2010年04月19日

龍双ヶ滝

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 早朝池田町の龍双ヶ滝へ、駐車場には石川、奈良など県外ナンバーが数台。福井ナンバーが少し気恥ずかしいほど。やはりカメラマンの方達が三脚たててあちこち撮影の真っ最中。奈良の方とよく話をした。帰る途中、書道でご一緒した先生とお会いし、撮影の話をしたら、最近できた展望台は登ったかとのこと。そこから滝を見下ろすといいそうだ。早速引き返してまた撮影。展望台にいた若者達と意気投合し記念撮影。この滝は随分以前大野からの帰りに出会い、こんな滝があると驚いた記憶。福井県内唯一全国の滝100選に選ばれたからか、今では大変有名になっている。引き返した時は若いカップルが思い思いのポーズで仲良く滝を見上げていた。まだところどころ雪が残り、細かいしぶきが頬にここちよい。

http://www.awatabe.com/ikeda/ryuso/

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2010年04月18日

天守と桜

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 丸岡城の桜は初めて。桜はどこにでもあるからとはよく聞くが、天守と桜はなかなかない。地元の桜ばかり見てきたので、今年はできるだけ他も見て回ることに。10日頃だったか早朝、まず味真野の桜小学校校庭、早朝なのに何人ものカメラマンが。見てごらんということで、でかい望遠カメラを覗いて、その立体感というかファインダー内の画像に驚いた。丸岡城は今年2度目になる。思った通り、城と桜はよく似合う。城の裏側に鳥の鳴き声、しばらく相手をしてもらう。ぼんぼりは朱塗りの桟の上に、吊ったぼんぼりしか見たことがなく新鮮。滋賀県からおいでのご夫婦といろいろお話をした。どこへ行っても県外ナンバーを多く見かける。

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2010年04月17日

福井の夜景

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 足羽山といえば木の芽田楽。偶然飛び込んだお店に、お花見ぼんぼり存続運動の中心になられた方が。今回の苦労話一部始終をお聞きした。点灯式にはさすがに涙が出たなど頷けることだ。少し登ったところに継体大王の石像があり、ライトアップされていた。昼見るのと違いライトの作り出す陰影は独特、像が生きているかのように感じる。目がこちらを見ているようで、あたりの雰囲気とあいまって少し怖い思いをした。桜は相当散っていたが石段を白く染める花びらが綺麗。福井県都の夜景、しばし飽きず眺める影ひとつ。

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2010年04月16日

足羽川の桜

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 何日か前、初めて足羽川堤防の夜桜の中を歩く。浜町あたりから行灯を並べてみたり情緒があっていい。足羽川の川原に大駐車場。横一列に屋台が並ぶ様は桜と共に圧巻。何故か何組ものカメラのシャッターを押す、見た目頼みやすいのかも知れない。中には香港からの方もいた。ここからの景色がいいとか教えてくれる人もいて、いつもながらよき先輩に出会う。どの屋台にも人が長く並び花より団子の証明か、というか花も団子もと言ったほうが当たっている。川に映る灯りと桜、すばらしい眺め。

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2010年04月15日

足羽山

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 松平春嶽公が、橘曙覧(たちばなのあけみ)に福井城にての講義を願ったとき、曙覧は「わたしがよく見えるのは野の粗末な庵に咲いているからですよ」という意味の「花めきて・・・」で始まる歌に寄せ辞退すれば、春嶽公、「粗末な庵に咲く花はそっとそのままにしておこう」という意味の歌で返歌し無理強いをしなかったそう、どちらもすごい。そういった方ですから、曙覧の歌は以前合衆国大統領の演説の中に引用されたこともあり脚光を浴びました。福井市橘曙覧記念文学館でいただいた素敵なパンフ、ぜひ現物をご覧に。ここは橘曙覧ゆかりの愛宕坂、灯の回廊と聞いて初めて歩きます。会場スタッフの学生アルバイト達にああだ、こうだと人生の先輩風を吹かしてみたり楽しく会話、まだ人通りの少ない階段を登って足羽神社しだれ桜のベンチでは、水戸からおいでの方と天狗党の話などで盛り上がり。神社すぐ横、青松園LEDキャンドルライトアップも綺麗でした。

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2010年03月24日

国宝三重塔

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 若狭明通寺三重塔は見ごたえがある。ここは2度目になる、玄関入り口に立つが以前の記憶は薄れている。桧皮葺本堂で正座しマンツーマンでのご説明をいただくが、これはこの寺の方針みたいです。この本堂と三重塔は鎌倉時代の建造物で国宝に指定されている。今度奈良の薬師寺へ行く予定だが、写真で見れば六重に見える塔も三重塔らしい。違いを比較できると楽しみ。興福寺三重塔も見れそうだ。はるか地方にあって中央にひけをとらぬ密教建築が何故越前若狭に、歴史はおもしろい。

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2010年03月22日

若狭三方縄文博物館

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 敷地の広大さ、建物の斬新さ、てっきり県の施設だろうと思ったら、どうも若狭町の施設らしい。受付案内の方が親切。すぐ横の三方五湖は国際的に重要な湿地として、2005年にラムサール条約湿地に登録されたと大きな看板が建っていた。ここに限らず福井の湖にはたくさんの水鳥がゆったり泳いでいていい感じ。三方五湖は三方湖、水月湖、管湖、久々子湖、日向湖であったと復習。広場に縄文時代の住まいが3つほど、中を覗いてみたり、なかなか興味深い。博物館は鳥浜貝塚やユリ遺跡の出土を中心に音響などを駆使し大変工夫されている。福井は縄文文化のメッカだったなど初めて認識。出土した丸木舟、それに赤い漆を塗ったくしなどが印象。貝塚地層に乗った博士の人形、一瞬ほんものかと思ったので追記。縄文の原点を見つめることから湧き出る現代文明への疑問に警鐘を鳴らすという明確な主題を持った稀有な博物館にDOKIDOKI。

