

夜景は撮ったことがない。それはうまく撮れないからといったほうがいい。しかし今回はそうもいっていられない。娘に借りたリュックにカメラとボトルに少々のお酒を入れていざ出発。こんなに本気になったのはめずらしいことだ。遠くから山が赤く染まっているのが分かる。もみじまつり実行委員の方達が昨年どおり焚き火の周りで監視をしている。ちょうど前町長もご夫婦でお見えで、みなさんにご苦労さまと声かけ、また挨拶などしてから一気に山を登った。昨年は足元が暗く懐中電灯が必要だったが今回山道にはたくさんの手作り行灯が並べられている。行灯にいろいろ書いてある言葉を読みながらの道行は楽しい。ライトアップはさすがにドキッとする美しさを醸し出す。別世界とはこういったものを指していう言葉に違いない。昨年は下から眺めるだけであったが、今年はとうとうライト群の只中に。シャッター速度を落とし、ぶれないように、息を一瞬止めるような感じで、出がけに読んだカメラについていた説明書を思い出しながら一生懸命撮った。下手でも思い入れがあれば何とかなるさと自分を励ます。出会った行灯のひとつに「この一日を百日のように」と書かれてあった。今そんな感じが実感として分かる。貴重な体験をさせてもらった。これからもっともっと紅葉していく。腕自慢の方達がこれを見てもっときれいな写真を撮ってブログなどでどんどん発表してくれたら、こんな嬉しいことはない。ここ、福井県越前市粟田部、花筐公園のもみじは今からが見ごろとなっていく。ページのアップなどしていたらもうこんな時間に。

http://www.awatabe.com/momizi/light_up/index.html

投稿者 sensyu : 03:52 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月07日

寒暖の差が

momizi_a.jpg

 越前市といっても広い。お昼頃荒れた天気になった。武生では市内に初アラレが降ったそう。ここ粟田部ではアラレの音は聞かなかったが今立は盆地のせいかもしれない。もうそんな季節。この寒暖の差がもみじの鮮やかな色を決めるという。お客さんが、畑を作っている人は喜んでいると教えてくれた。そういえばこのところ雨が少なかったようだ。天気ひとつに物事の表裏を考えさせられる。

 ホームページ用にもみじを描いてみた。たまにはバックが白一色でないページも新鮮だ。どれくらい透過させるとよいか何度か試行錯誤。うざったくない程度にとやってみるがなかなか難しい。透過はフラッシュを使用した。

 今年のもみじは5年に一度といわれる方もいる。当たるも八卦ではあるが大いに期待している。


といってたら、ここ粟田部にも初アラレ。。。一気に冷え込みPM4:30

投稿者 sensyu : 16:06 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月05日

芸能と抽選会

geizyutu.jpg

 今立図書館へ本を返しに行くと、駐車場が満杯状態。今日は第一回越前市民芸能祭がいまだて芸術館で開催されている。広場前ではいまだて商業振興組合によるクロバーカードの大抽選会も併催されていて賑やか。テント内では焼きたての米粉パンはじめいろいろおいしそうなものが並んでいる。見知った仲間達にご苦労様の声をかけてきました。トレーニングセンターでは盆栽展も。抽選会は午後4時までですからまだ間に合いそう。クロバーカードの大吉賞はなんと1万円!ガラガラを楽しそうに回すお客さんで熱気がありました。タンスの中の満点クロバーカード捜して早く早く!(運転は気をつけましょう)

投稿者 sensyu : 13:51 | コメント (0) | トラックバック