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2010年03月21日

気比の松原

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 春の選抜高校野球、たしか開会式行進のアナウンスは福井県の女子生徒だったでしょうか。開会式の君が代もきれいな声でした。開会式直後の敦賀気比、テレビ応援。昨日からの強風のせいか、フライの目測が難しかったみたいですが、緒戦勝利し選手のみなさんの喜びが伝わってきました。敦賀といえば、気比の松原、並び立つ松に強固なチームワークを連想。この海水浴場はこれまでによくきました。ごく最近の写真があったので、お祝いアップ。

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2010年03月20日

丸岡藩砲台跡

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 この丸岡藩砲台跡は時間軸を感じさせないリアルさがある。そこに立ち、荒波押し寄せ砕け散るを聞けば、緊張感の高まりは怖いほど。砲眼覗き見れば、あたかも異国の蒸気船その威容を現し、あたりを圧するかのように進む。白鉢巻をしめ若者達が真剣な眼で砲身の先を見つめ、そんな光景が目に浮かぶ。海防は時代を問わず国の基本、備えあってこその平和。砲台はぺりー来航の前年に築かれたそうで貴重な遺跡とある。今の若者もすごい、たまたま波乗りサーフィンを眺めて驚き、昔はなかった。スリルを求めるのは若者の特権、しかし海水冷たくないのか、ウエットスーツの力だろうか、いずれにしても気をつけて。わが身を振り返れば、いつのまにか君子でもないのに、危うきに近寄らずなどと、知ったようなことを言っている。

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2010年03月19日

吉崎御坊跡

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 長い階段を登ると吉崎御坊跡の石碑、後ろへ回ると文部省の名が。誰一人いなかったせいかも知れないが目の前のあまりに清浄な雰囲気と広さに驚く。高村光雲作、蓮如上人の銅像が中央奥に見えた。説明板によれば、あの大西郷の像などと共に光雲四大作の一であるそう。高さ5メートル、台座7メートル、越前・加賀から多くの寄付浄財によって、昭和の初め頃できた。周りに池をめぐらせてあるが、水はなく、人魚姫のような石像がその中に。後で知ったことだが、池は東西御坊を守る防火水槽の役をしていたそうで、人魚姫は、上人が救済したという大蛇の姿になった女であった。伝説「肉付の面」などといい、ここでは女性の恐ろしい姿を見るかと思えば、京都から200キロメートル以上もの距離を徒歩で運ばれる上人の絵像到着に感動し涙を流す女性達、御輿車の横でやさしそうなおばさんからその時の様子をお聞きし胸にこみ上げるものが。御坊跡には、いわれある遺跡が回りに多く配置されて、見て回ると時間を忘れる。早桜が咲き、うぐいすが鳴く、心静かでそれでいて喜び湧くひと時、「けふといふけふはじめてよし埼にまふでける。その嬉しさありがたさのあまり・・・」加賀千代女六十才の紀行文、ここに立てば、なんだかその気持ち分かるような気がする。


写真は念力門、石碑の裏に

「由緒」
「本願寺北の総門は天正十九年豊太閤の寄付なり元天狗門と名く元治元年奇跡に因りて火止めの御門とも称せらる。昭和廿四年 巨橋輪番本山に乞うて下付を浮く 斉藤、平田両氏他百余名吉崎念仏報謝団を組織して荷車十六輌を以って之を運搬せり。偏に祖恩を思ふて嶮難六十里を忍び専ら念仏を称えて風雨の九日を耐ゆ霜月の中の五日壮行を完遂せり、嗚呼偉なる哉、翌、四月竣工す。光明尊師親しく之を落す。念力門とは勝如宗主の名くる所なり。」

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2010年03月16日

越前大野城

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 大野城は一人の寄付で建てられたとか、その点では勝山城と似ている。大野城は山城なので天守まで結構歩くことに。途中年配の方達と多くすれ違う。格好のジョギングコースなのだろう。今年はいたるところで雪による枝折れが目立つ。重い雪質だったようだ。天守近くに土井利忠と金森長近の像が建てられているが、その表情が大きく違っているのがおもしろい。織田、豊臣、徳川と仕えた長近はさすが。また利忠は実直そうに見える。大野といえば朝市は何度か、今回天守の側まで登れてよかった。

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2010年03月14日

梅まつり

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 越前若狭三方の梅まつりの旗が沿道に。梅街道の梅の花はまだ7分ぐらい残っていましたが、見頃を逸したかなと、初めて見るからか、それでも充分綺麗。梅の里会館のスタッフの方達に教えてもらい、山の上目指して探索開始。ほんとに、言葉にならないようなすばらしい満開の梅林光景を見ることができました。栽培されている方と出会う。ハチがいませんね、と私。寒いと小屋の中でじっとして、暖かくなると勝手に出てきますよ。私、雪降りましたね、大丈夫でしたか。これから霜が降りないか、と心配のご様子。福井若狭梅の今おかれた状態、日本、世界レベルでのお話をお聞きし、これから梅干が今までと違って見えそう。梅の実がなる頃、また行けたらと。

http://www.awatabe.com/fukui/ume.jpg

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2010年03月11日

一乗谷朝倉氏遺跡

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 戦国武将朝倉100年の栄華も夢幻、広い発掘跡の片隅に墓が。義景終焉の地、大野にも墓がある。織田・浅井・朝倉、劇的な瞬間の連続が繰り広げられたこの地に立てば、頬を撫で行く風も悲しげ、栄耀栄華はいつか落つる椿のはかなさ。この時代、京が中心、比較的近い越前が早い内に巻き込まれたのか。雪深い一乗谷、攻め込むものなどおらぬと思っていたとしても、まして、この地から天下を望むなど、専守防衛、それだからこそ京に劣らぬ文化の華が咲き続けていたのでしょう。昨年はこの地にまず皇太子殿下、そして天皇・皇后両陛下がおみえになり大きな行事が開催されたのも、壮大な歴史から見て、まことに相応しい選地。ガイドの方にお聞きした姉川の戦いでの長刀振り回す真柄十郎左衛門の姿、大阪の陣などなど越前兵はその歴史の要所要所において強かった、なにぞの本に記されていたのを思いだし。

http://www.awatabe.com/fukui/asakura/

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2010年03月09日

福井城 御廊下橋

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 初代藩主結城秀康、福井城築城四百年を機に復元されたとあり、それが記された日は平成20年3月、御廊下橋はちょうどまる2年経ったことになります、初めて見たなど大きな声では言えません。福井城より北の庄と言ったほうが勝家・お市の方と繋がりよい響き。今年の福井時代行列の配役の話題も見聞き。堀には悠々と水鳥が泳いでいます。福井城のお堀と言えば、連想するものは子供の頃よく聞かされた福井空襲の話。とても悲惨で胸が痛みます。お堀の横に、その時亡くなった女性電話交換手の方達の碑が建てられています。袴を履いて仕事中の凛々しさがかえって悲しく映ります。福井をフェニックスと呼びますが、子供の頃見た福井祭りはそれは賑やか、カーニバルなどと言って、派手に飾られた自動車の行進に度肝を抜かれた覚えも、花火や、ぞうやライオンの出るサーカスを見たことなど、お堀の水面の小さな揺らぎの中に現れては消えていきます。

http://www.awatabe.com/fukui/oroukabashi.jpg

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2010年03月05日

名水

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 きれいな水は見ているだけで気持ちがよい。越前若狭瓜割の滝は有名、ポリに名水を持ち帰る姿を多く見た。名水なら近くにもいくつかあり、横に小さな仏の祀られているところが多い。大野の御清水も有名、こういった場所で洗濯や野菜洗いなど、社交の場でもあったよう。子供の頃は普通に見られた風景。白山連峰の恵みを受けた湧き水、途切れなき流れは越前名水と言われ何よりの宝もの。若狭のお水送りも頷けることだ。神宮寺はちょっと前に訪ねてみたが、このお水送りの為とかで立ち入りができなくなっていた。名水は遠く奈良までも繋がって、春を告げる呼び水。


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2010年03月04日

足羽山動物園

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足羽山、秀吉が布陣し、越前北の庄の勝家と対峙。そんな想像をめぐらせながら新設された見晴らし台へ、三国の東尋坊タワーが見えると案内板に、まさか福井市内から海にある施設が、これがほんとでもう驚き。ここ足羽山公園は開園100周年らしい。今までに何度か来ている動物園を覗いてみる。

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いきなりですが、動物って笑うかも知れないと思ったり、おもちゃの鳥が池に浮かんでいる?と目を凝らして見たり。人気のポニーの尻尾に何してる、みつ編み?とお聞きしたら「そうです」、、じゃメスなんですか、「オスです」、、;かわいがられていますね、いい光景。足羽山、最近ボンボリ存続の件でもニュースになっていたような、もうすぐ桜まつり。木の芽田楽とか、ここには思い出がたくさん。

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2010年03月03日

義経と東尋坊

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 バド県体で何度か、試合の後、みんなでここ平泉寺へ。苔が一面に、綺麗だった。それが一面の雪、おまけに人影なく冷気漂う厳粛な雰囲気に圧倒されそう。一筋の踏み固められた雪道をはずさないよう歩く。長靴を用意してよかった。時々がぶりながら神泉とされる御手洗池(みたらしいけ)など、側に泰澄大師お手植え、千数百年を経る御神木の三叉杉を見上げる。平泉寺、寺と呼ばれているが、鳥居もある神社、白山信仰は神仏習合だからか、ご神体が仏像という社が多くあるようだ。奥州平泉に落ちのびる途中、源義経が詣でたそう、登り口には東尋坊跡と彫られた小さな石碑、横に「東尋坊は、力が強く乱暴な僧で、、三国の絶壁から突き落とされ、、」どうやらこの寺の僧だったよう。僧なら、人を海の中に引き込まないで欲しいものだ。石川からおいでのグループとすれ違う。みなさんカメラを肩に、私の長靴を見て全てを悟ったみたい、さてどうされたか。

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2010年03月02日

雄島

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 東尋坊は何度も来ているが、雄島と言えば朱塗りの橋を眺めるだけ、今回ようやく島の中を一周できた。昼、暗い道が神社へと、以前怖い番組も作られ、そういったスポットにもなっているよう。朝倉義景とか松平忠直ゆかりと聞いただけで何だかありそうな予感。そんな先入観が何でもない石を顔に見えたりさせる。島の先端、中ほどにはこじんまりした灯台もあり、そのあたりからの景色はなかなかいい。遊歩道にはすべて飛び石が敷いてあり歩きやすい。しかしころんで膝に泥が、やっぱり何かあった;

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2010年03月01日

浮き浮き勝山

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 昨日の勝山は左義長の熱気で盛り上がり。朝9時頃から雨も上がり、11時頃には18もの駐車場も満杯、12あるやぐらから、おはやし、浮きだいこが賑やかに。10時からの子供ばやしコンクールも一部見ることが、その上手さ可愛さに驚く。初めて見て回ったが、駐車係りやイベントの方達の親切・笑顔が行き届いていた。振る舞い鍋のトン汁おいしい。また作り物・絵行灯にしても、時事を遠慮せずに切っているものもあり気持ちいい。繊細な押絵もまじかに。昔活躍したという織物機の実演説明もよかった、それに組み紐のプレゼントも。全てのやぐらを回ったせいか、万歩計は18000歩という最近にない数字を示し大満足。どんど焼きは夜9時からとか、後ろ髪引かれながらの帰路となる。

http://www.awatabe.com/fukui/katu_sagi.jpg

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2010年02月27日

丸岡城

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 別名霞ヶ城、この霞の由来が井戸の側に書いてある。この井戸から出た大蛇が霞をかけて一揆勢から城を守ったとか。一揆側から見れば迷惑な話かも。戦国自衛隊、映画のロケがあった。ヘリの場面、迫力がありました。急な階段、戦国時代にタイムスリップするには充分すぎる雰囲気が漂う。

http://www.awatabe.com/fukui/maruoka/

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2010年02月25日

マンサク

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 この時期、咲く花は少ない。最近、越前町にある福井総合植物園プラントピア朝日でマンサクを初めて。マンサクと言えば、花筐公園薪能でお馴染みの万作師を連想。今年も夏にお目にかかれるはずだ。植物園にはマンサク類を集めた一角があって、いろいろ拝見。赤いマンサクは、アカバナマンサク、黄色いマンサクなどなど。マンサクは豊年満作に繋がるのだろうか、とてもにぎやか。植物園の玄関には昨年末、天皇皇后両陛下がおいでになられた時のお写真が飾られていた。

http://www.awatabe.com/2010/mansaku_b.jpg

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2010年02月21日

青い海

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三国は相当雪が降ったらしく、道路脇に雪がまだ。浜地海水浴場に残雪が長く残っていて、打ち寄せる波と相まって綺麗。ナホトカ号の赤い船底が浮いていたのを見たのも随分前だったような。波しぶきを見ながら不思議に思えた光景を思い出して。どこまでも青い海を見ることができた今日一日、とてもよい天気。水鳥は海近くの小さな湖に。

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2010年02月09日

雪の永平寺

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 いつでも行けると思っている、そこならよく知ってると思っているところ、福井県なら永平寺と東尋坊が有名。その永平寺に行く機会を得た。ここは小さい頃学校から座禅で来たような記憶。大人になって随分ご無沙汰している。雪景色は初めてということで新鮮な驚きがあった。人の記憶は曖昧で勅使門の位置が全く違っていた。奥にちょっとした滝があってカメラマンで賑わっている。たくさんの県外の方とお話をした。あっちにも雪の中に素敵な仏像があったよ、など教えあったり。観光地はまるで読書のよう、その時々の自分に合った姿を見せてくれる。

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2010年01月31日

越前海岸は今

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 雪もひと段落したので、久しぶりに海へ。越前海岸は釣り客や水仙観賞の観光客で賑わっている。駐車場での海産物即売は人気で県外の観光客が次々訪れていた。値段も安いし何より新鮮が魅力。大阪、名古屋、滋賀、石川など車のナンバーを見ているだけでも賑やか。水仙まつりの期間なのだろうか、水仙ランドを覗いてみる。水仙は福井県の県花、小さく咲く姿はとてもかわいく可憐である。球根を掘り返し始めたそうとか、何でも県外の方に教えてもらい苦笑。道路では無人、有人の水仙販売も目にした。越前海岸は今、水仙一色。

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2009年12月30日

初もうで

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粟田部岡太神社「初もうで」
先着1000名の方にぜんざい進呈
岡太神社敬成会

初詣
諸祈願参拝
家内安全・厄除開運・商売繁盛
合格祈願・交通安全・縁結等
一年の平安を家族お揃いで祈願、祈祷
元旦ご祈祷(お祓い)の時間帯は下記の通りです。
午前0時~午前二時、午前八時~午后四時
(縁起物授与)福井県越前市粟田部
岡太神社

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2009年11月23日

紅葉ライトアップ2009

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 夜7時頃花筐公園へ、紅葉ライトアップが始まっている。お泉水で写真撮ってる方、シャッター押してあげる。鯖江と福井の友達どうしとか、そのままグルっとライトアップ山道を案内、大変喜ばれた。特に紅葉の合間から見える町の灯りや、月明かりに浮かぶ越前富士の淡い輪郭などこうしたことが無ければ、なかなかお目にかかれない。ひとつひとつの灯りの中に家族の団欒があって、喜びも悲しみも、こうして遠くから見ると不思議な気持ちに。こうして立ち止ったり、横糸縦糸、歴史の話なども交えての山歩きはナイス。ライトアップも赤いフィルターを使い考えてある。京都の嵐山から帰ってきた家族の話では、京都の紅葉さすがに綺麗、天龍寺の竹林の話なども頷きながら、今日本の秋は盛り。夜は冷えます、暖かい服装で。

大きな画像

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2009年11月12日

イルミネーション

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 用事があって福井市へ行く。夜の福井駅へ行ってみる。ここから見る街夜景は賑やか。駅構内の一角をテレビ局のスタッフが占めていた。中継される夕方の放送は知っている。元町は街路樹にだろうか、きれいなイルミネーションが道路脇に飾られて賑やか。だるまや前の通りは紫の電飾が軒を飾りこれも綺麗。そして西武百貨店前に大きなイルミネーションが、何日か前に飾られたと帰宅して知った。大名町交差点の繊協ビル壁には「天皇陛下御在位二十年」を祝う大きな垂れ幕が下がっていた。福井市の夜は新鮮に光輝いて見えた。さすが福井県の県都ですね。

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2009年05月26日

メモ

昨夜 越前市商工会平成21年度総代会が今立杉尾、越前市社会福祉センター多目的ホールで開催される。県議4人、市議代表、福井県商工会県連から2人、最後に会長の交代があった。今立、味真野、白山合同の総会は夕刻6時より9時半頃までかかる。今の世の中旧態依然のシステムで乗り切れるのか、また商工会と商工会議所のあり方などの問題提起をされていた来賓も。誰も予測できない混沌とした経済の中、新会長のもと新しい出発。

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2009年04月29日

昭和の日

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カレンダーを見ると今日は祝日、てっきり「天皇誕生日」であると思っていたら、いつのまにか「緑の日」を経て「昭和の日」になっていたようだ。昭和はどんどん遠くなっていく。そんな感傷的な気持ちになっているところへ、戸泉米子先生の訃報を知った。その昔、ご主人またはご兄弟でしょうか、粟田部福泉寺のご住職で花筐幼稚園の園長先生をされていた。ごいっしょに園で手品や紙芝居などしていただいた記憶がある。米子先生は晩年きれいな白髪であった。何度かお話をしたことがある。ロシア語が堪能であり、福井県の、日・ロ親善名誉会長をされていたようだ。きっと青春時代をウラジオストックで過ごされたのでしょう。遺骨収集のお話も聞いたような憶えがある。ご近所には満州から引き上げられ、味真野の幼稚園長をされていた女性もおられた。最後一人旅行の途中満州で亡くなられた。戦争を境に大きな変化を経験された年配の方達の胸のうちはその方だけにしか解らない。青春を過ごした土地には言葉で言い尽くせない思い出がおありであろう。園児時代、「戸泉先生、ニッコニコ」という替え歌を大きな声で歌った。楽しい思い出、ありがとうございました。ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。

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2009年03月20日

プレミアム買い物券

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プレミアム買い物券

日本の経済対策の目玉、定額給付金の決定を受け、福井県越前市、武生商工会議所、越前市商工会がタイアップし、地域振興券として「こしの都お買い物券」を今日から発行。プラチナ券と共通券の2種類がある。早速、券を持ってお買い物においでのお客さまも。手にしてみて経済効果を実感する。世界中の景気回復を心より願う、今日はお彼岸の中日。

券の有効期間は
平成21年3月20日~平成21年8月31日

☆お買い物はあなたの町のお店で☆
 

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2008年07月29日

花筐薪能前夜祭

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花筐薪能前夜祭
花筐のしらべ
とき 8月5日(火)午後7時30分
ところ 花筐公園
「摩訶不思議」による
奏者
二胡 小林寛明
Keybord ジミあわたべ
入場無料
花筐公園の夕闇せまる自然に、花筐薪能の篝火と、
越前和紙と現代アートによる行灯が公園内の神秘的
な風情と感動でみなさまに呼びかけます。
夏の夜の一夜を自然と共に癒して下さい。
主催花筐薪能実行委員会

ーーーー

演奏はご近所のジミあわたべ、こと辻さん、
行灯は町の芸術家、角さんを中心に手作り
250基の行灯、ガラス行灯60基が
前夜祭、薪能当日と公園を照らし出します。

薪能券は残りもあと1割ほどとなり好調、お求めはお急ぎくださるようお願いします。尚、当日券もわずかですが用意させていただきます。
薪能実行委員長 福田

http://www.awatabe.com/noh2008/index.htm

ーーーー

花筐薪能実行委員長の福田さんがお見えになり前夜祭のお知らせをお聞きしました。券の出も好調
とのことで、大変喜ばれていました。例年恒例の粟田部夏祭りが今回休止となりましたがこの、薪能前夜祭、音楽と行灯がかもしだすハーモニーで花筐公園の夏、今年も盛り上がることと思います。ぜひご覧ください。


8月5日

気になることもあり、お昼頃、久しぶりに花筐小学校へ行く。今年の春から校長は幼馴染の木曾先生、校長室でいろいろ子供の頃の懐かしい話など。子供の頃は2軒隣というご近所でもあったので、よく遊びました。プールからは元気な子供達の歓声。

夕方から花筐公園での、「花筐のしらべ」を少し早く拝見に。まだ実行委員会の方達も準備で忙しそうです。辻さんの紹介で二胡奏者の小林さんと二胡についていろいろ歓談。町の芸術家、角さんもはりきって公園のレイアウトをされていました。だんだん薄暗く、演奏が始まると同時にあんどんに灯りがつけられるとあたりは不思議な雰囲気に包まれていきました。辻さんがいきなり、千秋さんのリクエストがあったので「ふるさと」を演奏しますとマイクを入れたのには、もうびっくりしました。何気なく話していただけなのに、ほんとうに嬉しかったです。

二胡は初めて手で触らせていただきました。思ったより小さく、蛇の皮が張ってありました。2本しか弦がないと言うと、小林さんが、笑いながら、だから二胡なんですよと。キーボードの演奏とうまく合ってとても素敵な演奏でした。

公園の様子はこちらから

http://www.awatabe.com/2008/live.htm

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2008年05月26日

薪能のご案内

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随分以前になりました、花筐薪能を始められた方のお誘いがあり、福井能楽堂で、初めて「三番叟」を鑑賞し、芸に酔うという経験をこの時初めて味わい、また本格な能と能舞台を見るのも初めてでした。今踊られた方は「万作さんですよ」と聞いてもまだ若い当時はそうなんですか、というほど何の知識もありませんでした。この20年間、縁あって花筐公園での薪能に関わり、今更ながら伝統文化の持つその重い厚みに驚くばかりです。今回、花筐公園薪能も八回というお目出度い回を重ね、しかも、野村父子をお招きすること三度、花筐公園へは何をおいてもとお聞きしています。以前よりの計画立ち上げ、存じてはおりましたが、事務局より正式に薪能紹介ページの製作依頼を受け、ボランティアではありますが、心こめ、万作師の「三番叟」を思い出しながら、一人でも多くの方の目に止まりますよう楽しく作らせていただきました。合わせて福井越前は粟田部花筐公園へぜひお越しくださいますよう世話人の方ともども、心よりお待ち申し上げます。

http://www.awatabe.com/noh2008/



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2007年10月07日

継体ゆかりの里

昨日、継体大王即位1500年記念パレードで、ここ越前市粟田部は終日賑わいました。どうの餅も最近では見られなくなった「堂」と「宮」2つが、道路をうねりながら練り歩く姿は、いつまでも心に残ると思います。大陸からの使者の持つ旗と姿は、往時を偲ぶに充分であり、大変心が高揚しました。成功させようと随分前から準備された方々のご苦労も、沿道を埋めた観衆の笑顔と拍手の中、報われたのではないでしょうか。私も、今自分にできることを精一杯やったつもりです。「継体天皇ゆかりの里粟田部」これからも今まで以上に誇りを忘れずにいきたいと思います。


当日パレード動画はこちらから

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2007年10月05日

もちつき

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昨日4日午後4時から、花筐公園へこしの都1500年「奉納祭」で配る餅をつきに行く。越前市商工会粟田部支部と粟田部商店連盟、粟田部区長会、有志、6~70人が参加。花筐会館外に釜3台、会館内に臼4個を並べ杵でついていく。前もって、継体ゆかりの皇子ヶ池で洗米されたもち米3表半によって、3500個の紅白餅をつき終わったのは午後10時を回っていた。この餅は6日午後2時からの奉納祭で配られる。

私は本格的なもちつきは何年ぶり、3臼きねでつき、餅を返すうすとりを何度もやった。さすがに今腰が少し痛い。交流の場ともなり、粟田部唯一の市会議員福田さん、区長会長宇野さんなどから、いろいろ現在抱えている問題や抱負など合間にお聞きすることができた。延々と続く餅つきも終盤にさしかかった頃、堂の餅の唄の大合唱が自然沸き起こり痛く感動した。最後のひと臼は、商工会支部長山下さん他全員が見つめる中、商店連盟副会長山部さんつく餅を、唄いながら私がうすとりして終えた。終了まぎわになって大変激しい雨となったが、これまでも、これからも二度とないであろう盛大な餅つきに参加でき心晴れる一日となった。当日はぜひ粟田部におこしいただきたいと思う。

これから粟田部秋季例大祭、花筐公園もみじまつりへと続く、街中の軒に飾られたもみじが目に鮮やかだ。

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2007年10月03日

秋風と旗

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以前岡太神社の継体祭で、50年に一度の餅まきを経験した覚えのある人が私も含めたくさんいる。もう50年もたったの、と今回1500年の旗を見て疑問に思う人もいる。これは昔から延々と続く祭りは継体天皇の誕生に合わせていて、今回の1500年祭りは即位の日から数えてだからと聞いた。

このように粟田部では、別に今更といった感があるほど、継体天皇は日常的に語られ崇めら伝統行事も行われている、おそらく県唯一の町と言っていいだろう。今回県が億とも言われる予算を持って大々的に取り組んだ為、全県で継体ゆかりの掘り起こしが進んだようだ。イベントは常に一過性の側面を持ち、のどもと過ぎれば忘れ去られていく。しかしここ粟田部では継体天皇を祀る神社を持つがゆえに、子々孫々まで、何事もなかったかのように、静かに語り伝えられていくのです。

伝統の持つ響きにはここちよいものがあります。しかしその継続は並大抵なものでなく、産業においても伝統と呼ばれてきたものが時代の大変遷の前に、次々と矢つき力つき倒れていく寂しい世の中を目にしています。こういった時代であるからこそ、この継体1500年の持つ意味が大きいのだろうと、秋風にたなびく旗から、そんなことを感じとれました。

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2007年10月02日

イベントの秋

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こしの都千五百年(10月6日)大祭
もみじまつり(11月)関係・粟田部

これまでに出席した会議

平成19年9月5日18:30~
越前市商工会粟田部支部役員会
越前市商工会(旧、今立商工会)
岡太神社周辺「奉納祭」に於ける「振る舞い餅」を担当
餅つき3表半、約1500人分もの紅白餅、準備日程の討議など


平成19年9月17日19:30~
花筐公園保勝会役員会
花筐会館
こしの都千五百年大祭への協力確認と山車パレードにおける
人員配置、もみじまつり関係など討議
先ほど花筐公園は国の登録記念物に認定され、その認定書の
紹介もありました。特に今回、今までの補助金から、
会費による運営へと切り替わり、新しい出発です。


平成19年9月20日18:30~
岡太神社敬成会役員会
ふるさとの家
継体天皇1500年祭について
特に今回曳き回す蓬莱祀(おらいし)の準備中心に
細かい日程割りなどを討議確認


6日の山車行列は、先導隊ー迹王の餅(どうの餅)ーこしの都旗隊ー
巧隊ー献上品を積んだ古代船ー蓬莱祀(おらいし)ーステラ座ー町衆
と続く堂々としたものになりそうです。


以上、粟田部の中心的会議が次々開催され、区長会もと聞いています。
6日開催の奉納祭から花筐公園もみじまつりへと続く一連のイベントに、
粟田部は盛り上がってきました。

粟田部全戸玄関先に、もみじのレプリカが吊られ
各区に一個、大きな花篭が飾られ、イベント旗が秋風に
たなびいています。

写真は私の住む中佐山区の花篭、
角区長さんの手作りで、とても立派です。
武生菊人形のポスターも見え秋を感じます。


先ほど花筐自治振興会事務局長の前川さんがお見えになり
県から連絡があり、もみじの写真を県広報にとかで、
広報課の方と直接電話でお話を。
もちろんお好きなものをどうぞと快諾しました。
福井県も応援してくれてるような嬉しい気持ちになり
前川さんと喜び合いました。
 
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2007年03月06日

傘と提灯は

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 「傘と提灯は早く返せ」という諺がある。これは用がなくなったら借りたものをすぐに忘れてしまうからと言えば身に覚えもありそうだ。また長い人生の中いったい何本の傘を置き忘れたことか、思い出せない数であったような気がする。傘も今では大変廉価になったようで、傘やのご主人が最近は傘も景品になるような時代と口説かれているのを聞いたこともある。この辺では洋傘のことを「こんもり」と言う。こんもり傘の思い出はみなさんいろいろお有りではないかと想像する。

 
 有る時期、電車通学の時などで、当時のヤングは傘を逆さまに持っていたような気がする。長靴の外へズボンのすそを出したたんだ傘は逆さまに持つ、若者のファッションはいつの時代もこのように些細なことにこだわるのが良とされた。今のお臍を堂々と出しズボンをギリギリ下げ、目のやりばに困るようなファッションから見ればかわいいものである。また黒板などに三角と直線で傘のイラストを書き左右に男女の名前を書いてはやし立てた風景はどこかほのぼのとした記憶となって、そこには今の生き死にに関わるような陰惨ないじめという陰は微塵もなかったように思う。

 さて、傘と言えば「核の傘」などよく聞くことば。沖縄返還に活躍されたという若泉敬氏の名前が思い浮かぶ。戦後命がけで政務に携われた方もおられたのだと郷土の後輩として考え深い。ひとりそう思うだけかも知れないが、地元でほとんど語られることなく今日あるは寂しい気がする。ふるさとに込められた響きと願いの中に満ち宿るもの、それはどういったものなのか考えてみたい。例えば傘の作る日陰の中にもその答えのひとつがありそうだ。
 

 

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2007年03月05日

井の中のかわず

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 "大都会"粟田部という文を目にし、朝から大笑いさせていただいた。もちろん"大都会"はユーモア。なるほど外からは粟田部もそのように見えるのかと妙に感心した。しかし笑われようが、ここで生まれ育った者にこの町はとてつもなく大きい。複雑に絡み合う人間関係や路地の津々浦々まで続く町並みの完全な把握など未だにできていないし、結局できずじまいで終わると思っている。住んでいる者にはそういった意味での複雑さがよく判っているだけに、人とかお店とかの紹介なども簡単にはできないものだ。SNSでもいい日記を目にした。「物事は有ると思えば有る、無いと思えばない」禅問答みたいな感じで般若心経などをベースにして丁寧に解説してあったものが目についた。人の行動半径など知れたもので、一生のうち行かないところの方が断然圧倒的に多いと思う。「井の中のかわず大海を知らず」と言ってしまえばそれまでだが、


 
 井のカワズにとってはこの井戸こそ正に有るのであって、その他の世界は人が有るというから有るんだろうといった認識程度というのが本音かも知れない。西洋ではこれに似た諺に「一度も村から出た事のない者は自分の村の鐘つき堂しか見たことがない」と言うのがある。このところの金属高騰の余波は消防の半鐘にまで及び鐘を見たことが無いという時代がくるのかも知れないと笑えない。さてカワズと言えばカエル。このかえる君が年々減ってきているそう。カエルは田の害虫を食べてくれる大事な生き物で、減少すれば生態系に大きな影響が出るとか。あぜ道などにあるコンクリートの側溝壁が問題とか、やはり人間の仕業であるようだ。小さなかわいい緑色のアマガエル手の平に乗せて遊びませんでしたか。

ふる井戸のかわずに雪なしふる日差し
 

 

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2007年02月21日

小京都と奥座敷

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 京都の東寺の五重の塔は何度か見た。あと清水の塔は八坂を登りながら眺めるのが好き。奈良の法隆寺の塔もさすがでした。この塔の中には部屋がなくて太い心棒があるだけと聞いた時は驚き。住まいの用を足さない建造物は他にあるのでしょうか。さしずめ東洋版バベルの塔というには美くしすぎよう。福井県の若狭でも、いかにも年代を感じる三重の塔など見て回ったことがある。小京都と言われる所以である。福井は関西の奥座敷という言葉を年配の方から聞いたことを思い出す。主に芦原温泉などに使われた言葉ではなかったか、情緒の判る方でなければ誤解される言葉かも。今日、外は青空で春の陽気となっている。近くの365スキー場は積雪が少なく今25日で終了するそう、入場者も過去最低を記録したとか話題に、チョット寂しい。さて何日か3D四苦八苦しながら楽しかった。もう何年も前からいろんなフリーソフトを試してはいたがせいぜい丸い球を作っていたぐらい。そういった経験もほんとうは後押ししてくれているかも知れないのだが。出来上がったものを見て、どこかで見たことが、そうこれは五重の塔と大好きな大阪城のイメージが合体している、思わず苦笑。バーチャルの世界は楽しい。こんなことが出来るようになるとはPCを始めて触った頃考えもしなかったこと。3Dの世界は驚きの連続。関連でキャドというソフトがあるのは知っていたが、今朝の報道で福井コンピューターの一部上場が大きく報じられていた。奥座敷から表舞台への脱却は個性あるプログラマー達の双肩に懸かっているのか。越前の抜けるような青空を見上げながらそんなこんなを。

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2007年02月04日

謡曲『花筐』

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このところ毎日継体大王に関するシリーズが新聞トップに掲載されている。粟田部郷土史研究会会長福田氏への取材記事も目にした。長い記事の中特に記憶に残ったのは「世阿弥は何もないところからは創作をしないと言われており、『花筐』は史実もしくは伝承に基づいたものと捉えることができる。」という下り。今朝の記事では福井市郷土歴史博物館学芸員の方の「古代の文献に出てこないし内容に矛盾もある、これを史実と見るのは危険」と継体と神社の関係についての記事も目にした。朝倉遺跡資料館長の青木氏も加わっての結論は「人々が越前出身の継体大王を誇りに思い、心の豊かさではぐくんできた伝承は今後も語り継ぐべき」と結んであったように思う。


 歴史において頼りとするものは発掘と文献しかない、と言ってしまえばそれまでだが、それに言い伝えのようなものが加わるからおもしろい。特にネットをやり始めてからキーワードという観念が入り込み自然正しいとされる言葉名称を捜そうとするようになってきた。しかし調べれば調べるほど、一つの事象に対する呼び方や考え方があまりに多面的であることを思い知らされる。キーワードの登録数の多いものが正しい言葉呼び名であるという考えを聞いた時には妙に感心したものだが、今はそうとばかりも言えないように思える。

『・・・編纂のことたる全々われ一己の負うところの者にして、他と毫も交渉無きものたり、然り交渉なし、交渉なきところ自由の筆を有す、権勢何物ぞ、人の好悪するところ、また何物ぞ、筆せんと欲すれば筆す、筆せざらむと欲すれば筆せず、快なる哉・・・』昭和五年、郷土の先輩伊藤氏の巻頭序文。『今および後の郷人等の、往を知り来を察せんがために・・・すてられもせぬ物語』とある。真実とはこういった気概の中にのみあると思う。

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2007年02月02日

建国記念日に

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 一昨年、国選択無形民俗文化財の指定を受け、今年は越前市粟田部ゆかりの継体天皇即位1500年を祝い県を挙げての取り組みの中、蓬莱祀(おらいし)が建国記念日に粟田部町内で巡行される。岡太神社敬成会・蓬莱祀保存会の会員通知内容もいつになく盛り上がっている。保存会井筒会長によると今年は山車の引き手の衣装を福井デザイン専門学校に依頼し今回初お披露目となるそうです。

2月10日 午前9時より まゆ玉つけ・俵締め
2月11日 午前9時より 蓬莱祀組み立て飾り付け
      午後1時より 粟田部一円引き回し

市祭り(小判買い) 2月 9日午前0時より
(商売繁盛祈願)
特日祭り      2月10日午前0時~7時
(無病息災家内安全祈願)
会員全員参加で盛り上げたいと敬成会広瀬会長よりのご案内です。

力の入った今年の蓬莱祀ぜひご覧になってください。

http://www.awatabe.com/houraishi1.htm

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2006年10月24日

平山郁夫展あとわずか

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 県内外に大きな反響を呼んだ平山郁夫展もあとわずか。今回は画伯の人となりに迫れる展示となっていた。昨日と今日、芸術館におじゃました。今回越前市に引き継がれたとはいえ、今立町という小さな町が大変大きなイベントを打ち続けてきたものだと感嘆する。確かに多くの芸術家達がまるでふるさとのように逗留してきた歴史がある。それを理解する風土と人がここにはあったのでしょう。座敷に何気なくおかれた屏風や額の作者を尋ねれば、大観とか関雪とかいとも簡単に返事が返ってきたりする。そして今、当代日本画を代表する平山画伯作品を三度も間近で見れるなど大変運がよかったと思うし、小さな町だからこそがんばれたのかも知れない。それもあと数日を残すのみ、歴史の匂い香るこの町を訪れ、最高の芸術を目にしてください。そして、いまだて芸術館のみなさまがんばってください!

http://www.awatabe.com/hirayama/2006.htm

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2006年06月02日

出生率の影

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 今朝の地方新聞一面トップは「出生率1.25最低更新」と大見出しでした。福井県が1.47で沖縄に続き全国2位で、しかも全国唯一のアップと続きますから納得で、また当然胸を張れることです。日本は限りなく一人っ子社会に近づいていく。中国での「一人っ子」は国の人口抑制の政策と聞いて久しい。日本の場合はそうでないところが問題なのでしょう。どうして福井が高い数値を出しているのかよく分かりませんが、良く言えば生活環境への安全安心感と持ち家比率が相対的に高いのかも知れないし、辛く言えば社会不安に対する認識が緩やかな県民性なのかも知れません。この出生率に関しては4年ほど前に講演を聞いたことなど思い出します。「1.33の波紋」というものでした。その頃は、「2.08以上にならなければどうなるか」などとまだ人ごとのような感じもしましたが、あっという間に恐ろしい数値を遥かに更新してしまったようです。国家存亡の危機などというと大げさに聞こえますが、決してそうでないことをこの数値は示しているはずです。外国での成功例もずいぶん以前から解っているはずなのですが、国内には難しい障害が山積しているのかも知れません。その影の部分をどうしたら消すことができるのでしょう。「子供は国の宝」そんな心からの大合唱が沸き起こって欲しい。教育費負担の重い壁、ここに答えがあるような気がします。こと出生に関しては漠然とした不安という暗い「影」が例え僅かであっても、あってはいけないと思うのです。

http://www.awatabe.com/Jointly/danzyo4.htm

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2006年05月21日

越前花筐薪能

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 薪能のポスターが県内に張り出されました。この題字を書かれた木津さんは書家でもあり、ついこの間まで今立商工会長を歴任された方です。すぐ近くにお住まいがあることも手伝いよく話をしました。先ほど急逝されこの題字は遺作となってしまいました。もみじまつりなどご一緒に準備したことなどよい思い出です。この度、ボランティアではありますが「第七回越前花筐(はながたみ)薪能」公式ページの依頼を受け、木津さんとのあれこれを思い出しながら一生懸命作成しています。今立町から越前市へと名前が変わって寂しいとの声も聞きますが、この薪能が新生越前市へのよすがとなれば幸いです。毎回全国からのお客様が大勢見えられます。今年は加えて合併なった越前市内からのお客様も多いことと思います。「越前」の名を新たに加えての「越前花筐薪能」ここ福井県越前市粟田部花筐公園は新しい市民融和の場所として最適な気がいたします。また今回はページ作成三度目ということもあり、ネットの力を本気で期待しています。この声が全国の能愛好者の皆様に届きますよう。

http://www.awatabe.com/noh/index.htm

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